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話題
神を信じれば救われますか? |
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魂の貧しい者は幸いです。
信心のない者は、他の多くの金言と同様に、この金言を理解せず、ばかにします。
しかし、イエスは知性に貧しい者を意味したのではなく、
慎ましい者を意味したのです。
天の国は慎ましい者のためであり、傲慢な者のためではないと言ったのです。
no.600 ( 記入なし08/12/07 16:55 )
しかし金が神だというのはその力を知ってても何だかな〜
no.601 ( 記入なし08/12/07 16:58 )
ぜんぜん知らない人間でも金出すと色々してくれるよね
不思議だ
no.602 ( 記入なし08/12/07 17:00 )
心の貧しい ってどういう意味?
no.603 ( 記入なし08/12/07 17:04 )
戦場の極限状態では、人間の抱くエゴと愛が両極端に表出する。
自分の場合どちらだろう?
その場になってみないと分からないだろうな。
no.604 ( 記入なし08/12/07 17:05 )
人間は全員犯罪者、罪人である。 恩寵に満ちたマリアはわれらのために祈っているのだそうだ
no.605 ( ルルド08/12/07 21:08 )
ぼくは犯罪なんか犯してませんが。他のみんなもそうだよ。ルルドは一体何をやったんだい?
まあ、反省してるのなら、これ以上は言わないけどね。
no.606 ( 記入なし08/12/07 22:40 )
見えるものに対する希望は希望ではありません。
現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
わたしたちは、見えないものを望んでいるなら、
忍耐して待ち望むのです。ローマ8:24,25
no.607 ( 記入なし08/12/08 10:44 )
信じる者は、騙される!!!!!!!!!!!!!!
no.608 ( 風林火山08/12/09 02:30 )
それはいえる
疑うときりがないが
no.609 ( 記入なし08/12/09 02:48 )
両方表出はないか
no.610 ( 記入なし08/12/09 08:15 )
主は人の一歩一歩を定め
御旨にかなう道を備えてくださる。
人は倒れても、打ち捨てられるのではない。
主がその手をとらえていてくださる。
若いときにも老いた今も、わたしは見ていない
主に従う人が捨てられ
子孫がパンを乞うのを。詩篇37:23〜25
no.611 ( 記入なし08/12/09 09:15 )
神を信じれば〜スレだと、キリスト教一派に限らないよね。
日本は昔から八百万(やおよろず)の神が居て不思議は無かった。
だから、神頼みする時、かみさまほとけさま〜、と言っても別に罰(ばち)も当たらなかった。
よって、全ての神々さまよ、仏さまよ、この危機的経済状況を「普通」に戻しておくれ!
別に好景気なんて欲深いことは言わないよ。
地球規模で世界平和を授けたまえ!
世界の主導者(大統領や首相やら)に世界平和の天啓を与えたまえ!
庶民のほとんどはそれで救われる。
no.612 ( うつから復活08/12/09 09:27 )
神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、
かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。ローマ9:18
no.613 ( 記入なし08/12/10 08:32 )
神社へお参りしましょう。
no.614 ( 記入なし08/12/10 15:14 )
「恐れるな、アブラムよ。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」創世記 15:1
no.615 ( 記入なし08/12/11 11:21 )
正月早々巫女さんと運命的な出会いがあれば信じようか!
no.616 ( 記入なし08/12/11 11:23 )
昔神社でアルバイトした時、もの凄く可愛い巫女さんが居て、巫女の格好してたまに挑発的なポーズ取る事があっんだけど、そりゃ場所と衣装とのギャップに、物凄くエロスが強調されてたよ。 あっ、不謹慎だと思われた方ご免なさい。
no.617 ( 記入なし08/12/11 11:49 )
俺だったら、帰ったらすぐオナニーしてる。
no.618 ( 記入なし08/12/11 14:01 )
巫女ちゃんと付き合いたい
no.619 ( 記入なし08/12/11 19:14 )
Quo Vadis Domine?
そして一度も帰ってきていないんだろう
no.620 ( りこぴん08/12/11 22:08 )
正義が造り出すものは平和であり
正義が生み出すものは
とこしえに安らかな信頼である。
わが民は平和の住みか、安らかな宿
憂いなき休息の場所に住まう。 イザヤ 32:17,18
no.621 ( 記入なし08/12/12 09:29 )
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。ローマ10:13
no.622 ( 記入なし08/12/13 09:27 )
神はいない留守です
no.623 ( 記入なし08/12/13 09:30 )
彼女に巫女の格好をさせて楽しみたい
no.624 ( 記入なし08/12/13 10:17 )
わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。
うろたえてはならない。おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。 ヨシュア1:9
no.625 ( 記入なし08/12/14 09:33 )
すべての人の心は神に通ず
心の有り様一つで
それが基になり幸不幸への繋がる道となる
それを選ぶはその人自身なり
その人なりを観るには心より観る
貴方は神を見ていますか
神を見ていれば必ず導かれます。
又自分が見つかります。
神は宗教の占有ではありません。
万民すべての命の根元です。
悩みある者は神を見つめなさい、
されば光が見いだされます。
no.626 ( Revival Mission08/12/14 11:57 )
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、
悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 ヘブル 12:11
no.627 ( 記入なし08/12/15 10:12 )
なぜ救われないと思う?自分だけ不幸だと思う?
それはね、信念が無いから
そして、小さな出来事に感謝できないから
人間って今最高に不幸に思えても、意外と強い光りが
こちらを向いてることに気づかないんだよね
だって、素直っていう心の窓を閉ざしてるから
no.628 ( 記入なし08/12/15 15:50 )
信じようが信じまいが救われるかどうかなんてしらん。
no.629 ( 悩男08/12/15 15:53 )
でも、何だかんだ言ってても腹が満たされれば
幸せの半分以上は満たされるでしょ?
幸運の基準を下げればいいのに
no.630 ( 記入なし08/12/15 16:21 )
でも、何だかんだ言ってても腹が満たされれば
幸せの半分以上は満たされるでしょ?
