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無色の妄想日記タイトルを変更しました。 現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。 ありがたいことです。 旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。 今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。 残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。 ただ・・・それだけ。 |
■ 2014/12/28 (日) 言葉と感性と民族性と土地 |
河合隼雄著「日本人の心を解く」より引用 p109
竜との戦い 次のエピソードは、浦島太郎の物語についての西洋人の典型的な反応を明らかにしてくれる。ロシア人の人類学者であるチストフが四歳になる孫の男の子に浦島太郎の物語を読んで聞かせたたときのことである。 チストフが竜宮の描写を呼んでいると、男の子は興味を持たず、何か別のことを期待している様子であった。チストフは孫に何を考えているのかを問うた。すると、孫は主人公がいつ宮殿にいる竜と戦うのかと尋ねた。なぜ主人公が竜と戦わず、お姫様とも結婚しなかったのかが少年には理解できなかったのである。 竜宮、すなわち竜の宮殿と聞くと、西洋人はそこから竜との戦いを連想する傾向があるのに対し、日本人はそこから竜宮の美しさを連想する。竜宮の美しさは、ある類語では以下のように記述されている。 「まず東の戸を開けて見れば春の景色のようでした・・・・・略。」 ロシア少年のように読者が退屈するかもしれないのでこれ以上は物語を続けないがことにするが、ここから先も西の秋と北の冬の景色の長い描写が続いていく。四歳の男の子が、竜との勇壮な戦いの変わりに、花、鳥、霞、露、雪のことを聞かされて、いかに退屈したか想像がつくことであろう。宮殿が竜宮と呼ばれていること以外に竜については何も語られないので、竜はいったいどこにいるのかをいぶしがられるかも知れない。どこにいるのかはわからないけれども、日本の昔話における美しい自然についての長い描写は、西洋の昔話における竜との戦いに相当するものであると思われる。 西洋の物語においては、主人公は竜を退治して、その後に娘と結婚する。結婚は対立物の結合の象徴であるとされている。日本の昔話において結婚があまり重要な役割を演じないのは確かである。しかしながら、四季が同時に共存することは、対立物の結合の象徴でありうる。西洋と日本における象徴の使い方に際立った対比が認められるのである。西洋の象徴が人間から構成されるのに対して、日本の象徴は自然から成り立っている。このことを考慮すると、竜の殺害は自然の破壊を意味することとなるかもしれないのである。 男性的自我と英雄的確立は、母なる自然の破壊を引き起こすかもしれない。とはいえ、日本の昔話において竜との戦いが欠如していることは、日本の昔話が西洋の昔話に比して優れていることを示していると主張するつもりはまったくない。 ・・・・略。 引用終わり。 日本人の思考には「自然」すなわち「花鳥風月」が、無意識のうちに大きなウエイトを占めている。まさしく自然的な思考ができている。が、その思考も教育、経済的発展などで、西洋化した思考に偏り始めている。日本人にとって、大きな捩れが思考にでき始めている。自然との共存が普通の思考であったものが、人工的なもの、お金が優先することで、自然の破壊が進み、ひいては、日本人の思考自体の破壊につながっている・・・のではなかろうか!?その反動が、現在出てきている。ものの考え方が唯物主義になっている。 カラスがごみを漁り、ごみを散らかすのでけしからん!と、網をかけたり、カラスの巣を撤去する。カラスなどの鳥たちは、生きるために食べ物を探しているのです。そのような状況に追い込んだのは人間なのです。 人間の乱開発により、餌場、住処を奪われた鳥たち。 狭い空間に押し込められて、えさの奪い合いをする羽目になる。すると、力の弱い鳥たちは数を減らしたり、姿を消すことになる。すると、その鳥たちを捕食していた猛禽類が数を減らしたり、姿をけることとなる。すると、中間層のカラスたちが数を増やす。すると、人間はけしからんという。自然の循環の破壊。その原因を作ったのは人間。まさしく、原因と結果の循環です。 思考の西洋化で、日本民族、大和民族の特性が失われてきているのではなかろうか。男性原理と女性原理。大和の民の脳みそは左右が逆ということも言われている。一般に左脳が計算、右脳が感覚といわれているが、大和の民は逆。根本的に異なる民族を、画一化の方向により、西洋的な思考に向かわされている。言葉、感性を同じように仕様としている。歪みが出てきて当然です。 一人ひとりが、ご自分の脳みそをご自分で使い、考え、感じ、判断できるように再訓練が必要なときではなかろうか。 ちょっと余談だが、私は鳥たちにえさをやっている。 次第にカラスたちが集まってきて出した。が、下宿前のごみ集積所を荒らすことは少なくなっている。現在ではほとんどない。(春から初夏にかけては鳥たちも子育ての時期だから、鳥の親も必死です) 阿武隈川のほとりにカラスたちが多く集まりだした。鷹も来ている。 その様子を地元の人たちがうわさをしているようだ。以前、市役所に訴えるぞ!という人がいたようだが、市役所の担当は来なかった。 人間の力に抗すべき力を持たない鳥たち。食べ物がある所に集まる。 人間が抗すべき力を持たない自然災害。大きな自然災害においては、避難所に人間は集まり助け合う。どこが違うのでしょうね!? |
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■ 2014/12/27 (土) おぼちゃん細胞騒動記 妄想的総括 |
おぼちゃん細胞(STAP細胞)は決着がついたようだ。
私はおぼちゃん細胞肯定派で、妄想日記をつけてきた。私なりに総括をしたい。 意識はエネルギーである。 この事は再三メモしてきている。 4月位から取りざたされ始め、はじめから否定的な論調が紙面を、テレビ・ラジヲのニュースでにぎわしてきた。はじめから否定のための否定の姿勢を一貫してきている。それに伴い、小保方女史を貶めるニュースが取り上げられている。今日の読売新聞には、「STAPはES細胞」と見出しがあり、理研は調査を打ち切るとしている。 表の動きと裏の動き!? 最初から大きな圧力がかけられてきた。ニュースによると(たまたま・・・という必然的に聞いた)、取材という名目で追いかけられた。そして、小保方女子はホテルに逃げ込んだという。表に出ない圧力が大きく働き、そして・・・指導教官の不自然な「死」。小保方女史の意識が大きく波打っていることと思われる。当然である。効果的な演出が広げられ、自身の肉体の危険性・・・「死」を感じさせられたのですからね。 動きの早いこと。 次から次に手を打ってくる。それも効果的な手をね。慣れたものです。 小保方女史の意識はズタズタにされていることでしょうね。 素粒子の振る舞い 「素粒子は、物理数式上の何らかの物理量の存在の諸確立(諸可能性)の必然法則に従う変化を示す波(波動関数)として記述されるが、その波を観測・測定すると、諸可能性の中の一つだけが確定値として観測・測定されると同時に、その波は消滅し、変わってまったく異なる新たな諸可能性変化の波として記述される状態が出現する。」 という。 「意識はエネルギー」ということを再三メモしてきている。ある一定の周波数波動を当て続けることにより、形質変化が起きることが確認されている。たとえば、高圧電線下に居住する人は「脳腫瘍」の多発が確認されている。最近のニュースでは、ある一定の薬品に曝された従業員に「胆管癌」が発症して、問題になっている。多くの事柄にこのことが当てはめられるのではなかろうか。薬品の物理的な作用ならば、一部の細胞損傷にとどまるのではなかろうか。以前にも、「公害」「環境ホルモン」などを提示したがね。全てと言って良いほど、「外部刺激」による遺伝子的発症が起きる。 波動・・・この事は、すべての物、人、人以外の生物、無生物と定義されている存在からも出されている。そして、科学者から発せられる意識波動が、実験経緯にどのような影響があるのかは”ある研究所”では明らかになっているのではないか!? 「素粒子の振る舞い」で説明したように、はじめの意識波動の影響で、その後の経緯は変わってくる。 散々意識状況を混乱させられた小保方女史。 とある勢力にとっては思う壺ですね。 しかし、小保方女史が投じた一石による波紋は、広く広がり、心ある研究者、今後、科学者を目指す子供たちの意識によき影響を与えることでしょう。それが、真の人類の進化に貢献することと信じてやまない。龍神の魂を引き継ぐ龍人族である大和の民。倒されても、倒されても起き上がり、人類の真の進化に一歩でも、半歩でも歩むことを宿命づけられている。 長々とメモしても仕方がないから、これで、私の総括としたい。 |
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■ 2014/12/12 (金) 日々雑感 |
相変わらず穏やかな日々をすごしている。
腸のほうも快調です。快調すぎて血液が噴出した。いわゆる下血です。 寒くなってきた。 四国の徳島県では、豪雪による被害が起きている。あまり雪が降らない地域だから、積雪計もないから、実際、どのくらいの積雪なのかはわからないようだ。被害にあわれた住民の皆様にはお見舞い申し上げます。 ただ・・・ちょっと気になることがある。 9月26日 記事アップ。 9月27日 御嶽山噴火。 2014年の御嶽山噴火では、2014年(平成26年)9月27日11時52分(日本時間)に発生したとされる、長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山(標高3,067m)の噴火について、・・・・略。 ラジヲでニュースを聞いたとき、不思議な感覚に包まれた。この時には意味がわからず、忘却のかなたに流れた。 11月21日 記事アップ。 11月22日 長野県で震度6弱の地震。 2014年(平成26年)の長野県北部地震は、同年11月22日(土)22時8分頃、日本の長野県北部、北安曇郡白馬村の北緯36度41.34分、東経137度53.27分(高戸山)付近を震源として発生したマグニチュード6.7(暫定値)の地震。 この地震で”ハッ!”とした。もしかして、9月の御嶽山のニュースを聞いたときの不思議な感覚は・・・!? そうすると、明日、12月13日に何か起きるか!? 私は災害が起こることを期待しているわけではない。が、不思議な感覚が気になる。この日本の波動と私の感覚的波動がシンクロしたか!?それとも、日本の龍脈と繋がったか!?という思いが過った。それとも、HAARPでも動かして、日本政府を恫喝しているか!?明日には解る。 あらゆる変動は、人間にとっての災いならば災害といわれる。しかし、その原因を創ったのは人類。原因と結果の現象です。現在、地球規模の気象、地殻変動が起きている。何も日本だけではない。 衆議院選挙 私は、今回の選挙は重大な選挙になると感じている。 多くの人は、現在の国会議員がどのような人々で構成されているかを理解しているのではなかろうか!? 今だけよければよい! 自分さえよければよい! 混乱と破壊が出来ればそれでよい! という、妖怪議員、スパイ議員、魔女議員、魔男議員・・・等々が日本の国政の席についている。 前にも書いたが、「倭の民の国の 大和の民による 地球人類のための国創り」の体制が出来るか!? 