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話題

40から50歳就職状況について語りましょう

カテゴリ:雑談
皆さん、色々な状況を語りあいましょう。
私は、2年間無職で独身です。少し鬱の気が あります。


投稿者 : 記入なし 日時 : 04/04/04 17:57
Infomation 2697 件中 900 から 999 件まで表示しています。
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ハローワークインターネットサービスで例えば正社員
http://www.hellowork.go.jp/kensaku/servlet/kensaku?pageid=005&ksi=004&orNec=41033643756f91641fb51ce92da24e299976e1&volume=2&touch=OC01MXwtNDl8LTQ5fC01NXwtNDl8LTUwfC01MHwtNTZ8LTUwfC01NXwtNTN8LTQ5fC01M3wtNTh8LTUwfC01MXwtNDl8LTU1fC00OXwtNDd8LTUzfC01NnwtNDd8LTU1fC01NnwtNDd8LTUxfC01M3wtNTZ8MTI2fC02NXw2&chsh=19c228360199183d0b78626ce991077f

no.900 ( 記入なし06/01/17 16:44 )


見逃していなだろうか?派遣でも致し方ないが正社員でも少しは・・・
あと人材銀行もお勧めです。

no.901 ( 記入なし06/01/17 16:46 )


>891
そんなことで懲戒退職に追い込むことができるのですか?
社則に記述されているのか?とか警告したのか?とかあるように思えます。
それに該当者が、訴えた場合はどうなるかわかりませんよね?
もう一つのデメリットがあると思います。それは、その現実を知っている残った人達にいい影響は与えない。萎縮して創造的ではなくなるのではないでしょうか?

no.902 ( 記入なし06/01/17 20:18 )


<大塩が、脅されたのはまともではないのだが 特別に背景があるとすれば>地区人事が「得点を稼ごう」と
したのだろう。本業が不振になると経理、総務、人事がしゃしゃりでるのは世の常かも知れない。まあ、あそこは
とっくに先進の雰囲気などなくしていたところです。全体に「まわり見て失態なくやれば」が大半のひとの表向きの態度。なにしろ、役員の発言に「複写機一筋だったから安泰なのだ」とあったくらいです。キャノンに比肩する意識ばかりで現実には低落傾向に歯止めがかからない。psプリンタへの進出も遅かった。OEMだけでやっていては傍流になるだけ。  表向きには「CSRを大事に」とかかげているが経営責任もとらずに実働の社員にしわよせを及ぼす赤坂族。仕事が原因でストレスがたまり、休暇をとっても「労災」にしない体質。「もう一度、開発/製造/販売を分離独立させたら」と友人に最近、提言。株式を公開すれば、ましにはなるだろうけど。
-----------続きは、以下に
   ☆6月からは分解工程で出される部品、アセンブリィの仕分け作業に配 置転換。
   移動台車ならびに手押し台車からのとりわけとコンテナへの投棄をお こなっていた。また、分解で出るガラスの積み替え/移動もした。(〜70kgw満杯 時)箱の縁
   を掴み、パレットに引き上げるように移動させた。(数回/日)
   仕分け作業は細かい部品の選別と種々の大きさ、重さの軸やパイプ、 板金複合体
   の抜きだし、それを種類別にせっせと手にとり、コンテナへと投げ込 むこと。
  投げるもの:モーター、クラッチ、シャフト、板金、それらの複合体、電源 モジュール、フューザーアセンブリィ、カバー、給紙トレイなど。
   取り分けるもの:(カバー、給紙トレイ以外の)上記の混ざった中か ら銅合金
    の軸受け、配線、ゴム、プラスティックス、そのほかの鉄系統(ね じ、板金、
    シャフト、軸受け、ばね)
既に夏場なので、5月までの再生工程と違う重量物が多い作業ばかりのせい もあって疲労が激しい。1時間ごとに給水したいができない。投げる時に腕、手 だけでなく、両足にも反力がぐっとかかる。5月までの作業と違ってまともに固 い靴、固い床の影響があり、足裏の疲労が早く現われる。この時に「掴んで、投 げる」ことで、両方の手に繰り返して負荷がかかり、放すときも手応えを感じ る。ときどき、左手は放すタイミングが右手よりも「遅れる」感じがする。ある いは右手よりも
  生活上でぎこちないか、早く「過負荷」でおかしくなったか:両方かも知れない。
    作業そのものは単純だが、両方の手で頻繁に取り上げて連続してかたずける
   ために一つ一つの負荷は軽くても繰り返して素早い動作を指先に集中させるので
   3週間のちに左手の第1指と第2指の関節に「疲労感」を感じるようになった。

no.903 ( 彷徨えるphotographer06/01/17 21:14 )


詠む前に鬱になる

no.904 ( 記入なし06/01/17 21:15 )


彷徨えるphotographerさん
寒いので体の動きが弱くなりがちなので気をつけてください

no.905 ( 06/01/17 21:23 )


あ、ありがとう。書いているのは6年前のことですが。このときの「腱鞘炎」は残っています。寒いと感じます。
レンズ交換など、気になるけど。
------本業ではなかったけど、SEのようなことを手がけた。以下;続き
<MkLinuxPPC serversの受注>
7月の初めにカラー開発の西海に会った。「本村さん、サーバーの予算が無くて 困っている。何とかなりませんか?」と、非力な旧型SUNの代替となるサーバー を用意出来ないかを打診された。「ほい、きた。で、何か余っているマシンはな い?」と質問。x86はないがMacintoshがあることがわかった。このとき、<幸 運>にも自宅のMacintoshにMkLinuxPPCというLinuxを導入/テスト中だったの で、二つ返事で<受注>することにした。「費用は後日清算に」の、約束。新し くディスクを買う予算もないので現場の廃棄品のディスクを回収して(隠しなが ら)持ち出して取り付け、OSをインストール。1つのMacintoshに5時間、かかっ た。2つめのMacintoshに、やはり5時間かかった。世間相場だと1つで10万 円の工数。2つでは、20万円になる。ほかに参考書とOSのCDで1万円。
これがXeroxグループ全体の「DocuColrの為の情報共有サーバー」だとは、知っ ていた。
(後日、別の意味で富士ゼロックス社内の掲示板として活躍する)ことになると は、予想だにしなかった。

no.906 ( 彷徨えるphotographer06/01/17 21:30 )


>903
>>「もう一度、開発/製造/販売を分離独立させたら」

これは、現在でも使われる手法ではないかと思います。会社によっては、資材部も採算とることを考えるものですね。独立採算にする事により、マイナスが明らかになり活性化することも考えられます。ただ、多品種少量生産においてはソニー等はセル方式なる手法を取って、縦型ラインの並列展開も想定しているようです。(俗にEMCSと言われているもの)

no.907 ( 記入なし06/01/17 22:11 )


WORDに移して体裁を整えて何回か読んでますが主観
と思い込みが激しいところがあるようです。
個人的な恨み節ですね。今のところ訴えてくるものがないです。

no.908 ( 記入なし06/01/17 22:14 )


今日の分も読みました。
もともとソフト(SE)がお得意なのに派遣先で意にそぐわぬお仕事を・・・。
続きをお願いします。付き合います。

no.909 ( no.90806/01/17 22:42 )


<派遣であったことでなく、富士ゼロックスの中で普通に社員だったのに起きた事件>ですよ。
恨みじゃない。踏み台にして「貢献してもらった人材」を評価できないことを述べてるだけ。
たとえば社会で対人として起きたことだったら、恨みですませることじゃない。それを企業の中で
(隠してやれば、わかるまい)としているからいつまでも内部改革にならないのさ。
-----------------以下、続き
<腱鞘炎になったこと>現場で
    その作業を開始してから一月後の7月初めにはさすらないと、普通 の感覚で
   左手を使う感じにならなくなった。最初は夕方になると「疲労感」で あったもの
   が、午前中から「ぎこちない感じ」に変わり、慢性化した。それでも マッサージ
   するとなんとか動かせはするので、(7/20ごろ)夏の休暇が8月 いっぱい
   ある間に様子をみることにした。(疲労だったら休暇の間に回復する かもしれ
   ないと期待した)
    ところが案に相違して「疲労のようなぎくしゃくした違和感」が残 り、8月末
   に整形外科の診察を受けた。この時点で初めて「疲労」ではなく「使 いすぎに
   よる腱鞘炎」とわかった。水道のコックをまわすとか、広口瓶の蓋を あける、ひねる、ドアノブをつかむのに痛くて、力を普通に出せなかった。布団 を引っぱり出すのに左手は親指と人さし指の根元の関節付近が痛くて掴めない。
    休暇が終わる前の8/30に山下整形外科にて受診。9/1に出社し、その 旨を説明
   (どうして、そうなったか)したら、室井(課長)は『職場が原因か どうか、わからない』と奥津(課長補佐)に言い訳をいった。そのときは(なん てことを言う
   のだろう)といぶかしく感じた。(腱鞘炎は、同じ動作を繰り返して 高頻度で行うことで発症するものであり、ピアノの練習やキーパンチャーの事例で 知られて   いる)
   9/1は休暇として山下整形外科に行き、診断書を書いてもらった。
    診断書に記載あることがら:左手指腱鞘炎/加療に1月を要す。
       (通常、腱鞘炎での加療とは外科手術ではなく使わないで回 復を待つ
      ことである)
    その状態を診断書(休養1月の見込み)とともに申告したところ、 作業せず
   に現場待機の休養を指示された。:この時、産業医との面接はなかっ たと思う。

no.910 ( 彷徨えるphotographer06/01/17 22:56 )


