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話題
人生は1回ではない。あの世は確実に存在する。 |
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だから理解のない人が多いって事なんですよ。
男の言う事聞くのが女だーっとかいつも言ってる人とかも多いでしょ。
それと同じ。
no.1300 ( 記入なし07/01/03 11:55 )
>1328さん
最近じゃ、それは非主流派でしょ(^^;
no.1301 ( 下っ端公務員07/01/03 11:57 )
いやいや、最近でもまだまだ多いよ。人とたくさん話してたらわかるはず。
no.1302 ( 記入なし07/01/03 11:57 )
だからジェンダーとか多いんでしょ。
no.1303 ( 記入なし07/01/03 12:00 )
女性は男に従え・・・・。
私生活での話しです。会社で活躍できる女性は別、それ相応の需要がある。
ただし、社会全体の女性の地位向上運動はへんてこなものが多く、最近はみかけない。
no.1304 ( 記入なし07/01/03 12:04 )
>1332 そのとうり
女性は男性の補佐役として造られた
男女同権といっても男性と張り合うものじゃない
とは言っても女性である事を卑下することはない
女性は男性に無い 優美さ しなやかさ しとやかさ が有るのだ
no.1305 ( 記入なし07/01/03 12:07 )
下っ端さん向きの質問があるようなのでお答えしてあげてください。151さんです。
http://musyoku.com/bbs/view.php/1113019505/
no.1306 ( 記入なし07/01/03 12:12 )
>1261
すでに 反論にも何もなっていないので返答する意味もあるかどうか疑わしいけれど
いちいち答えるなら
まず私は今年でやっと28歳になる人間なので 修羅場をくぐった数はそれこそ 放浪者氏には及ぶべくもないだろう。
けれども ここでのやり取りでいうなら 言葉のたたかいでの修羅場のくぐり方は 正直 私に分があるように思える。
学問というのは 額に汗して 心で血を流してやるものだ。
そのあたりを誤解して 体験の多さというものをそのまま言葉の重みと思う人が多いが
私は必ずしもそうだと思わない。
だいたい 本当に経験深いはずの人がどうして 私ごときの中身のない空理空論を打ち破れないのだろうか。
私に言わせれば そういう人は経験から学びきれていないのである。
no.1307 ( ぺけぽむ07/01/03 21:46 )
>ぺけぽむさん
私の理論を打ち破れなかった、
貴方が言っても説得力が無いよ。
no.1308 ( 下っ端公務員07/01/03 21:48 )
ぺけぽむさんは大学院卒なの?専門はなに?
no.1309 ( 記入なし07/01/03 21:51 )
続けて言うなら 私は下っ端氏の「努力が足りない」発言を 支持する。
表現の仕方が 決して優しくないし受け入れられる工夫をしていると思えないけれども
たぶん 真実を突いている。
この世のことは この世の人間が解決しようと決意しなければ 解決されない
私はそう言った。
これは つまり そういうことである。
放浪者氏が どのようなひどい目を見て今の境遇になったかなど 私には興味がない。もともと他人の不幸自慢に付き合う趣味がないから。
でも 提示されたことから想像して言うなら 要するに 貴方は自分の信じる「正しさ」の虜になって 他者の利害と正しさというものを 考慮してやれなかったのだ。
本当に「組合」に勝ちたかったのなら、妥協し、取引し、油断させ、弱みを握り、恫喝し、そして最後に勝てばいい。
自分にはそんな力はなかったとおっしゃるかもしれない。
しかし 現実にそういうことを解決しようとしている人は まず 負けないようにしながらそういうものと戦っていくだろう。
そのなかで たぶん自分の正しさも汚れていくだろう。
決して 一面的な正義で 型がつく話ではないことくらい 大人である貴方ならわかっているだろう。そんなことは知らなかったというなら はっきり言って子供じみてナイーブ過ぎるのだ。
no.1310 ( ぺけぽむ07/01/03 21:55 )
過去に 自分の正しさを絶対的に信じて突き進んだ挙句 結局自分の人生を破滅させたという経験をしたのであれば
そこから何かを学べないのだろうか。
この世のことの解決には 絶対的な正しさなんて無用だ。なぜなら この世に生きる人間には星の数だけ利害と正義があるから。
そういうものを 調停して大きな利益を実現するには結局政治的リーダーシップと権力がいるのだ。
だから私は今回例外的に下っ端氏の肩を持って
自分で世の中を変えたかったらえらくなるしかない と思う。
それをできなかった貴方は不幸かもしれないが しかし
それを志そうとしなかったのも貴方自身。
そういう考え方をを私は自己責任であると思うのだが どうだろうか。
no.1311 ( ぺけぽむ07/01/03 22:02 )
ぺけぽむさんの職業はな〜に
no.1312 ( 記入なし07/01/03 22:02 )
付け加えるなら
おまいら
スレタイミロ
no.1313 ( ぺけぽむ07/01/03 22:03 )
ぺけぽむさんが今どんな仕事をしているのか 幸福なのかのほうが問題
no.1314 ( 記入なし07/01/03 22:04 )
私は 放浪者氏のマジレスを待ってるだけ
そっちの話は だれかがぺけぽむ質問スレッドを立ててくれるか 私のブログまで来てくれたらOK
no.1315 ( ぺけぽむ07/01/03 22:09 )
>ぺけぽむさん
サイトのアドレスは?
no.1316 ( 下っ端公務員07/01/03 22:20 )
「ぺけぽむ」でググればトップに来ます。
アドレス張るのは宣伝だと思うからパス。すまないが調べてきてください。
あと 来さえすれば 今の仕事が何かまでは自動的にわかるので
ここではこれ以上追求しないでください。
no.1317 ( ぺけぽむ07/01/03 22:25 )
塾でバイト
no.1318 ( 記入なし07/01/03 22:34 )
残念
バイトは小説の中の設定
no.1319 ( ぺけぽむ07/01/03 22:41 )
ブログを読んでも今の仕事が何か分からない。
どこに書いてあるの?
no.1320 ( 下っ端公務員07/01/03 22:52 )
最新記事
no.1321 ( ぺけぽむ07/01/03 22:53 )
ぺけぽむさん 待っても放浪者さんはあらわれないと思います。
あなた方はお互い、いくら論議しても平行線だから・・
ぺけぽむさん そろそろ唯物主義から抜け出てほしいですな。
何故そこまでかたくなに霊界(異次元)を認めようとしないのですか?
