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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2015/09/13 (日) 女性の目


僕は転職をしたことがないので、職場といえば
いま働いている会社及びその関係会社しか実感としてわからないのだが・・・

細かい箇所についての女性の目というのは鋭いし厳しい
男性ならおおかた「まあしょうがない、なあなあで・・・」という具合だが
女性は絶対に見逃さないし、許さない

しかもそれが「既婚女性」となると、さらにシビアになる

僕は就職してから50過ぎの今まで結婚生活というものを経験したことがない
食べたいものがあれば食べ、寝たいときには好きなだけ寝ている
子育ての苦労など想像もつかない
面倒な人間関係は極度に避け制限するというルーズな1人暮らしを
30年以上続けてきた
そんな甘ちゃんの僕の天敵は、上記のような「女性の目」だ

既婚男性はこれが日常なのだな・・・・

何かの本で読んだことがあるが、女性の目というのは「ポイント制」なのだそうだ
知らず知らずのうちに加算されていき、いつか突然爆発する

女性の部下を持つことが多い僕には恐るべき脅威だ

女性について、30年の会社員生活で気がついたもう一つのこと・・・・
いい男には必ずいい女がついている
美人で頭がいい女は必ずいい男をつかまえている













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のむのむくん >2009-02-28 NINGYOU ← 奥さんいたの?  教えてぷりーず! (15/09/15 00:00)
記入なし このサイトで勤続30年転職無しは初代内閣総理大臣だけですよ。 (15/09/14 17:23)
めとろん 私の前には一生誰も現れそうにない、その理由が最後の一行に書いてあってなんか哀しいわ。 (15/09/13 23:05)
まりあ ポイント制はどうかなぁ。。私はとってもきまぐれです^^ 社外や普段接することが無い場所ではもっと多様な方がいらっしゃると私は思いますよ^^; もっと広い場所へいってみられては。。 (15/09/13 22:02)
伊藤 博文 僕は自由に生きてみたかった。でもできなかった。みんなと同じだよ。 (15/09/13 21:37)
記入なし よ!マンション住まいの勝ち組 (15/09/13 15:33)
記入なし 無職ドットコムで愚痴り続ける必要のない方だとお見受けしましたが、過去までさかのぼって読むとこちらにいらっしゃってる理由が分かるのでしょうか。 (15/09/13 12:09)


 ■ 2015/09/06 (日) 幸福


僕はいま東京の高層マンションの1室で、
中東・シリアの難民たちがヨーロッパのドイツやハンガリーに
なだれ込んでいくのを52インチのテレビでのんびり観ている

この間NHKのテレビを観ていたら、いまの宇宙ができたのは138億年前で、
最近134億光年かなたの小宇宙がハッブル望遠鏡の写真に写されたそうだ
134億年前の光・・・、宇宙が出来て4億年目の光

僕はBSでメジャーリーグの試合を観るのも好きだ
メジャーリーグのスタンドには日本の野球につきもののあの「応援団」というものが
ない。あの静かな雰囲気がいいと思う

このサイトの多くの人と同様、僕も不幸な少年時代を送ってきた
そんなトラウマをうまくあやして生きていかなければならない

幸福っていうのは134億年前の光のようなものだ
ほんとにかすかな光である








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 ■ 2015/08/14 (金) トパーズ


僕は3日間、夏季休暇をとり郷里に帰省した

そして3日間の休みは読書と映画鑑賞で終わってしまった

読んだ本
・「少女」・・・・・連城三紀彦
・「トパーズ」・・・村上 龍
観た映画
洋画
・「タクシードライバー」
・「ショーシャンクの空へ」
邦画
・「野獣死すべし」
・「うなぎ」

これらの小説、映画の主人公たちはいずれもアウトローだ
しかし悪条件下で人生を余裕をもって丁寧に生きているところに好感がもてる

本のほうはいずれも短編小説集だが、僕は長編は読まない
「トパーズ」は村上龍というよりは山田詠美のイメージに近い
僕はこういう作品も好きだ








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 ■ 2015/06/08 (月) アリューシャンの零戦