    ★現場待機中のできごと。
<工場管理というカスみたいな雑誌>をあてがわれた。「休養は、工場の中でし てください」と、ARO部の居室近くの
作業待機場所は普通に机と椅子があるだけで、「AROの部員が全く読んだ形跡の ない」物ばかりを渡された。中身はめくってみてもエンジニアには無関係な記事 ばかり。どこが勉強になるのか、さっぱりわからない。いくつか、ある中でCAD 関連のものがあって「よし、じゃ実地に調べるか」と参考書を持ってきてひろげ るとまず、現場主任がやってきて「わたされたもの以外はだめです」と、いう。 次に奥津がやってきて「業務以外の私物を持ち込むな」と、威嚇。
これにあきれて「そういう社員がこの会社をだめにした」と真実を告げると、上 席に告げ口して、谷貝部長がやってきた。さすがに威嚇はできない立場だった。 2200の量産設計のとき、わたしが設計の指導する立場にいて、<部長氏> は、その指示をもらう立場だった。にやにやしながら(まあ、そうでもしないと 受け付けないけど)「始末書を書いてください」と、頼まれた。内心、くだらな いと思ったが書いて出した。ダメなやつをダメと評価するのが正しい人事だと思 うのだが。
ところが、またまた妙なことに。

   ☆9月の後半(第3週?)から「もう、いいだろう」と、軽い作業とさ れた
   「移動台車搬送路面/通路/ホール床の清掃」を課せられた。「ま だ、腱鞘炎は
   直っていない」と抗弁したが聞き入れられなかった。(山岸の弁で課 長の指示と言われた)
     :この時点でもう、診断書の指示から逸脱しており、職務上の義務を
   遵守していない。やむなく(業務命令かと)

   左手をかばいながら、殆ど右手/右腕だけで工業用モップを操作して 清掃した。

  ☆左手を使えないままに右手だけの作業では、床を押してゆくにも、モップの 方向を変えようにも思いがけない力と「右腕だけ」を大きく回して伸縮させる動 作が
   必要になる。普通に両方の手と腕が使えるうちは、そういう不自由な 状態での
   「無理さ加減」がわからない。しかたなく、左手を意識しながら左 0.1/右0.9
   くらいの配分で右手、右腕にほとんど体重と両足の力をあずけて床面 を押してゆく。

no.911 ( 彷徨えるphotographer06/01/18 02:16 )


 床面はコンクリートの上に昔でいえばリノリュームが張り付けてある。従って
   汚れが固く付着していなければ一様な力のかけ具合でよいが、あちこちの作業環境
   により、ほこり、土塵、トナー、油、洗浄液がまざってこぼれ、よご れている。そこではモップに伝わる抵抗は大きく、幾度も「右手を押したり、引 いたりし」て
   通過しなければならない。モップにしても普通の水をひたしてふきと るものではないから、重くて(汚れを吸着しやすいように)摩擦抵抗が大きい。 モップは工業用
   だから、おおよそ1kgはある。それに2重に回転できるようになっ ていて、方向を変えるには全体を「右腕だけ」でとり回さねばならず、右腕が異 常に酷使される。
モップに集めたほこり、汚れはまわりに散らばらないようにしながら、壁に ぶつかるまで押してゆき、そこで「右腕だけ」で方向転換する。グウッという感 じで
   右腕に負担を感じる。だいたい、午前中の一回りで疲れがたまる。午 後は2時間
   ほど後でもう一回りして、さらに通行量が多くて汚れがたまる領域を 重点に2時間くらい繰り返してふきとる。1週間とたたずにモップは真っ黒とな り、吸着したほこり、汚れで重くなる。それを使うからだんだんと右肘へかかる 荷重は増すばかり。午前中の一巡りで汚れ切ったモップを掃除機できれいにす る。モップが新しいと軽く埃を除去できる。しかし、4、5日で全面に汚れがつ くので簡単にはとれず、右手で掃除機のノズルを掴んでむりやりモップから絡み 付いた埃、ごみ、汚れを剥ぎとる。そうしないと、1週間でモップは使い 物にならなくなる。汚れて限界
>    になったからと言っても「金がない」との理由で、取り替えのサイク ルがみじかくなるとも思えない。この掃除機でモップをきれいにする作業で、な おさら右上腕外側の疲労感がきつくなる。10月から11月にかけての作業で は、午前中の作業で疲れた右腕を(半ばあきらめの気持ちで)持ち上げ、掃除機 を使ってモップの汚れを吸い取ることを繰り返していた。昼休みをはさんで2、 3時間たてば一時は回復するが溜まった疲れのような感じは消えない。また午後 の作業でさらに同じことによる疲労が加わる。午後の作業のあと、さらに 汚れる頻度の高い場所を重点に掃除するが、それでまた疲労感が加わってゆく。

no.912 ( 彷徨えるphotographer06/01/18 10:14 )


>912
お決まりの窓際パターンがあるわけですね。希望退職のような道を企業は選択しなかったのでしょうか?皆、これだと企業価値が落ちるだけでしょう?

no.913 ( 記入なし06/01/18 20:26 )


<こういう状況は、最初の目的だったのか;明瞭な結論は出ていない。曖昧なままでちゅうぶらりんな
、責任の押し付け合い?だったという見解も、未だにある>ついでながら早期退職の制度は以前から
ありました。営業のことしか、わからない坂本正元が社長では「とにかく、間接部門のコストを減らせ」と
言われて「言われたから、トコロテンでも いいや」と異動させる(適材/適所とはならない)人柱を
出しただけ。削減にはならない。人件費の帳簿上の負担は赤坂の人事部になっていたのだから。「伝説の
エンジニア」と言われるくらいの人物を現場の(社員よりも低い待遇の)作業員へと異動させたことに
大半の人は驚いていました。仕事ができないのでなく、他人の分まで「稼いでいる」のに。要するに営業
はロングタームの計画ができないくせに「俺たちのほうが働いてる」と思い込んでる。早期退職の道がある
ために「残ってほしい人材」は、言われずとも辞めています。いじめ/自発的のいずれであっても残るのは
平均以下の大多数のみ。なおさら構造改善にはなりえない。結局、富士ゼロックスは「営業以外はメーンストリームじゃない」ままです。いじめに遭わなくても「なんだ、こういう会社か!」と、同じころに辞めた知人もいます。
 現社長の有馬氏に「どういうことだったのか」を尋ねてみたい。あるいは坂本正元は「捨て石」だったかも
知れない。坂本本人に諮らずに社長更迭を決めた小林陽太郎の真意もわからない。
----------モップで故障になってきた:続きは以下
    このように繰り返すことにより、「疲労」は顕著になった。
   9月末の時点:午前中に1回/45分〜1時間半。午後に同じことを やり、その後に特に汚れる領域を5、6回。これを日課としていた。
   ☆10月ごろから右肘周辺の「蓄積疲労の気配」あり。ずっと同じペー スでやっていたが体調に狂いが出てきた。
<またも、傷害になる予感>
1. 10/22には疲労のため、休暇で 休養。
    最初は1〜2日の休養で回復したが、11月に入ってから土、日を 経ても
   違和感がのこるようになった。なお、疲労に気がついたころから昼間 はインドメタシンを患部へ塗布。(9月からは先般の左手腱鞘炎をかばうために 特に右手、右腕への一方的な負担があった)
 作業を継続していた期間の後半(11月〜)では4、5日間そのまま休日を
    挟んでも痛さは解消しなかった。
    肘の接合部分の痛みは激痛ではなく、「なめらかではない」感じ。
    また、肘よりも上の腱?に鈍い痛み、こりをともなう。インドメタ シンを塗って同じ作業をしても翌日に疲労した感じを持ち越していた。
  11/11、11/24 腱鞘炎とその後の併発症状にて通 院。有給休暇による。
 2.  11月後半は疲労を申告して作業を中止。
      12/1に更めて山下整形外科を受診。コーヒーカップを肘を 延ばして
     とると、肘に痛みがあり、無理とわかる。
     診断書の所見:「右上腕・肘関節痛/約2週間の安静・休業を要す」
      12月1日〜15日を休養ならびに日常生活にあてた。これは 職制により
    「なにもしないで会社にいるよりも休暇をとって休養したらどうか」と言われたからである。(その理由のひとつに、なにもしないで待機していると
     ほかの人に悪い印象を与える:というのがあった)また、「本村 さんもなにもしないですわっているのは、気持ちが落ち着かないでしょう」と、言われた。 休暇をとって休養するようにと言われた とき、「大丈夫、欠勤にはなりませんから」と聞いた。このときの休暇は「積立有給休暇」を取り崩して     いる。面談時に「事情が事情ですから...」と、説得さ れた。(言わずもがな、
     業務上のことなので、休んでも特別に配慮すると受け取れる)

no.914 ( 彷徨えるphotographer06/01/18 21:57 )


>914
>>営業のことしか、わからない坂本正元が社長

製造業は、10〜15年くらい前に経理主導の経営が流行ったのではなかったでしたか?営業主導だと、拡大一直線で割りと荒っぽい経営になるのではないでしょうか?

no.915 ( 記入なし06/01/18 22:16 )


良くできる人といわれても社内でも直近の人しか分からないだろうし
ましてや外部の人間にはさっぱり・・・

バリバリ現役の技術者を現場に配置して辞めさせる事が目的でない事くらいは
想像がつくし中には人情がらみで犠牲になる人もいるだろう・・・くらいかな

no.916 ( 記入なし06/01/18 22:58 )