安倍さんや麻生さん、菅さんは大きな圧力を受けている。 その圧力に耐えうる魂の方たちと感じている。だかといって、傍観はよくない。意識の応援を送らなければならない。安倍さんは色々と言われるが、安倍さんは「国家百年の計」という言葉を口にされている。簡単には口に出来る言葉ではないと思う。日本は「言霊」の国です。 だからこそ、巨大な意識の力を秘めている大和の民の応援が大切になる。 この選挙で、暴走党の何でも自由にやるぞという体制を変えなければならないと思う。だからといって、無責任党には任せられない。ましてや、ギャンブル合法化、集団的自衛権の行使を積極的に進めて、大和の民の殲滅を画策している暴虐党など論外である。 一人ひとりがよくよくお考えの上、投票することが、今、本当に大切なのではなかろうか。 集団的自衛権の行使の容認 「憲法解釈の変更」。 この言葉には非常に引っかかるものを感じている。 聖書では、「一字一句変えることは出来ない」ということが明記されている。ならばと、解釈を変えて、宗派が乱立し混乱している。 私は、欧米のキリスト教の影が見え隠れしているものと感じてならない。日本国憲法は、日本人が作ったものではないという見解で、日本人の手によって作り直そうとする動きもある。しかし、世界に冠たる平和憲法です。簡単に変えることなど出来ない。自民党は、憲法を作り替えるということを言っているようだがね。 国民一人ひとりが、意識の自立を目指すならば、憲法を変える必要も、作り直す必要もないのではなかろうか。 日本人、大和の民だけではなく、世界各国の人々の意識の自立が大切になる。その魁となるのは大和の民。倒されても、倒されても、起き上がり、一歩でも、半歩でも前に進む宿命を背負っている民。龍神の魂を引き継ぐ龍神族。それが倭(大和)の民。 その民の国を破壊しようと、混乱と破壊の中心としようとしている勢力がある。 ギャンブル合法化 「経済」とは・・・!? 以前メモしたが、ウッキペデアより引用 「・・・「経済」は、漢語では、世の中を治め、人民を救うことを意味する経世済民(若しくは経国済民)などの略語としても使われた。「経国済民」の初出として、しばしば晋の葛洪の『抱朴子』が引かれるが、馮天瑜によると正しくは「経世済俗」である[4]。・・・」 引用終わり。 経済は、その国の人の力により成り立つものではなかろうか。まず「経済」(単なるシステム)ありき、「お金」ありきの考えは本末転倒である。目先の「お金」ほしさに、ギャンブル合法化を目指している議員が存在している。この日本にギャンブル場を作り、治安の悪化、貧富の格差の増大、人心の荒廃、社会の荒廃を目指しているようだ。まさしく、今さえよければよい!自分さえよければよい!の典型ではなかろうか!? 社会の荒廃、人心の荒廃に続くものに目を向けようとしない。混乱と破壊が目的だから仕方がないけどね。「国家百年の計」の元、時間はかかろうが、日本本来のものつくりの体制を復活させるよう努力すべきではなかろうか。現在の、「大量生産、大量消費、大量破棄」の「経済」から、本当によいものを、長く使えるものを創る。日本はそれが出来る土壌を持っている。その事に注目し、復活させるべきではないか。私はこのように考える。「もったいない」という言葉を思い出すときにきているのではないか。しかし、現在の便利さ、豊かさのレベルを落としたくないという人が多いのでしょうね。 身体の声 鼻血〜全身倦怠感〜骨のきしみ〜下血・・・と現れている。しかし、どれも一時的なもの。下血も、一日、二日と出たが、三日目は食事制限をしたから排便はない。四日目はみた目は普通の便。 身体の声が大きくなってきている。そろそろ地球学校からの卒業が近いか!?しかし、どの症状の時も、”ドキッ”とするような精神的な動揺はない。特に下血の時には、噴水のように出た。便器がまっかっかであり、その後も赤い糸を引くように流れ落ちた。それでも、客観的事実を見ている私がいる。そして、時たま感じるのだが、私の中のもう一人の私が”ニヤリ”としているのを感じる。この感覚は、確か青森の道の駅でも感じた。暴風雪の中を歩いて道の駅にたどり着き、無断で一泊の宿をお借りした夜だったか。 まあ〜このような状況になることは覚悟のうえで着ているからね。私の今生の課題が終われば、尻に帆を掲げてトンズラする。最後にして、最大のイベントです。 この様な時に思い出すのは、「エリザベス・キューブラー・ロス女史」ですね。 ウッキペデイアより引用 エリザベス・キューブラー・ロス(独:Elisabeth Kübler-Ross、1926年7月8日 - 2004年8月24日)は、精神科医。死と死ぬことについての画期的な本(『死ぬ瞬間』)の著者 。 その中で彼女は初めて今日死の受容のプロセスと呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」を提唱している。まさに死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や悲哀の仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られる。 私財を投じて死に向う患者のための施設(センター Center)を開設し精力的に活動を行なった。現在、この活動はホスピス運動の嚆矢のひとつと考えられている。彼女が、ホスピス運動を創始したわけではないが、それを推進した人々は、まさに彼女によってこの運動がいのちを与えられたのだと異口同音に語っている。 晩年にはエイズ患者へのかかわりを深め、エイズ患者のための新たなセンターの開設を計画したが、そのために近隣住民との深刻な軋轢を生み、最終的に拠点センターの閉鎖、移転を余儀なくされた。拠点センターは原因不明の火事により全焼したが、彼女はこの事件を対立する住民による放火であると認識していた。 1995年に脳梗塞に見舞われ左半身麻痺になった。その苦悩を2002年、アリゾナ・リパブリック紙のインタビューで語っている。2004年にアリゾナ州のスコットデールの自宅で亡くなった。 エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表したもの。以下のように纏められている。すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いている。 否認 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。 怒り なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。 取引 なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。 抑うつ なにもできなくなる段階である。 受容 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。 引用終わり。 幸い、私は「シルバーバーチの霊訓」の知識を選択した者。あの世スレッドや、雑談でもよしがのスレッドに講釈をメモしてきている。今更慌てる事もしないような精神状態になっているようだ。やはり、あの旅で何かが変わったのだろう。 よく言われる「死の恐怖」。「死」に対する恐怖ではなく、「死」に至る苦痛に対する恐怖ですね。私は新たな世界への「ワクワク感」がある。 |
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やまと 夜曲さん そう簡単にはあちらに迎えられそうもありません。まだ始まったばかりですからね。貴方が縁ある魂ならば、時の接する所でお会いしましょう。コメントありがとうございます。 (14/12/12 22:26)
夜曲 死は神様からのご褒美と書いてる人もいましたね。もちろんどう生きたかによりますが。放浪者さんご健在でなによりです。僕はあの世スレからあなたに関わってきたものです。できればいつまでも生きていてネットに現れてほしい。 (14/12/12 21:54) |
■ 2014/11/21 (金) 日々雑感 |
穏やかな時を過ごさせて頂いている。
ありがたいことです。 大家さんは相変わらず良くして下さる。バス停のごみを整理していると、老婦人が近づいてきて、「毎日ご苦労さん」と、缶コーヒーをいただいた。以前は、自転車に乗った男性から「ご苦労さん」と、缶コーヒーをいただいた。下宿に迎えに来る(下宿のおっさんの仕事の迎え)社長さんから、「あんた見られているよ」と、忠告!?された。 良くも悪くも注目されている。 私としては、“ひっそりと潜伏”しているつもりなのだがね・・・。 今日、衆議院が解散した。 ラジヲで始めて万歳の声を聞いた。 さて・・・国会議事堂の中の妖怪人間、スパイ、魔女、魔男供を落選させて、”倭の、大和による、地球人類のための国つくり”ができる体制を築く事ができるかどうか!?なんか、今回の解散はやまとだけではなく、人類にとって非常に大きな意味を持つものだという気がしてならない。このことはちっほけな民族意識からではない。非常に大きな時代の転換期に差し掛かっていると思われてならない。 ラジヲを聞いていると、大阪の橋元さんが大阪市長をやめて、大阪知事とともに国選選挙に立候補するというようなことを言っているとのこと・・・!?本当か!? 大阪知事を途中でやめ、子分に引き継がせ、先の”民意を問う”というわけのわからない選挙で、「落選したら、大阪知事とともに去る」とか言っていたね。これらの言葉から、「組織的、計画的に」動いているということを、橋元さんは”公言”しているのですよ。 派手なパフォーマンスで聴衆(愚民かされた大和の民)を魅了し、派手に動き回り、欧米系と目されている石原さんに近づき、維新の会なるものを作り上げる。大阪市長の仕事はやっているのかね!?これらの動きを見ていると、混乱と破壊の種をまいているとしか思われない。 私は、在日の心ある反日の人々に問いたい。 あなた方は、混乱と破壊の世界を目指しているのか・・・と!? 自分の脳みそを自分で使わず、刷り込まれる知識を盲信し、日本はけしからん!大和はけしからん!と、いいたい放題、やりたいほう題している。私はそんな連中をいやというほど見てきた。多くのところに入り込んでいる。その連中の中には、「わからなければ何をやってもいい」「相手の弱みを見つける」ということを平気で公言する連中がいる。 今さえよければ、自分さえよければ・・・という考えに執着している。 あなた方が刷り込まれた慰安婦問題。 それでは、あなた方の国の事情はどうなのか!? 以下、ネットで調べればわかることをコピーする。 ウッキーペデアより引用 韓国軍慰安婦(かんこくぐんいあんふ)、または大韓民国軍慰安婦 (だいかんみんこくぐんいあんふ、한국군위안부、대한민국군위안부、Korean Military Comfort Women[1])とは、日本が大東亜戦争で無条件降伏した後における韓国軍と在韓米軍や国連軍を相手にした慰安婦。朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国はアメリカ合衆国を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする国連軍も利用した。現在も坡州市のヨンジュコル(용주골、en:Yong Ju Gol)[2][3]などに存在している。 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、朝鮮戦争中は「特殊慰安隊」[5][6][7][8]または「第5種補給品」[5][9]とも呼ばれた。 朝鮮戦争後は「美軍慰安婦(美軍はアメリカ軍のこと)」[10]「国連軍相対慰安婦(UN軍相對慰安婦)」と呼ばれた[11][10]。 