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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2016/08/09 (火) NCAA



「頑張った人には、NCAA.」
「頑張れなかった人にも、NCAA.」
というスポーツドリンクのCMがあった。

僕はこのCMが好きだった
上の1行だけだと、頑張って成果を上げたひとだけが褒美をもらえる
成果至上主義になってしまうが
下の1行でうまくいかなかったひとのこともそっと救ってあげている

「頑張れなかった人」の中には
力一杯ベストを尽くし、負けたひと・・・ばかりではない
努力をしなかったサボリ魔、不運なひと、愚かなひと・・・
あらゆるひとが入っていると僕は思っている

人の一生など実はどれもあまり変わりがない
首相だろうがサラリーマンだろうがひきこもりだろうが、だ
舞台や衣裳が多少違うだけ
中身はどれも同じだ

つらいことは山のように待ち構えているに違いない
先はまだまだ長い
他人に追い抜かれてもいいから
疲れたら休んで、それから歩き出せばいい














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まあ なんだか 人生悟った人みたいだなあ (16/08/16 17:14)
ななこ マクロ的に見れば、人間なんて似たり寄ったり。大差ない。そのことに気付いていない人が、他人への嫉妬にもがいたりするんだと思う。 (16/08/11 09:27)


 ■ 2016/07/24 (日) やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる


私は、人びとには誰にでも本当は自分の一生の運命を予め知ることができるのだということをここで記すことにしよう。私は例によって、自分の生涯を二十歳の時に予言していたある男の例を挙げて、このことを説明してみよう。

彼はフランスの農夫だった。彼は二十歳のとき、すでにつぎのように自分の生涯の運命を語っていた。

〜彼には二年後の七月二十日、ある友なる者が西から現れ、その者は彼の五十二歳の六月まで彼と一緒にいるだろう。小さな友がこれに続いて三人現れるが、そのうちひとりは彼の三十五歳のなかばに彼に涙を与えるだろう。また彼は、二十九歳の秋に水の底に彼の家が沈むのを見るに違いない。彼は三十二歳の春には、南十字星がよく光るのをみることになるだろう。〜

彼は自身の「予言」どおり、二十二歳の七月に彼の村から西方にある同じ農村の娘を妻にし、妻は彼が五十二歳のとき世を去るまで一緒に暮らした。子供(小さい友)は3人生まれ、そのうちひとりは彼の三十五歳のときに病死し、彼に「涙を与えた」。
彼の村は彼の二十九歳のときに大きな洪水に見舞われた。彼の家は予言どおり水の底に沈むことはなかったが、農作物は「水の底に沈み」全滅の被害を受けた。また、彼はこの洪水後三年あとの三十二歳のときには、遺産相続人のない親類の土地を相続したが、この土地は小高い丘の南向きの斜面の土地だったのである。

↑これは僕の以前読んだ本に書いてあった話
運命が決まっているとなれば、僕たちは努力しなくてもいい、努力しても無駄・・・
そんなことはないか、決まっているとしてもそうでないとしても
僕たちは歩いていかなくてはならない

さっきテレビで高校野球の予選を見ていた
僕らが学校の甲子園出場や東京の大学進学に一喜一憂していたのは
もう遠い昔
画面に映っているのは僕らの世代の子供の世代よりさらに下の世代だ
だが彼らもいつの日か青春時代を懐かしく思い出す日がくるに違いない

この世を去る時、
僕らは自分の一生を走馬灯のように「観賞」しなければならないらしい。
その時にいい人生だったと振り返れるかどうか
そうであればいいけど













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 ■ 2016/07/17 (日) 小さな幸せ


僕は大都会の砂漠にある大きな蟻塚に住む小蟻のようなものだ

小蟻は月曜日から金曜日までは外に働きに出る
小蟻が夜お勤めから帰宅すると部屋の中は蒸し暑くなっている
小蟻はそれを2台のエアコンで22℃まで下げる

小蟻は夜遅くまで開いているスーパーで買ってきたおかずと
自分で炊いていた玄米飯で夕食をとる
小蟻はその後風呂に入り、
冷蔵庫から冷えたコーラをだして飲みテレビをみる
小蟻は0時を過ぎると布団を敷き横になる
小蟻は布団の中で数冊の本を読みながら0時30分になると
灯りを消し寝る

