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話題
人生は1回ではない。あの世は確実に存在する。 |
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5299に大賛成、共感をおぼえます。
このスレには、それが出来ると書いてありますが、その方法は書いてありません。 残念
no.5300 ( 記入なし07/10/02 14:18 )
あの世があったとしても生活していかねばならないので、働かねばならない。
亡者が多すぎて就職難で再びワーキングプアの始まり。
no.5301 ( 記入なし07/10/02 14:18 )
俺は今、地獄にいます…
no.5302 ( 記入なし07/10/02 14:24 )
5299〜5302さん
近藤さんが訳された「シルバーバーチの霊訓」の全文がサイトに公開されています。
ネットが出来る環境の方は読む事ができます。
よく読まれることをお勧めします。そうすると疑問が解けると思いますよ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/how-to.htm
そして、大切な事はどのようにお感じになるかです。他人の意見に振り回される事なく、ご自分の感性を信頼すべきです。
仮に一笑に付す内容と感じたならばそれでよいのです。
「商業オカルトと本当の神秘主義の区別」
に関しては、霊訓を信じている私にとって、霊訓の中でも述べられていますが、組織なるものは作らないのです。そうすると当然寄付とか組織や建築物の維持費などいらないのです。信仰は一人ひとりの問題です。組織になると狂ってきます。巷の宗教組織の如く・・・!
no.5303 ( 記入なし07/10/02 15:01 )
>5298の下っ端君へ
何故下っ端君に読解能力が無いのか5298を見て良く解りました。
下っ端君は文章が読めないのです。その文章の中に有る一つの単語にだけ気を取られるのです。
最初は「墓」、何故その文章の中に墓という単語が出てきたのか理解出来ていない。
その少し前のレスにぺけぽむさんが放浪者さんの文章に対して
「いいかげん、商業オカルトと本当の神秘主義の区別くらい付けましょう」5280
に対して「ぺけぽむさんは何を規準にして区別をしているのですか?」5283
から始まる文章の中に「墓」という単語が有る。それにだけ反応している。
放浪者さんや、ぺけぽむさんや、5283さんの話の流れを全く理解出来ずに、
「墓は生き残った人のためにあるものなんですよ」とおもいっきり的外れな答え。
そして今度は私の書いた?マーク3つに気を取られた。その前の文章の流れを無視をして。
あなたの知能で公務員試験は合格出来ません。もしあなたが本当に公務員なら無試験でしょう。
テレビでやっていた京都や大阪の部落民枠で入ったものと思われます。あなたは部落民です。
さてさて、いったいどんな返事が返ってくるのか楽しみです。単に否定をすれば図星と取ります。
前半の文章なんて覚えてなんかいないでしょうね! 無理だよね。
no.5304 ( 記入なし07/10/02 20:59 )
5298は下っ端公務員さんではありません。5296のレスしか読んでいません。失礼しました。
no.5305 ( 記入なし07/10/02 21:04 )
輪廻転生なんて可笑しくない?元々地球誕生時には生物は居なかった。
宇宙から来た隕石と共にくっ付いてきた細胞だか何だか知らない物が増殖したのが始まりらしい。
増えた分の魂はどこから来たんだろうね。
no.5306 ( 記入なし07/10/02 22:04 )
前世に良い事をしたら現世では恵まれた生活が出来る?逆もある?
人間の人数はずーーーっと変わっていないのでしょうか?
前世は人間以外だったら現世ではどうなっているのだろう?
no.5307 ( 記入なし07/10/02 22:16 )
輪廻転生は嘘だから・・・(^^;
no.5308 ( 下っ端公務員07/10/02 22:21 )
人生は一回がいい。一回以上も存在したくない・・・・・・・・・
no.5311 ( トーイックさん07/10/03 06:21 )
霊訓よりご紹介します。
地上時代の知り合いで先に他界した人たちと再会できるでしょうか。
「できます。ただ、愛情関係の度合いによって直ぐに会える人と、なかなか会えない人とがいます。霊界への帰還を察知して出迎えてくれ、物質との絆を解くのを手伝ってくれる人もいます。
前世で知り合いだったのに、あなたが地上へ行ってしまったのでその間会えなかった人が出迎えてくれることもあります。霊界に帰りながら今なお迷っている者にも会えますし、地上に残した者のところへ行ってみることもあります」
no.5312 ( 記入なし07/10/03 08:00 )
下っ端君、ぺけぼむ君、霊訓よりご紹介します。
再生説の哲学的根拠は何でしょうか。
「神の公正、そして新たな真理の啓示です。前にも述べたことですが、我が子がいかなる過ちを犯そうと、愛情ある父親は、いつでも帰ってくるのを扉を開けて待つものです。
そういう我が子に過ちの償いをする機会を与えずに、永遠に悦びを奪い続けることが公正でないことくらい、少し理性を働かせれば分かることではないでしょうか。人間は全て神の子ではなかったでしょうか。
不公正、容赦ない憎悪、無慈悲な刑罰が横行しているのは、利己主義のはびこる人間界だけです」
no.5313 ( 記入なし07/10/03 08:09 )
確かにいちりあるな。
でも人生が一回じゃないのなら
死んでも問題ないように思うんだけど…
no.5314 ( 記入なし07/10/03 08:37 )
それぞれの霊性の問題です。
前世まで霊性を高めてきた霊は、より向上の目的で再生してきます。野卑で下品な霊性の霊も同じです。
高められた霊性は決して低くなるわけではありません。それまでの霊性を基準として、より高めようと修養しているのです。肉体年齢と直接関係あるわけではないと考えます。
「徳も生まれつきの特殊能力即ち才能なんですか? 」
この地上社会は一種の学校なのです。雑多な霊性の霊が集まり構成さているのです。
上記の文章はある一面では正しい意味です。が、低き霊性の霊も、今生で悲哀、苦しみを感じ霊性の向上を目指す霊もいるのです。そのような意味ではこの地上生活の場は、霊性を磨くための修養の場なのですよ。
no.5315 ( 記入なし07/10/03 08:43 )
「・・・死んでも問題ないように思うんだけど・・・」
この文意は、自らの生を自ら終える事・・・と解釈したならば、それは間違いです。
この世界に生を受けると言う事は目的があるのです。
過去世の過ちを償う。
新たに身につけなければならない事を修養する。
人類の進化に貢献する。
今苦しんでいる人は多く居ます。それも社会の矛盾によって、なくもがな苦しみに遭っている人が多すぎるのです。だからといって自らの生を絶つことは、同じ、または今まで以上の苦しい世界を経験しなければならなくなるかもしれません。
何事につけても大切なのは、その行為の『動機』です。
何故そのような行為をしなければならなかったのかです。
no.5316 ( 記入なし07/10/03 13:31 )
>1
確かに、ゲームでの「人生ゲーム」なら、「人生は1回ではない。」だろうね...