幸運の基準を下げればいいのに
no.631 ( 記入なし08/12/15 16:21 )
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。
祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。ローマ12:14,21
no.632 ( 記入なし08/12/16 09:20 )
飽き足りている人は蜂の巣の滴りも踏みつける。
飢えている人には苦いものも甘い。箴言27:7
no.633 ( 記入なし08/12/17 09:47 )
633
うんうん 納得した
no.634 ( 記入なし08/12/17 16:57 )
後の代に語り伝えよ
この神は世々限りなくわたしたちの神
死を超えて、わたしたちを導いて行かれる、と。詩篇48:14,15
no.635 ( 記入なし08/12/18 09:49 )
神様へ
子どもが出来ます様に
年度末のボーナスもらえます様に
会社が倒産しません様に
消費税も上がりません様に
住宅ローン払い込めます様に
妻が逃げません様に
母が死にません様に
信じますので救って下さい。
no.636 ( 記入なし08/12/18 22:49 )
>636さん
十分なくらい救われている境遇だよ。
no.637 ( 下っ端公務員08/12/18 22:51 )
神を信じれば神が助けてくれます アーメン
no.638 ( 二ルバーナ08/12/20 17:56 )
わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。 マラキ 3:20
no.639 ( 記入なし08/12/22 10:18 )
消費税は自民党に言ってくれ 神
no.640 ( 記入なし08/12/22 12:04 )
神を信じるというか神の考えを 教えを生かせばそれなりに救われることもあると思います
例を挙げれば 欲が出るから苦しむ 強欲は罪 罪を軽くするためにはと考えると 欲をなくすことはできませんが向き合っている状況がわかる わかれば少しは考え行動に至り救われる場合もある 向き合うことをやめるのが一般的にサタンに惑わされるがままで苦しみの根源を作っているというのも1つの考え方です
no.641 ( 記入なし08/12/23 02:05 )
神様は色んな宗教でおりますが
神様が違うだけで異端者と人を殺す事を
許す宗教は信じたくない
no.642 ( かんぱねるら08/12/23 02:13 )
希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。ローマ15:13
no.643 ( 記入なし08/12/23 09:31 )
聖書は大変立派なものだと感じます。
しかし、崇高な文章がある反面、生臭い、人間臭い、血なまぐさい文面もたくさんありますね。
玉石混交です。
否定してもならず、全部が全部受け入れてもならず。
よくよくお考えの上、何を求め、何を感じるかです。
妄信だけは慎まれるように・・・。
no.644 ( 記入なし08/12/23 10:34 )
主の御言葉は正しく 御業はすべて真実。 詩篇 33:4
no.645 ( 記入なし08/12/23 23:24 )
神は信じなくても救いたい者を救います。
簡単に言えば神のご勝手なのであります。
従いまして、
信じても信じなくても必ず救うわけでもありません。
no.646 ( ドリアン08/12/24 00:24 )
「恐れなければならない方をあなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナ(地獄)に投げこむ権威を持っておられる方を恐れなさい。」(ルカの福音書12:5)、「...わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。..」(マタイの福音書25:41)
no.647 ( 記入なし08/12/24 03:15 )
もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。詩篇51:18,19
no.648 ( 記入なし08/12/24 08:19 )
『それは、こう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。 神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』
コリント人への手紙 第一 1章19〜21節
no.649 ( 記入なし08/12/24 14:28 )
宗教に入るとはどういうことでしょうか?
通常、宗教の信じる対象は、きつねでもへびでも何でもよく、ただ心が安らかになるとか、不思議な御利益があるとか、生きがいができるとか、親戚付き合いに好都合であるなら、信じている内容が真理かどうか、絶対的な根拠があるか、生きている本当の神様を信じているかどうか、などは無関心なのです。ですから、それらのものさえ手に入るならば、めざしの頭を拝もうが、悪魔を拝んでいようが別に問題はないのです。要するに、数ある宗教の中から自分にとって好都合なものを、もしくは、代々家に伝わって来た宗教を確かめもせずに信じ込むことを宗教に入ると言うのです。しかし、キリストを信じることは全く正反対と言えます。なぜなら、聖書が何も考えず、根拠もなしに信じることを否定しているからです。「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、わたしの宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」(第Tコリント15:2)キリスト信仰は、事実であるか、それとも嘘であるかをはっきりさせることができるのです。たとえば、聖書に記されている数多くの奇蹟やキリストの復活が歴史的な事実かどうか、ノアの洪水があったのならその形跡が残っているかどうか、今までの預言が成就したか、また、これから先の預言が成就しつつあるかどうか、などは調べれば結論が出ることなのです。なぜなら、聖書は文章として今でも残っているからです。宗教ならば、「何でも信じることが大切!」という盲信的なものでしょう。この盲信が、「宗教に入る」ということなのです。しかし、大切なのは、「何を信じるか」、「どうして信じられるか」の根拠です。そのようにして確かめられた真理、たとえば“地球は丸い”とか“酸素は植物が作る”などを信じることを宗教に入ると言わないように、キリストを信じるということにおいても、このお方が本当に神であり救い主であることが事実であると分かった上で、キリストを自分の救い主として理性を持って受け入れることであって、宗教に入ることとは違うのです。もともと存在しないもの・実体のないもの・根拠のないもの(迷信)をあたかも“ある”と思い込み、信じ込むといった宗教に入る行為は、理性を持った人間のするべきことではありません。
no.650 ( 記入なし08/12/24 16:42 )
Rapture(携挙) - End Times
この動画は聖書が説明しているところの「空中携挙」、つまり、全世界が終末を迎える直前、キリストが天から再臨するときに、地上のクリスチャンが一瞬のうちに、不死の体になり空中に持ち上げられてキリストに会うという出来事を指しています。
この動画の最初のほうには、聖書が、現在進行形で説明している世界の終末について様々な状況を取り上げています。
終盤になって、キリスト教の講演の最中、突如、多くの参会者が忽然と消える模様が表現されていますが。これが、近未来に起こる「携挙」状況です。
無論、こうした講演会だけでなく、道路上でも飛行機でも、船上でも、全世界の至る所で、大失踪事件が起こるはずです。実際、このときのために、アメリカの航空会社では、ノンクリスチャンを機長とするようにとの社命が出るほどです。
キリストの存在も、また復活の事実も信じられない方々にとって、終末に起こる事件はなおさら信じられないでしょう?でも、アメリカ人の多くがこの事件についての知識を持っています。あなたはどうお感じになりますか?
■根拠となっている聖書の箇所
1テサ 4:14〜5:3
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
http://zoome.jp/shl/diary/52/
http://www.wlpm.or.jp/leftbehind/1/world_k.htm
no.651 ( 記入なし08/12/24 17:38 )
宗教はすべてインチキ
no.652 ( 記入なし08/12/24 18:34 )
『「神などいない」と言うのは愚か者だけです。 心がひねくれていて、うしろ暗い生活を送っている証拠です。その人のいのちは罪にむしばまれています。神様は天から全人類を見下ろして、だれか一人でも、正しいことを行ない、心から神様を求める者がいないかと、ひとみをこらしておられます。 しかし、神様に背いていない人間なんていないのです。人々は罪にまみれ、芯まで腐りきっています。正しい者は一人もいません。どうしてこんなことになったのでしょうか。彼らには何一つわかっていないのでしょうか。
彼らはパンのように、わたしの国民を食いちぎり、神様に立ち返ろうとしないからです。しかし、そのうち、かつてないほどの恐怖に取りつかれます。神様は、こういう敵どもを見捨て、その骨をばらまかれます。ああ、今、神様がシオン(エルサレム)からおいでになって、イスラエルを救ってくださったなら、と思います。神様の手で元どおりにしていただいてはじめて、人々はしあわせになれるのです。』詩編53章(リビング訳)
no.653 ( 記入なし08/12/24 18:36 )
あなたは偶然に生まれて来たのでもなく、前世で生きていたのでもありません。神様は、主イエス・キリストを通して、神様と個人的な関係を持つことができるように、人を創造されました。新約聖書のヨハネの福音書の中に「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」〈ヨハネの福音書17:3〉とあります。あなたの人生の目的は、あなたの罪を背負い、あなたの個人的な救い主、あなたの主であるイエス様への信仰を見出すことです。一度、イエス様を救い主としてお迎えすれば、あなたの人生に対する神様のご計画がわかるようになります。人生を満足できるようになります。人の生きる目的は、創造主である神様の栄光をあらわすためです。その最上の方法は、すなわち神の一人子イエス・キリストによる唯一の救いを、私たちが受け入れることです。神様は聖なるお方であり、人間は罪人なのですから、罪の裁きは確実にあります。神様の愛と哀れみによって、神様は一人子を送ってくださり、私たちの罪を取り除いてくださったのです。もし神様を信じるなら、つまり、人に罪があり、望みのない状態の私たちのためにイエス様が死んでくださり、再びよみがえられたという神様のみことばを信じるならば、私たちの罪は許されるのです。「あなたがたは、恵みによって救われたのです。行いによるのではありません。誰も誇ることがないためです。」神様は、私たちがみことばを信じることを願っています。
no.654 ( 記入なし08/12/24 18:42 )
聖地エルサレムの付近では、
自爆テロが流行っているけど、
あれも神様が与えた「救い」とやらなのかな?
