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最高の経典である法華経に比べると般若心経は稚拙な教えだよね。悟りを得るのには必要ない教えなんだよ。
no.600 ( 記入なし11/04/28 15:29 )
>>599
君がどのような死後の世界を思い描いてるのか知らんが仏というのは何も特別な存在ではない。元は我々と同じ人間だ。悟りを得て仏になったのだ。
我々も別だと思ってるのか?無知すぎるぜ我々も悟りを得れば仏になれるんだよ。
君はまだまだ仏になるのには程遠いようだが私はもうすぐだ。
no.601 ( 記入なし11/04/28 15:31 )
法華経だけを自画自賛するなんて、自己中のカルトとみなされますよ。
no.602 ( 記入なし11/04/28 15:46 )
最近じゃ.ソウカでも死後の世界を説く様になったのか?
no.603 ( 記入なし11/04/28 15:47 )
釈迦が説いた経典が全て正しいと考えてるのかな。それは勉強不足である。
釈迦はその時代の人たちの成長に合わせて方便として最初は易しい経典からそして次第に難しい経典を説いていって最終的に本当に教えたかった法華経を説いたのだ。
末法以前ならどれを信じても良かったんだが現代は哀しいかな末法の時代。
法華経でしか救われないようなのだ。だから法華経を信仰するのが唯一の悟りへの道です。
no.604 ( 記入なし11/04/28 15:52 )
そんなに死後が大切なら、死ねばいい。
no.605 ( 記入なし11/04/28 15:52 )
君にこの言葉をプレゼントしよう。念仏無限・真言亡国・禅天魔・律国賊
no.606 ( 記入なし11/04/28 15:53 )
もうひとつプレゼントだ。この曲をプレゼント。
紅の歌
http://www.youtube.com/watch?v=JW5WySXzDOg
no.607 ( 記入なし11/04/28 15:56 )
皆さん、これでソウカのしつこさが分かっただろう。
no.608 ( 記入なし11/04/28 16:02 )
604さん
では、法華経は一寸先は闇の生と死をどのように解釈しているのでしょう?
生は死の対極?死は生のそれ?時間はどんどん死に向かいます。人は誰でも
死とともに歩んでいきます。
no.609 ( 記入なし11/04/28 16:07 )
>609
自分は創価信者と宗教論争を繰り広げた経験があるだけで法華経に関しては詳しくないがこのスレで書いた事は彼らが言っていたことだ。それを思い出しながら書いている。
死は誰にも等しく訪れるが常に釈迦の教えに忠実に生きていれば輪廻転生を繰り返しながら最終的には輪廻転生から開放され仏になれるだろう。
だが今生で何も考えずいいかげんに生きて放蕩していれば生まれ変わるたびに地獄を味わうことになるだろう。それが嫌だから自分も宗教を研究して修行しようと考えているのだ。
no.610 ( 記入なし11/04/28 16:15 )
ソウカは法華宗とは何ら関係ない。池田教だ
no.611 ( 記入なし11/04/28 16:18 )
ちなみに創価信者は日蓮の教えだけ信じてるようだが自分は基本は釈迦中心に日蓮は
参考程度にしてるだけ。まあ自分は研究中の分際なんで仏教以外にも興味を持ってるんだけどね。元はキリスト教信者です。それ以外は信仰した事はありませんがいろいろ話は聞いたことがあるので浅く広くいろんな宗教に関して知識はありますよ。
no.612 ( 記入なし11/04/28 16:20 )
610さん
すみません、でもそれは信じることで、科学や常識からは必ずしも容認できない
部分があります。例えば、存在とか時間とかです。また、死の恐怖・不安もあります。
人間にとって最大の恐怖は死でしょう?
no.613 ( 記入なし11/04/28 16:23 )
お釈迦さんは、諸行無常といって、常が無くたえず変化していくと言われた。
そうであるなら、色即是空がすべてではないのか?
