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無色の妄想日記タイトルを変更しました。 現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。 ありがたいことです。 旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。 今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。 残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。 ただ・・・それだけ。 |
■ 2014/09/26 (金) 日々雑感 |
今日は9月26日。
今月は2回泊まりに来た。前回は、レンタルパソコンの具合が悪く、アニソンが聞けなくイライラし、長い文章を作っても「インターネットに接続していません」と(ええ加減にせえ〜怒)・・・。トホホ・・・であった。今日は、階が違うが、非常に気持ちがいい部屋である。パソコンを立ち上げて、早速ユーチューブで「宇宙戦艦ヤマト」を聞いた。フリーズもせず、最後まで聞けた。気持ちがよいものである。前回の分まで記事を書こうと思う。(しかし、ホテルのスタッフは、厳つい、いい年をしたおっさんが部屋に入るなりにユーチューブでアニメソングを聴いているとは思わないであろう・・・笑) 相変わらず穏やかな日々を送らせて貰っている。ありがたいことです。ほんとうにありがたいです。下宿しているおっさんたちはおとなしい(私以外に、ちょっと変わったおっさんもいる)。大家さんは相変わらず良くして下さる。お彼岸には手作りのおはぎをいただいた。何かと「これ食べ」と、もってきてくださる。ありがたいことです。 私は、相変わらず下宿の掃除をしている。 はじめは大家さんのご好意に対しての気持ちであったが、今は掃除をすることで、私自身の魂を掃除しているような気持ちになる。不思議な気分である。ゴミ拾いおじさんも続けている。ゴミ拾いもそうです。義務的にやっているのではない。ゴミ拾いは単なる気まぐれだが続いている。なんか、心の中のゴミを拾っているように思えてきている。なんか変な気分である(生臭坊主のようであるが・・・)。このような環境を提供してくださった魂の同胞、目には見えない世界の同胞に感謝です。 現在、全国的に子供をターゲットとした事件が続発している。 自身の魂を汚す行為。 自身の”良心(良神)”を奥に押し込め、自我が重石となっている人間。その自我の波動に共振・共鳴した”邪な存在”を近づけ犯罪に走る。本当に、自身の魂を汚している。 自身の魂に恥じない生き方とは・・・!? 「除染しました」の看板から転載。地上50cm 8月11日 開成山公園 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.14μSv/h 広場中央 2.45 → 0.26 広場中央 2.49 → 0.24 幼児広場中央 2.70 → 0.24 開拓者の群像前 2.42 → 0.15 八角堂中央 2.67 → 0.13 児童公園中央 2.73 → 0.13 後方公園中央 2.92 → 0.41 バラ園入り口 9月8日 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.15μSv/h 広場中央 2.45 → 0.22 広場中央 2.49 → 0.20 幼児広場中央 2.70 → 0.24 開拓者の群像前 2.42 → 0.14 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.14 後方広場中央 2.92 → 0.42 バラ園入り口 8月13日 五百淵公園 地上50cm 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.27μSv/h 9月9日 2.33 → 0.28 8月13日 麓山公園 地上50cm 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.29μSv/h 9月5日 1.64 → 0.30 8月11日 酒蓋公園 地上50cm 除染前 2.44μSv/h → 現在 0.19μSv/h 9月9日 2.44μSv/h → 0.18 8月20日 21世紀記念公園 地上50cm 除染前 2.07μSv/h → 0.42μSv/h 相変わらず放射能浴状態である。 へたれのあかんたれで虚弱体質の私は定期的に体調を崩すようになっている。”ぶらぶら病”の前駆症状か!?とも思えるが、一日で回復する。 ぶらぶら病 ウッキーペデアより引用。 体力・抵抗力が弱く、疲れやすい、身体がだるい、などの訴えが続き、人並みに働けないためにまともな職業につけない、病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高いなどの傾向をもつとされる[1]。 広島市への原子爆弾投下後、市民のあいだで名付けられ、医師の肥田舜太郎が被爆患者の臨床経験をもとに研究してきた。肥田によると、当時よく呼ばれていた"ぶらぶら病"の状態­が続き、医師に相談していろいろ検査を受けてもどこも異常がないと診断され、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶をもつ者が少なくないという[2]。 ぶらぶら病についての証言は、広島原爆投下時に宇品港の近くにいた岸本久三の言葉として、「広島でも“ブラブラ病”と言うとったんですか。そういえば語感がぴったりですねえ。私もこの原因不明の病気にやられてから仕事もすっかりやめ、毎日家にごろごろしているんですが、近所の人たちから“なまけ者”と言われているような気がして…」十数年前からの倦怠感、四、五年前からの痛み、吐き気を呈し、「医者も原因不明だというんです。名護の保健所で手に負えず、那覇では胃が悪いといわれて、とうとう開腹手術までやりましたが、結局、胃は異常なし。