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話題
学生時代を懐かしむスレッド |
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俺は昔から将来は暗いと思っていたぞw
no.2 ( 記入なし12/03/11 21:29 )
あの頃は勝ち組だったのに・・
no.3 ( 記入なし12/03/11 21:31 )
中高生のころは夢や希望があったよな
まさか新卒で就職できないと人生終了だなんて誰も教えてくれなかった罠
no.4 ( 記入なし12/03/11 21:36 )
学生の頃は明るい未来を描いていた。
だが今明るいのは頭頂部だけだ。
no.5 ( 記入なし12/03/11 21:40 )
中高までは世の中がこんなに格差社会だなんて思いもしなかった
世の中には自分より優れたやつがはいて捨てるほどいるとは思わなかった
no.6 ( 記入なし12/03/11 22:16 )
なんとなく楽しかったと思う
no.7 ( 記入なし12/03/11 22:20 )
自分勝手な奴ばかりだった・・・
no.8 ( 記入なし12/03/11 22:26 )
>学校は教えてくれなかったよね。世の中は不平等だと。
そうか?
日本社会は残業三昧で目茶苦茶長時間労働に耐えている人や
過労死が多い社会だと教えられたように思うが。
まあ、格差や不平等はあまり強調していなかったかもしれない
が、決してバラ色の社会だとは言われなかったはずだ。
no.9 ( 記入オレンジ12/03/11 22:37 )
中高時代にバラ色の夢があったという方は、日本は資源が豊富にあると思っていたのだろうね。
no.10 ( 記入なし12/03/11 22:44 )
>決してバラ色の社会だとは言われなかったはずだ。
たしかにちょっと違うなw
バラはバラでもイバラの道を歩んでいく社会と云われた記憶はあるw
no.11 ( 腐敗官僚12/03/11 23:00 )
薔薇色の夢は、小学生低学年まで!
それ以降高校までは、いじめや競争で世の中の厳しさを学ぶ!
大学に行って、また夢を見てニートになる!
no.12 ( 記入なし12/03/11 23:02 )
・小学校低学年、
学校生活は同級生による苛めの毎日だった。小柄で運動音痴の僕は苛めの対象となった。
一方で私生活は楽しかった。同じアパートの女の子達と小学校2年まではよく遊んでいた。
・小学校高学年、
学校生活は下級生による苛めの毎日だった。内気で運動音痴の僕は舐められていた。
私生活はファミコンの毎日だった。
公立小学校だから、テストは毎日学研の通信教材で少し勉強するだけで、100点取って当たり前だった。
地方の田舎在住だから、僕は天才だと思ってた。私立中学があることなど知らなかった。当然そこの受験レベルの高さなど知る由も無かった。
平凡ランク高校時代、
学校の勉強はそこそこ出来てたが、全国模試は全く出来なかった。馬鹿だとわかった。最低ランクの大学でさえE判定だった。
同級生も同じで「最低ランクのOO大学がE判定じゃあ、行ける大学ねえよ」と口々に言っていた。
僕は、特にやりたい仕事も無く、とりえあず大学に行くことにした。
1浪で最低ランクの文系大学に行った。
大学3年、
公務員になろうと思ったが、初級は高卒公務員だと知った。初級はランクの低い大卒公務員だと思ってた。
とくにやることもなくだらだらと過し、就職に失敗した。
僕みたいな学生生活を送った人たちが、ニートになったんだろうな。
女なら結婚・専業主婦という道があるのだが。
no.13 ( 記入なし12/03/12 18:40 )
夢は無かったけど、
希望はあった。普通の女と結婚して、とにかく何か仕事をして、平凡な結婚生活を送ってるという希望があった。
no.14 ( 記入なし12/03/12 18:43 )
平凡と言うと、ごく普通をイメージしますが、本当は稀なスター達の雑誌の名称なんだよね!