韓国では、「慰安婦(위안부)」という言葉は、1980年代までは主に米軍・国連軍慰安婦の事を指しており、日本軍慰安婦はほとんど問題になっていなかった。しかし1990年代に日本との問題が大きくなってからは、「慰安婦」という言葉は、日本軍慰安婦に対して使われるようになり、米軍・国連軍慰安婦に対しては使われなくなった[12]。 ほかに蔑称の意味合いもある「洋パン(ヤン・セクシ)」[9]「洋公主(ko:양공주、ヤンコンジュ、ヤンカルボ)」[13][9][7]、また毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」[13]、ベトナム戦争時は「ディズニーランド」とも呼ばれた[14]。また米兵を相手にするフィリピン人慰安婦を「ヤンキー売春婦」「コメで動くチビ茶色のファッキンマシーン」などとする蔑称もある[15]。ほかにジューシーガール(juicy girls)、バーガール(bar girls)、ホステス(hostesses)、エンターテナー(entertainer)という言い方もされる[16][17]。 「挺身隊(정신대)」[18]・国軍挺身隊とも呼ばれた。 これらの英語表記はcomfort womanであり、日本語の慰安婦の英訳と同一である[13]。英語では韓国軍・在韓米軍慰安婦は一般にKorean Military Comfort Womenと表記される[1][13]。 もっとも朝鮮戦争やベトナム戦争におけるこの種の行為について韓国内では全く議論になっていないため、韓国最大手の新聞朝鮮日報でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。」との記事を執筆するレベルの認識にとどまっている[19]。 保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件[1][2]。被害者は少なくとも20万人から120万人とする主張もある[1]。 韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた[3]。 日本の敗戦時、朝鮮の抗日勢力においては民族主義者の潮流が衰退し、共産主義者が各地で主流を占めていた。李承晩率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力に対して弾圧を行い、1948年12月1日、国家保安法を制定。1949年6月5日、要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織し、翌年にかけて末端組織を全国に拡大した。 「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労党暴露粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録されたほか、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。保導連盟に登録食料配給がスムーズに行われたため、食料目当てに登録した人々も多かったといわれ、警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げるために無関係な人物を登録することもあったともいう。 ・・・・・略。引用終わり。 私は、あなた方を過激な反日に嗾けるということはしたくない。が、歴史の事実は事実として認める必要があるのではなかろうか。現在の韓国の大統領は、「日本は反省が足らない」「韓国民は千年は恨みが消えない」・・・等々、過激な発言をしている。韓国民は情報統制において、反日に洗脳されている。韓国(中国でも)では、反政府的な言動を取ると「人肉捜査」で迫害を受けるとのこと。心ある朝鮮族の人々に問いかけたい。あなた方は、混乱と破壊の世界を望むのか。私は、過去の出来事は出来事として直視しながら、「人は違って当たり前、民族も違って当たり前」ということを前提とし、お互いに協力しながら、学びあいながら、「共生と分かち合い 平安と創造」の世界が築けないものかと思う。 あなた方に、反政府的な言動を煽動しているのではない。 そんな行動に出ることなく社会を変える方法がある。 それは、再三大和の民に言っていること。 「意識の自立」です。 意識の力は絶大です。物質の力を凌ぐ。かの組織はその事を熟知しているがゆえに、「宗教」「スポーツ」「セックス」「スクリーン」・・・に意識を向けさせて、その意識エネルギーを吸い取っているのです。 だからこそ、誰にも相談することなく、今までの”社会的な知識””常識””教義”などを横において、何が正しくて、何がそうでないのかを、誰一人例外もなく持っている「理性」を判断基準となし、自分の脳みそを自分で使い、考え、感じ、判断できるようにならなければならない。この事には大きなリスクが伴います。それは、”責任転嫁できない”ということです。今までならば、こう教わったから、あの人がこのように言っているから・・・と、責任転嫁ができた。それが出来なくなる。大きなリスクです。しかし、意識の自立を目指すならば、生きた人間として自分自身を保つ必要がある。 このことは、反日の人ばかりではない、世界中の人に訴えかけたい。 多様性の世界。 人は違って当たり前。民族も違って当たり前。宗教は・・・!? 中東のエルサレム。 一つの聖地。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地。 その聖地が混乱と破壊の中心地になっている。させられている。 そして、私的にはもう一つの聖地。 極東の島国日本。 この日本を中心に混乱と破壊の種が目を吹きかけている。 今回の選挙で目を摘み取ることが出来るか!? 鼻提灯をぶらさげて惰眠をむさぼっている大和の民。 マスゴミノ異名を取る諜報機関に誘導されている民。 ええ加減に目を覚ませ!? ところで、国連という組織。 その事務総長。自国のこのような歴史をどのように思っておられるのか!? 指導顔で「ヘイトスピーチをやめよ」と指導しているようだがね。国連の常任理事国がどのようにしているのか!? 我が大和の国日本には、このような諺がある。 「その身正しければ、令せずとも従い その身正しからざれば、令するとも言えど従わず」 さてさて・・・!? 「除染しました」の看板から転載 開成山公園 地上50cm 10月7日 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.12μSv/h 広場中央 2.45 → 0.19 広場中央 2.49 → 0.18 幼児広場中央 2.70 → 0.25 開拓者の群像前 2.42 → 0.13 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.13 後方広場中央 2.92 → 0.35 バラ園入り口 11月7日 除染前 2.06 → 0.12 広場中央 2.45 → 0.23 広場中央 2.49 → 0.17 幼児広場中央 2.70 → 0.23 開拓者の群像前 2.42 → 0.13 八角堂中央 2.67 → 0.13 児童公園中央 2.73 → 0.14 後方広場中央 2.92 → 0.36 バラ園入り口 五百淵公園 地上50cm 10月7日 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.26μSv/h 11月12日 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.28μSv/h 麓山公園 地上50cm 10月8日 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.30μSv/h 11月12日 1.64 → 0.31 酒蓋公園 地上50cm 10月8日 除染前 2.47μSv/h → 現在 0.35μSv/h 11月12日 2.44μSv/h → 0.19 (除染前の値がいつもと異なっている。別の門に立っている看板からの転載) 21世紀記念公園 地上50cm 公益財団法人 郡山市観光交流振興公社 10月22日 除染前 2.07μSv/h → 現在 0.40μSv/h 11月5日 2.07 → 0.44 9月29日 歯が痛い。 ご飯を食べているとき、脳みそに突き刺さる激痛を感じた。右の奥歯。口の中と脳みそが痺れた様な激痛。 歯という一部が暴れだすと、とたんに味覚がなくなり、食欲がなくなり、全身のバランスが崩れる(一は全 全は一)。循環と調和。 細胞一つ一つが集まって全体を形作っている。 一箇所の循環、調和の乱れが全体に響き、全体の調和の不全が一つの細胞に影響をする。 まいった〜。歯が痛い・・・。 9月30日 歯が痛い。腫れて来た。片お多福の様に腫れて来た。首の調子も悪い。身体全体の調子が悪くなると、ダンボールで作ったベットのかすかな傾き、普段では気づかない傾きが非常に気になる。寝れない。余計に調子が悪くなる。これも学びか・・・!? 歯が痛く、右の首筋から右肩がこる。不愉快なほど気分か悪い。 首を動かすとボキボキと鳴り、余計に気分が悪い。寝れないから余計に調子が悪くなる。 下宿の前の駐車場を掃除していると、自称「仏教研究者」なるご婦人が来た。そのご婦人に現在の状況を説明すると、「びわの葉」と「竹ずみ」をいただいた。ありがとうございます。そのご婦人も現代医学を否定的に見ておられる。私自身、20年あまり病院で働いてきた。医学は信じていない。というか、現代の医学はおかしい。病気を根絶するのではなく、病気を増やしているように感じる(感じるのではなく、実際増やしている)。あほらしくてやってられん。 しかし・・・歯が痛い。 10月1日 昨夜は寝れたようだ。 「びわの葉」のお陰か!?頂いた「びわの葉」の波動と、私の肉体の波動がシンクロしたのか!?ありがたいことです。 右頬は腫れている。 しかし、睡眠が取れたことで、少しはしっかりと状況を判断出来るようになっている。 右肩のこりは楽になった。 睡眠が取れることで、身体自体の調和が、微調整がなされたと思われる。免疫系も活性化される。 右ほほの腫れのほか、右の扁桃腺も腫れている。口が開かない。つばを飲み込むとき、コーヒー、お茶を飲むときにしみる。 このような時はじたばたしないでゆっくりと過ごす。無職の特権。 まあ〜絶食になっても、過去、最長40日の断食経験があるからね。 10月2日 昨夜はあまり寝れなかった。昼間寝ていたせいか。百薬の長もあまり効かない。 まあ〜・・・・いいか。 寝汗。風邪を引いたか!?気持ちの悪い寝汗をかいた。よほど身体のバランスが崩れているようだ。寝ていても、上半身は寒く、下半身は暑い。右ほほの腫れは持続していて、疼いている。 10月3日 右ほほの腫れ、疼きは引かない。蒔いた種だから、成長したら自身で刈り取るしかない。 とほほほ・・・・。 10月4日 右ほほが一段と腫れてきた。 大家さんにシップを頂いた。一時はよかった。しかし・・・効き目がなくなると、猛烈に痛くなる。これが現代の医学の一端・・・と思うが、「溺れる者、藁をも縋る」の諺どおりである。 10月6日 夕方、何とか峠は越えたようだ。感覚的にわかる。 びわの葉と竹炭により、体内循環の調和が整えられたようだ。痛み、疼きも治まってきた。 食欲も出てきた。が、口はあまり開かない。 9時過ぎ、コンビニへ。 おでんとタバコを買い求めてきた。 10月9日 寒露。皆既月食。 月食を見た。 図書館の帰り、阿武隈川の遊歩道。なかなか神秘的なものである。夜の散策に出てきたご婦人に出会った。