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なんくるなるさぁ〜!


 ■ 2004/12/08 (水) 「認められたい」という気持ち


少し忙しくしていまして、ほとんど更新することができませんが、
前回の話の少し補足を書いておこうと思います。

「自己評価」が他者の評価に多く依存することによって、
他者に「認められたい」という気持ちが強くなります。
そして他者に認められないがゆえに自己評価を低くしてしまうことが起こります。
特にそれが親子関係に多く見られ、
それが前回の日記の中の話に結びついてくるわけです。

人は他人に認められようとすると必要以上に力が入ります。
そして実際にうまく行かないと自己評価を低くしてしまいます。
時にこれがスムーズに行っていないと人を説得にかかったり、
あらぬ被害妄想にさいなまれることもあるようです。

自己評価を高めることはとても難しいということを私はよく理解しています。
前回「簡単なことだ」といったのは言葉では簡単だという意味です。
むしろそれを実践することはとても難しいことはよくわかっています。
言葉でこのあたりはとやかく言うよりも、
とにかく実践あるのみだなぁと思っています。
その辺については私の実践がうまくいってからまたお話しすることにしましょう。

4日分ぐらい前から少し書く種がなくなってきた感じがしていました。
今吐き出したかったことはそれまでに吐き出した感じがあったからです。
決着を着けたかった過去の思いはある種の決着がついた感じがしますので、
今までのように毎日ではなくこれからは気の向いた時に更新をするつもりでいます。
これまでいつもご覧くださっていた皆さん、
更新されたときはまた見て一声かけてください。よろしくお願いします。


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大人の少年 心の中が少しはすっきりしたようですね・・、「自己評価が・・特に親子関係に多く・・」このことは何かの本で読んだ事と同じようですが、{親が子供に要求を出し、それに答えようとする子供、この繰り返し生活がやがて、親からの要求に子供がこたえることが出来なくなったらその先は・・やがて引きこもりなどの現代の特有の人間になってしまうようです。その要求にこたえられなくなった時の心理状態を想像すると怖いような気がします。 (04/12/08 22:16)
幸運を祈る 忙しいのですか〜。お体を壊さないようにです。 (04/12/08 20:03)
ぺけぽむ ふむ、前回少し解りにくかったですが、self estimeとは「自分に関する評価」のニュアンスが強かったのですね。貴方の道は、結局少しずつ自信をつけていけばいいということになるのだと思いますが。他人から下される評価を基準にして行動すると、自分の存在価値を他人に人質に取られたような形になりますよね。評価が高いうちはいいですが、いったん低くなるとこの場合生殺与奪の件を他人に譲り渡していることが露骨に感じられるかと。ストレスを猛烈に増やす生き方だと思うのですが、競争社会とはそういう世の中だったりするんでしょうね。最終的には力ずくで「認めさせた」人が勝ち残る世の中。そういうストレスをかぶるか、それとも承認(評価)する・されるのとは別の関係を作っていくかのどちらかの覚悟をしたほうがいいなと、個人的には思っています。他人を自分の幸福やプライドの手段としないで生きられる世の中なら、こんな無意味な苦労は無いでしょうが…。 (04/12/08 10:52)


 ■ 2004/12/05 (日) 自己評価


「セルフ・エスティーム」という言い方をします。この「自己評価」。
前回の最後に私の自己評価をお話しすると予告しておきましたので、
それをお話しようと思います。

私は「自己評価は低い」です。
低くなかったら今こうして日記を書いていないでしょう。
それは前々回にお話した「人は鏡」を使ってもわかります。
私のおかれている状況は一番初めの日記でお話しましたが、
決して好ましい状況でありません。

教員時代もそうでした。専任と同じだけ、いやそれ以上の授業時数を持って、
仕事もしていたのに、給料は雲泥の差でした。
本来受け取るべきものを受け取れていないというは、
まさしく「自己評価が低い」現れであると私は考えます。

自分の願いが思いのままに叶うということは、
自分で自分に「その思いが叶ってもいい」と許可を与えたからだと考えられます。
表面意識では許可を与えている思っていても、
案外人というのは深い部分でそれを受け取りたくないと思っていたりするものです。
受け取りたくないというよりは「受け取るに値しない」と思っていたりします。

ある特定の願いがあって、叶わない状況がもしありましたら、
こんなことをしてみてください。
「○○が叶わない。なぜならば××だから。」
○○には願いを××には理由を思いつくままに入れてみてください。
案外たくさん出てくるはずです。

大抵の理由の根底にあるのは
「受け取ることが怖い」と思っている意識だったりします。
「こんなにいいもの受け取れない。受け取ったら悪いことが起こるかもしれない」
なんて考えているかもしれません。信じられないでしょうがよくあることです。

もちろん「受け取るに値しない」と思っているかもしれません。
とても多い「受け取るに値しない」理由には女性の場合「私が女だから」とか、
小さい頃繰り返し繰り返し「お前は悪い子だ」と叱られていたことが、
深い部分にしみこんでいて、
「自分は悪い人間だから受け取ってはいけない」と思ったり、
探ってみると本当に不思議な理由が出てきたりします。

こういった不思議な理由が何層にもわたってあるので、
ここを掘り下げていくのは本当に大変です。
いまだに私にも私の本当の理由がないかはわかっていません。
可能性は挙げればきりがないものだったりしています。

結論は自己評価をただ高めればよいのです。ただそれだけなんです。
あっけないんですが、これが難しいのです。
このことをずっと考えています。
それこそいい案があればどなたかにお教え願いたいと思ったりもしています。
まぁそれでも少し糸口は見つかりつつあるのですが…。
そのことが次回お話できるかわかりませんが、
今の私の関心はそこにあるとお思いください。


