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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2016/10/07 (金) 言葉と感性と民族性と土地


河合隼雄 著 「日本人の心を解く」より引用

・完成美と完全美

ユングは、倫理的な次元における「完成」と「完全」の区別について指摘している。よく知られているように、ユングは悪の問題に関心を持っていた。この世における悪の存在を我々はどのように説明できるであろうか。
この問題に取り組もうと試みているうちに、ユングは「完成」(perfection)と「完全」という考えに至り、それを男性原理と女性原理の違いと関連付けた。

「完成」は男性的に望まれるのに対して、女性はその本能からして「完全」を求める。
そして、今日においてさえ男性のほうが女性に比べて相対的に完成した状態によりよく、また、より長くとどまることが出来るのに対して、それは、一般的に女性には適合せず、それどころか女性にとって危険でさえあるかもしれない。もしも、女性が完成を目指すならば、それと相補的な関係にある完全性の役割を忘れることになる。

完全性は、それ自体が未完成なものであるけれども、完成性にとって必要な対をなしているのである。なぜならば、完全性が常に未完成であるように、完成性は常に不完全であり、したがって、絶望的に不毛な最終手状態を表すからである。

「完成からは何も生じてこない」
と古の師匠たちが言ったのに対して、未完成なものは、それ自体の内に向上する芽を持っている。
完璧主義は常に袋小路に至るのに対して、完全性それ自体には選択的な価値が欠けている。

・・・・・略

ユングが一方を他方より価値があるとみなしていないのは注目に値する。
「完全性が常に未完成であるように、完成性は常に未完全である」

引用終わり。

男性原理と女性原理。
互いに相補的な役割を持つ。視線を変えて、現代の社会を見てみると、男女平等、女性の社会参画・・・等々、声高に叫ばれている。
本当にこれでいいのか!?
陰謀論的には、昔「レディーファースト」は意図的に造られてものだという事が言われている。
価値観の相違は当たり前。性差の相違も当たり前。
お互いが相補的な役割を持つのに、やたら女性に「完成性」を求めているのではなかろうか。おかしな社会と思わざるを得ないが、このような社会にしたい勢力がいるのでしょうね。社会機構、国の姿がおかしな状態になっているのではなかろうか。男女平等という考えは賛同するが、現在の政府の動きには危ういものがあると思わざるを得ない。

だからと言って、私には大きな問題であり、そう簡単に私の考えを出すことはできない。
一人ひとりが、その置かれた立場、環境の中で考えるべき命題ではなかろうか。

雑談でもよしが・・・のスレッドに、このようなことをメモした。
コピー

待機児童問題がある。ネットへの書き込みが大きな問題化しているようだ。政治家は待機児童を無くそうと動いている。(この問題も 正 → 反 → 合 に思えてならないが・・・)

それでいいの!?「三つ子の魂百まで」といわれる。私は三歳までは、母親の元でしっかりと愛情を受けて育てるようにしなければならないのではないかと考えている。それが、トラベル、グルメ、家のローン、車のローン、将来の子供の教育費のために・・・等々、色々な理由がつけられて両親が働く。私の子供のときにも「かぎっ子」といわれ、共働きの世帯はあった。しかし、今と違って子供たちのつながり、大人の意識が違っていたのではないか。携帯やコンピュータゲームもない時代だからね。子供は国の宝といわれる。今の子供たちが将来の社会を担ってゆく。その子供たちをどのような人間の育てたいのかね!?置かれた立場・環境で、一人ひとりが考えなければならない大事なことに思えるのだがね。no.8871 ( やまと16/09/03 08:45 )

コピー終わり。

男性原理と女性原理。社会機構の変化。男女平等の掛け声の下の女性の男性化を狙っているのか。人として平等でも、性差はある。西洋のシステムをそのまま持ってくるのはいささかおかしなことであると思うがね。

日本は女性原理の国と言われる。争いばかりを繰り返す社会に女性のトップが来ると収まる。卑弥呼のことを言っているが、あながちまともな事なのかもしれないね。天皇が女性になればいいのか!?その兆しもある。現在の天皇の生前退位のお気持ち。天皇は神主の元締めだからね。

目には見えない世界に大きな動きが起きているのではなかろうか。


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やまと 夜曲さん 男性と女性は異なる生き物だとかんじます。だからこそ、お互いを必要としている。コメントありがとうございます。 (16/10/08 05:52)
夜曲 霊訓で、王がその冠を妃にかぶせ二人で立つという描写を思い出しました、争いを繰り返してきた父性社会、歴史は父性なるものの剣の強さをやっぱり半端に必要としてたのかもしれないけど、そろそろ女性が優位にたつ時代への変遷が来てますね。 (16/10/08 02:02)


 ■ 2016/10/07 (金) 日々雑感


・野鳥観察記

10月2日
あ〜あ〜 とうとう見た!
頭全体が真っ白の雀らしき鳥。羽の中にも白いものが目立つ。
雀なのか!?それとも別種の鳥か!?

10月6日
今日も見た。
朝、午前中に阿武隈沿いのゴミ拾い兼鳥のえさ遣りをしている。
2日の日に見た同一固体だと思うが、停留所の所で見た。
今日は、「観て!」といわんばかりに目の前数mの所にいる。
よく見ると、胸から上が白く、羽の中も白いもの混じっているが、雀と同じ大きさである。白い所を茶色にすれば雀である。

3月5日にメモをしている。コピーする。

「雀が一番多い。雀の群れを見ていると、白っぽい小鳥が混じっているのが見える。茶色の頭の雀の群れの中に、白っぽい頭が見える。目立つ。よくよく見ていると、羽にも白い部分が散在している。雀とは別の種の鳥か!?現在、三羽を視認している。雀の群れに混じって、行動を同じくしている。白っぽい部分を茶色にすると雀である。自然発生的な変異か!?現在の福島県の環境を考えると、放射能による突然変異が強く疑われるのではなかろうか!?おそらく、多くの人が気づいているのではなかろうか!?」

コピー終わり。

私が持っている知識では、このような個体は長生き出来ず、淘汰の対象になると思うが・・・。これまで四羽の変異した雀を視認した。
淘汰されずに生き残った!?それだけ多くの変異種が誕生しているのであろうか!?この事は、福島県だけではあるまい。各地にある、「野鳥観察会」の会員は確認していても、ボソボソト囁くだけで、大きな声を出せないのではなかろうか!?

