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ヒモと呼ばないで

9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。

 ■ 2004/01/30 (金) 給与明細/一時離脱


職場に着いて、大きなため息と共に出入管理のため受付のイスに座り、シフト表を再確認する。

最近は慣れてきたので、もう見ないことの方が多いんだが、今日は見た。
理由はない。
何となくだ。
しかし、見てよかった。
そこに俺の給与明細が紛れ込んでいる。
明日、振り込みか。
忘れてたよ。

先月も出たが、それは〆の関係で一日分だけだったので、これが実質的初任給だ。


…というわけで、勤め始めて一月が経ち、とうとう給料を得ました。
残念ながら「主夫」に戻れる見込みも少ないと言わざるを得ないので、引っ越して、そこから通うことを前提に次の職を探すまでは、ここで働くことになる可能性が高いと思われます。
そうなると「無職.com」というサイトの特性上、もはや私はここには相応しくないと判断しました。
毎日働いている、その日記をUPしている現在でもすでに、不愉快に思われている方も恐らくおられるでしょうから。

というわけで、次の職探しに入るまでここに日記をUPすることはお休みします。

途中、記事を削除したときに温かい応援を下さった皆さん、また、掲示板や、ご自分の日記の文中にわざわざスペースを割いて数々のアドバイスや応援を書いて下さった方々、そして、こんな私を「ヒモと呼ばないで」いてくれた全ての皆さん、本当にありがとうございました。

一応こちらで継続して書かせて頂いています。
こちらは「無職」とは特に無関係なのでそのまま続けても問題ないようなので。
よかったら遊びに来て下さい。
http://www.mypress.jp/v2_writers/shufu/

皆さんが、無職/有職にかかわらず、本当に心から満足できる毎日を送れますように。
微力ながらお祈りしています。

追伸;管理人さん、お世話になりました。
   また無職になった時には、よろしくお願いします。

B級主夫。



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B級主夫 すえっこさん、ありがとう。 (04/05/30 22:46)
すえっこ ああまだ懐かしむオラ (04/04/21 21:05)
俺も俺も お疲れ様です。 (04/02/15 15:44)
名無しの案山子 日記を初めからはいどくさせていただいてました 頑張ってください!私も後に続きたいです (04/02/03 03:39)
みどり 主夫さんの日記読んでいろんなことかんがえたよ。ありがとう。 (04/02/01 21:03)
私も主夫になりたい 真摯な文章、いつもありがとうございました。 (04/01/31 05:08)
無職日記スレ74 寂しくなります。どうか、お元気で。B級主夫さんがしたい生き方に、いつか辿りつけますよう、心からお祈りしています。 (04/01/30 21:10)
すえっこ が来ればなんて。。。 (04/01/30 19:03)
すえっこ ありがとう そして またいつかお会い出来る日 (04/01/30 19:03)
とむ あなたもまた、心から満足できる毎日を送れますように。 (04/01/30 02:23)
主夫になりたい男 再び主夫になられることを影ながら願っております。 (04/01/30 02:11)


 ■ 2004/01/29 (木) 休み明け


休み明け。

風呂から出てさっぱりしても、この日に思うことは毎回同じ。

行きたくない。

それだけ。

あと53分。

もう52分。


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 ■ 2004/01/29 (木) 休日/フツー


今日は休日。
午後から散策へ。

今日はあえて山には上らずに、それを遠目に見ながら街を歩いてみることにした。
理由はない。

途中、「ふるさと歴史館」という施設を見つけたので入ってみる。

規模が小さい割には外装にお金かけすぎという気はするが、結構面白い。
俺はこういった類の場所なら大抵のものは面白がるタチなので、普通の人にとっては「?」かもしれないが。

特に、「少し前」の、それもここら辺の「フツーの生活」についての展示が興味を引いた。

家の近所であちこちに見かけることの出来る「屋敷」の表札の名が、ここ一帯に力を及ぼした名主であることが改めてわかった。

すごいな…江戸時代からの名主だったのか。

茅葺きの家の前には防風林があって、雑木林を、長い視点で丁寧に手入れをする暮らし。
薪や枯れ枝を燃料にするのはもちろん、落ち葉を肥料やサツマイモの苗床にしたり、炭焼きをしたり…。

よくこんな生活を評して「時間がゆっくり流れる」なんて言い方をしたりするが、実際は現代から見れば不便極まりなく、火を起こすところからして「ゆっくり」どころか汗にまみれるような生活だったことだろう。

でも、それが不幸だとは到底感じられない。

これでいい…っていうか、これしかない、からだろうか。
他と比較しようのない、してもしょうがない生活。

今から見れば、変化が乏しく退屈とも言えるだろうが、逆に今では難しい、地に足の着いた強さもあったはずだ。

長い視点を持ち、丁寧に生きる、か。
ほんの50年前までの「フツー」の生活。

俺の生活とはまるで正反対だ。

その日の無事だけを考えて、ルーティーンワークを繰り返すだけ。

これだけ見れば「変化が乏しく退屈」なことろは同じだ。
俺もよく「これでいい」「これしかない」って言うし。

でも50年後の人が今の俺の生活を見て、それに「地に足の着いた強さ」などどうして感じられようか。

まるで、永遠の挟殺プレーで、塁間に夾まれる間抜けな打者走者だ。

そして、挟まれて、あっちに走り、こっちでタッチをかわしているうちに、俺は最終的に目指していたはずの「ホームベース」のことなんか忘れてしまった。

ただ「アウト」になることだけを恐れる生活。

…でも、そもそもどうして「夾まれて」いるんだろう。
もう随分前のことのような気がするが、フルスイングして球を芯で捉え、野手の間を抜いた所まではよく覚えているぞ。

一塁を蹴って、二塁へ…。
その時、欲張ってこうなったような気がする。
行っちゃダメだ、と心のどこかで分かっていたのに。
何が何でも自分の打球を「長打」にしたかったんだろうか。
よくわからんが。

もうここはさっさとアウトになって、次の打席でもう一回スカッとかっ飛ばすことを考えるか。

でも、俺に次の打席なんてあるのか。
もしあっても、また打てるのか。

そうだ…。
そんな心配から無縁でいられるのが、「地に足の着いた強さ」なんだ。

俺にはまだそんなものはない。

…今いきなり思い出した。
こんな句を聞いたことがある。

「かかるとき 
 さこそ命の惜しからめ
 かねてなき身と思い知らずば」

地に足が着くどころか、天地と一つってヤツか…。
確か、太田道灌だったか。
さすがサムライ。

俺も欲しい。
そんな強さ。

昔の百姓に憧れるも、それにも到底及ばないような男には無理とは分かっていても。

俺も「地に足を着けた強さ」が欲しい。



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 ■ 2004/01/28 (水) 休日前夜


帰ってきた。

あるテナントで倒れたが、救急車の中に入った瞬間に意識を回復し、結局歩いて帰った…まではよかったが、それから10分もしないうちに警備室に再び戻ってきて「私はどうやってここに来て、今どこにいるのでしょう」とまるでコントのようなセリフを吐いたお客様が、彼だって、以前はまさか自分がこんな事を言い出すことになるなんて思いも寄らなかっただろうに…いずれ俺がこうならないと果たして断言できるだろうか…なんてことを考えさせてくれたこと以外には、何もない一日。

つまり、最高の仕事ができた日、ということになる。

上手くやり過ごせた日。
喉ごしの良かった日。

何も問題が起きなくてよかった。
本当によかった。

でも、全然嬉しくない。

どうしたら「嬉しい」という感情を取り戻せるのか。
一番やりたい仕事を失ったばかりの状態で。

どうやってここに来てたかは、分かってる。
今どこにいるのかもだ。

でも、これから何処に行ったらいいのかが全然見えてこない。

行きたいところへ行けばいいだろうって。
だから、そこには今は行けないんだよ。
その他で行きたい所なんてないよ。

そのうち俺も、どうやってここに来たのかも、今どこにいるのかも分からなくなって、気を失って倒れたりするのかな。

明日は休み。
とは言っても、特に予定はない。

とにかく今は祈るだけ。

「明日の休みが、長く楽しく心地よく快適で有意義な一日となりますように」と。

今はそれしか思い浮かばない。


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 ■ 2004/01/27 (火) 休日前朝


風呂から出た。

あと1時間08分。
どうやら風呂は朝に入る方が、俺には時間的に余裕が生まれやすいみたいだ。

今日のシフトは、キツイ方のそれだ。
こんな時に限って、担当の「偉い人」は細かくて苦手な方だったりするんだ。
行ってみなきゃ分からないけど。
でも今日行けば明日は休みだ。
何とかやり過ごそう。

それにしても、そろそろ引っ越し先から通うことを前提にした新しい仕事探さないと。

じゃなかった、専業に戻る戦略をもう一度練らないと、だった。

ひょっとして、もう諦めちゃったのかな、俺。
まさか。

あと1時間01分。

どうぞ、今日も一日何事もありませんように


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 お疲れ様です。 (04/01/27 23:07)


 ■ 2004/01/27 (火) 異常なし


うそ泣き三昧で、自分の家の電話番号を何度も書き直すような、イケシャーシャーとした58歳の女の万引きが、自分が58になったとき、果たしてこうならないと断言できるだろうか…なんてことを考えさせてくれたこと以外には、何もない一日。

つまり、最高の仕事ができた日、ということになる。

斬られずに済んだ一日。
サバイバルできた日。

何も問題が起きなくてよかった。
本当によかった。

でも、全然嬉しくない。

今は前者が後者を上手く押さえ込んでいる状態。
果たして,このまま押さえ込み一本、と相成るのか。

分からない。

とにかく今は祈るだけ。

「明日も何事もありませんように」と。


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 ■ 2004/01/26 (月) パンツ


妻の休日。

風呂から出て、パンツを探すも見当たらない。
前回は妻が洗濯してくれたはず。

聞いてみようと、腰にバスタオルを巻いたまま、彼女の部屋に行くも、すでにもぬけの殻。

…何処行ったんだ。

段々怒りが湧いてきて、携帯にTEL。

「もしもし、起きた。今お母さんの所。寝てたから、仕事で疲れてると思ったから、そのままにしてあげたよ。あたしって偉い?…えっ、パンツ?あー、ホント?なかった?。じゃ、干してあるの穿いて。ガシャ。」

…。

仕方なく、寝間着のスウェットパンツとそこらのシャツを引っ掛けて、外の物干しから、恐らく2日間は干しっぱなしのボクサーパンツを3枚まとめて引ったくる。

もう体は冷え切ってるよ。

こんな朝ってありか。

あと37分。


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俺も俺も ノーパン健康法というのが昔はやりましたが。どこへいったのやら。 (04/01/29 00:35)
通行人A ノーパンじゃ風邪引くぜ (04/01/26 20:32)
ななし たまにはノーパンも良いですョ (04/01/26 18:56)


 ■ 2004/01/26 (月) マウンド


職場に着いてすぐ、いつものようにロッカーを開けると、そこに「厚生年金基金加入員証」「雇用保険被保険者証」が目の高さに磁石で貼り付けてあった。

本当なら16日に届いていたはずらしいが、手違いがあって今日になって俺の手元に届くことに。
すぐに、受領書にハンコを押して、社内メールで返信する。

これで、書類関係は一通り完了したようだ。

仕事が終わった後、またしても寒空の中、男3人で、会社/仕事の話をする。
まだ俺にはよく分からない話もあるが、特に嫌だということもないのが自分でも不思議だ。
さすがに寒いのだけは勘弁して欲しいが。

30分も話しただろうか。
冷えた体で家路を急ぐ途中、不意に、前にここに書いた「ショーバン」の事を再度思い出す。

あの時も、ちゃんとした「チーム」に入って、揃いの「ユニフォーム」をプロ野球選手のように着て「公式試合」を闘う…ことには確かに嬉しさや楽しさがあったように思う。
ドキドキしたり、恐かったり、悔しかったりもしたが、いいピッチングをしたり、その試合に「勝った」ときは最高に嬉しかったのは確かだ。

…でも「ショーバン」を捕る楽しさは失った。
とうとう最後まで「基本から外れる」ことを恐れたまま。

それに、そうだ。
「ドキドキ」や勝利の嬉しさは、ピッチャーとして、投げることそのものや、そこでの勝負を楽しめるようになってからのことだ。

…このままだと俺は、「専業主夫」という今の自分にとって最適な日常を確実に失ってしまうだろう。
これからますます、「チームワーク」重視で、取引先の会社のためはもとより、先輩/同僚の「迷惑にならないように」働き、その最上級の結果が「それだけ」の世界に入り込んでいくんだろうから。

「ショーバン」どころか、そのうち凡フライも捕れなくなるだろう。

…あの時も、俺は「いいショートストップ」になりたかったんだ。
他のポジションなど、その時は考えもしなかった。
でも、それが上手くいかなくて、ピッチャーになった。

…よく考えてみると、あの時も「棚ぼた」じゃなかったのかも。
心のどこかで、ピッチャーになりたかったんだ。
どこかで、というより「心の底で」と言ったほうが正確かも。