no.614 ( 記入なし11/04/28 16:30 )
>613
ブッダの死生観と宅間守の死
死刑囚、宅間守の刑死の報に触れながら、その余りにも今を生きるということについての投げやりな態度にやりきれないものを感じた。おそらく、彼にとっては死の恐怖よりも、今生で自分がなしてしまった悪行を背負って生きることが苦痛だったに違いない。その意味では、「もう少し生かしてしょく罪の念を持たせるようにすべきだった」という意見にも、「なるほど」と思うものがある。死よりも重い生の苦というものも確かにあるのだろう。それにつけても、人間がこの一回の生を生きるということの意味を知りたくなった・・・。
そこで、人間の寿命というものを少し考えてみることにした。
原始仏典の「サンユッタ・ニカーヤ」(邦題「悪魔との対話」中村元訳 岩波文庫)という中に、このような一節がある。
ブッタ「修行者たちよ。この人間の寿命は短い。来世には行かねばならぬ。善をなさねばならぬ。・・・生まれた者が死なないということはあり得ない。たとい永く生きたとしても百歳か、あるいはそれよりも少し長いだけである。」
悪魔「昼夜は過ぎ去らぬ。生命はそこなわれない。人の寿命は輪転する。車輪・・・が廻転するように」
ブッタ「昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。小川の水のように」
悪魔は、打ちひしがれて消える。
このブッタと悪魔の「寿命」についてのエピソードをどのように考えたら良いのだろう。ブッタは、「人の寿命は短い。だから今生きているこの瞬間をおろそかにせず、良い行いをしなさい」と説く。それに対して、悪魔は、「人の魂は不滅である。車輪が回るように。だから、人生は存分に楽しむべきだ」と反論する。
ブッダは再度説く。
「人間の寿命は尽きる」と断言する。
ブッダは、インド古来の思想の輪廻転生の考え方を受け入れていることは明らかである。しかしブッダは、輪廻転生の曲解を許さないのである。ブッダの教えの凄さは、今「この瞬間」、あるいは「今生の生」を精一杯生きる、ということに教えの主眼を置いているところにある。つまり良き未来は、良き現在の日々の行動の積み重ねによってしか生み出されないのである。
悪魔の誘惑は、生きていれば常にある。人は誰しも苦痛よりは快楽を求める傾向にある。しかしブッダは、その苦痛が今自分に降りかかっている意味を考えて、今を精一杯に生きることを勧めているのである。
つまり、ブッダは、輪廻転生の思想が、「一般に、今生はほどほどに楽しみ、又次の生で頑張ればいいや」というような安易な方向に人々の心が流れるの嫌っていることになる。もしかすると「どうして今生で善行を積めない者が、次の生で頑張れるというのか」、と言いたいのかもしれない。
新訳聖書に、「死後裁きにあう」(ヘブライ人への手紙 9:27)という言葉がある。もちろんこれは、「だからこの世で、良いことを行え」という意味になる。それは又、死後、神によって、裁かれ、罰を受けて「地獄の火に焼かれるかもしれないぞ」という戒めなのである。
ブッダにおいても聖書においても、やはり大切なのは、現在をいかに生きて行くかということに主眼が置かれている。これは同時に「死を畏れよ」という意味にも通じる。ブッダにとってもキリストにとっても「死」というものは厳粛な、命の終わりであった。
もっと言えば、「死を畏れる」ということは、自分が立派に与えられた今生の生を生き抜いたかという「自己省察」にも通じるのである。
今、余りにも「死」が簡単に語られる傾向にある。それは輪廻転生の思想を曲解した連中が、「どうせ、また生まれてくるのだから・・・」と安易な生き方に結び付いている感じもする。
「死」というものを軽んじる傾向は、何も日本だけのことではない、たった一度の生を大切に生きるという思想が、世界中で後退し続けている。至るところで続く戦争は、多くの罪もない人間の命を奪い、命の重みや尊厳というものが顧みなれなくなって来ている。だからこそ、私たちは、もう一度、今この瞬間瞬間を良きことを考えて生きるというブッダの考えを世界に伝えて行かねばならぬと思うのである。
※ネットより抜粋
no.615 ( 記入なし11/04/28 16:31 )
>615さん
たいへん参考になりました。有り難うございました。
no.616 ( 記入なし11/04/28 16:37 )
なにごとも変化する。この世は変化する。過ぎ去っていく。しかし死者は変化
しない。死の事実関係も不変である。概念も変化はしない。そしたら、釈迦の
諸行無常説は矛盾するのでは?
no.617 ( 記入なし11/04/28 17:24 )
90歳で輪廻制度の存否決定=ダライ・ラマ、中国けん制か
時事通信 9月24日(土)23時59分配信
【ニューデリー時事】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)は24日、声明を出し、数百年の歴史を持つダライ・ラマの輪廻(りんね)転生制度について、「私が90歳ごろになった時に制度を存続させるかを決定する」と明言した。この発言は、当面はチベット亡命政府の現体制を維持する意欲を示した上で、自分が死去した後の後継者選びに介入しようとする中国をけん制し、主導権を握る強い意志を表明したものとみられる。
チベット仏教の伝統ではダライ・ラマ14世が死去した場合、亡命政府は生まれ変わりの15世を探す必要がある。しかし、チベット支配を固めたい中国はこれに対抗し、自ら認定した親中派のパンチェン・ラマ11世を通じ、独自に15世を選ぶと予想されている。
※90歳までダライ・ラマは存命できるんだろうか。もしそれより早く崩御された場合はどうなるの?