びわの葉をいただいたご婦人である。いろいろと話しながらの観月である。 10月12日 なんか不気味な夢を見た。 交通事故の夢。それもうろ覚えながら、繰り返しての夢。登場人物、現場は異なる。 最後の夢の事故は、交通事故にあい、腹から下が損傷しているのにもかかわらず、壁を登っている。ゾンビか〜!? 10月13日 周期的なものか!?体調不良。 さばの水煮を食べた。吐いた。身体が受け付けない。寝てすごす。台風が来ているからね。 10月14日 毎回一日で復調する。なんなんだ〜!? 体内で何かの変化が起きているのか!? 10月15日 福一で25万ベクレル以上の放射能が検出されたとのこと。徐々に情報を出してくるね。 下宿の掃除をしている途中、胸を締め付けられるような苦痛を感じた。左右から胸を締め付けられるような感じ。息苦しさはない。これはやばい!という意識的な刹那感もない。冷や汗もない。肺ではない、心臓でもない。と感じストレッチをする。締め付けられるような感じは薄れる。う〜ん、大胸筋の痙攣か!?初めての体験。 風呂に行った。うどんと豆腐を買い求める。 10月16日 未明、足裏が船に乗っているような感じを受ける。 船が上下に揺れて足裏に圧迫を感じるような感じ。足は第二の心臓といわれる。足裏の鼓動音か!?気持ち悪いものではない。 うとうととしていると夢を見た。 お金を盗まれる夢。別にあわてている感じではない。いやな感じもしない。さてさて・・・と思いにふけっている。 10月17日 夢を見た。 蛇を調教しているような集団。ほとんど女性。男性がいたようには感じない。よく覚えてはいない。蛇の頭のつかみ方やえさのやり方などを幼い子に教えている。 途中、目が覚めてトイレへ 寝ると夢の続き。 幼い子が蛇にかまれる。私もその集団の一人らしい。私は蛇は苦手である。 う〜ん、私の中のアニマが現れたか!? しかし、途中で目がさめ、また寝ると続きを見るか!? 夢とは!?フロイトとユングは夢の解釈の違いから袂をわかったとか!?まあ〜いいか。 10月21〜22日 下宿でごろごろ。 体調は良好なれど天気が不良。雨露凌げる場所があることのありがたさを感じる。 10月23日 図書館で源氏物語を読む。 10月24日 ラジヲのニュースを聞いていると、国会で”うちわ”がどうとか議論をしているようだ。政治家も暇だね。まあ〜裏方が動いているからね。 古事記(ふるごとふみ)をよむ。 10月30日 夢を見た。 いつもの光景と感じるような夢。 私は橋の下を両手でぶら下がり移動している。橋げたの所にくると、飛び降りて休む。 そこにボートに乗って二人の男性がやってくる。一人は黒人で、一人は日本人のようだ。黒人は英語で話しかけてきた。詰問調ではない感じだ。 ・・・・・ 場面は変わり、橋の上。 いつも行っているスーパーのレジのご婦人と話している。 介護の内容で、下の世話が大変だということを話している。私はそのご婦人を半島系と感じている。 ・・・・ わけのわからない夢である。 共通しているのは、橋、外人、親しく感じている。 夢とは、私の知らない私が演出しているとのこと。 ちなみに、私の腸はあいかわらず快調である。 11月1日 111の日。 不安が募る日が続いている。 町の中を歩いていても妖怪人間、魔女、魔男が闊歩しているように感じて仕方がない。 恐ろしいものである。人間恐怖症にでもなったか。人と話したくない。会いたくもない。歪んで狂った世界・・・と感じる。 だから・・・リセットを望むか!?私がトンズラすればいいことだがね。 逃避か!?妄想の世界へ没入している。 「古事記」を呼んでいる。 天岩戸の前で繰り広げられる騒動、アメノウズメノミコトノストリップ。それに浮かれる助平親父たちの神様・・・といったように感じる。 天照大神がご自分の顔を見たこともないのか!?ばかばかしい・・・。 中国の海賊漁船のニュースをしている。 ソマリアの海賊では、主要各国の軍が出動している。国連よ、中国の海賊漁船退治もやってくれ・・・と、言っても無理か。ソマリアも色々と囁かれているからね。 11月4日 天気は晴れ。 風呂に入りに行った。寒くなってきたので気持ちがよい。大広間でおにぎりを頂いた。ありがとうございます。帰ってきて、ごみ拾い。なべを作った。 11月6日 下宿の掃除。カラスのえさやり。大家さんへの支払い。 今日は天気もよく、気持ちもいいので大安場史跡公園へ。 太古の世界に思いをはせながら妄想する。小鳥のさえずりを聞きながらのんびりしている。また楽しい。 11月7日 風呂に入りに行った。 入浴後、大広間で休んでいるとテレビの音が雑音に聞こえ、耐え難く出た。 麓山公園でパンをやり、図書館で本を読んでかえる。 11月8日 夢を見た。 昔の知り合いがアベックで来た。辞職の相談。 途中、芸能人らしきアベックが来る。マスコミ関係者も来る、混乱。男性が女性を逃がそうとしている。目が覚める。 11月10日 今まで、自我(エゴ)丸出しで、ジタバタジタバタして来たのだと感じる。 私が背負っているものに関する魂たちとのコメディー。それが必要であり、その場がこの世界なのでしょうね。たまたま、偶然はない必然の世界。 この世界から抜け出すには・・・やはり自我(エゴ)を極力押さえ、自然の流れに沿って流れていく。そうすれば、目には見えない世界の同胞が道を創ってくれる。 11月11日 晴れ。 鳥たちにご飯をやりに行く途中、バス停のごみを整理していると、老婦人が近づいてきて、「毎日ご苦労様」と、缶コーヒーを手渡された。ありがたいことです。 やはり見られている。いい意味でね。 ある人からお米を頂いた。鳥たちのご飯をやっていることを知っている人が、「古い米だけど鳥たちにやって」と。私も食べている。 以前、食べていないという人にお米をあげた。その数倍のお米が入ってきた。 なんか、ここのところ、循環する時間が短くなってきているように感じる。 |
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■ 2014/09/26 (金) 言葉と感性と民族性と言葉 |
縄文時代。
一万年以上続いた縄文時代。大きな争いもなく、平和で安定した豊かな時代といわれている。 そこへ、大陸・半島からの避難民が押し寄せてきた。 避難民は侵略者となり、日本を侵略していった。日本の先住民たちは北へ、北へと(一部は船に乗り沖縄方面へと避難して行った。アイヌ民族と沖縄先住民の共通した特徴はいくつも認められている)追い詰められて行った。 大陸では王朝が変わるたびに大虐殺、大量逃散が繰り返されてきた。 では、現在の朝鮮半島といわれる所からの避難者はどのようなものなのだろうか!? 囁かれている所では、シベリアのエベンキ族が南下し、現在、朝鮮半島といわれる半島を侵略し定住したという。エベンキ族と現在の朝鮮族といわれる民族の共通する風習の写真を見たことがある。本当かどうかはわからないがね。そうなると、現在の朝鮮半島にいる民族と天皇家は関係がないことになる。北朝鮮には皇族の娘さんが降嫁したと言うことが言われているようだがね。真相は・・・!? この問題は別にして、大陸・半島からの侵略者は侵略と同時に、文化・文明・技術の流入を意味する。弥生時代といわれる時代には稲作、鉄器の製作が行われている。また、「国」という概念も入り、支配体制も入ってきた。 ここで、「言葉」について妄想してみたい。 通常、侵略を受け、「国」という支配体制下における「言葉」は重要な位置を占める。 支配と搾取の世界では、現代を見るまでもなく、「言葉」というものが支配体制を造り上げる上で重要です。 通常、侵略者民族の「言葉」がその社会の標準語となる。被支配民族は、支配者の「言葉」を強要される。支配するための行政組織機構も、「言葉」の統一がなければできない。 大陸と半島の言葉。また、南方系の言葉も現代の日本語には残っている。そして、京都の祇園祭に表されるがごとく、中東の言葉も残っている。日本語とはいったいどのような言葉なのか!? 太古の言葉と現代の言葉を単純に比較は出来ないが、侵略者同士の中でも争いが起こり、勝った方の言葉が使われるはずである。それでも、現代の日本語は世界でも特殊な言葉として扱われている。 ここで、大陸の民、半島の民、南方の民、中東の民の言葉は入り混じった「日本語」というものが創られたと考えると、非常に不自然である。日本に入ってきた侵略者同士の間でも争いはあったであろうが、それにしても不自然である。 そこで妄想すると・・・。 1 当時は世界的な共通語があったのではなかろうか!? 日本以外の地域では、その後、何らかの理由により、各民族の言葉が創られていった。 旧約聖書の「バベルの塔」も参考になる。 2 日本列島の固有の波動により、自然に日本独特の言葉を持つようになった。(どんぶ り理論・・・後述) 3 異世界の存在の介入 太古の時代は現代とは引きあくにならないくらい、宗教、呪術への依存心が大きかっ たと考えられる。異世界の存在による呪術者への干渉。(簡単に言えば、みんな仲良 く、言葉も揃えろ!と、指導される。) 4 アトランテイスから続く文明、文化、技術の秘匿のために、日本列島に存在する人間 の意識操作が行われた。 さて・・・妄想も過ぎるきらいがあるが。 どんぶり理論とは。 日本には”どんぶり”という料理法がある。 どんぶりという器に、ある程度料理した具材を入れ、蓋をし蒸らすことによりよりおいしい料理となる調理法。 それを日本列島という島国を”どんぶり”にたとえ、その中に色々な民族、文明、文化、技術・・・そして、言葉を入れて蒸らす。蒸らすとは、四界を海に囲まれた日本。外界と隔絶されることにより、独特の文化、文明、技術、言葉が出来上がる。 このことは、近代の「黄色いサルの猿真似」と蔑視されるような差別的表現にも現れている。 河合隼雄 著 「私が語り伝えたかったこと」p86より ・・・略 いわゆるジャパン・バッシングとして主張されたのは、日本人は他人の真似をしたり、改良したりして得をしている。その元になった大発見、大発明をするような個性を育てず、全体として他人の知恵を食い物にして経済的成長をしてきた。というのである。私は実際にヨーロッパ人から、「日本は人まねをして、とうとう一番になったが、一番になってからどこの真似をするのか」といわれたことがある。・・・・略 河合先生クラスの知識人でさえ、「差別的な思考」をしているものと感じる。西洋的といえばよいかもしれないがね。 「真似ではなく、技術革新」ということがわからない。というか、認めたくはないというのが真実ではなかろうか。”人まね”だけで、これだけ経済成長をするものであろうか!? まあ〜「言葉と感性と民族性と土地」のタイトルには、これ以上は関係が薄いと思うからこれまでにしよう。(STAP細胞にも大いに関係をする) 「黄色い猿真似」でも「技術革新」でもよいが、真実の進化というものは存在すると妄想している。どんなに妨害しようと、時間の問題とね・・・。 ちょっと話はそれたが・・・。 私的には、1〜4まで総てそれなりに当てはまるものだと感じている。 言葉と土地。そして、形創られる民族性。 四界を海に囲まれ、ひとつの地域の中で互いに影響を与え合えながら一つの文化を創り上げる。 島国は何も日本だけではない。 イギリス、ニュージーランド、フイリピン、インドネシア・・・等々と、数多くあるが、日本という国はどの島国とも異なる性質をその土地に持っているのではなかろうか。あたかも、日本列島という”どんぶり”の中に、地球人類の未来という・・・ものが・・・と、妄想すれば、また、何かと物議を醸すか。 この事は、大いなる意思の下に置かれたものではなかろうか・・・と、妄想している。 一概に「言葉」といっても、現代語と太古の「言葉」は異なっている。が、「言葉」の持つ”音”に含まれるものは、太古の意味を含むものではなかろうか。そして、この”音”はどの民族の「言葉」にも残っているのもではなかろうか。それぞれの民族の歴史を含む”音”の「言葉」。 |