no.5317 ( 記入なし07/10/03 13:57 )
生まれて1日で死んだ赤ん坊は、
何の目的があったんだ?
no.5318 ( 下っ端公務員07/10/03 18:14 )
下っ端君
君は何度同じ質問を繰り返すのかね?
私にも、K-2さん、太郎さんにその質問をしている。
もう少し視野、思考の拡大をお願いしたいものです。
狭小な視野だと見えるもの、感じるものも感じなくなり、見えなくなるものですよ!
no.5319 ( 記入なし07/10/03 18:40 )
>5321さん
基本的な疑問に答えられないのであれば、
その仮説は間違っているということだよ。
no.5320 ( 下っ端公務員07/10/03 19:16 )
下っ端君
新生児が死ぬのは悲しい事だといいたいのでしょうが、その両親の罪滅ぼしなのです。
自分の子が死んだと・・・悲劇ですね。その苦悩に対してどのように立ち向かうかが両親の試練なのです。
死んだ子供はそのような役割をしているのです。
そもそも「死」というものが悲劇なのかが問題です。
唯物主義、利己主義の洗脳されている方は、この世は一回であり、楽しまなければ損だというお考えですね。
本当にそうなのでしょうか?
よくお考えいただきたいものです。
何のために生きているのかを・・・。
no.5321 ( 記入なし07/10/03 20:36 )
>5323さん
つまり、赤ん坊が死んだのは両親のせいだということか?
酷い話だな・・・
no.5322 ( 下っ端公務員07/10/03 20:38 )
>5323
苦悩どころか親が自分の子を保険金目的で殺したり邪魔だからと殺すのはどういう見解でしょうか?
no.5323 ( 記入なし07/10/03 20:38 )
>5326
自分のような人も
いるので教えて下さい。
no.5324 ( 低レベル人間07/10/03 23:31 )
近くの坊さんに聞きなさい、足がシビレて立てなくなるまで詳しく教えてくれるから。
no.5325 ( 記入なし07/10/03 23:46 )
答えられずに逆切れか・・・
no.5326 ( 下っ端公務員07/10/03 23:51 )
あの世の存在や神秘的なことを信じているのならそうでない方のどのような質問や疑問にも答えるべきだ。
no.5327 ( 記入なし07/10/03 23:53 )
下っ端君
君は何度同じ質問を繰り返すのかね?
私にも、K-2さん、太郎さんにその質問をしている。
もう少し視野、思考の拡大をお願いしたいものです。
no.5328 ( 記入なし07/10/04 00:03 )
>5331さん
赤ん坊が死んだのは親のせいだという、
貴方たちの理論には賛同できません。
そこまで薄情じゃありませんから・・・
no.5329 ( 下っ端公務員07/10/04 00:15 )
下っ端君へ、赤ん坊が死んだのは親のせいだというのは、あなたの心と同じねじまがった解釈です。
no.5330 ( 記入なし07/10/04 00:37 )
コネ採用だから無理でしょう・・w
no.5331 ( 記入なし07/10/04 03:00 )
真光のなんとかという所へ行ってみなさい、ただのおばちゃんが簡単にやってくれる。
これは過去レスにも書いたけれど本当に驚くよ。
自分の腸が勝手にウネウネと動き出すのです、自己暗示で出来ればもっとすごいと思います。
no.5332 ( 記入なし07/10/04 13:16 )
>5333さん
そのような苦しみ、悲しみ、憎しみを抱いている時こそ、5303に紹介しているサイトをゆっくりとお読みください。
順風漫歩の人生を送っている人には解らない苦しみです。しかし、大切な苦しみなのです。5333さんが望んだ苦しみかもしれません。前世で因果律に反した行いをしているからこそ、今生で与えた苦しみを自ら求めているのかもしれません。
私自身同じ苦しみを感じています。
人間はそんな簡単に悟れるものではありません。苦しい・・・悔しい・・・憎らしい・・・相手を無茶苦茶にしてやりたい!と、考えるときがあります。そんな時私は『霊訓』を読んでいます。そうするとそんな感情が和らいできます。その繰り返しなのです。
「霊訓よりご紹介します。」
好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感のもてない人を愛する。これが魂の高さを示します。
あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなたがたは常に理想を目標としなければなりません。
かわいそうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心のあった人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。最高の徳は利他愛です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであるがゆえに愛する、愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。
no.5333 ( 記入なし07/10/04 19:43 )
放浪者さん、ごもっともです。
放浪者というのは磔刑にされたイエスの友だった人で登場しているのもあります。
知恵のある人なのに一般人からはなかなか理解されていませんでした。
現代も受難が多いから放浪するのかもしれません。
神の話なんて普通できませんものね。
no.5334 ( 記入なし07/10/04 21:55 )
5334さんはRe.さんですか?
