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犬以下の生活

Author:泥酔者 ( Profile )
金が無くても失う物は何もないが、プライドを無くせば全てを失う

 ■ 2010/11/14 (日) あなたは生まれ育った都市が好きですか?


ふと、郷土愛というものについて考えました。
自分には郷土愛はあるのか?

・・・生まれてこのかた36年、少しだけ県外に住んだことはありますが、ほとんど全ての生涯を生まれ育った都市で過ごしてきました。
ともすれば郷土愛が強くあっても不思議はないはず。

でも、私には取り立てた郷土愛がありません。
単純に生まれ育った所でもありますし、両親が在住している所ということもあり、極めて単純な愛着はあるものの、他の人に胸を張って主張できるほどの郷土愛はありません。

子供の頃から、良い思い出がありません。腹を割ってはなせる友人もいなかったし、心をときめかせる恋人がいたわけでもなし。
苛烈とは言わないまでも、どちらかと言うと明らかにイジメられる側であった学生生活・・・。

もし他に新天地があるならすぐさま出て行きたい気持ちです。

皆さんは、故郷に住んでいるか住んでいないかにもよると思いますが、郷土愛というものはどれぐらいのものでしょうか?


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めとろん 郷土は大阪ですが戻りたいと思いません。今住んでいる京都は自分で選んで引っ越してきた地です。京都に対して郷土愛あります。 (10/11/16 00:09)
泥酔者 ポンスター氏>私と同じような感じですね。私は居住地が子供の頃の住み家と同じですが、良い思い出がありません。 (10/11/15 21:23)
泥酔者 風子氏>地元に愛着があって、ずっとそこで暮らしていきたいと思えるのは素晴らしいことだと思います。都会へ出ることだけが出世ではありませんね。 (10/11/15 21:17)
泥酔者 無職兔氏>ふるさとは遠きにありて思うもの・・・ということですね。 (10/11/15 21:16)
ポンスター 私も今の居住地に郷土愛はないですが、情みたいなものが自然とできてきような気がします。でも、子供の頃に住んだ場所がもっとも思い入れがありますね。 (10/11/14 21:33)
風子 私は郷土(今の街)がすごく好きなんです。それが強すぎて逆に何処にも行けない(住めない)自分が少し寂しいかなってこの頃思っちゃったりしています。 (10/11/14 18:16)
無職兔 郷土の良さは、離れて暮らした時に分かるんじゃないでしょうか?良くも悪くも生まれた場所や育った場所は一つしかありません。これから良い思い出の場所を作っていきませんか!! (10/11/14 17:49)
嫌われ者 僕もとくにあるわけではありません。 (10/11/14 17:02)


 ■ 2010/11/13 (土) 終焉


最長でも今年いっぱいで辞めます。
後は野となれ山となれ・・・。
生きれるまで生きたら、後は天下を枕の野垂れ死にです。


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泥酔者 嫌われ者氏>金が全ての世の中、どこまで生きられるかは時間の問題とは思いますが、とりあえず生きられるまでは生きようと思っています。 (10/11/14 16:34)
嫌われ者 生きて、生きて、生き抜いてください。いつかいいことあるもんです。経験者は語る。僕も自殺願望があったのです。 (10/11/14 14:49)


 ■ 2010/11/11 (木) 昏倒


最近、焼酎を呑みながらパソコンを観ていると、いつの間にかウトウトしている。
口に含んだ焼酎を垂れ流し、ふと意識を取り戻すとシャツの腹のあたりが垂らした焼酎でベトベトになっている。
多分、こういうことの頻度が多くなっていき、そのまま昏倒して逝ってしまうのだろう。

もう別にどうでもいいが・・・。


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泥酔者 名曲ですね・・・ (10/11/13 02:08)
あおねこ@ 今のあなたに、この歌を贈りたい・・・http://www.youtube.com/watch?v=Wf5X9j9dKzE&feature=related (10/11/13 00:38)
泥酔者 頑張った先に何か待っているでしょうか・・・ (10/11/12 13:59)
 もうちょっとがんばってください。おやすみなさい。半端な僕もお酒飲むの好きです。 (10/11/11 13:01)
いちろう そこまでいかないですが 似たような感じです 再起復活がんばりましょ (10/11/11 05:40)


 ■ 2010/11/03 (水) 人生で一番長かったあの日


最近、独り鬱屈としながら酒をあおっていると、昔のことをよく思い出します。

・・・その日、私は2交代制の夜勤日でした。
19:30から仕事だったので、昼過ぎには就寝して17時頃に起きるという状態でした。
いつものように13時頃に酒をあおって就寝の準備をしていると、実家から形態に電話が入りました。
いつもたわいのないことなので留守電にしたまま応答しなかったのですが、この日はたまたますぐに留守電を聞きました。
すると、母の声で「兄ちゃんが死んだって!早く来て!」と泣き叫ぶ声でした。
その瞬間、私の血は逆流し、全身の毛が逆立った衝撃にかられました。

兄と私はそれほど仲がよくなく、私が独り暮らしをしてからというもの何年も顔を合わせていませんでした。
兄は色々と問題をかかえており酒に溺れ、かなり精神的に不安定で危険な状態がもう何年も続いていました。
正直な話、兄はまともな死に方はしないのでは・・・という漠然とした感覚を持っていましたので、この電話の後、私は「遂にこの時が来てしまったか」という感想でした。

私は泥酔状態にもかかわらず、すぐさまバイクで兄の遺体が収容されているという警察署に急行しました。
ロビーで待っていると、父母と次兄一家がやってきました。
まず、私と兄で兄の遺体に面会しました。刑事ドラマで見るような、まさにそんな感じでした。
薄暗い倉庫のような所で、粗末な毛布をかけられた兄の遺体は複数の警察関係者に囲まれていました。
数年ぶりに顔を合わせた兄は、以前よりも更に頬のこけた感じでした。幸いというか、額に傷があるものの遺体の損傷はそれほど激しくなく、一目で兄と確認することができました。

確認後、外に出ると母が「兄ちゃんだった?」と聞いてきました。私が「うん、間違いない」と答えると、母は義姉と姪に支えながら大声で泣き崩れました。

私は遺体との面会はとりあえず控えたほうがいいと思いましたが、母は会うと言って父と共に遺体に面会しました。

母は遺体を見るなり、「兄ちゃん何してるの!起きんかね!起きんかね!」と何度も体をゆすり、更に泣き崩れました。
父は、「この馬鹿が!この馬鹿が!」と力なく泣きながら兄の頭を叩いていました。

その後、私は一旦アパートに戻って実家に行くことにし、父母達は実家に戻りました。
遺体は司法解剖をしたほうがいいということで、葬儀まで警察に預けることになりました。

アパートを経由し実家に戻ると、私と次兄は葬儀の段取りなど様々な手続きについて話し合いを始めました。

・・・その日、兄は昼過ぎからの出勤だったようです。部屋には不在だったようですが、昼からの仕事前に医者に行くことが度々あったらしく、その日に不在だったのにも通院だろうと思い、いつも通り弁当を作って待っていたそうです。

炊事場に行くと、熱冷ましに蓋を開けてままの兄の弁当がそのままに置いてありました。
二度と兄の口に入ることのない弁当・・・この弁当を見た瞬間、この死が全く予期されていなかった死であり、死んだという現実を鮮烈に私の頭に焼き付けました。

・・・フィクション、ということにしておいてください。一応・・・


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めとろん 読ませていただきました。 (10/11/03 21:59)
サイコロ 了解 (10/11/03 20:27)


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