窓の外には大都会の夜景が広がっている

と、まあこれはデフォルメした僕の日常だが・・・

この間、NHKの「ドキュメント72時間」で歌舞伎町の24時間営業の碁会所
をやっていた。あれを見て僕も碁を覚えたいと思うようになった
ただ、碁は将棋と違って単純には覚えられない
要は白黒の石を碁盤に並べて陣地の広さを競うゲーム、それだけなはずなのに
それだけに奥が深いような・・・・

将棋と囲碁の違いはおかしなたとえかもしれないが
僕は仏教とキリスト教の違いに似ていると思う

仏教もキリスト教も・・・およそ宗教というのは・・・
この世界を生きるためのマニュアルのようなもの・・・そう僕はとらえていた

ただ仏教がしごく単純で具体的なマニュアルなのに
キリスト教は意味がわからない部分が多いし、納得できないところも多い

そんな中で共感できるところ
それは、「人間は罪深い存在である」ということ、
そして
「神は罪深い存在である人間をやさしく許している」
ということだ
十代の自分にはわからなかった、しかし五十代のいまの自分にはわかる

キリスト教は意外に深いところがある、
几帳面な日本人には逆に訴えるところがあるのかもしれない

それは囲碁の魅力またしかりだろう


















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 ■ 2016/07/10 (日) スローガン


@ 疾如風・・・はやきことかぜのごとく
  徐如林・・・しずかなることはやしのごとく
  侵掠如火・・・しんりゃくすることひのごとく
  不動如山・・・うごかざることやまのごとし

戦国時代最強軍団と言われた、甲州武田軍団の総帥、信玄が自軍の旗印として好んで用いた孫子の兵法「軍争篇」に掲げられる妙言である。

孫子の兵法は軍略だけでなく人生全般に及ぶ教訓をも記述していたことから、武田信玄は研究・応用していたとされる。

「戦わずして勝つ」、「弱をもって強に勝つ」、「呉越同舟」、「始めは処女のごとく終わりは脱兎のごとし」、「急がば回れ」、などなど名言は数知れず。

この軍旗の意味するところは、動くべき機会と見たら荒野を吹き抜ける疾風のように行動し、静粛を必要とするときは林のように静まりかえる。そして攻めるときは烈火の勢いで襲い、自重を必要とする時は泰山のように微動だにしない落ち着きを示す。

一つの状態に固執することなく、静と動、正と奇の動きを状況に応じて変化自在に使い分けよということを示し、人生また然りと教えている。

まさに現代にも通じることですね。

A 敵を知り、己を知れば百戦危うからず

これも中国古典の孫子の言葉から来ています。

そのまんまで乱暴な言い方をすると、
「ピカチューの弱点は地面タイプだ。
ならば、地面タイプの手持ちのポケモンを出そう」
ということ。

相手の弱点を知ればそこを攻め、
自分の特徴を知ればそこを生かすことで
負けることなどない、ということ。

これには続きがあります。 一緒に理解して覚えておかれるとよいです。
原文の書き下しを示します。

 彼れを知り己れを知れば、百戦殆(あや)うからず。
 彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。
 彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆(あや)うし。

意味は次のとおりです。

敵の事情を知り、わが力を的確に把握している者は、戦えば必ず勝つ。
敵情を知らず、ただ自軍の実情だけを把握して戦うときは、勝ったり負けたりである。
敵情を知らず、自軍の実力すら把握できないで戦いに臨む者は、戦うたびに、必ず滅亡の危機にさらされる。












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 ■ 2016/07/02 (土) 映画館と漫画喫茶


一人暮らしである五十男の僕のささやかなレクレーションは
映画観賞と漫画喫茶通いである

映画館で行くのは新宿とお台場

新宿で見る場合は夜9時頃からのレイトショー
映画館内の雰囲気は、なぜか昔の大学の大教室での講義を思い出してしまう
途中でふっと背後を盗み見するとみんなスクリーンを凝視している

見終わると0時近い
ぞろぞろと人混みのなかを新宿駅へ向かい終電で帰宅する

お台場で見る場合は「オールナイト」
夜の11時過ぎ、ゆりかもめの終電で渡るとあとは朝まで帰れない
映画を見て5時過ぎに帰るのだが、
客席では盛大にイビキをかいている奴がいたりする
終わるともう本当に眠い
朝の光がまぶしい中をゆりかもめに乗って帰っていく