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やまと 遺伝子の継承。勉学も技術も真似から始まる。真似ですが、両親の遺伝子を受け継ぐのです。多くの遺伝子が眠っている。科学の発達との関係に疑問を持っています。コメントありがとうございます。 (14/11/21 21:57)
めとろん 遺伝子の継承それ自体が真似なんだと思います。無から有となるものはない、つまり真似でないものなんて皆無であります。私たち個体自体が真似の産物。真似の得意な日本民族はこれからも地味ながら進化できる民族なんじゃないでしょうか。 (14/10/05 22:51) やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (14/09/27 04:15) 夜曲 放浪者さん元気そうですね。よかった。^^ (14/09/26 22:55) |
■ 2014/09/26 (金) 日々雑感 |
今日は9月26日。
今月は2回泊まりに来た。前回は、レンタルパソコンの具合が悪く、アニソンが聞けなくイライラし、長い文章を作っても「インターネットに接続していません」と(ええ加減にせえ〜怒)・・・。トホホ・・・であった。今日は、階が違うが、非常に気持ちがいい部屋である。パソコンを立ち上げて、早速ユーチューブで「宇宙戦艦ヤマト」を聞いた。フリーズもせず、最後まで聞けた。気持ちがよいものである。前回の分まで記事を書こうと思う。(しかし、ホテルのスタッフは、厳つい、いい年をしたおっさんが部屋に入るなりにユーチューブでアニメソングを聴いているとは思わないであろう・・・笑) 相変わらず穏やかな日々を送らせて貰っている。ありがたいことです。ほんとうにありがたいです。下宿しているおっさんたちはおとなしい(私以外に、ちょっと変わったおっさんもいる)。大家さんは相変わらず良くして下さる。お彼岸には手作りのおはぎをいただいた。何かと「これ食べ」と、もってきてくださる。ありがたいことです。 私は、相変わらず下宿の掃除をしている。 はじめは大家さんのご好意に対しての気持ちであったが、今は掃除をすることで、私自身の魂を掃除しているような気持ちになる。不思議な気分である。ゴミ拾いおじさんも続けている。ゴミ拾いもそうです。義務的にやっているのではない。ゴミ拾いは単なる気まぐれだが続いている。なんか、心の中のゴミを拾っているように思えてきている。なんか変な気分である(生臭坊主のようであるが・・・)。このような環境を提供してくださった魂の同胞、目には見えない世界の同胞に感謝です。 現在、全国的に子供をターゲットとした事件が続発している。 自身の魂を汚す行為。 自身の”良心(良神)”を奥に押し込め、自我が重石となっている人間。その自我の波動に共振・共鳴した”邪な存在”を近づけ犯罪に走る。本当に、自身の魂を汚している。 自身の魂に恥じない生き方とは・・・!? 「除染しました」の看板から転載。地上50cm 8月11日 開成山公園 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.14μSv/h 広場中央 2.45 → 0.26 広場中央 2.49 → 0.24 幼児広場中央 2.70 → 0.24 開拓者の群像前 2.42 → 0.15 八角堂中央 2.67 → 0.13 児童公園中央 2.73 → 0.13 後方公園中央 2.92 → 0.41 バラ園入り口 9月8日 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.15μSv/h 広場中央 2.45 → 0.22 広場中央 2.49 → 0.20 幼児広場中央 2.70 → 0.24 開拓者の群像前 2.42 → 0.14 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.14 後方広場中央 2.92 → 0.42 バラ園入り口 8月13日 五百淵公園 地上50cm 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.27μSv/h 9月9日 2.33 → 0.28 8月13日 麓山公園 地上50cm 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.29μSv/h 9月5日 1.64 → 0.30 8月11日 酒蓋公園 地上50cm 除染前 2.44μSv/h → 現在 0.19μSv/h 9月9日 2.44μSv/h → 0.18 8月20日 21世紀記念公園 地上50cm 除染前 2.07μSv/h → 0.42μSv/h 相変わらず放射能浴状態である。 へたれのあかんたれで虚弱体質の私は定期的に体調を崩すようになっている。”ぶらぶら病”の前駆症状か!?とも思えるが、一日で回復する。 ぶらぶら病 ウッキーペデアより引用。 体力・抵抗力が弱く、疲れやすい、身体がだるい、などの訴えが続き、人並みに働けないためにまともな職業につけない、病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高いなどの傾向をもつとされる[1]。 広島市への原子爆弾投下後、市民のあいだで名付けられ、医師の肥田舜太郎が被爆患者の臨床経験をもとに研究してきた。肥田によると、当時よく呼ばれていた"ぶらぶら病"の状態­が続き、医師に相談していろいろ検査を受けてもどこも異常がないと診断され、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶をもつ者が少なくないという[2]。 ぶらぶら病についての証言は、広島原爆投下時に宇品港の近くにいた岸本久三の言葉として、「広島でも“ブラブラ病”と言うとったんですか。そういえば語感がぴったりですねえ。私もこの原因不明の病気にやられてから仕事もすっかりやめ、毎日家にごろごろしているんですが、近所の人たちから“なまけ者”と言われているような気がして…」十数年前からの倦怠感、四、五年前からの痛み、吐き気を呈し、「医者も原因不明だというんです。名護の保健所で手に負えず、那覇では胃が悪いといわれて、とうとう開腹手術までやりましたが、結局、胃は異常なし。次は神経科へ回されまして……ノイローゼだろうということなんでしょうが。この痛みはだれにもわかってもらえません。」(一部略)「表面はじょうぶそうに見えるから、かえっていけない。手か足に傷でもあるほうが、世間の人にはよくわかってもらえるのに…」―狭い村のなかで岸本さんの“ブラブラ病”には、かなり気をつかっている様子だ、との記載がある[3]。 また全身倦怠感、易疲労感を中心とした症候群である「慢性放射能症」、「慢性原子爆弾症」(都築正男、「慢性原子爆弾症について」昭和29年2月『日本医事新報』第1556号所収)と一致、または重複する病態に対する、民間における呼称とも考えられる。 原爆投下時に、いち早く広島に入り原爆症の科学的解明と被爆者の医療および看護の基本方針を明らかにした都築正男教授(東京帝国大学医学部外科学)による報告では「広島および長崎で被爆したが、幸にして死亡を免れて生存し得た人々のうちに、晩発症として、白内障、白血病、再生不能性貧血(原文ママ;再生不良性貧血)等が発生していることは、すでに知られている。しかし、現在最も注目せられることは、私が「慢性原子爆弾症」と名づけることを提唱した病態であって、疲れやすく、根気なく、感冒、下痢などにかかりやすく、生気の乏しい状態を示すものが可なり多いことである。主として、放射能威力による内臓−骨髄、肝、腎、内分泌臓器、生殖腺等―の障害に基く機能不全、乃至機能変歪によるもので、その結果として生活予備力が不足することに基づくものであろうと考えられている。ビキニの灰を被ることによっても、類似の慢性放射能症が惹起せられ、抵抗力の弱いものとなる可能性があると思う。ただし、これ等の慢性症のことは、医学的になお未知の領域に属するものであって、今後、研究の進むと共に、その予防ならびに治療対策も考え得られることと思う。」と記載がある[4]。 1976年10月、日本全国の被爆者らによる「核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団」第二次代表団が国連本部を訪れ提出した全日本民主医療機関連合会「広島・長崎の原爆被害とその後遺―国連事務総長への報告」は、原爆症の後障害のうちでとくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」があるとして、実態を詳説している[5][6]。 日本国外では、"bura bura disease"(ブラブラ ディズィーズ、英語)として知られる[7][8]。 内部被曝や低線量被曝が原因との見方があるが、因果関係は立証されていない。原発労働者の倦怠感、湾岸戦争から帰還したアメリカ兵の"湾岸戦争症候群"、米国の大気圏核実験で被曝したアメリカ兵や、チェルノブイリ原発事故被災者に、症状が共通しているとの指摘もある[7][8]。さらに、アメリカ合衆国・ロシアなど旧ソ連諸国・中国のように、核実験場・原爆製造工場・原子力発電所がある国にはこの症状を有する者がいるが、どの国も医療者も、一貫してその存在を否定している、ともいわれる[9]。 引用終わり。 私はこのような引用をしているが、決して面白半分で福島の人を不安がらせたり、恐怖心を与えようとは思ってはいない。現実をしっかりと見、そして考えなければならないと考えている。何流かわからない学者のたわごとやマスゴミの異名をとる諜報機関、自分の懐さえ潤えばよいと考えている政治家(いみじくも「最後は金目でしょ!?」とほざいた政治家。政治家の本音ですね。政治家のスキャンダルは、結局金目ですからね)の言葉を信じていないだけです。お金に関しては私も旅の途中で地元の人から色々とお聞きした。 バランス 8月中旬から体調を崩した。 暑い日が続き、うんざりしていたところ、右足の付け根内側に出来物ができた。はじめは見るところ何もないが、痛い。ないかに噛まれたか!?と思い、注意していると腫れて来た。痛みを伴う腫れ。有痛性だから悪いものではないと思い経過観察。 次第に腫れて、表面の一部に膿が溜まってきた。う〜ん・・・様子見。 あまり大きくなると、切開して排膿しなければならないけどね。 8月23日。 トイレに行く途中、痛みと違和感を覚えた。トイレで見ると、血液が混じった大量の膿が出て、下着をべっとりとぬらしている。あたかも失禁したようだ。やれやれ・・・切開する必要がないから、ペーパーでぬぐい、部屋に帰って下着を替えた。 8月24日 破れた皮膚のところがひりひりするのでおとなしくしていたが、今日は全身の骨がぎしぎしと痛む。体がだるい。なんなんだ〜これは!?咳をすると腰骨に響く。まいった。 おとなしくしている。 ベッドに横たわり、「おぼちゃん細胞」の妄想を整理したり、枕元においてある源氏物語を読む。 体の調子は悪いが、意識的には悪くない。 8月25日 復調。 昨日の変調は何だったのだろうか!? また、張り切って掃除である。 8月27日 唐突に秋。 早朝、寒くて目が覚める。毛布を出しかぶる。 夢を見た。 軍隊(自衛隊)の夢。 喫茶店?でトーストを頼み、待っていると時間がかかり、帰隊時間に遅れる夢。 私はドキッとしてあわてて飛び出すが、間に合わない。集団行動ができない私。夢の中ではリーダーをやっていた。なんとも気まずい夢である。 9月4日 だるい。寝て過ごす。 9月11日 夕方から豪雨。 地球規模の自然循環の破壊だからね。気球規模の自然災害が起きている。 が、台風の動きは奇妙である。HAARPによる操作か!?困った連中である。TPP交渉を進めるための恫喝か!?と、妄想している。 9月24日 午後9時45分ごろ地震。 スパイ容疑で逮捕される夢を見る。 変に生々しい夢である。あまり覚えていないが、夢に出てくる人物たちの”眼”が特徴的であったことを覚えている。地震で目が覚める。 ・・・・。 天気のよい日は図書館にいったりと、できる範囲で歩き回っている。 下宿から歩いて30分位の所に「大安場史跡公園」がある。 天気のよい日には散策がてら行って、太古の世界に思いをはせながら妄想をしている。 |
