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なんくるなるさぁ〜!


 ■ 2004/11/27 (土) 次の天職へ向かって 2


研究者の夢が破れたとこと。
実はこのことは私の中にずっと今も引っかかっています。
教員が「非常勤」という中途半端な立場であり続けたことも、
このことがずっと心の中で引っかかっていたせいかもしれません。

私が教壇に立っていたのは高校でしたが、
何か自分でしっくりしていなかったんですね。
友人たちには「高校生より、中学生や小学生の方があっていると思うよ」と
よく言われましたし、今も言われます。
でも私はより大人を相手に話したいという思いがずっと強くありました。

私が研究していた分野で日本の大学で教壇に立とうとすると、
まずはアメリカへ渡ってPh.Dを取ってくる必要が最低限あります。
つまり留学をする必要があるわけです。
残念ながら私は語学が弱く、研究者の道を断念せざるを得なくなったのも、
語学のみの入学試験にパスすることができなかったからなのです。

「教壇に立つ」という夢は叶いましたが、
何か自分の中では中途半端に叶ってしまった。
そして雇用状態も中途半端。何もかもが中途半端でした。

それでも高校の教員の採用試験はずっと受け続けました。
しかし採用人数は私の専門科目で年に1人いればいいという感じです。
受験者数の数がそのまま倍率になります。
もちろん優秀であればテストでまず好成績を挙げればよいのですから、
問題ないように思われるかもしれませんが、
教員の採用試験ほど曲者の試験はありません。

まさしく落とすための試験ですから、
受験勉強をしても大半は役に立ちません。
そんなことを知っていても何の役にも立たないようなことを
知っているかどうかが問われるわけです。

もちろん対策用の問題集などがたくさん売られていますが、
はっきり言って役に立ちません。
この採用試験ほどまじめに勉強して報われない試験もないでしょう。
たぶん合格できるのはよっぽど運がよかった人だけという感じがします。
それともよっぽどの偏屈か、
重箱の隅をつついたようなことまで知っている超物知りの人かどちらかでしょう。

この試験に合格して教員になった人が本当に教員として適切かといえば、
私には怪しいとしか言いようがありません。
この試験に通った人が教員をしている現状を考えれば、
当然不祥事が起きても不思議ではないと私は思うのです。
もちろん私の仲間にも教員をしている私よりも情熱のある人間もいますから、
全てが全てではありませんが、
この採用試験のあり方が今の教師の様々な問題を生み出す元凶になっているように
私には思えてならないのです。

ただでさえ難しいし試験です。
心のどこかで引っかかったまま受けても受かるわけありません。
中途半端な「非常勤」生活が続いてしまったのも、
元をたどれば夢が破れたことに帰着するのかもしれません。

どっちつかずのままずっといましたが、
いずれはこの「非常勤」の職でさえも、
辞めなければならない時が来ることはわかっていました。
「自分が本当に打ち込める職ってなんだろう?」
「天職ってなんだろう?」
「自分は一体全体どうしたいのだろう?」
ずっとずっと探し求め続けました。
ずっとずっと探し求め続けて、結論が出ずにリストラにあいました。
この答えが出るまで時間がほしかったというのが本音です。
これのことは以前の日記に書きましたね。

それでもどっちつかずの中途半端な状態を終わらせる、
大きなきっかけにリストラはなりました。
クビにならなければまだまだ中途半端でいたと思います。
今が中途半端でないといえば嘘になりますが、
もう一度白紙にして考えることができるきっかけになったとは思っています。


私の勤めていた学校は私学でしたから、
何十年も勤めあげる方がいらっしゃいます。
幸か不幸か65歳で定年になった方と組んで教えていた時期がありました。
彼に自分の未来を重ね合わせました。
教員同士の足の引っ張り合いに最後の最後まで関わり続けていました。
打ち合わせで話しにいくと聞かされるのは陰口ばかり…。
新しい教え方にチャレンジすることもなく、
何十年も前に自分で作った板書ノートと試験問題を使いまわす教員でした。