no.15 ( 記入なし12/03/12 20:12 )
平凡と明星をセットで購入して愛読していたあの頃。
no.16 ( 記入なし12/03/12 20:13 )
信用とか不信とかなかった時代あまりそういうことにらわれず 好きなこと互いに言ってたなあ
ああなつかしい
no.17 ( 記入なし12/03/12 23:14 )
うつ状態でほとんど登校せず
no.18 ( 記入なし12/03/13 11:30 )
>>13
やっぱり無職になるような奴ってそういう人ばっかりなのかね?w
できる人間なら無職にはなってないわけで…
no.19 ( 記入なし12/03/13 16:07 )
無職は、できる奴できない奴と言うより、
できても引きこもり傾向のタイプだと思う。
no.20 ( 記入なし12/03/14 10:26 )
なるほど
引きこもり系高学歴より低学歴dqnの方がコミュ力あって成功したりするもんね
no.21 ( 記入なし12/03/16 18:36 )
学生時代帰宅部だったり部活辞めたやつはたいてい無職になってるよね
やはり続けられない奴はドレリーマンとしては不適だからね だろ?
no.22 ( 記入なし12/03/25 15:52 )
中学入学式からやり直したい
あの頃から俺の人生いじめの復讐するためだけに生きてる
両親死んだら復讐して自殺するしかない
そのために15年以上も時間を費やしてきたんだ
今更引くに引けるか
やるしかない
no.23 ( 記入なし12/03/25 16:28 )
幼稚園時代、
空手をやってた奴からいじめられた。すぐに泣いた。先生に「泣き虫」と言われた。
同じアパートの女の子達とよく遊んでいた。
小学校時代、
小1小2、クラスメイトによるいじめを受けた。
小3、初めていけてない友達が出来た。幼稚園時代に僕をいじめた奴と同じクラスになったが1度も会話をしなかった。小3からはクラス替えが無かったが、引っ越した。
小4、集団登校で小6の奴にいじめられてた。
小5、近所の下級生に石をぶつけられ、下級生におもちゃの鉄砲で撃たれた。
小6、小5の奴に性的ないじめを受けた。
中学校時代、
いけてない友達が数人出来たり、吹奏楽部で部活を楽しんだりと、そこそこ楽しい学生時代を送った。
ただ、中3の夏に引越し、半年はつまらなかった。
中3三学期初日の席替え<班分け>の時、仲良し4人組の女子がいたが、1班3人で一人余るため、険悪な空気が教室に流れた。一人の女子が泣いたりと大変だった。1時間以上皆席に座って黙っていた。
僕は(クジにすればいいじゃん。誰かそれを言えよ)と思っていた。他の人も同じだっただろう。で、1時間後、先生が「クジで班を決めよう」と言いクジで班分けをした。
高校時代、
勉強が出来なくなった。友達が出来なかった。部活にも入らなかった。クラスメイトの友達のいない男を見る痛い目が嫌だった。
つまらない高校時代だった。
大学時代、
女子大生の服装・下は、95%以上ジーパンだった。
高校までのクラスというものが無く、僕と面識のある人以外、僕の存在を知らないから痛い目を気にしないでいいから楽だった。ただ楽しくは無かった。
ジャズサークルに入れば、楽しい大学時代を送れたのかと後悔している。
no.24 ( 記入なし12/07/17 20:59 )
>22 そういうアンタは何なのさ
no.25 ( 記入なし12/07/19 11:09 )
大学時代、中学の時の友達とよく飲みに行ってバカ話をやった。楽しかったな〜。
no.26 ( 記入なし12/08/28 23:54 )
小学3年の時、初恋をした。
頭脳明晰・運動神経抜群・学級副委員の女の子だった。
班分けは、まず班長(男子)を6人決めて、班長が班に入れたい男子二人・女子三人を選ぶというルールだった。