<あの会社は営業が金を握ってる。開発は予算申請をして次期モデルの開発を始めるのだが、開発終了で
対価をXerox Corporation;XCから受け取る際に*赤坂の取り分*が差し引かれる。だから開発には赤字の
代金しか、入らない。開発行為に赤坂族は貢献していないのだが> 営業が主権を握ってるというのは
開発/製造/販売を統合して以来の「伝統」です。PSプリンタの市場性を見通せなかった「営業」ですが。
商品企画がアホだったということかな。特機部のときの石井武というやつもマーケットリサーチさえ、でき
ないくせに「企画から飛ばされた」と不満を平社員にぶつけていたな。自分では何も「提案」できないくせに。
-------------有給休暇の、浪費のkとなど。以下。
  この時点で有給休暇は合わせて6.5日しか残らない。それでいいのか、
     疑問、不安があった。労災申請できるとの情報はどこからも聞いていない。
      当然ながら「災害報告書」もだされていない。それ以前に安全 衛生部会
     にも報告が出ていない。
      休暇の間は体力維持のために連日12kmを走った。そのため の異常は
     起きていない。ところが、12/14、15に自宅ドアノブの調 整のために
     ドライヴァを使って取り外し、調整を30分間やったところ、 「同じ部位」に同じような疲労、鈍痛を覚えた。(其れまで右肘を酷使したことの証明といえる)これで、(あ、もうダメだな)と感じた。自分とし てはどうもできない。
 3.  経過の確認のため、12/17、21に通院。休暇扱。
    4. 床面清掃作業の詳細について:
     A. 60mの長さを往復して4回
       30m        4回
       25m        3回  これらを合計した1セットで
       20m        6回  780m x 0.5m 幅 (約400)
       20m        7回  の面積で往復での捻る動作を
       15m        7回  する。午前と午後で2セット。
     B. 床面積  220 /20回以上の捻る動作 (見学用のホー ル部分)
     C.  午後の追加作業 で32030回以上の捻る動作
       合計床面積 おおよそで 1,340/100回以上の捻る動作
       となる。
      捻る動作は方向転換をするためで、右肘を支点として回しながら
      モップを押してゆく方向を転換する。右利きで左手腱鞘炎のため、
      70〜80%は右腕に依存して作業をしていた。
    5. 作業をしている時の心の有り様
       拭いても拭いても絶えず砂埃、汚れを除去しないとクリーンな状態を
      維持できない。一度清掃しても直ぐ荷物運搬の人、物の行き来 で埃が持ち
      こまれる。また、再生対象物の内外にある埃、汚れが拡散される。
     ・それを見ると、観念として常時クリーンにしたい気持ちが作用 する。
       そして結果として絶えず気を配りクリーンさを維持する行動を繰り返す。
      そうしなければならないとの脅迫観念が作用している。
     これは、個人個人の人となりで違うが同じ境遇にある中で、半数は「いま、 これで一所懸命にやる」のが普通ととらえている。みんなに聞いてはいないが、行動をみていると自然にわかる。
      私自身は一所懸命にやるほうである。作業の制限がどこにもな いので、目
     いっぱいやることになる。

no.917 ( 彷徨えるphotographer06/01/18 23:06 )


<わたしの名前は、大きめの図書館にゆけば書籍に載っています。たしか、*富士ゼロックスの奇跡?だったかな。
その中の*2200の原型開発*に出てきます>プロトタイプの開発に参加して、リーダーは山本一宜というひとだった。エンジニアは適性というものがあり、ダメなひとはいくら有名な大学を卒業していても働けません。応用の
利くひとなら「業種を問わない」活躍ができます。そういうもんでしょ。だから「便利に使われて、楽できる」と
管理職は思っただろうな。
----------労災はわたしばかりではなかったのだが。以下;続きを
 6. <<発症中の症状の程度>>
       右肘の周囲で張っている。
       肘のすぐ上部に【つっぱったような】感覚がある。
       上腕部外側が、やや冷たく【凝り固まった】触感。
       もみほぐすと暖かくなり、軽くなる感触がする。
       インドメタシンを塗るとはり/痛みは軽減される。(一時的に)
        作業中は一時的に改善されるが夕刻に疲労は
       消えていない。11月中旬には翌日の朝に持ち越すように
       なった。
    7. 12/21に海老名総合病院 整形外科を受診。触診(抑えて 曲げ、痛む
       場所の特定/レントゲン写真による関節モニター)
        その結果:症状としてはいわゆる「テニス肘」であり、使 いすぎ
       に原因がある、関節の内部に入り込んでいる腱の炎症であ る。重症の
       場合はレントゲン写真にも白く陰が出る。(カルシュウムの 沈着)そこ
       まではいたっていない。
       そこまでに至れば肘が曲げられない。内部のことは外科の見 立てでは
       わからない。肘の内部で炎症が起きていても上腕部に痛みが 出る。
       使わないのが治療法で外科の治療、投薬でなおるものではない。
          指針としては
        投薬なし。インドメタシン(商品名バンテリン:に同じ) を塗布する
       こと。テニス肘対処バンドでショックをやわらげることで苦 痛をふせぐ。
       など、説明があった。
         その場で腱鞘炎から右肘を痛めるまでの経緯を要約した 説明を
       読んでもらい、以下の事柄を相談した。
         1つ. どうしたら良いか   (原状回復)
         2つ. 作業として耐えられる(維持できる)レベルの判断
         3つ. 何をしたら支障があるか
         4. どうやって直すか
        この4つの事柄についての返答が上記の赤字での記述である。
     8. 同日の診断の結果を職制に説明したところ、診断書をもらう よう、指示
        された。
<オリジナルでは、留意点を赤字で記述しています>

no.918 ( 彷徨えるphotographer06/01/19 04:34 )


<書籍のタイトル>はこのサイトに出ています。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4492551964/reviews/250-0453426-5004205

no.919 ( 彷徨えるphotographer06/01/19 05:07 )


差しさわりのない範囲で本村氏のプロフィールなどを書いてもらえば
助かるのですが・・・
それと組織があなたをその現場に配置した原因の推測とかお持ちであれば・・・

譲歩できる限度をこえる仕打ちには同じく不条理を感じる方ですが
条件にもよりますので、よろしければ。

no.920 ( 06/01/19 09:50 )


2200とはこれのことかな?
“1973年 富士ゼロックスが独自に開発した初めての複写機:富士ゼロックス2200”
全くの仮定でそのとき活躍されていた歳を27とすると1999年は53歳、現在60歳と言うこところですか。
“技術資産統括センター”には長くおられたのでしょうか。

no.921 ( 記入なし06/01/19 16:55 )


>917
>>営業が主権を握ってるというのは開発/製造/販売を統合して以来の「伝統」です。

開発にお金を回さないと、新機種のいいものが出来ないのではないですか?
確かに、販売する人間が物を金に替えることを否定しているわけではありません。
他社との新世代の機種の差がついてしまうのではないかとの懸念からです。
それは即ち、売り難さに繋がるのではないかと思います。

no.922 ( 記入なし06/01/19 21:05 )


<1968年に転職。7月21日です。当時22歳。原型のCOCO 開発で実験を担当。試作は2台。メンバーは
リーダー山本、ゼログラフィー:城、制御/電気;山谷/小宮、実験/図面/組み立て/少しのメカ制作;本村。
1969年に山谷、小宮は退職。1971年には岩槻へ。そこで半年、そして海老名へ設計部の転拠。1976年
までは設計部。特機部に10年?そこでFIRS9600というマイクロフィルムリーダー/プリンタのエンジンを
仕上げたのが主な成果。「失敗する」という社内の予想だったらしい。部長の石井武を粛正/更迭のあおり?で
転出/QAへ。1年のちテクニカルインフォメーションセンターに。特許データベース/KDOS/SUN+ORACLE
との関わりがコンピュータのなれそめ。TICから「競合調査」のつながりでグループを特許部に移設。不景気で
「経費節減」をアホな担当部長がグループ予算計上せず。リーダーは退職。突然、PATOLISを叩く検索/調査に
配置された。先行技術を見つける仕事です。競合の権利化を反駁するものです。80%ほどの確率で成果あり。
次に複写機をさわって「権利の侵害があるか」のグループへ。こいつはもうからないのです。取り立てるのは雀の涙。一人の給与にも足りません。それを4、5人で分担して、やってた。大義名分はあるのだが、文献のみの
先行技術調査のほうが200万、300万円単位で経費の無駄を省ける。1998年まで*技術資産統括センター
*にいて「あなたが選ばれました!おめでとう」で現場の作業員に。>
**1998年は営業成績が悪化して「日銭の減少」が焦りを生んでいたころです。研究所の中高年が配置転換で
伝を頼って(だろうな)技術資産統括センターにも異動してきた。「選ばれました!」は八百、大塩、本村だが
ちょうど同じ3名が研究所からの転籍。NTサーバーが「笑い者になるだけよ」と提灯持ちをイントラネットで叱ったら、吉野が「皆に同報するな」と言ってきた。ちょうどlinuxをさわってたころです。「名誉ある配転対象」になったのは「うるせえやつ」との認識があったのでしょう。八百も以前、吉野がリーダーだったところに
いたことがあります。大塩は仕事ができるやつだったけど、嫌うひともいました。
 TIC/テクニカルインフォメーションセンタ=技術資産統括センターの1セクションなので、おおよそ10年は
同じところにいたことになります。

no.923 ( 彷徨えるphotographer06/01/19 21:10 )


>>それは即ち、売り難さに繋がるのではないかと
営業は「マーケットを知ってるのは、俺たちだけだ」の意識が少なからず、あります。特機部にいたころ、担当の
営業から電話があって「おい、商品xxをよこせ、あるんだろ?」と(知りもしないこと)をせつかれた。15人くらいしかいないのに、流通管理は専任者がひとり。不在だから「わかりようがない」でお引き取り願った。
 営業は「その日暮らし」でやりくりするが、長期の見通しを技術動向を根拠にしてたてることはできない。
ネットワークプリンタ;就中UNIXの標準であるPSプリンタは出遅れて、今はオープンソースをベースとする
市場展開もできないでいる。「それ」が未開発だから個人rベルであってもlinuxをネットワークでテストしていたのだけど。NTサーバーベスの複合プリンタを主力にしているからMSと連動して「世間に恥をさらす」いや、迷惑を拡散させてる。Nimdaで社内のネットワークが死亡していたのは記憶に新しい。不良の老年でも不真面目な青年でも
かまわない。キーパーソンとして一千人にかなう働きができれば。

no.924 ( 彷徨えるphotographer06/01/19 21:33 )


>924
ご回答いただきありがとうございます。かなり営業の影響力が強い事がわかりました。
企業によって、体質・社風というのは強烈に出るものですね。

no.925 ( 記入なし06/01/19 23:03 )