「不安を煽るだけだ!?」

と、圧力を受けているのではなかろうか!?
現実には、しずかに、確実に放射能は浸透している。学識深い権威ある学者が、
「放射能は絶対に健康に影響はない!」
と、力説しようが、環境を注意深く観察していると、311前とは明らかに異なる現象は起きている・・・と、思われる。
また、噂話であるが、「伊勢えびほどのザリガニ」を観たとい話も聞いている。

私が福島県郡山市に滞在している理由は、「放射能の影響がどのように観られるか!?」を自身の目で確認するのが目的だからです。
何も不安を煽るのが目的ではない。


・限界を超えた世界

我々は、「限界」というものをどのように認識しているのであろうか!?
うろ覚えながら、昔読んだ事があるものをメモしたい。
「昔の修行者は、厳しい鍛錬を経て、超人や新人になろうと努力してきた。しかし、近い将来、厳しい修行をしなくても、新人や超人に変化出来る時が来る」
と、言うものだった。
当時はなんだか解らなかった。が、今は解るような気がする。

ヒトラーの予言を引用する。
井口博士  http://quasimoto.exblog.jp/16119042/

「よろしい、では解説してやろうハンス。私が言った未来に現われる『永遠の未成年者集団』というのは、もちろん、死ぬまで大人になりきれない人間たち、ということだ。そんなことは、厳しい正常な社会ではありえない。だからそうなる背景には、甘やかされた異常な社会が当然ある。その中で、同じように大人になりきれない親に、愛玩動物のように育てられるため、子どもも成人しても真の大人になれないのだ。」

「しかしハンス、じつはそれだけじゃない。私が本当に言いたかったのは、そのことではない。未来社会には、そういう『永遠の未成年者集団』が現われる一方で、幼いときから大人の思考と感情を持った人間たちも現われるのだ。信じられないだろうが、彼らは胎児のときからさえ、そのように教育される。5つか6つで一人前の理屈と判断力を備え、13、4歳にもなれば、並の大人を指揮するほどの力を持つようになる。つまり両極端ということだ。肉体が大人で感情が幼児のようなグループと、肉体はまだ青春期にまでいかないのに、思考と感情が大人を超えるグループ……」

「しかもハンス、それは人間の発育状況だけじゃないのだ。人類と社会のあらゆることが、未来には、そのように両極端に分かれてしまうのだ。たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。貴族とか新しい中産階級とか言ったのはその意味だ。だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ。」

「人間だけではない。国もそうだ。恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる。気候もそうだ。とほうもない旱魃や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とが分かれる。愛もそうだ。特定の男女にだけ、愛と肉体の快楽が集中する。一方、一生に一度の真の愛も快楽も得られない男女も増える。要するに、土地や金や支配力を得る者は、ますますそれを得、支配される者はますます支配されるだけになる。そうだハンス、それが未来なのだ。私の見た未来だ。未来はそうなるのだ……」

「それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。そうだハンス、その完成と更に新しいアプライゼ(スタート)の時期が1989年4月に来るのだ。」

引用終わり。

伊藤忠彦 著 「宇宙が味方する生き方」p254〜256より引用

[巻物]を開くのはどこの国の人か

黙示録の中には、巻物を開く場面を象徴的に描いているシーンがあります。そこでは、「巻物を開く人がいない」と天使が泣き叫んでいたところ、「湯だ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得て開く」とあり、また、「御使いが生ける神の印を持って、日の出る方から上がって来た」という予言が記されています。そして、巻物を一つずつ開くと、さまざまな災害が起きます。

これは新しい光が暗いところを照らすことによって悪がおびき出されている様子を描いているのでしょう。そうして、少しずつ悪の巨大なエネルギーが発散させているのです。そうして、少しずつ悪の巨大なエネルギーを発散させているのです。それにしても、「ダビデの根」「日の出る方から」と書かれているのは興味深いことです。

最近、テレビでも紹介されましたが、「日ユ同祖論」の研究で有名なユダヤ人マーヴィン・トケィヤーの「ユダヤと日本 謎の古代史」の中に、ユダヤの十二種族のうち十種族が失われ、その一部がシルクロードを通って日本に渡来したという説があります。平安京を設計した秦氏はユダヤ人で、「平安京」とはヘブル語で「エルサレム(エルは都、サレムは平和」を意味しているというのです。これを根拠にユダヤ人の遺伝子を持つ人、神の印、神の奥義を開く人が日本から現れるという説がありますが確かではありません。

スウェーデンボルグの「最後の審判とバビロンの滅亡」という書物の「小麦と毒麦」という項では、スウェーデンボルグが天使に会い、その後の世界について質問している場面があります。それに対して天使は、「世界は悪くなる」と答えた上で、最後に次のようなことを言ったというのです。

「基督教世界から遠く離れ、そのため、「霊界の」悩ます者から遠ざかっているある国民には多くの希望を持っている。その国民は霊的な光を受けて、天的な、霊的な人間になされることのできる国民である。また彼らは言った。現在内的な神的真理がその国民の中に啓示され、また霊的な信仰をもって、すなわち、生命と心の中に受け入れられ、彼らは主を崇拝している、と」