今の俺は「いい専業主夫」になりたい。
働きだした後も変わらない。
でも、それが叶わない今、次ぎの「マウンド」が思い浮かばない。

あの時もそうだったんだろうか。
「投げてみろ」と言われて初めて、投げる楽しさに気づいたんだろうか。

わからない。
心の底をさらってみても、今はわからないよ。

主夫でいさせろ。
それ以上を望むなら、次の「マウンド」を用意しろ。

その前にそれは何なんだ。
俺にはわからない。

まさか「お義父さんみたいになること」なんて言うんじゃないだろうか。

そんなの俺のマウンドじゃない。
投げてみて、って言われてもお断りだ。



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 ■ 2004/01/25 (日) 鎧


休日明け。

あと7分か。
今日はいつもより早く部屋着を着替えたのに、もうこんな時間か。

しかし、実際に早く着替えてみると、昨日一度脱いだ鎧を、もう一度最初から全身に身につけたような気分。

千円台のフリース、アメ横の軍パンは、散策に行くときと全く同じなのに、その方向が逆になっただけで、こうも重たく感じるものか。

それにしても、仕事に出始めてもうすぐ1ヶ月になるのか。
いや、12月22日からだから、もう1ヶ月過ぎたのか。

本当に前の生活に戻れるのはいつなんだろう。
それとも、もう本当に戻れないのだろうか。
だとするなら、その時と同じ充実感を得られる毎日も、戻らないってことか。

ああ、あと5分しかないよ。

それにしても、このフリースとパンツ、昨日の散策と全く同じ格好なのに、何でこうも重たいんだろうか。

それに、アウターと、デイパックを加えて、出来上がりか。

鎧の。

やっぱり俺には重すぎるよ。


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 ■ 2004/01/25 (日) 全生園2


今日は休日。

午後から全生園へ。
前回と同じルートで歩き、南門から入る。

前回見た復元された施設をもう一度よく見る。
名前は「山吹舎」だった。
木造の男子独身寮だったそうだ。

作家の北条民雄が闘病したのは「秩父舎」。
ここにある木はやはりカエデで間違いはなかった。

そのまま宗教地区→旧学校跡・図書館跡→神社通りを経て、中央通り傍の風呂屋を横目に、先を急ぐ。

前回はすでに閉館していた、ハンセン病資料館に到着。
それでも閉館まであと30分しかないでので、急いで2階に上がる。

実物大で再現された闘病舎が展示されていて、そこで火鉢を囲む者、布団に寝る者、将棋を差すもの、机に向かう者…のマネキン(?)がある。

もちろん、顔や体のあちこちには、痛々しい眼帯や包帯が巻かれていたりするんだが。

心の準備が出来ていないまま見たので、そのリアルな再現に思わず絶句する。
…何も言えない。

順路に従い、先に進むと「北条民雄」の文字。
彼の顔を初めて見る。
果たして、彼の姿は想像と少し違っていた。
大きな写真の彼は、眼鏡をかけて、木訥そうで…それでいてどこか気が強そうにも見える。

そして、何より妙味深かったのは「日記」だ。

そこには「ラヂオは愚劣だ」というようなことが書いてあった。
「うるさくて本も読めない」的なことも。

普通の日常を生きていたんだ。
もし彼が現代を生きていたら、何を「うるさい」「愚劣」だと思うだろうか。

そして、ここでもう一点興味を引くモノがあった。

それは「着物」。

「どこに行くにも『うどん縞』の単衣」という説明文もあった(と思う。うる覚え。失礼)が、俺にはシンプルでデザインとしては悪くないとも思えた。

ガラスケースの中のモノなどは、袷のものもあり、濃い紺色のそれはカッコイイとすら思えた。

…北条民雄さんなら、現実の不自由さを何一つ分かりもしないくせに、見かけだけで恐らくは当時としても「粗末な」着物のことを、「カッコイイ」だとか抜かす輩をこそ「愚劣」だと言うだろうか。

愚劣だ!うるさい!何も知らないくせに!…と言われるかな。

…その通りだな。
非礼だよ。
ごめんなさい。

閉館時間に押し出されるように、資料館を出る。

さぁ、ここからが、今回の主目的だ。

納骨堂で、前回の失礼を詫びて、もう一度亡くなられた方々に、きちんと手を合わせるんだ。

その前に、携帯の電源を切る。
絶対に切る。
切った。
間違いなく切った。

…よし。
そして、安心して前に。

すると、視界の隅に東屋の若いカップルが。
…ネチャネチャ何かしてる。

…。
納骨堂だぞ、ここは。
いくら何でも場所をわきまえろよ。

…またしても静かな気持ちを維持できず。

音の次は景色か。

北条さん、愚劣なのは彼らですよね。
俺はそう思います。

…また来なくちゃ、全生園。



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 ■ 2004/01/24 (土) リバーシブル


今日はフリースをリバーシブルのものに替えた。
意味はない。
洗濯のローテーションでそうなっただけ。

そして、いつも「白」側を表にするところを、今日はいつもは裏でしか着たことがない「茶色」を表にしてみた。
理由はない。
何となくそうしただけ。


仕事も半分を過ぎて、そろそろ忙しさのピークを迎える心の準備が必要な時間帯。
いつもは目の前に必ずあるはずの、ある記帳台紙が見当たらない。

「おかしいな、何でないんだ」
思わず声に出てしまった。

仕事中に警備室までわざわざそれを記入をしに来た従業員は、その声に呆れたのか、諦めて帰ってしまった。

申し訳なさと、たったそれだけのものを一人机をひっくり返し探しても見つけられない情けなさで、顔が見る見る赤くなるのが自分で分かる。

しかも、その記入はある「偉い人」の代理だ。
それは、前にダメ出しされた、あの「偉い人」。
最悪だ。

そして、彼が行ってしまった次の瞬間、後ろから「これじゃねえか」の声。

今日のパートナーのBさんが、今日はもう来ないだろう、との判断でしまい込んでしまったんだ。

それを用があって警備室に来ていたDさんが見つけてくれたというわけ。

それは、確かに手の届く、すぐ傍にあった。
だから、見つけられない俺も悪いのかもしれない。
Dさんも「しょうがねえなぁ」と思っただろうか。

しかし、いつもは必ず同じ場所にあるモノが、いざというときなければ慌てるよ。

それに、片づけてしまう理由も全く分からない。
この時間で「もう来ない」わけないじゃないか。

わけわからん。
で、結局悪いのは、俺か。
…。

まだある。

重要なモノを搬送する際、その出先から目的地まで必ず連絡を入れることになっている。
「これから行きます」と。

ところが、だ。

これが、いつまで経っても「話し中」。
こんなこと今まで一度もない。
もうこの時間には連絡待ちしていなきゃダメなくらいなんだ。
本当に何か問題が起きたかと慌てるも、こっちもすぐ後ろから偉い人の「何してる」の視線を浴びながら、何度も携帯をかけ直すのは本当に冷や汗が出た。

そう、この「偉い人」はさっきの人と同一人物だ。

もうどうしようもなくなって、俺はそのまま連絡無しで、そこを出た。
俺の姿を見つけてからでも、対処は出来るはずだ。
っていうか、対処してくれ。

仕方ないよ。
そうしないとまた俺が怒られるんだ。
何も悪くもないのに。

ドキドキしながら警備室を過ぎるとき横目で電話を見ると、案の定、受話器が外れてる。

それなのに、彼は逆に何故連絡しないと言わんばかりの顔してる。
「忘れただろ」的な。

いくら何でも一言言わなきゃ…と思いきや、俺にはその前に、やらなければならない大事な仕事がある。

それを終えて、電話を見ると…もう直ってる。
彼からは、何もない。

…もう何も言う気が起きない。

この「偉い人」は完全に俺をマークしているだろう。
ますます仕事やりにくくなるじゃないか。

俺のせいじゃないのに。
新人をフォローするどころか、悪者にしてどうする。

本当に一言言おうと思った。
でも、このBさん、俺の引越や仕事を辞める/辞めない、について相談に乗ってくれる唯一の人なんだ。

それはそれ、これはこれ。
分かってるけど、出来ない。

…そうだ、今日、リバーシブルを逆に着たからだ。
いつも通り「白」を表にしておけば、何て事なかったんだ。

Bさんのせいじゃない。

リバーシブルのフリースの表裏を替えたからだ。
白を表に着れば、こんなことはもう起きない。

きっとそうだ。

そうに決まってる。


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 ■ 2004/01/23 (金) おーい


風呂から出た。

部屋の隅に「SPA!」を見つける。
前はほとんど欠かさず買っていたが、最近はほとんど読んでない。
これにも2003/8/5号とあるから、夏のか。

「『本日も、ますます仕事がつまんねー』の実態」だって。

おいおい…朝から洒落にならんよ。

何気にパラパラめくると、そこに今出たばかりのうちの風呂に少し似ている浴槽に体を縮めて入る写真を見つける。
マクセルの広告ページだ。
写真は竹中直人。

そして、文中には彼のこんな言葉。

「撮影の終盤、ああ、この素敵な時間が終わってしまうと思うと寂しくなってきて」

こんな俺にもそんな記憶がある。
それも一度じゃない。
確かに何度かあった。

また来るかな、そんな時間。

とりあえず、今日は来そうもないが。
だからって、明日になれば来るかと言えば、言葉に詰まるが。

呼んでないからこないのかな。

でも、前の時は呼ばなくても来たはずなのに。

それに、呼ぶったって、どうやって。

「おーい、来てくれ」

…呼んだよ。

何故来ない。
もう少し待てば来るのか。

でも、あと41分で来なければ、少なくとも今日はダメだ。

「それだけ」な所に、来るわけないだろ。

…それともさっきの聞こえなかったのかな。

竹中直人も、うちとおんなじような風呂に浸かってるじゃないか。
何故彼だけなんだ。

そうか…本当は俺の所に来ようと思ってて、間違えてあっちに行っちゃったのか。

しょうがないな。
それなら今からでもいいよ。

じゃぁ、もう一度呼ぶからな。

「おーい」





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 ■ 2004/01/23 (金)  柄じゃない、恥ずかしい、関係ない、分からない、分かり切ってる言葉  


帰ってきた。

何もなかった。
恐れていた「おれのせいで」ということもなかった。
よかった。

でも、それだけ。

仕事を終えた感想が「それだけ」というのは、その日の仕事が最高の出来だったことの証しだ。

「出来て当たり前のこと」を繰り返し、間違えた途端に「この程度のことも出来ないのか」ということになる仕事だから。

攻撃をかわすことだけ。
自分からは何一つ仕掛けない。

「チャレンジ」が一切許されない仕事。
「アイディア」が一切不要な仕事。

そして、目的が「現状維持」だけの仕事。

今まであまり考えたことはなかったが、ハローワークで警備を無意識に選んでいた理由は、これかもしれない。

俺向きだと、自分で思ったんだろう。

しかし、だ。

その前提として、その「現状」を大げさに言えば愛せないと、精神的に厳しくなっっていく。

一番仕事の出来る人を見ていると、彼はそれを愛しているのがよく分かる。
他の人とははっきり違う。
生き生きしている。

そして俺はと言えば、その「現状」を、頭では好ましいとは思うが、そこ止まり。

その彼のようには愛してない。

…おいおい、何だって。
勝手に筆を進めさせてもらえるからって、調子に乗りやがって。
何が「愛」だよ。

何をいまさら。
そんな事考えたこともないくせに。
どの面下げて言ってんだ。

柄じゃないとか、恥ずかしいとか、関係ないとか、分からないとか、分かり切ってるとか言って逃げてきたくせに。

「愛している」という前提がなきゃ、ダメか。

それなら簡単な話だ。
俺がダメなはずだよ。

何故なら、俺は自分を愛してないんだから。
そうだ、俺は自分を愛してない。
本当にその通りだ。

書き言葉の世界でよかった。
これ以外の世界で「愛」なんて、表現する自信はない。

でも、やっと表現できることが、またもや「愛せない」という「できないこと」だなんて。
無能を晒すはめになるのは、何処に行っても同じか。

そして、この無能を克服する見込みは全くない。
全く。

克服しちゃいけないんだ。
「自分を愛せない」人生を送るしか道はない。

その前提条件を満たせない人生を生きるしかないんだ。

その理由?

言えないよ。
勘弁してくれ。




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 ■ 2004/01/22 (木) 自由研究


あと20分。

準備は全て調った。
あとは行くだけだ。

少し余裕ができると、馬鹿なことを思い出したりするのが俺の癖だ。

頭の中で、「余裕」→「自由」→「夏休み」→「宿題」→「自由研究」…という連想ゲームのガッツ石松レベルの想像が流れていく。

俺はこの「自由研究」というのが大嫌いだった。

「自由」って、何したらいいんだ。
「好きなこと何でもしていいのよ」なんて女の先生が言ってくれたこともあったが「そんな訳ないだろ」って、心の中で毒づいた。

毎日野球して、プール行って、クワガタ捕って…でいいのかよ。
よくないんだろ。

それで友達同士の牽制のし合いが始まる。

A「お前、何してる?」
B「地図作り。お前は?」
A「昆虫採集か本箱作り」
C「ウソ?!俺もそれやろうとしてたんだよ。でも同じでもいいんだよな。」
秀才D「俺、戦争だけに絞って、その年表書いてる」
A.B.C「すげー!やっぱ頭いいヤツは考えることが違うよな」

俺はというと、それをボーっと眺めながらまた心の中で毒づく。

「何処が『自由』『研究』だよ。全部去年誰かがやったやつじゃん。」
それに秀才君のも、何が「すげー」んだか。
俺には全然興味がないし。

「自由」って、もっと面白いもんじゃなかったか。
ワクワクしたりするもんじゃなかったか。

じゃぁ、お前は何を「自由研究」したのかって。

決まってるだろ。
近所の地図作りだよ。

別にいいだろ…何しろ「自由」なんだから。

それに「提出しない」っていう自由は認められないルールは守ったし。
それをしたら、もっとその自由は制限されてしまうんだから。

でも、本当にそうだったんだろうか。

未提出にしたことがない俺にはわからない。

その思いに従って、先生のいうことを無視するなんて強さがなかったんだ。

…これって、今と同じってことか。

まさか。

ああ、もうあと14分だ。

こんな真冬に何が夏休みの自由研究だ。
何を考えているんだ、俺は。
…。

あと14分。














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 ■ 2004/01/21 (水) 妻の休日/研ぎ


妻の休日。

「ちょっとそれ6枚切り?もう2枚しかないんだから、あたし食べるんだから、あなたは8枚切りのにしてよ」

珍しく気分良く起きて、テキパキと朝の支度をしつつ、トースターにパンを入れてツマミを回さんとする、まさにその瞬間、すぐ後ろからダメ出し。

…今、トースターに入れたばかりのパンを元の袋に戻せってか。

妻は言うことだけ言うと、自分の部屋に戻って行った。

本当に喉まで、いや下顎と下唇の間くらいまで大声が押し寄せたが、朝から怒鳴り合いをしたくない俺は、仕方なく昨日99円ショップで買ってきたパンの袋を八つ当たりするように横に引き裂き、たった今したばかりの動作をもう一度繰り返す。

こんな朝食有りか。

俺は確かに争いは嫌い。
どんなものにも勝つ自信がない。

しかし、だ。

一度始めたら勝つまでやる。
そして、俺は未だ妻にそんな姿を見せたことはないんだ。
多分。

それは、何を以て「勝ち」とするかを見失っているから…なんて情けない理由からだけど。

もちろん、携帯をかけてくるタイミングを直させることや、6枚切りのパンを食わせること…が「勝利」になりうるわけじゃない。

だけど、俺の勝利の一つの目安は毎日気持ちよく暮らすことだ。
だから、些末なことではあるけれども、こんな気分の悪さも減らしたい。

俺の彼女に対するアプローチがどこかズレてきているんだろうか。
少なくとも、彼女の言動のタイミングがどうも合わなかったり、それで腹を立てたりする機会が増えている結果になっているんだから、その当事者の俺がそれを誘発している可能性はあるのかもしれない。