no.618 ( 記入なし11/09/26 00:02 )
>宗教とは思い込み
大抵の宗教はそう言えるのだけど、初期仏教だけは違うような気がする。
科学の発達していない時代に、何故あのような事が言えたのだろう?
自我が存在しないと言い切っているのは初期仏教くらいのものだ。
にも関わらず魂の存在を肯定している。
(現在の科学では自我が存在しないところまでしか証明できない)
また、ブッダが悟りを得た時の情景(マンダラ絵)が、リサ・ランドールの説く五次元の世界と良く似ているのは偶然なのか?
no.619 ( 記入なし11/09/26 04:47 )
ソウカは信者の財産を根こそぎ奪った。仏教は当然の如く生者に金要求してきた。キリスト教もそうだ。
宗教とは金の亡者団体でしかない。
初期は違ったんだろうが、哀れだ。
no.620 ( 記入なし11/09/26 05:53 )
ダライが次のダライ認定したことない…中国非難
【北京=大木聖馬】中国外務省の洪磊・副報道局長は26日の定例記者会見で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が90歳前後になった際にダライ・ラマ制度の再検討を行う方針を示したことに対して、「ダライ・ラマ14世も当時の(中華)民国政府の認定を受けた。
ダライが次のダライを認定したことはない。いかなる生き仏の転生(生まれ変わり)も宗教の習わしや国家の法律法規に従うべきだ」と非難した。(読売新聞)
※中国はチベット仏教に関係ない。干渉するな。チベット仏教を中国仏教にするつもりだろう。誰か止めて!
no.621 ( 記入なし11/09/27 00:38 )
創価学会幹部 「ポスト池田は現執行部による集団指導体制」
2011年12月22日07時00分提供:NEWSポストセブン
1930年に前身の教育団体、創価教育学会が誕生してから81年、戦後高度成長と時を同じくして爆発的に増やした信者数は、1000万人以上ともいわれる。創価学会という特異な宗教団体と池田大作というカリスマ指導者に迫った週刊ポストの連載『化城の人』。ノンフィクション作家・佐野眞一氏は、“池田会長重態説”についてこう綴る。(文中敬称略)
* * *
創価学会が不気味な沈黙をつづけている。池田大作名誉会長が公式の場から姿を消してすでに一年半あまり経つからである。東日本大震災に際しても、宗教団体のトップなら当然出すべきコメントも出していない。これはどう考えても、創価学会にただならぬ事態が起きている証拠である。いま池田大作の周辺には、不穏な噂ばかりが広がっている。
脳梗塞の後遺症による発語障害があり、完全看護の車椅子状態。認知症も進行し、大幹部の顔すら分からなくなっている……。池田大作重態説は日を追って真実味を増し、Xデーへのカウントダウンも始まったと言われる。
創価学会がトップの病状をひた隠しに隠すのは、いまに始まったことではない。二代目会長の戸田城聖は昭和三十二(一九五七)年十一月、肝硬変で病床に着いた。だがこれは極秘とされた。「聖教新聞」は翌年四月二日に五十八歳で急性心不全により死ぬまで、「かぜ気味」「流感にかかっただけ」「いまは全快」とウソをつきつづけた。
池田は二〇一二年一月二日の誕生日がくると、八十四歳になる。創価学会は本来なら盛大に誕生祝を行いたいところだろう。なにしろ学会員からは“生き仏”とまで崇められた人物なのである。
だが、誕生日を祝う場に池田大作が臨席することは、それこそ宗教的奇蹟でも起こさない限り、まず絶望的である。創立八十二年を数える創価学会は、創立以来の重大な転機を迎えている。池田大作亡きあとの創価学会はどうなるのか。入信歴四十年というある幹部は、絶対匿名を条件にこう語る。