no.655 ( 下っ端公務員08/12/24 19:07 )
リンゴ食べたから
no.656 ( 記入なし08/12/24 19:18 )
神と信長あまり変わらんだろ
no.657 ( 記入なし08/12/24 19:21 )
神がいるなら、どうして戦争や悲劇、不公平があるのですか?
戦争や、たとい戦争には至らなくても数々の争い・悲劇・矛盾や不公平がこの世の中にあることははっきりしています。さて問題は、誰のせいでこの様な不幸が起こったのか?です。十数年前に日航のジャンボジェット機墜落の報道が頻繁になされている際に、「神も仏もないものだ!」と大きな声でみんなに叫んでいた同僚がいました。別にその人だけでなく、多くの人々もこの様な意見を持っているようです。しかし、この考え方は全くの責任転嫁に他なりません。日航機の事故は間違いなく人災です。金を人命よりも尊んだための手抜き修理が原因なのです。また、戦争にしても、この世の不公平もすべては人間の互いの欲望が原因で生じた悲惨であって、それを神様の責任にしようとする考え方こそ人間自身が醜い罪人である証拠です。
「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。」(ヤコブの手紙4:1)では、こうおっしゃる方もおられるでしょう。「あらゆる悲惨が人間の責任であることは分かる。それでは何故神様がそれらの罪をさばかないのか?」と。確かに神様は悲惨の原因である人間の罪を一瞬にしてさばくこともおできになります。たとえば、戦争を始めた人間・大量殺人中の兵隊すべてをさばくことは可能です。しかし、神様が彼らをさばかれるとすれば、神様には不公平がありませんから、戦争の罪をさばかれると同時にこの地上のすべての罪をおさばきになり、全人類を一瞬にして地獄に入れなければならないのです。すなわち他人のさばきを求める者は自分のさばきを求める者であり、自分で自分の首を絞めているのです。神様がこの地上をさばかれずにおられるのには理由があります。それは、一人でも多くの者が、キリストを救い主と信じて天国に行く者となるために、神様は忍耐をもって、今待っておられるのです(第Uペテロ3:9)。
「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第Uコリント6:2)
現在の様々な悲惨は、人間の罪が原因なのです。
no.658 ( 記入なし08/12/24 20:38 )
つまり神は役立たずだw
no.659 ( 下っ端公務員08/12/24 20:48 )
なあんだ。
私の言ったこと(>no.646)はすでにローマ書(>no.613)で言われていたのかあ。
つまり私は昨日パウロと通じたわけだ。何と深い精神を持った私であろうか♪
とかね。
no.660 ( ドリアン08/12/24 21:36 )
「神」なるものにすがった時点で、人間は主体性を失う。おしまいなのだ。
no.661 ( 記入なし08/12/24 21:39 )
実は神は人間の主体性を最も大事に考えて世界を創造した。
このことは「悪の野放し」の問題にも通じているのじゃよ。
no.662 ( ドリアン08/12/24 22:13 )
恐れをいだくとき
わたしはあなたに依り頼みます。
神の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。詩篇56:4,5
no.663 ( 記入なし08/12/25 08:47 )
神はどうして罪を犯す人間を造ったのですか?
ここでまず最初に知って頂きたいことは、“罪を犯す可能性を持った者を造る”ことと“罪を犯させる”こととの違いです。神様は人間に罪を犯させたのでもなく、罪を犯すことを期待しておられたのでもないことをまず知って頂きたいと思います。
それではどうして神様は、罪を犯す可能性がある者として人間を造られたのでしょうか? その理由には、人間の最も崇高な生きる目的と責任があるのです。「神はこのように、人をご自身のかたち(性質)に創造された。」「(創世記1:27)のです。すなわち永遠に神様と愛し合う者として人間は造られたのです。さて、“愛し合う”という時、ここにはどんな強制や義務もあってはなりません。ですから、愛することは自由意志を持った者にしかできないのです。たとえばこうです。ある人が“自分を愛してくれるロボット”を作ったとします。そしてそのロボットに、その人に会う度に「愛している」、「大好き」といったことばを発するようにプログラムするのです。そうするとロボットはプログラムされた通りに、何時までたってもその人を絶対に裏切らず、「愛している」、「大好き」と言ってくれるでしょう。さてどうでしょう? あなたはその人をうらやましく思い嫉妬するでしょうか? その人は愛し合う喜びを持つことができるでしょうか? そうではなく、その人も、もちろんロボット自身も愛し合う喜びを持つことは決してないのです。なぜでしょうか? それは、自由意志のないものは言わば強制であって愛ではないからです。しかし神様は人間を造られた時に、自由意志を持った者、愛し合う能力を持った者として造られたのです。ですから、人間は自由意志を持ち、愛することができる故に、逆らって罪を犯す可能性をも持っていたのです。人間はその自由意志から神様の愛に答えるべきでしたが、それを悪用して神様に逆らいました。それが罪なのです。そして、その罪の責任は人間にあるのです。
no.664 ( 記入なし08/12/25 14:07 )
神そのものが存在しない(それはあくまで人間が頭でつくった概念)のだから、こんな議論をすること自体、意味がない。
no.665 ( 記入なし08/12/25 14:12 )
かんかんの〜きゅうべさん
no.666 ( 記入なし08/12/25 14:21 )
あなたは果たして、神を疑っているのではありませんか?
神はあなたを何故、この世界に向かわせたのか?あなた自身が「生きる」事で神を証明して下さい。
そのうちに判ると思いますが……
no.667 ( 記入なし08/12/25 14:41 )
神がいるなら見せてくれませんか?