でも本当の問題は、その前段階。
これからどう生きていくか、っていう俺には難しすぎる問題だ。
その信念をどこかに落としてしまったんだ。
だから、何をするにも、自信が持てない状態なんだ。

いや、何をするにも、は言い過ぎか…。
いや、やはり、そう言えるだろうか。
よくわからん。

とにかく付け焼き刃なナマクラ刀なんだな、俺は。

…でも、それは切れないけど、「受け」に使うにはどうにかなるんだ。
相手の刃から身を守るには役立ってる。
だからこうして、今生きていられるんだ。

果たして、研ぎ直せば、切れるようになるのか。
前は、良く切れていた…ような気もする。

気のせいか。

でも、研ぎ方なんて知らない。
砥石のある場所も。

いや、もしかして、砥石ってこれのことなんじゃないか、というあたりは付いている。
っていうか、意識しないまま、もう研ぎ始めているような気さえする。

気のせいか。

試しに何か切ってみたら分かるかも。

…何を。

ナマクラに何が切れるっていうんだ。

そんなことを考えているうちに、強敵の刃がすぐ向こうで白く光り出してる。

あと25分で、俺に向かってそれは襲いかかる。

俺は、やはり「受ける」ことしか出来ない。

あと25分。

いや、もう25分だ。


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 ■ 2004/01/21 (水) 本音


とうとう一人に、引越のことを話してしまった。
そうなると、今の仕事を辞めることになるということも。

彼の反応はことのほか肯定的だった。

「だけど、せっかく縁あってこうして一緒に働けると思ったのに、寂しくなるなぁ」なんて、ウソでも嬉しい言葉までもらう。
さらに「俺も何度も他の面接に行ってるし。」「ホントの話、本当に俺がこの仕事をいいと思っていたら、引き留めるよ。」とも。

何より、彼が自分の本音を話してくれたのが嬉しかった。
少しホッとする。

もういつ責任者に「実は…」と切り出してもいいな。
あとはタイミングか…。
でも、こうなると少し勿体ない気もするな。
っていうか、ここまで覚えたことは全部無駄になるわけか。
やれやれ。

思い入れなんて正直全くないけど、親切に何度も教えてくれた人には本当に悪いと思う。
っていうか、それを言ったら警備の先輩は全員か。
今日のBさんはともかく、他の人は「辞める」って言ったら、やっぱり気を悪くするかな。

俺のせいで、みんなが迷惑するのは、やっぱり嫌だな。
って言っても、辞めるときは辞めるんだけどさ。


帰宅後、その事を妻にも話す。

そんな俺の気持ちは「そんなことよりさぁ」という言葉であっという間に横に置かれ、引越後、今使っている家具のうちどれををそのまま使うのか、処分するのか、使うなら、どう使うのかを一方的にまくし立てる。

俺が、その話に辟易とし、視点を変えようと思い「結局お義母さんには月いくら払う必要があるのか」と聞くと、彼女曰く、

「あたしとお義母さんで適当に決めるから、余計なこと考えなくていい」、とのこと。

今までの話し合いの中で生じた熱が一気に冷める。
そして、それはすぐ氷点に達し、次ぎに、ドライアイスのような攻撃的な冷たさが、自分の気持ちの中に生まれてくるのが分かる。

…それがお前の本音か。

それじゃ、俺の本音も聞くか。
…。

やめよう。

俺は争いが嫌いだ。
争いはどんなものでも避けたい。
にもかかわらず、こうしてその一歩手前まで行ってしまったのは、その場の空気を読み違えた俺が悪い。

闘争心というようなものを完全に失っている今の俺では、それがどんな争いであれ、最終的には確実に負けて、一方的にダメージを負うに決まっている。

だからどんなやり方でもいいから、争い事は絶対避けなければ。

苦手なことを自分から招くような輩は、バカそのものだ。
サムライを気取ったチンピラのような真似だけは絶対にすまい。

今の俺は真っ当な労働を厭わない立派な百姓の慈悲によって生かされている負け犬の落ち武者じゃないか。(そして、その百姓だって剣を持たせればそこらの野武士より「使う」こともある。全く素晴らしい。)
信念も自信もなく、闘う勇気もないくせに、無闇に粋がることだけはすまい。

身の程をわきまえろ。



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 ■ 2004/01/20 (火) 朝


目覚ましが鳴っても、そんなに不快感がない朝だった。
とは言っても、その気分は休日の昨日とは比べものにはならないが。

トーストは食べ終わった。
仏壇の花の水は換えたし、線香もあげた。
トイレにももう行った。
体重/体脂肪も計った。

余裕で間に合う。
お茶も、もうあと2杯は飲めるだろう。

こんな時にでも、思うことはただ一つ。

「行きたくない」

そして自分に突っ込む。

「じゃぁ、行きたいところに行けば」

そして、いつもの堂々巡り。
ループ。
繰り返し。
行ったり来たり。
袋小路。

答えは出ない。
まるで黒板の前で泣きべそをかいている、出来の悪い小学生だ。

朝が生活の縮図だと言った人がいたらしいが、どうやら正しいのかも。

あと38分。


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 ■ 2004/01/20 (火) 飯炊き


休みにしなくちゃいけないことを一つ忘れていた。

それはご飯のまとめ炊き。
本当は毎日炊き立てを食べるのが最高なのは言うまでもない。
でも、今は俺が「専業」から追い立てられているので、こうしてまとめて炊いておき、冷凍保存しておかないと、週に1,2回はご飯が食べられない日が出てしまうんだ。

今蒸らし中。
あと10分で出来上がる。

手本をそのままなぞるのが必ずしもいいわけじゃないだろうけど、母が亡くなり天涯孤独になったとき、俺は料理などしたことがなかったので、魚柄仁之助さんの本を教科書のようにして、「真似ぶ≒学ぶ」で取り組んだ。

そしてご飯も、彼に習いガスで炊いている。
「はかせ鍋」という保温調理器を使うのも彼の影響だ。
もっとも、その時電子ジャーが壊れていたということもあったんだけど。

今の時期は水が冷たいから、米を研ぐ回数は夏に比べると1,2回は少ないかも。
今日は米3合に、押麦を1合の計4合を炊いた。
水の量は米・雑穀を合わせたものの1.2倍といったところか。

最初は強火で、吹いてきたら弱火。
そのまま約8分くらい炊いて、また強火にして、底から「パチパチ」音がしたら、火から下ろし、蒸らしに入る。

これが15分から20分くらい。

普段は、この時間でおかずや汁を作る。
それから、まだ入ってなければ風呂を沸かし、食後にいつでも入れるようにして、食後は、玄関の靴箱の上を軽く掃除して、招き猫を軽く磨いて、靴に炭袋を入れて脱臭して、それから、…。

…今はそんなことは出来ない。
帰ってきて、一息ついたら、もう日付が変わってしまうんだ。

…やっぱり専業はいいなぁ。

意識しないようにしてはいても、やはり思ってしまう。

俺は警備員じゃない、主夫だ。
充実の度合いが全然違う。

…あと8,いや7分で蒸らしも終わる時間だ。

今日はもうちょっと蒸らそうか。
ご飯はいつもと違う炊きあがりになるかもしれないが、「主夫」でいられる時間がその分延びるなら、それでもいい。

もうあと5分蒸らしを延ばそう。
いや、7分…10分でも大丈夫だろう。

その間だけでも「主夫」の実感に浸ろう。
せこいなんて言うなよ。

俺はただ「本業」を真面目にしようとしているだけなんだからさ。




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 ■ 2004/01/19 (月) 全生園


今日は休日。

午後から、丘陵へ。
…のはずだった。

しかし何故か、体が職場の方へ勝手に向かってしまう。
さらに、不意の車のクラクションに驚くまで、丘陵とは反対方向に向かっていることにすら気が付かない有様だ。

今のところ4日間が連続で仕事をする最長で、今回の休みもまさにそのケース。

しかし、そのたったの4日間で、自分が家から出るや否や、仕事に向かおうとするように(リ)プログラミングされてしまったのかと思うと、無性にイライラしてくる。

とは言え、今来た道をそのまま逆戻りするのも馬鹿馬鹿しく思え、仕方なくその位置から、職場とは反対に向かい歩を進めることにした。

「反対側」を歩くのは本当に久しぶりだ。
「通勤側(時)」では余り見かけない「ゴイサギ」や「ナマズ」、それに30cmはあろうかという「マス」の類と思しき魚(よくわからんが鯉じゃなかった)などを見ながら歩いているうちに、最初のざらついた気持ちも徐々に静まってきた。

先に進むうち、急に交通量が増え、途端に空気が悪くなってきたので、方向を変えて当てもなく歩くと、何やら静謐な雰囲気の公園のような場所に出た。

目前の道を隔てた先に見える看板には「南門」とある。
ってことは、北門とか東門もあるんだろう。
とすると、かなり大きな施設かな。

果たして入ってみると、そこは「全生園」。
明治時代からあるハンセン病の全国的にも有名な施設だ(と思う)。

…入ってもいいのかな。
「自分は怪しい者ではありません」という意識で、向こうからジョギングする人に恐る恐る会釈してみたら、彼が「こんにちはー」の言葉で返答してくれたので、ホッとして中に入る。

すると、これがどうだ。

今まであまり体験したことのない雰囲気が充満していて、そこかしこにある古い建物が「何しに来た」と言わんばかりにこっちを見ている。

元の火葬場跡とか、墓地跡、それに雑木林を開墾した残土を盛った築山から、当時の患者さん達が故郷を眺め涙した…などの悲しい背景のものがさすがに多いから、そんな風に感じたのだろうか。
どれもこれも、道を間違えついでにふらっとやって来た俺には、少々重たすぎる。

広い敷地内のその一画には、教会や仏教の幾つかの流派(?)の施設が集まっているようで、確か北条民雄という作家(?)が、自分のこれからを想いながら、窓から眺めたという「カエデ」(?)の木もあった(どれもチラッと見ただけだから正確じゃないです。失礼)。

先に進むと「寮」と書かれている背の低い平屋の建物がズラッと並んでいる一画に出る。
生活の臭いをありあり感じる。
まだ闘病されている方たちの住まいなんだろうか。

すると急に、本当に無許可でここに入り込んでよかったのか、と再び不安になるが、そのピークと共に、妙に気持ちが高揚し、そのまま散策を続けることにした。

納骨堂を見つける。
今までここで吸い込んできた空気の集大成だ。
心の準備なく迷い込んできたことをお詫びして、再度気を静め、深呼吸をして、亡くなられた方のご冥福を祈り、お輪を鳴らし…そして、手を合わさんとする、まさに、その瞬間。

今までの、静かで、俺にしたら貴重ですらある殊勝な気持ちをぶちこわす携帯の着信音。
妻からだ。
内容は電話を取るまでもない。
「今どこー。早く帰ってきてご飯作ってー」的なことから一歩も出ることはあるまい。

舌打ちしながら電源を切り、踵を返し納骨堂から一度出る。

と同時に、頭の中で、妻を滅多打ちにした。
5発、いや10発は殴ったか。
それでも気が晴れない。

何で、この瞬間のタイミングなんだ。

清流を求めて、下流から上流へ遡っていき、やっと湧水を見つけ、それを両手にすくい、まさに口に付ける、その瞬間、その手を払いのけられた感じ。

もう一杯すくえばいいって。
水を飲む目的は果たせるだろうって。

…あっさり言ってくれるよ。

ああ、すくったさ。
俺はもう一度、すくってみたよ。

でも、最初に足を踏み入れた時のような、静かな気持ちにはどうしてもなれなかった。

乱れた心のまま、亡くなった人に手を合わせた休日なんて最悪だ。

また行かなくちゃ、全生園。

その時には、携帯の電源は絶対切る。

絶対。




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 ■ 2004/01/19 (月) よくあること


職場についてすぐ、偉い人のご機嫌ナナメに振り回され、普通なら謝ることなんてあり得ない事で謝る羽目に。
おまけに、隊長もそれに巻き込む形になってしまい、俺じゃなく、彼が激しく叱咤される結果になってしまった。

しかし、彼はあっさりそれを受け入れ(たように思え)、こう言った。

「こういったことはよくあります。そんなに気にしないでいいから。」

「さすが」という気持ちと、ますます申し訳ないという気持ちが交互に寄せては返しているうちに、落ち込みかけた気持ちが、徐々に軽くなっていく。
そして、一瞬それが「ゼロ」になった瞬間、それは「怒り」に変貌する。

○○から連絡がきたから、指示通りそれを伝えただけじゃん。
大体さぁ、それを受けた段階で……。

…でも、もうやめよう。
当人に直接向かいもせず、当人がいなくなってから陰で怒るなんて、被害妄想的に落ち込むことと同じくらい無益で、自分を小さくするだけだ。

いい手本がいるじゃないか。

「こういうことはよくある。気にすることはない。」

そうだ。
その通り。

偉い人の気分に正確に対応するマニュアルなんかそもそもあり得ないんだから、対策なんか立てられない。
恐らく今日の出来事から「学んでも」、次回この偉い人は、全く別の対応をするに違いない。
その時の気分次第で。

だから、これでいい。
そのまま受け入れよう。

生活に大事なことは、慣れることや学ぶことだけじゃない。
選ぶことも大事だ。

「気にすることはない。」

今日、俺はこれを選ぶ。
この選択で間違いはない。


そして、そんな立ち上がりで始まるような日は、今まで経験のない事柄をいっぺんに体験するものだ。

・冷凍食品の温度センサーが発報、駆けつけてメンテナンス部に対応を依頼→被害無し。
・客の不審な動きを従業員が発見→対応→巡回→被害無し。
・閉店後、喫煙をしていた従業員に灰缶の片づけを頼むも、あっさりかわされ、忙しい時に一仕事増える→その後別の従業員が代わりに処理→問題なし。
・駐車場のセンサーBOXの施錠、初体験→問題なし。
・某テナントのガス大元栓の再確認→不安払拭
・某テナントの調理機器の操作方法と、そのリスクを再確認→不安払拭