これが預言しているのは一般的には無垢の人が多いアフリカの国ではないかといわれています。いずれにしても、どこの国かわかりませんが、もし日出るところが仮に日本であるとして、そこから天使が現れる。すなわち巻物を開く人が日本から出るという仮説を立てると、日本はユーラシア大陸の東端に位置して、周囲を海で囲まれているために外界との交流も少なく、ここに古代の遺伝子が保存されている可能性もあるわけです。しかも、従来のキリスト教国で新しい巻物を開くと迫害を受ける恐れがありますが、日本のような、いわば「雑宗教」の国では、どんな教えも受け入れられる土壌があります。そう考えますと日本人は新しい巻物を開くために歴史的に守られてきた民族かもしれません。果たして、この私のロマンが事実となるかどうか、おそらく後十年後、遅くとも二十年後には明らかになることでしょう。

引用終わり。

何が言いたいのか!?

現在の世界的な気候変動、経済的な変動、日本の中でも大きな変化が起き始めている。
ヒトラーの予言も、伊藤さんの紹介している黙示録の記述も、額面どおりに受け取ることはできない。が、大きな参考にはなる。

・放射能に犯され続ける人々。

放射能という外部刺激を受け続ける。その事によって、STAP細胞的変化が生物の中に起きないという保証はない。まさしく、今の日本は「大きな実験場」と化している。その実験体の我々は、労せずして、新人、超人への道を歩んでいるのかもしれない。小保方女史のSTAP細胞騒動も、たまたま偶然に起きたのではない。

・私自身の体調もメモしておく。

鼻血から始まり、全身の骨のきしみ、不整脈、下血(この時だけは本当に動揺した)、右足の付け根の腫れ、背中の腫れ・・・と、色々な事が起きているが、いまだ生きている。現在は小康状態なのかもしれないが、良かれ悪しかれ、身体の変化は起きていると思われる。


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 ■ 2016/07/22 (金) !?!?!?


通過儀礼・・・イニシエーション

死と再生・・・死と幻実

天使と悪魔・・・人類の自作自演

天使と悪魔・・・聖書

家畜・モルモット・ロボット人間・・・タルムード

物質世界・・・高次の世界

意識・・・無意識

現実・・・無現実

自由・・・不自由

コントロール・・・非現実


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 ■ 2016/06/20 (月) なんだかな〜


Stap細胞(おぼちゃん細胞)騒動が、新たなステージに上がったようだ。

真実とわかって、これまで口汚く罵って来た老醜、老害学者たちはどのように対処するのでしょうかね。いつものように、重度のアルツハイマーに罹り

      「えっ!?そんなことあった?知らんな〜」

と、とぼけるのでしょうね。
いつものことだから、あまり興味はない。

今回は、小保方女史についての個人的な感想をメモしたいと思う。

私はテレビはなし、新聞もとっていない。
小保方女子の姿を見たのは、風呂に入りに行って、休憩室で休んでいると、休憩室にあったテレビで、記者会見をやっている場面を見たときです。

正直・・・「かわいらしいお嬢さんだ。才色兼備でうらやましい」と、思った。が、何か引っかかる思いもあった。その時は深く考えずに、STAP細胞は真実だという直感だけがあった。
そして、今、小保方女史が「あの日」という本を書いている。この本のことは知らなかった。下宿の自称情報通のおっさんがこの本のことを話していた。おっさんは、この本を買って読むといっている。私は、「読み終わったら、私にも読ませてもらえないか」とお願いしていた。私は図書館で読むつもりだった。そのおっさんが本を買ってきた。自身が読む前に、私に読めといって貸してくれた。一度は断り、読んだ後でいいと言ったが、読めと言っておいて行った。ありがたく読ませてもらっている。

読むうちに、テレビで見た時の違和感を思い出した。その違和感がどのようなものなのかがわかった。
小保方女史の姿を見た印象が、宮沢賢治先生(以下敬称略)の写真を見た時の印象と同じとわかった。おっとりとした中にも芯があるようだ。

小保方晴子 著 「あの日」より

はじめに p2より引用
「私は誰の期待にも応えられない自分に失望してばかりの人生を歩んできました。そのような人生の中で、初めて顕微鏡下で観察した生きた細胞は本当に美しく、顕微鏡を覗く度にいつも何か新しいことを教えてくれ、ドキドキしたりワクワクしたりする素直な気持ちを何度でも呼び覚ましてくれました。それは、等身大の自分にも何かできることがあるかもしれないと努力する力と、未来への希望を与えてくれるものでした。」
引用終わり

宮沢賢治も、盛岡の高等農林時代に、鉱物の研究をしている。鉱物(意思)を薄く切り、顕微鏡で観察することで、隠されている世界、美しい世界が見えてくる。この世界に魅入られたように研究している。

小保方女史と宮沢賢治の共通点は、一般人とは視点が異なり、感受性も異なるという事。

また、小保方女史は

p24より引用
「・・・略。
こうして、当初は先生から、「不可能」といわれていた、ラットの口腔粘膜上皮細胞シートの自家移植の実験系を完成させた。」

普通の学生は、先生から「不可能」といわれれば、それが常識と受け取り、常識は疑うことなく受け入れ、新たな世界に挑むことはなかなかしないでしょう。小保方女史の姿勢は「魁」といえる。人が挑戦しない分野に挑む姿勢。そのような感覚の持ち主だからこそ、アメリカ留学の道が開け、費用も学校の先生方が援助してくれる動きを創り出す。しかし、牽引する者は時に非常な非難に逢う事がある。