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なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>日本語では「自己評価」という言い方をしますが、文字通りでは本来はありません。今回の日記の冒頭にも書きましたように、「セルフ・エスティーム(Self-esteem)」と心理学の世界では呼ばれることのことをお話しました。この「セルフ・エスティーム」に適切な日本語訳がなく、このことを題材にした心理学の本のほとんどが「自己評価」と訳されて書いてあります。概念的には大人の少年さんがおっしゃるとおり「自己認識」が大前提にあります。不当に低いことか困難な現実を引き寄せてしまっている人が、特に女性の場合多いことから、女性について言及されている本が多く出版されています。「…に値しない」というのが宗教的(?)哲学かどうか私にはわかりません。特定の信仰をもっているわけではありませんので。ただ今までほとんどお話していない私が学んだ心理学の世界は、土台となる部分に「キリスト教」的概念が入っているようですので、そのせいかもしれません。アメリカ人がアメリカ人のために始めた心理学ですので、キリスト教の概念と向き合う必要がどうしてもあったようです。 (04/12/08 01:24)
なんくるなるさぁ〜 ぺけぽむさん>解説をありがとうございました。 (04/12/08 01:16)
大人の少年 「結論は自己評価をただ高めればよいのです。ただそれだけなんです。」この文面の”ただ、高めればよい”は人によっては都合のいい自己評価とも受け止められますし、文章からも都合のいい自己評価と読み取る人がいると思います。今回の日記では、自己評価という言葉を使っていますので、あえて・・評価という言葉を私も使いますたが、本来は自己評価というより、自分がどんな人間なのかを認識する事(自己認識)のほうがもっと大切だと思います。そもそも「・・・に値しない」先の日記も今回の日記も使っておられますが、少々宗教的哲学にこだわりすぎているように思いますが、いかがでしょう?(勿論、信仰の自由は尊重しますが・・) (04/12/06 21:06)
ぺけぽむ 縋っていないというのはあなたについて当てはまると思いますし、コメントにはそう書いておきました。>…縋っているのではないかと思うのです。それが出来なかった貴方は…としているでしょ? 貴方が縋っていると言うのは誤読です。縋るという言葉にむやみに反応なさいませんでしたか?思いを剥ぎ取るとは、長めに引用しますと、>もちろん「受け取るに値しない」と思っているかもしれません。とても多い「受け取るに値しない」理由には女性の場合「私が女だから」とか、小さい頃繰り返し繰り返し「お前は悪い子だ」と叱られていたことが、深い部分にしみこんでいて、「自分は悪い人間だから受け取ってはいけない」と思ったり、探ってみると本当に不思議な理由が出てきたりします。こういった不思議な理由が何層にもわたってあるので、ここを掘り下げていくのは本当に大変です。とある部分ですね。外在的なものに言及のない(エゴイスティックと言うことではないが、ある意味で自己中心的な)自己言及なので結論がです、要するに内閉してしまって現実的な内容をもてないと言うことです。つまりそのやり方では現実に向かうための針路は出てきません。ただ、どうすればいいかという基準は、多分どうしたやり方をしても実定的には出てこないです。それは基準は自分の外にあるからで、そういう審及を自分で自分に与えるのは困難なのです。自分の存在を貴方が自分でこしらえたわけじゃないでしょ? それと一緒です。つまり、手痛い現実の結果から「これをやってはいけなかった」という後知恵を受け取ることは出来ますが、しかし実際の審判は自分の思いも拠らないところでなされているので、そのルールを完全に把握することは出来ないのですよ。ただ、結果は行為すれば必ず出てくるので、「やってはいけないこと」の共通則を見出すことは出来るでしょ? ルールが不明な以上、行為はその都度賭けにならざるを得ないけど、ただ過去の経験からオッズを下げることは出来るはずです。で、最大の懸案である「自分を丸ごと見据える視点」ですが、これは、本当は、不可能です。審及の基準が自分の中にないという前提からすれば、自分を丸ごと見据える視点というのは、実際には自分の中に創設できないのです。自分の身の上におきることの一切を知ることが出来るのは人生が完結する瞬間に他ならないはずだからですね。人生の途上にある生者は、未だ生きている以上、仮想的にそれを抱くことが出来るだけです。しかし、仮想的であれなんであれ、「自分は死ぬ」という把握を敢えてすることで、自分がいましている様々なことどもの意味を、そこから規定することが出来ると思うのです。まあ、「死を想え」という格言みたいな感じですが、要するに死ぬ事を意識して関して覚悟すればいいということです。死を前にしての蛮勇みたいなことではないですので、その点、よくお聞き届けください。 (04/12/06 11:08)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>過大評価も過小評価も確かによくないです。ただここで問題にしているのは、「望みが叶う」といったときに、叶わない現実があって、それが叶わないのが「自分は受け取るに値しない」と考えていることにあるのではないかという視点から、自己評価について触れています。都合のいい評価の話とは少し場面が違うように思うのですが、いかがでしょうか? (04/12/06 02:00)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>考えなくてもわかってたりする部分を意識してみませんかという提案であったりします。 (04/12/06 01:57)
なんくるなるさぁ〜 ぺけぽむさん>こちらこそ、はじめまして。長いコメントをありがとうございます。「縋る」…すがると読むんですね。私ははじめて知りました。まずすがっていないので、そこは誤解かと思われます。それから「思いを自分から剥ぎ取りすぎる」とはどのことを指されているのでしょうか?それから一番最後ですが、自分を丸ごと見据えられる視点を創造すればいいとあります。具体的に何をするのでしょう? やるかどうかとおっしゃっていますので、ぺけぽむさんはなされているのでしょう。ぜひお聞かせください。 (04/12/06 01:56)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>是非考えてみてください。自分を責めるにはそれなりの理由が必ずあるものです。 (04/12/06 01:50)
なんくるなるさぁ〜 th1969さん>それは素晴らしいことではないですか? そういう方がたくさんいる方が私はうれしいです。 (04/12/06 01:48)
大人の少年 自己評価は、過大評価も過小評価も良くないですね・・。私も含め最近は、自分の都合のいいように評価してしまう人が多いように思います。 (04/12/05 22:23)
幸運を祈る 自己評価ですか〜。自分はあんまり自己評価した事ないですね・・・考えなくてもわかってたりです・・・ (04/12/05 18:57)
ぺけぽむ 初めまして。とりあえずコメントを。まあ、悪い評価が出てくるのは、「評価」するからでしょうね。もちろん「良い評価」も評価するからこそ出てくるのでしょうけど。「評価」しなければそもそも上だの下だの考えなくていいわけですから。そうやって「良い」と「悪い」の二つの意味づけだけで自分の存在を割り切れるはずがない。そうやって考える地平から離れない限り、恐らく貴方は穴倉から出られないのではないかと。要するに良いか悪いかなど気にするな、ただ上手く行ったときのことは手本としてよく覚え、うまく行かなかったことは改善の材料としてとっておく、それでいいと思います。成功哲学に縋る人の多くは自分の道に自信がないので無理して「これこそ道」と信じ込むために縋っているのではないかと思うのです。それができなかった貴方は、たぶん自分に絶対にウソのつけない人なのだと思います。いいことだと思うのですが、しかし純粋であろうとして思いを自分から剥ぎ取りすぎると何が自分の欲望だったのか解らなくなると思います。現に前回の書き込みでは、何が「成功」なのか良く分からないでおられるようですし。別に「成功」なぞせんでもでよいと思うのですが。「成功」しないと生きてる意味がないんでしょうか。「成功」が価値だったら「成功」しないと自分の評価っていつまでたっても上がらないんじゃないですか? 今貴方がたどっている道は単なる自分探しに堕しかけているのではないかと危惧します。良いだの悪いだのという「評判」のレベルではなくて、自分を丸ごと見据えられる視点を創造すればいいと思います。出来るかどうかではなくて、やるかどうかの話です。 (04/12/05 17:49)
ロールキャベツ 自分自身をせめなかったらどんな悪いことがあるのか・・考えてみます。 (04/12/05 13:13)
th1969 ここの日記書きに自己評価の高い人がいたら、その人は早いうちにここを去る可能性の高い人でしょうな。 (04/12/05 12:08)


 ■ 2004/12/03 (金) カラクリ


「成功哲学」に関する本などたくさん読んでいるという方はとても多いと思います。
現に以前はマニアしか知らなかったジェームズ・アレンの本がたくさん翻訳されたり、
「お金」に関係した本というのもたくさん出版され、
ベストセラー・ランキングの上位を占めているのを目にされたことがあると思います。
以前にもお話しましたように、私もこれらの本をたくさん読みました。
まずは少し本の話をしようと思います。

バイト先の上司がこうした本が大好きだったこともあって、
その後「能力開発セミナー」を受講してからたくさん読んだとお話しました。
最初にその上司に薦められて買った本はナポレオン・ヒルの『成功哲学』でした。
おそらく今は絶版になって、違うタイトルになっていると思いますが、
ハード・カバーで買うには買ったけど読めなかった本です。

その後「能力開発セミナー」に参加して、
終了後にセミナーのトレーナーから何冊か本を薦められました。
そのうちの一冊がジョセフ・マーフィーの『マーフィー100の成功法則』でした。
こちらは後に「大島淳一」というペンネームで翻訳したことをカミングアウトした、
著名な評論家かつ大学教授の渡部昇一さんの訳本です。
この本は今は文庫になっていますが、とてもわかりやすい内容でした。

この本を読んでから、ロバート・シュラー、ウェイン・W・ダイアー、
デール・カーネギーなと、著名な成功哲学の著述家の本を片っ端から読みました。
同時期にバイト先の上司が高額のジョセフ・マーフィー・プログラムを
購入したこともあって、テープもたくさん聴きました。

本やテープにならって、たくさんの「アファメーション」を作りました。
そして毎晩寝る前に唱えて寝たりしました。
手帳などにそれらの言葉の数々を書き込んで、通勤電車の中で眺めたりもしました。
しかしですね、自分の「思い通りに」願いが叶ったことはありませんでした。
もちろん以前ご紹介したように、「忘れた頃」に叶ってはいますが、
タイミングが悪かったり、100%満足な状態というわけではありませんでした。

