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話題
学生時代を懐かしむスレッド |
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同じ仕事でも、学生時代のバイトはなぜ、あんなに楽しかったんだろ〜な〜
no.29 ( 記入なし12/08/31 16:30 )
大学1年
・3月
隣県の大学に合格し、一人暮らしをするとことになり、父と4年間過ごすアパートを探しに行った。
木造2階建てボロアパートに決まった。
ボロアパートを見ながら、(友達が出来て馬鹿騒ぎしたり、彼女が出来てアパートに入れて食事を作ってもらったり出来るかな)と思った。
・4月
4月中旬、呼びかけられた。Iだった。「お前もここか?」
「うん」
「中学、高校、予備校、大学とお前と一緒か」
「そうだね」
などと会話をした。Iと初めて話したのは予備校の時。一緒のクラスになったのも予備校の時。
Iとその次に会ったのは、翌月の5月。Iは大学で出来ただろう友達と、食堂で食事を食べていた。
「お前、何かサークルに入ったか?」
「空手部に入った」
「まじか」と会話をし、別れた。
その次に会ったのは、大学3年の6月、大学で偶然会い、昼食をお互いに今までの大学生活の話をした。
それまで、大学内でIを見かけたことも無かった。中学・高校・予備校と同じ学校なのに縁が無かったのだろうか?
「何かちゃらちゃらしたサークルに入れば良かった」とIは言った。
「俺も、空手部じゃ無くて、ジャズサークルに入れば良かった」と言った。
「ジャズサークル?」
「中学の時、吹奏楽部だったから」などと会話をし、「また会おう」と言い別れた。だが、2度とIと会うことは無く大学を卒業した。
4月下旬、空手部がジャズサークルにどちらかに入ろうと思っていた。吹奏楽部が良かったのだが吹奏楽部は無かった。迷ったあげく、空手部に入った。
・5月、
体育のバドミントンで知りたった学生達と知人関係が出来た。
たまに、一緒に昼食を食べたり、お互いの家に行ったり、カラオケに行ったりした。
でも、大学3年から無意味な講義が始まり、大学内で会うことは無くなった。たまにすれ違い挨拶するだけだった。
大学3年が終わった3月に、就職合同説明会が県の街中のアリーナで行われ、その帰り、知人達と久々に会い、一緒に昼食を食べた。
「じゃあ、またな」と言い別れたが、2度と彼らと会うことは無く、大学を卒業した。
この頃、大学生活に慣れてきた頃、大学内で気になる女が出来た。NO.27
・6月、
空手部の先輩の紹介で、1日だけの夜勤のバイトをした。初めてのバイトだった。ダイレクトメールのバイト。広告を封筒に入れるバイトだった。けっこう面白かった。夜勤のバイトでわくわくしていた。
・7月、
初めて空手の組み手をした。それまで基礎練習だけで、それなりに楽しかったが、組み手を始めた時から、空手をしなければ良かった。ジャズサークルにしとけば良かったと思った。
・10月、
大学祭が行われた。空手部は焼きそばの屋台で、俺は麺を割り箸でほぐす係りだった。
夜中、キャンプファイヤーが行われ、最高潮に盛り上がった。俺もハイな気分になった。
最後、ステージで誰でも参加が出来るダンスが行われることになったが、偶然知人と会い、一緒にステージで踊りまくった。楽しい大学祭だった。
・11月、
大学空手道全国大会が東京で行われた。年1回、東京と大阪で交互に行われる。東京は全国の大学の空手部が参加出来る大会、大阪は予選で勝ちあがったところだけ。
大学1年は寝台列車で東京に行くこととなった。初めての寝台列車だった。眠れなかった。
翌朝、東京に着いた。(俺は東京の地に降り立った)と興奮しながら東京駅を出た。
皇居の周りを歩き、原宿に行った。俺は、別に行きたいところではなかったので、どうでも良かった。
午後、ホテルは東京ドームの近くで、東京ドームでチェックインの時間まで、休むことにした。