宮沢賢治も、岩手県において農業の指導に当たっている。時代背景は異なるが、小保方女史の感覚は、宮沢賢治の感覚に通じているのではなかろうか。

「あの日」p7〜8より引用
「・・・略。
将来の進路を考えている間、いつも頭をよぎったのは、小児リウマチを患った親友との思い出だった。医師の道も考えたが、間接的でも多くの人の役に立てる可能性のある研究の道を選ぼうと思った。そこで、将来は広く人類に貢献できるような研究をすることを夢に描き、応用科学科への進路を希望していた。・・・略」

「広く人類に貢献できるような・・・」は、いち日本国、倭(大和)民族だけではなく、 地球人類全体に対する想いがある。

私は、人がこの物質世界に生まれてくるのは
「罪障消滅(カルマの昇華)、霊性の向上、人類への貢献」とメモしてきた。
人類の進化への貢献は非常に大きな課題です。その課題を担って小保方女史は来ている。どのような分野でも、どのような形でも、秀でた業績を残すことができるのは、人類の進化への貢献になる。
宮沢賢治も、多くの童話を残すことにより、人の感性の向上に貢献しているのではなかろうか。

今後、この問題がどのように推移するかはわからないが、このような問題が提起される度に、この世界の歪みに気づく人が増えてくる。この事は、ウクライナ問題、IS問題もそうです。
依存から自立へ意識の変化が起きている。
何が正しくて、何がそうでないのかを、一人ひとりが考え、感じ、判断できるようになることにより、マスコミや意図的な発言をする政治家の誘導に乗らなくなってくる。この事は大切なことです。


王 瑞雲 著 「子供の声、草木の声が聞こえますか」p133〜134より引用

“強い”ということ
9月11日のニューヨークの同時多発テロ事件があって、約一ヶ月過ぎた頃、アメリカ人の知人が来日しました。仕事で東南アジアへ行っての帰り、日本に寄ってくれたのです。
いろんな雑談をしているうちに、私は第二次大戦直後、神戸で焼き出されて山中へ逃げ延びたときに事を思い出し、こういいました。

「結局、人にとって一番強いのは、自給自足、自力更生やね」

すると、すかさず彼は、
「それは一番弱い人が考えることです。強い人には自給自足とか自力更生なんていう考え方そのものがないのです」

私はビックリしてしまいました。
「どうして、他人様の世話にならずに生きられるって強いんちがうの?」

と聞きましたら、彼はまた頑として言います。
「とにかく”強い”ということは、何でもほしいものを手に入れられるのです。だから、”もしも困った時には”という前提もありません。そして、アメリカは自分は”強い”と信じているのです」

との事で私はなんだかチンプンカンプンで討論する気もなくなり、黙ってしまいました。
私は幼い頃より”自立”を教育され、できる限り他人様の世話にならないようにとしつけられました。実際は本当に多くの方々にお世話になって生きてきたのですが、「少なくても自分で食べ物を作り出し、いざという時も食べて行けたらいいなあ」といつも考えているのです。子供の頃、山中へ逃れ野草を食べて生き延びた経験で、いつもお母さん方には「子供たちに野草のことを教えてね」と頼んでいるのです。・・・略。

”強い”って事はどういうことなのでしょうか?彼の言ったように”ほしいものは何でも手に入れられる”って、本当に強いことなんだろうか?と思いました。もしも欲しいものが他人様の手にあり、「欲しい」と頼んでも譲ってくれなかったら?考えてみたら恐ろしい限り。争う以外ないのです。

引用終わり。

王先生は小児科医であり漢方医です。
王先生の知人も相当の知識階級でしょう。その知識階級の人が平然と言葉にする。この事は、アメリカの実態を表しているのではなかろうか。

今回のSTAP細胞騒動は、日本人同士の争いに見えるが、その糸をひいているのがアメリカであり、ハーバード大学という構図が見えてくる。再生医療の画期的な世界の扉の鍵を奪う。そう、欲しいものは奪えばいい。この構図です。これまでの歴史を見ればわかるように、幾度も繰り返されてきたことです。国際連合というものを使い、恫喝しながら共謀させられている小さな国々。
一般市民には「共謀罪」というものを作っているが、実際は、一部の凶国連合が平気で行っていること。


「時代認識」のタイトルで

「かの組織は、倭(大和)民族の何を恐れているのか?」

とメモしたことがある。

伊藤忠彦 著 「宇宙が味方する生き方」p254〜256より引用

[巻物]を開くのはどこの国の人か

黙示録の中には、巻物を開く場面を象徴的に描いているシーンがあります。そこでは、「巻物を開く人がいない」と天使が泣き叫んでいたところ、「湯だ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得て開く」とあり、また、「御使いが生ける神の印を持って、日の出る方から上がって来た」という予言が記されています。

そして、巻物を一つずつ開くと、さまざまな災害が起きます。これは新しい光が暗いところを照らすことによって悪がおびき出されている様子を描いているのでしょう。そうして、少しずつ悪の巨大なエネルギーが発散させているのです。そうして、少しずつ悪の巨大なエネルギーを発散させているのです。

それにしても、「ダビデの根」「日の出る方から」と書かれているのは興味深いことです。
最近、テレビでも紹介されましたが、「日ユ同祖論」の研究で有名なユダヤ人マーヴィン・トケィヤーの「ユダヤと日本 謎の古代史」の中に、ユダヤの十二種族のうち十種族が失われ、その一部がシルクロードを通って日本に渡来したという説があります。平安京を設計した秦氏はユダヤ人で、「平安京」とはヘブル語で「エルサレム(エルは都、サレムは平和」を意味しているというのです。これを根拠にユダヤ人の遺伝子を持つ人、神の印、神の奥義を開く人が日本から現れるという説がありますが確かではありません。