「はっきりした予想は難しいけど、現執行部による集団指導体制になると思う。というのは、池田が以前から世襲制を否定しているからだ。池田がそう約束している以上、女房の香峯子や長男で創価学会インタナショナル副会長の池田博正にあとを継がせることは、いくらなんでもできない。
いまの執行部が『池田先生の教えではこうなっている』と、池田の遺した言葉を利用しながら指導していくしかないと思う。第一、池田の女房にしても息子にしても、池田のようなカリスマ性はない。カリスマ的会長は池田の時代で終わりだね」
(連載『化城の人』第1回より抜粋)
※週刊ポスト2012年1月1・6日号
no.622 ( 記入なし11/12/22 15:27 )
惚けちゃえば有今日宗教も減ったくれもないよ
no.623 ( 記入なし11/12/22 19:17 )
私は妙心寺派臨済宗を信仰しております。
no.624 ( 南無釈迦尼佛12/02/22 17:50 )
地元の、一畑山薬師寺、というお寺が一番好きで、よく行きます。温泉もあるのでそれに入るのも楽しみです。
no.625 ( るりこう12/02/22 18:45 )
島根一畑薬師、分霊所、臨済宗妙心寺派、愛知県一畑山薬師寺。
624の方、奇遇ですね、妙心寺派臨済宗。
no.626 ( るりこう12/02/22 18:47 )
中国がネパールに接近、仏教外交を展開=これに仏教の“本家”インドが反発―米紙
http://news.livedoor.com/article/detail/6404968/
★ 中国は宗教にも国家の思惑を強引に取りこませるから中国の宗教は信用できない。
no.627 ( 記入なし12/03/26 22:12 )
現在、インド仏教の指導者は日本人らしいですね。
no.628 ( 記入なし12/03/26 22:15 )
仏教徒(宗教全般)だからといって人間性が素晴らしい人ばかりかというとそんなわけもないし逆に本当に尊敬できる人はごく少数しかいない。
no.629 ( 記入なし12/03/26 22:22 )
葬式坊主くそくらえ
no.630 ( 記入なし12/03/29 19:49 )
古くから伝えられてきた仏教にも誰が提唱したか不明な真偽が怪しい経典などあるものです。
しかしながら内容的には優れているがために正統仏教に組み込まれ数多くの経典の中でも1・2を争う優れた経典になっていたり上位に列挙されているのです。
その経典とは例えば法華経であり般若心経であります。釈迦が伝えた経典ではないとも
謂われておりそれなのになぜ釈迦仏教に組み込まれているのでしょうか。
誰か仏教に詳しい方は解説してもらえませんか。
no.631 ( 記入なし12/04/05 08:46 )
浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120405#p1
no.632 ( 記入なし12/04/05 09:49 )
法華経や般若心経が誰の教えだったのか?
そんな事はどうでもいいと思います。
その教えが、あなたの人生で、
役にたつのかどうかという事が重要だと思います。
僕は上手く話しを伝えるのが下手なので、
『法話』『説法』とかで検索して調べてみてください。
実に面白く、わかりやすい話しが色々とありました。
ちなみに僕はご利益宗教があまり好きではありません。
願いが叶います!病気が治ります!幸福な人生になります!
とか、そういうのが嫌いですね。
本当の仏教とは『苦しみの原因は執着だよ、過度な欲望だよ』
ちょっと説明不足ですみません。
そんな短く簡単な教えを説くのが仏教だと思います。
なぜ苦しみの原因は欲望と執着なのか?