以前私のことを8次元の魂とご指摘された。
どうもそのような気がいたします。
私のことを霊視されているのでしょうか?もしそうなら光栄なのですが・・・。
no.5335 ( 記入なし07/10/05 14:16 )
Reさんではないです、霊視能力もありません。
あなたと同じ霊訓により真理を知ったものです、実はすすむというHNででてました。
放浪者というのはイエスの人生と深く関係があるのですが、真の知恵のある人だったようです。霊界通信に記述があります。もしかしたらそこからきているのかなと思ったんです。
no.5336 ( すすむ07/10/05 19:57 )
それぞれの人がそれぞれの道を歩んでいます。
最短のコースを選んで歩んでいる人も居れば、回り道をしながら、道草をしながら歩んでいる人も居ます。目的地は同じなのですが、それに至る道は無数にあります。
どれが良いとか悪いとかの問題ではないのです。
それぞれの人が経験しなければならない事、身につけなければならない資質を身につけながら歩んでいるだけなのです。
誰も非難中傷は出来ないのです。
no.5337 ( 記入なし07/10/07 06:11 )
偉大な宗教家はどのような宗教の教義にも『御神』のお考えが反映されている事をご存知なのですね。
ルシンダ・ヴァーディ編 猪熊弘子訳
「マザー・テレサ 語る」
この本の内容は霊訓と同じ意味を語っています。
まだ読まれていない方は、お読みになる事をお勧めします。
ほんの一部をご紹介します。(本の中では「イエス」とされている所を、私は「神様」としています。マザー・テレサもそのように変えても良いと言われています。)
神様、私をお救いください
愛されたいという欲望から ほめられたいという欲望から
名誉を得たいという欲望から 称賛されたいという欲望から
人より好かれたいという欲望から 相談されたいという欲望から
よく思われたいという欲望から 人気を得たいという欲望から
屈辱を受けるという恐れから 軽蔑されるという恐れから
非難されるという恐れから 中傷されるという恐れから
忘れ去られるという恐れから ひどい扱いを受けるという恐れから
嘲笑されるという恐れから 疑われるという恐れから
no.5338 ( 記入なし07/10/07 13:05 )
「マザー・テレサ 語る」より
それでも
人々は理性を失い、非論理的で自己中心的です。
それでも彼らを愛しなさい。
もし、いい事をすれば、人々は自分勝手だとか、何か隠された動機があるはずだと、非難します。
それでも良い事をしなさい。
もし、貴方が成功すれば、不実な友と、本当の敵を得てしまう事でしょう。
それでも成功しなさい。
貴方がしたいいことは、明日には忘れられます。
それでも良い事をしなさい。
誠実さと親しみやすさは、貴方を容易に傷つけます。
それでも誠実で親しみやすくありなさい。
貴方が歳月を費やした建物が、一晩で壊されてしまうかもしれません。
それでも建てなさい。
本当に助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら、彼らに襲われてしまうかもしれません。
それでも彼らを助けなさい。
持っている一番よいものを分け与えると、自分はひどい目に遭うかもしれません。
それでも、一番よいものを分け与えなさい。
no.5339 ( 記入なし07/10/09 10:03 )
http://1rutile.blog106.fc2.com/
no.5340 ( 記入なし07/10/10 10:28 )
イエスという人間は実在していたけど、
イエス・キリストという者は実在していない。
なぜ教会は、そのことを認めないんだろうね。
天動説は認めたのに・・・
no.5341 ( 下っ端公務員07/10/11 23:04 )
>5341 以前もそう言っていたねあなた。
どこで仕入れたネタか知らんが、おかしなこと言わない方がいいと思うよ。
笑われるだけだろうが・・・
no.5342 ( 記入なし07/10/11 23:26 )
>5342さん
( ´∀`)つhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9
no.5343 ( 下っ端公務員07/10/11 23:46 )
>5343 ざっと読んだが、何と歪んだ解釈の仕方もあるもんだな。
誰が書いたものか知らんが、そこまでひねくれんでも良さそうなものを
史実を見ていた訳じゃ無し。どっかの反対党と同じだよ^^
もそっと素直になりなさい。 万人が同調できるように、、、
no.5344 ( 記入なし07/10/12 00:38 )
>5344
言い方はともかくとして、
自分も確らしいと思うよ。
下っ葉さんは話を盛り上げる為に、おちょくるような言い方をするので
それを差し引いて見るといいと思いますよ。
悪気はないと思います。
no.5345 ( 記入なし07/10/12 02:00 )
シーザー(現代英語)は存在しなかった。
カイサル(古代ギリシャ語)が存在した。
これの方が確かです。(同一スペル)
同じ様なものか!
