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不信のときAuthor:伊藤 博文 ( Profile ) 心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。 〜聖パウロの言葉より〜 |
■ 2016/07/17 (日) 小さな幸せ |
僕は大都会の砂漠にある大きな蟻塚に住む小蟻のようなものだ
小蟻は月曜日から金曜日までは外に働きに出る 小蟻が夜お勤めから帰宅すると部屋の中は蒸し暑くなっている 小蟻はそれを2台のエアコンで22℃まで下げる 小蟻は夜遅くまで開いているスーパーで買ってきたおかずと 自分で炊いていた玄米飯で夕食をとる 小蟻はその後風呂に入り、 冷蔵庫から冷えたコーラをだして飲みテレビをみる 小蟻は0時を過ぎると布団を敷き横になる 小蟻は布団の中で数冊の本を読みながら0時30分になると 灯りを消し寝る 窓の外には大都会の夜景が広がっている と、まあこれはデフォルメした僕の日常だが・・・ この間、NHKの「ドキュメント72時間」で歌舞伎町の24時間営業の碁会所 をやっていた。あれを見て僕も碁を覚えたいと思うようになった ただ、碁は将棋と違って単純には覚えられない 要は白黒の石を碁盤に並べて陣地の広さを競うゲーム、それだけなはずなのに それだけに奥が深いような・・・・ 将棋と囲碁の違いはおかしなたとえかもしれないが 僕は仏教とキリスト教の違いに似ていると思う 仏教もキリスト教も・・・およそ宗教というのは・・・ この世界を生きるためのマニュアルのようなもの・・・そう僕はとらえていた ただ仏教がしごく単純で具体的なマニュアルなのに キリスト教は意味がわからない部分が多いし、納得できないところも多い そんな中で共感できるところ それは、「人間は罪深い存在である」ということ、 そして 「神は罪深い存在である人間をやさしく許している」 ということだ 十代の自分にはわからなかった、しかし五十代のいまの自分にはわかる キリスト教は意外に深いところがある、 几帳面な日本人には逆に訴えるところがあるのかもしれない それは囲碁の魅力またしかりだろう |
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