アクタン・ゼロ(英: Akutan Zero、あるいは古賀のゼロ〈Koga's Zero〉、アリューシャン・ゼロ〈Aleutian Zero〉とも呼ばれる)は、第二次世界大戦中にアラスカ準州アリューシャン列島のアクタン島に不時着した三菱零式艦上戦闘機二一型(製造番号4593)のアメリカ軍における呼称。1942年7月にほとんど無傷のままアメリカ軍に回収され、大戦中アメリカ軍が鹵獲した初めての零戦となった。回収後、機体は修理され、アメリカ軍テストパイロットによってテスト飛行が行われた。結果、アメリカ軍は大戦を通して大日本帝国海軍の主力戦闘機であった零戦に対抗する戦術を研究することができた。

アクタン・ゼロは「アメリカにとってもっとも価値あるといってよい鹵獲物」であり、「おそらく太平洋戦争における最高の鹵獲物の一つ」と言われた。日本の元軍人・自衛官であり歴史家の奥宮正武は、アクタン・ゼロの鹵獲は「〔日本にとって〕ミッドウェー海戦の敗北に劣らないほど深刻」であり、「〔日本の〕最終的な降伏を早めることに多大な影響を及ぼした」と述べた。その一方で、ジョン・ランドストームなどは「伝説の戦闘機にうち勝つための戦術を考案するには古賀のゼロの分析が必要だった」という主張に疑問を呈している。

アクタン・ゼロは1945年に訓練中の事故により失われた。その破片はいくつかのアメリカの博物館に保管されている。

1942年6月、ミッドウェー海戦に連動して、日本はアラスカ南方沖のアリューシャン列島を攻撃した。角田覚治少将指揮の攻撃部隊は、6月3日およびその翌日の2回にわたりウナラスカ島のダッチハーバーを爆撃した。

古賀忠義一飛曹は、6月4日の攻撃隊の一員として空母龍驤から発艦した。編隊は一番機が遠藤信(えんどうまこと)飛曹長、二番機が古賀、三番機が鹿田二男(しかだつぐお)二飛曹。古賀と僚機はダッチハーバーを攻撃し、アメリカ軍の飛行艇PBY-5Aカタリナ(パイロットはバド・ミッチェル)を撃墜、生存者を機銃掃射した。この最中に古賀機は損傷を受けた
致命弾は潤滑油系統を切断し、機体から間もなく油が漏れ出した。古賀はできるだけエンジンの停止を防ぐため速度を落とした。

「3機の零戦は緊急着陸場所に指定されていた、ダッチハーバーの東25マイル〔約40km〕にあるアクタン島へ向けて飛行した。この島の付近が日本軍潜水艦による墜落した搭乗員の救出地点に割り当てられていた。アクタンに着いた3機はブロード湾から半マイル内陸にある草深い平地上空で旋回した。鹿田は草の下の地面が堅いと思ったが、2回目の上空通過時に水が光っていることに気がついた。彼はすぐに古賀は胴体着陸しなければならないと思った。しかし、その時にはもう古賀機は主脚を下ろしており、着陸寸前だった。」

主脚は水とぬかるみにはまり、そのため機体はひっくり返り、滑りながら停止した。この着陸で機体はほとんど無傷のままだったが、古賀は、おそらく衝撃で首の骨を折ったか頭を強打して死亡した。上空を旋回していた僚機は、敵地に着地した零戦はこれをすべて破壊すべしという命令を受けていたが、彼らには古賀がまだ機内で生存しているかどうか分からず、彼ら自身で古賀機を射撃・破壊することができなかった。最終的に、彼らは機体の破壊をせずに帰投することを決めた。搭乗員救出のためにアクタン島沖に配置されていた潜水艦は、アメリカ軍駆逐艦ウィリアムソンに追い払われるまで、古賀を探し続けた。