多くの方はこのセリフが、神様を信じる者に対する殺し文句であると信じておられます。ことわざにも 「百聞は一見にしかず」とある通りだということでしょう。聖書には、「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる。」(ローマ1:20)と、人間は、目に見えない神様の存在を、被造物(神様によって造られた物)によってはっきりと認めることができると書かれているのです。あなたはこの世の中に電気・電波・紫外線・赤外線・X線・空気・風、また愛や憎しみ・人格・能力、こういったものが実在すると信じておられるでしょうか? もちろんそれらの存在を確信しておられると思います。では質問させて頂きますが、その中で今までにどれか目で見られたものがあるでしょうか? 今あげた例のどれ一つ取ってみても人間の目で見えるものはないのです。
それではどうして見ることのできないこれらのものの存在を信じることができるのでしょうか? それはそれらの一つ一つを直接見たからではなく、それらの存在の結果を見ているからです。たとえば電気は電気が通ったことによって蛍光灯が光ったり、冷蔵庫が作動したりすることによってその存在を知るのです。風は草木がなびくことによって、愛は犠牲の大きさによって、能力はなされた仕事やテストの結果などで知るのです。まさか電気は見えないから存在しないと信じ、蛍光灯が光り出すと「怪奇現象だ!」と言ったり、人と接する時に、「見える肉体しか信じない」と言って、その人格を全く無視する方はおられないと思います。ですから、神様についても同様に、「見えないから」というだけで存在の有無を決定するのは間違いです。神様はご自身のご存在について、 「被造物によって知られ、はっきりと認められる」と語っておられます。それでは、被造物とはどんなものでしょうか? それは大宇宙であり、小宇宙といわれる人体であり、自然界の秩序です。神様がお造りになったこれらのものと人間が作ったものとを比較すると違いが分かり易いと思います。たとえば時計を例にあげますと、時計そのものは地球が太陽の周りを回る正確さの模倣です。また、あらゆる意味でロボットは人体の模倣なのです。しかしその規模や精度において本物には及びもつかないのが現実です。止まらず狂わない時計はなく、自由に考える精神を持って行動し、子孫を残すロボットはこの世にはないからです。このように人間の技術では到底作ることのできないものがこの世に存在することは、人間以上の能力を持った方がおられる証拠なのです。そして、その方を「創造者」とか「神様」とお呼びするのです。ですから神様は間違いなく存在されるのです。たとい、あなたが神様を見ることができなくても、神様がおられることは事実なのです。そして神様の人間に対する愛と警告を無視することは、あなたにとって永遠の損失なのです。
no.668 ( 記入なし08/12/25 14:45 )
たとえば「私は矛盾した存在である」。
このことは、神の無謬性に聖なるものを見る根源なのじゃよ。
no.669 ( ドリアン08/12/25 16:01 )
信じたり信じなかったり
no.670 ( 記入なし08/12/25 17:50 )
>668さん
人間以上の能力を持った存在が1人だという根拠は?
大勢居るかもしれないじゃん。
no.671 ( 下っ端公務員08/12/25 18:09 )
>人間の技術では到底作ることのできないものがこの世に存在することは、人間以上の能力を持った方がおられる証拠なのです
この論理は非常に苦しい。読んでて笑ってしまった。
no.672 ( 記入なし08/12/25 18:30 )
存在論存在論
no.673 ( 記入なし08/12/25 22:01 )
そんな長居のよく書くな 簡潔に
no.674 ( 記入なし08/12/25 22:02 )
「私をからかい笑うものも赦される。しかし霊に対してはそれは赦されない。」
とイエスは言ったとある。
イエスは自ら神の子であり、神を父であるとしている。つまりイエスを通して神をあざけり笑う者もまた赦される余地、救いはあるのだと言ったことになる。しかし霊に対して同じことをするような人は赦されることはないらしい。
新約聖書の記述も何だか恐ろしげではあるな。
no.675 ( ドリアン08/12/25 22:05 )
言いたくはないけど、進化論によって全ては否定される。no.672はそれを指摘してる。
no.676 ( 記入なし08/12/25 22:20 )
今から二千年程前に生まれ、死んだ過去の人物と現代に生きる私たちと一体どのような関わりがあるのか?と思われるかも知れません。しかし、聖書には、キリストが死なれたのはその当時生きていた人の罪のためだけではなく、「キリストはすべての人のために死なれた」(第Uコリント5:15) と語られているのです。すなわち、キリストはあなたのために十字架にかかられたという意味であり、言い換えれば、あなたの罪がキリストを十字架に付けたという意味でもあるのです。それでは神様の救いの計画を少し聞いてください。神様によって造られた最初の人間であるアダムとエバは、「取って食べてはならない。取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と食べることを禁じられた木の実を取って食べ、罪を犯しました。そして人間はさばかれて死ぬ者となり、しかも死後に永遠の地獄に行く者となってしまったのです。しかしその直後です、神様が人間の救いのためにイエス・キリストの十字架を預言されたのは。「わたしは、おまえ(サタン)と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫単数(処女マリヤから生まれたキリスト)との間に敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく(十字架の傷)。」 (同3:15)この人間の救いについての最初の預言を記した創世記は、今から3500年前に書かれたものです。しかも、神様が救いの預言を語られたこの時は、創世記が書かれるよりも更に二千年以上前の出来事であったのです。その時からイエス・キリストが十字架にかかって死なれるまでには、約四千年程の時間の流れがありましたそうすると、「キリストがお生まれになるまでは人間が救われることはなかったのか?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。キリストの十字架以前にも救いはありました。そしてその方法は、やはりキリストを信じることによってでした。とは言ってもイエス・キリストという名を知っていた訳ではありません。しかし、将来、神様が人間を地獄から救う救い主を与えてくださること、そしてその救い主が自分を救ってくださると信じることによって救われたのです。信じていることの具体的な表現は、自分が死んでさばかれるべき罪人であることの象徴でもあり、しかも、罪人の身代わりに流されるキリストの血の象徴でもある“動物のいけにえ”を神様に捧げることによってでした(彼らは牛や羊の頭の上に手を置き、動物と一体であることを言い表わし、その動物をさばかれるべき罪人の身代わりとして屠るのです。)。ですから彼らは、将来、自分の身代わりにさばかれ死んでくださる救い主(キリスト)を信じて救われたのです。そして後になって預言通りにキリストがお生まれになり、生涯の終わりに十字架にかかられ血を流し苦しまれ死なれたのです。このキリストの十字架がそれ以前の信じた者たちの救いの根拠であったのです(神様は大切な動物を犠牲にされたばかりか、ご自分の御子さえも人間のために犠牲にされたのです。神様の一方的なご愛が現わされています。)。そして現在はキリストの十字架から二千年を経ていますが、現在の救いも、キリストが自分の救い主であると信じることによって与えられると神様は約束しておられるのです。「御子(キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