定年を迎え、翌年は私と同じ非常勤で教壇に立ちましたが、
非常勤になったとたん専任達は彼を無視し始めました。
大先輩ですら無視です。もちろん話をしないという意味ではありません。
我々一般の非常勤と同じ扱いになったということです。
そして一年後には彼は辞めました。

教員は子供たちに夢を与える職業だと思うのです。
その教員が自分の未来に希望が持てない状況におかれていること、
同じ毎日の繰り返しを何十年としていくこと、
これは本当に教員自身はもちろんのこと、何より子供たちが不幸です。

今にして思えばこのことに気付いたとき、
この学校を今度クビになったら教員になるのはもう辞めようと決めたのだと思います。
そのためリストラ宣告を受けてから、
もちろん時期も遅くなっていたのですが、他校を探すことはしませんでした。


今回で話したいことの外堀が埋まった感じがします。
返信してくださった皆さんの言葉の中にはまるで私の内側を
ご存知なのかとも思われるような言葉をくださる方がいらっしゃって、
びっくりしている部分もあります。
それがどのことなのか次回あたりからお話できると思います。

それからこの日記の仕組みを詳しくご存知の方にお聞きしたいのですが、
この仕組みは同じ日に2つ以上の日記を更新することはできるのでしょうか?
「次の天職へ向かって 2」を今回書いていますが、
次回「3」を今日中に書いてしまうと上書きされてしまうのでしょうか?
ご存知の方はぜひお教えください。よろしくお願いします。


お名前   コメント

なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>そうですね。探しませんでしたね。 (04/11/28 00:07)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>上書きされないんですね。今回は試せませんが、安心して書いてみます。ありがとうございます。少子化が進み、ますます私学は企業化していってしまっていますね。もっと独自色を出していけばいいのでしょうが、勤め先は受験校かをさらに加速させようとしていました。残念なことです。 (04/11/28 00:05)
幸運を祈る それでもう探そうとは思わなかったのですね。 (04/11/27 12:19)
大人の少年 自分の利益追求のみを求めるがゆえに他の人を蹴落とすようなことをするのはきわめて遺憾ですね、特に学校であるならば、生徒にも間接に影響しかねませんね、これでは企業が利益のみを追求して、その後の社会への影響など考えないのと同じですね・・早く新たな道を歩んでくださいね。日記は日に2回更新しても上書きされる事はないと思います、既に日に2回更新している人もいますよ〜。 (04/11/27 10:27)


 ■ 2004/11/26 (金) 次の天職へ向かって 1


今回は教員になる前の話をしようと思います。
教員になる前は学生でした。会社勤めをすることなく直に教員になりました。
学生時代にアルバイトはしていました。
これも将来を見据えて塾の講師をしていました。

私の場合大学の勉強が好きで普通の方より長く大学で勉強をしていましたので、
その間ずっと塾の講師をしていました。
上司の信頼が厚く、契約社員として教室を任されたこともありました。

今でもたまに思い出すのですが、大学を卒業した直後の4月のことです。
同級生達は新社会人としてこれから会社勤めを始める。
契約社員としてバイト先の教室で事務処理をしながら、
何か取り残されたような、そして一般的なレールから外れたような、
そんな自分の寂しいような、やるせないような気持ちを思い出すことがあります。
何となくこのときから今の状況が決まっていたような、
そんな感じがするのです。

実際のところこの春に同級生達と共に就職をしていたら、
今こうして書いていることはなかったかもしれません。
もしかしたら、もっと早くにここを訪れ、
日記をこうして書いていたかもしれませんが…。
人生の大きな転機であったことは間違いありません。

そして教員になったとき、確かに夢は叶ったのですが、
心から喜べる状態ではありませんでした。
同級生達とは違うレールに乗っかった春に選択をした、
研究者としての道が断たれたのが、そのときでした。


今回は話が少しあちらこちらに飛びそうです。
思うままに書かせてもらいます。
読みづらいかもしれませんが、お読みくださっている皆さん、
お許しください。


私が学生時代にしていたバイト先の上司は、
その業界で日本一になったこともあるやり手の上司でした。
正確には私が勤めている間に日本一の実績を残したので、
とてもとても鍛えられました。