no.5346 ( 記入なし07/10/12 06:23 )
どっちでも、いいんじゃない
no.5347 ( 記入なし07/10/12 06:41 )
イエスにしてもカエサル、ナポレオン、アレクサンダ−大王その他
歴史上の偉大な人物はやっぱりケタ外れに偉大なのだよ。
誇大評価はしても、決してくさすような評価は好ましくない。
素直に認めようよ。 人間、素直なのがいいよ。
no.5348 ( 記入なし07/10/12 09:55 )
霊訓よりご紹介します。
聖書は神の言葉ではなく政治的陰謀から人間が作り上げた書である。イエスの弟子が書いたということになっている福音書も、それ自体が原書ではなく、多くのものが付け加えられてまとめ上げられたのである。
聖書は一応、西暦九十年に完成したことになっているが、それは編集の形に整えられたというだけのことである。それ以前にもその後にも、多くの改ざんが為されているのである。
聖書の解釈をめぐって多数の宗派が生まれた。が、聖書自体が多くの間違いと人工的教え、比喩によって出来上がっているものである以上、その文字づらの解釈(神学)だけに走れば、また新たな矛盾・問題を生み出すだけである。もともと矛盾だらけの聖書を、いくら論理的に解釈しようとしても無意味なことである。
霊界通信ではイエスをどのように見ているのだろうか。結論を言えば、イエスは我々と何も変わらないごく普通の人間である、ということである。イエスは一人の人間として生まれ育ち、死んでいった。特別な神の一人子「神イコールイエス」ということではない。(キリスト教の三位一体説は間違いである)
聖書に登場するような、めざましい奇蹟を起こしたことは事実であるが、それはサイキック能力がズバ抜けて優れていたために可能だったことであり、それだけに限ってみれば霊格の高さとは別の問題である。
イエスは傑出した超能力者であった。が、同時にイエスは、きわだって優れた霊格の持ち主であった。さらに肉体が一般人と比して浄化されていたため、肉体がほとんど霊通の障害にならなかった。たえずストレートに霊界の高級霊・天使達と交わることができた。
イエスは出生前は霊界において高級天使として存在していた。それが地上救済という使命を担って、人間の肉体をまとい地上に誕生した。そしてその時から始まった使命は今日までずっと続けられている。
現在、スピリチュアリズムと呼ばれる、地球浄化・人類救済の大事業の“総指揮”を取っているのはイエスなのである。
no.5349 ( 記入なし07/10/12 13:25 )
もっとも過酷な思想は何であるかと考えてみた。
それはただ人間がその辺の路傍の石とおなじく、
ただこの世界に存在するだけのものでしかないということが、
紛れもない事実であるとする考え方ではないだろうか。
まあそんなことはいいとして、
奇跡で衆生を信仰に導くのは精神を誘惑することに他ならない。
超能力だろうが霊界との交流だろうが、あまり関係ないことだと思う。
キリストがといたのは、本当は魂の自由の問題だったから、
魂を買い取ろうとする一切のものがその敵になったはずだ。
奇跡が悪魔の誘惑による幻影であるかもしれないというモチーフはすでに聖書にあり、イエス自身がその誘惑に身をさらしているわけだけれど、
イエスがその誘惑に打ち勝ったのは奇跡を求めることを退けたことによって勝ったのであり、
その奇跡とは奇術めいたものから神の臨在までも含むものだった。
…これを信じされすれば、あなたはいまよりも高いものになることができる…
そういう呼びかけすら、誘惑である私は思う。
no.5350 ( ぺけぽむ07/10/12 21:56 )
誘惑するのは女に限定したいと思う今日この頃。
no.5351 ( 記入なし07/10/12 21:59 )
>5346さん
聖徳太子は居なかったけど、
厩戸皇子は居た。
これに似ているね。
no.5352 ( 下っ端公務員07/10/12 22:00 )
どっちでも、いいんじゃない
no.5347 ( 記入なし 07/10/12 06:41 )
no.5353 ( 記入なし07/10/12 23:02 )
どっちでも、いいんじゃない
no.5347 ( 記入なし 07/10/12 06:41 )
no.5354 ( 記入なし07/10/12 23:02 )
どっちでもいいけど、
調べてみると面白いよ。
人間というのは、
『知る』ということで快感を得られる稀有な生物なんだよ。
no.5355 ( 下っ端公務員07/10/12 23:05 )
イエスは人の生き方の模範を示す形で降臨されたのです。
誰もイエスのような生き方は出来ないと感じていますが、そうではないという事を、ガンジーやマザー・テレサは示しているのです。
宗教の名称に捉われることなく、その本質をよくお考えになられればよいと考えます。
no.5356 ( 記入なし07/10/13 07:57 )
信じる事は簡単です。が、実際に行動で身にしみこませる事は非常に困難です。
この世界に来て学ぶべき事は非常に沢山あります。
目標は高く持ったほうがよいと思う。
no.5357 ( 記入なし07/10/13 07:59 )
私は、新約聖書に伝えられているイエスその人を思い浮かべることがとても難しい。
聖書の中での彼の現行はあまりに矛盾が多い。
悪魔の誘惑を退けておきながら自らは奇跡行者としての振る舞いを多数行っている。
イエスが悪魔から与えられた誘惑は、彼の、指導者と言うか、導き手としての資質を試すものだった。
『カラマーゾフの兄弟』のイワンの言葉を借りれば、
奇跡によって人を惑わしたり、
明日のパンを約束することで魂の自由を買い取ることを否んだというのが
イエスの悪魔に対する勝利の実質なのだけれど、
彼はしかしながら、福音書に伝えられているとおりに治癒のみにとどまらずさまざまな奇跡を行っている。
人はあまりにも簡単に奇跡とパンのために魂を売り渡してしまう。
魂を売ってしまっていることにすら気がつかないくらい、あまりにもあっさりと。
だが、ここでひとつの疑問が立ち上がる。
魂の自由とは何であるのか? それは何を意味するのか?