そしてある日「マーフィー先生」と子供たちに呼ばれるほど、
成功哲学オタクになっていたバイト先の上司と話をしていると、
興味深いことを教えてもらいました。
そのアイディアは無能唱元さんの『夢かなえます』という本を読んでのことでした。

無能さんは仏教の概念でいう「阿頼耶識」の活用法を説いた本を書かれている方です。
仏教の世界では「意識」について非常に細かく分類されています。
この「阿頼耶識」は「潜在意識」の深い層のことを指しているそうです。

無能さんは本の中で図にして解説しているのですが、
どんなにポジティブな言葉でも唱える人の「心」すなわち表層意識がクリアでないと、
ゆがんだものになってしまい、思ったように願いが叶わないとのことでした。
つまり潜在意識の世界を活用することはそう簡単ではないということを、
この本で無能さんは教えてくれているわけです。


以前にもお話しましたが、よく「ポジティブな言葉かけ」を毎日していて、
日々の生活にもポジティブ・シンキングを心がけている人が、
突発的な出来事に出会って、ネガティブな気持ちになって、
「ネガティブに思ってしまった」と自分を責めることがあります。

ネガティブな気持ちになることよりも、
実は「自分を責めること」の方が本当は問題なのです。
どんなにポジティブ・シンキングをしていても、
自分を責めた瞬間にそれまでの苦労が水の泡になります。

成功哲学本はどなたの著作を読んでも基本的なメッセージは同じなのですが、
多くの方がいろんな本を読んだり、同じ本を繰り返し読まれるのは、
これも以前お話しましたように、人間はとかくネガティブに考えがちだから、
それを相殺するために読んでいるわけです。
それと同時にやはりなかなかうまくいかないことが、
それらの本を読み続けることになる原因になるように思います。

私はその後実践的な心理学の世界に足を踏み入れるようになりましたので、
成功哲学からは離れることになりました。
もっと深い意識の領域にこそ、根本的な原因があるということに気が付いたからです。
そちらの話は機会を全く別にしていずれお話しすることにしましょう。


成功哲学のアイディアがまさしく成功するかどうかの鍵について、
今回は一言触れて終わりにしたいと思います。
その鍵は「自分自身を自分でどのように評価しているか?」ということです。
これが全てです。
先ほど「自分を責めた瞬間にそれまでの苦労が水の泡」といいました。
「自分で自分を責める」というのも評価のひとつです。
是非この日記をご覧の皆さんも
「自分で自分をどのように評価しているか?」を考えてみてください。
そしてその自分は「成功するに値するか」を考えてみてください。
きっと私の言わんとしていることがご理解いただけるかと思います。
私が私自身をどう評価しているかは次回お話しすることにします。


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>ポジティブ・シンキングの話はしていないのですが、どうも幸運を祈るさんはそこにこだわりがあるようですね。ポジティブ・シンキングは難しくはありませんよ。そうすることによって結果が出てこないことが多いので、どうしたらよいのか、何をそれは意味しているのかをここでお話しているわけです。 (04/12/05 01:24)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>今までとは少し異なる問いかけをしますから、考えてみてください。「自分で自分を責める」ことで、どんなよいことがありますか? どんな恩恵を受けていますか? また逆の質問をします。「自分で自分を責めなかったら」どんな悪いことがおきますか? どんなデメリットがありますか? まずこの問いを考えてみてください。そして、「深層心理」とありますが、まずは今私が投げかけた問いから1つ1つ、ロールキャベツさんに働いている深層心理を明らかにしてみましょう。ぜひやってみてください。 (04/12/05 01:22)
幸運を祈る ポジティブシンキングって大変なのですね。前向きに考えるって簡単にみえて、とても難しいと感じましたです。 (04/12/04 13:03)
ロールキャベツ ↓で「思い」と書いてしまいましたが、深層心理という意味です。 (04/12/04 10:47)
ロールキャベツ どうしたら自分で自分を責めることをやめられるのでしょう。自分で自分を責める、自己評価の低い自分の思いとは、どんな思いの反映なのでしょう。 (04/12/04 01:58)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>早速のコメントをありがとうございます。「成功」…なんでしょうね。今回の日記でいうところの「成功」は「自分の望みが望み通りに叶うこと」と思ってください。しかも自分も他人も「幸せ」にする「望み」が叶うと思ってください。もう少し言葉を補います。誰をも悪くせずに、少なくとも自分を心地よくさせる望みだと思ってください。 (04/12/04 01:11)
大人の少年 一つ質問なんですが、なんくるなるさぁ〜さんにとって「成功」とは、なんですか?私は自分が成功するとかしないとか、考えた事はありませんし自分が成功するに値するかどうかも考えた事はありません。そもそも、何をもって成功と言えるのかどうかもわかりません。次回の日記、楽しみにしています。 (04/12/04 00:23)


 ■ 2004/12/02 (木) 人は鏡 … 私の場合


前回は変換ミスもあり、そのミスのおかげで違う意味に取れることがわかりました。
失礼致しました。もしまだ修正後をお読みいただいてないようでしたら、
是非前回の文章を読み直していただけると助かります。

教員時代は毎日考えられないくらい数の「鏡」が目の前に存在しました。
ただその「鏡」を有効活用できたかというと、できないことが多かったなと思います。
もし今の心境で教壇に立てていたら、有効活用ができるかもしれません。
生徒達の退屈な態度、打算的な学習への取り組み、反抗的な態度。
その全てが素晴らしい鏡であったと今は振り返ることができます。

また「嫉妬」というのも、「鏡」ということをよく理解していると、
全くもって必要がないものだといえます。
「鏡」ですからね。自分にもその嫉妬している人の持つ、
嫉妬するぐらいよい部分が自分の中に眠っているわけです。
それが本当にほしいならば、手にする可能性があるわけですよね。
自分がそれを本当にほしいと望めば…。

嫌な出来事、不満なことは原因を外に求めがちです。
そして外に求めているうちはなかなかそれが変わっていきません。
逆に自分に「思い」に責任があるという立場に立つと、
案外簡単に状況が変わったりします。
問題は自分の内側にあるわけですから変更可能なわけです。
その変更方法はこれまでお話してきた
「ポジティブ」な言葉かけが代表的なものでしょう。