特に採用時の成績の悪かった私は厳しく厳しく鍛えられました。
それでも彼は私の人間性を見抜き信頼し続けてくれたから、
今があるのですが…。
彼は子供にかける情熱というのは半端ではありませんでした。
心から生徒のことを想い、そして生徒もそんな彼を慕いました。
彼のその情熱が日本一の実績を残したのだと思います。

彼からは「働く」ということもいろんな角度から教わりました。
契約社員として彼の代理を任されることもありましたから、
社会人としての最低限のマナーもみっちりと教え込まれました。

そして教員になってから、いかに教員の世界が生ぬるいものかを、
彼の元で働いていたからこそ理解することができました。
自己保身のための足の引っ張り合いばかりを目にしたからです。
教員同士が志を高く持って、協力し合って、
生徒のために何かをするなんてことは、まずありませんでした。

非常勤の何十倍もの収入を得ながら、したくない仕事はしない。
余計なことを提案しようものなら、お前がやれ。
他の教科間で陰口のたたきあい。
同じ教科の中でも表向きは仲良くしながら裏では悪口ばかり。
生徒が目の前にいなくなると、
教員たちの頭の中から生徒は全くいなくなっていました。

「長いものには巻かれろ」という言葉があります。
1年しか契約のなかった最初の年はこの学校を変えようと、
1年しかないのだからと、常識破りのことをたくさんしてきました。
しかし、再度契約がなされた2年目以降はたくさんの我慢をしました。
教壇に立てなくなることが本当に怖かったからです。
自分の「天職」が奪われてしまうことが怖かったからです。

旧態依然としたシステムが私学の場合はずっと踏襲されます。
とても非効率で教員の負担になっていることは明らかですが、
異を唱えれば来年の契約が危うくなります。
それをじっと我慢して続けていました。
そして皮肉にも学習指導要領変更により
担当科目がなくなったことでリストラにあいました。

もちろん年功も長くなり時間当たりの賃金が
高くなったことも理由にあったようです。
現場の効率性を高めることを我慢していたら
学校経営の効率性のためにリストラにあう。なんとも皮肉なものです。


よく友人達から学校をリストラされてから生計を立てるために、
塾の先生をしてみたらと言われることがあります。
教員になる前に塾でやるべきことはほとんどやりました。
そして塾の世界がいかにシビアなものかをよく理解しています。

とても変なことを言い出すのですが、
私は自分の専門教科を教えるのはおそらくとても下手だと思います。
その教科が好きな子にとっては興味深い話が次々に出てきて、
とてもとても楽しくなってくるのですが、
そうでない子にとってはどんどん込み入った話へと進んでいって、
難しくなってしまうようです。

それ以前に受験科目ではありませんでしたので、
生徒達の関心はテストの言葉ありであることがほとんどでした。
難しい話をきいて、それをテストに出されるのではかなわないというのが、
生徒達の本音のようです。

ある特定の教科を受験のために教えることは正直今の私には関心がありません。
逆にそうしなければ塾・予備校業界では生き残っていけません。
その意味で教員の代わりの職業に受験産業というのは今もありません。


不思議なもので話し始めると、いろんなことが頭の中を駆け巡って行きます。
そんなに普段は教育のことなど考えていないのですが、
書いていて少々自分でも驚いています。

そんな訳で今回も本当に話したいことが話せていません。
まわりくどくなっているかもれませんが、
本当に話したいことを次回こそは話そうと決意して、
今回はここまでにしたいと思います。



