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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2015/04/22 (水) 神


人生のできごとって、現実に出会っているそのときどきでは
とても真面目で真剣なできごとのように思えますけど、
ああいう風に距離をおいて見ると、しかも神さまといっしょの立場で
みていると、何かとてもおかしなできごとの気がしてくるのです。

人間の形をしていないというだけで、神さまが具体的にそこにいる
というのは、はっきりわかるんです。はっきり感じとれるんです。
存在は感じとれるけど、形がないから、エネルギー体としかいえないんです。
そして私が人生を再体験しながら感じていることを、そのエネルギー体も
感じ取っているということがわかるんです。

前に祖母と私が、何も語りあわなくても、お互いに心が完全に一致して
二人の心が融合したみたいになったといったでしょう。
それと全く同じに私とそのエネルギー体も心がとけ合っていました。
そして、このエネルギー体が私を強く愛してくれているんだという
ことがわかりました
祖母も私を愛してくれていました。
でも、そのエネルギー体の愛情のほうが百万倍も強いのです。

そしてそれは、全てをわかっていて、何もかも知っている、永遠の知識を
持っているということがわかりました。

                 「臨死体験」立花 隆 より








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伊藤  博文 滅多にはないがそういう存在を感じることは確かにあるよね。そういう存在のまえでは現実世界のしがらみなど、どうでもよくなるというか・・・・ (15/04/23 00:35)
ろくすけ 知の巨人立花氏は神やあの世についてまだ懐疑的らしいですが、僕は自身の体験と科学的根拠と知的探求を積み重ねて今回の日記の文章に大賛成です。 (15/04/22 17:06)


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