見田宗介は『社会学入門』で、
自らの魂を何かに預ける自由と、それを強制されない自由とが確保されている社会について触れていた。
実際にはそれは実現したことのない、未来に目的とするべき社会として考察されていたのだけれど(見田の議論はここで到底全てを紹介しきれるような簡単なものではないから、各自で『社会学入門』をあたってもらいたい。アマゾンで買える。それほど難解でもない)
イエスはいっけん、前者の自由を衆生に開こうとしているようにみえながら、一方で、エルサレム神殿での野蛮な振る舞いのように、一種の政治的なパフォーマンスすらしてみせる。
それは彼が単なる神がかりにとどまらない、現実的で、俗世的な意味でたくましい人物でもあったことを示していると思える。(それはそうだろう)
no.5358 ( ぺけぽむ07/10/13 18:59 )
ふ〜ん
no.5359 ( 記入なし07/10/13 19:01 )
新約聖書を読んでみるとわかるが、イエスの教えに熱狂した人々は、社会的な弱者が多かった。
経済的に困窮した結果、社会のルールを破らずには生きていけないような人々だったらしい。
生活困窮から悪をなすと言う面もあるし、
単に葬礼をしきたりどおりにだせないとか、
今で言うメンヘルと言われそうな心の病とか、難病などの身体的な病などに罹り、
それがもとで差別されるというような描写が多い。
そうした社会のルールと言うのは、当時のローマ帝国下のエルサレム王国においては当然とされているものばかりというもので、
彼らはまっとうに生きたいと思っていても、社会から排除され、抑圧されていた。
当時支配的だったユダヤ教の教説そのものが彼らを抑圧する源であったとすらいえるかもしれない。
旧約聖書の信仰は、荒野を流浪する民の生活信条を宗教と哲学に練り上げたものだとおもう。
しかし、新約聖書の信仰はどちらかと言うとそうではない。はっきりした差別と搾取の存在する、都市生活者の、そのなかの弱者のための信仰なのだ。
no.5360 ( ぺけぽむ07/10/13 19:14 )
もちろん社会的弱者は常に構造的に発生する。構造的であるということは、当事者がその発生の仕組みを意識していようといまいと、その構造の中にすでに巻き込まれてしまっているということだ。
その仕組みを認識できれば構造から自由になれると発想する者はおそらく人類の曙から存在し(だろうと思う)、ときにはそれがある程度の成功を収めたこともあったのかもしれない。
しかし社会の構造から自由になるというのは、社会から脱出することは等価ではない。
また、本人が自分の構造的認識にしたがって社会から「脱出」したとしても、
人間の行為が他者に認識の下でしかなりたたないという根本的な社会性はそんなことでは破棄されない。
「おお、君は、まさしく我々の社会から脱出したのだね」と他者に認知されて始めて成り立つよう脱社会性なんて、ぜんぜん脱社会的ではない。そういうことだ。
だから宗教が脱社会的な志向性を示しても、結局そこにはまたひとつの新たな社会が生まれるだけに過ぎない―
ユダヤ教だって、もとはといえばエジプト王国の奴隷に過ぎなかった一民族がその境遇を脱して約束の地にたどり着き、国家を形成する歴史の中で育まれた民族の集合的知性だったのだ。
つまり抑圧は存在する。常に。
no.5361 ( ぺけぽむ07/10/13 19:31 )
うまくまとまらない。
続きは自分のブログでしばらくしたら再開すると思う。
なんだか『カラマーゾフの兄弟』を読んだ感想記みたいな感じになっていてスレッドのテーマとずれてきてしまっているのも気になる。
よってここで中断。
no.5362 ( ぺけぽむ07/10/13 19:35 )
>ぺけぽむさんへ 魂の開放、心の開放って何ですか?
心が休まるイメージが有るのですが。
no.5363 ( 記入なし07/10/14 02:18 )
新約聖書は時の政治的権力により多く歪められています。多くの人為的思惑が入り込んでいるのです。が、それでも多くの真理を残しているのです。
霊訓では、人為的瓦礫を取り除き、真理に光を当てているの過ぎないのです。
イエスがエルサレムの神殿で怒りを発した記述は、イエスほどの高級霊でも肉を纏えば人間的な怒りという感情を抑制できない事の証明なのです。いわんや、我々凡夫はいかばかりか・・・。
ぺけぼむ君の旧約聖書の判読は正しいと思う。
そして、一民族の教義が何故このように世界に広まったかです。何故、広める必要があったかです。当時の世界情勢や各強国の植民地政策に基づいて行われた事は歴史を見れば明々白々です。
no.5364 ( 記入なし07/10/14 10:53 )
霊訓よりご紹介します。
問)
「讀罪」の教義の根源にあるのは、それが本質的に神の御業であり、神がキリストの調停によって人類と和解し給うたとの確信である・・・とのことですが?
答)シルバーバーチ霊
嫉妬と怒りに燃えた神を宥めすかすために最愛の子を血の犠牲にしなければならなかったという、あの古い説話の焼き直しですか。神は怒りっぽい人間よりもっと残酷で無慈悲だとでも言いたいのでしょうか。我が子と和解するのに血の犠牲を要求なさるのでしょうか。神とイエスをこれほど哀れな存在とする説はありません。
イエスが愛と慈悲と優しさに満ちた「父」のごとき存在と説いた神のご機嫌を取るのに、なぜ血を流さなくてはならないのでしょうか。地上の人間は、一人の例外もなく、自分の努力で性格を築き、自分の努力で霊性を進化させて行くために地上界へ来ているのです。
利己的な生き方を選ベばそれなりの代償を払わなくてはなりません。人のために役立つ道を選べば、個性の発達という形で報われます。そのように摂理が出来上がっているのであり、いかに地位の高い指導者といえども、それを変えるわけには行かないのです。
それ以外の教えは全て卑怯と不公正の教義です。もしも間違いを犯したら、潔くその代価を支払えばよろしい。屁理屈をこねて責任を他人に転嫁するようなことをしてはなりません。
私たちの世界では霊性の高い者が低い者よりも高いレベルの界層にいます。それ以外にありようがないのです。もしも自己中心の生活を送った者が、死の床での信仰の告白一つで、生涯を人のために捧げた人よりも高い界層に行けるとしたら、それは神を欺き、完全な公正が愚弄されたことになります。
勿論そんなことがあろうはずはありません。
人生はあなた自身が形成していくものです。どういう地位にあろうと、職業が何であろうと、生まれが高かろうと低かろうと、肩書きが何であろうと、肌の色や民族や国家が何であろうと、そういうものは一切お構いなく、人のために役立つチャンスはいくらでもあります。為すべきことを怠ったら、それ相当の代償を支払わされます。その摂理の働きに介入できる者はいません。
最後にイエスの言葉を引用します。
「自分が蒔いたタネは自分で刈り取らねばならない」
no.5365 ( 記入なし07/10/14 11:44 )
中島みゆきさんの「宙船」を聞いています。
「宙船(そらふね)」 中島みゆき
その舟を漕いで行け お前の手で漕いで行け
お前が消えて喜ぶ者に お前のオールを任せるな
・・・・
日本丸という船のオールは誰が持っているのでしょうか?