ほら、大丈夫だ。
何故なら「こんなことはよくある」から。

初めての不安や、上手くできない情けなさを感じながら、ただやるべき事をこなす。
それでいい。

っていうか、それだけでいいんだ。

そして、そんな一日が終わり、さぁ帰ろう、と表に出るや否や、今日のパートナーのAさんと、従業員のDさんと話が盛り上がり、なんとこの寒い一月の中旬に午後11時から午前0時15分まで、外で立ち話をしてしまう。

不思議と、早く帰りたいという気持ちは起きず。
むしろ、人と取り留めのない話をするのを「懐かしい」とすら感じる。
そうだ、懐かしい。
そう思うほど、俺はそういう時間を意識して排除してきたんだ。

これもそのうち「よくあること」になりうるのだろうか。

もし本当にそうなるとしたら、それはそれで少し恐い気もするが、きっと大丈夫だろう。

そんなこと「気にしなくていい」ことなんだ。
多分。

「よくあること。気にしなくていい。」

今日、何回この言葉を口の中でつぶやいただろうか。

そんなことも「気にしなくていい」んだろうけど。





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 ■ 2004/01/18 (日) 二度寝


二度寝してしまった。
あと19分しかない。

トーストは食べ終わった。
仏壇の花と水をあげることも済ませた。
トイレにはまだ行っていない。
これは5分で済む。

間に合うか。

…そうだ、雪はどうか。
ぬかるんでいるようだといつもよりも時間がかかる。

まだよく外を見ていないのでわからない。

間に合うか。
外はどうか。

そんなことは気にせず、こんなことを朝から日記に書かなければ、余裕で間に合うんだ。

朝が生活の縮図だと言った人がいたらしいが、どうやら正しいのかも。

間に合うのか。
外はどうか。

あと17分。


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 ■ 2004/01/18 (日) 雪2


天気予報当たる。
本当に雪が降った。

出入チェックの合間に警備室から外をのぞき込むと、目の前のバックルームや荷受場に降る小粒の雪が、頭の中で八国山一番のお気に入りの谷戸の辺りに降る想像の画に、一瞬で切り替わる。

もう葉という葉はほぼ全て落ちきっているので、恐らく雪は何の抵抗も受けず、そのまま枝や地面に落ちてくるだろう。
多分またあそこには、人は一人もいないに違いない。
時折、鳥か何らかの獣が動く時以外には、音はないはずだ。

そこにただ降るだけの雪。
雨でさえ、あんなに不思議な気持ちにさせてくれたんだ。
ここで雪を見たら、一体どういう気持ちになっていただろう。
忘れてた何かを思い出すだろうか、それとも、感じたことのない何かを見つけたか。

そして、それが降っては溶け、降っては溶け…を何回繰り返した時点で、雪はその「白」を地表に許されるようになるのだろうか。

そこに居合わせていたら、本当に数えてたかも。
そこまでしなくとも、地面に落ちた瞬間に消えてしまう雪をいつまでも見ていたのは確かだろう、今日の俺なら。

まだ降り始めて間もないからだろうか、仕事を終え帰途に就く際ですら、遊歩道のザラザラした煉瓦のような素材と、車道のアスファルト、そして土の地面では、その「許容範囲」にかなり違いがあることがわかる。

一番「白」いのが「土」、車が走るとすぐ消えてしまうので確かじゃないが、次ぎに「アスファルト」、そして遊歩道はほとんどいつもと同じ印象で「白」なんて微塵も感じさせなかった。

もし自分が「雪」だとしたら。
そして、そこにいた、という痕跡を残したいという想いが本能だとしたら。

やはり誰もが「土」に降りたいと思うだろう。
車に一瞬で蹴散らされるのなんか嫌だし、「歩きやすいように」手を加えられて(?)、降ったそばから溶けていかなきゃならない素材の上だけはなんとか避けたいと思うだろう。

もし自分が雪だとしたら。
やはり里山の谷戸のような所に降りたい。

一度は白く輝いて、やがて積もり、そして時間をかけて溶け、川や沼に流れていき、草花に力を与え、そして土に還っていく。

そういう時間を過ごしたい。

もし自分が雪だとしたら。
今、まさに地面に向かって「落ちている」。

そして、このままだと車道のアスファルトだ。

頼む。
風よ吹いてくれ。
そして、俺を里山に連れていってくれ。

早く吹いてくれ。
頼む。

・・・。

さっさと吹け。










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 ■ 2004/01/17 (土) 雪


天気予報によると、今日は関東の平野部でも雪になるんだそうだ。

もしそれが当たるなら、丘陵の景色も冬の極致の姿になることだろう。

天からグレーの地肌に沿うように舞い落ちる雪が、「丸裸」な山全体を、白く装う。
何時間くらいでそれが完成するんだろう。
そんな山を歩けば、少なくとも3回は転ぶだろうし、もちろん寒いに違いないだろうから、出来ることなら着替えを持って、完全防寒で眺めに行きたい。

多分、俺の他にそんな物好きは誰もいないだろう。

秋の大音響の疑似潮騒とは対照的な、無音で、ただ時間の経過と共に白くなっていく山。
想像するだけで、いい感じ。

そして、振り返って現実を見れば…。

何も見えない。
っていうか、見れないようにしているのか。

見たくないんだから、しょうがない。

丘陵を想いながら一日過ごそう。
見たくないものを見みるよりはましだ。

降るなら早く降れ。

せめてもの慰めになるだろう。

…あと12分しかない。
行かなくちゃ。


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 ■ 2004/01/17 (土) ショーバン


子供の頃、野球が好きで毎日のようにしていた。

守備の練習でゴロを捕る時には、プロ野球選手を真似て、ショートバウンドをすくい上げて捕るのが好きだった。
当時の俺にはそれが格好いいことだったんだ。

友達同士でノックをする時は、ショートバウンドを略した「ショーバン」という言葉を「守備」と「≒」にして「ショーバンする」なんて言ってた記憶もあるくらいだ。

しかし、「ちゃんとした」少年野球のクラブに入り、その捕り方をすると、「基本から外れている」ということで、ユニフォームを着たおっかない「コーチ」や「監督さん」から「前に出て、シュートバウンドになる前に体の正面で」捕るように直された。

すると、どうだ。
捕れないんだ、これが。

ショートバウンドに限らず、ゴロを捕るのはあんなに得意だったはずなのに。

そもそも、ショートバウンドを捕るのが面白いのは、「カン」で捕るからだ。
打球の勢いや角度に合わせて、体の横でグラブを思い切りよくすくい上げる時には、球なんかほとんど見てない。
見ないでも捕れる、っていうか、見ない方が捕れるんだ。

そして、捕ったときに快感がある。

その「カン」が間違っていなかった、すなわち、自分の体の智恵とでもいうものが頭で考えている世界の「前」にあり、「先」を行く実感が気持ちよさを感じられたんだ。

しかし、当時「レギュラーポジション」を本当に欲していた俺は、それを手に入れるために「快感」よりも言われるままの「基本」を身につけて、守備位置に付くようになっていた。

ゴロが来ると、どんなに強い打球でも嬉しくて思わず笑ってしまうくらいだったのが、「えっと、前に出て、腰を落として両手で捕って…」と教えられた言葉を追って体が動くような感じになってしまった。

十八番のショートバウンドは体の横ですくい上げる代わりに、いつの間にか、お気に入りのプロ選手が誰一人としてやらない捕り方、すなわち、体に当てて止め、それを拾って投げる…というスタイルになっていた。
肩は悪くなかったので、アウトは取れたため、「コーチ」は「それでいいんだ」と言っていた。

プレーをする快感は減り、俺の野球への興味は急速に衰えてきた。

しかし「チームをもう辞めようか」と思ったその時、大きな変化が起きて俺はますます野球に夢中になったんだ。

それはショートストップから、ピッチャーにポジションが変わったこと。

「自分が投げなきゃ、ゲームが始まることもない」世界が、性に合っていたんだ。
フォアボールを4回出すまでに、三振を3回取れば俺の勝ち、チームの得。

それだけじゃなく、思い切り全身全霊で勝負しても、揚げ足を取られたり、茶化されたり、小馬鹿にされない世界が、ピッチングだった。

自分の投げたボールが空を裂く音をあげながら、相手打者を仰け反らせ、バットに空を切らせ、ミットにめり込む、あの瞬間。
「ショーバン」の何倍もの強烈な快感だ。
楽しかった。
11歳にして、慢性的な筋肉痛に加え、利き腕の手首の軟骨が盛り上がってしまう程、投げまくった。
それでも何て事なかった。
本当に楽しかったんだ。

それから四半世紀以上が経った今、俺は「ショーバン」はすくい上げて捕らせろ、って心の中で思いながら「基本通りに」という周囲の声に逆らえず、ポロポロ球を落とし続けるダメ内野手だ。

でも、子供の頃と違い、もう俺には上がるマウンドがない。
「全身全霊で感じる快感」なんてものを望めば望むだけ、叶わない空しさが強くなるだけだ。

分かってる。
でも、いまさら「ショーバン」を、すくい上げて捕ってもいいよ、なんて言われても、もう「快感」を感じる、その感受性そのものがなくなっちゃってるのかも。

ショーバン?何それ。
ゴロはゴロだろ。
だったら「処理」してアウトを取ればいいんだよ。
それを3回繰り返さないとチェンジにならないんだから、しなくちゃな。

明日の守備機会は、果たして何回あるのか。
エラーはしたくない。

それだけ。
今はそれだけしか望めない。

…さぁ、しまっていこうぜ。



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 ■ 2004/01/16 (金) 不可避


本当に間違いなく悪性の腫瘍が、自然治癒した例があるそうだ。
脳の細胞もある年齢を過ぎると、一日に何十万個もなくなるなんて言われていたが、そうならないこともあるという研究発表があるらしい。

俺の生活も「下り」一辺倒ではなく、「転落のための上り」でもなく、「これでいいんだ」と本当に実感の持てる「上り」に歩を進めることはできないものか。

今までにも、何度同じ事を考えただろう。
答えはいつも「NO」だが。

何故いつも同じ答えになるのがわかってて、同じ質問を同じ自分に繰り返すのだろう。

…今、こう書いてて「同じ自分」という言葉に自分で引っかかった。

じゃぁ「違う自分」に質問すればいいんじゃないか。

「違う自分」。

わからない。
でも、もしこの答えが自分で出せれば、何か変わるかも。

でも、もう時間がない。
あと27分しかない。

27分で、こんな難問に答えなんか出せない。

もう仕事には行かないで、家で、いや、散策しながら考えてみようか。

あと25分。

…。
そうすれば、答えが出そうな感じがする。

あと24分。


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 ■ 2004/01/16 (金) ちゃんとやったか


今頭の中で、今日の仕事を反復してみたら、急にちゃんとやったか不安になってきた。

確かにメモを見ながら閉めるところは全部確認したはずだ。

朝に車が入るスペースも、コーンを片づけ確保した。
出入り口のラッチと施錠の確認もした。
シャッターと防火扉も閉めた。
電気も消した。
エアコン、ストーブ、窓、ラッパー、ガスの大元栓も見た。

大丈夫だ。
絶対大丈夫。

大丈夫に決まってる。
大丈夫だとも。

…ちゃんとやったさ。





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 ■ 2004/01/16 (金) ちゃんとやってる


帰ってきた。

いきなり玄関に燃えないゴミの袋。
呼び鈴を押すと娘が起きてしまうので、鳴らせない。
帰宅したのに戸も開けずに引き返すのが情けなかったので、とりあえず自分で鍵だけは開ける。
それからゴミを手に取り、一度通り過ぎたゴミ捨て場に引き返す。

ゴミをまとめるのは妻の仕事、捨てるのは俺の仕事。
改めて決めたことではないが、流れでそうなっている。
彼女は自分の仕事をちゃんとやったから、今度は俺が役目を果たす番だということなんだろう。

ゴミ捨てを済ませ、やっと家に入れる。
とりあえずトイレに。

その時点で妻が食事の支度をしてくれてるのが気配で分かった。
ゴミ捨てに行った時点で作り始めていたようだ。
それは有り難い。

…でも、同時に辟易ともする。

だって俺がまとめ炊きしたご飯と、朝の味噌汁、それに出来合の惣菜を温めるだけだろ。
急がないと冷めちゃうじゃん。
いくら何でも、帰ってきて温め直しの冷めたものなんか食べたくないよ。

それに、もうたっぷりと「急がないと」っていう時間を過ごしてきたんだ。
帰ってからも、そんなに急かすなよ。

急いでトイレから出て、慌てて手洗いとうがいを済ませ、日課の体重と体脂肪を計り、着替えを済ませると、最初に玄関に着いてから、もう15分以上経っていた。
それからテーブルの前に座って、とにかくお茶をすする。
…でもその時には、すでにもう生ぬるい。

俺は、酒も、タバコもやらない。
ただ、お茶を飲むだけ。

そのお茶が、それも帰ってからの最初の一杯のお茶が、すでに冷たいなんて最悪だよ。

味噌汁も同じく、ぬるい。
ご飯と餃子は妥協点に辛うじて触れる、という感じの温かさ。

彼女にしたら「遅くに帰ってきた夫のために起き出して、ご飯を温め直してあげてるいい妻」を一生懸命しているんだろう。

だけどさ、相手は人だよ。
いつも同じ行動を同じ時間でこなすわけないじゃん。
それも、そういう行動を9時間強いられてきた者が、やっと帰ってきて、解放されてきたんだよ。
さらに、その男はそういう生活に適正がないってことを感じる辛さを一日中味わって帰ってきてるんだよ。

ゴミ捨てに行って、それからトイレに入ったのがわかったら、ちょっと待ってくれたっていいじゃん。
だいたいお茶なんか、「飲みたい」って言っても、いつも一番最後に入れてるくせに。
そんなことすらしたくないなら、もう寝ててもいいよ。
実際、お前が起きてこないときは、熱いお茶とご飯の支度くらい自分でしてるんだからさ。

…今ここで書いたことを、それに砂糖と蜂蜜とみりんを入れて、人肌に温めた言い方にして言ってみた。

具体的に書こうか。
「あのさぁ、いつもはトイレにすぐに行かないけど、今日はすぐに入ったじゃん。
それにゴミも捨てに行ったしさ。
そうしたら、ご飯とか冷めちゃうから、俺が自分で温めるから、君はそんなに急いでしなくてもいいよ。」