ただそれでも状況が変えられないことがあります。
むしろそのケースの方がはるかに多いように思います。
次回はそこに迫ってみたいと思います。


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>是非ご自分の内側を見つめてあげてみてください。 (04/12/03 21:30)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>日本語は、読み方つまり「音」と文字そのものにも意味がありますからね。本当に深いです。 (04/12/03 21:30)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>いただいたコメントの後半部分への返信です。私も自分に自信がないので、ロールキャベツさんのおっしゃっている事柄はよくわかります。鍵は「自分は自信のない人間だ」とご自分で認めてしまっているところにあります。1つ前のレスでお話しましたように、「行動」ではないのです。「思い」がしっかりとしていれば、自然と現実が引き寄せられ、しかるべき行動を「自ずと」とることができます。もし今の状況を不満足な状況に、ロールキャベツさんがお思いでしたら、核にある「思い」に問題があると理解してください。「自分の理想の姿」とあります。この姿は「自信のない自分の姿」とイコールですか?考えてみてください。この先はこの後の日記でお話させていただきます。 (04/12/03 21:26)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>実をいいますとね、「ポジ」「ネガ」の概念では私の話していることは、そしてロールキャベツさんが陥ってしまっている状況は解決できないんです。本当は…。そのこともお話したくて、一連の話をしています。私の中ではその先の先ぐらいまで疑問があって、それに答えを出そうと、今こうしてこの場をお借りしてお話させていただいている次第です。現段階で言えることは、大人の少年さんとのコメントでのやり取りでも出てきたことですが、「ポジ」な行動が大切なのではなくて、「ポジ」な「思い」が大切なんです。自分の「思い」に責任を持つということなんです。今度お話しますが、心理学用語で「アカンタビリティー」といいます。日本語にすると「自己責任」という言葉になりますので、イラクの人質事件で話題になった「自己責任」と同じように思えるかもしれませんが、ここでの「自己責任」は内面の問題です。もし不満の原因を外に求めると、責任を外に転嫁することになります。これが悩みや苦しみの原因となってしまうわけです。だって、他人は変えられないじゃないですか。自分が他人によって変わりたくないでしょ? 好ましくない現実を変えるには自分の内面を変えるしかないわけです。そのことを今回は「人は鏡」という言葉で、お話させていただいた次第です。  (04/12/03 21:18)
幸運を祈る 自分の内側に確かにあるかもしれないですね。 (04/12/03 18:56)
大人の少年 人間、気持ちの持ちようで、心が楽になることもありますね・・でも日本語って状況によってはその言葉に、重みを感じたりします。 (04/12/03 13:16)
ロールキャベツ 不満の原因を外に求めがちとありますが、そういう考え方自体、私にはポジに思えます。私はいつも自分に自信がないので、全部自分のせいだと思って落ち込んでしまうのです。他の人のせいだと思えたらどんなに楽かと思います。自分に自信のない人間なので自分の内側の変更は常に思っているのですが、うまく行動に反映できません。それがまた、自分の理想の姿と、できることとのギャップとなって自分を苦しめます。自分を変革したいために時々いろいろなものに取り組みますが、思うようにできないという壁につきあたり、自分の自信をますますなくす原因になってしまうし、一緒にやってきた仲間に迷惑をかけてしまうことばかりです。そうやって次々と友達を失っています。勝手にいろいろ書きましたが、抽象的すぎたらごめんなさい。 (04/12/03 08:50)


 ■ 2004/12/02 (木) 人は鏡。類は友を呼ぶ。


「人は鏡」と言われますよね。
私がこの言葉について強く意識するようになったのは、
以前お話した能力開発セミナーででした。
近頃はテレビや雑誌で引っ張りだこの江原啓之さんは「類友の法則」、
つまり「類は友を呼ぶ」という言葉で同様のことを言っていたりします。
この考え方はいろんなことに応用できますよね。
これまでお話してきた「成功哲学」などもこの応用であったりしています。

今日、もう日付の上では昨日になりますが、今年の流行語大賞が発表されました。
その中に「自己責任」という言葉がノミネートされていましたが、
この「人は鏡」という言葉はまさしく「自己責任」について言っているように、
私には思えます。もちろん流行語にノミネートされた意味とは実際は異なりますが…。

「自分の心のあり方が、ある特定の現実をひきつける」というのが、
ここで言う「人は鏡」であり「類友の法則」です。
もし望まない現実が目の前に現れているのならば、
まずは自分の心のあり方に目を向けてみる必要があるということを示唆しています。

私は今目の前に現れている現実を好ましく思っていません。
これは前回もお話しました。
「人は鏡」の考え方に立つと、
今の自分の心のあり方が間違っているということになります。
これまでの言い方であれば自分の「思い」が望む現実をひきつけるには、
間違った「思い」を持っていることを示していることになると思います。

この間違った「思い」を、肯定的な言葉で、きれいな言葉で、
打ち消してしまおうというのがこれまでお話してきた中身になります。
したがって、肯定的な言葉かけがうまくできずに
「また否定的なことを考えてしまった」と自分を責めれば、
これもまた肯定的な言葉かけとは正反対になりますので、
まったくもってナンセンスになるわけです。
失敗したって言い訳です。きれいな言葉をかけ続けるほうが
そもそも難しいわけですから…。
自分を責めずに、自分を「判断する」ことなしに、
ただ自分の使う言葉に気をつければいいというのが、
これまでお話してきた内容になるわけです。

まずはこれまでの話と「人は鏡」との関係を今回は明確にしてみました。
次回は少し角度を変えてお話してみたいと思います。


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なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>お互い様だと思いますよ。もちろん、大人の少年さんは私の「鏡」です。大人の少年さんの鏡に私もなっているわけですが…。直接お会いしている人だけが「鏡」というわけではないと思いますよ。私はコメントを拝読しながら、毎回それを強く感じます。 (04/12/03 21:09)
大人の少年 「初めのコメント・・」いいえ、”人は自分を写す鏡”だと思いますよ、自分自身は人にどう写っているのだろうか・・?いろいろ考えさせられます・・。 (04/12/03 11:47)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>「鑑」は変換ミスです。「鏡」ですね。失礼致しました。そうすると大人の少年さんの初めのコメントは変わってくるのでしょうか? (04/12/02 22:20)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>江原さんがどのような人かにあまり関心はありません。霊視をはじめとした不思議な才能をもっておられる方のようですが、ここではあくまで彼のアイディアの中にある「類友の法則」を取り上げたまでです。私は彼のカウンセリングを受けたことはありませんが、テレビなどで拝見する彼のカウンセリングはまがい物のようには感じません。それはクライアントが気付きを得て、時に涙を流す姿を見れば明らかなような気がします。 (04/12/02 22:14)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>「人は鏡」というのよくも悪くも「鏡」ということです。目の前に現れる人がどのような人なのか、その人に見るよい部分、悪い部分はまさしく今の自分の心の「位置」を反映しているということです。もしも周りに腹立たしい人ばかりならば、自分の心が、あるいはこれまでの話で言えば「思い」が、それをひきつけるような状態にあるということを暗に示しているとみることもできます。それこそここで「反省」が必要なのだと思いますよ。 (04/12/02 22:09)
幸運を祈る 江原さんって最近よくテレビでおみかけします。あの方はどのような人なのでしょうかね。自分はよくわからないです。 (04/12/02 19:54)
大人の少年 先日のレスについてですが、「人間というのはどうしても物事を「ネガティブ」に考えてしまう生き物のようです。そしてそのネガティブな考えがそのまま現実となって現れてしまう。」 この文章の中にある「物事、現実」とは、言葉や行動が伴うものとして私なりの見解を述べさせていただきましたので・・・少々文章の解釈の相違がありましたね、失礼しました。 (04/12/02 09:51)
大人の少年 私は、「人は自分を写す鏡」ということばを時々ですが意識します、これは自己中心的な言動をすれば、人はそれに反動する。 「人は鑑」、最近は”てほん”になるような人は身近にいませんし、思い浮かびませんが・・・。 (04/12/02 09:39)


 ■ 2004/11/30 (火) もう一度…


能力開発セミナーについて触れることにしました。
ただし今回は全く別の角度からです。

もしもセミナーに参加していなかったら、
もっと平凡に生きれていたのではないだろうかと思う自分がいるのも本当です。
もちろん以前お話したように参加したことで、
気付けたこともたくさんありました。
自分の生死に関わる部分も、まさしく救われたなぁと思える部分もあります。

それでも「セミナーに参加していなかったら…」と考える自分がいるのです。
おそらく参加していなくて、昨年3月の状況に陥ったら、
もっと早い段階で他の仕事を探し始めていたかもしれません。
逆にもっと早くに仕事に耐え切れなくて辞めてしまっていたかもしれませんが。

ポジティブ・シンキングの話もしていますが、
私ができているから話しているわけでもありません。
していてもちっともよくならないじゃないかって思うからこそ、
何がその原因なのかを探っているわけです。
切羽詰った状態だから、必死にそれを見つけようと思っているわけです。

まだお話できていませんが、その原因はわかっています。
ではそれをどのように克服したらよいのかを模索している状態でもあります。
私は元々話すことでいろんなことを自分の中で整理していける人間ですので、
この日記の場をお借りしてお話させていただいております。
たくさんの方がコメントをくださることに心から感謝しております。
そしてこれからも試行錯誤の内容をこの場でお話させていただきたいと思っています。
よろしくお願いします。