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■ 2014/09/16 (火) 妄想 おぼちゃん細胞 |
8月中旬から体調を崩した。 夏バテか!?体がだるい。暑くてうんざりしていると、右足の付け根内側に違和感を感じた。見ると、なんともない。しかし、違和感というか痛みが増してきた。徐々に腫れて来て、痛みも持続的である。少し様子見。 腫れも痛みも持続的。 場所が場所だけに、何かに咬まれたとも思えないし・・・!?腫れも痛みも一向に引かない。咬まれたと思しき所に膿が溜まって来た。腫れも痛みも一向に引かない。切開して排膿しなければならないか!? 23日、出来物の所に痛みと、濡れた感じのべったり感を感じた。ちょうどトイレに行く途中であったので、トイレで下着の中を見ると、血液が混じった膿でぐっしょり濡れている。あれま〜こんなに大量の膿が溜まっていたのか!?漏らしたようにぐっしょりでなっている。患部を拭き、下着を取り替えて、破れた皮膚の所にテッシュペーパーを押し当て様子見。 皮膚が破れてヒリヒリする。皮膚の下の細胞が見える。歩くと擦れてヒリヒリするので、暫くおとなしくしている。 患部を見ていると、数日で皮膚が再生してきた。腫れも引いて、2週間ほどで元に戻った。痕はあるが、腫れも痛みもない。 さて・・・。 この傷における細胞修復過程を考えさせられた。 人は傷が出来ると体内の免疫が活性化され、侵入してきた黴菌やウイルスなどを攻撃し、排除するシステムがある。その後、損傷を受けた場所が再生される。この細胞修復過程を司る命令系統はどこにあるのか!? ・中枢か!?(脳) ・末梢か!?(各部位の細胞群) 私は、ある程度の損傷は、末梢の細胞群が独自の治癒システムを発動するのではないかと妄想している。損傷箇所の範囲、深度、細胞の総称程度を、損傷箇所の周辺の細胞群が連絡しあい、協同的な働きにより損傷箇所の修復を行っていると思う。 損傷箇所に遠い細胞郡は、黴菌、ウイルスの侵入を防ぐために腫れて防壁となり、近い細胞群は、化学物質を分泌し、白血球やマクロファージなどに救援を求め、黴菌やウイルスと戦っている。そして、戦いの残骸は膿となり、体外に排出される。 破壊された細胞はネクローシス(壊死)に誘導され、膿になり輩出され、体外に排出されなかった細胞はアポトーシス(自死)に誘導され、体内で処理・吸収される。 さてここで、内外に排除された細胞が占有していた空間はどのようになるのか!? 傷口はふさがり、復元されるのであるが、この復元・・・細胞の分裂・増殖はどこでコントロールされているのか!? 先にもメモしたが、末梢の細胞群が独自のネットワークで動き、独自の働きにより、細胞の分化・増殖を担っていると妄想する。なぜならば、細胞それぞれに核を持っている(赤血球は核を持っていない)。核の中には人を複製することが出来る遺伝子を持つ。細胞の損傷による各種の化学物質により、覚醒した遺伝子は、損傷箇所の修復に必要な遺伝子が活性化され、その修復に働く。だからこそ、きれいに修復されるのだと妄想出来いる。 ここで、中枢と末梢のシステム的な働きの違いは、中枢システムは体全体の調和を維持し、末梢のシステムは、それぞれの守備範囲のシステムの調和を維持しているのではなかろうか。 ここに、今騒がれているSTAP細胞(以下、おぼちゃん細胞とする)である。 私は、おぼちゃん細胞肯定派だから、真実とする立場で妄想する。 (高名な学者さんたちが、どのような根拠の元、STAP細胞を否定するのかわからん。多くの遺伝子はジャンクDNAとしてかたずけられている。一方、新たな機能がわかった遺伝支は紙面トップで報道される。小保方女史の上司の自殺・・・非常に不自然。多くのバッシング。なぜなのかがわからない。私などの素人は、非常に大きな大発見であると思うのだがね) 先にメモしたように、体細胞は全体の調和を保ちながら、各所で独立した働きをしている(一は全、全は一)。 細胞間レベル、臓器間レベル、体全体と。 ならば、おぼちゃん細胞を創り、移植したところで、そのおぼちゃん細胞はどのような働きをするのか!?どの系列のコントロール下に収まるのか!? 山中さんチームのiPs細胞は、遺伝子操作を行い、網膜を創って移植しているようだ。遺伝子操作をしたのだから、目的とする働きが期待できる。西洋医学の流れを汲んでいますね。悪い部品は取り替えたらよい!まあ〜ここに薬(製薬会社)というものが介入してくるのだけれどもね。 体の中枢と末梢のシステム。 その系統に入ることにより、周囲の細胞・臓器と調和が取れた働きが出来る。 (私の傷の修復過程は、何もしなくても独自の修復過程をたどり、復元している。癌細胞のように過剰に増殖するようなことはなく、周囲と調和が取れている。これは、各細胞間の共同的な働きであり、各細胞の核の設計図に沿ったものである) ここで、妄想が暴走する。 ここに肝硬変の患者がいる。 非常にくたびれて、肝不全もまじかの患者である。この患者の肝臓におばちゃん細胞を移植した場合、おぼちゃん細胞が肝細胞のシステムに組み込まれれば、おぼちゃん細胞は分化・増殖し、くたびれた細胞と置き換わることが出来るのではなかろうか。くたびれた細胞はアポトーシスされて、おぼちゃん細胞の置換される。この場合、肝臓のシステム下における動きであるから、肝臓の設計図の元、胆嚢や胆管、すい臓などの臓器と調和を保ちながら肝臓の機能を復元してゆく。当然、患者自体の生活の質を落とすことなく、いや、生活の質を高めることも出来るのではなかろうか!? おぼちゃん細胞を肝臓のシステム下の置く事が出来ればね。 このことは多くの疾患、特に移植しか手段がないといわれている拡張型・肥大型心筋症や機能低下しているすい臓。人工透析をしている腎臓、特殊な皮膚病・・・・等々に有効なのではなかろうか。 では、おぼちゃん細胞をどのようにして移植先の細胞システムに組み込むか!?ですね。 意識はエネルギーであり、エネルギーは波動であり、ある種の周波数を有している。これは、人の意識レベルでも、細胞レベルでも同じである。おぼちゃん細胞を移植先の細胞の波動にシンクロさせることが出来れば、体内のシステムに組み込まれて、くたびれた細胞(損傷した細胞)と置き換わることが出来ると妄想している。 周波数といえば、脳波、心電図、筋電図・・・等々、活動時の周波数を記録できている。ちょっと流行になっている!?ようなソルフェジオ周波数がある。おそらく、細胞自体、臓器自体の周波数の研究をされている研究者はいると思うがね。 私は、おぼちゃん細胞の治療は、西洋医学的な思考ではなく、調和と循環を基調としている東洋医学的な思考で進んでもらいたいと思う。山中さんのiPs細胞の治療法は莫大な治療費がかかるという。小保方女史のおぼちゃん細胞は、循環と調和の思考で、体にメスを入れることを極力避け(現在では内視鏡的な胆嚢摘出術が行われている)、おぼちゃん細胞と体の波動のシンクロを研究して、一般庶民に適した医療の世界を構築してもらいたい。 このような意味では、小保方女史の提唱しているSTAP細胞理論は、再生医学の新たな、画期的な世界を展望しているのではなかろうか。 現在、小保方女史は非常に厳しい環境におかれている。 福センター長の自殺(非常に不自然である)、そして、その後の理研の既得権益守護勢力の台頭。 現在、多くの人がスポーツの熱中している。多くの声援(意識エネルギー)を送っている。私は、その意識エネルギーの百分の一、いや、千分の一でも小保方女史に送ってもらいたいと思っている。小保方女史の前には多くのハードルがあるが、人類の未来において、STAP細胞が貢献する巨大な影響を考えると孫悟空ではないが、送った意識エネルギーは元気玉となり、小保方女史の繊細な波動に変換されスーパーおぼちゃん細胞に変容するエネルギーになると妄想している。 |
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■ 2014/08/02 (土) 日々雑感 |
暑くなってきた。
本格的な夏ですね。 気分(意識)はジェットコースターです。 ことことと時間をかけて上っていても、何かの拍子に奈落に落ち込む。公園のジェットコースターならば、下った勢いでまた上るのですが、意識は落ち込んだままです。何かの拍子とは、多くはニュースです。愚かしくも悲惨なニュースをてんこ盛りで報道していますね。悲しいことですが、一般庶民が生きている社会のこれが現実です。 ユングの心理学の本を読んでいると、苦しい時が貴重な学びの時だと言う。鬱々としたり、いらいらとしている脳みそに「サイクル」という言葉が浮かんでは消え、浮かんではきえする。やれやれ・・・なんなんだ!?と、考える気力もないままにそのままにしていた。すると、7月30日の早朝3時くらいに目が覚め、また「サイクル」という言葉と同時に、「妄想 時の枝道」の内容が浮かんだ。ノートに一気にメモした。これで、「妄想 時の枝道」の完結が出来る。・・・こんなものか(苦笑。 単調だが穏やかな日々を送っている。 大家さんは朝もぎたての野菜を持ってきてくれる。きゅうり、なす、トマト・・・と。また、茹でたとうもろこしも。ありがたいことです。本当によくしてもらっている。考えてみると、私の人生で一番の時を過ごさせていただいているようだ。崩壊家庭に育ち、カラスと同じように、意味なく嫌われてきた私の人生です。今、この時を大事にしたい。 単調な日々だから、特記すべきと思うことだけをメモに残す。 7月15日 今日、風呂に入りに行った。 市役所の裏の福祉センターの前で、私服の警察官から「ちょっと人を探している」といわれ、道端に誘導された。その警官はズボンのベルトに警察手帳らしきものをぶら下げて、「福島県機動警察」の文字が入った文様を見せた。今の私服警察官はこのようにしているのか!?名前を聞かれ、荷物を見せてくれという。私が声を荒げると、車からもう一人が降りてきた。さてさて・・・・!? 別にやましい物は持っていないから、また、旅の途中で経験済みだから別にいいけどね。私を狙い済ましたかのような動き・・・と、感じた。本物の警察でも、裏ではどのようなつながりがあるか、どのような息がかかっているかはわからないからね。 昨年の夏。 尾行を受けたり(下手な尾行・・・わざとか)、信号待ちのときに急発進した車が突っ込んできたりしたことがあるがね。しかし、それからぷっつりと動きが止まっている。何らかの抑止力が働いたか!?まあ〜「わかっているぞ!みてるぞ!」という警告なのだろうと考えていた。原発マフィアか!?大陸・半島系のマフィアか!?・・・それとも・・・と、いろいろ妄想が膨らんでいたがね。そのような状況になると、膝がガクガク、ブルブルになると思うが、変に恐怖心がおきてこない。スパイ小説の主人公・・・ちょっと大げさだが・・・のような感じかな!?まあ〜私がやっていることはいつ阿武隈川に浮いてもおかしくないことだからね。