スウェーデンボルグの「最後の審判とバビロンの滅亡」という書物の「小麦と毒麦」という項では、スウェーデンボルグが天使に会い、その後の世界について質問している場面があります。それに対して天使は、「世界は悪くなる」と答えた上で、最後に次のようなことを言ったというのです。
「基督教世界から遠く離れ、そのため、「霊界の」悩ます者から遠ざかっているある国民には多くの希望を持っている。その国民は霊的な光を受けて、天的な、霊的な人間になされることのできる国民である。また彼らは言った。現在内的な神的真理がその国民の中に啓示され、また霊的な信仰をもって、すなわち、生命と心の中に受け入れられ、彼らは主を崇拝している、と」

これが預言しているのは一般的には無垢の人が多いアフリカの国ではないかといわれています。
いずれにしても、どこの国かわかりませんが、もし日出るところが仮に日本であるとして、そこから天使が現れる。すなわち巻物を開く人が日本から出るという仮説を立てると、日本はユーラシア大陸の東端に位置して、周囲を海で囲まれているために外界との交流も少なく、ここに古代の遺伝子が保存されている可能性もあるわけです。
しかも、従来のキリスト教国で新しい巻物を開くと迫害を受ける恐れがありますが、日本のような、いわば「雑宗教」の国では、どんな教えも受け入れられる土壌があります。そう考えますと日本人は新しい巻物を開くために歴史的に守られてきた民族かもしれません。果たして、この私のロマンが事実となるかどうか、おそらく後十年後、遅くとも二十年後には明らかになることでしょう。

引用終わり。

宗教的には、色々な解釈があります。だから、多くの宗派に分かれている。伊藤さんの解釈を鵜呑みにはできませんが、第二次世界大戦後からの日本に対するかの組織の姿勢は、潰したいけれども潰せないジレンマがあるのは確かなことではなかろうか。なぜならば、「世界は宗教で動いている」と、言われている。
そして、おそらく世界中の預言めいたものを集め分析しているのだから、日本という国が目の上のたんこぶ状態に置かれているのは確かなことでしょうね。”ヒトラーの予言”もありますしね。

ただ、「ダビデの根」なる存在がひとりの天使を指すのか!?ひとつの民族を指すのかが疑問です。
私は、倭(大和)民族は創造的民族と考えている。
小保方女史のように、創造的思考で新たな世界を開くことができる人も、一人の天使ではなかろうか。そして、この世界の歪みに気づき始めた”サムライ”や”ナデシコ”たちが動き始める。私は、「ダビデの根」はひとつの民族を指すものではないかとも思う。

ただ、キリスト教徒にとっては、大事な予言かもしれないが、他の宗教信者にとっては「あっ そう」で終わる類のものですね。


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やまと 夜曲さん 今回は正常な表現ですね。こめんとありがとうございます。 (16/06/21 08:17)
中年競馬 夜曲 大変興味深く読ませていただきました、いつもどうもありがとうございます。 (16/06/21 05:10)


 ■ 2016/05/29 (日) 真実


ヤスの備忘録より引用


「やはりアメリカがSTAP細胞の特許を独占か。やはり日本はアメリカの植民地でしかなかったようだ。理研はこれをどう説明するのか? https://t.co/Q55khI3ihs」

露骨です。
同じ日本人(中に日本人成りすましの反日妬み種族)に徹底的に批判させておいて、ちゃっかりと特許申請。

アフリカの部族間構想を仕掛け、負けたほうを奴隷に売り渡してきた手法と同じ。
極東の黄色い人種同士いがみ合わせ、仲裁する振りをしての漁夫の利を得る。そして、強奪。

TPP
公正な条約の振りをして、アメリカの絶対有利の立場を崩さない。不平等条約を押し付ける。

やりたい放題ですね。


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 ■ 2016/05/28 (土) 世情


            世情  中島みゆき

       世の中はいつも 変わっているから

       頑固者だけが 悲しい思いをする

       変わらないものを 何かにたとえて

       その度崩れちゃ そいつのせいにする

       シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく

       変わらない夢を 流れに求めて

       時の流れを止めて 変わらない夢を

       見たがる者たちと 戦うため


       世の中は とても臆病な猫だから

       他愛のない嘘を いつもついている

       包帯のような嘘を 見破ることで

       学者は世間を見たような気になる

       シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく

       変わらない夢を 流れに求めて

       時の流れを止めて 変わらない夢を

       見たがる者たちと 戦うため

       ・・・・・・


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 ■ 2016/04/23 (土) 閑話休題


興味深い本を読んだ。

伊藤忠彦 著 「宇宙が味方する生き方」 p186

・・・・略。

聖書の中でも、まず聖書の言葉を読んで、次に神の力を信じてその言葉を実行せよと教えています。しかし、残念ながら現在の教会の教えは、信仰のみで救われるとするものがほとんどです。これは、教義を理解するだけでよいとするものであり、キリストの贖罪によって自分の罪もすべて帳消しになり、キリストの憐れみによって天界に入れられるとする考えです。でも、人を赦すこともなく、隣人愛を実行することもなく、「信じるだけで救われる」というのが本当の信仰と言えるでしょうか。私は疑問に感じざるを得ません。楽な信仰は人間には魅力的ですが、それが神仏の恵みというなら、中世のローマ教会が免罪符を買えば天国に入れるとしたのと同じようなものです。

信仰とは、理性や良心によって自己の中にある欲念や業を克服し、無私の愛の人につくり変えられることを目的としているのであり、決して楽な道はありません。あるとすればそれはすべてまやかしだと思います。

すなわち愛の実践をしようとして、それに抵抗する自分を見出し、神に助けを求めることこそが信仰だと私は思います。それでなければ神と人が連結できないからです。聖書にもそのことを示す記述があります。