偉そうなことを話しながら、
自分の中でグラグラ揺れているのが今の本当の私の姿です。


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>同感です。こうしてコメントをいただくと、いろんなことを考えさせられます。感謝です。 (04/12/02 00:46)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>私は「反省」することを否定しませんよ。これを「ネガティブ」とは言っていません。私は「行動」についてのポジティブ・ネガティブについては話していないつもりです。「汚い言葉」と表現しましたが、「バカヤロー」とか「死んでしまえ」とか、「ダメな奴だ」とか、こういう言葉を「ネガティブ」と読んでいます。多分、話している部分がずれてしまっているように、今回のコメントを拝読して感じました。…すっきりするかどうかはわかりませんが、話すことで自分の中を整理させてもらっています。そしてコメントを拝読して、いろんなことを学ばせていただいております。感謝しております。 (04/12/02 00:45)
幸運を祈る ここで書かれてる人達の日記は、色々ためになったり読むと疲れを忘れさせてくれますです。 (04/12/02 00:07)
訂正 PS 人の話したり・・>人に話したり・・ (04/12/01 11:53)
大人の少年 「ポジティブ・シンキング」、前向きに考えることはいい事だと思いますよ、先のレスにも書きましたが、私は、なんせ文章力がないので伝えたい事をどう文章にしたら良いか悩んでしまいますが、「ネガティブが・・」について補足すると前向きに目標にむかって突き進む事もいいのですが、時には立ち止まったり、寄り道したり回り道したりする事を人によってはネガティブにとらえられますが、それによって何かを得られれば、ナガティブではなくなると思います。PS 人の話したり書き出す事によってすっきりするのであれば、できるだけ吐き出してくださいね・・。 (04/12/01 11:52)


 ■ 2004/11/30 (火) 病は気から


「成功哲学」「能力開発セミナー」という言葉を持ち出すと、
皆さんお一人お一人にいろんなイメージがあって、難しいなぁと思ってしまいました。
こうした事柄に一番猜疑心をもっていた私です。
皆さんの感じられていること、おっしゃりたいことはよくわかります。
ですから少し話の角度を変えまして、
病気についての個人的な経験をお話したいと思います。
そうすることで私の話したい核の部分を少しはご理解いただけるかなと思います。

1年で契約が切れ、そして再び戻ってくるように言われて、
私自身の専門外の科目を、しかも自分の高校生時代に習ったこともない科目を
急きょ担当するように言われました。
正直にいいますと嫌いな部類に入る科目でした。
これをいかに教えるのか、新学期4月の時点では白紙状態でした。

しかしいざ教え始めてみると非常に興味深い科目であることがわかりました。
そしてこの科目を教え始めて、私の人生観が変わりました。
その科目を教えるために勉強し始めて、
実際に教えていて、一番生き生きしていたかもしれません。
授業もとても挑戦的な授業をたくさんしました。
その生徒達とは初めて3つの科目で3年間付き合うことにもなりました。
そして3つの科目を教えても彼らは
この一年目に教えた科目の先生というイメージがと強いと卒業するまで言われました。

契約の不安が軽減されただけでなく、
毎日とても充実した授業を実践できていました。
ところがです。2ヶ月経つか経たないかぐらいに激痛が走りました。
非常勤ですから授業に穴を開ければ、収入に即直結します。
病院にいきましたが精密検査を受けなければならないといわれ、
今すぐ入院ということにはなりませんでしたが、
痛み止めの薬をもらって激痛に耐えながら教壇に立っていました。

検査日まで1週間。そして結果が出るまで1週間。
一体全体どんな病気なんだろうと不安な毎日でした。
おおよそどの臓器の病気かはわかっていましたから、
検査結果を聞きに行って、病院の待合所で長い時間待っている時に、
「なぜこの病気になったのだろう?」と考えを巡らせました。

セミナーで聞いた事なのか、本の知識だったのかそのときはよくわからないのですが、
「この臓器が病気になるって事はこういうことだよなぁ」と思いました。
「自分自身へのある特定の「思い」の蓄積がある特定の部位への病気を引き起こす」
ということを受け入れて考えてみると、
私の病気に関しては思い当たることがありました。
そしてそのときその「思い」「考え」をやめようと決意しました。

そして診察室に呼ばれて病名を聞きました。
大病であることには変わりはなかったのですが、
痛みの原因はもうすぐなくなるところまできていることがわかりました。
もちろん入院などの必要も全くありませんでした。
いくつかの病気を併発していましたので、
定期的に病院に通うことにはなりましたが…。

そして病院から家に帰ったその夜のことです。
その病変が自分の中から出てきました。病院から帰ってすぐのことでした。
この瞬間痛みからも解放されました。
あまりにもあっけなくこの病気とは縁がなくなりました。

もちろん病院で病名をききましたが痛み止め以外の薬はもらっていません。
何の治療もなく病気はなくなってしまいました。
再発の可能性があるということでしたので、
検査をその後は定期的に受けましたが、今は至って元気です。

その後私は「病気」と「心」の関係をたくさん勉強しました。
もちろん病気には「怪我」も含まれます。
病気だけでなく体重の問題なども含まれてきます。

どなたの言葉だったのか忘れてしましたが、
「人間は長い闘病生活、長い獄中生活、長い浪人生活」を経験すると、
人間の「器」が大きくなるといいます。
自分の人生を振り返る大きなきっかけになるからだと思います。

能力開発セミナーで気がついたこと以上に私にとってはこの病気での経験の方が、
何十倍も気付かされました。
そして生き方を変えるきっかけにもなりました。
この病気が縁で新たな出会いも生まれました。

今回のタイトルは「病は気から」にしました。
これは迷信ではありません。まさしく「病気は気持ちから」です。
言い換えれば自分の「思い」・「考え」が病気を作り出しているといえます。
何と人間というのは創造的な生き物なのでしょう!

またどこかでこんな話を聞いたことがあります。
人間というのわずか100年足らずで寿命を迎えるような存在ではないとの事です。
現にとんでもなく大昔のことですが300歳・400歳という人が
普通にいた時代というのがあったとさえいう人がいます。
もちろん「環境」が人間の寿命を短くしているといえます。
その「環境」を作り出しているのも人間ですよね。

長生きすることがいいと言いたいわけではありません。
ただ人間の「思い」・「考え」の自・他に与えるインパクトに、
是非気がついていただけたらと思うのです。
少なくともそのことに私は気がつくことで人生が変わりました。
もちろんそれでも「壁」を感じている部分があって今の状態があるわけですが…。

次回から少し話の内容を変えようと思います。大元に戻すといいますか…。
ただこの3回でお話したことは私の「モヤモヤ」・「壁」の部分を理解する上で、
どうしても避けて通れない部分だと思って話をしています。