神様は人間の救いに関して、数千年前の罪も現在の罪も、ただAD30年にゴルゴダの丘で死なれたイエス・キリストの十字架を根拠として赦し、救われるのです。神様は全人類の罪を背負わせ、全人類の身代わりにさばいたあの“十字架上のキリスト”を、人間が犯した罪と同様、現在として御覧になるのです。神様が将来のこと・過去のことを御存知であるのは、予知能力や記憶力が優れているというのではなく、時間に制限されないお方なので、人間から見ると時間の流れではあっても、神様にあってはいつも現在であり、今起こっている出来事であるからです。 “時間に制限されない”ということは人間には理解できないことなのですが、あえて私たちの経験から説明するならばこうです。私たちが見ている太陽。実は正確に言えば現在の太陽とは言えず8分19秒前の太陽をあたかも現在の姿のように見ているのです。なぜなら太陽の光はそれだけの時間が費やされて地球に届くからです。同様に、星の多くは数千年前の光がようやく地球に届いて来たものなのです。もし、私たちが逆の立場に立ってそんな星から地球を見ることができれば、数千年前の地球の姿が現在のように見えるのです。そしてもし超大型天体望遠鏡があって、人々の生活や人間の歴史の一部始終を見ることができたなら、どんなにかおもしろいことでしょう。ある星から見える地球ではキリストが十字架に釘付けにされているシーンが見え、またある星ではナポレオンが世界征服を目指してロシアと戦っている姿が映ったりするのです。人間ならば実現不可能なことですが、しかし神様ならばそんな星から地球を眺めることが容易であることは私たちにも何とか想像できるのです。しかし神様が時間に制限されないとは、このように光速の限界による時間差というものではなく、どんな過去においても、どんな未来においても現在のようにご覧になれるということです。ですから、神様が時間に制限されないことの意味が良く分からないにしても、過去の出来事が現在の出来事に見えることが私たちの日常生活でも経験済の事実であり、神様が、少なくとも人間以上の能力を持っておられると認められるのであれば、神様の目にはすべてが現在であり、神様が人間のように、二千年前だから忘れてしまわれるとか効力を失うとかは全くあり得ず、神様の約束は変わらず有効であることが分かって頂けるのではないでしょうか。 要するに神様は時間の流れに影響されない方ですので、二千年前にキリストが十字架で死なれたのがすべての人のためであると語られている以上(コリント人への手紙第二5:14)、キリストの十字架は今生きている・今罪を犯している・そして現在地獄に向かっているあなたのためでもあるのです。 神様の目から見れば、あなたが今までに犯して来た罪も、現在犯しつつある罪も、これから犯してしまうであろう罪も、罪の赦しの十字架とともに現在であり、あなたのためであるのです。ですから、あなたの罪をもご存知の上でキリストは十字架上で苦しんでおられたのです。すなわち、キリストを十字架上で苦しめたのはあなたの罪であったのです。この方のご愛を無駄にしないでください。 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。...しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)
no.677 ( 記入なし08/12/25 23:47 )
ぎゃああーー!書き過ぎ書き過ぎいーーー!!
少なくとも段落は改行してくれえ。
no.678 ( ドリアン08/12/25 23:52 )
読んでくれ、というので読んだが何が何だか分かりません。血に固執することからエホバの証人ですか?
論理性に欠け、説得力もない。聞いていられません。
no.679 ( 記入なし08/12/25 23:55 )
こんな非常識だからダメなんだなー日本じゃクリスチャンも教会も。
no.680 ( ドリアン08/12/25 23:57 )
変人と意固地の巣窟となっていてね。
no.681 ( ドリアン08/12/25 23:59 )
ドリアンさんは、どっちの味方なんですか?
no.682 ( 記入なし08/12/26 00:00 )
さう・・・。神の味方だけどお、、
人間の集まるところ必ず腐ってくる。という意味で、地上の教会はろくなもんじゃねーとは思うけどなあ。
no.683 ( ドリアン08/12/26 00:07 )
ここのサイト読めば進化論が誤りだと言うことがわかるよ
創造科学
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/
no.684 ( 記入なし08/12/26 04:33 )
霊的に開けた人々であれ、知的に進んだ人々であれ、キリストを本当に理解している人は今日ほとんどいません。
そして、ナザレのキリストの神性についての理解が、いまだに混乱しているという悲劇的な状況があります。
物質主義に陥っているという点では、正統派のキリスト教会は、心霊主義教会と同じくらい有罪です。
というのは、イエス・キリストを通して提示された神の存在の物質的な側面だけを利用し、キリストを神に祭り上げることによって、キリストを通して示された無限の愛と叡智を認識することができなかったからです。
no.685 ( 記入なし08/12/26 06:17 )
イエスは立ち上がって大声で言われた。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」ヨハネ福 7:37,38
no.686 ( 記入なし08/12/26 08:50 )
・私の語った言葉(真理)が、終わりの日にその人を裁く。
・自分を低くする者は高くされ、自分を高くする者は低くされる。
・自分を得ようとする者はそれを失い、捨てる者はそれを得る。
・泣いている者は笑うようになり、笑っている者は泣くようになる。
・貧しい者は飽き足りるようになり、富んでいる者は餓えるようになる。
・このように、先の者が後になり、後の者が先になるのである。
・人は、わが言葉(真理)に救われ、裁かれる日が必ず来る。
no.687 ( α08/12/26 10:36 )
<サタンは存在するか?>
サタンについて正しく知りうる方法は、聖書だけによるのです。
なぜなら聖書は神のことばであり、自らの存在を隠そうとするサタンの支配の及ばない書物だからです。聖書は明らかに、人格を持ったサタンの存在を示しています。以下はサタンについての聖書の説明です。