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なんくるなるさぁ〜 アニキさん>読んでくださってありがとうございます。 (04/11/27 00:41)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>特に私学のに場合はもう冬の時代に入っています。生き残りをかけて、切り詰めるべきことはどんどん切り詰めます。そのために校風さえ変えてしまうところもあります。私のところはそうでした。能力の高い高賃金の非常勤を立て続けにクビにして新卒を使う。しかも右も左もわからない感じの「イエスマン」をとる。教育の質は下がる一方です。それを解消するために予備校のサテライト授業(衛星放送授業)を取り入れているというからあきれます。「人間学みたいな科目があったなら…」…大人の少年さんはとてもうれしいことをおっしゃってくださいますね。そういう科目の授業をしたいです。 (04/11/27 00:40)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>私も教えるのが上手な人は羨ましいですね。日記に書きましたが、教えるのはうまくないですよ。塾は本当にシビアです。子供も減っていますからね。 (04/11/27 00:33)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>非常勤に対する信じがたい言葉というのは真実ですね。信じられない、信じたくないことなのですが、真実です。続き、コツコツと書いていきます。ぜひまたお読みください。 (04/11/27 00:29)
アニキ 読んでて色々考えさせられます。 (04/11/26 23:55)
大人の少年 先生という職業の世界も複雑ですね・・、一般サラリーマンの世界とは別だと思っていましたが、経費節減したところで教育レベルはあがりませんからね、もし、人間学みたいな科目があったなら、なんくるなるさぁ〜さんにぴったりの科目かも知れませんね・・私が生徒なら、なんくるなるさぁ〜先生の授業を受けてみたいです。 (04/11/26 23:18)
幸運を祈る 自分は人に物を教えるのとか、かなりの下手糞なので人に物を教えるのが上手い人が羨ましいです。塾の講師も色々大変なのですね。 (04/11/26 20:16)
ロールキャベツ 友人が小学校の非常勤をしています。教員同士のいじめや非常勤に対する信じがたい言葉を多々聞き、会社勤め以上にストレスたまってるなあ、でも信じたくないなあと思っていましたが。続きまた書いてください。 (04/11/26 16:26)


 ■ 2004/11/25 (木) 天職


昨日はもやもやを話している内に、話したいことがずれていきました。
そうなる必要があってそうなったのだと思いますが、
やっぱり避けている部分があるのかもしれません。
つい最近気付いたことと合わせて、話したかったことを話してみます。

私の前職は中学生の頃ぐらいからの夢が叶って就くことのできた「教師」でした。
ただし、現在も変わらず教職は狭き門。「非常勤」で勤め続けることになりました。
ご存じない方もいらっしゃると思いますのでお話しますが、
学校の非常勤というのは基本的には最長で1年の契約社員です。
社会では契約社員や派遣社員が大変増えてきていますが、
教員の非常勤はその最古参ではないでしょうか? 

日本の教育の在り方を変えようと文部科学省が学習指導要領を見直します。
昨今は「少子化」の進行と「ゆとり教育」がクローズアップされたおかげで、
1科目当たりの単位数が減らされたり、
今まで必修だったものが急になくなったりと、
担当する教科科目が突然消えてなくなることも少なくありません。
言葉は悪いですがある特定の科目だけを教える「専門バカ」の教員を
学校は抱えている余裕が私学の場合特になくなってきています。

そうした事情からいつでもクビの切れる「非常勤」を大量に雇用し、
正規に採用しないということが当たり前のようになっています。
学校は人を育てるところですが、こと教員に関しては「モノ」扱いです。

よく不祥事を起こす教員が出てきます。
最近は教員免許を更新制にしようなんて話が出てきています。
不祥事を起こす教員が出てくる根本的な原因は教員にあるのではなく、
その採用する教育委員会や私学であれば各学校の経営側の見る目がなかったと
言わざるを得ないというのが実情なのだと思います。

本当に優秀な教員を採用できるような仕組みを開発できていないのが現状です。
専門的な教育をさせて教員を育てる機関を作るという話も出てきていますが、
現在の教育の問題はこれからなる教員にあるわけではありません。
夢と希望にあふれて情熱を持って教師になったはずの教員たちが、
ものの1,2年でその情熱を失ってしまうことに問題があるのだと思います。

それ以前に私のようにいつクビが切られるのかわからず、
非常に不安定な状態で教員をしている人が本当にたくさんいるという現状を
もっと多くの人が知る必要があるのかもしれません。

社会の仕組みが変化していって、
一番最後に変わるのが学校だといわれることがあります。
しかし特に「雇用」のことに関しては現代社会が抱えている問題を、
一番先取りしているのが教員の仕組みであると私は思っています。