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なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>言葉は難しいのですが、生活のあり方の変化ということですね。大人の少年さんの考える「今後の環境の変化」については了解しました。ありがとうございます。 (04/12/02 00:35)
大人の少年 「今後の環境の変化」>地球環境とが自然環境とかも関係あるとは思いますが、私自身は、人が生活していくうえでの環境の変化ということです、例えば食生活では、遺伝子組み換え食品や、サプリメントなど・・知らず知らずに食べているさまざまな食品がもたらす影響がどうなのか・・?また生活スタイルにしても、例えばお風呂に入る習慣でも最近はシャワーのみで終わってしまう人など・・日本人の長寿の秘訣はなんといっても湯船につかって身体を暖めていることだと思うからです、フィンランドでは湯船に替わりサウナで身体を暖める習慣があるから日本と同様に長寿国であると思います、またあらゆる物が抗菌仕様になっていたり・・これでは抵抗力のない体になってしまい弱体質の人ばかりになってとても寿命が延びるとはあまり思えないです。 (04/12/01 12:12)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>大抵の病気は突然に大病になることはありません。大抵の大病は3年前ぐらいに必ずといっていいほど、深刻な精神的ストレスがのしかかる状態があった結果だそうです。どんな病気も基本的には防衛反応です。一番簡単なのは「休みなさい」というメッセージです。調子の悪さをあまり気にしなくとも、適切に「休むこと」ができていれば、酷くなることはないのだと思います。逆に適切に休まずに無理をすれば、寝込む状態が現れるかもしれません。とかく現代社会は身体を無視して「無理をする」のが当たり前のような社会になっていますからね。まずはそれでも「休むこと」。これが大切ではないのかなぁと思っています。 (04/11/30 23:26)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>そのお友達の方は「信仰」をお持ちだから、それが可能だと思われますか? 全くもって私の直感でしかないのですが、ご自分の売る商品への信頼が「幸せを売る」という信念へとつながっているように思います。どのような商品を売られているのかわかりませんが、「信じること」…これはもちろん特定の宗教を信じるということではありません。…がひとつ鍵になるような気がしています。ロールキャベツさんはそのお友達のようになりたいですか?そのあたりをきかせていただけたらううれしいです。 (04/11/30 23:22)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>こちらにもコメントをありがとうございます。私は寿命はまだまだのびると思います。ただ人間としてイキイキと生きてかどうかはわからないと思っています。医療技術はさらに進歩するでしょう。たくさんの器具に助けられながら、寿命はまだまだものびるのではないかと思うのです。またまた大人の少年さんに質問なのですが、「今後の環境の変化」とは大人の少年さんはどのような変化をお考えですか?ぜひおきかせください。 (04/11/30 23:16)
幸運を祈る 確かになんか調子悪いと思っていて、あまり気にせず全然平気だって思っていたら、いつのまにか治っていた時ありました。その逆もありましたけどね・・・ (04/11/30 20:31)
ロールキャベツ すごい友人がいます。彼女は常に考え方がポジで営業をやっているのですが、自分が相手に対して商品をうるだけでなく、幸せを売っていると信じています。話していると相手もだんだんそういう気になってきて、幸せをもらう気分でお金を出してしまいます。彼女はお寺の娘ですが、何か信じるものがある人の強さを感じています。 (04/11/30 16:23)
大人の少年 まさに病は気からですね・・、人間はその環境に適応しつつ進化成長してきましたが寿命は今がピークかもしれませんね・・今後の環境の変化に現代人が適応していく事が出来るのだろうか・・?少々疑問です。 (04/11/30 09:08)


 ■ 2004/11/28 (日) 成功哲学


近頃は新聞の広告欄を見ても、書店に足を運んで平積みになっている本を見ても、
「お金儲け」の本ってとっても多いですよね。
株や投資のHow to本も多くありますが、「お金持ち」というテーマの本も多くあります。
それらに付随して、成功哲学の本というのも昔のものがリバイバルされて、
ずいぶんとたくさん出ています。読まれた方も多いのではないでしょうか?

私の学生時代のバイト先の上司はこの成功哲学の本が大好きで、
いつもいつも読んでいました。
それらに付随したカセットテープなども買っていましたね。
私はそういう本には興味がなかったので、貸してもらっても読まずにいました。
何か胡散臭さを感じていたのです。

ところがですね、そうもいっていられない事態に陥りました。
業界で日本一の業績をあげてしまうような上司ですから、
ただの成功哲学好きの人というわけではなかったのです。

今は不景気ですからそういうところは減っていると思いますが、
研修の一環としていわゆる能力開発のセミナーに社員を参加させるケースがあります。
上司は社員研修ではなく、自費でこの会社に入った頃にセミナーに参加していました。
だから普通の人がするような発想とは全く違うんですね。
前回お話したような「イメージ」も使っていましたが、
目標を紙に書いたりして、何度も読み返すようなことを常々していました。

能力開発セミナーっていかにも怪しげですよね。
将来教師をするのならきっと役立つはずだから行ったほうがいいよと、
ずいぶん前から何度もその上司から誘われていました。
もちろん怪しげで行きたくありません。お金もかかりますからね。

そして論文に追われ、研究者への道が途絶えた頃、
彼から強く強くセミナーに参加するように説得されました。
彼が仕事と人間関係に行き詰まり、異例のことでしたがセミナーを再受講しました。
ちょうど4月から非常勤で働くことが本決まりになった頃です。
論文を提出するまでは無理だときっぱりと断りましたが、
その後で構わないからと、受講費をそのときは出してくれて(後に返しましたが)、
参加することになりました。

このセミナー、いろいろ問題はありましたが、私の人生を変えました。
変なことをいうようですが、
もし参加していなかったら今の私はこの世にいなかったかもしれません。
高額の参加費も研究者への道が途絶えたことで学費を充てることができました。
もし途絶えていなかったら、人生はもちろん変わっていましたが、
その後人生のどこかで壁にぶつかっていただろうと思います。
今だって壁にぶつかっているわけですが、
きっと壁に押しつぶされてしまって、それこそこの世にいなかったかもしれません。

胡散臭い成功哲学の本もこのセミナーをきっかけにたくさんたくさん読みました。
前回お話した他校の採用試験を受けに行った時に「イメージ」したのも、
もちろんセミナーやこれらの本から得た知識を応用したからです。

しかしこのイメージを使ったやり方には「タイム・ラグ」があることは、
前回の日記の中のお話でお分かりいただけると思います。
それこそ自分に都合がいいようにはそのイメージを活用できていないんですね。
バイト先の上司とも話したことがありましたが、
ずっとそれがどうしてなのかわからずにいました。

人間というのはどうしても物事を「ネガティブ」に考えてしまう生き物のようです。
そしてそのネガティブな考えがそのまま現実となって現れてしまう。
成功哲学のアイディアはそれをイメージや
アファメーション(肯定的な言葉の自分への問いかけ)を繰り返し行うことで、
普段ネガティブに考えてしまうことを打ち消すことで、
ポジティブな現実を生み出そうというものです。

だから一生懸命にポジティブなイメージを持とうと努力するわけですが、
これがめったにポジティブな現実とはなりません。
現に私も私の上司もそうでした。
確かにいつか叶うのですがベストなタイミングで、
自分にとってベストな形で叶ってしまうことがありませんでした。

ポジティブな自分への問いかけはしないよりはした方がいいに決まっています。
それは人間は常々「ネガティブ」に考える生き物だからです。
ポジティブな問いかけをしていたから、必要以上に悪くならなかったのでしよう。
あの時教壇に立つイメージをしなかったら、
戻ってくるようにいわれた非常勤の職も他の人にいってしまったかもしれません。
現に候補が他にもいたことを後で聞かされましたから…。

いずれにせよこれだけでも人の「思い」の力というのを
まざまざと私の場合は実感することができたわけですが、
これだけでは済みませんでした。
「心」と「思いの力」の凄まじい力にこの後私は翻弄されることになりました。
それは次回にお話したいと思います。