「試みる者」(マタイの福音書4:3)
「悪霊どものかしら」(マタイの福音書12:24)
「悪霊つきの原因」(ルカの福音書11:14-23)
「この世の神」(コリント人への手紙第二4:4)
「全世界を惑わす」(ヨハネの黙示録12:9)
「この世を支配する者」(ヨハネの福音書12:31)
「不信者の思いをくらませる」(コリン人への手紙第二4:4)
「偽りの教師たちはサタンの会衆に属している」(ヨハネの黙示録2:9,3:9)
「不法の人が従う霊」(テサロニケ人への手紙第二2:9)
「偽りの力と、しるし、不思議」を行なえる(テサロニケ人への手紙第二2:9)
☆このように聖書はサタンの実在をはっきりと語っており、聖書自体を偽りの書物としない限り、このことを否定することはできないのです。
<サタンとは何者か?>
宇宙にいる人格的な存在は、人間だけではありません。創造者であられる神様はもちろんのこと、御使いたちも人間同様に自由意志を持っており、しかも人間よりも力のある、目には見えない霊の存在です。その御使いたちの最高の地位を占めていたのが「ルシファー」でした。彼はこう表現されています。 「知恵に満ち」、「美の極みであり」、「全きものの典型」(エゼキエル書28:11-15)。 このルシファーという御使いは、自分が神様に造られただけのただの被造物に過ぎないということを忘れ、自分の美しさと知恵や力を誇り、高慢になって「私は天に上ろう。」「いと高き方のようになろう。」(イザヤ書14:12-15) と考え、神様に反逆して堕落したのでした。
<サタンの具体的な活動>
サタンは堕落した時から今もなお、自分が神とされることをもくろんでいるのです。そして、そのために地域ごとに、また、個別に活発な活動がなされています。
1.宗教作成 (「この世の神」)・・「創造主である神様に礼拝を捧げさせずに、宗教の背後にいるサタンを人間に拝ませる」(直接に拝ますのは、死んだ人間・きつね・へび・木や石である)
【その背景@】 “強迫観念及び洗脳”
俗に言う一つの不幸を先祖のたたりとか、自分の行ないの不足に原因があると信じさせ宗教に入れる(一生涯死後の不安を持たせて、修業もしくは供養せざるを得なくするなど)。
【その背景A】(「偽りの力しるし不思議を」行なえる) “超自然的な力を見せて神の力だと信じさせる”
簡単な病気が治る、近い将来が分かる、過去が分かるなどで、サタンは「神の存在」も「サタンの存在」も信じない人々を驚かせ大成功している(病気は医者でも治せるが、サタンが治すと「神の力だ」と言って人々はその宗教を真実なものだと思う。
2.撹乱 (「この世を支配するもの」)・・・・「様々な価値観を人間に認めさせ、創造主である神を見出させまいとする」
金第一主義・名誉第一主義・刹那的快楽主義・芸術至上主義・マイホーム主義、また、数多くの宗教などを、それぞれに価値ある生き方(信仰)であると人間に信じさせ、「私には私の生き方(信仰)がある、誰にも文句は言わせない!」と考えさせる方法。ここにはまことの神様を無視して生きることが罪であるという意識すら存在しないのです。
3.ムード (「空中(ムート゛)の権威を持つ支配者」)・・・「文化・芸術・教育・テレビ・映画・流行などを使って自分の欲望を満たすために精一杯生きるのが当然であるというムードを作っている」
暴力や暴行が否定されず、自分の思うがままの生活をする人が賛美され、確固とした考え・根拠もなしに、その場その場を楽しむことだけが人生であるかの様に思わせています(教育現場では人間が偶然の産物であると教え、そのムードをあおっています)。
4.個人攻撃 「積極的にサタンと交わる者をサタンは離さない」
オカルト・占い・サタン礼拝にかかわっている者の中には、悪霊に取り憑かれている例が少なくありません。自殺志願、殺人願望、人格破壊、情緒不安定を引き起こし、何らかの霊能力を持つことも少なくありません。そしてそのような者はサタンの奴隷となっているのです。
5.姿を隠す 「サタンはサタンが存在しないことを人々に信じさせている」 原因が不明な現象ほど対処しようのないものはありません。これらのことの原因がサタンであると人々にばれてしまえば、サタンはここまで成功しなかったでしょう。しかし、不思議な現象が起こるとすぐに“神がかり”だと人々が考えてしまうのは、存在を隠したサタンの勝利なのです。
<サタンの計画>
かつてルシファーとして御使いの最高の地位にあった彼が神様に逆らって堕落した時、彼は自分がさばかれる者であることを悟ったのです。確かに神様は、 「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火」(マタイの福音書25:41)である地獄を造られたのでした。
サタンの計画その@ 「神は人間を愛している。だから、すべての人間に罪を犯させて自分(サタン)に従うようにすれば、神はおそらく人間を地獄に入れたくないという理由から、人間の罪をさばかれないであろう。そうなれば自分もさばくことができなくなるであろう。なぜなら、神は不公平を行なわないからである。」と考えた。そして、確かにサタンは人間の誘惑に成功しました。
「すべての人は、罪を犯した」(ローマ人への手紙3:23)
☆しかし、すべての罪人のための救い主キリストがお生まれになった(ルカの福音書2:11)。
※@の計画は、救い主が罪人の身代わりにさばきを受けられたことにより、神様は人間を愛すると同時に、罪をさばくことを決定的に示され、サタンのさばきが定められたことよって崩壊しました(ヨハネの福音書16:11)。
サタンの計画そのA
キリストが神であるばかりか、さばきを実行される方であることを知って(マタイの福音書8:29,ヨハネの福音書5:22)、キリストを殺せばすべてが解決すると考え、民衆を煽動しキリストを十字架にかけて殺した。
☆しかし、キリストは三日目に復活された。
※Aの計画は、さばき主を死につなげておくことができずに、復活されてしまったことにより崩壊したのです(ヘブル人への手紙2:14・15)。
☆そして、サタンは決定的に敗北し、自分のさばきが近づいていることを知り、暴れまくっており、これからもますますそうなのです。(ヨハネの黙示録12:12)
no.688 ( 記入なし08/12/27 00:55 )
<サタンの手口>
「俺はサタンだぞ!」と恐ろしい姿で私たちの前にサタンが現われたとしたらどうでしょう? 誰でもサタンに騙されまいと警戒するのです。サタンにとって、神様の愛と栄光を人々に知らせないためには、人間に警戒心を与えてはいけないことを十分承知しているのです。
ですから、サタンの手口は、「ここに素晴らしいものがあります!」と、人間にとって一見魅力のあるものを提供することによって、友達のように親しく、またチョコレートを餌に使う誘拐犯のように自分の姿を隠して私たちのところにやって来るのです。そしてその方法は、この世の中の常識を使ったり、根拠のない個人の考えを使ったりするものです。ただし、気をつけなければならないのは、それらの勧めは一見、誠意のこもった真剣な勧めである場合がほとんどなのです。たとえば...