私個人の話に戻ります。
私は夢が叶って非常に厳しい立場ではありましたが教壇に立ちました。
ただしこのときは契約の時点で1年限りが宣告されてた状態で、
それを承知の上で教員になりました。

その1年は本当にいろんなことがありました。
教材研究に明け暮れ、授業を聞かず騒がしい生徒たちと格闘した1年でした。
私が教えていた科目は受験にまったく関係なく、
生徒たちは赤点さえとらなければいいとはじめからたかをくくっていましたからね。

あっという間に1年が過ぎました。
いろいろうまくいかず辛いこともありましたが、
それでも「また教壇に立ちたい!」という思いはそのときは本当に強かったのです。

その強い思いが不可能を可能にしたのでしょうか?
1年限りで契約していたその学校から再度契約の話が3月末に飛び込んできました。
私が担当する科目とは別の科目の専門家を非常勤で雇っていたのですが、
先ほどお話したように学習指導要領が変更になる年に当ったために、
その方の専門科目が2年間なくなってその間他の科目を教えてほしいといわれ、
その方はそれを不服としてもっと可能性のある他校へ移っていかれました。
その後釜に急遽私が選ばれ、クビがつながりました。

もちろんクビはつながりましたが、
私にとっても未知の科目を3月末に担当することが決まり、
何の準備もできない状態で4月を迎えました。
非常勤はこんな無理難題も押し付けられたりするわけです。

私は上司の教科主任の覚えがめでたくなく、
それから毎年専門科目とは別の科目を、
ひどい年は4月に入ってから
急遽「校長命令」との一言で担当させられた年もありました。

それでも一度クビにした人間を急遽雇いなおしたということもあって、
2年目以降は多くの非常勤の方と同じく、
契約は1年毎でも、自動更新の形をとってきていました。

非常勤の過酷さはまだまだあります。それをお話したいと思いますが、
それは次回にまわすことにして、
タイトルの「天職」について触れようと思います。
私にとって間違いなく教員は「天職」でした。
今でも「天職の1つだ」と思っています。
ただ自分の中でこの職が完了してしまっています。

去年の3月に学校を去るとき、その前の最終授業のとき、
1年目でクビになった、まさしく1度目のリストラのときに感じた、
また「また教壇に立ちたい!」という思いがなかったんですね。
夢を叶えてなった職業。それが完了してしまった今、
次はどんな仕事をしたらいいんだろう?
これがそのときからずっと続く自分への問いかけです。

いつクビになるかわからない中で
次の職を危機感を持って探していた部分もありますが、
クビになってしまった後「次にしたいことは?」ときかれて、
「???」という感じだったんです。