<不具合な状況>の続き
---------------
 8. 同日の診断の結果を職制に説明したところ、診断書をもらう よう、指示
        された。
        そこで12/25に診断書をもらうべく、海老名総合病院 で面談と
       同時の予定で申し込んだ。ところが、先に診断を予約できな かったので
       あらためて1月になってから申し込むことで、再度の面談と 診断書のセットを予定した。予約の内容は、その条件をつけてお いた。単に面接なしに診断書をもらうはずではなかった。
     9. 翌2000年1月5日になって、海老名総合病院から「診断 書ができた」との連絡あり。
        (面接の上で診断書を書いてもらう予定のはずだった が?)と、怪訝
       な感じであったが、ともかく受け取った。
        診断書の内容:病名のほかに作業に差し支えなし:とあった。
       しかし、直すには作業の程度が問題であったはずだが?とわ からなくなった。12/21の詳細な説明とは、だいぶ異なる印象である。第一、作業の内容については医者は私と話し合っていない。何を もって差       し支えないことになるのか、基準が明らかでない。
        炎症を発生させるに至った原因を把握せずに(本人との会 見なく)
       「普通に作業してよい」とは、解せなかった。日常生活で痛 みを感じるものをふつうに作業してよいとは事務の話ではないの か?工場での偏った作業は原因でこそあれ、普通の作業とはいえない。
     10. その後のこと。止むを得ず、海老名総合病院の診断書を一 応、提出し、職制と相談。同時に産業医も同席。職制は「診断 書の記述によれば
       普通に作業してよい:とあるから、作業に戻るか、耐えられ ないと判断
       するのなら私傷病で休んでくれ」と、選択を求めた。なぜ か、業務上の
       原因とわかりきっているはずなのに自己都合で休業を取らさ れる立場に
       なってしまった。
        「外科の所見では、傷になっていると見えなくても内部の 炎症は残っているのだから直っているのではない」と、あたりま えのことを言っても受け付けなかった。

no.926 ( 彷徨えるphotographer06/01/20 01:07 )


11. 休業のこと。それほどに言うかと、(圧力を言外に感じて)
       しかたなく休むことを選んだ。自分で納得しての選択ではない。
       2000年1/7から1/14までは積立休暇を消化している。
        それ以降の1/17から2/29までは(2/1を除いて)
       すべて欠勤である。休暇での日数は21日間で、欠勤扱は 25日間
       に及ぶ。自己責任でなく「やらされた事で発症した」のに合計46日も
       休みをとらされた。
     12.  腱鞘炎と、いわゆる「テニス肘」のことは文献で調べると
        以下のように説明されている。
         (筆者の体験と照らし合わせてほぼ、合っている)

       (別紙を添付)一例です→http://www.hyogo.med.or.jp/hac/advice45.html

  以上は昨年の記録と最近の資料調査に基ずき、まとめた。現場の体験で あるので、「エンジニアが知りえたこと」として理解してもらいたい。(2000年3月時点)
   現在の病状であるが、いまだに左手の腱鞘炎は完治していない。ま た、文献にも有るとおり、所謂「テニス肘/上腕骨外側上顆炎」も、いまだに痛 む。
   左手でご飯茶碗を支える時、人さし指の根元の関節に痛みとしびれが あって
  茶碗を取り落としそうになる。右腕のほうは、やはり風呂の湯を汲む手桶を
  支え切れず、やむなく両手で汲んでいる。最初に受診した山下整形外科 でこう
  も言われた。「寒くなれば、しびれますよ」実感するしだいである。

     3/1から現場に戻ったが、自走台車のネジ除去、回収と
    台車の反射板、回転テーブル下の清掃をやはり、片手持ちのモップと
    雑巾でやっており、1つ1つをていねいに手抜きなくやると無理が ある。
     右腕でモップ、雑巾とも使うわけにゆかず専ら左手主体でやって いる。
    これも「いつまで、どれくらいの頻度で使うか」が問題で、<そう ならないよう>に意識してやるしかない。うっかり右腕を使って(再度あの感覚
    をじわりと知らされ)慌てて左手に持ち替えた。

no.927 ( 彷徨えるphotographer06/01/20 21:07 )


最近文章な〜が〜い〜。

no.928 ( 記入なし06/01/20 21:18 )


オリジナルの文節が短くないのです。書き落としてる部分も、まだまだ残ってる。
  拘束期間は22ヶ月もあったので。

no.929 ( 彷徨えるphotographer06/01/20 21:42 )


>926
>>診断書の内容:病名のほかに作業に差し支えなし

海老名総合病院というのは、会社の指定医院ですか?
そうであれば、会社不利の判断は極力避けるのではないでしょうか?話してないのに、作業に問題なしが出てくるのは不可解だと思います。

no.930 ( 記入なし06/01/20 21:59 )


<指定というのでもないが医者のタイプというのがやたらと、口数の多いひとだった>
 ほかの障害をこうむった仲間も、そこで診察/治療を受けています。明らかに怪我とわかる場合は
文句なく「労災」になります。死亡事故と外見では障害があるとはみえない腱鞘炎では差別されやすい。
「好んでゆくところ」ではないですね。入院を要する事件はのちほど(事件の順序で)書きます。
------------前節の続き:以下
       <現場の作業が健康に良いというのは妄想>である。
     それにしても20年余り前の環境騒音による難聴といい、今度の
    体験といい、よくよく職場での健康管理に苦労する。欠陥は一つで
    充分。もう、ご免こうむりたい。
<労災とは、誰が判断するのか>
--覚書-- 作成/出来事のあった日付 3月24日 2000年
本日の16時25分に健康管理室へ行ったこと。そして、そこでのできごと。
要旨:16時20分に着いたが、連中は、まだ、会議をやっていた。
耳が悪いので、はっきりと録れないがどうやら、「かわす段取り」を話し合って いる。(この条件では、労災は成立しない)という説明を大橋がしている。そし て、その相手の声はよくはわからない。
10分もしてから、ドアがあいて「おや、きてらしたんですか」と、きた。
(くるもなにも、16時25分だと聞いているぞ!)

no.931 ( 彷徨えるphotographer06/01/20 23:20 )


失礼かと思いましたがWORDにコピーして一行40文字、段落もそろえて
読まして頂いております。昨日の分までで17,000文字あります。
保存版ですね。ははは

no.932 ( 記入なし06/01/20 23:32 )


<いずれ、ハードプリントにして出すための備えです>
コピー/配布は自由です。追加する部分も残っているので、感性してはいません。

no.933 ( 彷徨えるphotographer06/01/20 23:49 )


あ、いや。未完成ですね。これで未完成のまま、死んだら大作曲家なみ。

no.934 ( 彷徨えるphotographer06/01/20 23:51 )


老婆心ですが
8.
8.
9.
と8がダブっているようです。

no.935 ( 記入なし06/01/20 23:55 )


<コピー&ペーストで、だぶりました>
-------------------続き:以下
それからの発言。まず、大橋がわたしが提出した2つの事柄をひろげて、「労災 とはなりがたい理由」を説明した。
いわく、「7月末の発症から、勤続30年の休暇をはさんで、診断書が提出され ている。そうすると、このあいだに何をしていたかが問題で、同種の作業を半年 続けないと、労災にはならない。」
なぜ、休暇のあいだをあけたか;「それは、最初、単なる疲労と考え、疲労なら休養すれば直るだろう。そうでなければ、休暇が終る時点で診断をうけて、見極めればよいと考えたからだ。それで終ってみて、あれ、だめだとわかったので受診して腱鞘炎とわかった。休みは仕事など、しているわけがない。」と、答えた。
ほかに説明したこと。
最初は疲労だと思ったので、夏休みで解決すると考えた。休養期間をおけばよ くなると期待し、よくなっていなければ診断を受けることにしていた。それで、 休みの終りに「直っていないこと」に気づき、受診した。
その結果、腱鞘炎だった。
それで、どこがおかしいのか?

no.936 ( 彷徨えるphotographer06/01/21 15:49 )


大橋は、 (労災申請をさせたくない) 意志が見えている。審査官でもないのに。 「これで、成立しない」という。それを前面に出して説得している。
奥津は「疲れたら中止と言ってある。自己裁量で判断してくださいと、ちゃんと言いました。聞いてたじゃないですか」と、いう。この男の立場としては、それも正しいのだろう。(だが、わたしだっておかしくなるとは予測していないのだからそれなりの異変ではないなと初めのころは判断したのだ。時間がたてば、やっぱり事故だとわかったので、災害として認識したにすぎない。どこも異常な 経過ではない)
連中には(それに、ちゃんと自己裁量でやれるか、やれないかを判断してくれと 言ってあるから)自分達には責任はない:という意識、言葉がある。

no.937 ( 彷徨えるphotographer06/01/21 15:53 )


>937
徐々に意図的であることがわかります。そのための休日だったことになる。
彼等は、それが実行できないと自分の首が危ないのかが気になりますね。

no.938 ( 記入なし06/01/21 20:15 )


<おそらく、これも憶測ではありますが真綿で絞めるような画策を赤坂の人事がやらせていたのでしょう。
今も残っているはずの当時の仲間でも仕掛けたのが誰なのか;把握する気概は持っていました>
 それをあぶりだせるのは、やはり世間に出すしかないと考えています。残る立場のひとだけが不当な
扱いを逃れるのは許せないことです。働いた業績での扱いではないのですからね。小田原近くの竹松に
富士写真フィルムと隣接してゼロックスの竹松プランとがあります。そこの工場長を勤めた須藤氏も
「あなたがそういう処遇を受けるとは......」と、絶句しました。ほかにも実力には会わない処遇だった
ひとは、います。あの現場体験のメンバーで「革新」をめざさなかったのはごく一部です。それだけに
「うらぎる考え」で臨んだ人事関係の社員は償いをどこかでせねばなりません。業務でやらされたとし
ても、裏切りには違いない。人事を尽くして天命を待つのでなく、明らかに正義ではない選択をしている。
 「やれ」といわれて保身を強制されるくらいなら「わたしが行きます」と、公表すればいいだろうに。
そういう「男気」のあるやつはいなかったのです。早期退職すれば、困ることもないのに。

no.939 ( 彷徨えるphotographer06/01/21 21:11 )