スエ-デンボルグ エドガ-ケ-シ- だって幽体離脱してあの世の
天国、地獄をつぶさに見てきて克明に記しているじゃないですか。
彼らはこの世的にも信頼された人物です。決して狂ってなどいません。
特にスエ-デンボルグなど北欧随一の文化人、教養人、科学者でも有ります。
また 全世界的にもあの世を見てきたと言う事例も何万と有るのに・・
あなたは小説家だそうですが人の心を打つ書物というのは高次からの
何らかのインスピレ-ションを受けたものが随所にちりばめられている
らしいです。守護霊のみならず、その上の次元の指導霊と言われる者からの・・
それを受ける為には、この世的な雑念を祓い、心をピカピカにして
高次なるものを敬い、常に謙虚であらねばなりません。
唯物論など もってのほかです。 以上誠に僭越なおせっかいでしたが
反論はやめて下さいね。
私はとてもあなたと太刀打ちできない小者ですから。
no.1322 ( おせっかいファン07/01/04 16:48 )
>ぺけぼむ氏
メッセージを読ませていただいた。
まず、スピリチュアリズムに関してであるが、氏のように口頭試問形式では決して理解できないものである。直観力によって判断すべき事柄なのである。
押し付けも、強制もしてはいない。
私は、紹介しているだけで、無理な説得も議論もしたいと思わない。興味があるのなら、氏自身が調べるという行動に出るべきであると思っている。そして、氏自身が判断するべきである。
次に
先のメッセージは、氏の自覚を促したかったのみである。
氏のメッセージを受けると、抜き身の刃で迫ってくるものを感じてならない。
氏自身は、普通のことと感じておられるみたいだが、この世の中、氏のレベルの人は少ないのではないか。氏と同じレベルならば、普通の議論が出来よう。が、社会生活を送リ揉まれた者なら、そのような迫り方はするものではない。
それに、氏自身は否定しておられるが、文章は、その人の経験が滲み出るものではないか?
どんなに綺麗な文章でも、感情が入りにくいと私は思っていたが、氏自身がそれを否定しているのだから、それはそれでよいと思う。
私は、貴方のプライドを刺激したことはあるが、人格には敬意を持っている。その知識にも。
最後に、私は不幸自慢をしているのではない。また、無職になっても、不安感も持っていない。「なんとかなるさ」っと楽観的である。
no.1323 ( 放浪者07/01/04 17:32 )
ちょっと、ご紹介
よく次のようなことを言う人がいる。「死後の幸せなど、有るか無いか分かりもしないのに、それを期待してこの世を生きようとするのは、目の前の苦しみに立ち向かう勇気のない人間、逃避的人間のすることである。今をより良く生きること、強く生きることが大切であって、死後の保障などという弱い考えを持つべきではない」
これは一見もっともな道徳的発想・意見である。が、それは霊的事実に対する無知からの空論にすぎない。そこにあるのは、「自分の意見が正しい」という傲慢な姿勢である。
もし霊界が本当にあるとするなら、その者は何と言い訳をするのだろうか。きれいごとなどどちらでもよい。霊界があるかどうかという事実が問題なのである。その事実の上に立って、より良く生きることが大切なのである。
より良く生きるとはどの様な事なのかをしっかりと考えるべきではないか。
no.1324 ( 放浪者07/01/05 11:16 )
『あの世』を考えるとき、仮に『神』がいるとして
言葉で論じるより心で感じた概念を大切にしなさい なんていったら面白い。
哲学や小説など一切関係ない生活をしていますが(難しいことはわからない)
ここで最近繰り広げられている議論は次元の高いことなのですか?
『あの世はあるのか』とは全く違う議論のように思うのですが・・・
no.1325 ( 記入なし07/01/05 11:41 )
このような議題での議論は、どのような詭弁を弄しても、全うに聞こえるものなのですよ。どれだけ冷静になれるかなのですよ。
例えば
1+1=?
と聞かれた場合、普通は「2」と答えるでしょうね。
ではなぜ「2」なのか?と聞かれた場合、「そう決まっているから」と答えるでしょうね。
でもね、1+1=無限大
と考える人もいるのです。なぜならば
卵子+精子=無限大の細胞分裂
その立場によって、考え方、捕らえ方は違ってくるのですよ。
大切なことは、今をどのように生きることが出来るか!なのです。自己中心的に、勝手気ままに生きたほうが良いのか、他人を思いやって生きたほうが良いのか。
人は“良心”と“理性”がありますが、多くの人が蓋をして、省みない生き方をしているのではないでしょうか。1325さんのご指摘のように「心で感じた概念を大切にしなさい」としたなら、どうなるでしょうね。
no.1326 ( 放浪者07/01/05 12:26 )
冗談ですが
オウムの上祐史浩に言い負けた弁護士が間違ってると誰も思いませんよね。
言葉だけでは本当のことが分からないこともあるのでは?と思った次第です、
no.1327 ( 記入なし07/01/05 12:35 )
・・・ふむ^^
no.1328 ( スレマスおやじ07/01/05 12:36 )
>1327さん
あなたのご指摘どおりです。
人は「説得されても、納得出来ない」事はありますから。
なぜ納得できないか?