こういう事を理論的に現実的に例え話しで説くのが仏教です。
説明不足、説明下手ですみませんね。
お話しはプロの人がいいでしょう。
『説法』『法話』とかで調べてみてください。
仏教とは現実直視です、現実主義です。
天国がありますよ、とはいいません。
仏様が助けに来ますよともいいません。
誰も助けてはくれません。
あなたを助けるのは、あなただ!という
手厳しい現実主義の教えです。
僕が今、行きついた所は
『奉仕活動をしなさい』ということです。
口だけで奉仕活動をしない宗教家は嘘っぱちです。
すぐに怒りだす宗教家も嘘っぱちです。
嘘っぱち宗教家にはお気をつけください。
実際に会った事はありませんが、
亡くなった人ですが、
マザーテレサが本当の宗教家だったと思います。
カトリックですけどね…。
no.633 ( ゆとり12/04/18 02:29 )
本当はお肉食べたいのに精進料理で豆腐を肉に見立てて食べてる仏教だっけ
no.634 ( 記入なし12/04/18 02:56 )
仏教でも今では宗派が色々とあって、
それぞれの教えが違います。
ちなみにお釈迦様は腐ったブタ肉を食べて
中毒死しました。
その料理を提供した男性がみんなから責められる事を
心配して、お釈迦様はその男性に対して、
『最高の供養を受けた者である』と
感謝の気持ちを伝えたらしいです。
ちょっと言葉が違ったかもしれませんが、
内容はそんな感じです。
知ってたらすみません。
腐ったブタ肉食べて中毒死です。
キリストのように死んだ後に生き返ったりしません。
神だの宇宙人だのという人達もいますが、
お釈迦様は僕達と変わらない普通の人間なのです。
僕はそう思います。
no.635 ( ゆとり12/04/18 04:05 )
人間とは不思議なもので悪人と思われる人でも自分が好む相手には常に笑顔で
真摯に対応しているように見える。
しかし自分のような気が弱くて糞まじめでただ親切にしたりするのを心がけてるだけの
臆病者はどんなに親切にしてやさしく接しても受け入れてもらえないことが多い。
反面、人間性は良くなくても魅力があるのか人に好かれる人も多い。
人生というのは難しいものだと思った。そこで本題にはいるが仏教的観念から考察するに人というのは相手によって仏の境涯になったり悪魔や鬼のような境涯に変化するのを
見てきて好き嫌いや相性というものが多分に影響してるんだろうけど人間って考えれば考えるほど不思議な生き物だと思った。善人とか優しさだけで好かれるわけじゃない。
悪人でも好かれる人も多い。人生とは奥が深い。。。
no.636 ( 記入なし12/04/18 19:42 )
悪人を全部殺しても(妄想)残った人間の中から悪人が出てくる
no.637 ( 記入なし12/04/18 19:47 )
他人を事故中自己中と言った時点で自分も自己中になってしまう 矛盾が生じる
no.638 ( 記入なし12/04/18 19:49 )
自己中な人を自己中といえばその人も自己中という理屈がわかりません。
それをいえば泥棒に泥棒と叫んで捕まえればその人も泥棒なの?おかしいですね。
no.639 ( 記入なし12/04/18 19:51 )
自己意識取り扱いの問題でつね。
他者への批判がつまり自省の働きを介し罪の意識となって自己に帰ってくる。
ここで自己矛盾でつ。
誠実なる意志の人ならば一度は誰でも通る門でつね。
no.640 ( 記入なし12/04/18 21:16 )
他者への批判して自省する事柄もあればそうでない事柄もある。
640がどのような人物なのかわからないが言ってる内容から反省する事柄が
たくさんある人なのだろう。しかしだからといって他の人も同じだと考えるのは浅はかであります。他者へ批判して自省して罪の意識・・・自分に関してはそういうことはありません。
自分はそんな他人に対して酷いことをしてきた経験は皆無なので。
ただくだらない内容で言い争いになり言い過ぎちゃったかなと反省するときはあります。しかしそれでさえも自分に対する罪だと感じることはありませんね。
争う内容的には相手が悪いことが多いので。
no.641 ( 記入なし12/04/18 22:31 )
聖書か黙示録かなにか忘れましたけど、
キリスト教の話しで、
『神は悪魔に1/3だけ飢饉と破壊と死の自由を与えた』と
言っていました。
話し忘れたので少し違いますけど、
ふむふむ、と考えさせられました。
悪も少しは必要なのかな…と。
ただ、悪をやれば、
その人は他人から嫌われる、恐れられる、恨まれる。
自分にとって、いい事がほとんどありません。
できれば悪事は避けたいものですね。
no.642 ( ゆとり12/04/18 22:37 )
仏教ってなんでガンダムでないの
no.643 ( 記入なし12/04/18 22:40 )
本題ですが人間はなぜある人には仏のように接し、ある人には鬼のように接するのですか。例えば虐めをする人も当然仲の良い友人も居るわけでむしろ苛められる人は孤独である場合が多いです。
そして人生に於いても虐めをするような人のほうが幸せであることが多いようです。
このような現象を仏教的にはどのように解釈されるんでしょうか。
どなたか理論的に仏教的に説明できる人、よろしくお願いします。
no.644 ( 記入なし12/04/18 22:40 )
644さん、僕がお答えしましょう!
いや、答えるのは無理ですが、
少しでもアナタのお役にたてればと……。
まず幸せな人は虐めなどしません。
虐めをする人は怒りの心を持っています。
仏教では、貪り、怒り、愚痴の三毒は、
心身をダメにするからきおつけなさい。
と言っています。
虐めをする人は自分も親から、
そう教えられてきたから真似してるだけです。
いつも心はイライラしてるから、
何かに八つ当たりをしたい。
強い人にあたると逆に虐められる。
だから弱いものにいく。
弱い人も悪い。なぜか?