---------続き:以下 
わたしの経過を自分で振り返れば、「怪しいと自覚するまでの時間がかかり、確認をしてみたら傷害になっていた」のが真相である。わざわざ引き延ばして報告を遅らせたのではない。報告する必要があるとわかったのはずっと後のことで、職制からは昨年の初め、とちゅう、年末、今年の初めのどの時点でも災害報告を 出す手がかりは聞いていない。
職制は「そういうプロセスのあること」さえ、認知していなかった。いわれて初 めて気づき、「知っています」と、いう。揚げ足をとるのでないが、それが奥津 の行動パターンである。

わたしの休業事件の発端も欠勤になるはずのものを休職といい、確認のために 「休職でなくて欠勤でしょう」と質問したら「そうです」と、肯定した。
最初から(知るべきことを)知らなくて、面倒な展開を引き起こす原因になってい る。こちらは(わかっていて受け答えを相手のために考えて)準備できているもの と信頼するのに、結果は、ずれている。はっきり言ってしまえば、普通に人事担 当の学習をしていない。
その点は大橋も同じである。役所の所属ではないのに、付け焼き刃で回答を押し つける。役所の代理ではないはず。以前に特許部の審査担当が特許庁の審査官の ように社内のほかの人に応じていた。奇怪千万である。

no.940 ( 彷徨えるphotographer06/01/22 15:46 )


大橋をはじめ、あまりにひどいので、「事情説明をしたら、ちゃんと自分で実際 の体験をして実態を自分で確認してくれ、だれひとりとしてそうしないではない か」と詰問した。
今度、何か起きたら自分で体験するように求めることにする。自分に関係しない ときも同様にする。「書き物だけで物事を通さないでくれ」とも言っておいた。
同席者はほかに産業医と総務の人事担当課長/菊池。この二人はほとんど、発言 なし。産業医は聞いておくことがあると思う。人事のほうは、どう思っているの か:聞いておきたいこともある。

注記:どこまでが職制の判断であるのか、はっきりとしていないが、どうやら本社人事の誰かが奥津をコントロールしており、一々指令を受けながら我々の一人一人に個別の扱いを仕掛けている。奥津が(本来は知っていて当り前のことをあ たふたと後付けで)取り繕うのを見て、そう感じる。
昨年の「喧嘩の片方を懲戒退職に追い込むでっちあげ」事件も、そういう意図によって、仕掛けられている。喧嘩の原因になったことの判定はない。大塩も高橋も普段は冗談を言い合う仲だった。それだのに、後で「襟首をしめあげられてい た」と、実際には確かめていないことが「事実」になっていたらしい。

no.941 ( 彷徨えるphotographer06/01/22 15:47 )


早期退職して4-5時間/日で月給10万円の職に就いてます。
収入が低いので「所得税」「住民税」の負担が無いみたい。
社会保険加入なので妻の年金は第三号で負担ゼロかつ健保も安く総負担は1万円以内。
給与はアルバイト並に安いけど国保や国民年金じゃなくトッテモお得。
妻のアルバイトと合わせて何とか暮らせそう。

no.942 ( 49歳06/01/22 19:59 )


>939
人事で男気のある者は、少ないのではないですか?それに、男気がある者はそのような方法になる前に個人的に希望退職を薦めるでしょうし、その後の自身の進退も考えるでしょう?それを言わない時点で男気はないでしょう。
一つ気になることは、高度成長期では技術者の機種毎の××バカと言われるほどのめり込んでもトータルで採算が取れることが多かったと思いますが、バブル崩壊後の景気では短期の利益を得るため長期的展望が望めない状況下にあったのではないでしょうか?例えば、仕様の堅持だけでプラスαを望まないといった状況です。
どこかで分岐点となる出来事がなかったのでしょうか?

no.943 ( 記入なし06/01/22 20:06 )


1998年の記事を調べたら、こういうものを発見。
http://www.hituzi.co.jp/hituzi/9811ns.htm
 そのころ、研究所も「機能縮小/商品に直結するものだけをやる」とめちゃくちゃな有様だった。
 上記のサイトの記事はこうです:
ゼロックスと富士ゼロックス。 同じゼロックスなのだろうか?ゼロックスからは、DocuTech65というPrint on demandの機械が発売されている。従来の横に長くて大きなマシンではなく、大きめのコピーといったかたちのものだ。50枚までの紙を綴じることが出来 るそうだ。つまり、100ページまでなら、オンデマンドで本を作ることが出来るということだ。実際にいくらくらいで手に入れることができるのだろうか?残 念ながら、日本で手に入れることは困難らしい。富士ゼロックスに問い合わせたところ、次のような回答をもらった。

11/18受付EM4851

お問い合わせ頂きましてありがとうございます。

大変申し訳ございませんが、当窓口で知る限り現時点では発売などの予定はございません。

どうぞ御了承頂けます様お願い申し上げます。

FUJI XEROX DISC

-----Original Message-----

>Questions: お尋ねします。
>
>米国で発売されているDocuTech65ですが、日本での
>発売予定をお聞かせ下さい。

なぜなのか?これがもし100万円前後なら、これは出版に新しい風を吹き込む新しいマシンだ。どうして、アメリカでは発売され、日本では1クラ ス上の大きな機械しか発売されないのか?富士ゼロックスよ、日本でもDocument companyとしての見識を示して欲しい。

The Document Company - Xerox
http://www.xerox.com/print/products/dt65/

富士ゼロックス
http://www.fujixerox.co.jp/

no.944 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 00:57 )


  こういうものも見つかりました。「え?嘘だろう」と感じます。
---------
14:55〜15:55 「企業倫理ヘルプラインの運営と倫理活動への反映」 富士ゼロックス(株) 総務部
リスク&エシックスマネジメントグループ
マネージャー 久保田 潤一 氏
久保田 潤一郎 (くぼた じゅんいちろう)氏:
富士ゼロックス(株) 入社後、教育事業部、(株)富士ゼロックス総 合教育研究所を経て富 士ゼロックス(株)総務部に勤務。

1998年 より富士ゼロックスお よび関連会社の企業倫理活動推進に携わる。
---------
経営状況が「右下がり」で且つ「日本全体が失われた10年」のどん底にあったのだから、ボケた経営感覚では
革命となる発想など、できようがありません。役員になった同年代の多くは(?)責任よりも「実入りのよさ」が目的です。

no.945 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 01:22 )


あまり、見つかるものは多くないが「現場へ社員を」という考えは誰かの「一時しのぎ」ではなかったのだろうかと
考えています。2002/05の社長更迭は急なものでした。それだけ、人望がなかったということです。
-------裏切りといえば、これもあった。以下
4月になった。
<堀江潔は汚かった?>
「堀江さんに頼めば、異動させてくれる」と、知人が言うので、担当秘書に電話 で連絡をとり、面会の予約を取った。
「カラー開発の西海のところに異動させてくれ」と行き先を言うと「じゃあ、 4/21で、いいか?」と、返事が出た。なんか、役員風の感じで、あんまり気 分はよくなかった。口頭だけど、以前<MIT-BE>の実用化で恩を売っているし、
裏切ることもなかろうとそのまま信じて終った。そして、当日の朝になってARO の現場で「カラー開発に異動する」と、
宣告。「待ってくれ。確認するから」と、言うので待機していると「人事に確か めたが、そういう事実は、ない」と
あきれた結果になった。なんのことはない、堀江は口先だけで<逃げ>を打ったのだ。仲間の成澤も橘川も、「度胸のないやつだな」と、堀江のことを言った。わたしは、もっと暗澹たる気分だった。不十分な出来のプロジェクトを完成させて成功裏に導いたキーマンを裏切るなんて。生涯、絶対に許せないことだと固く 記憶に刻んだ。人の恩を踏台にして役員にあがるなんて。

no.946 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 01:57 )


 <鼠経ヘルニアになった>
5月も、しょうがない身分と待遇のまま、工員として通い、ロボット台車の清掃 などで時間が過ぎた。
月末近くの朝、海老名駅前から0番の相鉄の出勤バスに乗り込む。ロータリーから動き出してまもなく、右の股間に異変を感じた。ググッと鈍い痛み。こらえている中に脂汗が出る。ズズーンと恐怖が全身に走る。しょうがない。終点まで辛抱して、やっとの思いで第一工場棟の中へ歩く。苦しいから、引きずるような足取りで気が急く。管理室に入って、山岸に「痛いので休んで病院へ行く」と休暇届けを出し、そのまま事業所のバス停に戻った。さっきよりも、やや痛みは少な い。
海老名駅へ向かうバスで、今度は座っていられた。元来た路を電車でかしわ台 へ。そうして徒歩で用心しながら自宅へ向かう。家へ入ってしばらく寝ていたら、平静に戻った。タクシーを呼んで、診察を受けに大和市民病院へ行く。何 故、地元へ行かないかというと外科医に実績のある知った人がいるほうを選んだ。それに海老名のほうは今一つ、企業の影響下にあるように思われて嫌った。

no.947 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 06:58 )


問診に「たちんぼの作業を一年以上、やらされていたせいで発症した」と。答えた。直ぐに手術日の予約を申告し、右側だけでなく左側もおかしいと、両側を一回の手術でやってもらうことに決めた。電話で日取りを通告してもらうことにし て、再びタクシーで自宅へ戻る。後刻、「明日、入院」と、連絡がきた。
翌日、やはりタクシーで行く。一通りの着替え、洗面用具、ポケッタブルのステレオラジオ、Hasselblad,Rolleiflexのカタログ、スケッチブックなどを持ち込んで内科病棟へ入る。そこは純粋な内科の患者もいるが、半分はヘルニア手術を 施す達者の定宿である。

no.948 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 06:59 )