それは「理性」が反発しているからなのです。
うまく説明できないが、どうもしっくりいかない・・・・
このような時は、しないほうがいいのです。
なんでもそうです。得心がいかない場合は、手を出さないことです。
no.1329 ( 放浪者07/01/05 12:57 )
地上の宗教が教団の拡大を計るに際しては、激しい伝道や強引な宣伝が為されるのが常である。
それでは、スピリチュアリズムの世界普及は、具体的にどのようなプロセスをへて為されていくのであろうか。結論を言えば、それは『霊的真理を受け入れることができるレベルまで魂が成長した人から、一人ひとり順番に真理が示される』という形で進んでいく。真理を受け入れられる時期に至ると、ごく自然な形で真理と出会うように道が展開してくる。背後霊の働きによって、真理との出会いの機会が与えられるのである。
一方、これまでの地上の宗教は、教団維持・勢力拡大という物質的観点・利益的観点から、無理やり、時には強制的に、相手に真理を押しつけてきた。それは霊的成長という点から見ると極めて不自然なことである。
が、スピリチュアリズムは、それらとは根本的に違った形で広まっていく。これまでの宗教のような普及手段は不要である。
無理をして人数だけ増やそうとすると、いつの間にか“洗脳的手段”を取らざるを得なくなる。人工的な選民的意識・特別意識・特別利益観を植えつけたり、恐怖(バチが当たる)を与えたり、また人間の弱みにつけ込んだ方法を用いらざるを得なくなるのである。これが、これまでの多くの宗教がたどった道である。そこには、もはや魂の向上・救いとは全く無関係な“エゴ的世界”だけが展開するようになる。
no.1330 ( 放浪者07/01/05 15:12 )
1330さん
それでは初期のイエスキリスト、釈迦教団が採った伝道方式も利益的観点から
無理やり勢力拡大を目指したるもの とお考えか?
中身の無い教義で全世界に何十億もの信者が存在するとお思いか?
no.1331 ( おせっかい07/01/05 15:36 )
>1331さん
私は決して中身がないとは思いませんよ。
初期の伝道はそれなりに意義はあるものです。
しかし、時が流れるに従い、人の都合で変わってきたのも事実なのではないでしょうか?
no.1332 ( 放浪者07/01/05 15:48 )
善きもの、魂に響くもの、魂の向上を目指すに指針を示すもの
これらをより多くの人々に伝えるもの
これが伝道であり 最も尊い 利他愛 ではないでしょうか。
no.1333 ( おせっかい07/01/05 15:56 )
同感です。
no.1334 ( 放浪者07/01/05 16:03 )
>1334
有難うございました。それでは私は安心して仕事に行きます。
no.1335 ( おせっかい07/01/05 16:05 )
>ぺけぼむ氏へ
あなたのメッセージを色々検討してみました。
氏は、私のいなしたレスに真剣に対応してくれました。
氏は、私に対してではなく、氏ご自身の葛藤に悩んでおられるのではないか?
文学を志しておられる氏は、当然感受性に富んでおられる。その感性に今の現実は耐えられなく感じておられるのでおられるのではないか?
私は、スピリチュアルを信じろとは言わぬ。されど、「木を見て森を見ぬ」態度はいかがなものか。
私は「そこらへんにある宗教」なるものを軽蔑しているものです。信じるに値しないものと考えております。
スピリチュアルは、あえて言えば、教祖は「神」であり「自身」であると考えております。自身がどのように「神」のお考えに沿って生きていくべきか。また、“良心”と“理性”にそってどのように生きるべきかを考えています。
メッセンジャーである人を絶対視することは危険と考えています。その人から発せられるメッセージも「批判的検討」を加える必要があると考えています。
no.1336 ( 放浪者07/01/05 19:59 )
>放浪者さん
スピリチュアルは、
そこらへんにある宗教のひとつでしょ。
うちの宗教は他と違う。
というのは、どの宗派も使う手だね。
no.1337 ( 下っ端公務員07/01/05 20:04 )
>下っ端さん
また引っ掻き回しに来たのかね?