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なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>私の疑問への回答をありがとうございます。私は人間はほっておけばどんどん悪い方向に物事を考えてしまう生き物だという認識に立ってお話を始めました。それで自分が望むとおりの、文字通り「文句なし」「不満なし」の人生が歩めていればいいのですが、現実はそうでありませんよね?少なくとも今の私は不満のない人生ではありません。その人生を作り出しているのが、もし自分の思いや考え方、普段無意識に口にしてしまうネガティブな言葉、ここでは「汚い言葉」という意味なのですが、これらを口にしたりすることによって、その現実をひきつけているとしたら、それを意識して変えてみることで、人生を変えられないものかと、提案しているのが、「成功哲学」を始めとした、「ポジティブ・シンキング」の主張なのだと理解しています。したがって、ネガティブな考えや態度を続けていて、その人生に不満がないのであれば、私の話していることは全くもって無意味なことなわけです。むしろ、ネガティブな言葉を使わないように、ポジティブな言葉を使っているけれどうまくいかず、ポジティブは自分にとっては難しいと、自分を責めてしまうのは一番のナンセンスなのだとも思っています。ただこの話には奥の奥があります。それが私が本当に話したいことです。そして皆さんにそれをどんな風に思われるのかを伺いたいとも思っています。そこまでまだまだ話せていませんが、そのときはよろしくお願いします。 (04/11/30 23:10)
大人の少年 ネガティブが必ずしも悪い事ではない>人間には後悔、反省、後ろめたい行動、など・・人によってはネガティブな事のようですが、それに対するイメージは人それぞれ違います、仰るように「いい、悪い」を判断するべきでないもの(事)もありうると私も思います。例えが適切ではないのかもしれませんが、世の中には「必要悪」というもの(事)の存在も否定できないと思います。(質問の答えになってないかも知れませんが・・。) (04/11/30 09:31)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>大人の少年さんへの返信にも書きましたように、ネガをいい悪いで本来は判断しなくてよいものなのかもしれないと思っています。まだこの話自体が私が本当に話したいこと、モヤモヤしている部分の入り口でもあるので、わかりづらい表現もあるかもしれませんが、「ポジ」「ネガ」ということに「判断」を持ち出さないことが、一番大事なことじゃないかなぁと思っています。もう少しこの続きを読んでみてください。いつもコメントをありがとうございます。 (04/11/29 23:39)
なんくるなるさぁ〜 40@男さん>私としては珍しく能力開発セミナーのよい面だけに焦点を当てて話しました。「いろいろ問題はある」と一言いれておいたのですが、それが打ち消されるくらい肯定しているように受け取れる文章だったのかなぁとコメントを拝読して思いました。こうしたセミナーの悪評の部分は手法ではありません。むしろセミナーを維持していく、その経営のあり方に問題があって悪評が目立っています。洗脳や暗示といったものは確かに使っていますが、これは現実社会の方がよっぽどひどいかもしれません。こうしたセミナーについてお話をしたくて、今回のお話を始めたわけではありませんので、セミナーそのものについては、また別の機会にお話したいと思っています。40@男さんに毎日読んでいただけて、ありがたい限りです。ありがとうございます。  (04/11/29 23:35)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>いつもコメントをありがとうございます。本当は私自身「ポジティブ」「ネガティブ」にほとんどこだわっていません。前回の日記にコメントをくださった方の中に「+思考」・「−思考」を使っていた方がいらっしゃったので、その方がわかりやすいのかもしれないと思い、ポジ・ネガを使っただけなんです。ところで大人少年さんに質問なんですが、ネガが必ずしも悪く事ではないケースというのを教えていただけますか?それとも「いい・悪い」で本来は判断するものではないのかもしれないとも私は思ったりもしています。 (04/11/29 23:21)
幸運を祈る ポジティブって難しいですよね。絶対にポジティブに考えようと思ってもどこかしらで、ネガティブな考えをしてしまいます。完全にポジティブって本当に難しいなって思います。 (04/11/29 21:15)
40@男 本日は能力開発及び自己啓発セミナー等についての私個人の考え方をコメントさせていただきます。この手のセミナーは”諸刃の剣”であると思っています。洗脳や暗示の手法も多く取り入れられていますし、ともするとその手法に飲み込まれてしまうこともあります。自己をしっかりと保ち続ける意思と必要なものを取捨選択し受け入れる柔軟性があれば、より自分を高めることが出来るものだと思っています。ともすれば取り込まれてしまう人も多いので悪評を耳にしますが、セミナーを受ける側によって善にもなり悪にもなるのではないでしょうか。PS:日記を毎日見させていただいています。おぼろげながら、なんくるさんの思考の方向性が見えてきたような気がします。もう少し日記を読む方に重きを置きたいと思います。 (04/11/29 14:15)
大人の少年 ポジティブはイメージを持ち続ける事は、いいことだと思いますがネガティブが必ずしも悪い事ではないはずです、人生、時には、過去を振り向くのもいいかも、です。 (04/11/29 10:23)


 ■ 2004/11/28 (日) 潜在意識の力


突然これまでの話の流れとは別のようなタイトルになりましたが、
私の中では繋がっています。
今後話しを進めていくときの鍵にもなると思うのでお付き合いください。

私のこれまでの人生では試験と名のつくものとの相性がトコトン悪く、
毎回希望をしていない所に結局進むということばかりでした。
何とツイてない奴なんだと自分を何度も責めました。
自分が望むものを手に入れられず、何度も涙を流したことか!

しかしツキのせいばかりにしていられないことが仕事については起こりました。
私は中・高・大学と、全て滑り止めにだけひっかかりました。
中学受験もしましたが結局公立に通いました。
だから高校こそはと頑張りましたが、これもまたダメ。
最後は大学で逆転と意気込みましたが、惨敗しました。

浪人は許されない環境にありましたから、滑り止めにかろうじて補欠でひっかかっていたところに、
全くの不本意ながら進学することになりました。
ただし仮面浪人は許すというので、大学に通いながら受験勉強を続けました。
行きたかった大学に入学することを夢見て。
その大学の最寄り駅から颯爽と歩く自分の姿をありありとイメージしながら、
コツコツと受験勉強を続けました。

幸い素晴らしいお二人の先生に出会うことができて、入学した大学で勉学に励むことに決めました。
それでも3ヶ月ぐらいは受験勉学をしていたでしょうか。
ところがその仮面浪人をしたときにしていたイメージが思わぬところで叶ってしまいました。
それが私が勉めていた学校でした。
○○駅で降りて、そこから学校に通うと言い聞かせていました。それがその通りになりました。
現実は非常勤で働くことでさえ狭き門なのです。
教壇にたてるだけでも幸せ者だともいえます。

また一年契約が切れたとき、他の学校に試験を受けに行きました。
その学校でほしい先生の科目は私の専門ではありませんでした。
それでもどうしても教壇に立ちたくて、その科目を教える自分をありありとイメージしました。
何度も何度も教壇に立つ自分をイメージしたんです。

そしてクビになった学校から以前お話ししたように事情が変わったので戻ってくるように言われ、
再び教壇に立つことができました。
驚いたのはその翌年で、新年度が始まったばかりの時に急遽校長命令で、
未経験の科目を担当するように言われました。その科目が他校で試験を受けた際にイメージした、
まさしくその科目でした。それに気付いたときは唖然としました。
随分と後になってから気が付いたのですがね。

なりたいイメージする。これって潜在意識の領域を利用しているのだそうです。
でもこれをよく考えてみると、起きていること全てに自分の考えが関係しているのだなぁと
気が付きました。意識している・いないに関わらず思ってしましたから現実になるわけですよ。
しかも忘れた頃にそれが現実になってびっくりするわけです。

前回お話しした研究者の道を進めなかったことも、
非常勤という中途半端な形でしか採用されなかったことも、
自分がそれを望んだからじゃないかとも考えることができたりします。

でもわざわざ好ましくない現実を誰も好き好んで望むわけはありませんよね?
それはなぜなんだろう?とずっと考えていました。
こんなことを考えるようになったのは、以前お話しした塾の上司の影響でした。
今度はその辺りのことを話して自分の中の整理をしたいと思います。
よくも悪くもいろんな影響を与えてくれた人なので、区切りをつけたいので、
次回から話してみたいと思います。 


