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なんくるなるさぁ〜!


 ■ 2004/11/26 (金) 次の天職へ向かって 1


今回は教員になる前の話をしようと思います。
教員になる前は学生でした。会社勤めをすることなく直に教員になりました。
学生時代にアルバイトはしていました。
これも将来を見据えて塾の講師をしていました。

私の場合大学の勉強が好きで普通の方より長く大学で勉強をしていましたので、
その間ずっと塾の講師をしていました。
上司の信頼が厚く、契約社員として教室を任されたこともありました。

今でもたまに思い出すのですが、大学を卒業した直後の4月のことです。
同級生達は新社会人としてこれから会社勤めを始める。
契約社員としてバイト先の教室で事務処理をしながら、
何か取り残されたような、そして一般的なレールから外れたような、
そんな自分の寂しいような、やるせないような気持ちを思い出すことがあります。
何となくこのときから今の状況が決まっていたような、
そんな感じがするのです。

実際のところこの春に同級生達と共に就職をしていたら、
今こうして書いていることはなかったかもしれません。
もしかしたら、もっと早くにここを訪れ、
日記をこうして書いていたかもしれませんが…。
人生の大きな転機であったことは間違いありません。

そして教員になったとき、確かに夢は叶ったのですが、
心から喜べる状態ではありませんでした。
同級生達とは違うレールに乗っかった春に選択をした、
研究者としての道が断たれたのが、そのときでした。


今回は話が少しあちらこちらに飛びそうです。
思うままに書かせてもらいます。
読みづらいかもしれませんが、お読みくださっている皆さん、
お許しください。


私が学生時代にしていたバイト先の上司は、
その業界で日本一になったこともあるやり手の上司でした。
正確には私が勤めている間に日本一の実績を残したので、
とてもとても鍛えられました。

特に採用時の成績の悪かった私は厳しく厳しく鍛えられました。
それでも彼は私の人間性を見抜き信頼し続けてくれたから、
今があるのですが…。
彼は子供にかける情熱というのは半端ではありませんでした。
心から生徒のことを想い、そして生徒もそんな彼を慕いました。
彼のその情熱が日本一の実績を残したのだと思います。

彼からは「働く」ということもいろんな角度から教わりました。
契約社員として彼の代理を任されることもありましたから、
社会人としての最低限のマナーもみっちりと教え込まれました。

そして教員になってから、いかに教員の世界が生ぬるいものかを、
彼の元で働いていたからこそ理解することができました。
自己保身のための足の引っ張り合いばかりを目にしたからです。
教員同士が志を高く持って、協力し合って、
生徒のために何かをするなんてことは、まずありませんでした。

非常勤の何十倍もの収入を得ながら、したくない仕事はしない。
余計なことを提案しようものなら、お前がやれ。
他の教科間で陰口のたたきあい。
同じ教科の中でも表向きは仲良くしながら裏では悪口ばかり。
生徒が目の前にいなくなると、
教員たちの頭の中から生徒は全くいなくなっていました。

「長いものには巻かれろ」という言葉があります。
1年しか契約のなかった最初の年はこの学校を変えようと、
1年しかないのだからと、常識破りのことをたくさんしてきました。
しかし、再度契約がなされた2年目以降はたくさんの我慢をしました。
教壇に立てなくなることが本当に怖かったからです。
自分の「天職」が奪われてしまうことが怖かったからです。

旧態依然としたシステムが私学の場合はずっと踏襲されます。
とても非効率で教員の負担になっていることは明らかですが、
異を唱えれば来年の契約が危うくなります。
それをじっと我慢して続けていました。
そして皮肉にも学習指導要領変更により
担当科目がなくなったことでリストラにあいました。

もちろん年功も長くなり時間当たりの賃金が
高くなったことも理由にあったようです。
現場の効率性を高めることを我慢していたら
学校経営の効率性のためにリストラにあう。なんとも皮肉なものです。


よく友人達から学校をリストラされてから生計を立てるために、
塾の先生をしてみたらと言われることがあります。
教員になる前に塾でやるべきことはほとんどやりました。
そして塾の世界がいかにシビアなものかをよく理解しています。

とても変なことを言い出すのですが、
私は自分の専門教科を教えるのはおそらくとても下手だと思います。
その教科が好きな子にとっては興味深い話が次々に出てきて、
とてもとても楽しくなってくるのですが、
そうでない子にとってはどんどん込み入った話へと進んでいって、
難しくなってしまうようです。

それ以前に受験科目ではありませんでしたので、
生徒達の関心はテストの言葉ありであることがほとんどでした。
難しい話をきいて、それをテストに出されるのではかなわないというのが、
生徒達の本音のようです。

ある特定の教科を受験のために教えることは正直今の私には関心がありません。
逆にそうしなければ塾・予備校業界では生き残っていけません。
その意味で教員の代わりの職業に受験産業というのは今もありません。


不思議なもので話し始めると、いろんなことが頭の中を駆け巡って行きます。
そんなに普段は教育のことなど考えていないのですが、
書いていて少々自分でも驚いています。

そんな訳で今回も本当に話したいことが話せていません。
まわりくどくなっているかもれませんが、
本当に話したいことを次回こそは話そうと決意して、
今回はここまでにしたいと思います。



お名前   コメント

なんくるなるさぁ〜 アニキさん>読んでくださってありがとうございます。 (04/11/27 00:41)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>特に私学のに場合はもう冬の時代に入っています。生き残りをかけて、切り詰めるべきことはどんどん切り詰めます。そのために校風さえ変えてしまうところもあります。私のところはそうでした。能力の高い高賃金の非常勤を立て続けにクビにして新卒を使う。しかも右も左もわからない感じの「イエスマン」をとる。教育の質は下がる一方です。それを解消するために予備校のサテライト授業(衛星放送授業)を取り入れているというからあきれます。「人間学みたいな科目があったなら…」…大人の少年さんはとてもうれしいことをおっしゃってくださいますね。そういう科目の授業をしたいです。 (04/11/27 00:40)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>私も教えるのが上手な人は羨ましいですね。日記に書きましたが、教えるのはうまくないですよ。塾は本当にシビアです。子供も減っていますからね。 (04/11/27 00:33)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>非常勤に対する信じがたい言葉というのは真実ですね。信じられない、信じたくないことなのですが、真実です。続き、コツコツと書いていきます。ぜひまたお読みください。 (04/11/27 00:29)
アニキ 読んでて色々考えさせられます。 (04/11/26 23:55)
大人の少年 先生という職業の世界も複雑ですね・・、一般サラリーマンの世界とは別だと思っていましたが、経費節減したところで教育レベルはあがりませんからね、もし、人間学みたいな科目があったなら、なんくるなるさぁ〜さんにぴったりの科目かも知れませんね・・私が生徒なら、なんくるなるさぁ〜先生の授業を受けてみたいです。 (04/11/26 23:18)
幸運を祈る 自分は人に物を教えるのとか、かなりの下手糞なので人に物を教えるのが上手い人が羨ましいです。塾の講師も色々大変なのですね。 (04/11/26 20:16)
ロールキャベツ 友人が小学校の非常勤をしています。教員同士のいじめや非常勤に対する信じがたい言葉を多々聞き、会社勤め以上にストレスたまってるなあ、でも信じたくないなあと思っていましたが。続きまた書いてください。 (04/11/26 16:26)


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