君にレスしているのではないよ。
それに、私は宗教大嫌いの人間でね、私は、どのような組織にも属してはいないよ。
私は、知識の紹介をしているだけだよ。
押し付けているつもりはないね。君のように掻き回すだけかき回して、はいさようならの様な人とは話をしたくないね。
ちなみに、以前「自殺スレ」で君を罵倒したのは私です。。。
no.1338 ( 放浪者07/01/05 20:55 )
地上人生において苦しみのない人はいない。自分だけが苦しいのではない。何の問題もないように見える人、ただ幸せそうに見える人も、みんな悩みを持っている。苦しみは、実はすべて良いものであり、自分の魂の成長に必要なものである。だから喜んで受け入れよう。
地上の苦しみは、ほんのわずか一時のものである。この苦しみを乗り越えれば、霊界では何十倍もの喜びがもたらされる。
過ぎ去ったことを、いつまでもくよくよ思い悩むのはやめよう。先のことをあれこれ心配し、取り越し苦労するのもやめよう。今、「人々のために役に立ちたい!」という気持ちがあればそれで良い。
見栄を捨て、新しく生き直そう。人の目や人の評価など、どちらでもよいことである。この世の物質的なもの、地上だけの幸せは、取るに足りない。霊界に持っていけるのは魂の清さだけである。
守護霊が常に自分と共にいて、最善の導きをしてくれている。本当の幸せに至れるよう、心を砕き愛し続けていてくれる。決して一人ぼっちではない。だからこの守護霊にすべてを委ねて歩めば、最善の道が開かれる。
no.1339 ( 記入なし07/01/06 11:18 )
霊的真理を受け入れるレベルにまで至った人に対する“最大の愛”の示し方は言うまでもなく「霊的真理を教えてあげる、知っているかぎりの真理を提供してあげる」ことに尽きる。
霊的真理を知ることによって“霊的人生”の出発が為され、地上人生における最も意義ある歩みが可能となる。永遠の救いを得ることになる。
そうした時期のきた人の場合は、その人の守護霊・背後霊が導いて、われわれとの出会いを為すように仕向けてくれる。ゆえにわれわれは、そのチャンスを逃さないように常に気を配ることが必要である。
これぞと思った人には、とりあえず霊的真理についての話をしてみる。本当に時期のきた人ならば、それだけで目が覚めるような反応が得られるはずである。少し話してみて全く反応がなかった場合、または拒否するような場合は、その人にはまだ時期はきていないと判断してよい。その時は、いずれ時期のくることを心から願って、それ以上押してはならない。
こうした霊的真理を教えてあげるという行為は最大の愛の行為であるが、われわれの為すべきことはここまで、ということである。
相手が真理に良い反応を示すと、ついつい相手に過大な期待をしてしまうものであるが、その後のことは、すべて本人に任すべきである。受けた真理を活用するかしないかは、ひとえに“本人の責任”であり、われわれが干渉すべきではない。われわれの役割は、時期のきた人に真理を伝えるまでである。
no.1340 ( 記入なし07/01/06 11:41 )
地上の人間に誤解されても、非難されても、悪口を言われても、皆から嫌われても、どうということはない。気にする必要はない。また無知な地上人から良く思われたり気に入られたとしても、単純にはしゃいで喜んではいけない。真実を理解する霊界の人々に、認められるようにすべきである。この本当の理解者達は、地上のどんな人間よりも大きな力を持っている。ゆえに、あなたには常に最大の味方がいることになる。それを思えば、地上の人々の評価・反応に“超然”とできるようになる。
no.1341 ( 記入なし07/01/06 13:14 )
最近、太郎さんがこのスレに来なくなったね。
一体どうされたのだろう?
no.1342 ( 記入なし07/01/06 23:15 )
>1342 来なくなっただけで目だけは通しております。皆さんどんどん盛り上げてください。
no.1343 ( 太郎07/01/07 09:47 )
>放浪者さん
議論で負けたからといって、
私を罵倒していたのは君だったのかw
no.1344 ( 下っ端公務員07/01/07 09:52 )
>下っ端さん
おはよ
君は議論に勝ったつもりなのか?
そして、小さな快を貪っているのか?
もう少し、他人への思いやりの心は出ないものなのか?
このサイトで、天狗になっているのかね?
「自省」を促すものである。
no.1345 ( 放浪者07/01/07 10:34 )
霊的真理によって、大半の地上人がとらわれている“金銭欲・物欲”から、完全に解放されるようになる。地上人生はいっときの仮の世界であり、金銭・物質は、霊体の道具である肉体を維持するだけで十分である。結局、何とか生活できればそれで良し、お金は必要以上いらない、というところで単純に線を引けるようになるのである。
不必要なお金のために、時間やエネルギーを使うことはムダなことである。お金・物を欲しがらない者は、実は“一番の富者”なのである。お金に対する執着心がないということは、何と気楽で幸せなことか!
また人々のために人生を捧げて歩もうとする者には、霊界の高級霊によって最低の衣食住は確実に与えられるようになる。ゆえに、金銭のことで心配をする必要はないのである。
no.1346 ( 放浪者07/01/07 14:32 )
太郎さん
このレスで、また一悶着があるかもしれませんが、ご容赦願いたい。
霊能者の善し悪し
心霊現象がもはや必要でなくなったこの時期において、霊的真理を知らない霊能者や心霊治療家は相手にすべきではない。霊的真理を正しく理解し、霊界の道具としての“人格性・品性”の伴った霊能者とだけつき合うべきである。が、現実にはそうした霊能者にめったに会うことはない。
少しでも霊能があれば、それを利用してお金儲けをしたり、名誉心に走る霊能者が多い。客観的に見た時、現在名前の知られている霊能者で、真に高級霊の道具となっている者は極めて少ない。悪霊に翻弄され、悪霊の手足であるような者が大半である。
霊的真理を正しく理解していない霊能者は、高級霊の道具として働くことはできない――『謙虚で無私の精神でないかぎり、神の道具・高級霊の道具となることはできない』のである。
参考文献
近藤氏訳のスピリチュアルを読まれたい。全文掲載されています。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/how-to.htm
no.1347 ( 放浪者07/01/07 14:49 )
>1351さん ひとつだけ教えて下さい。
人格性、品性の伴った霊能者 が今の世にいますか?
居れば実名でお願いします。
貴方の嫌いな宗教家は結構ですよ。知っていますから。
また 江原氏、美輪氏 をどのように見ておられますか。
no.1348 ( おせっかい07/01/07 19:07 )
1351 まだないよその番号
no.1349 ( 記入なし07/01/07 19:12 )
これから出てきます
no.1350 ( 記入なし07/01/07 19:12 )
ゲッツ!