他のメンバーはどこかに行き、俺は東京ドームで一人座っていた。気の会わないメンバーと別れてほっと一息つき、改めて(東京に来たんだ)と思っていた。
翌日、1回戦で負けて帰った。
・3月、
空手部の監督の紹介で、選挙活動のバイトをした。演説会場の設営のバイトだった。
寺や小さな公民館で行われた。壁にポスターを貼って、椅子を並べ、演説を聞きに来た人たちに挨拶をするという簡単なバイトだった。
(仕事って、簡単で楽しい。仕事って楽勝だ)と思った。
no.30 ( NO.24、2712/09/06 19:13 )
大学2年
・4月
空手部に後輩がかなり入ってきた。うち二人は俺と同じ普通の体格だったが、残りはでかかった。
1年上の先輩達は、身長俺と同じ普通。2年上の先輩達は、俺より低かった。同輩達は、じゃっかん背が高かった。
(嫌だな)と俺は思った。
後輩は俺より体格がでかいので、組み手は嫌だった。俺と同じ体格の後輩の二人とは、結構仲良くなれた。
体育は卓球を選択した。バトミントンで知人が出来たが、友達は出来なかった。卓球なら友達が出来るだろうと思ってたが、もうすでにグループが出来ていて、俺が入る隙は無かった。
独り隅に座っていた。誰の俺に話しかけなかった。体育館のロビーに行ったり、トイレに篭ったり、通路を意味も無く歩いていた。
帰りに、出席名簿にチェックをつけなければならなかったので、帰るわけには行かなかった。
後は、大学1年の時と同じ。大学祭では、知人達とステージの上で踊りまくった。
大学3年、
知人達と大学内で会うことはほとんど無くなった。
つまらない講義だった。俺は経済学科だったが、経済の勉強より法学・心理学・生物などの経済以外の講義の方が面白かった。
・5月、
初めて飛行機に乗った。飛行機から見える景色は最高だった。沖縄に行った。沖縄で開かれた西日本大学空道の大会に出場するためだった。沖縄は湿度が低いためか、本州より肌寒かった。
沖縄を旅行した。大会より旅行メインだった。
俺は初めて試合に出た。強かったからじゃく、3年は4人しかいなかったからだ。3年全員大会に出なければならなかった。勝ち負けなどどうでもよかったのだった。1回戦で5人全員負けた。
・11月
2度目の東京への旅行だった。全国大学空手道の大会のためである。当然旅行メインだった。
新幹線で東京に行き新宿で降りて、新宿近くのホテルにチェックインした。その後は個人行動だった。俺は山手線一周をしてみたかったので、それを一人でした。他のメンバーはいない方が気が楽だった。途中、東京タワーに登った。金曜の夜なのに人が思った以上に少なかった。カップルが数組いただけだった。
翌日、受付を済ませた。それから個人行動だった。俺は電車で葛飾区亀有に行った。漫画『こち亀』の影響である。亀有に行ったもののマンションだらけで、交番を探すのは諦め、戻ることにした。
歩いて柴又まで行き帝釈天に行った。日暮れ直前だったためか、人が誰もいなかった。
翌日、試合が行われた。5人とも1回戦で負けた。それから試合を見た。180cm以上80kg以上の巨漢の選手を見た。俺達が1回戦で戦った相手は、運良く普通の体格だったが、巨漢の選手を見たとき、後輩と「あんなのと絶対戦いたくねえよ」と言った。
1月、就職を考え地歩公務員初級試験の参考書を見た。初級は20歳未満だと書いてあった。初めて知った。中級レベルはFランク大学の俺では無理だった。
大学4年、
この年、エヴァンゲリオンが日本中で、アニメ好きの人たちの間で大フィーバーした。
空手部を引退し、就活とエヴァの日々だった。就活ビデオ録画して毎日エヴァを観ていた。
面接で、俺は配送や清掃を希望したが、「大卒にそういう職種は求めてない」と言われた。清掃も営業や資格とかで、大卒者はただ掃除をすればよいというものではなかった。
就職が決まらず、大学を卒業した。
no.31 ( NO.24、2712/09/06 20:26 )
>no.31
まだ、続く?