墜落現場は通常の飛行路の視野外であり、海上からも見えなかったため、1か月以上気づかれず、そのままになっていた。7月10日、アメリカ軍ウィリアム・ティース中尉が操縦するPBYカタリナがその残骸を発見した。ティースのカタリナは、推測航法による哨戒中に機位を失ってしまった。彼はシュマージン諸島を把握し、機首の向きを変え、アクタン上空を通過しダッチハーバーに直行するコースをとって戻り始めたが、その途上で機長のアルバート・ナックが古賀機の残骸を発見した。ティースの機は墜落現場上空を旋回し、地図上の位置を確認して報告のためダッチハーバーへ帰投した。ティースは彼の指揮官であるポール・フォーリーに対し、回収チームとともに現地へ向かわせてくれるよう説得した。翌日、チームは残骸を検分するために離陸した。海軍カメラマン助手のアーサー・W. バウマンが彼らの作業を撮影した。

1942年7月。現地に到着すると、古賀の遺体はチームで一番小柄だったナックによって機体から引き出され、なにか情報価値のあるものがないか探された後に簡単に埋葬された。検分の後チームはダッチハーバーに帰還し、ティースは機体が回収可能であることを報告した。翌7月12日、ロバート・カームス中尉指揮の回収チームがアクタンへ派遣された。チームは古賀を近くの丘にキリスト教式で埋葬し、機体の回収作業を開始した。しかし、重機を使用することができず(運搬船が2つの錨を失ったため重機を降ろすことができなかった)、作業ははかどらなかった。7月15日、3回目の回収チームが派遣された。今度は、重機を使って機体を損傷させずにぬかるみから引き出し、近くのはしけに牽引することができた。機体はダッチハーバーへ運ばれ、上向きに起こされ、洗浄された。

アクタン・ゼロは輸送船セント・ミヒエルに積み込まれ、シアトルへ向けて運ばれ、8月1日に到着した。そこから荷船でサンディエゴ付近の海軍航空基地ノースアイランドへ運ばれ、慎重に修理が行われた。この修理は、「大部分が垂直安定板、ラダー、翼端、フラップおよびキャノピーの整備だった。主脚柱の切り離しは広範囲にわたる作業が必要とされた。住友製三翅プロペラは化粧仕上げを施され、再利用された。」日の丸のラウンデルは、アメリカ軍のインシグニアに塗り替えられた。機体は、自称土産物ハンターによる被害を阻止するため、24時間体制で憲兵の警備下に置かれた。機体は9月20日に再飛行可能となった。
1942年9月20日、エディー・R.サンダース少佐は、アクタン・ゼロのテスト飛行を開始した。彼は10月15日までの間に24回のテストを行った。サンダースは以下の所見を述べている:

これらの飛行では、我々が海軍試験で航空機に対して実施しているような性能テストを行った。最初の飛行で、我々が適切な戦術によればつけ込めるゼロの弱点が明らかになった。すぐに分かったのは、速度が200ノット〔時速約370km〕を越えるとエルロンが重くなり、そのためその速度でのローリング機動が遅く、操縦桿の操作に大きな力が必要だということだった。左へのロールの方が右よりやりやすかった。また、フロート式キャブレターのせいで、マイナスGがかかるとエンジンが停止した[注 1]。我々は今、ゼロに後ろを取られ、逃げることのできないパイロット達のための答えを得た。〔操縦桿を前に倒し〕マイナスGをかけて垂直急降下し、できればゼロのエンジンが停止している隙に距離を開ける。200ノットくらいで、ゼロのパイロットが照準をあせる前に右に激しくロールする。

後のテスト飛行では、海軍支援施設アナコスティアの飛行テスト責任者、フレデリック・M. トランペルが零戦を飛ばし、サンダースが米軍機で同時に同一の機動をして行われた。この後、メルヴィル・“ブーギー”・ホフマンがさらに格闘戦のテストを実施した。