no.1351 ( 記入なし07/01/07 19:13 )
今いいの出ました
no.1352 ( 記入なし07/01/07 19:13 )
>1348の質問は放浪者さんへ でした。よろしく
no.1353 ( おせっかい07/01/07 19:16 )
スレ主 さんへ 削除されたものは
NO.××××削除 のようにされたし
でないと 話が食い違って困りますので。
no.1354 ( おせっかい07/01/07 19:20 )
>おせっかいさん
いつもありがとう
私は、人間嫌いなのですよ
あなたのご質問にはお答えしかねます、社会生活の脱落者ですから
それに、一級品の人は表には出ませんよ
だから、霊に惹かれるのです
私自身、不可思議な体験(霊的経験)をしていますから
だからって、私の発言を封殺できないと思いますよ
私は、私の感じたことを書いているのですから
意にそぐわないからと言って、蓋をしても仕方がないと思いますよ
no.1355 ( 放浪者07/01/07 19:25 )
>放浪者さん
あなたが言わんとされるところ 大体解りました。
あなたの名文、いつも拝見していますが非のうちどころ無しです。
こころ打たれるものが有ります。
誰かさんのように、いたずらに難しいことばを並べず
易しく美しい言葉だから説得力もあります。今後も拝見させて頂きます。
no.1356 ( おせっかい07/01/07 19:37 )
>おせっかいさん
私の名文ではありませんよ
あっちこっちからのつぎはぎですから
私などは、どうでもいいのですよ
お気になさらないでください
静かに見ておられる方への、紹介ですよ
no.1357 ( 放浪者07/01/07 19:40 )
下っ端は二重人格かな、他所では結構イイこと言っとるのもあるよ。
no.1358 ( ポコポコ07/01/07 21:37 )
>ポコポコさん
そうですか。下っ端さんも分ってくれたのですね。
もともと、彼も思いやりのある優しい人なのです。少し流されていたのでしょう。
よかった よかった
>おせっかいさん
ちょっと、酔っ払っていました。申し訳ありません。
no.1359 ( 放浪者07/01/08 00:09 )
>おせっかいさん
ちょっと補足
一流の方が表に出ないのは、仕事が出来ないからですよ。
特に、満面の笑みを浮かべ、歯が浮くようなことを並べ立てながら、腹の中では「そろばん」をはじいているような環境で、高級霊と交流できるわけはない。
そのような環境では、高級霊はすぐに引き上げてしまうのではないでしょうか。その後に低級霊がさも高級霊のごとく成りすまして、霊能者を玩具にして楽しんでいるのです。
そして、盲信している人たちが、それに拍車をかける。
歴史は繰り返されますね。
ちょっとご紹介
自分を人のために役立てること、それがスピリチュアルです。私たちの住むこの世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持を察してあげることです。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。
こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついてさえいれば、道を誤ることはありません。霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。
no.1360 ( 放浪者07/01/08 08:16 )
なんか見ない間にすっごいスレ立ってるねー。
no.1361 ( 記入なし07/01/08 10:48 )
知識はすべて、ためになるのです。ところが残念なことに、そうとばかりも言えないことが生じるのです。知識はたしかに喜びと幸せと落着きとをもたらしてくれますが、こんどは、それをどう生かすかという責任ももたらすのです。
知識は、無知から生じる愚かな心配(取り越し苦労)を取り除いてくれます。知識は、自分とは何かを自覚させ、これからどうすべきかを教えてくれます。そして、真理を知らずにいる人を見て気の毒に思うようになります。
真理を知らなかったために罪を犯す人は、もちろんそれなりの償いをさせられますが、真理を知っていながら罪を犯す人は、それよりもっと大きな償いをさせられます。より多くを知っているということが、罪を大きくするのです。
no.1362 ( 放浪者07/01/08 11:01 )
>放浪者さん いつもご丁寧にありがとうございます。
一流の霊能者がテレビの個人相談などに出るはずが無い・・・
そのとうりだと思います。
この世とあの世は波長同通の法則が有りますから
金儲け主体の霊能者が高級霊と同通できるはずが無いと思います。
高級霊も霊界での仕事、使命があり、個人の悩みに付き合うほど暇ではないでしょう。
おそらく彼らと波長が合うのは低級霊、それも悪霊の方でしょう。
やたらと先祖供養を言う、何代目が苦しんでいる、
あなたのお爺ちゃんが見守っている・・・などと言うのは間違いなく地獄霊の
そそのかし です。まっとうな人生を送りあの世に帰った者は
苦しみのない霊界に居るはずです。この世の事に執着など無いのです。
霊界の界層をあえてあなたの紹介されるスピリチュアリズムでいうと
わたしの考えるところは以下のとうりです。
中、高級霊界は神(霊太陽)のエネルギ-によって生かされていますから
食べ物を必要としません。 しかし低級霊界、特に地獄と言われる所は
神仏の光が射さない苦しみの世界、従って地獄霊は
地上の者の放つ怒り、愚痴、妬み、憎しみ、我欲、増上慢、闘争心、等々の悪想念の
いわば マイナスエネルギ-を吸収して存在しております。
彼らを救うにはこの世の者がその悪想念の供給を絶つことが先ず先決です。
その為には上記の悪しき思いを持たず、善念にて利他愛に生きることが必要です。
この世の者が愛念に満ちた生活で見本を示すことにより
彼らも どうやら自分は間違った生き方をしていたようだ と
最低限の悟りを得て、天国への道に入って行くものと思います。
no.1363 ( おせっかい07/01/08 13:22 )
>おせっかいさん
表現の違いがあるにせよ、同じことを言わんとしています。
また、ちょっと霊訓より紹介します
人にやり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。墓に埋められて万事がお終いとなるとしたら、この世は実に不公平だらけで、生きてきた不満だらけの人生の埋め合わせもやり直しもできないことになります。
私達が地上の人々にもたらすことのできる最高の霊的知識は、人生が“死”をもって終了するのではないこと、したがって苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も、あるいは屈辱の人生を送った人も、みんなもう一度やり直すことができるということ、言いかえれば、悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。
人生は死後も続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で、人間は内在する能力、地上で発揮しえなかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し、他人の迷惑も考えずに横柄に生きてきた人間には、その悪業の償いをするチャンスが与えられます。
神の公正は完ぺきです。騙すことも、誤魔化すことも出来ません。すべては神の眼下にあります。すべてをお見通しです。
そうと知れば、真面目に生きてきた人間が何を恐れることがありましょう。恐れることを必要とするのは、利己主義者だけです。
no.1364 ( 放浪者07/01/08 14:21 )
俺はだめなんだ!