とにかく長くなりました。今日はここまでにします。


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なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>そうですねぇ。この「期限」、くるみさんの返信にも書きましたが、この期限があるからモチベーションを保てて、非常勤の先生の方が質の高い授業をしているといういい面もあったりします。でも、人を育てることは、本来は腰を落ち着けてやることです。育てる側の教員が明日のわが身を不安に思いながら、将来を担っていく若者を育てられません。難しいところです。 (04/11/25 23:19)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>どなたにでも「天職」はあると私は信じています。幸運を祈るさんは天職にまだめぐり合っていませんか? もしそうならきっと今その「天職」に続くプロセスにいらっしゃるのだと思います。私もそうですが…。正規に教員になるというのは本当に狭き門です。だから重箱の隅をつつくような採用試験をしてふるいにかけて、あたり障りのなさそうな人間を選ぶわけです。その結果が今のたくさんの不祥事です。また今度このことも話そうと思います。また読んでやってください。 (04/11/25 23:15)
なんくるなるさぁ〜 40@男さん>たくさんの「?」をありがとうございます。そのことについて、ずっと書こうと思っていて、昨日もそして今日も横道にそれて、そこまでたどり着けずにいます。次の日記にはそのあたりをきちんと書くつもりです。是非また読んでやってください。こうして読んでくださる40@男さんみたいな方がいらっしゃってくださると、モチベーションを落とさず、話したかったことを話せそうです。ありがとうございます。 (04/11/25 23:08)
なんくるなるさぁ〜 くるみさん>そうですね。確かに教員の世界は独特ですね。教員1人1人がモチベーションをきちんと保っていないと、いくらでもズルズルいってしまう世界でもあります。そして極端に異質なものを嫌う。個性の尊重なんて、一番教員が教員同士でしないことです。その代わりに影口が横行します。…またそのあたりも書きたいと思います。よかったら読んでみてください。 (04/11/25 23:05)
大人の少年 天職だと思って就けた職業に期限があっては、なんともやるせないですね・・。先生という職業はいい仕事だと思います。 (04/11/25 22:54)
幸運を祈る 自分でこれが天職だと思う物が見つかったのは凄いです。でも教師として働くのも狭き門なのですね。なんとかできればいいのですけどね。 (04/11/25 18:50)
40@男 なんくるさんは教師をなさっていたんですね。天職だと感じながらも自分の中で完了してしまったと言うのはご自分の中の目標を達成してしまったと言うことなのでしょうか?それとも今の教育現場に失望してしまったのでしょうか?また、今までの同一線上にある職業で新しい道を探しているのでしょうか?それともまったく違う分野で道を探そうとしているのでしょうか?まだまだなんくるさんの日記を読み続けないとコメント出来ないような気がします。これからも時間の許す限り日記を読ませていただきますのでよろしくお願いいたしますm(__)m (04/11/25 10:59)
くるみ 通りすがりのものです。今の教員は大変だと思います。先生の独特の世界も友達から聞いていますが、一般社会とまた違ったどくとくのものがあると思います。もし、また教えたくなったら教師を続けてください。情熱をもった先生が減るのは悲しいことだと思います。 (04/11/25 10:57)


 ■ 2004/11/24 (水) 自分はいったい何?


今の自分は一体全体社会的には何者なのか、これが悩みでした。
とても中途半端な自分…。中途半端だから八方塞がりになった感じがしていました。
自由業者、フリーター、無業者、無職、ニート、ひきこもり。
どれも当てはまっているようで当てはまっていない。そんな中途半端な自分。
いずれかに決めてしまうことはないのかもしれないと思うけれども、
そこが中途半端だと、救いの手も求められない。

自分の中の深い部分が救いを求めているのがわかる。わかるけど何を求めているかが分からない。  わからないから求めようがない。求めようがないからとまったまま。

今のこの状態になってから、もうすぐ2年になります。
去年の3月末で仕事がなくなったのですが、リストラの通知を受けたのが一昨年の12月でした。
それ以前から危機感はありました。危機感があったので次の仕事のことはずっと考えていました。
考えていましたが答えが出ずにいました。
リストラの通知を受け取った時、もっと時間がほしいと正直思いました。


話が思っていたのとすこし方向が違ってきました。
仕切り直しをしたいので、まずは今回はここまでで終えようと思います。


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>リストラ通知を受け取ったときに思った「時間がほしい」は「お金をためる時間」がほしいっていう感じでした。答えが出なさそうだったのはわかっていたので…。その辺りを話すつもりがずれていきました。次の日記を読んでやってください。 (04/11/25 01:10)
なんくるなるさぁ〜 40@男さん>「いつかこの思考をしていた時間が自分の財産になる」というのはよくわかっていますが、足かけ10年となると、いい加減答えを出したかったりしています。 (04/11/25 01:08)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>「いろいろ」は後で日記に書きますね。そのことを書こうとしていて、ずれていってしまったので…。また読んでやってください。 (04/11/25 01:05)
幸運を祈る 前の会社では色々あられたのですね。時間って本当にいっぱい欲しいですよね。 (04/11/24 19:22)
40@男 なんくるさんはご自分のことを冷静に見てらっしゃいますね。いろいろ思考されることはとても大事なことだと思います。答えを出すことにこだわらずに思考をすることこそ重要なのだと考えてみてはどうでしょうか?いつかこの思考をしていた時間がご自分の財産になる時が来ると思いますよ。(^^♪ (04/11/24 11:54)
大人の少年 いろいろあったようですね・・。私も似たような考えをも、した事がありますが、今となっては、ただ生活費を稼ぐだけ日常ですが、この先にある?であろう、わずかな「光」を期待しつつ何とかがんばっていますよ・・。なんくるなるさぁ〜さんも、がんばってください。 (04/11/24 06:48)