「狭い門から入りなさい。滅びにいたる門は広く、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです」(マタイ伝七章十三・十四節)
・・・略。

引用終わり。

伊藤さんはクリスチャン。
「シルバーバーチの霊訓」の知識を選択した私としては、中には「?」の箇所がありますが、今まで妄想日記でキリスト教教会を、信者たちを非難してきた私としては納得できるものもあります。特に、引用させていただいた内容は、普段私が考えていることと同じです。クリスチャンの中にも、このような正当?とも思える考えを持っている人もいるのだと驚いています。

贖宥状(免罪符)

ウッキペデアより引用。
元来、キリスト教では洗礼を受けた後に犯した罪は、告白(告解)によって許されるとしていた。西方教会で考えられた罪の償いのために必要なプロセスは三段階からなる。まず、犯した罪を悔いて反省すること(痛悔)、次に司祭に罪を告白してゆるしを得ること(告白)、最後に罪のゆるしに見合った償いをすること(償い)が必要であり、西方教会ではこの三段階によって初めて罪が完全に償われると考えられた。古代以来、告解のあり方も変遷してきたが、一般的に、課せられる「罪の償い」は重いものであった。

キリスト教に限らず世界の多くの宗教に、宗教的に救済を得たいなら善行や功徳を積まなくてはならないとする「因果応報」や「積善説」という考え方がある[1]。カトリック教会は、救われたい人間の自由意志が救済のプロセスに重要な役割を果たすとする「自由意思説」に基づいた救済観を認め、教会が行う施しや聖堂の改修など、教会の活動を補助するために金銭を出すことを救済への近道として奨励した[1]。
贖宥状はもともと、イスラームから聖地を回復するための十字軍に従軍したものに対して贖宥を行ったことがその始まりであった。従軍できない者は寄進を行うことでこれに代えた。

ボニファティウス8世の時代に聖年が行われるようになり、ローマに巡礼することで贖宥がされると説かれた。後にボニファティウス9世当時、教会大分裂という時代にあって、ローマまで巡礼のできない者に、同等の効果を与えるとして贖宥状が出された。これはフランスなどの妨害で巡礼者が難儀することを考えての措置であった。その後も、様々な名目でしばしば贖宥状の販売が行われていた。
教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示し、贖宥状購入者に全免償を与えることを布告した。中世において公益工事の推進のために贖宥状が販売されることはよく行われることであったが、この贖宥状問題が宗教改革を引き起こすことになる。

宗教改革がヨーロッパ全域の中で特に神聖ローマ帝国(ドイツ)で起こったことには理由があった。ドイツで最も大々的に贖宥状の販売が行われたからである。この大々的な販売は当時のマインツ大司教であったアルブレヒト(ドイツ語版、英語版)の野望に端を発していた。彼はブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の弟であり、初めマクデブルク大司教位とハルバーシュタット(英語版)司教(en:Bishopric of Halberstadt)位を持っていた。アルブレヒトは兄の支援を受けてさらに、選帝侯として政治的に重要なポストであったマインツ大司教位も得ようと考えた。しかし、司教位は本来1人の人間が1つしか持つことしかできないものであった。

アルブレヒトはローマ教皇庁から複数司教位保持の特別許可を得るため、多額の献金を行うことにし、その献金をひねり出すため、フッガー家の人間の入れ知恵によって秘策を考え出した。それは自領内でサン・ピエトロ大聖堂建設献金のためという名目での贖宥状販売の独占権を獲得し、稼げるだけ稼ぐというものであった。こうして1517年、アルブレヒトは贖宥状販売のための「指導要綱」を発布、ヨハン・テッツェル(ドイツ語版、英語版)というドミニコ会員などを贖宥状販売促進のための説教師に任命した。アルブレヒトにとって贖宥状が1枚でも多く売れれば、それだけ自分の手元に収益が入り、ローマの心証もよくなっていいこと尽くしのように思えた。

アルブレヒトの思惑通り、贖宥状は盛んに売られ、人々はテッツェルら説教師の周りに群がった。しかし、義化の問題に悩みぬいた経験を持っていた聖アウグスチノ修道会員マルティン・ルターにとって、贖宥状によって罪の、果たすべき償いが軽減されるというのは「人間が善行によって義となる」という発想そのものであると思えた。しかし、そのときルターが何より問題であると考えたのは、贖宥状の販売で宣伝されていた「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」ということであった。本来罪の許しに必要な秘跡の授与や悔い改めなしに贖宥状の購入のみによって煉獄の霊魂の償いが軽減される、という考え方をルターは贖宥行為の濫用であると感じた(テッツェルのものとしてよく引用される「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」という言葉は、この煉獄の霊魂の贖宥のことを言っているのである)。

この煉獄の霊魂の贖宥の可否についてはカトリック教会内でも議論が絶えず、疑問視する神学者も多かった。ルターはアルブレヒトの「指導要綱」には贖宥行為の濫用がみられるとして書簡を送り、1517年11月1日、ヴィッテンベルク大学の聖堂の扉にもその旨を記した紙を張り出し、意見交換を呼びかけた(当時の大学において聖堂の扉は学内掲示板の役割を果たしていた)。ルターはこの一枚がどれほどの激動をヨーロッパにもたらすかまだ知らなかった。これこそが『95ヶ条の論題』である。ルターはこれを純粋に神学的な問題として考えていたことは、論題が一般庶民には読めないラテン語で書かれていたことからも明らかである。しかし、神聖ローマ帝国の諸侯たちの思惑によって徐々に政治問題化し、諸侯と民衆を巻き込む宗教改革の巨大なうねりの発端となった。