誰が漕いでいるのでしょうか?
歌詞の内容は非常に比喩に飛んだ内容だと感じます。
no.5366 ( 記入なし07/10/14 16:31 )
牽引免許を取りなさい。一見トレーラーは難しそうに思えますが、自転車と同じで乗れるまでは、どうにもこうにもなりませが、一度車庫入れ出来てしまえば後は何のことはありません。
アクセルをおもいっきり踏んで車庫入れしても誤差5センチ以内に止められます。乗用車よりも簡単です。
トレーラーにチャブリは有りません総て機械積み機械降しです。
トレーラーに男女の差は有りません、車庫入れが上手いか下手かで決まります。
一人で乗るようになって広い車庫をみつけたら、おもいっきりアクセルを踏んで車庫入れの練習をして下さい。最初の一ヶ月で出来ない事は一生かかっても出来ません。
丁寧な車庫入れは一発で入れれば上手い、2回であたりまえ、3回…ごみ
そして必ず配車係りとはお友達になるように。
no.5367 ( 記入なし07/10/15 15:16 )
すれ間違い
no.5368 ( 記入なし07/10/15 15:18 )
5367さんは5366の内容を読んで勘違いされたのだろうか?
「宙船」の内容は、人が生きている事は自分の船を自分で漕いでいる事だといいたかったのですが・・・。
人も国も同じではないでしょうか。
一個の人も、地域社会も、国際社会も他人任せで能天気にしていてはいけないのです。
信仰もまた然りです。
どのような信仰を持っても自由なのですが、宗教組織に入り、自分の船のオールをその組織に任せることの危険性を言いたかったのです。
no.5369 ( 記入なし07/10/15 15:58 )
>5364
あなたは聖書を丹念に自分で読んだこともないし、
旧約聖書と新約聖書の区別もはっきりされていないんじゃないでしょうか?
どのような名を語るものであろうと
人の口から出たものは人の口から出たものです。
魂の自由は、あの世などではなくこの地上で実現するものでなくては、意味がない。
あの世の自由の約束は、この世の魂の自由を買い取る格好の餌になるからです。
言い切ってしまえば、人間の魂は地上のものでしかない。
人生の意味、そして魂とは、地上の人間が、
自分の人生が路傍の石のようなものであることの耐え切れずに発明した観念に他ならない。
しかし、その観念なしには、人間は人間になることができない。
人生の意味などをわざわざ考えるのは人間だけだからです。
つまり生の苦しみの発見と同時に、人間は人間になる契機を知ったのですよ。
no.5370 ( ぺけぽむ07/10/16 21:54 )
魂の自由とは何ですか、と言う質問をされている人がいるから念のために答えておきますが、
もともと魂は自由なんですよ。
人間の存在には根拠がない。根拠がないということは、
根拠になる存在に支配されることがない。
だから、本質的には自由なはずです。
現実には、社会的動物としての人間は、常に特定の社会と集団の中に身を置き、
何らかの形で他者と関係を取り持ち、その中でしか存在できない。
人間は自分の労働の意味も、言動の意味も、そこからしか汲み取れない。
その支配と依存の力学の中から、私の言う魂を買い取ると言う契機が現れる。
社会には常に抑圧が存在する。弱者も常に存在する。
弱者は、社会の中心から周辺方向に排除され、しかも社会に依存せずには生存できない。
一言で言えば、「社会の除け者」である。
人間社会に弱者として組み込まれている除け者は、主体的に存在できず、客体的な存在にならざるを得ない。
つまり、社会的弱者は自分の人生の意味すら社会的強者に搾取されかねない。
そういう状況にあるとき、
社会の中心的な価値観とは異なる仕方で人生に意味を与える思想があったら、どうなるだろう? しかも、それが、社会の除け者にたいして寛容であるとしたら。
no.5371 ( ぺけぽむ07/10/16 22:06 )
>
社会の中心的な価値観とは異なる仕方で人生に意味を与える思想があったら、どうなるだろう? しかも、それが、社会の除け者にたいして寛容であるとしたら。
それが芸術。世界共通。
no.5372 ( 記入なし07/10/16 22:20 )
新しい信仰はたいてい弱者のために生まれる。
しかし、イエスが弟子を勧誘したときのことば―「魂を獲る漁師」。
このことは、何かを暗示していないだろうか。
世界や人生の意味に関するような信条を誰かに信じさせるとは、
その人が持っている魂の自由、つまり、
自らが信じたいものを信じ、
その選択によって苦しめられず、
自らを不条理に苦しめるような信仰には与さない、
そういう自由を放擲させることだ。
だから、その教えを担うものは、他者の自由を買い取る責任を負うことになる。
だが、すでに人間の歴史は、
そうした自由が責任の自覚なく売買されてしまった史実で、
枚挙に暇がないほどになっている。
no.5373 ( ぺけぽむ07/10/16 22:21 )
弱者から搾取を効率的に行うには、
弱者がそこに依存せざるを得ず、
しかもそこに一定の利息をふりこまねば生きていけないような仕組みを
構築し、活性化することがもっともよい。
そうしたことはまた構造的な問題でもあるから、気がつくと、
すでに強者も弱者もその仕組みの中にあって資本主義のゲームに乗っているわけだ。
…私の目からすると、宗教も同じではないのだろうか。