 ■ 2004/11/23 (火) まずは感謝です。


返信してくださった皆さん、ありがとうございます。
自問自答はもうあきました。いつも頭の中であれこれ考えていますからね。
日記だって、文字通りの日記を毎晩書いています。かれこれ9年目に入っています。
この数ヶ月はさらに感情にだけスポットを当てた、日記のようなメモ書きまでしています。

ネットにだって、HPを作って日記を書いたりしています。
これはこれで友人達が読んでいるので、
いつの間にかそれを意識して気持ちを吐き出すことができなくなりました。
場所を変えて今流行りのブログにもチャレンジしましたが、
独り言をただ綴っているだけのような気がしてきてしまって続きませんでした。
現にほとんどアクセスされていませんでしたしね。

それに、愚痴とかそういうネガティブなものばかりを発信してよいものかも迷いました。
自分が読む側になったときのことを想像してみると、
「やっぱりこんなの読みなくないなぁ」と思えて、言葉にできなくなりました。

このスペースに書かれている皆さんの日記を拝読して、
少しその辺りのモヤモヤした気持ちが、「ここなら書けるかも」という気持ちにさせてくれました。
それでも1日迷いました。
自分の中のあまり認めたくない部分を認めることにもなりそうな気もしたので…。
それは漠然とした自分の弱さなんですが…。

ですから、返信してくださった皆さんの言葉に救われました。
まずは書くことに自分でOKがこれで出せました。
これから少しずつこれまで言葉にできなかったことを言葉に、文章にしていきます。
どうぞよろしくお願いします。


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なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>こちらこそ、これからよろしくです。 (04/11/24 00:37)
なんくるなるさぁ〜 ぽちさん>弱虫、泣き虫なのはわかっているのですが、変なプライドが邪魔をしています。「はここに書き込むことによってすっごく楽になって」いるっていう言葉には希望が持てます。ありがとうございます。 (04/11/24 00:36)
なんくるなるさぁ〜 40@男さん>「ウチナァ」の解説、ありがとうございます。そうですね、「なんくるなるさぁ〜!」という言葉は、沖縄らしい楽天的な言葉ですよね。その「その楽天さ」がほしくて、タイトルにしたといった方がいいかもしれませんね。自分に欠けてるなぁと思えるので…。心の中、少しずつですが、ぶちまけていきます。これからもよろしくお願いします。 (04/11/24 00:33)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>自分を責めちゃっていますかね?あまり自覚ないので…。困ったものです。「助かる」っていうのはよくわかります。返信をいただいて本当にうれしいですから…。少しずつ吐き出していきます。これからもよろしくお願いしますね。 (04/11/24 00:24)
幸運を祈る これからよろしくです〜。 (04/11/23 18:36)
ぽち 人間だれでも弱虫ですよ。日記を書くことによってモヤモヤを吐き出して前に進めるといいですよね。私はここに書き込むことによってすっごく楽になってます。 (04/11/23 11:41)
40@男 ウチナァ=沖縄の言葉・ヤマトン=沖縄以外の人と言う意味です。「なんくるなるさぁ〜!」も沖縄らしい楽天的な言葉ですよね日記を通じて人々と出会い、人の意見から違う視点を発見する。そんなことが出来れば心から「なんくるなるさぁ〜!」と言えるようになるはずです。まずは心の中をぶちまけましょう。(^_^)v (04/11/23 09:43)
大人の少年 あまり、自分を責めるのは良くないですよ・・。この日記コーナーは、知らないもの同士だからこそ、自身の本音を書く事が出来るし、皆さんに勇気をもらったり、気持ちが楽になったり、私は、非常に助かっていますよ。少しづつでいいので、心の中の「もやもや」を吐き出して、はやくすっきりしてくださいね。 (04/11/23 06:33)


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