何をやってもダメなんだ!
no.1365 ( 記入なし07/01/08 14:23 )
>1365さん
駄目ではないと思いますよ。
ご自分で限界を作っているのではないでしょうか。
選択肢はまだ残っていませんか?
no.1366 ( 放浪者07/01/08 14:35 )
今人生3回目なんだけどさぁ
もう疲れちゃったから4回目はいいんですけど・・・
no.1367 ( 記入なし07/01/08 14:36 )
ナットク・・・
no.1368 ( 放浪者07/01/08 14:38 )
>放浪者さん おっしゃることに意義はありません。
全く同感です。
バイトに行きますので いずれまた
no.1369 ( おせっかい07/01/08 15:05 )
>意義→異議(異論)でした 慌ててました すみません
これほど意味の違う言葉も無いですね。
no.1370 ( おせっかい07/01/08 23:11 )
太郎さん、また一悶着があるかもしれませんが、ご容赦願います。
今一度基本に返りたいと思う。
私は「個人崇拝」や「組織崇拝」はしない者です。メッセージが来たなら、それは本当に役に立つのか、立たないのか、を考えて、役に立つなら、各自がそのメッセージの意味を生活に役立てればそれでよいことだと考えます。
メッセージを発した人を「神聖視」したり「絶対視」したりすることはないのです。届けられるべくして、届けられたのです。「真理」は一部の人や一宗一派が独占できる代物ではありません。「真理」は「真理」ゆえに、万人に与えられるものです。それも「無料」で。その「真理」をどのように活用するかは「個人の自由意志」なのです。そして知識を得たならは、そのように使うかの「責任」もその人しだいなのです。
このような話題のときはよく、イエス・キリストや釈迦が引き合いに出されますが、イエスも釈迦も「真理」を教え広めたのであって、組織を作ったわけでもないし、「我を崇めよ」と言ったわけでもありません。死後、人が組織を作り、挙句の果ては「真理」の内容までも自己都合、自己心ゆえに変えてしまったのではないか。
このような組織は、差別、偏見の温床になっているのではないか?
今の世は、各自が生きているのです。各自がどのように生きるべきかを考えなければならないのではないか?自分勝手に、横柄に生きることが幸せなのか?他人に「思いやりの心」を持って生きることが幸せなのか?
宗教の信者は、布教して信者を増やそうとしているが、その信者自身、その教えに則って生活しているのか?その教えの一部のみを都合よく解釈しているだけではないのか?
よくよく考えて見られるがよろしかろう。
警鐘を鳴らすものである。
no.1371 ( 放浪者07/01/09 06:26 )
宗教の信者は、布教して信者を増やそうとしているが、その信者自身、その教えに則って生活しているのか?その教えの一部のみを都合よく解釈しているだけではないのか?
普通はそうじゃないですか、宗教の教祖、政治家、経営者と同じ
no.1372 ( 記入なし07/01/09 09:23 )
>1372さん
的確なご指摘ありがとうございます。
ある人は政治の分野において、生活の苦しい人々、社会の犠牲になっている人々、裏切られている人々、寄るべなき人々のために、その霊的知識を生かそうと奮い立ちます。
ある人は宗教の世界へ足を踏み入れて、死に瀕している古い教義に新しい生命を吹き込もうとします。
ある者は科学の実験室に入り、残念ながらすっかり迷路にはまってしまった科学者の頭脳に、霊的なアイディアを吹き込もうと意気込みます。また芸術の世界へ入っていく人もいることでしょう。
要するに霊的真理は人生のすべての分野に関わるものだということです。
それは当然のことなのです。
なぜなら、生命とは霊であり、霊とはすなわち生命だからです。霊が目を覚まして真の自分を知った時、つまり霊的意識が目覚めた時、その時こそ自分とは何者なのか、いかなる存在なのか、なぜ存在しているのかといったことに得心がいきます。
それからの人生は、その後に宿命的に待ちうける、より豊かで、より大きな生命の世界への身仕度のために、“人のために自分を役立てる”ことをモットーとして生きるべきです。
no.1373 ( 放浪者07/01/09 09:54 )
寛容心と包容力において、我々のすべてが何らかの役に立つことができるのです。
各自がそれぞれの道において、温かき愛と、悠然たる自信と、確固たる信念をもって生き、道を見失った人々があなたがたを見て、光明への道はきっとあるのだと感じ取ってくれるような、そういう生き方をなさってください。
それも人のために役立つということです。
no.1374 ( 放浪者07/01/09 09:59 )
「アザーズ」という映画は、スピリチュアルリズムの一側面を表した映画だと思う。
自身が死んだことを理解せずに、死後も生前と同じ生活をしている映画です。
死んだことを教えに来た指導霊を受け入れず、頑なになっている霊の映画です。
欧米では、スピリチュアルが日本に比べて浸透してきていますから、映画にも現れるのでしょう。
no.1375 ( 放浪者07/01/09 22:57 )
スピリチュアル?
黒人霊歌のことか??
no.1376 ( 下っ端公務員07/01/09 23:09 )
下っ端氏のレスを拝見していると、博学が伺われる。
よって、スピリチュアルなる物がどのようなものかは、ご理解できているものと考える。
よって、下っ端氏は以下のグループに分類できるのではないか?