すると、むくれてもう何も喋らない。
喋ったかと思うと、ストーブの火を見つめて、ぶつぶつ何か口の中で言っているだけ。

…わかったよ。
君はちゃんとやってるよ。

そして、俺はまだまだなんだよな。
君がわざわざしてくれたことに、文句言ってるようじゃ「男として」まだまだってことなんだよね。

お義母さんに、そう伝えるんだろ。
違うか。
お義母さんにそう言われてるのか。

俺は「もっと急いで」「相手を受け入れて」。
君は「ちゃんとやってる」。

自分の家が休憩室のソファーの延長のように感じるわけだ。
…入る前にカードのスキャンをするか、ゴミを捨てるのかが、大きな違いか。

こんな夕食ありか。
っていうか、こんな生活ありか。


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 ■ 2004/01/15 (木) 〆


今日は給料の〆だ。
研修から丸々1ヶ月。
配属されてからだと、23日くらいか。

ありきたりだけど、早いような、遅いような。

本当にいつまでここで働くんだろう、俺。
とりあえず月末の給料日まではいるだろうが。
引っ越したら、朝番じゃ通えないんだから、やはりそう長くはできないし。

もう次を探してもいいかな。

さっさと、賃労働自体を〆にしたいよ。

あと47分か。
さっきまで1時間半あったのにな。

もう47分しかないなんて。
それが仕事に入ると、何故あんなに時間はゆっくり進むのだろうか。

ああ、もう1分経った。
あと46分。


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 ■ 2004/01/15 (木) あなた


風呂に入る前に、何の気無しにMyMusicのフォルダを開いてみたら、最近ほとんど聞かなくなっている曲があることに気づいた。

それは「あなた/小坂明子」。
といっても、もう30代後半以降の人しかわからないか。

昭和48,9年頃の大ヒット曲だ。
「大ヒット曲」なんて言い方すら今はしないか。
でも、まさにこれはそういう言い方に相応しい感じがする。

昭和50年、祖母が病気で倒れ、入院した。
うちは母と祖母との3人家族だったから、祖母が家からいなくなることに強いショックを感じ、俺は本当に寂しかった。

入院して最初のお見舞いは、当時近くにいた親戚と一緒にみんなで行くことになっていた。
でも、間の悪いことに、気にはなっていたけど滅多に遊ばなかった当時の同級生がその日になって「今日遊ぼう」と言ってきた。
それで、俺は「うん」って言っちゃったんだ。

断ったってなんてことないのに。

見舞いから帰ってきた母は「お祖母ちゃんは『○○はどうしたの?何かあったの?』って何回も聞いてたよ」って言ってた。

次の日、やっと母と二人で見舞いに行った。

実際に行ってみると、病院って所がとてつもなく不気味に感じ、祖母がこんなところに一人でいるなんて考えるだけで恐くなってきた。
俺は所在なく、照れ隠しと、この恐怖をごまかそうとする虚勢で「小遣いちょうだい」って言ったんだ。

祖母は見慣れたがま口から、伊藤博文の千円札を一枚、俺に渡してくれた。
確か、ちょうど傍にいた看護婦さんか誰かに「こんなときでもこの子はお小遣いを欲しがるんだから」なんて言ってた。

でも笑ってた。
いつもの優しい顔だった。

俺は別にそんなお金なんか欲しくなかったのに。
「昨日はゴメンね」って言いに来ただけなのに。

そう言えば、もっと笑ってくれたはずなのに。

その日、この曲を聴いたことを何故か強烈に覚えている。
病院のレストランでハンバーグステーキを食べている時だったか、帰ってからのラジオだったかは定かではないが。

祖母は結局一度も家に帰ることなく、俺の誕生日の2日前に死んだ。

その間、ほぼ毎日見舞いに行ったが、それは一番大事な日に行けなかったことの埋め合わせにもならなかった気が今でもしている。

今、この曲を聴きながらこれを書いている。
あの当時と変わらなく聞くことが出来る。
何度でも、好きなだけ。

おばあちゃん、昨日はごめんね。
明日から毎日お見舞いに来るから、早く元気になってね。

でも、この言葉はもう伝わらない。
伝えるチャンスを俺が逸したから。

おばあちゃん、ごめんね。
ごめんなさい。

…もう風呂はやめた。
寝よう。




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 ■ 2004/01/14 (水) 休日/花見


今日は休み。

午後から丘陵散策へ。

今日は風が本当に冷たく、いつもなら歩き出して10分もしないうちに外すマフラーや手袋も、とうとう山に着くまで身につけたままだった。

果たして、久しぶりの八国山は、まさに丸裸。
以前に比べ、その「色」は影を潜め、「グレー」の木肌と、せいぜい踝辺りまでの高さにしか群生しない笹の一種と思しき葉の「緑」と地面の「焦げ茶」、そして古い落ち葉の「薄茶」の4色しか感じない。

そしてその印象もどこかクールで、皆似通っていたため「丸裸」なんて言ってしまった。

しかし、先に行けば行くほど鋭利に尖ってくる枝の鋭さを競うような木々の存在感は決して軽くはない。
緑溢れる、あるいは紅葉に彩られていた時とは違う、「洗練された」感じがする、と言ったら余計分かりにくいか。

見るからに生命力に溢れる「色」っぽい姿だけが、人を惹きつける訳じゃない。
葉が付いていたときには気が付かなかったこの木々の「脱ぎっぷり」は、それだけで充分魅力的だ。

「…にもかかわらず」「YES、BUT」…こういう言葉で表される精神的な取っかかりから、人は力を盛り返したり、話の急展開を自ら招き入れることもあるだろう。

当たり前だが、これらの木々は枯れてはいるが、死んでいるわけではない。
その時が来たことを受け入れ、葉を落としただけだ。
最盛期が過ぎたことをあっさり受け入れることで、実は次の「色」の準備が調うことを山は知っているんだ。

葉が落ちきった木の姿は、終わりを受け入れ、次のスタートを始めたというサイン。

その象徴が大挙して集まっている山に、何もないわけがない。

モノトーンである、というだけで「ダサイ」と言ってしまえないのとどこか似ているかもしれない。


それにもう一点。
これだけ風が強いのに何故かあまり「音」を感じなかった。

やはり、里山の音は「葉」が作るのだろうか。
とにかくこの静けさは、今日の「sophisticated」な山の空気に一役買っていたのは確かだが。

そんな気分のまま山を下り、これも久しぶりに都内唯一の国宝建築物の「千体地蔵堂」のある正福寺に寄り道。

これもまた思いっきりモノトーンな風情で、冷たい風に吹かれていた姿が、なんとも潔い感じがして良かった。
特長である屋根の「反り」を滑り台にして、冷風を上から顔に向かってを叩きつけられているかのような錯覚を覚えるほど、寒かったが。

そして、その風から身を守るように背を丸め、正福寺正門前の道を駅に向かって戻る途中、今日最後にして最大の発見をする。

それはなんと「桜」。
確かに咲いてる。

ある民家のもので、道端からも読めるように書かれたカードによると、「四季桜」と言って、10月頃から冬の間少しずつ咲き続けるそうだ。

小さいけど、確かに桜の花だ。

「枯れてるけど、死んでいるわけじゃない」どころか、真冬の寒風吹きすさぶ中「にもかかわらず」、花を咲かせる桜まであるんだ。

自分がどんな木で、どんな花を咲かせるのかを予め知っていられたら、人生の問題の多くは招かずに済むのかもしれない。

でもそれが分からないから、みんなが咲く季節が来たから、春だからと言って、自分の開花の具合を気に病むんだ。

「四季桜」か。
こんな木もあるんだ。

また見に行こう。


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 ■ 2004/01/14 (水) 家計観:終わりなき日常を生きる主夫vs高度成長期の主婦  


帰ってきた。

と同時に妻から今後の話を振られる。

引越は4月下旬。
引越後の家賃は、今より2万円弱安くなる。
…とのこと。

えっ、たった2万円?
それも「弱」って、一万円台ってこと?
予定と随分違うじゃん。

彼女曰く、管理費と年数回の固定資産税、それに駐輪場代、さらに義母が心頭している浄水器をつけなくてはいけないため、それくらいしか負担減にならないというのだ。

で、その浄水器が40万位するんだと。
「お母さんが(娘の)顔を見に来ることも多くなるから、付いてないと困る」んだと。
月2万円「だけ」でお母さんの気が済むんだから、それくらいしてあげて当然、なんだって。

義母は数年前大病を患っているので、体に気を使っている。
それはいい。
っていうか、大事にして欲しい。

だからって、なんでそれをうちまで付けなきゃいけないんだ。

義母「あれ、すごくいいわよ。○○ちゃんも付けなさい。」
妻「ホント!?じゃぁそうする」

って、お前等いい加減にしろよ。

マンションの水を信用できないのは分からなくはないけど、浄水器なんて他にいくらでもあるじゃん。
どうせ買うなら、自分で選び抜いて買いたいよ。
40万もかけなくても、良いもの買えるだろ。
何なら煮沸したり、汲み置きして炭で浄化なんて手もあるんだ。

それに、俺が新しい仕事見つからなくて、今の仕事を続けざるを得ないとなれば、俺は別に今の職場に近いアパート借りなきゃならないんだろ。
そうなると、これじゃ今よりも家賃代かかっちゃうだろうに。

そう言うと、妻曰く。
「だって、今まではあたしだけの収入でやってこれたんだよ。あなたの収入がこれに加わるこれからは、それくらい何の問題もないじゃない」

この言葉は絶対に義母のコピーだ。
間違いない。

やっぱり真剣に「ファイナンシャルプランナー」の資格取ること考えてみようか。
その勉強をした上で、家計についてもの申す、となれば、彼女たちに対する説得力も違うだろう。

義母の家計観は、言葉の端々から「右肩上がりの時代の『男』」であった義父の経済力を基準にしたものだと感じることが多い。

「昭和の主婦」は夫に「しっかりしてよ!男でしょ!」と言うか、そう言う必要もない最初から「強い男」を選べば、「右肩上がり」の生活が出来たんだろう。
義父は「慶応卒」で会社内での「出世頭」だったらしいから、義母もそうだったろうと思う。

でも「平成の主夫」はそうはいかない。
最初から「右肩上がり」なんてない。
妻は慶応卒じゃないし「出世頭」でもないし。

俺は、その中で曲がりなりにも「主夫」を3年近くしてきたんだ。
その中で俺が学んできた「魚柄流」を義母は「貧乏くさい」と感じている。
そして、賃労働をしない男を「情けない」と思ってる。

だが彼女は知るべきだ。

俺と妻が、決して惨めな生活などしてはこなかったということを。
収入が増えない前提で暮らしている者のスタイルも。

妻の給料がこれから大きく増えることが見込めない現状で、義母の納得する「いい生活」をするには、俺が稼ぐことが絶対条件になる。

やはり彼女は知るべきだ。
その前提が間違っていることを。

「頑張れば買えるんだから」と浄水器に大金をかける前に、安全で美味しい水を手に入れるために考えたり調べたりする余裕が、時に「いい生活」をもたらすこともあることを。

本当なら彼女は知るべきなんだ。
本当なら。

でも教えない。
新しい争いの口火を切りたくないから。

それを伏せて、俺はこれだけを言うだろう。
「…マンションの件、ありがとうございます。」

これでいいんだ。
争いは嫌いだ。
だからこれでいい。








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 ■ 2004/01/13 (火) ためしてガッテン


明日は休みだ。
あと一日。

俺は起きるとすぐトイレに行って、体重と体脂肪を計る事にしている。
実はNHKの「ためしてガッテン」という番組で「計るだけダイエット」という特集を見てから、HPからそのグラフを落として、毎日付けている。

付け始めて2ヶ月半くらいになるが、トータルで体重6.4kg、体脂肪も6.6%落ちている。
体脂肪はもうじき10%台目前だ。

里山散策を意識してから付けたんだけど、やはり仕事を始めてから、その両方ともに落ち方が激しい。
研修初日から1月8日までの18日間で5kgの体重減少だから。

仕事に行って帰ってくると、朝との差は600gから800g。
夜に甘いモノを食べ過ぎると、また朝には同じくらいに戻るが、そうしなければ、毎日それくらいのペースで落ちる。

悪いことじゃない。

でも、別にいいことでもない、気がする。
こういう些末なメリットで自分を納得させてしまって、本当にやりたいことをしていない自分を納得させてしまうこともあるだろうし。

俺の本当にしたい生活は、専業主…。
もういいか。

あと一日で休みだ。

でも、あと27分しかない。
準備しなくちゃ。

やれやれ。


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 ■ 2004/01/13 (火) 3rd 続き「川唐」


帰ってきた。

やれやれ。
御飯も食べたし、やっと一息つける。

だけど、もう日付が変わりやがった。
もう今日だよ。
急がなきゃ。

忘れちゃいけない興味とは「着物」。

それも普段着に着られる(比較的)安い、綿やウールの着物。
よく行く川越はその昔、江戸時代一世を風靡し、「川唐」と呼ばれた「唐桟」という着物の産地だったらしい。
しかし、さすがに今は、川越を散歩していても唐桟と思しき姿で歩いている人を見たことがない。

何でも遠目で見ると無地に見えるんだけど、近くで見ればそれは「格子」だったり「縞」だったりするデザインが当時の江戸っ子好みだった…なんてこともチラッととこかで聞いた覚えがある。

何かいい感じ。

ネットで検索すれば、すぐ幾つかHITする。

創作着物と帯の専門店マルトヤ
http://www.kimono-shop.co.jp/touzan/index.shtml

呉服かんだ
http://www.kawagoe.com/kanda/

これに「野袴」や「武道袴」を合わせて、家にいる間はずっと着物で過ごすなんて悪くない。
幸い俺の部屋は畳だし、下手に胡座(あぐら)をかくなら、正座の方が気持ちいい俺としては、ついでに「書」だとか「俳句」の真似事をするのもいいかも。

朝早く起きて、仏壇に向かう時間をいつもよりも多く取って、料理を楽しみ、食を楽しみ、香を焚き、和菓子とお茶でゆっくりと午後を過ごし、興味のある分野の本を集中して読み、時間を気にせず風呂に入る…。

いや、本当に川越に赴き、蔵造りの街や、神社仏閣を歩くのもいいかも。

蕎麦屋や鰻屋もいいけど、明治元年からの料亭とか、将棋の王将戦の対戦場所になったりもした旅館なんかもあるらしいよ。
行ったことはもちろんないけど。

料亭山屋
http://www.kawagoe.com/yamaya/

旅館佐久間
http://www.kawagoe.com/sakuma/

…誰か行かないか。
着物で小江戸デート。
できれば、朝早くに待ち合わせて、まだ人気の少ない蔵造りの通りや神社仏閣を歩き、昼間は料亭(牛鍋屋、蕎麦屋、鰻屋)、甘味処…などを梯子して人波を避け、夕刻からポイントを決めてまた少し散歩、それから上の旅館で一晩過ごす…なんてのはどうでしょう。

嫌じゃなければ、川越城を築城したと言われる太田道真・道灌についてや、川越夜戦、新河岸川の舟運、家康と喜多院の天海の関係などの話で小江戸ガイドするから。

…あっ、俺には奥さんがいたんだっけ。
でも、彼女は着物にあんまり関心ないんだ。

でも俺が実際に唐桟を買ってみたら変わるかな。
家計の中から、俺の被服費に何万円もよけいにかける余裕なんて当分ないけど、小遣いをそっちに集中させれば、2、3ヶ月で買えないこともない。

着物ってカッコイイ。
まず最初の一枚だ。

今年中には絶対手に入れてやるぞ.