カトリック教会はヨーロッパ諸国に広がった宗教改革の動きに対し対抗宗教改革を行い、綱紀粛正を図ったが、トリエント公会議の決議により、金銭による贖宥の売買は禁止されることになった。
なお、贖宥状の金銭での売買は禁じられたが、発行そのものは禁止されておらず、以後も行われた。


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 ■ 2016/04/23 (土) 言葉と感性と民族性と土地


河合隼雄 著 「日本人の心を解く」より引用

日本神話における中空構造
三人兄弟の一番目と三番目は重要な役割を演じるけれども、二番目の兄弟について何も触れられていない。
この中心が何もしないという構造。
引用終わり。

確かに、古事記などを読んでいても、アマテラスとスサノオウの描写が大きく、二番目の月読がない。アマテラスが「女」スサノオウは「男」、では、月読は・・・!?
河合先生によると、日本神話はこのような中空構造が多く見られるとの事。

今回は、この中空構造自体は、専門家の研究に委ね、“真ん中は何もしない”という事に注目したい。“何も出来ない”のではなく、“何もしない“と言う事にね。
河合先生の本を読んでいて、何かひっかかる感じを受けていた。

日本人にとって、”何もしない”ということは何を表しているのか!?
日本人の精神構造に、どのような影響を与えているのかを、良寛さんとシュバイツアー博士を比較妄想してみたい。
この事は、どちらが正しいかとか正しくないかとか優れているとかそうでないとかの比較論ではないことをあらかじめお断りしておく。

ウッキーペデアより引用

良寛さん

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚。

良寛は越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた(しかし、その生涯をたどる手立ては極めて少ない)。四男三女の長子。父、山本左門泰雄はこの地区の名主・橘屋であり、[1]石井神社の祠職を務め、以南という俳人でもあった(異説では越後国新津(現・新潟県新潟市秋葉区)の大庄屋・桂誉章の子)。良寛は出雲崎の名主であった父の後を継ぐ名主見習いを初めて2年目の18歳の時、突如出家し、子供の頃に勉学を積んだ曹洞宗光照寺にて修行をする。

この時全国各地に米騒動が頻発した。越後にも天災・悪疫が襲い、凶作により餓死者を出した。村人の争いを調停し、盗人の処刑に立ち会わなければならなかった良寛が見たものは、救いのない人間の哀れな世界であった。両親の説得にも関わらず、良寛は頑なに修行を続けた。

出家後、安永8年(1779年)22歳の時、良寛の人生は一変する。玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を"生涯の師"と定め、師事する。良寛は故郷を捨てたが、この世にあらん限りは父母の言葉を身に包み生きよう、と誓った。円通寺の格式は高く、その入門には厳しい戒律を通過しなければならなかった。そして経を学ぶことより、勤労に励むことを第一としていた。「一日作らざる者は、一日食わず」国仙和尚は日を変え言葉を変えて良寛に説いた。その教えは後の良寛の生き方に強い影響を与える。良寛が修行した僧堂は、『良寛堂』として今もその当時のまま残されている。修行4年目の春、良寛は母の訃報に接する。しかし帰郷は許されるはずもなく円通寺の修行は12年も重ねた(この円通寺の修行時代の良寛を記すものはほとんど残っていない)。

寛政2年(1790年)印加(修行を終えた者が一人前の僧としての証明)を賜る。翌年、良寛34歳の時「好きなように旅をするが良い」と言い残し世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡り始めた。父の訃報を受けても放浪の旅は続け、義提尼より和歌の影響を受ける。48歳の時、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵(一日五合の米があれば良い、と農家から貰い受けたことからこの名が付けられた)にて書を学ぶ。『秋萩帖』はその手本として自ら選んだ。五合庵の良寛は何事にもとらわれず、何者にも煩わせることもない、といった生活だった。筍が顔を覗かせれば居間を譲り、子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じるのだった。良寛は歌に「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」と残している。書は良寛にとって己が鬱勃たる心情の吐露だった。

また書を学ぶうち、従来の書法では自身の心情を表せることが出来ず、良寛独自の書法を編み出す。それは、上手に見せようとするのではなく、「一つの点を打つ」「一つの棒を引く」その位置の僅かなズレが文字の命を奪う。そんな際どい瀬戸際に筆を運んで良寛の書は出来上がる。五合庵での階段の昇り降りが辛くなり、61歳の時、乙子神社境内の草庵に居を構えた。円熟期に達した良寛の書はこの時に生まれている。

70歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。
・・・以下略。

シュバイツアー博士

アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer, 1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、ドイツ出身のアルザス人で、ドイツ系の神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。
名のAlbertは、フランス語では「アルベール」となる。姓のSchweitzerは、「シュヴァイツェル」「シュバイツァー」とも表記される。
ジャン=ポール・サルトルは伯父シャルル(1844年 - 1935年)の孫(いとこにあたるアン・マリ−の息子)にあたる。ルノーの前代表取締役のルイ・シュヴァイツァー(Louis Schweitzer)はいとこの孫に当たる。また、弟パウル・シュヴァイツァーは指揮者シャルル・ミュンシュの姉エマと結婚した。

20世紀のヒューマニストとして知られている人物である。30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている。日本においては、内村鑑三などによって古くから紹介され、その生涯は児童向けの偉人伝において親しまれている。

哲学でも業績を残し、「生命への畏敬」の概念で世界平和にも貢献した。「密林の聖者」と呼ばれている。また、音楽にも精通し、バッハ研究でも有名である。「人生の惨めさから逃れる方法は二つある。音楽と猫だ」という言葉を残している[1]。生まれつき非常に頑健であまり疲れない身体を持っていた。