一つのタイプに、打算または不誠実さから反対する人たちがいる。
彼らはスピリチュアリズムの説くところをちゃんと知っている。その正当性も知っている。しかし、自分に都合のよい打算を動機として、表向きは否定論者の側にまわっているに過ぎない。
このタイプもひじょうに扱い難い存在である。為す術がないからである。完全な唯物論者でも、思い違いをしている場合は、それを指摘してあげることによって考えを改めさせることができる。少なくともそこには誠実さが窺える。が、この打算から発している者は初めから反対することに決めてかかっているのであるから、議論の余地がないのである。
この種の人間は“時”を待つしかない。そして、多分、痛い思いをしてようやく自分の打算的態度の間違いに気づくであろう。しょせん真理の流れには抗し切れないのであるから、都合のよい打算にいくらしがみついても、最後は真理の激流がその打算といっしょに押し流してしまうであろう。
no.1377 ( 放浪者07/01/10 08:44 )
>放浪者さんへ
スピリチュアル入門の第一章にて 仏教の教義の批判で
《輪廻は有るが人間としての独立自我は無い》 などと指摘されていますが
それこそが曲解です。 そんな仏教系の邪教もあるでしょうが
釈迦は無我を説きました。諸行無常 諸法無我を・・釈迦の説く無我の思想とは
《おのれが発する肉体煩悩からくる欲望が人間の苦しみを作っているのであり
この欲望、執着を去らない限り幸福は得られないのである
よって欲望の根源としての自我意識を滅却すべく努力すべきである》
あくまでも心の存りかた、心の統御の仕方としての無我であり、
無霊魂説を説いたと言うのは全くの誤解に過ぎません。
釈迦ほど霊魂不滅を説いた方もいないのに、
エセ知識人、何も解ってない宗教学者が言ったことそのままです。
スピリチュアリズム入門編はどなたが書いたものかは存じませんが
本質を見極めることの出来ない、極めて浅はかな知識でした。
また第二章のラップ音の現象ですが、これこそ笑止千万ですよ。
殺された恨みから五年も経っているのに、いまだ成仏出来ない哀れな自縛霊現象
ではないですか。そんなのはいくらでも例の有ることですよ。
単なる悪霊現象をありがたがってグル-プで検証など
アニミズムにも劣る、いたって初期の考え方、話にもなりません。
スピリチュアリズムの正体見たりです。
この程度のことであなたは懸命になっておられるのかと思うと気の毒でなりません。
あなたはご自分の知った山を最高のものと確信しておられるようだが
もう少し他山も見ること、他山の木々を観察検証することをお奨めしたい。
高い山は他にもたくさん有り、優れた木々もいっぱい生えているのです。
あなたの真面目な態度に打たれ真摯に考えて来ましたが
これにてお別れします。 さようなら
no.1378 ( おせっかい07/01/10 12:26 )
ふむ なるほど・・・・
no.1379 ( 記入なし07/01/10 13:34 )
それでも
こういういろいろ単語を並べられることと『あの世』があるとか
ないとか、とらまえ方とか真実に近いかどうかは別物だと思う。
言葉もおぼつかない2歳の子供の方がリアルに感じているかも
知れない。
no.1380 ( 記入なし07/01/10 13:39 )
人という生き物は、魂(霊)、精神、そして肉体から成り立っていますね。
魂(霊)は精神を支配して、精神は肉体を支配する。
魂(霊)は永遠の時の流れを生きるものであって、肉体はこの地上生活のための道具なのです。
ではこの地上生活でどのように生きることが意味があるのか?
この地上生活は、人格養成学校のようなものと考えられるのではないでしょうか。
この世に生を受けて、数々の経験をしながら性格を培い、多くの知識を吸収して、働く。
この地上に生を受けたのは、多くの経験から多くのものを学ぶためなのですよ。
その中から、思いやりの心を持って、他人のために役に立つことを実行することなのです。同胞のために献身する。そのことが自身の進化向上であり、人類の進化向上につながるのです。
そして、「肉体の死」を向かえ、霊体として新たな世界への旅立ちが始まるのです。
そのときに持っていけるのは、地上生活で培ってきた人格(性格)と自身が起こした行動の結果なのです。
その人格が、哀れみ深いものなのか、傲慢なのか・・・・
行動の結果が「善行」なのか「悪行」なのか・・・
そのための監視装置が“良心”と“理性”なのです。
他人を思いやる。その心を持続させれば、自ずとそのような行動を起こすものです。
自分勝手に、横柄に生きるのが良いのか、思いやりの精神で生きるのが良いのか。
今の世界を見渡せば、自ずと分るものなのではないでしょうか?
自分たちの蒔いた種は、自分たちで刈り取るしかないのです。
no.1381 ( 放浪者07/01/10 14:22 )
自分自身が誠実には生きていないので「誠実でありたい」と思うようにしています。
だから人にも「誠実に生きましょう」ではなく「誠実でありたいと思いましょう」
と言うようにしています。
no.1382 ( 記入なし07/01/10 14:29 )
>1382さん
その通りですね。
今ふんぞり返っている人たちは、未熟なときのことを忘れているのではないでしょうか。
未熟なときは先輩に指導を受け、かばってもらっていたのに、いつの間にか忘れて「思いやりの心」を見失っているのでしょう。
「お互い様」
日本は大切なことを置き去りにしているとしか思えませんね。
no.1383 ( 放浪者07/01/10 20:26 )
放浪者氏はおせっかい氏のno.1378には返信しないようである。
もしも no.1381がそうだったら 私は放浪者氏のコミュニケーション能力か正気を疑う。
なお氏は私のno.1249の質問に答えずに スピリチュアリズムの著作をひたすら紹介することに終始しているのだが
これは いかなることか。
自分の言いたいことだけ言いっぱなしで 相手の呼びかけに誠実に応答しない 氏の姿勢には人間的な不信感を持っている。
だいたい
>文学を志しておられる氏は、当然感受性に富んでおられる。その感性に今の現実は耐えられなく感じておられるのでおられるのではないか?