取り扱われるものが、魂の自由と引き換えの人生の意味であるだけではないだろうか。
この点については組織宗教であろうが、個人的な<宗教>であろうが、関係はない。
no.5374 ( ぺけぽむ07/10/16 22:35 )
…現時点で私は、普通に言う意味の「宗教」は以上のようなものであると考えているのだけれど、
この考え方でひとつだけ明らかに理解できないのは、
「聖なるもの」とか「聖域」などにそなわる、侵すべきでない性質…
つまり聖性というものだ。
私の考えでは、この聖性を備えたものは魂の自由を買い取ることなく
人の生きる意味を明らかにする力があると思う。
だが、今の時点では、それも予想でしかないし、
実際にそういう体験があったわけでもない。
だから、これまでいろいろわかったようなことを言った挙句のことで申し訳ないのだが、
私には宗教と言うもの本質が、やはりわからない。
no.5375 ( ぺけぽむ07/10/16 22:41 )
>ぺけぽむさん
それは今の価値観でしか考えていないからだよ。
その昔、宗教は科学でした。
その後、生活の基盤や権力の道具、
精神の拠り所など、様々な用途に使われるようになってきた。
つまり普遍的なものではないのです。
no.5376 ( 下っ端公務員07/10/16 22:46 )
わかったふりをしてありきたりなことを言われても。
私は価値観の話も普遍性の話もしていない。
私が一回でも宗教が普遍的なものだなんて言っているか?
前説に長くかかったが、
要するに生成に関する体験がないから本気で信じている人間の気持ちはわからない、
と言っているだけだ。
商業オカルト本を読んだ程度のことで感化される人間の気持ちはもっとわかりたくないが、それはお宅もそう思っているのではないかな。
それにしてもお宅はその昔宗教は科学でした、なんていう混乱した説明で何を言おうとしているのかね?
お宅は一度でも村上陽一郎を読んだことがあるのだろうか。
宗教と科学のかかわりを語りたいんだったらそれくらい読んでみたまえ。
大学に入ったばかりの学生でも読めるような著書も本屋に売っているから、読んでみるといい。
no.5377 ( ぺけぽむ07/10/16 23:10 )
>ぺけぽむ
持論を否定されて逆切れかね?
程度が低いな・・・
no.5378 ( 下っ端公務員07/10/16 23:12 )
あのな、私は、
もともと話の流れをまったくつかめてないのに自分の知っていることを無理やり接木して、お宅は一体何をしたいの? と聞いただけだ。
話がつながってないからまったく否定したことにもなってないじゃないか。
つながっていると思うなら、示してみればいい。そうすれば中身のある話になるだろう。
現状のお宅の意見はどうとでも取れるし、どうとでも後から言い換えの聞くようなことしか提示されていない。
要するに与太のレベルだ。
だからこそ指針になるような本のあることを示しただけだ。
no.5379 ( ぺけぽむ07/10/16 23:26 )
じゃあ、私も指針になるような本を紹介してあげようか?(笑)
no.5380 ( 下っ端公務員07/10/16 23:28 )
いつものことだけど揚げ足取りというか挑発だけで私の言うことに返事してないね。
さっさと返事なさい。
それと本のことだがほんとに紹介できるかどうか知らないが、してみたら?
もしほんとに指針になる本だったらこの板の人間全員にメリットあると思うから名前出してみ。
no.5381 ( ぺけぽむ07/10/16 23:55 )
巷の宗教組織や霊能力者は、有料サイトや会員限定サイトを作り集金をしています。
近藤さんが訳した「シルバーバーチの霊訓」はネットが出来る環境ならば誰でも読む事ができます。これだけでも画期的ではないでしょうか。
何をどのように理解するかは人それぞれです。
頭で理解するか、心で理解するかです。
霊訓よりご紹介します。
問)
キリスト教では浄化しきった霊は神の御胸の中に集められて、そこで神をたたえる歌を永遠にうたい続けるというのですが、これはどう解釈したらよいでしょうか。
答)
これは神の完全性について理解した高級霊がそれを寓話的に表現したもので、これをその言葉どおりに受け取ってはいけません。
自然界のもの全て、砂の一粒でさえもが神の威力と叡知と善性を高らかに謳っていると言えます。
これを高級霊が神を拝みつつ永遠に讃美歌をうたい続けるかに想像するのは間違いです。
『そんな退屈で愚かで無駄な話はありません。』
それほどの界層の霊になると、もはや地上生活のような艱難辛苦はありません。いわゆる解脱の境地に入っているわけで、それ自体が喜びです。また、すでに述べたように、彼らには何でも知ることができ、物事の因果関係が理解できますから、その知識を駆使して、進化の途上にある他の霊を援助します。それが又、喜びなのです。
no.5382 ( 記入なし07/10/17 09:39 )
近藤さんが訳した、「シルバーバーチの霊訓」が読めるサイト
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/how-to.htm
no.5383 ( 記入なし07/10/17 09:43 )
>ぺけぽむ
ダヴィンチコードでも読んどけ。
no.5384 ( 下っ端公務員07/10/17 18:56 )
おお、下っ端公務員!