大人しい俺は最後まで余っていた。
3学期、誰かが「俺を班長に立候補する」と言い、俺が班長に決まった。
男子二人は、友達が二人いて確定したが、
女子三人は困った。最初に選んだのが好きな女子だった。ある意味告白・・・。後は、可愛いくて大人しい女子を選んだ。
好きな女子と昼飯や班で何かをする時、たまに会話した。
3学期が終わり、俺は転校した。
中1の時、2度目の恋をした。
俺は吹奏楽部だったが、彼女も同じ吹奏楽部で、フルートを吹いてる頭脳明晰・運動神経抜群の女子だった。
小学校から一緒のクラスだったが、好きになったのは中学生になってからだった。
フルートを吹いている彼女の唇を(キスしたい)と思いながら見ていた。
たまに会話した。3年の時同じクラスになったが、彼女はドラえもんのジャイアンのような男子とつきあっていた。
大学生の時、3度目の恋をした。大学は県外で、初めての一人暮らしだった。
彼女を見て直感でわかった。俺と同類、ボッチだと。女で俺と同類に会ったのは初めてだった。
大学が小規模なので、1日に1回は必ず、大学のどこかで見かけすれ違っていた。同じ学科なので、ほとんど同じ講義を受けていた。彼女を見かけると嬉しかった。
彼女も俺の存在に気づいてるようだった。
大学2年の秋、ゼミのクラス分けの名簿が貼られてる教室に入ると、彼女がいた。二人きりだった。
俺と彼女は、二人っきりの空間を5分間過ごした。お互い語らず黙っていた。やがて、他の学生が来て、彼女は出て行き、俺も出て行った。
大学3年から、彼女を週に1度の割合でしか見かけなくなった。
講義がたくさんある中からの選択だった。彼女と同じ講義だったのは2つだった。
大学3年の講義は、つまらない講義で、出席率5%くらいだった。先生は黒板に何も書かず、全く意味の無い講義だった。
大学4年の時、講義は週に1度のゼミUだけで、彼女とは全く見かけなかった。
でも、大学4年の1月、翌日実家に帰ることになった最後の日に1度だけ彼女を見かけた。
俺は(今日で大学は最後か。のんびりした学生生活だったな)と感傷に浸りながら、学食でカツどんを食べ、帰りに書店に寄った。
数分後、隣に彼女が来た。
(これって偶然?彼女の意思?俺が話しかけるのを待っているのか?)と俺は思った。
俺と彼女は、ずっと同じ場所で立っていた。
(周りのヤツラは、ずっと同じ場所に立っている俺と彼女は、カップルと思ってるのだろうか?)と俺は思った。
15分過ぎた。
(もし、今が大学2年、3年なら、彼女も俺に好意を持っていればお互い両思いで、ここれから付き合えるかもしれない)と俺は考えた。
だが、今は大学4年で、1月で、今日の夕方両親が来て、翌日俺は実家に帰ることになっていた。
それが、俺の行動を決定づけた。俺は何も言わずその場を立ち去った。
3月、卒業式が終わり、謝恩会がホテルで行われた。席はゼミの班だった。
ゼミで知り合った知人は誰一人おらず、始まって5分後、俺は帰ることにした。
会場を出ると、ドアの近くの席に、彼女がいた。他にも女子卒業生が10人くらいいた。彼女達は全員黙って座っていた。俺は、ここにいる10人の女子卒業生は、全員ボッチで大学を過ごしてきたのだと直感でわかった。たまにボッチでいるところを見かけた女もいたからだ。
(今日、彼女達はお互い初めて会ったのだろう。もし学生時代にお互い知り会ってたら、彼女達はお互いに友達になってただろうな)と思いながら、好きだった彼女をもう一度見て、俺は立ち去った。
no.27 ( 記入なし12/08/30 23:08 )
学生時代帰宅部だったり部活辞めたやつはたいてい無職になってるよね
やはり続けられない奴はドレリーマンとしては不適だからね だろ?