海軍によるテストの後、零戦は海軍航空基地ノースランドから海軍支援施設アナコスティアへ送られた。1944年、機体は太平洋戦線へ向かうパイロットの練習機として再びノースランドへ送られた。グアムの戦いで零戦五二型が鹵獲され、後にこれも使用された
一部で、鹵獲した零戦からの情報がグラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機の設計に利用されたと述べられることがあるが、F6Fの設計、発注、および試作機の初飛行はアクタン・ゼロの発見前にすでに行われており、F6Fの量産第一号機の初飛行は1942年10月4日で、アメリカ軍によるアクタン・ゼロの第1回テスト飛行のわずか2週間後である。零戦のテストはF6Fの設計に影響を及ぼすことはなかったが、右ロールおよび急降下時の欠点など零戦の操縦特性に関する情報は提供され、それがF6Fの性能向上とともにアメリカ軍パイロットが“太平洋の戦況を変える”のに役立つと高い評価を得た。アメリカ軍エースケネス・ウォルシュおよびR.ロバート・ポーターは特に、この情報から得られた戦術のおかげで命拾いしたと評している。零戦を発見したPBYカタリナ隊の指揮官で後に中将に昇進したジェームズ・サージェント・ラッセルは、古賀の零戦には「極めて大きな歴史的意義があった」と述べた。ウィリアム・レオナードもそれに賛同し、次のように述べた。「鹵獲したゼロは宝物だった。私の知る限りその必要性が非常に差し迫っている時に、これほど多くの秘密を解き明かした鹵獲兵器は他にない。」

一部の歴史家は、アクタン・ゼロが太平洋における空中戦に与えた影響の大きさについて異論を唱えている。例えば、ジョン・サッチが考案しアメリカ軍パイロットが対零戦戦闘において大きな成功を収めることになった戦術「サッチウィーブ」は、真珠湾攻撃以前に、中国からの零戦の性能レポートに基づいて考え出されたものである。

古賀はおそらく千鳥ケ淵戦没者墓苑に安置されている。古賀のゼロの鹵獲および飛行テストは一般に、謎の飛行機の秘密を白日の下にさらし、ただちに凋落へと導いたことから、連合軍にとって素晴らしい幸運だと評されている。この見地にたてば、連合軍パイロットは、それからのみ、すばしっこい敵への対処法を学んだことになる。日本人もそれにまったく同感するが、それでもテスト報告の恩恵を受けずに珊瑚海、ミッドウェー、およびガダルカナルでゼロと闘った海軍パイロットは、伝説的な戦闘機にうち勝つために古賀のゼロの分析を必要としたという主張には同意しないだろう。彼らにとって、ゼロは長く謎の飛行機のままではなかった。その独特の特性に関するうわさ〔情報〕は戦闘機パイロットの間ですぐに広まった。実際、ゼロのテスト中の10月6日に〔アクタン・ゼロのテストパイロット〕トランペルは非常に意味深い発言をしている。「この機体の全体的な印象は、まさしく情報部が最初に作成したもの通りだ。その性能も含めて。」





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伊藤 博文 あなた、頭いいね。よくそんな連想ができるね。 (15/06/15 23:19)
佐藤夫人 ロズウエルのUFO事件も本当だったりして (15/06/10 00:26)


 ■ 2015/05/31 (日) 人生相談


「きみの話はもっともだが、抽象論が多いのだよ。星野の話はつねに具体的なんだ」

「きみはたしかに選手の教育は出来るし選手もよく見ている。しかし“じゃあ阪神に”と選手を引っ張ってくるだけの政治力がなかった…星野はそれが出来るんだ。きみはツメが甘いんだよ」         (野村克也「ああ阪神タイガース」より引用)


僕は最近、人生相談の本をよく読んでいる
佐藤優、ひろさちや、西原理恵子、曽野綾子、美輪明宏・・・・
読んでいて気がつくのが、人によって質問者への対応が正論の紋切り型や
抽象論に終わっている事
「がんばって」では、何をがんばればよいのかわからない。



冒頭の文章は次にこう続く


星野は交際範囲が広く選手を捕まえるためのルートを持っているし『この人に話せばいくら必要で本人に渡すのはこれだけでも総額はいくら必要』ということまで計算するらしい。
そして選手本人についてもどういうアプローチをすれば乗ってくるか知っていて自ら条件も含めて直接口説き、自分の方に来るように話をうまく持っていく。そのうえで『高くつきますがよろしくお願いします』と球団首脳に談判するという。そうして、金本、伊良部、片岡、下柳らを手に入れた。