次は神経科へ回されまして……ノイローゼだろうということなんでしょうが。この痛みはだれにもわかってもらえません。」(一部略)「表面はじょうぶそうに見えるから、かえっていけない。手か足に傷でもあるほうが、世間の人にはよくわかってもらえるのに…」―狭い村のなかで岸本さんの“ブラブラ病”には、かなり気をつかっている様子だ、との記載がある[3]。 また全身倦怠感、易疲労感を中心とした症候群である「慢性放射能症」、「慢性原子爆弾症」(都築正男、「慢性原子爆弾症について」昭和29年2月『日本医事新報』第1556号所収)と一致、または重複する病態に対する、民間における呼称とも考えられる。 原爆投下時に、いち早く広島に入り原爆症の科学的解明と被爆者の医療および看護の基本方針を明らかにした都築正男教授(東京帝国大学医学部外科学)による報告では「広島および長崎で被爆したが、幸にして死亡を免れて生存し得た人々のうちに、晩発症として、白内障、白血病、再生不能性貧血(原文ママ;再生不良性貧血)等が発生していることは、すでに知られている。しかし、現在最も注目せられることは、私が「慢性原子爆弾症」と名づけることを提唱した病態であって、疲れやすく、根気なく、感冒、下痢などにかかりやすく、生気の乏しい状態を示すものが可なり多いことである。主として、放射能威力による内臓−骨髄、肝、腎、内分泌臓器、生殖腺等―の障害に基く機能不全、乃至機能変歪によるもので、その結果として生活予備力が不足することに基づくものであろうと考えられている。ビキニの灰を被ることによっても、類似の慢性放射能症が惹起せられ、抵抗力の弱いものとなる可能性があると思う。ただし、これ等の慢性症のことは、医学的になお未知の領域に属するものであって、今後、研究の進むと共に、その予防ならびに治療対策も考え得られることと思う。」と記載がある[4]。 1976年10月、日本全国の被爆者らによる「核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団」第二次代表団が国連本部を訪れ提出した全日本民主医療機関連合会「広島・長崎の原爆被害とその後遺―国連事務総長への報告」は、原爆症の後障害のうちでとくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」があるとして、実態を詳説している[5][6]。 日本国外では、"bura bura disease"(ブラブラ ディズィーズ、英語)として知られる[7][8]。 内部被曝や低線量被曝が原因との見方があるが、因果関係は立証されていない。原発労働者の倦怠感、湾岸戦争から帰還したアメリカ兵の"湾岸戦争症候群"、米国の大気圏核実験で被曝したアメリカ兵や、チェルノブイリ原発事故被災者に、症状が共通しているとの指摘もある[7][8]。さらに、アメリカ合衆国・ロシアなど旧ソ連諸国・中国のように、核実験場・原爆製造工場・原子力発電所がある国にはこの症状を有する者がいるが、どの国も医療者も、一貫してその存在を否定している、ともいわれる[9]。 引用終わり。 私はこのような引用をしているが、決して面白半分で福島の人を不安がらせたり、恐怖心を与えようとは思ってはいない。現実をしっかりと見、そして考えなければならないと考えている。何流かわからない学者のたわごとやマスゴミの異名をとる諜報機関、自分の懐さえ潤えばよいと考えている政治家(いみじくも「最後は金目でしょ!?」とほざいた政治家。政治家の本音ですね。政治家のスキャンダルは、結局金目ですからね)の言葉を信じていないだけです。お金に関しては私も旅の途中で地元の人から色々とお聞きした。 バランス 8月中旬から体調を崩した。 暑い日が続き、うんざりしていたところ、右足の付け根内側に出来物ができた。はじめは見るところ何もないが、痛い。ないかに噛まれたか!?と思い、注意していると腫れて来た。痛みを伴う腫れ。有痛性だから悪いものではないと思い経過観察。 次第に腫れて、表面の一部に膿が溜まってきた。う〜ん・・・様子見。 あまり大きくなると、切開して排膿しなければならないけどね。 8月23日。 トイレに行く途中、痛みと違和感を覚えた。トイレで見ると、血液が混じった大量の膿が出て、下着をべっとりとぬらしている。あたかも失禁したようだ。やれやれ・・・切開する必要がないから、ペーパーでぬぐい、部屋に帰って下着を替えた。 8月24日 破れた皮膚のところがひりひりするのでおとなしくしていたが、今日は全身の骨がぎしぎしと痛む。体がだるい。なんなんだ〜これは!?咳をすると腰骨に響く。まいった。 おとなしくしている。 ベッドに横たわり、「おぼちゃん細胞」の妄想を整理したり、枕元においてある源氏物語を読む。 体の調子は悪いが、意識的には悪くない。 8月25日 復調。 昨日の変調は何だったのだろうか!? また、張り切って掃除である。 8月27日 唐突に秋。 早朝、寒くて目が覚める。毛布を出しかぶる。 夢を見た。 軍隊(自衛隊)の夢。 喫茶店?でトーストを頼み、待っていると時間がかかり、帰隊時間に遅れる夢。 私はドキッとしてあわてて飛び出すが、間に合わない。集団行動ができない私。夢の中ではリーダーをやっていた。なんとも気まずい夢である。 9月4日 だるい。寝て過ごす。 9月11日 夕方から豪雨。 地球規模の自然循環の破壊だからね。気球規模の自然災害が起きている。 が、台風の動きは奇妙である。HAARPによる操作か!?困った連中である。TPP交渉を進めるための恫喝か!?と、妄想している。 9月24日 午後9時45分ごろ地震。 スパイ容疑で逮捕される夢を見る。 変に生々しい夢である。あまり覚えていないが、夢に出てくる人物たちの”眼”が特徴的であったことを覚えている。地震で目が覚める。 ・・・・。 天気のよい日は図書館にいったりと、できる範囲で歩き回っている。 下宿から歩いて30分位の所に「大安場史跡公園」がある。 天気のよい日には散策がてら行って、太古の世界に思いをはせながら妄想をしている。 |
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