よく覚えてるね〜
no.32 ( 記入なし12/09/07 01:09 )
>no.32
他に、たいした思い出はありません。思い出が少ないからこそ、かけました。
大学の入学式が終わり、両親が実家に帰って行った。
(今日から一人暮らしが始まるのか)と思った。期待と不安が入り混じっていた。
夜、寝ることにした。
2DKのボロアパートだった。
パイプベッドを買ってもらい、パイプベッドで寝ようと思ったのだが、掛け布団が床に落ちた。
布団を床に置いて寝た。
パイプベッドは、布団の置き場や服を入れてる入れ物の置き場となった。
no.33 ( 記入なし12/10/31 19:24 )
高校時代
タイムカード があった。
朝 打刻 遅刻か否か担任に提出
帰宅時に返却される。
帰宅 打刻
自宅保護者が帰宅時間を記入、押印(届けた印)
※ 言うまでもないが、翌日担任が帰宅時間のチェックする。
通学時間をオーバーすると呼び出しまたは停学処分。
お陰で、覚えきれないほど停学処分を受けた。
卒業生に 大林素子が いる。
no.34 ( 記入なし12/11/01 20:55 )
幼稚園でさっそくイジメを経験した。空手をやっていた1番大きかった奴にイジメられた。
小学校1年でも、大きい奴にイジメられた。
小学校2年の時は、チビで非力で運動音痴で内気な僕は、クラス全員からイジメられた。
小学校3年の時、幼稚園の時に僕をイジメてた奴と同じクラスになったが1度も会話しなかった。
友達が出来たが、3月に転校した。
転校先は集団登校だったが、集団登校で6年生からイジメられた。
小学校6年の時は、チビで非力で運動音痴で内気なため、下級生に馬鹿にされた。
中学校1年の時、部活強制加入で卓球部と迷ったが、吹奏楽部に入る。中学校時代は友達も出来てそれなりに楽しかったが、中学3年の夏に転校。
高校1年の4月、吹奏楽部に入ろうかどうか迷ってるうちに1ヶ月経ち、部活入部期間が終わり、帰宅部になった。クラスで帰宅部は僕一人だった。クラス全員に馬鹿にされた。
部活をしてない僕は、週に1回の正課クラブに入った。部活をしてない学生が入るクラブ。図書クラブだった。1時間本を読んでいた。
高校2年、正課クラブに入るクラスメイトは半数以上いた。半数以上が部活を辞めていた。
昼休みは、一人で弁当を食べて、図書館に篭った。
高校2・3年の運動会は、参加せず、教室に隠れていた。
修学旅行のバスは、(誰が僕の隣に座るのだろう?)とビクビクしていたが、当日、運良く?バスの席が足りず、僕だけ補助席だった。1番前の補助席である。大人しいクラスメイトが前に座っていた。
修学旅行の班分けを決める時もビクビクしていた。運良く大人しいクラスメイトの班に入れた。
つまらない高校時代だったが、吹奏楽部に入れば、違った高校時代だったか?
大学時代は、〜NO30、31
no.35 ( 記入なし13/02/03 23:08 )
Dランク高校の時、野球部の応援に行った。
「OX高校<県内で1番偏差値の高いSランク高校>にだけは絶対に勝つぞ!!」と野球部のキャプテンは言っていた。
Dランクの高校生が偏差値の高いSランク高校に負けるということは、勉強でかなり負けてるのに、さらにスポーツで負けるということだ。
気合が入ったが、結局負けた。
1回戦で、Eランク高校には勝ったが、
2回戦で、Sランク高校に負けた。
大学の時、空手のサークルに入った。地方のFランク大学。
1回戦で、国立大学と試合をすることになった。
「国立大学か、楽勝だな」
「国立大学にだけは、絶対に勝て!!」と監督は言った。
でも5戦全敗だった。
俺らは平均身長172p、国立大学は平均身長180pだった。
国立大学の学生は勉強だけの非力で背の低い大学生だと思ってたが、実際は体格に恵まれていた。
試合の後、選手は監督に殴られていた。
空手の強さは、空手の名門大学>勉強の偏差値の高い大学>勉強の偏差値の低い大学だった。
スポーツで、国立大学の大学生だけには負けたくなかったなぁ・・・。
no.36 ( 記入なし13/10/28 22:43 )
小学生→天才
中学生→秀才
高校生→高校内では凡才。ただし、全国統一模擬試験では馬鹿、1問も出来なかった。
大学生→私立文型Fランク大学内の試験では秀才。ただし、就職対策試験模試は大学内でも鈍才。
no.37 ( 記入なし14/04/17 12:48 )
中学時代が、1番輝いてた。
no.38 ( スレ主15/07/16 19:37 )
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