…風呂が沸いたみたいだ。
早く明日の準備しなくちゃ。
じゃなく、もう今日だったな。

やれやれ。

おやすみなさい。



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 ■ 2004/01/12 (月) 3rd 


今風呂から出た。

マーガリンを鬼のように塗って軽く塩をふった食パンを、2枚食べきったところ。
賞味期限が一日過ぎているが気にしない。

それに「お徳用切り出しおやつ」とラベルにある、生クリームをスポンジではさんだ、ロールケーキをロールする前のヤツがまだビニールにたっぷり詰められているのを冷蔵庫で発見。
その一切れを、上枚を刎ねるような気分で食す。
それに緑茶が今日の朝ご飯だ。

魚柄流とはほど遠い、アンバランスで美意識の欠片もない朝食。
ちゃんとやればいいんだが、しない。
何故だろう。

2点間でのShowdownを継続してるからだろうか。
でも、放送大学からはまだ返事がない。
連休だったし、もう少し時間がかかるのか。

実は放送大学での「消費財としての学位」ではカバーしきれない分野でも、興味のあることがある。
その一つが「ファイナンシャルプランナー」資格。
「主夫」として、家計をマネジメントするのに必要な知識もあるだろうし。

それに放大と被るが、「英語」、「古文」「漢文」、他の古代語(マヤとかインカとかあっちの方)、ディベート、もし能力が追いつけば英語ディベート。

それから自分で出来ることを増やしたいから、料理なんかも含めて「DIY」全般には興味がある。

それに「武術」だ。

近くに合気道と柔道、それに空手の道場がある。

どれも面白そう。
本当は柔道がいいと思うんだけど、この中で一番道場が遠い。
空手は前に少しだけやってたけど、みんな揃って動くのが性に合わない。

じゃぁ、合気道かというと、なんかその「優雅さ」「理合い」を学ぶ前に、闘いに付き物の「激しさ」「怖さ」があって初めて、その良さがわかるような気がして二の足を踏む。

でも、合気道の創始者、植芝盛平はこんなことも言ってる。
「歩く姿が『武』だ」と。

歩く姿なんて、闘うことより長く歩かなきゃ意識できないと思うぞ。
俺は里山を毎日歩いてたぞ。
これからだって歩く。

さらに彼の弟子、塩田剛三はこんなことも。
「合気道の一番強い技は)自分を殺しに来た相手と友達になることだ」

俺は自分を殺しに来るような相手と付き合わない。
もし来たら、逃げる。

…でも不意に襲われたら、無理か。
そうだよな、それを何とかするから「武術」なんだし。

まぁ、その前に今日これから9時間に渡って俺に襲いかかる「仕事」から身を守らないといけないんだな。

強敵だな。

今軽く、昨日初めてやった仕事をイメージしても空欄がすでにあるし。
殺される前に、自滅か。

おっと、また気持ちの針がマイナスに振りきれそうになったか。
危ない危ない。

…あっ、まだ興味が湧く分野があった。
これを忘れてどうする。
…でももう時間がないや。

あと28分か。

準備しなきゃ。
やれやれ。


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 ■ 2004/01/12 (月) リカバリー


「それと○○さん…」
朝の申し送りで休み前の仕事に対し、軽く注意される。
大したことはない。

っていうか、気にしない。
しても仕方ないし。

食事休憩でCさんと話し、盛り上がる。
昔の話で。
昭和40年代の新宿界隈の話。
俺は小学生だったが、その頃の自分はともかく、その時代は好きだ。

俺の中ではフォークソングと、デパートと、野球の時代。
多分一回りくらい年が上な彼にとっても、そんなに変わらないのかもしれない。
もちろん、小学校低学年とハイティーンから20歳くらいじゃ、考えることも、実際の行動も全く違うに決まっているが、それでも「変わらない」と言ってもそんなに問題ないのが、この時代だって言えるような気がする。

だからって良いことばかりじゃないが。
少なくとも「主夫」なんて絶対にあり得ない時代だし。
…今もそうか。

その後、新しいシフトの仕事を初めてやらされる。
しかし、今までやってきたものよりもずっと気が楽な仕事だ。
とにかく「人」と「時間」に追われることがない。
人の顔色を窺いながらしなくてもいいのが何より有り難い。
落ち着いてできる。
この仕事は落ち着いてできれば、特に問題はないんだ。

話が盛り上がった雰囲気まま、Cさんと仕事をしたためか、すごく気が楽に出来て、新しい仕事を覚えるのもあまり苦じゃなかった。

最初に「指導」をされたときは、「もうじき辞めるかもしれないんだからどうでもいいか」なんて思っていたくせに、ちょっと誰かとうち解けると「辞めるのは勿体ない」と、大きく気持ちが揺れる。

今の俺は、ちょっと「負」の出来事が起きると、感情の針はあっさりそのまま「−」に振り切れてしまい、逆に楽しいことが起きればすぐに有頂天になり、針はあっという間に「+」のMAXに達してしまう。

理由は「新人」だから。

何も知らないんだから反論なんか出来ないだろ。
しょうがないじゃん。

そんな状態で人から認められたり、うち解けられる人が現れれば、嬉しく思うんだよ。
当たり前だろ。

でも、針はちゃんと中央に戻っている。
スピードもそんなに悪くない。
針が止まってしまうこともない。
ちゃんと振動している。

無駄に大きく揺れてしまっているということはあるだろうが、最終的には心の針はちゃんとあるべきところに落ち着いている。

だから、今は振り幅に囚われるな。
大きく揺れても慌てるな。

戻っていることが大事なんだ。

主夫はそんなに弱くない。

俺は主夫だから大丈夫なんだ。

主夫でよかった。
これからも主夫でいよう。


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 ■ 2004/01/11 (日) 妻の休日/しょうがない。


妻の休日。

洗顔中に彼女がトーストを焼いてくれたが、焦がす。
自分で失敗しておいて、自分でむくれてる。
俺は気を使い、それを我慢して食べた。

こんな朝食有りか。

俺なら、もっと…。
言ってもしょうがないか。

娘と少し遊ぶ。
ETみたいに指と指を合わせるのが最近の彼女のブームだ。
合わせたあとは「ヤッター」と言わんばかりの大はしゃぎで、部屋を駆け回る。
…カワイー。

しかし、時間がなくなるのでここでお開き。
しょうがない。

あと55分で、長く務めたとしてもあと2、3ヶ月で辞めることになるであろう仕事に出かける。

それでも行きたくない。
こんな自分に少し飽きれはするが、しょうがない。

自分に最も合った生活を一度見つけてしまった後で、他のことやらされてるんだから。

それも、いきなりの方向転換で。
でも、それってお前の考えじゃないだろ。

それも「しょうがない」ことなのか。

違うだろ。
違うよ。

俺が変われないのはしょうがないんだ。
絶対に。
そうに決まってる。

あと51分。











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 ■ 2004/01/11 (日) (小)家族会議


ちゃんと話をした。
こんな感じで決定した。

引越は最優先事項。
時期は遅くて春先まで。

俺の仕事も、新しい住所から通えることを基準に選び直し。
こちらとしては今の仕事も不可能ではないが、採用時の先方との条件の突き合わせから、続けられる可能性は低くなるからだ。

よって、今の仕事を続けながら、次の仕事を探す事に決定。
条件の良い仕事が見つかり、新しい会社が早急に職場に配置することを望んだら、春を待たず引っ越して、同時に仕事も変わる。

最悪、時期までに仕事が見つからなかったら、今の仕事をしながら探し続ける。
その際、俺は今の職場の近くに安いアパートを探し、一人で住む。


「専業主夫」復帰は却下。
理由は、お義母さんが嫌がるから。

「あなたがちゃんとしないから、(俺が)そうなってしまう」と言われるからだそうだ。
それに、マンションはお義母さんの名義で、彼女が格安で貸してくれるんだから、彼女の希望を考慮するのは当然だとのこと。

「それなら今のままここで暮らせばいいじゃん。」と言ったら、「それじゃ母さんの望みが適わないから可哀想」とのこと。

…よくわからん。

家賃代が安く済むのは確かに助かるが、少なくともそれが義母の望みを受け入れることでもあるのなら、俺達がどんな暮らし方をするのかまで口を出させないでもいいだろうに。

こうなると、もういつものパターン。
「じゃぁ、お母さんは」
「でもお母さんは」
「だからお母さんは」

…。
もう何も言う気もなくなる。
っていうか、言っても無駄。

「○○さんが社員になったとき」
何かにつけてこう話してくれる人に悪いなぁ。

狭山丘陵にもこんなに頻繁に来れなくなるだろうし。
都心のど真ん中じゃ、里山なんかあるわけないし。

古地図でも仕入れて、彼の時代に想いを馳せて大江戸散歩でもするしかないか。
それにしても空気は悪いな。

…「主夫」に戻るまでの一時期だけ、辞めることを前提に働いているのは確かだけど、ちょっと早すぎやしないか。

まぁ、いい。
お前の強い希望で俺はやっと手にした仕事を辞めることになるんだ。
それは覚えておいてくれよな。


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 ■ 2004/01/10 (土) 送信


明日が休みだと夜が長い。

せっかくの長さをネットを上滑りする贅沢に費やす。
始めた瞬間に、前に放送大学のWEB出願にパソコンの不調により失敗したことを思い出す。

そして再チャレンジ。
ものの5分とかからず終了。

あとは学校側からの反応待ち。

今回選択した科目は共通科目(主幹科目)の「表象としての日本(04)」。

講義概要は以下の通り。

「明治以降、西洋人が読み解いた日本文化の表象は、同時代の政治的・経済的な力関係と西洋世界にとっての文化的「外部」が発散する幻想とが複雑に入り混じって、従来の日本人が自らの文化について抱いてきた表象とは大いに異なる表象を、しばしば新しい価値として打ち出してもきた。
                 (略)

こうして西洋人の「眼差し」を通して形作られてきた「近代と伝統の文化的重ね絵」は、現代の日本人論にも様々なレベルでその痕跡を残している。
「表象としての日本」を分析することは、日本人論の歴史的な系譜学としても、また現代の日本人がみずからについて抱く表象を批判的に捉え返すためにも、極めて有効な作業であり、また、学際的なチームワークによって初めてその成果を挙げうる研究であって、本学の主題科目として相応しいものと考えられる。」

面白そうだ。
これをやってからもう一度「ラストサムライ」見たら、思うことが変わったりして。
自分の意思で「面白そう」なことを始めるなんて本当に久しぶりだ。
それで考えが変わるなんてことがあったら、なんかすごくいいじゃないか。

早く返事来ないかな。

そうしたら「第三点」を獲得するんだ。

両手だけでロープにぶら下がっていた、点と点で作られた「線」状態を脱し、足を岩の出っ張りに引っ掛けた「面」に世界が広がる。
そうしたら、次はもう片方の足を同じように「支点」に引っ掛けて、3点で安定した状態で今度は手の近くに新たな「支点」を見つけて、上に少しずつシフトする。

そして、なるべく早くこの苦しい「ロッククライミング」から解放されて、「WALKER」に戻るんだ。

そのうちに平らな地面に出て、そこを両足をべたっと付けて歩けるようになれるさ。
きっとなれる。

そうしたら、その次は里山散策だ。

俺は「WALKER」でも「里山WALKER」なんだ。
最後には自分の好きな場所を歩けるようになる。
きっとなれる。
なるんだ。

新緑の頃の力強さも、真夏の日陰も、落ち葉の絨毯も、そして冬枯れの乾いた風も、全部そこにある。

そこに行くんだ。
きっと行けるさ。


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 ■ 2004/01/10 (土) そっち


某氏「おい、何でここを閉める」
俺「えっ…こうするように言われてるんですが…」
某氏「お客様はまだいる」
俺「でも、ここを先に閉めるように言われてるんですけど」
某氏「じゃぁ、お客様はどうする」
俺「反対側のトイレと出口を指示しろと言われてますが」
某氏「それじゃ、ダメだ」

「おい」って言われてもな。
「ダメだ」って言われてもさ。
俺はそう指示されてるんだよ。
っていうか、今俺が実際に行っている業務は責任者が傍で逐一チェックし、OKを出したものなんだけど。

それでも、これだ。

まずそっちで意思の疎通をきちんとしておいてくれなくちゃ。
曖昧な指示の結果、嫌な思いするのは末端の俺なんだから。
後で「やっぱりこれでやってくれ」じゃ俺が困るよ。


一方、家庭では、今年中に例のマンションに引っ越すことがほぼ決まったみたい。
「みたい」っていうのも変だが、彼女の仕事の都合、娘の保育園、義母の希望、我が家の金銭的負担減…などの諸条件から鑑みて、そうなるのがベストなのは間違いないから、考えるまでもないんだ。

でもだからって、事後報告はやめてくれよ。

いくらそっち同志で意思の疎通が上手く行われていたって、俺抜きに具体的に話を進めるなよ。
…失礼だろ。
それに、あれだけ俺に仕事させたがった割には、このことで一時的にもまた失業するっていうリスクはどう考えてるんだ。

本当に引っ越すなら、今の仕事は続けられないぞ。
「ここに住んでる」というのが大事な条件なんだから、引っ越したらダメだよ。
「(近いから)慣れたら朝番やってもらう」と既に言われてるくらいなんだから。
向こうはそれをさせたいんだからさ。