フィクションとノンフィクションの区別すらつかないとはなんてことだ!
少しは期待したのに!
しかも普段とは比べ物にもならない下劣な返答ぶりだが、
なんか仕事で嫌なことでもあったのか?
私は大して本を読むほうではないから、
もしかしたら正直お宅のほうが読書家かもしれないと思ったが、
反応を見る限り、どうやら私が買いかぶっていたみたいだ。
あほらし。
当然だが、読みかじりと受け売りでわかったような顔をするのは限界がある。それも狭い限界だ。
役所の窓口電話口ですらすら客をさばいているときの有能感をいつでもどこでも感じていたいのだろうけれど、残念だったね。
天地の間には役所の仕事のようなわかりきった考え方では想像もつかないようなことがあるのだよ。
no.5385 ( ぺけぽむ07/10/17 20:01 )
>ぺけぽむ
読んだことあるの?
no.5386 ( 下っ端公務員07/10/17 20:06 )
逃げたのか?
no.5387 ( 下っ端公務員07/10/17 20:29 )
あきれたね。
『ダ・ヴィンチ・コード』はフィクションであることを前提に書かれた娯楽なんだよ。
考え深げな体裁をとってるけれど、
読んでいる間の退屈しのぎができればまずそれでいいものなの。
読んだ読まない以前に、そういうフィクションである時点で、私の話の本筋と何の関係もない。
君も人間の歴史のエッセンスはガンダムで学べるなんて思ってるようなイタいオタクなんかじゃないんだろう?
だったら、娯楽が歴史の代わりになんかならないことくらい、考えればわかるだろう。
ちなみに読んだことはない。時間がもったいないのでね。
だいたい、本当に知識がほしいときには、小説に頼るような稚拙なことは私はしない。
あ、そうそう、「ぺけぽむの小説なんか読むよりずっと面白い」なんて書こうと思ったりしてるかもしれないけれど、
天地の間にはラノベみたいなささやかな日本の出版事情にあわせてつくられた形態の小説では思いも及ばないような作品はいくらでもあるのだよ。
私の小説のほかにもいくらでも面白いものはいくらでもあるのは考えるまでもなく明白なのだから、
わざわざ悪意をもって引き合いに出すのはやめるように。あらかじめ釘を刺しておく。
no.5388 ( ぺけぽむ07/10/17 20:41 )
5387の書き込みを読んでいなかったが、本気で自分が勝っていると思ってたのだろうか。
あきれた。
no.5389 ( ぺけぽむ07/10/17 20:44 )
>ぺけぽむ
聖書も経典も壮大なフィクションだよ。
まさか史実だと思っているわけではあるまい?
no.5390 ( 下っ端公務員07/10/17 20:45 )
またあきれた。
一山いくらの娯楽本と聖書が同じレベルのフィクションだと思ってるのだろうか?
同じただスケールが違うだけのフィクションとして、おなじ天秤に乗りはしない。
乗るというなら、あなたは所詮なにもその程度にしか考えていないだけのことだ。
それでなくても、
「ある書物や思想に関して、それ自体についての知識」と、
「それにまつわる受容や歴史的展開に関する状況的な知識」を正確に求めるなら、
「その書物や思想に関するフィクション」を情報源とすることは、
常識があればしないものだ。
みなさん、この人の言うことにまじめに反応しないほうがいいですよ。
私もやっとわかりました。
この人は、ほんとに聞きかじりと読みかじりと半可通で凝り固まった、
自己愛の化け物ですね。
no.5391 ( ぺけぽむ07/10/17 21:22 )
ぺけこちゃん いつもながら貴殿の哲学はおもしろいよ。
でも 少々肩が凝るけどね^^ 愛してる。
no.5393 ( 記入なし07/10/17 22:04 )
ぺけぽむさんはいい過ぎw
下っ葉公務員さんはあおりすぎw
見てるぶんには面白いけど
ちょっとぺけこむさんが可愛いそうかな…
no.5394 ( 記入なし07/10/17 22:13 )
「おたく」・・・。
昔は「変人」。
各分野の進歩はその「変人」によって為されてきた事を忘れているのではないでしょうか。
それともご都合主義にて目を閉じているのかな?
ま、今頃の「オタク」はレベルが低すぎるのが多くなってきてはいるのですけどね・・・。
no.5396 ( 記入なし07/10/18 06:11 )
「おたく」…。
君も人間の歴史のエッセンスはガンダムで学べるなんて思ってるようなイタいオタクなんかじゃないんだろう?
ま、今頃の「オタク」はレベルが低すぎるのが多くなってきてはいる。それ以外の意味あるの?
no.5397 ( 記入なし07/10/18 08:38 )
「おたく」…。
また文章を読めなくて単語だけにこだわる、5396は下っ端君なんでしょ。
no.5398 ( 記入なし07/10/18 10:25 )
5398さん
6396は放浪者です。時間を見られるがよい。
点は線になり、線は面になり、面は立体になる礎です。
どのような考えも、どのような情報も、それを受ける側の資質により大きく意味合いが変わってくるものです。
「失敗は成功の母」
多くの失敗を重ね苦しむ事により、大いなる苦しみの末に子供を生む母親の如く、悲しみ、苦しみを経験することにより、多くの事を学ぶのです。
ガンダム然り、社会事件然り、このサイトの非難中傷然りです。
学ぶ姿勢があると、万物総てが「師」である。
この格言は箴言です。
何を学ぶか、何を学び取ろうとする心構えがあるかです。
no.5399 ( 記入なし07/10/18 10:48 )
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