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話題
大卒6人に1人「ニート予備軍」 文科省調査 |
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伝統的な社会規範が弱まった時代には、外部からの規定によらず、アイデンティティの確立という内部的な要因によって、自らを規定することになった。
そして、今。
会社や学校、家庭、趣味の活動など個人の所属が多元化し、人はその場その場でちがった顔を見せるようになった
メディアの発達により関係が複雑化し、対面、電話、メール、インターネットなど、コミュニケーションの種類によってもちがった顔を持つようになった
身近によくわかりあえる親しい人、周辺にそれほどでもない人という、一貫した人格による従来の交流パターンが崩れ、会ったこともない人とも気の合う部分だけでは非常に親しく付き合うという、部分に分裂・断片化した自己による交流がおこなわれるようになった→状況志向(富田英典・藤村正之)
その場その場で自分がちがった顔を持つため、このように分裂した自分とはなにか、ほんとうの自分とはなにかという疑問を抱え込まざるを得なくなった
高度な消費社会は、かつての社会的な規定やアイデンティティの確立によることなく、記号化された消費財、すなわちブランドやイメージなど、きわめて流動的なものによって自己を規定することにつながった
同時に、このような社会は、自己の内部に基準を持つ内部志向ではない、自分の外側にある基準で自己を規定する外部志向の人間の存在を浮かび上がらせた(デビッド・リースマン)
流行というきわめて流動的で短いサイクルによって変化するものに合わせ、自己イメージも変化してしまうがゆえに、いやおうなくほんとうの自分への疑問が生じてきた
……要するに、わたしたちは内部的には分裂し、分裂した部分部分で外部の他者と付き合い、そこではいとも簡単に他者と融合してしまうような生活を送っており、そうした分裂した自己を振り返って「ほんとうの自分とはなにか?」という疑問にとらわれる状況下を生きている、ということのようである。そして、そこには社会構造の変化、とりわけ消費社会やメディアの発達が大きく関わっているということだ。
前世紀末からいわれるようになったこころの時代や、その後につづく自分探しなどといったキーワードも、さまざまな社会構造の変化の結果として現れてきた必然なのかも知れない。少なくとも、私たちはそうした自己の存在に対する危機意識を誘発する時代に生きていて、ニートや引きこもりは、それを具体的に体現している人たちだとはいえないだろうか。そしてまた、そうでない人々も、同じ社会構造を生きている以上、そうなる可能性を常に孕んでいるといってよいのではないか。
これはなにも若年層に限ったことではない。企業戦士など、仕事や会社に自己のアイデンティティを過度に依存しているような人は、それを失ったとたん、自分が何者なのかまったくわからなくなる危険をはらんでもいるのだ。それはそれまでの自分らしさをなくしたという喪失感につながって、場合によっては自死に至る可能性さえ否定できないだろう。
そう考えれば、わたしたちはみな自己喪失の時代を生きているといってよくはないだろうか。
no.67 ( 記入なし05/12/29 03:38 )
20年前と比べて、
メディアの情報が格段に増えた(ネットなど)
雇用形態の種類が格段に増えた
大人の定義が不明確になった(20代も50代も失業したら同じような事を言う)
個人・地域・会社のうち地域が無くなった(近所付き合いの激減)
なんか、雨具無しで土砂降りにふられている格好だ。
no.68 ( 記入なし05/12/29 03:46 )
ニートは、そして引きこもりも、結局のところ自己評価が非常に低い。自分への根源的な信頼を欠いているため、能力の有無に関係なく自分には価値がある、そういう実感がないのじゃなかろうか。ひとことでいえば、あるがままの自分に価値があると実感できないのだと思う。もうひとつの自己評価、すなわち能力の評価については、引きこもりの人などではわりと高いようにいわれている。なんだかプライドが高く、自信過剰であるという話もよく聞く。実際、そうとうに頭の切れる人も多いわけで、こういう人たちが表舞台で活躍できないなんて、社会の損失以外のなにものでもないなんて思ってしまうのだけれども、さておき能力自体は、ときに自信過剰になるとしても、自身がある程度の評価を与えている。
けれど、能力があろうとなかろうと自分には存在価値があるという感覚を欠いているため、挫折などで能力の評価が傷つくと、それがただちに自分の存在価値を脅かす結果となってしまう。学習性無力感と呼ばれるものがあって、これは挫折を繰り返すことで徐々にやる気が失せてゆくのだが、挫折は通常、能力に対してのみ影響を及ぼす。
だれだって失敗ばかりしていれば、自分には能力がないのじゃないかと落ち込むものだ。だが、通常は一定期間を過ぎれば、それはたんに努力不足として認識され、新たなる活力が沸いてくる。それが存在の価値が低い人の場合、たんに能力がないと感じるだけでなく、自分が存在している価値までもがないと感じられるのだろうと思う。そこから活力は沸いてこない。
つまり、能力を否定されることはただちに自身の存在価値を脅かすので、それが不安で社会に出てゆけない。あるいは社会に出てはみたものの、ちょっとした失敗経験が自分の存在価値を脅かす。だから、すぐに辞めてしまう。当然である。存在価値が脅かされるということは、つまり生命が脅かされるのとおなじ意味だからだ。ニートや引きこもりには、理由のひとつとしてそういうのがあるのじゃないだろうか。
no.69 ( 記入なし05/12/29 03:47 )
なるほど。なかなか精緻な説明だ。
コピペじゃないなら。
no.70 ( 記入なし05/12/29 03:50 )
安定性が昔より低くて、昔と比べて同じ期間における挫折回数が格段に多いから
そういう事例が多いかもしれない。
no.71 ( 記入なし05/12/29 03:52 )
「学習性無力」ってのは1つのキーワードだろうね
no.72 ( 記入なし05/12/29 03:53 )
ようは、たくさん負ければ誰だってくじけるわ。
限界こえれば。
no.73 ( 記入なし05/12/29 03:54 )
マクロ経済的に見れば、ニートとは「有効求人がないから働けない」のではなく、
「働く必要がないから働かない」層である
「働かない」理由は、30過ぎたフリーターを企業が労働力として求めないという「(主に雇用側ニーズの)外形的ミスマッチ」と、
高学歴なのに単純労働しか口がないという「(主に就労側ニーズの)内面的ミスマッチ」の2つがある
働く口はあるのにあれこれ理由をつけて働かないというニート、またあれこれ理由をつけるような30男をわざわざ雇いたくないという企業が多い以上、この問題の結語は、「個人が求職のハードルを下げて、働く気を起こせ」という精神論でしか落とせなくなる
で、じゃあ何で働く気が起きないとか俺は低能かもしれないとか言ってるわけ?働かなかったらいずれ飢え死にだよ?世の中の奴なんてお前らよりずっと低能だよ?そもそも働いてみなきゃ「自分が何であるか」なんてわかんないじゃん…といった、あっちの世界とこっちの世界の会話してそうで噛み合ってない呼びかけ合いで終わる
資本主義経済的には、「こいつらが働かないのは経済外部性の問題だから、とりあえずそのセグメントが消滅するまで待ちましょう、レッセフェール」という結論になるのは目に見えている
no.74 ( 記入なし05/12/29 04:01 )
経済学は議論の為に抽象化する必要があって、
前提条件が重要になる(大きく左右する)
複雑系は別。
現実がイス取りゲームなら、各自で新しい良いイスを作ろうという話は
経済学からはあまり生まれない。
no.75 ( 記入なし05/12/29 04:06 )
>75
実に的を射たことを仰いますねw
no.76 ( 記入なし05/12/29 04:10 )
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