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>私も努力が足りなかったと思いますよ。自分の試験結果に対して…。でも「受験はギャンブルだ」という言い方をする人がいるくらい、「運」に作用されるものでもあります。それに望んでいるはずなのに、なぜ努力を自分にさせなかったのでしょう?…こんな風に自分の人生を自分で眺めてみると、いろんなことがわかってきそうなんです。そのことをこの後話したいと思っています。 (04/11/28 21:58)
なんくるなるさぁ〜 イカデビルさん>どうも大部分ではなくて、全部らしいですよ。そうやってこれまでの人生を眺めてみると、何かがわかるかもしれませんね。確かにプラス思考とかマイナス思考とかにも関係しているかもしれません。ただそれだけでは説明がつかない部分もあるのだと思っています。その辺を今後話していきたいなぁと思っています。 (04/11/28 21:55)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>何か人にないものを持っているなんてことはありませんよ。逆にいうと誰もがもっているものだと思います。もちろん大人の少年さんだって。案外「妥協」っていうのが難しくしてしまう原因かもしれませんね。 (04/11/28 21:52)
なんくるなるさぁ〜 ひろひろさん>運命ですか…。運命って変えられるものだと思いますか?変えられないものだと思いますか?どう思いますか? (04/11/28 21:49)
幸運を祈る 自分も試験というものは、駄目でしたね。自分の場合は、自分の努力が足りなかったのですけどね。 (04/11/28 21:29)
イカデビル 興味深い話でした。結局自分が大部分の事象を導き出しているのでしょうか。やな事もいいことも。たぶんそうなのかも。だから、+思考が大事ってみんな言うんじゃないですか?−思考だとどんどん−へ向かっていってしまう、今回の話と結びつくのではないでしょうか? (04/11/28 11:41)
大人の少年 自分が望む環境に自身を導くと言うか、望む環境を自身がひきつけるか、何か人にはないものを持っているようですね・・。でも大多数の方々が、何かしらの妥協をしならの生活をしているようですね。100%自分が望む人生は、難しいです。 (04/11/28 09:23)
ひろひろ それを、世の中に人達は、運命と言うらしい。 (04/11/28 08:02)


 ■ 2004/11/27 (土) 次の天職へ向かって 2


研究者の夢が破れたとこと。
実はこのことは私の中にずっと今も引っかかっています。
教員が「非常勤」という中途半端な立場であり続けたことも、
このことがずっと心の中で引っかかっていたせいかもしれません。

私が教壇に立っていたのは高校でしたが、
何か自分でしっくりしていなかったんですね。
友人たちには「高校生より、中学生や小学生の方があっていると思うよ」と
よく言われましたし、今も言われます。
でも私はより大人を相手に話したいという思いがずっと強くありました。

私が研究していた分野で日本の大学で教壇に立とうとすると、
まずはアメリカへ渡ってPh.Dを取ってくる必要が最低限あります。
つまり留学をする必要があるわけです。
残念ながら私は語学が弱く、研究者の道を断念せざるを得なくなったのも、
語学のみの入学試験にパスすることができなかったからなのです。

「教壇に立つ」という夢は叶いましたが、
何か自分の中では中途半端に叶ってしまった。
そして雇用状態も中途半端。何もかもが中途半端でした。

それでも高校の教員の採用試験はずっと受け続けました。
しかし採用人数は私の専門科目で年に1人いればいいという感じです。
受験者数の数がそのまま倍率になります。
もちろん優秀であればテストでまず好成績を挙げればよいのですから、
問題ないように思われるかもしれませんが、
教員の採用試験ほど曲者の試験はありません。

まさしく落とすための試験ですから、
受験勉強をしても大半は役に立ちません。
そんなことを知っていても何の役にも立たないようなことを
知っているかどうかが問われるわけです。

もちろん対策用の問題集などがたくさん売られていますが、
はっきり言って役に立ちません。
この採用試験ほどまじめに勉強して報われない試験もないでしょう。
たぶん合格できるのはよっぽど運がよかった人だけという感じがします。
それともよっぽどの偏屈か、
重箱の隅をつついたようなことまで知っている超物知りの人かどちらかでしょう。

この試験に合格して教員になった人が本当に教員として適切かといえば、
私には怪しいとしか言いようがありません。
この試験に通った人が教員をしている現状を考えれば、
当然不祥事が起きても不思議ではないと私は思うのです。
もちろん私の仲間にも教員をしている私よりも情熱のある人間もいますから、
全てが全てではありませんが、
この採用試験のあり方が今の教師の様々な問題を生み出す元凶になっているように
私には思えてならないのです。

ただでさえ難しいし試験です。
心のどこかで引っかかったまま受けても受かるわけありません。
中途半端な「非常勤」生活が続いてしまったのも、
元をたどれば夢が破れたことに帰着するのかもしれません。

どっちつかずのままずっといましたが、
いずれはこの「非常勤」の職でさえも、
辞めなければならない時が来ることはわかっていました。
「自分が本当に打ち込める職ってなんだろう?」
「天職ってなんだろう?」
「自分は一体全体どうしたいのだろう?」
ずっとずっと探し求め続けました。
ずっとずっと探し求め続けて、結論が出ずにリストラにあいました。
この答えが出るまで時間がほしかったというのが本音です。
これのことは以前の日記に書きましたね。

それでもどっちつかずの中途半端な状態を終わらせる、
大きなきっかけにリストラはなりました。
クビにならなければまだまだ中途半端でいたと思います。
今が中途半端でないといえば嘘になりますが、
もう一度白紙にして考えることができるきっかけになったとは思っています。


私の勤めていた学校は私学でしたから、
何十年も勤めあげる方がいらっしゃいます。
幸か不幸か65歳で定年になった方と組んで教えていた時期がありました。
彼に自分の未来を重ね合わせました。
教員同士の足の引っ張り合いに最後の最後まで関わり続けていました。
打ち合わせで話しにいくと聞かされるのは陰口ばかり…。
新しい教え方にチャレンジすることもなく、
何十年も前に自分で作った板書ノートと試験問題を使いまわす教員でした。

定年を迎え、翌年は私と同じ非常勤で教壇に立ちましたが、
非常勤になったとたん専任達は彼を無視し始めました。
大先輩ですら無視です。もちろん話をしないという意味ではありません。
我々一般の非常勤と同じ扱いになったということです。
そして一年後には彼は辞めました。

教員は子供たちに夢を与える職業だと思うのです。
その教員が自分の未来に希望が持てない状況におかれていること、
同じ毎日の繰り返しを何十年としていくこと、
これは本当に教員自身はもちろんのこと、何より子供たちが不幸です。

今にして思えばこのことに気付いたとき、
この学校を今度クビになったら教員になるのはもう辞めようと決めたのだと思います。
そのためリストラ宣告を受けてから、
もちろん時期も遅くなっていたのですが、他校を探すことはしませんでした。


今回で話したいことの外堀が埋まった感じがします。
返信してくださった皆さんの言葉の中にはまるで私の内側を
ご存知なのかとも思われるような言葉をくださる方がいらっしゃって、
びっくりしている部分もあります。
それがどのことなのか次回あたりからお話できると思います。

それからこの日記の仕組みを詳しくご存知の方にお聞きしたいのですが、
この仕組みは同じ日に2つ以上の日記を更新することはできるのでしょうか?
「次の天職へ向かって 2」を今回書いていますが、
次回「3」を今日中に書いてしまうと上書きされてしまうのでしょうか?
ご存知の方はぜひお教えください。よろしくお願いします。


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>そうですね。探しませんでしたね。 (04/11/28 00:07)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>上書きされないんですね。今回は試せませんが、安心して書いてみます。ありがとうございます。少子化が進み、ますます私学は企業化していってしまっていますね。もっと独自色を出していけばいいのでしょうが、勤め先は受験校かをさらに加速させようとしていました。残念なことです。 (04/11/28 00:05)
幸運を祈る それでもう探そうとは思わなかったのですね。 (04/11/27 12:19)
大人の少年 自分の利益追求のみを求めるがゆえに他の人を蹴落とすようなことをするのはきわめて遺憾ですね、特に学校であるならば、生徒にも間接に影響しかねませんね、これでは企業が利益のみを追求して、その後の社会への影響など考えないのと同じですね・・早く新たな道を歩んでくださいね。日記は日に2回更新しても上書きされる事はないと思います、既に日に2回更新している人もいますよ〜。 (04/11/27 10:27)


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