 定刻になると検温、脈を診にナースが来訪。内科の症状が悪いわけではないの で、不安はない。食事も、まアまともな品が出る。しかし内科の患者は別であ る。データを日々見ながら、食事内容がコントロールされる。
手術日となり冠動脈検査の時と同様に股間の体毛を剃った。25年前に工場騒音 と9200のマシンノイズで左右の聴力が損なわれ、著しく会話に困難なことが ある。ナースに言われて、最初は何だか、分らなかった。
心筋症様の心電図データで検査入院の時の経験から、2度めの言葉で自分でやら なきゃいけない<こと>がわかった。
食事はなく、朝の9時にシャワーを使い、剃った。戻るとそのまま、寝台車移動 で廊下へ。エレベータで降りて押され、手術室の扉がパーンと左右に開く。

no.949 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 07:27 )


photographer

第 36 話




 「改 造」

no.950 ( 記入なし06/01/23 07:34 )


安全のために全身でなく、部分麻酔である。膝を折って身を丸め、両手で膝をかかえるように言われる。背中へかなりの量の注射が続く。心筋症検査の時も、麻酔の箇所は同じだったと思う。注射が終って、直に両脚を水平に伸ばす。前の経験があるから、何も恐れはない。もう、急速に下半身の感覚はない。かすかにメスの触れる音がする。何となく触れられている感じも伝わってくる。30分〜1時間を過ぎた頃に、足元に異様な<しびれ>が出てきた。頭の芯をいびるような恐い感触でジーン、ジーンと波のようにやって来る。「う、うーっ」と声に出して忍ぶ。(いやだ、やめたい....しびれが苦しい)と。と、どうにもならない身体の状態を自分では抜けられない苦しみを呪う。耐えて忍んで時間の経過を念ずる他、ない。2時間半もかかった手術の中に残りの30分間は<しびれ>の悪寒は消えていた。終って定宿に戻った時は、既に単なる麻酔の効果だけに軽減してい た。

no.951 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 08:12 )


 大きな傷を2箇所も受けた状態だから、夕食は寝台車の上である。腕には点滴の チューブがリンクしている。壁からチューブで酸素マスクが来ている。
思いもしなかった事に<大手術>のショックを受けて、身体が熱く、息苦しい。酸素マスクが反って、煩わしい。直後の余波が且って体験したことの無い発熱という形でやって来た。一晩中、安らかな眠りにはならない。何となく、眠ってはいるが、浅く、短く、断続した形。夜間もナースが一人々々を点検しにやってく る。
朝になって熱の程度は軽くなった。もう、酸素マスクは外された。検温の度に<平熱>よりは高い。夜の間は38度C以上もあった。食事は寝台車のテーブルに持って来てくれる。それを、こわごわと身を配して摂る。まだチューブをつないだままで、トイレに行き、面会エリアにもゴロゴロと一緒に移動する。点滴の 内容は抗生物質と、ぶどう糖である。
およそ48時間は、この状態だった。患部には大きなパッドが2ヶ、貼ってあ る。傷が段々と癒えて行くのがわかる。それでも身をひねったり、転倒して脚を 開くのは危険である。

no.952 ( 彷徨えるphotographer06/01/23 08:13 )


944〜946>
ここまでお話を伺って感じる事は、ご指摘の企業の沿革を調べていないので事実に基づいたものではありませんが、製造業というよりは商社の臭いがします。
あくまで日本は支店であって、技術の根幹は米国本社にある。といった印象を受けて仕方がありません。だからこそ、営業主導の経営であるのではないでしょうか?

no.953 ( 記入なし06/01/23 21:12 )


<出発のよりどころ>が技術導入→営業ですが、供給する物のラインナップがアメリカのXerox Corporationと
日本の富士ゼロックスとで、分野/階層を分けていました。従って「傾向として、XCをたてる」ことはあり、
日本の営業は日本の受け持つマーケットにおいて開発よりも「声」が大きいわけです。多かれ少なかれ、開発の
ほうにも「XCは偉大だ。揺らぐことはない」の信仰が強固でした。営業がXCを意識して、支配したというよりも
「営業が売れる方法を知っているのだ」という根拠の希薄な認識をしていたのです。発足以来、ずっと営業の声が大きければ金回りも営業が押さえてるわけです。海老名プラントの技術棟の屋上にでかいネオンの広告塔があります。
それを見るのは、国道でなくて藤沢ー厚木を行き来するトラックの運転手。何億円もかけて効果の見込めないブツ。
 営業の役員が言い出して思いつきでやらせたこと。新幹線からは待ち構えていないと、見えません。撤去するにも
費用がかさむので、できない。ユニフォームは芦田淳のデザイン。会長/小林陽太郎の知人だからン億円の経費も
気前よく?はらった。ああ、もったいない。既製品でいいのに。

no.954 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 03:15 )


<入院生活>
--------続き:以下
2日目、3日目も用心の上に用心して<外出>する。両側の2箇所も<やった>のだから、部屋から出て面会室へ行くのも遠出に等しい。点滴が終了してからは食事は室外へ運んで摂ることにした。内科の患者には<眼の毒>だから。飲物はアルコール以外は自由である。内科の症状はないのだから。昼も夜も時間がありすぎる。昼間はオープンソースの本を読み、構想を練る。Hasselblad, Rolleiflexのカタログ、サンプル写真を見て、後日の修行を念じる。夜は深夜放送をイヤフォンで聴いた。窓の外は街の生活が見える。昼の中はあまり、面白そうな景観はない。夕暮れは寂しさが漂ってくる。そしてグラデーションの幅が潰れて、街灯のあたりが見えるだけである。朝には小学生が列をなして、すぐ近く の小学校へやってくる。
初夏の光は、温室のような熱気と息吹を毎日、吐いてきた。(あ、そうか、とに かく巷の雑事とは無縁だなア)
入院中を友人にして知らせなかった。わずらわしいだけである。大和に住んでいる叔父には言った。4、5日経過すると、何だか、(もう、帰ったら?)と周りの空気が変化してくる。そろそろかなと感じる。しかし、<今度の状況>は自分にとっては未知のものだから出来るだけ<ここ>で養生したいと思う。1週間より は多く居て、退院。(6/6)

no.955 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 03:17 )


<手術承諾書>は何と、退院の日に<後付け>で書いた。<結果について文句を言わずにお任せします>の、あれである。ロータリーの中から大和駅方向のバスで帰る。一番後部の席にいると、1つ前の方にいる女の子と眼が合う。帽子を深めにかぶって<いないないばあ>を首を傾けてやると、背持たれの向こうからのぞき込んで、ケラケラと笑っては隠れた。向こう側で笑い転げてる様が聞こえる。

no.956 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 03:42 )


<復帰させず>
次の稼働日に「復帰/座業」を申告したら「もっと休んでくれ」と、来た。冗談じゃない、復帰して座業をするのは世間の常識だ。数々の失敗を知りながら、なおも『立ちんぼの無意味な8時間』に拘っている。手術後の負傷が危惧されたので予め病院から養生し乍らの術後管理を書いてもらった。それを診断書と共に出してある。さっさと意味のない場所から<金を稼ぎ出す業務>に戻せばいいのに。馬鹿ばかりが組織の権力を持つと威張るばかりで、日々損失を増加させていることに気づかない。市場開拓のセンスも先見性もない権威主義のスレーブだ。
さらに「休め」と奥津が言うので「休んでやるか」と決めた。こんな事なら腱鞘 炎の時にきちんと労災であることを認識して公休にすべきだったのだ。職務能力 もない者を、形だけ人事管理の任を与えて;ちぐはぐな事ばかりを押しつける。
工程管理もエンジニアリングのセンスもまったく出来ない奴を据えて(他の社 員:ARO)はほとんど、仕事をしていない。
開発サイドのメンバーは毎日過剰な業務に追われていると言うのに。

no.957 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 04:17 )


 もう1週間の「休業」のあと、『立ちんぼ』に戻った。しかし寝台車で約10日、帰宅してさらに1週間の「寝たきり状態」で脚力だけでなく腹筋も背筋も「萎えて」いる。常識ならば机と椅子の仕事場が当然なのに自走台車の点検に戻 して、「立ったままで、やれ」と宣告する。
一体、どこまでアホなのか。まア、そんな命令を出しても「できないことは、できないよ」と、さっさとトレーを裏返しにして、座り込む。自走台車がやってきた時;ゆっくりと立ち上がって、点検/掃除をする。併し、自走するものを、何で人がつききりで見なきゃならんのか?合理性/生産性を無視したことばかりで、製造現場の時代遅ればかりが眼について嫌になる。販売の連中は、この「無駄」を知らないだろう。この会社の内包する隠れた損失は、現場にある。製造も別会社にして外部の会社と競わせれば、切り捨てることが出来る。それを出来な いのは、経営が下手な証拠だ。
設立から30年を経て、内部矛盾は膨れあがる。もう、解体して別組織にしても 息を吹き返して、生き延びるか、どうか。

no.958 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 06:30 )


40代以降の求人がない・・・小泉さん、若者ばかりでなく中高年の雇用にも配慮
してくれ。お願いだから。生活かかってんだよこっちは。

no.959 ( 記入なし06/01/24 07:33 )


<このスレッドを小泉に読ませるべきでしょうね。若年では仕事がきちんとやれるか;疑問です。
経験がないと、臨機応変に難問を解決できません>
40からのほうが仕事のことは詳しいです。

no.960 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 07:38 )


臨機応変と言う事であれば老若男女別に構わないとも思うのですが
先生と名のつく職業か余ほど脚光を浴びた技術者(結局先生になるわけですが)
でないと中高年は一律もうろくするとでも思われているのでしょう。

あれだけリストラの嵐が吹いたのに団塊の世代が隠居するとなると
“技術、ノウハウの伝承が・・・”とか急に騒がしくなる。

3,5年のビジョンではなく、せめて10年、20年を見越した
政策でものごとを進めていかないと結局時々で不必要な落伍者を
生産してしまうのではないでしょうか。

金持ち権力者はある程度手に入れば満足すりゃいいのにと思うのは
私見たいな貧乏、権限なしの人間だけでそう言う人たちは今持って
いるものを5倍でも10倍でも大きくしたくなるようです。