そっちにちゃんと言われたことはちゃんとやってるじゃないか、俺は。
ハローワーク通いから、ここまで俺がどんな思いしてきたと思ってるんだ。
やっと慣れてきたんだよ。

とにかく、お前は少し「こっち」にいろ。
それが嫌なら、俺をそっちに交ぜろ。

家でも職場でも、決まったことをただ伝えられるだけのコミュニケーションには、もうウンザリだ。

ただ違うのは、お前とお義母さんの言うことに食い違いはないという点だ。
これは心配ない。

お前の「意見」はお義母さんのそれのコピー。
曖昧であるはずはない。

たまには食い違ってみたらどうだ。






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 ■ 2004/01/09 (金) トトロ


今日行けば絶対いる。
映画では夜だったけど、今日なら昼間でも送電線を滑るあの滑稽な化け物をきっと見られるよ。
森も裸だから見つけやすいよ。
まず「上を向いて」いられる場所を確保して。

誰か見てきたらいいよ。
きっと会えるよ。

俺は「主夫業」で行けない。
主夫は大変なんだ。

主夫だから行けないんだ。
主夫は忙しいんだ。





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 ■ 2004/01/09 (金) まだ一日


今風呂から出た。

石鹸がバスタブの下に入ってしまって難儀した。
予定よりも3分オーバーしてる。
急がなくちゃ。

それにしても、明日の休みまでまだ丸々一日仕事があるのか。

9時間拘束の8時間労働。
まさに「拘束」だ。
いや「梗塞」のほうが適当かな。

起きている時間のほとんどをバカみたいな制服を着てあちこちキョロキョロしながら過ごすなんて、ここにいると何をしているんだろうかと思う。

でも、これをしなければ他にどうするのか。

どうもしない。
「主夫」すればいいんだ。

でも「主夫」は一人じゃできない。

家族があって初めて成り立つ「仕事」だ。
そして今、俺の家族は俺があの制服を着ることを望んでいる。

家族の欲することに応えるのが主夫の仕事だろ。

俺は応えてる。
だから俺はまだ「主夫」だ。
絶対そうだ。
そうに決まってる。

!おっと、パンが焼けたみたいだ。
水筒にお茶も入れないと。

…でも、本当はこんな朝の日常茶飯をこそ、娘と妻のためにしてあげるのが「主夫」だと思っていたよ。

それを夫婦バラバラな出勤で、俺は今これを書きながら一人で昨日のコロッケをトーストに夾んで喉の奥に押し込んでいる。

娘は納豆とご飯と味噌汁を少しと野菜ジュースの朝ご飯だ。

妻は…。

知らない。
あいつ何食べたんだろう。
大丈夫かな。

…主夫失格だな。



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 ■ 2004/01/09 (金) あと一日


「彼」、現れず。
静かな一日。
子供がケガをしたり、本社から巡回が来たり、保安さんとの連繋巡回…など、細かなことは色々あれど、特筆すべきことは何も無し。
無事、業務を終える。
ストレスは極めて少なかった。

「ツマミ」がちゃんと10まで回って、その後に目盛りにセットできた感じ。
期待通りの火加減。
こんがりきつね色。

本当なら、毎日こうなるはずなんだ。
明日も、今日のようならかなり楽だ。

しかし、だ。

でも、キャッチャーが、マウンドに上がっている違和感が消えた訳じゃない。
本来のポジションでプレー出来てないことには変わりはない。

ただ、めった打ちにされないだけ、よかったということ。
「俺のせいでチームに迷惑がかかる」のは、それがどんなチームでもやっぱり嫌だから。

そして、何だかんだ言いながらも、職場という新たな「チーム」には段々馴染んできている。
でも、そこは俺の不得手なポジション。
持てる力を全て発揮しても、たかが知れている。

一方、家庭という「チーム」では、俺はレギュラーを外された形。
常時出場のスターター「主夫」を追われてしまった。
しかし、出場機会は減るも、自分はまだまだやれると信じている。

そして現状では、この「2点」のバランスを取ることが重要だが、上記の通り、「家庭」よりも「職場」の方に偏りが生まれつつある。

そこで「3点」目だ。

明日一日行けば、明後日は休み。

そこで、行動に出よう。
放送大学の願書を作成して、提出するんだ。

どんな些末なものでも、自分が好奇心を持てる「興味」を消さないようにするんだ。

そのうちの一つが「日本について、もっと知りたい」ということ。
「学生」という身分を手に入れることで、脇を固めよう。

後一日だ。

3点になればバランスが取りやすくなるに違いない。
そうに決まってる。

後一日。
後一日で、俺は3点目の支点を手にするんだ。


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 ■ 2004/01/08 (木) 誰か


カーテンを引かなければ、日の光で画面がよく見えない。
それくらい今日はいい天気だ。

逆方向へ歩いていけば、職場に行くのとほぼ同じ時間でいつもの丘陵に着く。
IDカードをスキャンする必要もなく、いつものように迎入れてくれるはずだ。

誰か一緒に狭山丘陵に行かないか。
ガイドするから。
濃すぎるかもしれないけど、烏龍茶もあるし。
今日なら、本当にトトロに会えるかもよ。

後1時間04分ある。
まだ間に合うよ。

誰か行かないか。


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 ■ 2004/01/08 (木) 必然と偶然の間


帰ってきた。

今日も小さいミスはあったが、なんとかやり過ごした(と思う)。
今、こうして家に帰ってきて、疲れがあまりないことに不思議な感じがする。

それが出来たのは今日のパートナー、Aさんのおかげ。
彼はこの施設と、その警備上の業務ほぼ全てを把握している。

今日は警備室内の警報機/制御板と実際の場所を相対させて、それが発報したら、実際にはどこにどんなトラブルが起きているかを説明してくれた。
実に分かり易い。
これで明日から警報機が発報しても、今までよりは多少気後れしなくなるかもしれない。

他の、特に一番こなれた(?)やり方をしているBさんに付くと、「音消して!」というその場限りの指示と、いきなり「どこ!何が起きた!」という、俺には未知の領域の質問が飛んでくるだけだ。

彼といるだけで変に緊張して、体に力が入ってしまう。

「不安状態KEEP⇔ハプニング」というループだ。

それに対して、Aさんの場合は、事が起きるまでにある種の「間」がある。

「リラックス(知識の補充/出来る事と出来ない事の確認)⇔ハプニング」なループ。

結果に差が出るのは必然かも。

警報機が発報したり、忙しい時に限って面倒な問い合わせがあったり…しないときには、事務的な書類の処理をするのだが、これが本当に多い。

時間、署名、ハンコ、チェック…を何度書き込むだろうか。

Aさんの場合、それは仕事を覚える上で、優先順位の下位と考えているようで、最重要なもの以外は「徐々に覚えてくれればいいです」ということで、それよりも差し迫った重要事項を繰り返し経験できるようにしてくれる。

Bさんは、違う。

「未だ書いてないの?!」

書いたことないんです。
わかりません。

でも、入って間もない気弱な俺はそう言うのが苦手だ。

で、「すいません」。

…これを一日繰り返す。

結果、今日のようにほぼ無事に家に生還出来るのは、決まってAさんか隊長と組むときだ。

そしてシフト表によると、明日から15日まで、俺はBさんと組む日は一日しかない。

必然的に失敗する可能性が低くなることが見込める期間だ。
この期間に、ここまでの段階を覚え込んでしまえたら、後々楽になると思う。
っていうか覚えて当然だ。

しかし、だ。

俺はまた、はち合わせしてしまうだろう。
彼、「マーフィー君」と。

実は「なんとかやり過ごした」と自分で言っている、今日のような日でも、2回も呼んでいる。

大事には至らなかったが、「なんでここに!」「どうして今なんだ!」ということが最悪のタイミングで起きる。

最悪を予想して動いていても、事が同時に3件も起きれば、もう対処しきれない。
人員削減で、最盛期の半分の人員で同じ仕事をやらざるを得ない状況で、1つでも間の悪いことが起きれば、もう後にしわ寄せを与えてしまうほど一つ一つの仕事に余裕がない。
俺にとっては、その「手順」は遊びがなく、同時に予想以上に繊細なものだ。

正確に「1」や「2」という繊細な目盛りに合わせるには、俺の旧式の頭は一度その「ツマミ」を「10」まで回さなければならない。

しかし、「ツマミ」は未だ一度も「10」まで回ったことはない。

「6」や「7」の段階で、彼と彼が「ツマミ」を止めてしまう。
結果、「だいたい1」「2…として扱っても問題ないとは思う」という仕事になってしまう。

だから、後味が良いはずはない。

そして、そのうちの一方の彼とは、明日から顔を合わせない。

果たして、他方の彼はどうか。







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 ■ 2004/01/07 (水) 行きたくない


後55分で、仕事に出かける。
行きたくない。

今、頭の中で仕事の流れをイメージしてみても、本当に大雑把にしか思い出せない。
レガースにマスクを付けたまま、キャッチャーの投げ方でピッチングさせられるんだ。
その揚げ句、フォアボールを連発し、仕方なくストライクを取りにいくところを狙い打ちされてKOされる姿が目に浮かぶ。

このままここでキャッチャーさせてくれればいい仕事する自信あるのに。

あと54分。
行きたくない。


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 ■ 2004/01/06 (火) 連休最終日


連休2日目にして、最終日。

少し早く起きて、いざというときのためのご飯のまとめ炊きをする。
それを冷凍できる温度にまで冷ますのに時間がかかり、「専業」のままなら、こんなことする必要もないのにと思うと、残念、というより怒りに近い感情が湧いてくる。

でも、少し先までのメニューを、大雑把にでも、バランスや費用を考えながら決めていく作業は楽しい。
少なくとも、必ずしも紳士淑女ばかりとは言えない環境で「警備員」をするよりはずっとましな事は確かだ。

午後から、丘陵へ散策に出かける。
本当に久しぶりな感じがするが、最後に行ったのはいつだったか。
そんなに時間は経っていないはずだけど、なんか、もう思い出せないよ。

果たして、八国山は、その落葉樹のほぼ全ての葉が落ちきっていた。
その風景はもちろん悪くはないのだが、「専業」のままなら、その「変わり目」を連日味わえたのにと思うと、残念、というより怒りに近い感情が湧いてくる。

それでも、「冬」そのものの獣道を歩き回り、一汗かく頃になると、普段、というより「本当の」俺に還っていくような気がしてくる。

少なくとも、不特定多数が一日中出入りする鉄筋コンクリートの建物の階段を、行ったり来たりするよりはずっとましな事は確かだ。

明日の今頃は、「行ったり来たり」どころか走り回っているだろう。

そして、また段取りを間違えたりするのか。

里山で転んでも、山に迷惑はかからない。
俺の穿き込んだカーゴパンツとフリースの手袋が汚れるだけだ。

でも、「仕事場」は違う。
そうはいかないんだ。
どうしても自分以外の誰かに迷惑がかかる。

自分が生き生きしていられる世界から何故か追いやられ、不得手な場所で慣れない仕事を仰せつかった揚げ句、こんなに嫌な気持ちになるなんて。

残念、というより怒りに近い感情が込み上げてくる。

俺は知ってる。
この職場でも、毎日見てる。
「怒ってる」男のうち、「義」に適った理由でそうする者が、そんなに多くないことを。

そして、俺が「怒り」を感じてる理由も、まさにそれに適うわけもない。

「主夫」でいたいのにいられない、なんて理由でいくら怒っても無駄なんだ。
自分が欲する環境を自分で作れない男は「無能」で、おしまい。

また明日から、キャッチャーが「肩がいいから」という理由でピッチャーをやらされる毎日が再開する。

どうやって抑えろっていうんだ。



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 ■ 2004/01/06 (火) 連休初日/カワイー


今日、明日は休み。
働きだして初の連休だ。

しかし俺はどういう訳か、いつもより2時間も早く職場に向かって走っていた。
それは、昨日の仕事がどうしても気になったから。

段取りを間違えはしたが、途中、自分でそれに気付いて、結果的にはいつもと同じになっているはず。
しかし、「もしかしたら気が付いていない問題が他にあるんじゃないか」という気持ちが治まらず、手ぶらで行くのも気が引けたので、途中でHOTのペットボトルのお茶を人数分買い込んで、恐る恐る職場に行ってみた。

果たして、そこにいたのは隊長が一人。

まさに「はぁ?」という表情から一変、事情を話すや否や、彼の表情が見る見る解けて、お互いにそれぞれ違う意味で安心し、同じ苦笑いを交わす。

「特に問題はなし」「(お茶を見て)そんなに気を使わないで下さい」とのこと。
よかった。
これで連休を安心して過ごせるよ。

早速、家族3人でお出かけした。
行き先はまたしても、川越。

久しぶりに喜多院にお参りして、境内でテキ屋さんのお好み焼きを食べ、その時、東屋で弁当を落とした小学生くらいの女の子にあんパンをあげていい人ぶって、いい気分のまま知人を尋ね、菓子屋横丁の玉力製菓で手作りの飴を買って、QBハウスで髪を思い切り短くした。

娘と一緒だと神経を使うが、それは「疲れる」という事だけを指すわけでは決してない。

今日もいつもの知人宅で、ネコと犬の間をシャトルのように行ったり来たりで、大喜び。

唯一、はっきり発音できる言葉を連発。
俺も輪唱のように言葉を重ねる。

「カワイー」、「可愛い」

俺は敢えて赤ちゃん言葉を避け、意識して大人の発音で続けた。
その方が「手本」として適当だと思うから。

娘と妻は先に帰り、俺はクレアモールと呼ばれる長い長い商店街を久しぶりに歩いてみた。

何気なく「LOFT」に入ると、ある商品に目が止まった。
それは「トトロ」のぬいぐるみ。
一頭(一人?)だけ、「待ってたよ、遅かったね。」と言わんばかりにそこにいる。

狭山丘陵には「トトロの森」と言われてる所が幾つかあり、いつもの八国山にはないが、鳩峰山にはその2号地がある。

反射的に手に取りレジへ。
「プレゼントでお願いします」

急いで帰って、すぐ娘に渡した。
「今度は本物を探しに森に行こうね」
彼女は大はしゃぎで、強く抱っこしたまま、部屋を駆け回る。

俺はその上から彼女を捕まえた。
トトロ、娘、俺と、まるでロシアのマトリョーシカのような形になる。

「カワイー」
その瞬間、俺の腕の中で彼女がこの言葉を発した。
俺の初給料でのプレゼントに、これ以上ないお礼だ。

俺は同じように彼女の言葉をなぞった。

今度は彼女の発音そのままに。
自分の感情に素直になる素晴らしい「手本」に従って。

カワイー!