↑これは俺にぴったり当てはまった
そしてこういう傾向を理解してかできずにか俺を放置した両親もマヌケだ
俺の親ってホント虫か小動物かみたいなやつらだったなあ
バカすぎ
no.28 ( 記入なし12/08/31 05:28 )
同じ仕事でも、学生時代のバイトはなぜ、あんなに楽しかったんだろ〜な〜
no.29 ( 記入なし12/08/31 16:30 )
大学1年
・3月
隣県の大学に合格し、一人暮らしをするとことになり、父と4年間過ごすアパートを探しに行った。
木造2階建てボロアパートに決まった。
ボロアパートを見ながら、(友達が出来て馬鹿騒ぎしたり、彼女が出来てアパートに入れて食事を作ってもらったり出来るかな)と思った。
・4月
4月中旬、呼びかけられた。Iだった。「お前もここか?」
「うん」
「中学、高校、予備校、大学とお前と一緒か」
「そうだね」
などと会話をした。Iと初めて話したのは予備校の時。一緒のクラスになったのも予備校の時。
Iとその次に会ったのは、翌月の5月。Iは大学で出来ただろう友達と、食堂で食事を食べていた。
「お前、何かサークルに入ったか?」
「空手部に入った」
「まじか」と会話をし、別れた。
その次に会ったのは、大学3年の6月、大学で偶然会い、昼食をお互いに今までの大学生活の話をした。
それまで、大学内でIを見かけたことも無かった。中学・高校・予備校と同じ学校なのに縁が無かったのだろうか?
「何かちゃらちゃらしたサークルに入れば良かった」とIは言った。
「俺も、空手部じゃ無くて、ジャズサークルに入れば良かった」と言った。
「ジャズサークル?」
「中学の時、吹奏楽部だったから」などと会話をし、「また会おう」と言い別れた。だが、2度とIと会うことは無く大学を卒業した。
4月下旬、空手部がジャズサークルにどちらかに入ろうと思っていた。吹奏楽部が良かったのだが吹奏楽部は無かった。迷ったあげく、空手部に入った。
・5月、
体育のバドミントンで知りたった学生達と知人関係が出来た。
たまに、一緒に昼食を食べたり、お互いの家に行ったり、カラオケに行ったりした。
でも、大学3年から無意味な講義が始まり、大学内で会うことは無くなった。たまにすれ違い挨拶するだけだった。
大学3年が終わった3月に、就職合同説明会が県の街中のアリーナで行われ、その帰り、知人達と久々に会い、一緒に昼食を食べた。
「じゃあ、またな」と言い別れたが、2度と彼らと会うことは無く、大学を卒業した。
この頃、大学生活に慣れてきた頃、大学内で気になる女が出来た。NO.27
・6月、
空手部の先輩の紹介で、1日だけの夜勤のバイトをした。初めてのバイトだった。ダイレクトメールのバイト。広告を封筒に入れるバイトだった。けっこう面白かった。夜勤のバイトでわくわくしていた。
・7月、
初めて空手の組み手をした。それまで基礎練習だけで、それなりに楽しかったが、組み手を始めた時から、空手をしなければ良かった。ジャズサークルにしとけば良かったと思った。
・10月、
大学祭が行われた。空手部は焼きそばの屋台で、俺は麺を割り箸でほぐす係りだった。
夜中、キャンプファイヤーが行われ、最高潮に盛り上がった。俺もハイな気分になった。
最後、ステージで誰でも参加が出来るダンスが行われることになったが、偶然知人と会い、一緒にステージで踊りまくった。楽しい大学祭だった。
・11月、
大学空手道全国大会が東京で行われた。年1回、東京と大阪で交互に行われる。東京は全国の大学の空手部が参加出来る大会、大阪は予選で勝ちあがったところだけ。
大学1年は寝台列車で東京に行くこととなった。初めての寝台列車だった。眠れなかった。
翌朝、東京に着いた。(俺は東京の地に降り立った)と興奮しながら東京駅を出た。
皇居の周りを歩き、原宿に行った。俺は、別に行きたいところではなかったので、どうでも良かった。
午後、ホテルは東京ドームの近くで、東京ドームでチェックインの時間まで、休むことにした。