だって弱い人は他人が虐められてても、
助けないでしょ?
結局、悪い者同士が争っているだけ。
弱い人は愚痴や貪りの心が強いのかもしれません。
類は友を呼ぶということですかね?
すません(∋_∈)
『説法』『法話』で検索されたほうがいいでしょう!
中には面白い法話が色々とありましたし、
向こうは仏教のプロですからね!
no.645 ( ゆとり12/04/19 13:39 )
『説法』『法話』で検索
おもしろいです
no.646 ( 記入なし12/04/19 14:58 )
645 ゆとりさんお返事ありがとうございます。面白い法話、検索してみます。
no.647 ( 記入なし12/04/20 00:55 )
るりこう氏は宗教について考え方を改めてくれたのかどうかが気になる。
no.648 ( 記入なし12/07/28 08:02 )
人間は行動によってのみ決まる。 仏陀
no.649 ( るりこう12/07/28 10:24 )
真理よ、真理よ、大いなる真理よ、本当の幸福を、もたらしたまえ! 般若心経。
no.650 ( るりこう12/07/28 10:28 )
仏教は海外の宗教と違い理論的には優れた宗教であるとは思いますが
つまるところ、結局どうすればいいの?って感じ。
肝心な結論が見出せない。そして海外の宗教と同様、多くの解釈が生まれ人類を混迷させた罪は大きい。
no.651 ( 宗教の真理を問い詰める者12/07/28 11:40 )
教結
仏頂面ならしょっちゅうですが
結局極められるものでもないしそんなレベルとんでもないが
まあ時にそういうことを考える
一生考えない人もいるんだろうけど 組織い回出れば少しは気になる
no.652 ( 記入なし12/07/28 11:56 )
我々は確かに日本史に生きているが、同時に世界史にも生きている。
「海外」とか「外国」ではなく、ちっぽけな地球に同居しているのだ。
そこんとこ、理解しないとね。 日本人には無理だと思うが・・・
no.653 ( 記入なし12/07/28 17:06 )
↑ ここは仏教のスレなんだけど何が言いたいんだろう。在日の方のような書き込みだ。
no.654 ( 記入なし12/07/28 17:08 )
4文字の人かな。
no.655 ( 記入なし12/07/28 17:08 )
しかしたしかに653も本当のことを言ってるように思うがW
no.656 ( 記入なし12/07/28 17:27 )
日本人の仏教は葬式仏教である 葬式を縁とした仏教知識
しかし今は芋逝きなどでたいりょうのじょうほうが得られる
つい昔はソウカの人ぐらいしか知識がなかった
あまちゃってなによあんたあまちゃんだね これが実態だった
no.657 ( 記入なし12/07/28 17:35 )
韓国人や中国人は他国の人や特に日本人とは仲良くしようという考えがないのに無理。
反日活動をやめないと永遠に仲良くは出来ないだろう。
日本人は優しいからつけこまれる。
no.658 ( 記入なし12/07/28 17:36 )
4月8日の、花祭り。降誕会。甘茶。なつかしいなあ。
no.659 ( るりこう12/07/28 17:37 )
るりこうさんは何宗の信徒でしたっけ。
no.660 ( 記入なし12/07/28 17:51 )
仏教、特に宗教は塀をつくってはいけない。塀の中に閉じこもり、ひとりよがりな
自己中になる。宗教には国境がないのだ。人が死んだら世界中の死者があつまって
会話をしても、どこの国からきたかは問わないだろう? 仏(ほとけ)も神も国境
はないのだよ?
no.661 ( 記入なし12/07/28 17:54 )
死者に国境はあるかって??ドイツ人イラク人日本人?
仏教書のなかにはそんなことは書いてないよビートルズのイマジンみたいに
no.662 ( 記入なし12/07/28 18:07 )
またおかしくなったな
no.663 ( 記入なし12/07/28 18:11 )
攻撃的な性格の人が宗教を信仰するとやばいことになる。
no.664 ( 記入なし12/07/28 18:14 )
日本や世界中の宗教絡みの悲惨なニュースを見てると優しい人しか信仰するべきではないと思う。
no.665 ( 記入なし12/07/28 18:17 )
仏の顔も三度まで
(´∀`)
↓
(´∀`)
↓
??(゜Q。)??
殺すぞワレ〜!!