生産力はあるのだからお金と仕事をそれなりに均せば済みよい国に
なると思うのだけれど・・・

no.961 ( 記入なし06/01/24 09:35 )


>961
まったく同意ですね。
よく言えば臨機応変、悪く言えばその場しのぎですからね。
社会がめまぐるしく変わるから先行きのビジョンが持てないのか?その能力が無いのか?
流動化のための規制緩和と思いきや、それを利用して恩恵を受けるのは
結局のところ巨大資本なんですよね。
一部の者達の権利を守るために弱者が切り捨てられてるって感じですね。
一度退場した者は二度と復帰は許さない、その場は用意されてないって感じです。

no.962 ( 記入なし06/01/24 10:16 )


---------続きです。以下
<夏の日の故意>
もう1年半も、損失を生むだけの状態が続いて居る。
ある日、クラブの会合で西海から「現場の状況を書け」と促された。七月だっ た。それから毎日、ログを遡って、1日/1件で、日記を送信した。サーバーは 既にVine Linux に交替している。その掲示板は西海が管理していて、種々の テーマで投稿がある。イントラネットだから、端末がつながっていれば、誰でも 参加する。
ところが工場に居てもなぜか、<囚人>には端末がない。
だから投稿への反応は、他の社員の端末か、転送されてくるメールでしか、わか らない。
直接に現場を見ていない人でも「何が起きているか」を知って日を追う毎にアク セスカウンターが急上昇している。驚いた。投稿に嘘はないが、個人名は外して あるらしい。元記事を投稿しているわたしの名前は、ちゃんと明示してある。
支払われない残業代、負傷のこと;どんどん、反応がある。少なくともわたし/ 他11名の処遇は、同一企業の世間で、公平とか妥当なレベルとは誰も思わない ということだ。

no.963 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 17:30 )


>963
その後、組合がどう動くかが興味あります。発覚した事は、従業員全員に及ぶ可能性を示唆していることだから無関心ではいられないでしょう?

no.964 ( 記入なし06/01/24 20:35 )


実は海老名支部の行動はなきに等しかった。1999年のうちに数名で働きかけたが、交渉力、認められず。
以後の展開には関わっていたのか、確認できていません。
---------予兆のこと。以下
同じころ、橘川、成澤、高橋は「何時まで続くか、根くらべか?」と、繰り返 し、語っている。1999年の12月ごろ、「もう、1年経ったから配置転換乃 至は転属がありそうだ」という漠然とした期待が仲間中で交わされたことがあ る。取り立てて根拠があるのでなく(常識として判断すればということだが)「も う、ここに改革としての配置転換は成果にならず、失敗したのだから原職復帰、 原状回復があって当然」と、観測したわけであった。
 他の11人の淡い期待というか、願望を別にして「わたしの記事」への社内の反応に海老名地区人事は気づいたようだった。西海と話した時に「人事が誹謗/中傷がないか;圧力をかけて来たが、部門長が心配するなと言ってくれた」と、聞いた。記事の内容は只、わたしが被った事実を述べているだけだし、記事を扱う西海にしても内容はすべて、わたしの原本から転用しただけである。
 9月に入っても投稿と掲載は続いたが、中旬頃から、中断してしまった。西海が地区人事の行動に不安を感じたらしい。中断自体は後で知った。社内に知られた記事は、1999年の12月までの<強制有給休暇取り崩し>までだと思う。
 現場の皆が(いつ、この状況から外へ出られるのだろうか?)と考え続けて、10月31日になった。
 朝の連絡で、山岸が「明日、お話があります」と、内容を告げずに我々12人に伝えた。「へー?」と、メンバーの反応。なぜ、何のことかの推察ができないらしいけれど、わたしにはピンと来た。(そうか!あの掲示板への投稿が功を奏したのだナ)
 すっきりと、わかったけれど明確に伝えるわけには行かなかった。第6感で判っただけで証拠が来ていない。

no.965 ( 彷徨えるphotographer06/01/24 22:23 )


>965
労働組合は飛び火を恐れたか、予め牽制されていたかのようですね。
かなり、経営が圧迫されていたのではないですか?動きが無さ過ぎると思います。

no.966 ( 記入なし06/01/25 20:40 )


<御用組合なのさ>まったく、もう。裏で公式組織を支える存在に過ぎない。
これまでのアーカイブ以外に「書きそこねた部分」があります。その部分を補完して出版に供したい。
-----------以下にエピローグを。
<11/1、突然なことに>
 朝の伝達で「異動があります」と始まった。やはり、AROからの転出だった。今年限りの(定年退職)一人を除いて皆、転出が決まった。ひとりだけは転出でなく、退職準備が出来なくてAROの払い出し担当に移った。
 思い返せば、トラブル、事故、人事の意味のない嫌がらせとほとんど後味のわるい事ばかりだった。只、早期にリタイアした二人を別にすれば、集団として闘って、誰も逃げなかった。個々の違いはあるにせよ、不当な逆境に抗して<自己の尊厳>を棄てなかった。

no.967 ( 彷徨えるphotographer06/01/26 00:03 )


<環境商品安全部に行ったあと>
  11月になって環境商品安全部に移籍。やはり、支給されてあるWin95に不満で、自分のディスクとインターフェースを追加して自分の用事はVinelinuxで済ませた。勤務チェックをJava経由でやってみたが、標準の正規なJavaでなく、Windows固有のようだった。2000年初めの「休業中のログ」を知りたくて稼働日の勤務状況を遡ってみた。すると該当する期間はすべて「勤務データ」が「パンチデータ入力者」になっていた。しかも何時に入って何時に出たかのデータが見当たらない。誰か(人事の給与担当)が、ホストコンピュータの<わたしのデータ>を不正操作していたのだ。

no.968 ( 彷徨えるphotographer06/01/26 00:04 )


>967
組合も当にならないと個人とその仲間達だけの戦いになりますね。ご苦労お察しします。それでも仲間が居てよかったですね。

no.969 ( 記入なし06/01/26 20:48 )


<未だ、終わったのではないが>ともかく区切りというところまではたどりついた。解明はやらなくちゃと
考えています。
-------記事を終わるための部分:以下
だが<あのサーバーへの投稿>をきっかけに人事が慌てたことは想像に難くない。さもなければ、西海が事情を訊かれるはずもない。以前から感じていたことだけれど、昔風に情報管理して「口封じ」をやって、社内ネットワークの端末も与えない状況に置いても外へ行けば自由にレポートをインターネットにながせるのだから、防ぐ手段なぞあり得ない。
 悪い情報、隠したいことはまるで<意思あるかのよう>にInternetで伝播するのである。
 ふと、思う。MkLinuxppcでなければ事件の終末はなかったかも知れない。2万人のグループに、わたしがいて「LinuxをMacintoshでもやっていた」希少性が、大事だったのだ。

2005.1.17 オープンソースとMacintoshとLinuxとInternetに感謝をこめて
  この記事を終える。奇しくも、阪神大震災のメモリアル。

>     記録者:本村 公一 58歳 (2005年 1/17 現在)
>     本来の専門:機械工学専攻。設計者。電子写真エンジニア。
>           UNIX エンジニア。無線工学者。特許調査。
>           佐世保工業高等専門学校卒。
>     住所:神奈川県 海老名市 上今泉 5ー17ー3
>     連絡先: 046ー233ー2401/ uy807@mac.com

no.970 ( 彷徨えるphotographer06/01/26 22:56 )


>970
2005.1.17で区切りになるのですか?すると、現時点でも継続していることですか?

no.971 ( 記入なし06/01/27 20:28 )


私は、航空機のエンジンを設計していたが・・・ 

no.972 ( 記入なし06/01/28 15:05 )


↑航空機エンジン製造している所は限定されますね。

no.973 ( 記入なし06/01/28 15:59 )


>971
「あの状況」は、2000.10.31をもって*終わらせた*のです。いうまでもなくわたしが「実際に使える
サーバーを経費ゼロに等しいコストで提供」した見返りです。いくら「仕事ができる人物」でも
サーバーを遊休資産活用で提供することがなければ掲示板への記事投稿(間接だが)はなかったでしょう。
 赤坂の人事は(解雇をちらつかせて、だまるに違いない)と海老名の総務部/ほかをいろいろと「やらせて」
いたはず。営業から転属させられた仲間のひとりが言っていた。「わたしたちを転属させた責任者は異動した」と。
富士ゼロックスの赤坂の人事部が指揮した事件(の1つ)。部長職を集めて「同じような境遇」を海老名でないところでやらせたと聞いている。実務上の最終責任者が坂本正元だったのだから、人事担当の役員が勝手にやったとは
思えない。
友人に聞いた話では更迭されたときの「役員交代の会見」に坂本は出てこなかった。

no.974 ( 彷徨えるphotographer06/01/29 01:39 )


>974
そうですね。人事担当者が単独で行ったとすれば越権行為になりそうですね。
相談無しにはできないことでしょう。

no.975 ( 記入なし06/01/29 20:27 )


 ここのテーマとは外れますが。
ちょっと、鬱でアホなのが自宅にいまして危ないのです。
なーんにも普通の学習も習得もせずに「警察官になる」と受験し、落ちます。
 それを親のせいだの、世の中のせいだの;わめきちらして。不安症で小言に終わらず
老妻に暴行します。とめようとすると娘や、わたしにも憎しみの矛先を向けます。
普通にしていても、それが憎しみのターゲットなのです。
娘には仕事先の住居から「ここにはくるな」と言うのですが。
 わたしもこのスレッドなりに書き込まなくなったら「殺された?」と
推測してください。かみさんが決断力なく、安全に暮らすための選択をしません。
 連絡は次のアドレスでも受けられます。uy807@mocha.ocn.ne.jp

no.976 ( 彷徨えるphotographer06/01/29 23:09 )


>976
息子さんか?
そんな人間に育ててしまったあなたにも責任はある。
こんな所で愚痴ってないで反省しなさい。

no.977 ( 記入なし06/01/29 23:20 )