私は、スピリチュアルを信じろとは言わぬ。されど、「木を見て森を見ぬ」態度はいかがなものか。
なる発言にしても 本当に私の言ったことを検討したのであれば 私の三つの問いかけに氏自身で返答するべきである。
さらに言うなら 私が文学を志しているなどと 何処で言ったのだろうか。
仮にそうだとしても 文学者が(放浪者の言うようなレベルのことで)この世を良くするために辛苦しているなどと 氏はどのような呑気さで思うのだろうか。教養を疑う。
no.1384 ( ぺけぽむ07/01/11 13:05 )
氏は メッセンジャーには理性と良心で批判的に検討を加える必要があるといっているのだが
1378でのおせっかい氏の発言を信ずるなら 氏の紹介したスピリチュアリズムの著作はその批判の対象に入っていないようである。
自分の気に入らない理説に対しては 私も含めてだれでもが いくらでも批判的になれるものだが氏はどうやら自分には甘い性分のようである。やはり年に似合わずナイーブな人間像が窺われる。
no.1385 ( ぺけぽむ07/01/11 13:08 )
「文学を志しておられる氏は、当然感受性に富んでおられる」
そんな法則は聞いたことないです。
no.1386 ( 記入なし07/01/11 13:11 )
なお 付け加えるなら
私は唯物論者であると自称したこともないし あの世や霊界の類を否定したこともない。
ただ それらの存在に関して私は実証的でありたいと思っているので 疑いに付しているだけである。
あの世があると 反論不可能な仕方で決め付けるのも
あの世がないと 反論不可能な仕方で決め付けるのも
両方が疑似科学なのである。
現時点の科学では「不明である。よってあるともないとも決定できない」
という懐疑の立場に留まるのが もっとも科学的には公平ではないだろうか。
さて 私が唯物論者であるという指摘だが それを霊魂の不在を言うものという意味でなら さてどうだろうか。
私は 学生時代に哲学研究者の駆け出しになりかけて そこであっさりと挫折したのだがその際読んだ本を思うと 哲学上の伝統としては 唯物論ではまったくない。
扱ったのは主として20世紀に発展した哲学だったから 輪廻転生や浮遊霊云々などという素朴な言説はさすがにまったく出てこないのだけれども
まったく別の意味で 魂の問題を扱っていたのではないかと 私は思う。
no.1387 ( ぺけぽむ07/01/11 13:16 )
>1386
まったくそのとおり
私に関して言えば そんなに感受性が強いわけでもないし 文学の才能に恵まれているとも思っていない。
ただ好き勝手にいろんなことを書いているだけだ。
no.1388 ( ぺけぽむ07/01/11 13:17 )
ところで 私はno.1197で以下のように書いた。
現世の悪行の報いを死後に求める発想では 決して よろしいか 決して 人間は善に向かうことはない。
死後に起こる報いは 神義論を癒すことはあっても 現世において苦しむ端的な弱者の苦しみを前提にしている以上は 悲しい現実の 単なる 正当化論でしかない。
最初の一文が肝である。二文目はフェイクとは言わないまでも一文目のオマケでしかない。
私が不思議なのは なぜそう思うのか誰にも問われないことだ。何の根拠も出さないのにここまで強調して自信たっぷりに言っていれば 誰かしら噛み付いてくるのではないかと思っていのだが 残念ながら そこまで読んでいただいていないようである。
no.1389 ( ぺけぽむ07/01/11 13:22 )
こういうやり取りに興味がある人って(根拠レスで)1%以下だと思うよ。
no.1390 ( 記入なし07/01/11 13:32 )
そりゃ そうだろう
でも百人中に ひとりいればそれでいい
no.1391 ( ぺけぽむ07/01/11 13:33 )
つぎからつぎと文章が浮かぶんですか?
私はせいぜい2行です。orz
no.1392 ( 記入なし07/01/11 13:37 )
お経のように文字を並べても、あの世が存在することの証明にはならない
no.1393 ( 記入なし07/01/11 14:08 )
しゃべる感覚で文章が浮かびます
その気になれば 書き込みの文体でしゃべれないこともないです。
ただしゃべりだと書き直しが利かないという違いがあるので まったく同じにはしゃべれない。
no.1394 ( ぺけぽむ07/01/11 14:11 )
ぺけぽむさん お久しぶりですね
>1378にて私が指摘したことに放浪者氏が何らかの反論をされるものと
実は期待してたんですが、無視されたようです。
何故か 理由ははっきりしていますよ。 天狗の鼻をへし折られたからです。
スピリチュアリズムの小さな殻に籠っているのを知りながら、
それでもご自分のところの教説が最善と思いたい、そんなジレンマがあるのでしょう。
だから又もや、何度も繰り返し同じような事を書いている。
それしか無いのか と言いたいですよ。
no.1395 ( おせっかい07/01/11 14:31 )
人の頭の中でのあの世、この世の捕らえ方を話していても
no.1393が言われる通り、あの世があるかどうかの説明には
ならないですよね。
no.1396 ( 記入なし07/01/11 14:41 )
>ぺけぼむ氏
そのようにむきになることはない。
私のことはどうでもよいのです。不誠実でも、無教養でもどうでもいいのですよ。
単なる紹介しているだけなのですよ。
信じる信じないは自由なのです。
私は、自身の気持ちの整理がてらやっているのです。
だてに絶望していませんからね。
もう気持ちは、決まっているのですよ。
no.1397 ( 放浪者07/01/11 20:03 )
あの世〜
no.1398 ( 記入なし07/01/12 09:49 )
あの世否定派には 神または神近き霊が 天空のスクリ−ンに
メッセ−ジを書いても、あの世の姿を映し出しても、誰にも見える奇跡現象
を示しても やれトリックだの集団催眠術だのと否定するだろう。
それほど精神世界、心の世界は実証するのが困難である。
ゆえに個々人の理性、知性、信性、悟性の向上研磨が求められるのである。
no.1399 ( ポコポコ07/01/12 10:59 )
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