(ダウンタウン浜田に変身)
↓
(´∀`)
no.666 ( 記入なし12/07/28 22:25 )
「生き仏」に合掌する信者…感激で涙ぐむ女性も
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121109-OYT1T01593.htm?from=main6
※、7年かけて地球1周分の約4万キロを巡拝する「千日回峰行」はともかくとして
12年間比叡山から出ない修行っていうのはそんなに過酷なのかなあ?
戦時中の時のように食事も自分で調達したりテレビもパソコンも何もない環境下なら
多少過酷かもしれないけど食事とか弟子の坊主が持ってきてくれるならその時会話もするだろうし12年間全くの孤独でもないだろうし自然が好きな人ならむしろ快適なのでは。
no.667 ( 記入なし12/11/10 09:57 )
記事中に実施100日前(7月25日)から五穀と食塩を断ってきた光永師。大護摩供中はさらに断食・断水・不眠で、3時間おきに1日8回、信者の願いが成就するよう護摩木を燃やし続けた。とあるが、
断食期間だけは自分はもっと長い経験がある(金がなかった)けど断水に不眠もでは
確かにそれは過酷で辛そう。泊まる金も無く何日か連続で不眠で12時間働き続けた経験もある。自分の場合は宗教的な修行というわけではないけど・・・。
no.668 ( 記入なし12/11/10 10:06 )
三國連太郎と沖浦和光の対談読むと、仏教も悪くないかな?という気持ち・・・・・・・
no.669 ( 記入なし12/11/10 10:42 )
仏教はすばらしいですよ
神道もすばらしいです
俺に言わせれば、宗教を持たない人は気の毒です
no.670 ( 記入なし12/11/10 20:29 )
どう言う訳かわからないが、カトリックや聖教キリスト教から仏教に改宗する外国人が増えてる、理由は、何事も神にすがる教えと違い自分自身で道を悟のが良いらしい
no.671 ( 記入なし12/11/12 07:51 )
自分は宗教は信じていない。本当に存在するならいつまでも殺伐とした社会であるわけがないし地球の環境も悪くしないはずだ。
ただ宗教談義は好きだ。
no.672 ( 記入なし12/11/30 09:19 )
釈迦よ今何してる。俺の話を聞いてくれ。
no.673 ( 記入なし12/11/30 09:38 )
ブッダは人生の末期に、こういう感じのことを言ったと覚えます
・私が言いたいことは全て言った
・私が亡き後、それら真理(ダルマ)とあなた自身をよりどころにしなさい(他人に頼らないようにしなさい)
no.674 ( 記入なし12/11/30 10:30 )
日本仏教の発祥は大阪の四天王寺にあり。聖徳太子が建てた四天王寺。素晴らしい。
no.675 ( 記入なし13/01/15 19:50 )
うちの地元の薬師さんはすごいよ、ご遷化(他界)された先代が、生きたほとけ、生き仏、薬師如来さま、だったそうな。
no.676 ( 記入なし13/01/15 21:22 )
4月8日の、お花祭り、灌仏会、降誕会、が楽しみです。お寺で、釈迦誕生仏、に甘茶をかけるのが好きです
no.677 ( 同行二人13/01/15 21:58 )
釈迦は悟りを開いたならなぜ人類を惑わせるようなややこしいお経をいくつも作ったのか。なぜ書物を書き残さなかったのか。どこの誰が書いたか分からないお経など信用できるだろうか。
マニ教のマニは宗教家としては始めて絵や文字などで宗教書を作った。
残念ながら滅ぼされたので書物はわずかしか現存していないが素晴らしい物だったらしい。釈迦やキリストその他の宗教家はただの人間だったようにしか思えない。
no.678 ( 神様って何人居るのかな13/02/12 10:25 )
釈迦が歴史上聖人化されてるのは、釈迦族の王子だから。
カーストの身分の低い人が覚りを開いてたら、歴史に残らなかった筈。
no.679 ( 記入なし13/02/12 14:36 )
釈迦は女性は不浄とし側に近付けなかったがひとりの弟子が懇願して一人だけ女性を弟子にした、何でだろうホモか
no.680 ( 記入なし13/02/13 19:33 )
仏教では本来は出家した人間は結婚してはいけないんです。
no.681 ( 記入なし13/02/13 19:34 )
うちの寺の住職はいい加減ななまくさ坊主、跡継ぎの息子も生意気で、死んでうちの墓に入りたくない。
no.682 ( 記入なし13/02/13 19:40 )
大乗仏教が伝わった日本は、現在葬式仏教でしかない。
no.683 ( 記入なし13/02/13 19:42 )