このように考えているから、まだ今日も生きていることに感謝するだけですね。 監視されているのはわかっている。 月に一度のネットからの情報収集。色々ときな臭い動きがあるようですね。さてさて・・・どのような動きになるのか!? すべては目には見えない世界の同胞に丸投げです。私はただ、心の銘ずるままに動くだけ。 一人でも多くの人がこの世界のゆがみに気づき、目覚める努力を始めると、無理なく、自然と舵が切られる。 「除染しました」の掲示板から転載。 6月18日 開成山公園 地上50cm 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.14μSv/h 広場中央 2.45 → 0.25 広場中央 2.49 → 0.22 幼児広場中央 2.70 → 0.27 開拓者の群像前 2.42 → 0.17 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.16 後方広場中央 2.92 → 0.67 バラ園入り口 7月11日 2.06 → 0.14 広場中央 2.45 → 0.27 広場中央 2.49 → 0.21 幼児広場中央 2.70 → 0.23 開拓者の群像前 2.45 → 0.15 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.15 後方広場中央 2.92 → 0.45 バラ園入り口 6月17日 五百淵公園 地上50cm 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.30μSv/h 7月14日 除染前 2.33 → 0.30 6月18日 酒蓋公園 地上50cm 除染前 2.44μSv/h → 現在 0.21μSv/h 7月14日 2.44 → 0.19 6月17日 麓山公園 地上50cm 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.18μSv/h 7月14日 1.64 → 0.32 6月11日 21世紀記念公園 地上50cm 公益財団法人郡山市観光交流振興公社 除染前 2.07μSv/h → 現在 0.48μSv/h 7月23日 2.07 → 0.46 私の体調は変わりない。腸はあいかわらず快腸。倦怠感なし。歯が一本抜けた。目がかすむ。老眼か!?長く本を読むと、眼精疲労で疲れる。体重59kg。変わりなし。あっかんべ〜して結膜見ると赤い。貧血なし。 しかし、このような事をやっていると、そのうち、多くの人が「政府、学者、マスコミが大丈夫だ!といっているんだ」と、石もて追われかねないね。戦前、戦中より巧妙に刷り込み、誘導されているからね。その為の民主党政権だったのでしょうね。振り子が触れるように、右から左へ・・・そして、現在、思いっきり右に触れている。 7月18日 ウクライナで”マレーシア航空機”が撃墜された。 ”マレーシア航空機”・・・!? インド洋で消息を絶ったらしい航空機も”マレーシア航空”だったね。この機のその後のニュースはどうなっているのでしょうね。 さてさて・・・!? 一般市民が窺い知れない世界でどのような動きが起きているのでしょうね!? 夢を見た。 昔「幽遊白書」という漫画を見た。 その中で、とぐろという悪役がいる。化け物じみた悪役。とぐろが夢に出てきて暴れまくっている。周囲の人は逃げ惑っている。私も悲鳴を上げながら逃げている。逃げている途中、おなかを殴られた女性と一緒になり、殴られたあとを見ている。おなかと背中に大きなあざがある。殴られたのはおなかだけ。背中のあざは、おなかの衝撃が出来たらしい・・・!?目が覚める。 何なのだろうか!?何を意味しているのだろうか・・・!?わからん。 7月19日 ニュースではなく、女性の評論家の話の中に、イギリスだったか!?児童買春の事を言っていた。著名人の多くが関与しているようだ。以前、キリスト教の牧師による児童虐待の話題がにぎわった事がある。キリスト教という笛を吹いて、集まってきた子供たちの中から、自分(牧師)の欲望のいけにえを物色していた”ハーメルンの笛吹き男”とかした牧師。キリスト教の信者たちはこの事実をどのように感じているのでしょうね。私はキリスト教の信者ではないが、聖書にある「目覚めていなさい」という言葉をどのように解釈しているのでしょうね。私が選択した知識の「シルバーバーチの霊訓」によると、スピリチュアルの最高指導霊はイエス・キリストとのこと。教会への盲従・隷属を霊的な愛情、謙虚さ、信仰心の表れとして合理化しているのでしょうか。心の問題であり、幼い時から刷り込み、誘導を受けているから、疑問に感じる事自体が難しいものなのでしょうね。「天国・地獄論」で雁字搦めにされている。 現在は、本当にカオス状態ですね。かの組織も開き直っているのでしょうね。それだけあせっているのでしょう。計画の進捗具合が芳しくないようだからね。それだけ、気づき、「目覚め始めた人」が増えてきている証左でしょう。マスコミによる刷り込み・誘導も力を失ってきているようだしね。ただ・・・日本は!? 7月23日 ギャンブル合法化に向けて動いているようです。 人類進化の道より、退化の道を選択したいようだ。困ったものです。ネットで色々と情報をあさっていると・・・ね。国会議事堂の妖怪議員たちは色々と画策しているようです。アメリカに寄生しているかの組織の指令でね。 しかし、敵味方論では、敵の中に味方あり。味方の中に敵ありです。 だからこそ、一人ひとりがこれまでのゆがめられた判断基準である知識・常識・教義を横に置き、誰一人として例外もなく持っている”理性”を判断基準となし、自身の脳みそを自身で使い、考え、感じ、判断できるようにならなければならない。そして「目覚めた人」に。これまでのように外の指示に従っているときには「責任」はないかもしれないが、目覚めた人を目指す限りは「責任」というものはついてくる。 7月27日 阿武隈川沿いを散歩していると”純白”の鳥を見た。ほんとに純白という形容に値する白い鳥。くちばしも白っぽい。大きさはからすくらい。いつもカラスにご飯を上げているから比較できる。アルビノか!?アルビノだったら目を見ればわかるが、判別できない。 7月29日 純白の鳥の死骸を見た。血に染まった羽毛が散乱し、羽根だけがあった。襲われて、胴体は食べられたらしい。なんか・・・悲しい。 近頃、命について非常に敏感になっている。それも、人間以外の命にね。 |
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■ 2014/08/02 (土) 言葉と感性と民族性と土地 |
河合隼雄著「日本人の心を解く」より引用
自我、自己、自然 人間と宇宙の関係を心理学的に調べてみると、自我と自己の関係についてのユングの理解が重要になる。 そこで、東アジアにおける自己の概念を明らかにする助けとして、ユングの立場に基づいて論じてみたい。 「概念」といったものの、自己とは実際のところ決して概念化されえないものである。 ユングは自我を意識の中心として、自己を意識と無意識の両方の領域を含むところの中心であると定義した。また、ユングは自己というものは直接に知ることは出来ないけれども、象徴やイメージを通じてのみ意識に上ってくることができるとした。したがって、自己は誰にとっても同じように存在しているけれども、それぞれの人の意識のユニークな内容に沿って、異なった現れ方をするのである。 日本語でego、self、natureに当たる言葉はそれぞれ「自我」「自己」「自然」である。 どの言葉にも「自」という漢字が含まれるのがわかる。 「自」は「みずから」とか「おのずから」とも読むことが出来て、逆説的なことに、それぞれ「自発的に、自分の自由意志から」と「自然発生的に、ひとりでに」ということを意味する。それは、西洋人には矛盾することのように思われるかもしれないけれども、日本人にとってはそうではない。 自我意識に立場からすると、それらは相容れないものであるけれども、「じねん」の立場からするとそうではない、といったほうがよいかもしれない。 「自」の持つ二重の意味が、自我、自己、自然についての日本人の理解に含まれるのである。したがって、夢は自我、自己、自然に属しているので、日本人がもともと理解している意味での「じねん」の流れにある。 結論付けると、宇宙におけるすべてのものは、それがあるがままに流れ、あるものが別のものに象徴しているとする必要などない。それらは単にそこに存在するのである。・・・・略。 庄司和晃著「認識の三段階連関理論」より引用 日本の「雪月花」の語るもの 「雪月花」とか「花鳥風月」とかは、一般に、日本人の心情を示すものとして扱われている。ときには詠嘆的なものとしてさげすまれることもある。普通、消極的なものとみなされているのだ。一面の真をつくものであろう。が、日本人の思想表明という積極的な面で見直されていい事柄ではなかろうか。いわば表象的思想といえるものがそこにはあるからだ。 これに類するものには、ほかに、「山川草木」「道」「虫(ムシ)」「地水火風空」「山水」、などがある。貫通しているのは「表象の論理」である。論理学上のカテゴリーという点から見れば、それらは、前カテゴリーとも呼ぶべき一群だ。カテゴリーを、仮に、抽象的カテゴリーと具象的カテゴリーとに分けるとすれば、後者に属するものになる。 これらの一群の持つ「表象の論理」は、日本人の思考の特性を解き明かすめどになるものではなかろうか。前代における知識人の思想作りや論理作りの積極消極両面を浮上させることにもなろう。大衆側はどうであったか。虫送り行事の「ムシ」はただのむしではなかった筈だ。盆花の「ハナ」もまた然り。他面から言うと、コトワザの豊富な国でもあるようだ。 こうした点から見ただけでも、日本という国は表象の研究にはことのほか適した風土だといってよいのではなかろうか。なにしろ、風月花のごとく、こんなに精神的に「雪」「月」「花」を高めた国民はいないのではなかろうか、と思うからである。 引用終わり。 日本人・・・いや、倭(大和)の民の感性を言い表しているのではないでしょうか。 現在の「お金」中心の社会。「命よりお金」の感覚とは正反対の感性です。人も自然の一部であり、このまま行くと、自然に淘汰されるだけではなかろうかと危惧します(このことは、「妄想 時の枝道 完」にメモした。) 地球先住民族として、なぜに”倭(大和)の民”が存在しているのかを、地球人類の一員として、世界中の心ある民が考え、感じ、判断するときが来ているのではなかろうか。現在、画一化への道を暴走しているように感じて仕方がない。私は「英語教育」を否定するものではない。が、教育だけではなく、世界秩序なる言葉を連呼しながら、画一的な社会作りに邁進しているのではないか・・・と、思えて仕方がない。 人は違って当たり前、民族も違って当たり前です。それぞれの歴史が国民性を創り上げているのです。それぞれの民族が置かれた環境、土地柄などがその民族の言葉、習慣、習性を形創っているのです。だからこそ、欧米のコピーではなく、それぞれの民族が和合できる環境を創り、お互いの違いを認め合い、その上で和合できる国際社会、ひいては地球社会を目指すべきではないかとも思う。 安倍さんも、“国家百年の計”を口にされるのならば、”地球人類の千年の計”をお考えいただきたいものです。それが、この時期に日本国の総理大臣に登場した責務ではないでしょうか。かの組織は、家畜社会の計を千年の計で推し進めているのですからね。 |
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■ 2014/08/02 (土) 妄想 時の枝道 完 |
サイクル・・・そう、人類の進化のサイクル!?