もうひとつの僕の「レク」は漫画喫茶通いだ
近所、といっても電車で隣の駅にある漫画喫茶だが
昔の古い漫画がそろえてあって、よくそこに読みに行く
それも徹夜だ

バビル2世、ドカベン、恐怖新聞、おろち、あかつき戦闘隊、おれは鉄兵
巨人の星、あしたのジョー、めぞん一刻 
こんな漫画をネットをしながら徹夜で読みふける
となりのブースのガーゴーというイビキを聞きながら

読み終わるとやはり5時過ぎ
人通りのまだ少ない街を歩いて駅に向かい家に帰る
家に帰ると昼近くまで爆睡する










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伊藤 博文 寄らば大樹の陰・・・的な生き方 とは官公庁方面ですかな? (16/07/10 21:55)
サイコロ 自分に、もう一つの生き方があったとするなら、まさに、このような生き方をしたかったです^ (16/07/03 01:10)


 ■ 2016/06/28 (火) 大阪夏の陣



大阪夏の陣で大阪城は落ち、豊臣は滅亡しましたが、対応を間違えさえしなければ、持ちこたえることができたのではないでしょうか?

大阪城の守りは非常に固く、徳川方は大阪城の一番外型の堀の石垣に触れることさえできず、
真田丸では多くの戦死者を出し、戦いの最初のころは豊臣方が優勢だったと聞きます。

兵力としても徳川方20万だったのに対して、豊臣方は10万で、絶望的な差ではありません。

そこで活躍したのが、大砲だったと聞きます。
昼夜を問わず、4キロから6キロ先まで届く大砲を打ち、指揮官である淀の方を精神的に
追い詰め、和睦に持ち込んだと聞きます。
大砲はめったに当たることがなかったものの、運悪く居間に落ちたものが次女数人をバラバラにして、淀の方を恐怖させたとか、柱が折れたとか。

しかし、大砲が何発撃たれようが無限ではないのだし、滅多にあたらないため大阪城の防御力を下げたり、落城させたりするような威力まではなかったと思うので、私としては、最後まで戦っていれば豊臣方が勝っていたのではないかと思うのです。。
(運悪く、淀の方のいるところに弾が落ちて、命を落とす可能性もありますが、その確率は低いと思います。精神力の戦いだったと思います)

この考え方について、どうでしょうか?

A1
回答・・私はほぼ絶望的だと思います。
たとえ家康を討ったとしても豊臣方に勝ち目はほとんど無かったでしょう。
関ヶ原の頃ならいざ知らず当時、既に家康は家督を秀忠に譲って10年以上経っています。
実際に大坂の陣の時の総大将は秀忠です。
もちろんこの時点でも家康はただの「隠居した老人」ではなく、大きな影響力がありますので、その家康が討たれれば一時的に徳川方が混乱し、体勢を立て直すために一時撤収する事はあるかもしれませんが、総大将の秀忠が無事である以上、総崩れになる見込みは薄いでしょう。
つまり家康を討っても一時の勝利でしかなく、結局は体勢を立て直した徳川方に敗れる可能性が極めて高いです。

あと大坂方の敗因に淀殿が挙げられる事は多いですが、これも疑問があります。
別に淀殿が賢明だとか、正しかったとか言いたいわけでは無く、大坂方の戦闘を左右する程の影響力を行使したとされる通説はあくまでも豊臣家が滅んだ後のものであり、人物像が歪められた可能性が考えられるからです。
他の人も書かれているように、援軍のあてもなく籠城して狭い場所に押し込められると必然的に士気は低下します。
長期戦になれば兵糧も不足するでしょうし、内部からの裏切り者も出てくる可能性も高いです。
つまり冬の陣において大坂方が和睦したのは、やむを得ない判断であり、淀殿がどのような態度をとったかはあまり関係がないと思われます。
幕府が積極的に淀殿の人物像を歪曲したのか、それとも講談などで真田幸村や後藤又兵衛らを持ち上げる際の都合のよい悪役とされた結果なのかは分かりませんが、個人的に大坂方の敗因とするのは淀殿に対する過大評価だと思います。