髪も伸ばして、酒も飲むし焼肉も食べるし、結婚して子供もいるし、ベンツに乗ってるし、境内で駐車場・幼稚園等の経営してるし、坊さんのユニフォーム(袈裟)を着ていなければ世渡り上手なおじさんだね。
no.684 ( 記入なし13/02/13 21:09 )
チベットやインドその他仏教国を見てると仏教国でも不幸な人が多い。
釈迦よ、これはどういうことなのか。
no.685 ( 記入なし13/02/14 08:03 )
>no.685
そうでしょうか・・
確かに物質文化的には立ち遅れていますが、精神文化的にはブータンの例を持ち出すまでもなく日本をはるかに上回る[幸福]を味わっているように思えます。
それからインドは仏教国ではありません。 ヒンズー教です。
no.686 ( 記入なし13/02/14 09:51 )
例えば韓国や中国日本でも仏教界の争いなどにより信者も巻き添えを食ったり
カルト教団も多く騙されて入会して家族と揉め事起こしたり相談したりするケースも目立ちますよ。
no.687 ( 記入なし13/02/14 09:55 )
それからブータンはニュースでは世界一幸せな国と書かれてますが実際詳しい人の話に
よるとニュースなどは良い面ばかり書いてるだけで実際は悪い面もたくさんあるらしいです。ニュースなどを盲目的に全面的に信用しないほうがいいですよ。
no.688 ( 記入なし13/02/14 09:57 )
>no.688
言われるまでもなく、一面だけ捉えてそれが全てとするのは危険ですし、いままさに物質文明の津波が押し寄せてきているブータンは過渡的な状態にあり、電化製品普及による飢餓感の蔓延とかあることは知っています。
no.689 ( 記入なし13/02/14 10:14 )
そうですか。それがわかってるなら安心しました。
新聞やテレビを妄信してる人もいまだに多いですからね。
no.690 ( 記入なし13/02/14 10:18 )
ブータンの先々代国王の暮らしぶりを伝える番組を30年ほど前に見た記憶がありますが、
朝は麦の粉を白湯で練った物を湯飲み茶碗一杯だけ、それを食べた後は毎日家々の煙突から煙が立ち上っているのを確認しながらお散歩を一時間。
これが国王陛下の暮らしとは信じられないほど質素なものでした。
そして、感動的なのは散歩の途中、行きかう全ての人々が立ち止まり国王に対して合掌し深々とお辞儀をするのです。
これは老若男女例外なくです。
その番組を見て、日本人より貧しいけどはるかに幸せそうだと感じました。
no.691 ( 記入なし13/02/14 10:35 )
そういうテレビ番組は良い面しか映さないからね。
自分は実際に旅行に行った人から話を聞いたので善良な人ばかりだとは思ってませんし
政策も良い事ばかりだとも思っていません。ただ日本と比べてどちらが幸せに感じるかわかりませんが人それぞれでしょう。
no.692 ( 記入なし13/02/14 10:40 )
「人それぞれ」が出たら議論終了! ですね(^-^)
no.693 ( 記入なし13/02/14 10:49 )
>690
県立図書館で新聞を読み比べていて感じたのですが、地方紙のほうがアツくないですか?全国紙はヌルいというか、諦観している・・・・・
no.694 ( 記入なし13/02/14 22:34 )
同行二人さんは仏教には興味ないのかな。
西洋の宗教の方が道理的にはおかしいと思うんだが・・・・
まあ宗教自体全部おかしいけどね。
no.695 ( 意見あり!13/03/09 12:02 )
四箇の格言
「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」
no.696 ( 記入なし13/03/18 21:43 )
色即是空は観念論や否や?有るものがなぜ空なのか??虚無か?実存か?
はたまた自己中か?
no.697 ( 記入なし13/03/18 22:35 )
自分は何も信仰をしていないけど、ナンミョー位は知っている
前に怖い夢を見た時に夢の中で
『ナンミョーホーレンゲーキョー…ナンミョーホーレンゲーキョー…』
と何回も唱えた
そしたら幽霊らしきモノに
『そんなの効かないよ(ニヤッ)』
と言われた
no.698 ( 記入なし13/03/18 22:43 )
自分もいろんな人に聞いたことあるけどお経は効かないらしいですね。
強い気合いと度胸があれば幽霊は消えます。幽霊も強い人は怖いのでしょうか。
no.699 ( 記入なし13/03/18 22:55 )
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