他のメンバーはどこかに行き、俺は東京ドームで一人座っていた。気の会わないメンバーと別れてほっと一息つき、改めて(東京に来たんだ)と思っていた。
翌日、1回戦で負けて帰った。
・3月、
空手部の監督の紹介で、選挙活動のバイトをした。演説会場の設営のバイトだった。
寺や小さな公民館で行われた。壁にポスターを貼って、椅子を並べ、演説を聞きに来た人たちに挨拶をするという簡単なバイトだった。
(仕事って、簡単で楽しい。仕事って楽勝だ)と思った。
no.30 ( NO.24、2712/09/06 19:13 )
大学2年
・4月
空手部に後輩がかなり入ってきた。うち二人は俺と同じ普通の体格だったが、残りはでかかった。
1年上の先輩達は、身長俺と同じ普通。2年上の先輩達は、俺より低かった。同輩達は、じゃっかん背が高かった。
(嫌だな)と俺は思った。
後輩は俺より体格がでかいので、組み手は嫌だった。俺と同じ体格の後輩の二人とは、結構仲良くなれた。
体育は卓球を選択した。バトミントンで知人が出来たが、友達は出来なかった。卓球なら友達が出来るだろうと思ってたが、もうすでにグループが出来ていて、俺が入る隙は無かった。
独り隅に座っていた。誰の俺に話しかけなかった。体育館のロビーに行ったり、トイレに篭ったり、通路を意味も無く歩いていた。
帰りに、出席名簿にチェックをつけなければならなかったので、帰るわけには行かなかった。
後は、大学1年の時と同じ。大学祭では、知人達とステージの上で踊りまくった。
大学3年、
知人達と大学内で会うことはほとんど無くなった。
つまらない講義だった。俺は経済学科だったが、経済の勉強より法学・心理学・生物などの経済以外の講義の方が面白かった。
・5月、
初めて飛行機に乗った。飛行機から見える景色は最高だった。沖縄に行った。沖縄で開かれた西日本大学空道の大会に出場するためだった。沖縄は湿度が低いためか、本州より肌寒かった。
沖縄を旅行した。大会より旅行メインだった。
俺は初めて試合に出た。強かったからじゃく、3年は4人しかいなかったからだ。3年全員大会に出なければならなかった。勝ち負けなどどうでもよかったのだった。1回戦で5人全員負けた。
・11月
2度目の東京への旅行だった。全国大学空手道の大会のためである。当然旅行メインだった。
新幹線で東京に行き新宿で降りて、新宿近くのホテルにチェックインした。その後は個人行動だった。俺は山手線一周をしてみたかったので、それを一人でした。他のメンバーはいない方が気が楽だった。途中、東京タワーに登った。金曜の夜なのに人が思った以上に少なかった。カップルが数組いただけだった。
翌日、受付を済ませた。それから個人行動だった。俺は電車で葛飾区亀有に行った。漫画『こち亀』の影響である。亀有に行ったもののマンションだらけで、交番を探すのは諦め、戻ることにした。
歩いて柴又まで行き帝釈天に行った。日暮れ直前だったためか、人が誰もいなかった。
翌日、試合が行われた。5人とも1回戦で負けた。それから試合を見た。180cm以上80kg以上の巨漢の選手を見た。俺達が1回戦で戦った相手は、運良く普通の体格だったが、巨漢の選手を見たとき、後輩と「あんなのと絶対戦いたくねえよ」と言った。
1月、就職を考え地歩公務員初級試験の参考書を見た。初級は20歳未満だと書いてあった。初めて知った。中級レベルはFランク大学の俺では無理だった。
大学4年、
この年、エヴァンゲリオンが日本中で、アニメ好きの人たちの間で大フィーバーした。
空手部を引退し、就活とエヴァの日々だった。就活ビデオ録画して毎日エヴァを観ていた。
面接で、俺は配送や清掃を希望したが、「大卒にそういう職種は求めてない」と言われた。清掃も営業や資格とかで、大卒者はただ掃除をすればよいというものではなかった。
就職が決まらず、大学を卒業した。
no.31 ( NO.24、2712/09/06 20:26 )
>no.31
まだ、続く?