A2
回答・・・難しいと思います。
特に兵糧攻めにあったらもたないかと。
毛利元就による尼子の月山富田城攻めのように、2年近くの兵糧攻めにあい敗北した戦例もあります。
大阪城もそうなる可能性があるかと。
それに長期間、兵の士気を維持できるかの問題もあります。
期待されていた豊臣恩顧の大名の多くは徳川方につき、味方は劣勢。その上、大砲を一方的に打ち込まれていては…
そもそも徳川方は真田丸での敗北後に神経戦を仕掛けるようにしています。
夜に鬨の声を上げたり、鉄砲をうちかけ大阪方を眠らせないようにし、さらに大砲での攻撃です。
兵の士気をどうやって維持するのか…

一方、徳川方は兵糧不足に悩まされた事もあるようですが、これは一時的な混乱という説もあります。京を遠く離れた遠方ならともかく大阪近辺は堺など港も多く商業地帯としても発展していましたから、兵糧の確保も一旦、道筋をつければそう難しくないかと思います。

ただし、豊臣方が籠城で持ち堪えるのは難しくても、作戦によっては勝てたのではないかと思います。

そもそも「夏の陣」でさえ、真田幸村と毛利勝永らの活躍により徳川方は叩かれ、家康本陣は崩れ、三方が原の敗戦以来、初めて馬印が倒され、家康も敗北を覚悟し切腹をしようとしたという話があるくらいです。
もし豊臣秀頼が出陣し全ての予備兵力を戦線に注ぎ込んでいたら…
もし明石全登の別働隊の作戦が成功していたら…
豊臣方は家康の首をとり状況は大きく変化し勝利する事ができたかもしれません。

そういう事を勘案すると、もし「冬の陣」においても、籠城するばかりでなく機を見て南の家康本陣に対し攻撃に出ていたらどうなったか…
徳川方は大阪城の四方を囲みました。
浅野、蜂須賀、鍋島、上杉、佐竹等は東、西、北に配置されており、南に徳川方の全軍がいたわけではありません。
確かに南の家康本陣は厚いです。前衛には前田、伊達、藤堂らもいました。
しかし、兵力の減った「夏の陣」でさえ正面攻撃で家康を追い詰めたのです。
ならば「夏の陣」より兵力の多い「冬の陣」において乾坤一擲の突撃を茶臼山の家康本陣に向け行えば、あるいは家康の首をとれたかもしれません。
ちなみに真田幸村は12月20日に家康本陣への奇襲を進言しましたが採用されませんでした。

「冬の陣」では籠城策よりも、籠城策からの野戦への転換ならば豊臣方にも勝利の希望はかなりあったのではないかと思っています


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サイコロ しかし、子どもの頃、真田信繁(幸村)に心頭してまして、同人に関する本をいろいろと読みあさったものです^反体制派が格好良く見えて、人とは違った筋の通った生き方を望んだものですが・・・結局は、寄らば大樹の陰・・・的な生き方を選んでしまいました・・・ (16/07/03 00:50)
サイコロ 幕府からすると、大阪の役は、元主家筋とはいえ、一地方の反乱という位置づけになりますでしょうか・・・とすると、体制を覆すのはちょっと無理かも・・・と思うわけでありまして・・・伊藤様と同じ結論になりますでしょうか^ (16/07/02 23:27)


 ■ 2016/06/26 (日) ワンシーン


NHK大河ドラマの「真田丸」のオープニングで
キャストクレジットの中にドラマのワンシーンが挿まれているところがある

あれを見ていつも思うのだが
自分の人生にもやはり何気ないあんな印象的なシーンがあった
そしてもう会えないだろう多くの人が自分の人生にも登場していた

そう気づかされる

最近、昔が懐かしいと思えるようになった
人の一生は誰のものであろうとそれがどういう内容であろうと「大河ドラマ」なのだ
そして僕らはその主演であり、また観客でもある

自分の天寿はどれほどなのか
来年死ぬのかあと30年生きる運命なのか、それはわからないのだが

僕は松岡 茉優さんのファンだが
「真田丸」には来週から主人公の正室役で出てくる
それも楽しみだ







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伊藤 博文 人生は綱渡りのようなものだ。誰しも不安だよ。 (16/06/29 00:02)
はづき(関東方面隊) 自分も昔のコトを多く思い出すようになったであります 人生の折り返しは おそらく過ぎてると…いや完全に過ぎてます しかしながら まだ不惑とは…先行きも不安しかないのであります (16/06/27 23:57)