原始時代から科学技術の進化の過程。幾度、同じサイクルを繰り返してきたのか!? 科学技術の進化に人類の意識が伴わない。唯物主義、思い上がった科学万能主義に陥り、独りよがりの環境破壊、人類の我よしによる、他の生き物を絶滅に追い込む。口さきだけのきれいごとを繰り返し、多くの人類を洗脳、刷り込み、誘導しての混乱と破壊の繰り返し。命(人の命だけではなく、人類以外の生き物の命を指している)よりお金の世界。 混乱と破壊の繰り返し。幾度、繰り返せば気が済むのか・・・!? 宗教なるものを作り出し、怒り、悲しみ、憎しみ、妬みの無限連鎖を創り、そして、信者の意識エネルギーを収奪し、混乱の世界を維持している。 嘘を土台とし、嘘を塗り重ねての世界。 世界各所に聖者と言われる人(当時は狂人と扱われ、宗教信者による殺戮が繰り返されてきている。そして、時代を経るに”聖者”の称号が与えられる)が現れるが、排除されてきた。 時代背景、民度は異なるが、時の支配階級による「欲」による支配は続いている。 まさしく、無限連鎖である。 意識はエネルギーである。 発したエネルギーは循環する。 個人の意識エネルギー、民族の集合意識エネルギー、各宗教信者の集合意識エネルギー・・・と。悲しみのエネルギー、怒りのエネルギー、憎しみのエネルギー・・・と、絶対値を持つ力として循環する。その力を利用し、地球という惑星に結界を張り、地球外の生命体の干渉を排除してきている。 科学技術が発達しても、意識が技術の進化に伴わなければ、「欲」による破壊に暴走する。 幾度繰り返すのか!? ・・・・・。 ひとつのサイクルが終わろうとしている。 ひとつのサイクルが終わるたびに、惑星地球の安息の時が訪れる。サイクルのはじめの原始時代。地球自体の復元力により、また、自然環境が戻されるとき。 そして・・・。 戦争、人類による自然の循環の破壊による自然界の暴走(異常気象等)による終焉。 繰り返されてきたこと。 ひとつのサイクルが終わり、人類一人ひとりが自ら選択した道を歩み始める。 宗教では、本道というものがあるようだ。信者たちは、その本道なるものを目指しながら信心に明け暮れる。 人それぞれが選択した道。 それは、その人が、どのような思いで意識エネルギーを発したか!?発した意識エネルギーが、周囲にどのような影響を与えたか!?その総計で決まる。言うならば、自己責任である。どのような言い訳、責任転嫁も聞かない決定である。 人類のすべての人が、それぞれ新たなサイクルの世界に進む。 同じサイクルを繰り返す人・・・新たな次元世界のサイクルに入る人・・・と、歩む道は異なる。 過去、宗教による終末の到来、アセンション、予言による新たな世界の到来・・・と、色々と言われてきた。 すべてが嘘ではない。 すべてが真実ではない。 どの道を選択するかは、一人ひとりの意識エネルギーによる。今、この時にどのように意識エネルギーを使っているか・・・である。 一人ひとりの意識レベルにあった道が用意されている。そして、その道を歩むことになる。宗教で言われているような第三者による選別はない。自身で選択した道である。 過去、幾度もサイクルの終焉を迎えている。 ウッキーペデアより引用 オーパーツ。 オーパーツは、考古学上その成立や製造法などが不明とされたり、当時の文明の加工技術や知見では製造が困難あるいは不可能と考えられたりする、主に出土品を指す用語である。ただし、正式な考古学用語ではなく、そういった出土品の存在を強調して考古学上の通説に疑義を唱える意図で主に使われる。 こう呼ばれる物品は、なぜ存在し、どのようにして作ったのかが未だに解明されていないと主張される。現代科学の水準を超えるような未知の超古代文明の存在や、古代宇宙飛行士説の根拠とされることがしばしばある。 実際には全てが説明不可能なものではなく、その時代の技術で作成可能なものも多くある。また、近代の発明でその頃には存在しなかったとされている技術が、一度見い出されて後に失われていた技術(ロストテクノロジー)であるということもあり得る。いわゆる超古代文明や宇宙文明に依らずとも、情報の散逸によって文明が著しく後退した時代もあるため、一度失われた後に再発見された技術や知識も少なくない。一例としては「アレクサンドリア図書館」がある。 出土した時代での製造が困難あるいは不能かの判断は、発見当時の考古学的・工学的知見をもとに行われる。そのため、例えば現在の感覚では想像がつかないほどの膨大なコスト(時間、人的資源など)を費やして製造した、出土当時の考古学的知識よりもその文明の実際の行動範囲が広かった、等の事情で、のちに製造可能と判断されたものも今なおオーパーツとして語られることが多い。 このほか、出土した遺物の解釈の誤解や、分析の失敗、誇張された解釈などにより、充分に製造可能でも「実際にありえない」ような器物だとみなされているケースもみられる。一般にオーパーツとして名の挙がる遺物の少なからぬものの解釈に疑問が投げかけられ、議論をかもしている。さらには、それらの誤解や誇大解釈が一人歩きして誇張され、超古代文明説を補強する材料として利用されている場合もある。 また、オーパーツが一種の見世物としてや好事家の関心を惹く対象でもある。そのため、売名や詐欺的な動機での贋作や捏造も数多い。オーパーツとされる遺物のうち真に学術的にその価値を認められるものは、捏造と確定したものから疑惑レベルのものまでも除外すると、ごく限られる。 ピリ・レイズの地図 ピーリー・レイースの地図を常識ではありえないとし、オーパーツだとする立場の人々の主張は以下のようなものである。 南極大陸の陸地の完全な描写がなされている。 南極大陸は、発見が1818年、全陸地の地形の地図化成功が1920年であるが、この地図には1513年当時、未発見であり、しかも氷に閉ざされていて当時の技術では観測不能であるはずの南極大陸の輪郭が描かれている。 南北アメリカ大陸の海岸線が描かれている。 コロンブスのアメリカ大陸到達は1492年であるが、それから20年少々しか経っていない1513年に海岸線の調査が進んでいるわけがない。 地形の歪み方が正距離方位図法のようである。 地形の歪み方や位置が、地図の図法の一種「正距方位図法」を用いて描いたものによく似ているが、正距方位図法でこれほどの地図を作るには、各地点の緯度、経度を正確に計らなくてはならない。しかし、経度の測定法が確立するのはクロノメーターが発明された18世紀である。 古代の原子炉遺跡 核爆弾が空中で爆発すると、数百万度という超高温の火球が出現し、超高温の熱線と致死量の放射線が周囲に放射される。同時に空気が一気に加熱されることで爆発的に膨張し、衝撃波が発生する。この衝撃波が地表に達すると、地表の土や埃が舞い上がるため、地表ではあたり一面が暗くなる。さらに、爆発時の放射線により土壌等が汚染され、放射能を持つようになる。 紀元前10世紀頃に起きた大戦争を語り伝えた「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味する『マハーバーラタ』をはじめ、古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』、『リグ・ヴェーダ』には、この大気圏内核爆発を想像させる記述が見つかっている。 超高温の火球=太陽が一万個集まった光り輝く柱 強烈な熱線=池の水が蒸発、猛火に焼かれた木々のように倒れる戦士たち、火傷で逃げまどう戦象、灰と化す住民 衝撃波=恐ろしい風、うなる雲、揺れ動く太陽 衝撃波で舞い上がる土埃=方向感覚を見失うほどの濃い闇 放射能汚染=髪の毛や爪が抜け落ちた死体、毒された食物、鎧を脱ぎ捨てて体を水で洗う生存者 以上のように、記述は具体的で、広島での被爆体験談とも酷似しており、とても想像だけで書いたとは考えにくいというのが肯定論者の主張である[2]。 モヘンジョダロ遺跡[編集] インダス文明の古代都市モヘンジョダロの遺跡は周囲5平方キロの広大な遺跡であるが、現在発掘が進んでいるのは全体の4分の1ほどの地域である。 遺跡で見つかった白骨遺体46体は突如、死がやってきたような状態であった。そのうちの9体には高温で加熱された跡が残っていた[3]。 また、『ラーマーヤナ』の記述に基づき戦闘の日時と場所を特定した研究者によると、炭素14の分析もして戦いの期間を紀元前2030年から紀元前1930年の間と特定したものの、モヘンジョダロにおいては400年程度の食い違いが見られるという。ずれの可能性としては放射能の影響が考えられるがはっきりしない[4]。 古代核戦争の研究者ダヴェンポートは、発掘対象から外れていて、現地の住人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所[5]を訪れたと報告している[6]。 そこは、黒いガラス質の石が、800メートル四方をびっしり覆っているという場所で、黒いガラス質の石は、高熱で溶けた砂が再固化したものと判明している。黒いガラス質の石は、テクタイトであるとされる。付近では、この他に溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じってガラス化した壺の破片などの遺物も見つかっている。これらの高温加熱遺物やガラス化した地域については大規模な火災・火山の噴火などの諸条件が偶然重なって起きたまれな現象であるというのが一般的な考古学者の見解であるが、モヘンジョダロ遺跡のあるインダス川流域において、大規模の火山活動の痕跡は確認されていない[7]。 このような広範な範囲の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界では見つかっておらず、同様の風景は今のところ地表で核実験が行われた場所(砂漠)でしか見つかっていない[8]。 また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱線が極めて短時間に照射された状況を想定しない限り考えにくい[9]。なお、広島市にある広島平和記念資料館には、これらの遺物同様半ば溶けかかりながらも原形を留めたガラス製の一升瓶や、表面のみが溶けた瓦などが展示されている。 ダヴェンポートは、モヘンジョダロで発見された遺物をローマ学科大学に持ち込み、ブルーノ・デイ・サバティーロ教授(火山学)やアムレート・フラミーニ教授(岩石学研究所)らに分析を依頼した。その結果、問題の遺物は、1000度から1500度の高温で短時間に加熱されたらしいという結果が出たと報告している[10][11]。 上記の研究結果に対し、下記のような反論がされている。 まず、モヘンジョダロが核攻撃されたのであれば、モヘンジョダロに高度な超古代文明の探索を求める事は無意味である。なぜならば、攻撃した側の文明に核兵器を製造する高度な技術が有するのであって、攻撃された「モヘンジョダロ」に高度な技術があったわけではないからである。また、核爆発の後遺症があまりにも局所的である。一部のレンガのガラス化で、核爆発の後遺症は説明できない。さらに、どこの文明が核兵器を製造したかを証明すべきである。しかし、最も考慮すべき点は他のオカルティスト達の標的になっている遺跡のように、証拠とされる品物が、実は「発見者」や「オカルティスト達」によって捏造された可能性である。ダヴェンポートは「ガラスになった町」を「地元でタブーとされている場所」として正確な場所を明らかとせず、第三者が確認したわけではない。ダヴェンポートの発表当時と違い、現代ではGoogle Earth等でモヘンジョダロ周辺の衛星写真を簡単に閲覧できるが、800メートル四方もの広さがある「ガラスになった町」らしきものは確認できない[12]。「ガラスになった町」が実在しないのであれば、そこから発見されたという遺物の信憑性も失われることになる。 モヘンジョダロで見つかった遺体についても、モヘンジョダロはインダス文明期以降も洪水や火災が原因で興亡を繰り返していたことが分かっており、一時期はスラムと化していたこともあった[12]。そのため、放置された死体が見つかっても別におかしくはない。 引用終わり。 妄想、空想、出鱈目とどのように思われようがかまわない。 ホピの予言では、過去4回(確か・・・うろ覚え)の大絶滅があったという。種人を残し、淘汰されたとのこと。 私はこのようなことを”人類のリセット”と、呼んでいる。 唯物主義、科学万能主義に偏り、拝金主義による環境破壊、他の生物の絶滅、人類同士の殺し合い・・・。人類の我よしの行為は、人類以外の生物のはた迷惑になるということすら理解できていない。 ・実験星という使命を帯びた惑星地球という視点から。 幾たびのサイクルを通じ、サイクルの終焉のたびにアセンションが行われている。 意識エネルギーと肉体の構造変化を伴った新人類の製造。 現在の地球環境は、多くの刺激に満ちている。環境破壊に伴う意識的刺激、各種添加物による細胞レベルでの刺激、環境ホルモン等による遺伝子的刺激、各種化学薬品(公害)による刺激・・・と、多くの刺激にさらされている。そのような中で、突然変異といわれる(別に突然変異ではないのだがね。変わるべくして変わっただけ・・・笑)眠っていた遺伝子の中の覚醒が始まっている。 地球という惑星は、新たな人類の身体を創り出す為の実験星・・・。 このような妄想もできる。 今回で「妄想 時の枝道」を終わりにします。 雑談でもよしが・・・のスレッドにメモしてきたが、現代に入り止っていた。私自身の環境の変化、意識の変化もあり、続けることができなかった。 ただ、ひとつ言える事は、この「妄想 時の枝道」は、私がメモしたのだが、私の意志でメモしたのではないと思う。なぜならば、メモしている途中で、”もうやめよう””書きたくない”と、幾度も思った。しかし、思う直後に猛烈に書きたくなる衝動に襲われ、妄想が沸いてきた。私の身体を使い、目には見えない存在が書かせたのだと”責任転嫁”をしようとは思わないが、この思いが私の正直な思いです。 |
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