世間一般で言う「仕事」とは正にこのこと


ただ

私(野村)は『エースと四番を獲ってくれ』と要求はするものの『この選手が欲しい』という具体的な話は出来なかった。

では、ボヤキにしかならない






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 ■ 2015/05/23 (土) ヒロイン


昔、小学生や中学生の頃はかならずクラスに「ヒロイン」がいたものだ
美人で明るくて自然とクラスの中心になるような女の子が

今、あの子はどうしているだろう
懐かしいがほろ苦い、取り戻せない時間
彼女も五十を過ぎてもう子供も大学に入るくらいになっているだろう

眠れない春の夜更けにそんなことを思った
もう明け方の午前4時近い


この「無職コム」というサイトは30年後も存続しているのだろうか
あったとしても、その頃にはだいぶメンバーも入れ替わっているに違いないが

かんぱねるらさん、由香利さん、織田信長さん・・・
去っていった懐かしい人たちを思い出した


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ゆーと 夜明けの時間…青の刻ですね… (15/05/25 12:42)
伊藤 博文 同窓会も五十を過ぎるとその人それぞれの人生が浮き彫りになる。それにしても夜明けの空の青さは美しいね。 (15/05/23 13:46)
アイタルユウ 二十そこそこの時の小学校の同窓会で女子は皆、昔の面影なく垢抜けてそれなりに綺麗になっていましたが、当時一番人気だった子は昔のまま化粧も服も地味で控えめでしたが誰よりも綺麗で印象的でした。 (15/05/23 05:37)


 ■ 2015/05/15 (金) ボス


今の時代は「ボス」がいなくなった。

ボスというのは、威厳があって自然と人の上にたてる人
洋の東西を問わず、今は「貫録のある」人がいないようだ
それは現代の、お互い過度に干渉しない個人主義的というか
自分のところさえよければとりあえずオーケーみたいな風潮
と関係あるのかもしれない

国の大統領や首相は言うまでもなく、その国の顔
アメリカのオバマ大統領は、知的で性格もやさしい紳士だが
しかしアメリカという国のトップとしては少し役不足だと思う
昔のブッシュJr.は頭のほうは?だったが存在感があった
あの頃のアメリカは確かに世界のリーダーだった。
今のオバマ大統領は何をやりたいのか、やろうとしているのか、まったくわからない
結果、今のアメリカは「その他大勢」の中に埋没してしまって姿が見えなくなった。
それは韓国のパククネ大統領やフランスのオランド大統領も同じだ
今の世界のトップでそういうカリスマがあるのは
ロシアのプーチンくらいのものだろう








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伊藤 博文 そうかもしれない。しかし「顔」のない政治家ばかりというのも寂しいね。 (15/05/17 17:04)
まりあ 多くの有権者がボスを求めないからではないでしょうか。 (15/05/15 09:20)


 ■ 2015/04/22 (水) 神


人生のできごとって、現実に出会っているそのときどきでは
とても真面目で真剣なできごとのように思えますけど、
ああいう風に距離をおいて見ると、しかも神さまといっしょの立場で
みていると、何かとてもおかしなできごとの気がしてくるのです。

人間の形をしていないというだけで、神さまが具体的にそこにいる
というのは、はっきりわかるんです。はっきり感じとれるんです。
存在は感じとれるけど、形がないから、エネルギー体としかいえないんです。
そして私が人生を再体験しながら感じていることを、そのエネルギー体も
感じ取っているということがわかるんです。

前に祖母と私が、何も語りあわなくても、お互いに心が完全に一致して
二人の心が融合したみたいになったといったでしょう。
それと全く同じに私とそのエネルギー体も心がとけ合っていました。
そして、このエネルギー体が私を強く愛してくれているんだという
ことがわかりました
祖母も私を愛してくれていました。
でも、そのエネルギー体の愛情のほうが百万倍も強いのです。