「今勉強すると、いい大学に行ける、そして幸せになれる、だから必死で勉強するんだ」..何の保証もない目先の目標
「この小さな商店を大企業にするのが君の使命だ!」....偽りの目標(企業は老いた人を捨てる)
「何のために生きているのかと悩んでいるのかい? 人間はその答を捜すために生まれて来たんだよ。」...的ハズレ
「『あなたがたには明日のことは分からないのです。』だから、今さえ楽しければそれでいい」...聖書の誤用
「『神は愛なり』。だから地獄なんてあるはずがない」....聖書の勝手な解釈(エホバの証人の教え)
「何事も深く考えるのはよせ、人間には分からないことが多くて当たり前。知ろうとするな! 神!? もしいたら守ってくれるさ、何も心配するなよ!」 ...人間中心思考(神は付録という考え
☆このようにサタンは、神のことばさえも使って私たち人間を誘惑し、扇動し、挑発し、罪を犯させようとするのです。しかも、非常に知恵を使ってやって来るので人間は騙されてしまうのです。「サタンさえ光の御使いに変装するのです。」(第Uコリント人への手紙11:14)
no.689 ( 記入なし08/12/27 00:59 )
<サタンの手口の見分け方>
それは、新興宗教などで顕著に現われている超自然現象の出所を見破る時に使う方法で説明できると思います。
@.根拠があるのか?(根拠のないものはサタンの騙し事である)
新興宗教の共通しているところは根拠のないことです。何故そのことが信じられるのか? どうしてその人の語ることが正しいと断言できるのか? 信じている経典がなぜ信じられるのか? といった明確な証拠を何も持っていないことです。ですから必ずその宗教特有の超自然現象を根拠にしようとするのです。しかしもし、その不思議な現象が根拠であるならば、全く別の対象を信じている他の宗教には不思議な現象が起こらないはずですが、互いに矛盾したあらゆる宗教に超自然現象が現われているということは、超自然現象自体が真理である証拠とか、神様からの力である証拠とはなり得ないのです。サタンは、「偽りの力と、しるし、不思議」を行なえるのです 。
A.サタンの導きであれば、神様に栄光を帰さない。
神様の導きの場合 ...人間の救いにつながり、神様の栄光が現わされる。
人間が一つの願いを神様に求めたとします。神様はご自分の愛と正義の基準から見て、その願いがその人に必要かどうかを必ず判断し、必要なものだけを愛をもってお与えになるはずです。何故なら人間は自分に害になることも知らずに願うことがよくあるからです。場合によっては、人間にとって耳の痛いことであっても人間の醜さ・無知・無力さを教え、人の心を永遠に向け、本当の救いと喜びを与えようとされるのです。
サタンの導きの場合 ..目先のこと(金・名誉・快楽・仮の平和や安らぎ)のみに心を向けさせる。
しかし、サタンの導きの場合は、人の願いの善し悪しは吟味されず、「それを私が叶えてあげましょう」と言うのです。神を人間の欲望を満たす道具としか扱わないこの人間中心の考えが、サタンが背後にいる証拠であり、神の名を借りたサタンの業なのです。
人間は、病気であるとか貧困であるとかを全て悪いことのように考えます。しかし、人間にとっての本当の一大事は、罪のために永遠の地獄に向かっていることです。神様は、そんな人間に救いの必要を教えるために、人間の無力さや罪深さ・いのちのはかなさを教えようとされます。そしてそのために、場合によっては病気や貧困を与えられることだってあり得るのです。 聖書に、ある金持ちのことが語られています。彼は生きている間、神について・罪について・救いについて何も考えずに死に、その罪の故に地獄に落ちてしまったのです。彼は確かに人間の判断によれば勝利の人生だったでしょう。しかし、その結末は勝利ではなく、地獄に行くためだけの敗北の人生だったのです。
神様は人間を愛しておられるが故に、必要に応じて人間に生きている意味、真理について真剣に考えさせるために、それらのことを愛とメッセージを持って与えてくださるのです。しかし、サタンは神様のご計画を無にし、人間が永遠について考えないように人間を騙し、金持ちになること・病気が治ることだけが絶対の善であるかのごとくに思わせ、あらゆる宗教を使って、真理について考える機会を人間から奪っているのです。
no.690 ( 記入なし08/12/27 01:10 )
<結論>
この世の中にはサタンの被害者がどれほど多いことでしょうか? 目的のない生き方が普通の人間の生き方であると信じ込まされ、根拠のないもののために一生を使わされ、気休めの宗教による根拠のない死後の保証だけに慰められて死を迎える。そして盛大に金をかけて死者は葬られ、死んだ人は「天国へ行った」とか「極楽へ行った」とかみんなが言うものの、本当はどこへ行ったのか分からない。しかし、「どうして天国に行ったと分かるのか?」と尋ねることもできず、だんだん習慣化して疑問すら持たなくなって来るのです。
人間がこんな根拠のない生き方をしていることを最も喜んでいるのがサタンです。サタンは人間の目を曇らせて、人間が神様の愛に触れ、神様を喜び、神様の栄光が現わされることのないように、一人でも多くの者を迷わせて地獄へ行くようにと工作しているのです。
どうかあなたも、サタンの巧妙な策略にだまされていることに気づいてくださいますように!
no.691 ( 記入なし08/12/27 01:15 )
宗教の活動について
日本では憲法により宗教信心の自由が規定されている。
また、日本は古来より八百万(やおろろず)の信仰があり、新しく入った仏教や更に日の浅いキリスト教なども
受け入れる自由の風潮があり、どれを信じるか、また信じないか、は今は個人の自由とされている。
また、日本においては、この信心の自由を侵して強制することはタブーである。
例:国家神道などの教訓により
各宗教は単なる布教活動より、日本においては無宿無職者の雨風や空腹を救済する活動に力を入れるべきであり、
宗教間で信者数を争っている場合ではない。
施しを受けて感謝し、入信するのも個人の自由であり、これを制限するものではない。
ただし、施しの対価として入信を強要すべきではない。
日本においては布教活動は自由であるが、他宗教を邪教として排除しようとする行為は
日本人のメンタリティーにも反する。
先進的宗教の有り方は「他宗教も認め、共に平和に共存する」カタチであり、
他人の価値観を認めたうえで通常の会話が出来る姿である。
宗教観の違いで争いを起こし、他人を認められない、邪教だからと上から目線で語る姿は滑稽であり、
真の宗教人の行う姿ではない。
世界においてもいかに、宗教観や価値観の違いで争いの絶えないことか・・・
宗教を信じるのは日本において自由である。
ただし、あくまで他人を認められる心が無ければ「立派な宗教」であっても、これに魅力を関心を持たないのである。
自由の無い中国や北朝鮮で日本の様に布教活動ができるであろうか。けっして出来ないであろう。
まず、「何を信じても信じなくても自由」である日本国内に居られることの感謝することから始めて欲しい。
そして宗教人は布教より困っている人の助けになって頂きたい。
no.692 ( うつから復活08/12/27 02:17 )
>691
あなたもちょっとサタンに騙されているようですね。
がんばってください。
no.693 ( 記入なし08/12/27 06:56 )
私もサタンにちょっと騙されています。
人間ですから。
no.694 ( 記入なし08/12/27 07:07 )
クリスチャンは他の宗教を認めない排他的な心の狭い人間ではないですか?
真理は間違いなく排他的であり、逆に言えば排他的でないものは真理ではないと断言できます。
「1+1の答は?」。あまりにも正解が簡単すぎて数々のクイズにまで変身している問題ですが、正解は必ず「2」です。また、「地球の形は丸いか? 平面か? それとも他の形なのか?」といった問題に対する答も、正解は一つしかなく、「丸い」なのです。「地球が丸いとは思わないし、平面にしか見えないから、私は地球が平面だと信じる!」といくら真剣に信じ込んだところで、それは真理ではないのです。「地球は丸い」が真理でありながらしかも「地球は平面」も真理であるということは絶対にないのです。
一つの事柄について二つの矛盾した答があったとします。その二つの答について考えられることは次の二つの可能性です。@二つの答のうち一つが正解で、もう一つが間違いである。A両方とも間違いである、というパターンです。ここが大事なのですが
「“二つとも正解”というパターンはどこにも存在しないのです。」
さて、「何を信じていても信じる気持ちが大切である。」と言ってどんな宗教でも認めている人間や宗教団体の考え方は、一見寛大に思われ、許容量の大きな器であると誤解されがちですが、その考え方自体がすでに、「私の信じているものは真理ではありません」と暴露しているのです。なぜなら、真理が二つないことを、すなわち、「何を信じてもいいのではない」ことを一番良く知っているのは、真理を知っている者であるはずだからです。真理を知っているのならば逆に、偽りを信じている者に対して、真心を持って、「真理とはこれこれです。」とはっきり説明すべきなのです。真理は間違いなく排他的であり、逆に言えば排他的でないものは真理ではないと断言できます。
ただし、排他的であるというだけならば、それこそただの独善主義であり、本当に心の狭い者と言われるべきでしょう。しかし真理であるならば、絶対に動かされることのない根拠があるはずです。この根拠を確かめることによって真理を見出すことができるのです
no.695 ( 記入なし08/12/27 07:46 )
地獄は本当にあるのですか?