よく覚えてるね〜
no.32 ( 記入なし12/09/07 01:09 )
>no.32
他に、たいした思い出はありません。思い出が少ないからこそ、かけました。
大学の入学式が終わり、両親が実家に帰って行った。
(今日から一人暮らしが始まるのか)と思った。期待と不安が入り混じっていた。
夜、寝ることにした。
2DKのボロアパートだった。
パイプベッドを買ってもらい、パイプベッドで寝ようと思ったのだが、掛け布団が床に落ちた。
布団を床に置いて寝た。
パイプベッドは、布団の置き場や服を入れてる入れ物の置き場となった。
no.33 ( 記入なし12/10/31 19:24 )
高校時代
タイムカード があった。
朝 打刻 遅刻か否か担任に提出
帰宅時に返却される。
帰宅 打刻
自宅保護者が帰宅時間を記入、押印(届けた印)
※ 言うまでもないが、翌日担任が帰宅時間のチェックする。
通学時間をオーバーすると呼び出しまたは停学処分。
お陰で、覚えきれないほど停学処分を受けた。
卒業生に 大林素子が いる。
no.34 ( 記入なし12/11/01 20:55 )
幼稚園でさっそくイジメを経験した。空手をやっていた1番大きかった奴にイジメられた。
小学校1年でも、大きい奴にイジメられた。
小学校2年の時は、チビで非力で運動音痴で内気な僕は、クラス全員からイジメられた。
小学校3年の時、幼稚園の時に僕をイジメてた奴と同じクラスになったが1度も会話しなかった。
友達が出来たが、3月に転校した。
転校先は集団登校だったが、集団登校で6年生からイジメられた。
小学校6年の時は、チビで非力で運動音痴で内気なため、下級生に馬鹿にされた。
中学校1年の時、部活強制加入で卓球部と迷ったが、吹奏楽部に入る。中学校時代は友達も出来てそれなりに楽しかったが、中学3年の夏に転校。
高校1年の4月、吹奏楽部に入ろうかどうか迷ってるうちに1ヶ月経ち、部活入部期間が終わり、帰宅部になった。クラスで帰宅部は僕一人だった。クラス全員に馬鹿にされた。
部活をしてない僕は、週に1回の正課クラブに入った。部活をしてない学生が入るクラブ。図書クラブだった。1時間本を読んでいた。
高校2年、正課クラブに入るクラスメイトは半数以上いた。半数以上が部活を辞めていた。
昼休みは、一人で弁当を食べて、図書館に篭った。
高校2・3年の運動会は、参加せず、教室に隠れていた。
修学旅行のバスは、(誰が僕の隣に座るのだろう?)とビクビクしていたが、当日、運良く?バスの席が足りず、僕だけ補助席だった。1番前の補助席である。大人しいクラスメイトが前に座っていた。
修学旅行の班分けを決める時もビクビクしていた。運良く大人しいクラスメイトの班に入れた。
つまらない高校時代だったが、吹奏楽部に入れば、違った高校時代だったか?
大学時代は、〜NO30、31
no.35 ( 記入なし13/02/03 23:08 )
Dランク高校の時、野球部の応援に行った。
「OX高校<県内で1番偏差値の高いSランク高校>にだけは絶対に勝つぞ!!」と野球部のキャプテンは言っていた。
Dランクの高校生が偏差値の高いSランク高校に負けるということは、勉強でかなり負けてるのに、さらにスポーツで負けるということだ。
気合が入ったが、結局負けた。
1回戦で、Eランク高校には勝ったが、
2回戦で、Sランク高校に負けた。
大学の時、空手のサークルに入った。地方のFランク大学。
1回戦で、国立大学と試合をすることになった。
「国立大学か、楽勝だな」
「国立大学にだけは、絶対に勝て!!」と監督は言った。
でも5戦全敗だった。
俺らは平均身長172p、国立大学は平均身長180pだった。
国立大学の学生は勉強だけの非力で背の低い大学生だと思ってたが、実際は体格に恵まれていた。
試合の後、選手は監督に殴られていた。
空手の強さは、空手の名門大学>勉強の偏差値の高い大学>勉強の偏差値の低い大学だった。
スポーツで、国立大学の大学生だけには負けたくなかったなぁ・・・。
no.36 ( 記入なし13/10/28 22:43 )
小学生→天才
中学生→秀才
高校生→高校内では凡才。ただし、全国統一模擬試験では馬鹿、1問も出来なかった。
大学生→私立文型Fランク大学内の試験では秀才。ただし、就職対策試験模試は大学内でも鈍才。
no.37 ( 記入なし14/04/17 12:48 )
中学時代が、1番輝いてた。
no.38 ( スレ主15/07/16 19:37 )
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