 ■ 2016/06/20 (月) 日曜日の深夜


日曜日の深夜というのは不思議な時間帯だと思う
昔からそうだった

日曜日の夕方頃は、また明日から仕事かと憂鬱な気分になるが
午前0時を過ぎて日付が月曜日になる時間になると
憂鬱というよりなぜか不思議に淋しい気持ちになる

まったく関係ないが、
子供の頃、僕の娯楽はラジオの深夜放送だった
月曜から金曜、あるいは土曜は普通の日常的な感覚なのだが
日曜日の深夜だけは少し違った

ニッポン放送にダイヤルを合わせて聴いている
午前0時の時報が鳴ると、
「午前0時のサンケイニュースです」というアナウンスとともに
雑音に混じってアナウンサーのニュースを読み上げる無機的な声が聞こえてくる
そのあとオールナイトニッポン電話リクエストが始まるのだが
日曜日の場合は確か1時半頃で放送が終了するのではなかったか
そのあとは無音の時間である

何か淋しいし、怖い時間だった

その感覚は一人暮らしをしている今もある
テレビ朝日のANNニュースをぼんやりと見て、
その後部屋を出てエレベーターに乗り下界におりる
近くのコンビニへ深夜の散歩に出かける














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 ■ 2016/06/19 (日) 育てる


子供を、それも女の子を自分の手で育ててみたいと思ったことがある

家と金ならある
3つくらいの身寄りのない小さな女の子を引き取り、
時間給で家政婦を雇っていないときの世話をしてもらう
学校に進学させて就職させる、相手を見つけて結婚させて・・・
そこで終わり、でいい

なぜそんな妄想を抱いたか、というと
以前、大阪で水商売の若い女性が自分の子供をマンションに置き去りにし
飢え死させた、そんな事件があった
俺なら寝場所と食べ物くらいは出してやれる、いや学校に進学だってさせてやれる
そんな単純な理由だ

ヤフー知恵袋に
「僕は独身男性ですが、身寄りのない女の子を引き取って育ててみたいです」
そんな質問をだしてみたところ
文字通り「大炎上」してしまった
おそらくこのサイトの「父親・母親」の方からも
「ふざけるな、この野郎」だろう
あたりまえだ、皆さんのおっしゃるとおりです

僕は子育ての苦労もつらさも何も知らない
だが・・・少なくとも男と遊び歩いて子供を飢え死にさせる親よりは
まだ僕のほうがまし
これも事実だろう
















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めとろん だからはじめたいなあと願望を語る人に・勝ち誇ったように反論するのもおかしな話です。足長基金とかもありますし、そのように考える資産家はおおいんじゃないでしょうか。 (16/06/20 01:08)
めとろん 子供は、自分とめぐりあったっとき(=生んだとき、でも同じ)はまだ何も始まってない0の状態。そこから計り知れない物語が始まっていくのです。よって、その大河ドラマをはじめてみたい潜在的欲求は、かけがえのないたった一つの人生の使い方としてやっていたいと思うのは全くもっておかしいことでもなんでもないです。子育ての駒を進めて行った人もはじめからなにもかもわかっていたなんてことはなくて、 (16/06/20 01:06)
はづき(関東方面隊) まぎれもない事実であります(`∇´ゞ (16/06/19 22:27)


 ■ 2016/06/12 (日) 太宰治


金曜日
午後11時頃帰宅
ソファに寝転んで、
NHKBSでトムクルーズの「アウトロー」を観ていた
うとうとして、ふと目が覚めるとエンドロールが流れている
午前2時だった

そのままテレビをつけていると
今度は「太宰治」を主人公にした裁判形式の番組をやっていたので
それを観ていた
太宰治は意外に日本人にはファンが多い
僕も太宰の小説はそれほど読んだことはないが
それでも「斜陽」や「津軽」「ヴィヨンの妻」「女生徒」くらいは
読んだことがある
蕩けるように優しい文章を書く人である

しばらく観ていたがつまらなかったので
自室に布団をしいて寝た












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ななこ 今でも青森では津島家は名家なんですよね?私は関西の人間なので、青森のことは全然知らないのですが。 (16/06/18 20:57)


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