ちょっと考えてみてください。私たちの常識では悪いことをすれば必ず罰を受けるのは当然ではないでしょうか。
そして法律に触れるような犯罪を犯せば、法的に刑罰が下るのが当たり前ではないでしょうか。逃げ延びた殺人犯や強盗が得をするなんてことは絶対におかしいと思われないでしょうか。人間の常識でさえ、罪にはさばきがあって当然であると信じているのです。そして、そう信じているからこそ人間は死を恐れるのです。どういうことでしょうか?
もし人間が普段、口にするように“死ねば消えてしまう”と本気で信じているのならば、死を恐れる理由は何もないはずです。なぜなら消えてしまえば意識がないからです。しかし人間が死を恐れるのは、死後のさばきである地獄を恐れるからに他なりません。そしてその背景には自分が罪人であることの自覚と、罪をさばかれる神様の存在を人間が意識している事実があるのです。
それでは神様は実際おられるのでしょうか? この宇宙の神秘を見ても自然界の秩序を見ても、私たちの人間の体の複雑精巧さを見ても人間よりも優れた存在、創造者とも神とも呼ばれる方がおられることははっきりと分かります。「神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる」(ローマ人への手紙1:20)とある通りです。ですから、罪をおさばきになるお方、神様はおられ、地獄も存在するのです。
また、他の面からの説明をさせて頂きます。聖書のお話をしている時に私たちは時々、「あなたは地獄を見たのか?」と質問されます。何故なら私たちは地獄があることをはっきりと言うからです。しかし、クリスチャンは地獄を見たから地獄があると言っているのではありません。そうではなく、確かな証言があるので地獄の存在を断言するのです。そもそも人間には死後について語る資格がないのです。なぜなら死んで帰って来た人が一人もいないからです。そんな人間が、死後のことをどれほどもっともらしく雄弁に語っても、何一つ根拠のない空想話に過ぎないのです。その証拠は各宗教・哲学の多様でお互いに矛盾しあっている死後観に現われています。しかし歴史上ただ一人、死んだ後復活された方、イエス・キリストがおられます。彼の証言はこうです。
「恐れなければならない方をあなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナ(地獄)に投げこむ権威を持っておられる方を恐れなさい。」(ルカの福音書12:5)、「...わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。..」(マタイの福音書25:41)
このように神のことばである聖書の宣言においても、死後復活されたイエス・キリストの証言においても、地獄の存在をはっきりと知ることができます。そしてこれらの証言が信頼できるかどうかは、ということを調べることによって結論が出るのです。
どうか確かめてください。地獄でのさばきは、永遠にそこから出ることのできない恐るべきものです。これこそあなたにとって一大事であるはずです。どうか放って置かないでください。
no.696 ( 記入なし08/12/27 07:56 )
バーコードの正体 知らないと損です
http://www.geocities.jp/gscsapporo/siranaitoson.htm
no.697 ( 記入なし08/12/27 08:14 )
天動説を唱えていたのもキリスト教。
ダーウィンの進化論を未だに否定しているのもキリスト教。
それが真理なのか?(^^;
no.698 ( 下っ端公務員08/12/27 08:38 )
さて、揚げ足取りです。
「1+1は?」と教えるやり方は日本です。
外国では数学的思考を高める為、「2になる足し算の数字の組み合わせを考えましょう」と教えています。
「地球は丸いか?」
球形に近い、が正しいでしょう。
人工衛星など重力場を調べたうえで測定すると洋ナシ型に近いそうです。
まぁ、近似であればリンゴもミカンも洋ナシも「丸い」と言えてしまいます。
「“二つとも正解”というパターンはどこにも存在しないのです。」
数学の解を求める場合や物理学の解を求める場合、出題に”解が1つになる”ように
注意深く設定しないと正解は複数出てしまいます。
よく、大学入試問題にはミスが発生し、複数の正解が出て無効または複数正解のどれかであれば
正解とする事態は良く起きます。
>真理を見出すことができるのです
どの宗教においても、開祖の時代にタイムマシンで行って確かめることは不可能であり、
伝承、伝聞、文献などを頼りにしています。
信心が深ければ「この宗教が絶対正しい」と思ってしまうのは人間の思い込みでしょう。
それが、正しいのか正しくないのか、これは人間が判断する場合においてミスがよく付きまといます。
脳は10処理するうち3回ほどミスする、これを脳は補正し、決定的ミスをしないようにしている、
と言われています。
さて、揚げ足取りはこれくらいにして。
日本の近代の宗教の流れは「他宗教を認めあい、共同して悩める人たちの相談を受け付けよう」と
いう流れになってきています。宗派の違いで争っている場合ではない、との考えです。
カウンセラーのような役割です。もし、行政にこれこれこうでこう処理すると問題が解決しますよ、など
幅広く門戸を開いております。
また、自殺など深刻な相談は宗教家が派閥や宗派の違いを乗り越えて団結して
電話相談など受け付けております。
記入なし さん が「絶対」だと思うのも自由です。
それで布教活動して下さい。
ただし、「邪教だ、導くためには何をやっても良い」この思考にはならないで下さい。
現実問題として現在これは 脅迫行為・強要行為 にあたります。
「正しい宗教だから何をしても良い」は同じ言葉をテロリストが良く使います。
>排他的であるというだけならば、それこそただの独善主義であり、本当に心の狭い者と言われるべきでしょう。
自ら言われている通りです。
信心の深さのあまり、視野狭窄に陥っていては「正しい宗教」であっても
他の人を導く魅力に欠けます。(記入なし さん が信心深いのは分かります)
(どの宗教でも「自分のところが正しい」と言っている数の多さに埋もれてしまいます)
現在の日本の状況から具体的な活動としては
情報を得ることが出来ず、無宿無職になっている人 に
行政の家の貸し出しや緊急に雇用する企業の情報 などを提供されてはどうでしょうか。
今日寝る場所も食べる物も無い人 には 宗教 よりよほど役に立ちます。
入信する人は ある程度の余裕がある人 と考える方が自然です。
ここのスレで どこどこの書 を書き連ねている時間があれば、
現実に具体的に 困っている人 を救ってあげて下さい。
多くの人は余裕が出てくれば あなたの正しい宗教 に耳を傾けることが出来るでしょう。
今は単純な布教活動を行っている場合ではない状況だと思います。
不況や不遇につけ込んで布教活動を行うのは邪道なやり方です。
no.699 ( うつから復活08/12/27 09:04 )
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