育てるものじゃないんだよ。性格がよくないから自分以外の話を一切、聴けない。
 世間には「他人の人格」というものがあることをハナから受け入れられない。
これは育てることでは解決しない。自我構造がちがうのだから。
 現実に目前のふるまいを見れば、そういう意見はまったく役にたたないと
わかるだろう。老妻はよくある「母親の愚直さ」で「いつかは、自覚して普通になる」と
言い張った。だけど、精神構造が「外れてる」のだからいくら説明しようが、本人には
まともな理解力が出現しないのだ。教育のせいでなったのじゃない。幼少のときからすでに
「他人のいうこと」に聞き入る術を持たなかった。普通に手をかけても「おかしくなるもの」は
おかしくなる。ほっといてもまともなものは普通に自覚して社会に対応できる。
まともに学習もせず、「まともな大学へ入れなかったのは親がさせなかった」と言い張る。
小学校で学習を放棄したのだから、普通の「学習」もやりようを知らない。愚痴を言ってるのではないよ。
 ここに書かなくなったら「死んだかも」と考えてくれ:と書いただけ。
「ゲームの機械を自由に買わせてくれなかった。自動車がないのは馬鹿にされる。勉強を強いられた」と、
さっきの「親が勉強させなかった」ということとは<矛盾。もいいところ。育て方で、こんなおかしな奴
になるか?  心の自律性がねじれてるのさ。環境のせいでもない。親が粗暴なわけでもない。
 いうなれば自分で自我主張が強すぎてなってしまったのさ。目をつりあげて、怒号する日常を見ずして
「反省を」はなかろうよ。精神異常は他人/親のせいでなるものじゃない、倒錯というべきだろうけど。
 そういう「一般論」で「反省」などというのは新聞に書かれる「ありきたりのよりどころ」となーんにも
変わらない。親が努力しても「聞き入れない性格」じゃ、まともにはなれんさ。病理なんだよ。
性犯罪者を「更正させる」のはありえないことと、たいして違わない。

no.978 ( 彷徨えるphotographer06/01/30 04:24 )


今の日本では個人、各家庭でしか吸収できない現象なのでしょうか。
例えは違いますが、今、車椅子でかつ少々看病がいる母親をそれなりの
環境で、見ていただいております。
心の病は個人では解決できないこともあるとは思います。
全てご夫婦で背負われているのですか。

no.979 ( 記入なし06/01/30 12:57 )


<個人で、家族で解決できないことだから預けるしかない>と幾年も前から
「当たり前のこと」を説いたのに「自分たちでないと。他人には頼めない」という
老妻の時代錯誤な考え。去年の終わり頃になって、ようやく保健所にゆき、相談
してきた。だが、20も後半になるまで「治療施設に入れないと解決しないよ」という
極めて当たり前のやり方を受け入れずに拒んできたから「手遅れ」に等しい。小学校のころ
、日赤のアトピー診療?に出かけるとき:座間駅あたりの書店で時間つぶしをしていたのを
「電車がくるから、ゆこう」と呼びにいった妻が後ろから蹴飛ばされた。心の構造がおかしいと
「その治療」を始めるべきだった。女親はダメです。自分で解決できないことを意固地になって
「よくなる」と続けます。素人が心の構造のいびつさをなおせる術を知るはずもないのに。
薬を投与せねば、治療にはなりません。心の働きといえども、化学反応の結果ですから。
そういう「自然の仕組み」をまるっきり知らないし、知ろうともしない妻にはあきれる。
断片の週刊誌記事に踊らされる愚衆と変わらない。インテリジェンスの真贋について考えない。
もう、30年間も新規な学習、探求ということを一切やらないままです。何も自分で知ろうとは
しませんよ。化学物質の反応が「心のふるまい」を決めているという事実を知らなかった。
 だから「えせ脳記事の書籍」を買いたがった。トンデモ本のたぐいです。「Oリングパワー」なんて
ものをインチキ商店主に買わされたり。

no.980 ( 彷徨えるphotographer06/01/30 15:48 )


>976
肉親の事については、なんとも言いようがありません。
血は水よりも濃いですし、photographerさんが最善の方法を取る事を願います。

No.975

no.981 ( 記入なし06/01/30 21:22 )


<いつ、切れるのか;予測のつかいない場合が多いのですが>
 外出している間に事件となってはいないか;それが心配。
娘は母親が暴力を振るわれるのを悲しんでいる。同じ家に住まなく
なっただけ、被害にあう恐れは少なくなったが。
 生計のことを構想しようにもときおり、騒がれて気が落ち着かない。
たぶん、どこかへ抜け出すしか、とりあえずの対処の方法は見つからない。
 だけど、「生計の手段」への妻の協力は得られない。普通は例えば、
仕事の内容の一部は分担するものだと思うが。物事の道理、成り立ち、
あるいは物の組成など;なにも知る努力をしない。結果だけを教えて
もらうものだと決めている。とても銀行員だったころの同じ人物とは
思えない。愚痴というよりも「どうして、そうなったのか」が、さっぱり理解できません。
 たとえばコンピュータのことは誰かに手取り足取りで教えてもらうよりも、自ら触ること
が早道です。体験上からもUNIXのコースを習うよりは自分でBSD,linuxをインストールして
触るほうが容易に身に付きました。もしかして「意欲のある/なし」が本質なのかも。

no.982 ( 彷徨えるphotographer06/02/01 05:30 )


彷徨えるphotographerさん、あなたが職場で苦悩されている間、

奥様も家庭で苦労されていたのでは?

そこの所もご理解と思いやりをしめさないと・・・。

no.983 ( 電・ドラ子06/02/01 07:39 )


私の主観ですが“努力”と“苦労”は別物だと思っています。

no.984 ( 06/02/01 08:52 )


3つ子の魂100までなんていいますがこの言葉まちがってるとおもいます。
知能も性格も生まれでた瞬間にできあがつているものだとおもいます。

教育で影響する部分なんてわずか。知能の低い子はどんなに教育しても吸収しないし
性格もしつけても自我がまさって相手に反感もつだけです。

要はある人が言ってたけど子供もあたりはずれがあるということ。

ひどぃ環境のなかで育った数人の兄弟見てても全然ちがうし子育ててしてても
なかなかうまくいかないしつけしようとしても全く通じない。。。

no.985 ( 記入なし06/02/01 09:00 )


この両親にしてこの子あり
という気がします。

no.986 ( 記入なし06/02/01 09:07 )


中高年の雇用情勢が、相変わらず「厳しい」今、
「年齢」「免許・資格」「地域」 以上に 深刻 なのが、
全国で、現実に発生している「『給料日』の ミスマッチ」なのである。

「末締め・翌月25日払い」の求人者の場合、実際にも、
「求職者の事なんか、私たちには、全くわからない!」ので、
「事業所側の都合」で、求人を、ハローワーク他に出す。

求職者側が、「求人受付日+求人を受理したハローワーク+求人数+
先方指定の面接日+面接結果判明日(即日・O日後)+給料締め切り日&支払い日」の、
いわゆる『先方都合』を、全く考えずに応募すると...

採用でも、事業所給料日の「次の日以降に、合否判定+採用=実働」になり、
    「最初の月の28〜31日+翌月の給料日前日迄」は、『無給状態』になる。
不採用なら、「一からやり直し」で、更に『給料』から遠のく事になる。

だから今、求職者各位は、「採用→『給料』が欲しい」なら、
求人者が求める「求人募集〜給料日(支払い)は、だれが決めた?」を 
頭に入れたほうが、良い。

no.987 ( 記入なし06/02/01 09:16 )


よくも悪くも神のいたずらもありますかからね

no.988 ( 06/02/01 12:33 )


女は、男性を選ぶ時は条件を見ますが、子どもは無条件で愛せたりします。

子どもを条件付きでしか愛せないと(勉強できないと認めないなど)、

子どもは条件でしか話せなくなる(ゲーム買ってくれないから仲間はずれにされたなど)。

no.989 ( 電・ドラ子06/02/01 19:03 )


どうしようもない状態もあるのです。
完全にぼけた親とか、後天的に脳の機能に障害をもち
仮に元の人格がほぼ100%失われたら外観は同じでも
中身はあのやさしい母親ではないのです。

生まれもって正常な人格形成できない子なら手に負えない場合も
あるということではないですか。特に粗暴な場合大変だと思いますよ。
自己矛盾との闘いです。

犬ですら通じる次元の愛情が通じないこともあるのです。

no.990 ( 06/02/01 19:14 )


死ぬべき時に死ねなかった者は悲惨だな。

no.991 ( 記入なし06/02/01 19:18 )


彷徨えるphotographerさんは、私の親と同年代です。

だから、息子さんは私と同年代と推測します。

息子さんの言い分は、自分のことのように理解できます。

私も男だったら、親を殴っていたかも。

no.992 ( 電・ドラ子06/02/01 19:21 )


よく読まれましたか?私はストレートに理解しましたが・・・

no.993 ( 06/02/01 19:29 )


親から「病気だ」「性格が曲がっている」などと見離されたら、子どもの立つ瀬ないよ。

治療以前に、親からの無償の愛が彼には必要だと思う。

no.994 ( 電・ドラ子06/02/01 19:35 )


たぶん頭の中で創造されている状況は実際とかけ離れていると思います。

no.995 ( 06/02/01 19:57 )


創造 ⇒ 想像

no.996 ( 06/02/01 19:58 )


>982
僭越ながら、奥さんの健康状態に気をつけた方がいいと思います。特にアルツハイマーに気をつけた方がいいのではないでしょうか?

no.997 ( 記入なし06/02/01 20:20 )


彷徨えるphotographerさんは、被写体探しに行っちゃったのかな?

ほんとに殺されたりしないといいけど。

no.998 ( 電・ドラ子06/02/01 22:01 )


↑本名出してますから、新聞沙汰になっていないので生きてますよ。

no.999 ( 記入なし06/02/01 22:44 )


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