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 ■ 2004/01/05 (月) ミス


「○○さん、ちょっといいですか。」

職場へ着くや否や、いつもは明るいAさんが苦い顔で近づく。
昨日の〆の仕事で、重要度が下の下と、下の上くらいのミス、3点の指摘。

どうでもいいものと、ほんのちょっとだけやばかったものの一つは、確かに俺にも非はあった。
しかし、残りの「下の上」については覚えがない。

指示を受けて、その通りにしただけだ。
はっきり言って、その指示を出した人に問題があったと思う。

そして、その当事者が、今、俺の真ん前にいる。
そんな状況で、「Bさん、あそこは★@♯ΨΩ〒だって言いましたよね。」とは言えないんだ、俺は。

結果、俺は評価を下げることになったようだ。

そして、今日はその人と一日ずっと一緒。
一日中、「この人のせいで」的な気分に取りつかれる羽目に。

それでも、75歳のおじいさんの万引き犯が、警備室で威張り散らした揚げ句、逃げようと下手な芝居を打って、ベテランの保安員さんや警察官をも呆れさせたこと以外は、穏やかな一日だった。

ところが、最後の最後に、やっちまった。

もはや誰のせいにもできない、正真正銘、俺のミス。

まぁ正確に言えば、業務的にミスになる寸前で、何とかそれに気が付いて、事なきを得たんだけど、仕事の段取りを壊し、Bさんの足を引っ張ってしまったのは確か。

日中は、「Bさんさぁ、もうちょっとちゃんとやってくれよな」なんて思っていたのに、仕事が立て込んでくると「これ、お願いします」じゃ、どうしようもないな。

おまけにBさんは、少し嫌な顔もしたが、それでも素早く俺をカバーしてくれた。

Bさんの不手際の被害者のような気分でいた一日が、最後の最後で加害者の気まずさに取って代わってしまった。

っていうか、まだろくに仕事も分からないのに、一人前な顔して人のミスを被ってやったなんてのが、そもそも思い上がりなんだよな。

身の程知らずだよ。
きっと朝に指摘された件も、俺の聞き間違いが原因だったんだろう。

Bさん、ごめんなさい。
お疲れ様でした。

またよろしくお願いします。


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 ■ 2004/01/04 (日) 誰か


今日はいい天気だ。
逆方向へ歩いていけば、職場に行くのとほぼ同じ時間でいつもの丘陵に着く。
IDカードをスキャンする必要もなく、いつものように迎入れてくれるはずだ。

誰か一緒に狭山丘陵に行かないか。
ガイドするから。
濃すぎるかもしれないけど、烏龍茶もあるし。

後25分ある。
まだ間に合うよ。

誰か行かないか。



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 ■ 2004/01/04 (日) 不随意


自分の中に、どうしようもない生き物がいる、といつも感じてる。
間違いなく自分でありながら、姿を一度も見たことのない「敵」だ。

それを何と呼んでいいのか、しばらく思い出せなかったが、今思いだした。
「不随意」だ。

「手を動かす」とは言うが「血液を流す」とは言わない。
「走ろう」と思えば、それに従うことは難しくはないが、「肝臓をもっと働かそう」と思っても、そうはなかなかいかない。

自分で容易にコントロール出来るものだけを「自分」として考え、そうできないモノは「自分ではない」としてしまう。

こうして、「自分ではないモノ」は、潜在的な「敵」になる。

でも落ち着いて考えてみれば、コントロールし切れないからと言って、自分の心臓や血液や、神経が自分の身体の大切な一部で、それも「自分自身」である「目」や「手」を自在に使うためにも不可欠のモノであることはすぐに分かることだ。

つまり、この「潜在的な敵」も実は「自分自身」であって、「コントロールできないこと」を受け入れる精神状態ならば、まさに全身全霊で人生を生きられる、ということだ。

ああ、すっきりした。
やっと思い出せたよ。

しかし、だ。

そう簡単にこの難敵と和解して、「制御不可能」な世界とお付き合いなんかできないんだよね。

特に俺みたいな無能な男には、この「コントロール出来ない事」が沢山あるんだ。
それを「受け入れる」なんてしてたら、あっという間に社会に嬲り殺されてしまうよ。

そこで「闘う」か「逃げる」か、の選択だ。
俺が選ぶのは、当然、後者。

そこで、時々勘違いする。
「闘わない」という共通点だけを以て、「受け入れる」と「逃げる」を同じ事だと思ってしまう。

全然違うんだよね。

前者は「自由」を感じ(何かで読んだだけだけだからわからんが)、後者は「虚ろ」な時間しか感じない。

確かに俺は自由で生き生きなんかしてない、虚ろな時間を生きてる。
別にいいと思ってないよ。

でも「闘う」のも「受け入れる」のも難しすぎるんだよ、俺には。
逃げるしか出来ないんだ。

生きている以上、コントロール仕切れなくても、心臓や神経や腎臓から逃げられないのと同じように、人生のリスクからも逃げられないと頭ではわかっていても、ダメだ。

立ち向かえない。
受け入れられない。

そんなこと出来るもんか。
恐いよ。



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 ■ 2004/01/03 (土) わからない


引き続き、留守録してあった「養老孟司と犬飼元首相の娘だか孫に当たる方の対談番組(名前忘れた)」を見る。

“実は「自分の死」は「赤の他人」のそれと同じくらい軽い。親しい人の死だけが重い。”

という養老氏の言葉が妙に心に引っかかり、今もまだドキドキしてる。
何故かはわからない。

今もし、職場の屋上を巡回していたら、飛び降りているような気がする。
他に首吊りとか薬とか方法はあるとは思うが、それは嫌だ。
何故か飛び降りならいいか、という気が強くする。

理由はわからない。
本当にそれをしてしまった人は、今の俺と同じ気持ちを、たまたま本当にその場所で感じてしまったに違いない。

ほんの数日前は、そこから見上げた月にあれだけ救われたはずなのに。
何故今、そんな事を思うのか、わからない。

そして、今は布団の上。
それがよかったのかどうかは、わからない。


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 ■ 2004/01/02 (金) 希望


昨日(?)帰ってきてから慌てて録画のスイッチを押した「NHKスペシャル 村上龍の日本再生」とかいう番組を今見終わった。

ノーベル賞受賞科学者の利根川進と日産のカルロス・ゴーン、そして国際政治学者の猪口邦子の3人との対談番組だ。

その内容を大雑把に言うと、
国、社会、会社の「安定」は幻想。
不安定な中で「個人」が「希望」を見出す努力をすることが大事。
「不安(定)」をコントロールするには、それを経験することが大事。
子供の「教育」は重大事だが、それも大人が「充実」していることが大切。
それら全ての前提となる個人の「HAPPY」とは、「目標」を持ち、それに向かって努力している時に得られるモノ。

逆を言えば「目標のない人間には永遠に『HAPPY』は来ない」とのこと。
そして、その「目標」とは「仕事」。
それ以外じゃダメなんだって。

確かに、今、俺はHAPPYじゃない。
この番組はその理由を的確に分析してくれたってことか。

「主夫」の安定が幻想であることを現実に突きつけられ、その「不安定」を受け入れられず、新たな「目標」を見つけようという「希望」すら湧かない状況を。

「主夫」以外の目標なんて、無茶言うなよ。

それ以外の全てがダメで、やっとここに救われたんだよ。

「希望」を見出す努力をしろって。

…ダメだ。
今は「希望」という言葉を受けても、何もイメージ出来ない。
今の仕事を無理矢理目標にしても、「HAPPY」になれるとは到底思えないし。

「希望」。

何て重たい言葉なんだ。













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 ■ 2004/01/02 (金) CRY FOR THE MOON


昨日の問題はとりあえず今日の段階では、音沙汰無し。
それでも、気持ちのざらつきは治まらず、出入チェックで当人と顔を合わせることを考えるだけで憂鬱になる。
しかし、当事者は休みのようで、今日の所は危機は回避された、というところか。

今回、俺は自分に非がないとハッキリ言いきれるからまだいい。
詳細を隊長、それに一番信頼の置けるAさんにも話したが、双方ともに「気にしなくても大丈夫」とのことで、心配もないようだ。

しかし、「ダメ」生活の長い俺はつい想像してしまう。

もし、これが「俺のせい」だったら、ということを。
今回の場合なら、俺がドアを閉めるとき確認しないで、彼の手を挟んで、または、施錠すべきをしなかったため、彼がケガをし、その結果として「さっさと開けろ、ゴラァ!!」になったとしたら…。


従業員A「ねえ、聞いた?○○課のM君、そうそうあのカッコイイM君が、今度新しく来た警備員のせいでケガさせられたんだって!」
同B  「マジで?!カワイソー、M君。っていうか、ムカツクよね、あの警備員。」
A   「お前なんかなんにも分かってないくせに、制服なんか着て、偉そうに指図してんじゃねえよ、って感じ」
B   「だよねー。でね、M君その時に『さっさと開けろ、ゴラァ!!』って怒鳴ったんだっ     て」
A   「当然じゃん。っていうか、言うべきだよね。M君さすがだよね。」
B   「使えないね、あの警備員」
A   「っていうか、辞めさせたいね」
B   「あたしに良い考えあるよ」
A   「何々…」

…我ながら、あまりにありそうな話だと思う。
それにこれって俺に非があるとか無いとか関係ないじゃん。
ターゲットにされたら、どうしようもないな。
いやいや、中学の部活じゃないんだから、さすがにここまでお子ちゃまな従業員はいないだろう。
どうだろう…。
よくわからん。

でも、今日はちょっとしたターニングポイントもあった。
巡回中に少し時間待ちするような状況が生まれて、屋上の巡回を繰り返しをした時だ。

「後8分、…7分か、…待ってるとこんな時間って長いんだよな」
なんて思いながら「上を向いて」みるとやや小さめの月。
半分ちょっと欠けていたか。

黄色とも白ともつかない微妙な色。
大好きな色だ。
周囲にも星が多数、月明かりで雲まで見えて、なんとも言えない美しさ。

なんか嬉しい気分。

今日は元旦のためいつもより2時間い帰途に就くときに、歩きながら、もう一度見上げてみた。

果たして見つけたのは、屋上巡回の時と全く同じ月。
とはいえ時間の経過はあるので、正確に言えば違うんだろうが、俺には「同じ」に見えた。

大げさに言えば、「常にすでにあるもの」の具体的な例を見つけた感じ。
正確には、月にも寿命があるのだから、「常に」あるわけではないが、俺が産まれる前からあって、俺が死んだあとにも存在するのは確かだろう。

なんかいい感じ。

身近に理解を超えた世界がある。
どうしようもない世界だ。
もちろん良い意味で。

でも、これって俺がいつも感じる「しょうがないじゃん」と近いかも。
っていうか、同じじゃないか。

今回の問題が大きくなったり、何かしらの禍根を残すようになってしまったら、多分俺はいつものように「しょうがないじゃん」と言うだろう。

その時に、この月を見上げた時のような気持ちで、その状況を受け入れられる自信がないのは何故だ。

同じ「どうしようもない世界」に直面してるはずなのに。

月に聞いてみようか…なんちて。

聞かないまでも、その時はまた「上を向いて」月を探してみよう。
「緩い上り坂」を歩いている今のうちに。




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 ■ 2004/01/01 (木) 人生最悪の年越し


「さっさと開けろ、ゴラァ!!」

次の瞬間、ドアを蹴破らんばかりの衝撃音。
それがもう一度。

退出を確認したあと、すぐドアを施錠したのには理由がある。
その日の売り上げを金庫に搬送する警送業務中だったからだ。

こういう訳の分からない輩がいきなりドアを破って、そのお金を襲わないように施錠するのだ。
この怒鳴り声を聞いたとき、俺は施錠していたことを本当によかったと思った。
もし、開いていたら、と考えると恐くなった。
当たり前だろ。

しかし、今回の狼藉者は忘れ物を取りに戻ったというバイトだった。
当然、悪意はない。
怒鳴ったのも、施錠しているドアを力任せに開けようとして、自分で手を痛めたことに腹が立ったということらしい。
回りに同じ職場の友人がいたことも、彼を強気にさせた一因かもしれない。

でも、俺にどうしろっていうんだ。

少しして、その課の責任者らしき女性が警備室にやって来て、こう言った。
「でも、彼ね、手がこんなに黒く内出血しちゃったんですよ」
「(上の状況を説明しても)でも、それは立前でしょ。忘れ物を取りに来るくらいいいじゃない。」

…どうやら問題になるようだ。
彼女は警送が警備業で最優先項目だということがわかっていないようだ。
もちろん俺は悪くないという自信はあるが、相手はなんと言ってもご贔屓のお取り引き様だ。

どうなるんだろう。
クビか。
まさか。
でも、全く可能性がないとは言えないかな。

…やれやれ、なんて大晦日だ。
ただでさえ、閉店時間が変則になって忙しくて、目も回りそうな日に、最後の〆がこれだよ。
テレビを1秒も見ることなく、夜も11時過ぎまで働いたっていうのにさ。

でも、さらに悪夢は続く。

帰ってきてから、思い出した。
明日の出店時間を確認してないよ。
変更になったのまでは知ってたけど、詳しくは前日に説明するって言ったじゃん。
ちゃんとやってくれよ。
俺まだ、始めて正味1週間なんだからさ。

しょうがない。
12時に行けば間に合うだろう。
…いや、11時半だったかな。
もういいや。
12時だ。
決めた。
もう知らんよ。

それでもついてない日は、尽くついてない。

やっと帰ってくれば、妻は紅白だけは見るとか言いだして、草臥れ果てた体と心のまま、自分で蕎麦を茹でるはめに。
ほぼ完成の段階で、「あたしがやる」と割り込んできたはいいが、彼女はつゆをかけただけ。
でも、そのつゆが「ぬるい」。

それを伝えると、今度はいきなりむくれて口を聞かない。

仕方なく、一人で掻き揚げを1杯、エビを1杯、計2杯の年越し蕎麦をすする。
っていうか、やけ食いだ。

そして、蕎麦を食べ終えたところで年が明けた。

…こんな年越し有りか。

明日は、朝8:30に義母宅で新年のご挨拶会。
俺は仕事で夜遅いので、2日の休みに行くと言っても許されず。

正味3時間睡眠で、無理矢理これに参加したあと、9時間拘束の目も回るような忙しい時間を過ごすんだ。

…こんな新年有りか。

ふざけんな。




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