そしてそれは、全てをわかっていて、何もかも知っている、永遠の知識を
持っているということがわかりました。

                 「臨死体験」立花 隆 より








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伊藤  博文 滅多にはないがそういう存在を感じることは確かにあるよね。そういう存在のまえでは現実世界のしがらみなど、どうでもよくなるというか・・・・ (15/04/23 00:35)
ろくすけ 知の巨人立花氏は神やあの世についてまだ懐疑的らしいですが、僕は自身の体験と科学的根拠と知的探求を積み重ねて今回の日記の文章に大賛成です。 (15/04/22 17:06)


 ■ 2015/04/01 (水) ペナントレースの星勘定


プロ野球が開幕した

セリーグでは阪神、パリーグでは西武が好スタートをきったようだ
もちろんまだたった4試合、最後はどうなるかわからない

この2チームは昔日本シリーズで戦ったことが1回だけある
もう一度30年ぶりに、このカードのシリーズを見てみたいのだが

ペナントレースは混戦になると面白い。
3チームくらいで僅差で終盤までいくような展開がベストである。
(もっとも今はペナントレースの後に決定戦があるが)

最終戦で優勝チームが決まるというのも何回かあった


ここで唐突かもしれないが、人生の俯瞰の話

人の一生は20代までが、進学、就職、結婚等
社会の椅子取りゲームである「勝ち抜きトーナメント戦」
この段階では、いい学校に入る、いい会社に就職する、いい相手と結婚するために
闘わなくてはならない。
ここでは、もちろん努力も必要だが、運が大きく左右する
勝ち抜き戦は負けたら、そこでアウトだからだ

そして、それ以降、30代以降は総当たりの「ペナントレース」のようなものだ
ここでは勝ち抜きではなく「勝ち負けの勝率」で勝敗が決まってくる
優勝チームで80勝60敗くらい、最下位のチームでも60勝80敗くらい
144勝0敗や0勝144敗という数字はあり得ない
「長期のリーグ戦」だけに、運というより本人の辛抱と努力、研究心が
重要な要素になってくる

リーグ戦に勝つ秘訣はいわゆる「捨てゲーム」をうまくつくること
100点満点は狙ってはいけない、80点で合格なら20点は捨てること

夏場の暑い時期に投手を酷使しては秋口に糸が切れてしまい脱落してしまう
逆に酷暑の連戦の時期をじっと辛抱し、日程の飛び飛びになる秋に
「リリーフ投手の物量作戦」で混戦を脱出という見事な采配をみたことがある

優秀な人間はやはり全体像を俯瞰し先を読むことができる

しかし、もちろん勝負をあきらめてもいけない、
最終戦で勝敗がつく場合もあるのだから













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 ■ 2015/03/27 (金) 慶應


早稲田の角帽は有名だ
しかし慶應の「丸帽」は知っている人がどれだけいるだろうか?

昔、何のCMだったか忘れたが、テレビを見ていて
「エトランゼ」のBGMで、丸帽をかぶった詰襟の学生が
着物姿の女学生をじっと見つめているというシーンがあった。

そのとき「あれは慶應さ」と父がほつりと言ったのをよく覚えている。

「慶應ボーイ」という呼称があるほど、
慶應出の男性はおしならべてスマートでかっこいい人が多い
私の同級生で慶應に進んだ男もそうだった、

有名人でまっさきに思い浮かぶのは、俳優の石坂浩二
麻布から慶應の法学部に進んだフランキー堺
プロ野球ニュースの司会だった佐々木信也、
巨人の監督だった藤田元司などなど
いずれも「紳士」という言葉が似合う人達だ

面白いもので、私の高校ではバンカラな人間は早稲田に行き、
官僚っぽい人間は東大だった
人間はやはり「類は友を呼ぶ」のだろう

上流階級、お金持ちの子弟の入る学校・・・
そんなイメージのある慶應

若い頃は憧れたこともあったし、実際に受験もした
しかし今は別になんとも思わない、ただ自分は自分の人生を生きるだけだ





















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