生命への畏敬とは、シュヴァイツァーの思想と実践の根底にある考え方である。人間をはじめとして生命をもつあらゆる存在を敬い、大切にすることを意味する。彼は生命あるものすべてには、生きようとする意志が見出されるとする。この生きようとする意志は、自己を完全に実現しようとする意志である。シュヴァイツァーはこの事実から出発して、すべての人が自己の生きようとする意志を大切にすると同時に、自分と生きようとしている他の生命をも尊重しなければならないと考えた。それは自己と他者、および生命あるものとの共存をめざす考え方であり、アフリカでの医療活動はまさにその実践であった[2]。
・・・以下略。

引用終わり。

良寛さん、シュバイツアー博士に共通する事柄は、二人とも信仰者であったこと、命に対して畏敬の念を持っていることではなかろうか。そして、多くの人に慕われた事。
しかし、決定的に違うことは、良寛さんは厳しい修行を収めた後、五合庵で、何にも捕らわれず、慣行的な行いもせず、子供たちと戯れて過ごしている。
シュバイツアー博士は、アフリカの医療奉仕の為に、生涯を捧げ、アフリカとヨーロッパを往来している。

さて、この違いはどこにあるのか!?

当然、時代背景、民衆の意識レベルなどを勘案しなければならないが、良寛さんは、ある一定の意識レベルに達した後、この世的な欲が極度に低くなったのではなかろうかと妄想している。
シュバイツアー博士は、信仰者としての使命感に燃え、刻苦勉励し医師の免許を取得して、アフリカに赴いている。神学者として、音楽家としてそれなりに成功しているにもかかわらずにね。キリスト教の奉仕の精神が表れている。

日本には、時代を遡ると、一休さんがいる。アニメにもなったから多くの人がご存知であろうと思う。

ウッキーペデアより引用

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。

出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている[1] 。『一休和尚年譜』によると母は藤原氏、南朝の高官の血筋であり、後小松天皇の寵愛を受けたが、帝の命を狙っていると讒言されて宮中を追われ、民間に入って一休を生んだという[2] 。
幼名は、後世史料によると千菊丸。長じて周建の名で呼ばれ狂雲子、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)などと号した。戒名は宗純で、宗順とも書く。一休は道号である。

6歳で京都の安国寺[3] の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門・受戒し、周建と名付けられる。早くから詩才に優れ、13歳の時に作った漢詩『長門春草』、15歳の時に作った漢詩『春衣宿花』は洛中の評判となり賞賛された。
応永17年(1410年)、17歳で謙翁宗為(けんおうそうい)の弟子となり戒名を宗純と改める。ところが、謙翁は応永21年(1414年)に死去し、この頃に一休も自殺未遂を起こしている[4]。

応永22年(1415年)には、京都の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる。「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから華叟より一休の道号を授かる。なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指す。

応永27年(1420年)、ある夜にカラスの鳴き声を聞いて俄かに大悟する。華叟は印可状を与えようとするが、一休は辞退した。華叟はばか者と笑いながら送り出したという。以後は詩、狂歌、書画と風狂の生活を送った。
正長元年(1428年)、称光天皇が男子を残さず崩御し伏見宮家より後花園天皇が迎えられて即位したが、この即位には一休の推挙があったという[5]。文明6年(1474年)、後土御門天皇の勅命により大徳寺の住持[6]に任ぜられた。寺には住まなかったが再興に尽力し、塔頭の真珠庵は一休を開祖として創建された。また、戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになった。天皇に親しく接せられ、民衆にも慕われたという。

文明13年(1481年)、酬恩庵(京都府京田辺市の薪地区)おいてマラリアにより死去。享年88。臨終に際し「死にとうない」と述べたと伝わる。墓は酬恩庵にあり「慈揚塔」と呼ばれるが、宮内庁が御廟所として管理している陵墓である[7]ため、一般の立ち入りや参拝はできない。

自由奔放で、奇行が多かったといわれる。以下のような逸話が伝わっている。

・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
・男色はもとより、仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、森侍者(しんじしゃ)という盲目の側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。
・正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。
こうした一見奇抜な言動は、中国臨済宗の僧・普化など唐代の禅者に通じ、禅宗の教義における風狂の精神の表れとされる。同時に、こうした行動を通して、当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らしていたと解釈されている。彼の禅風は、直筆の法語『七仏通誡偈』が残されていることからも伺える。

このような戒律や形式に囚われない人間臭い生き方は、民衆の共感を呼んだ。江戸時代には、彼をモデルとした『一休咄』に代表される頓知咄(とんちばなし)を生み出す元となった。
一休は能筆で知られる。また、一休が村田珠光の師であるという伝承もあり、茶人の間で墨蹟が極めて珍重された(なお、珠光の師という説は現在の研究ではやや疑わしいとされる)。
著書(詩集)は、『狂雲集』『続狂雲集』『自戒集』『骸骨』など。東山文化を代表する人物でもある。また、足利義政とその妻日野富子の幕政を批判したことも知られる。
引用終わり。

良寛さんや一休さんを生み出す日本の風土とはいったいどのようなものなのだろうか!?
日本には、一定の意識レベルに達することで、物質世界の虚しさを感じざるを得ない心境になるのではなかろうか。西洋の人たちと、日本人を比較する事自体ナンセンスな事だと解ってはいるが、人は違って当たり前、民族も違って当たり前、国も違って当たり前・・・故に、どのように共存関係を結ぶべきかが大切なことだと思う。
グローバル化による、十派ひとからげの世界など、気持ち悪い世界であり、衰退する世界でしかないのではなかろうか。

最後に、福島県の会津地方出身の野口英世先生のことをメモする。

ウッキーペデアより引用。

野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日[1] - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の細菌学者。福島県出身。
猪苗代高等小学校卒業、済生学舎(現在の日本医科大学)修了後、ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員。細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年5月21日、ガーナのアクラで51歳で死去。

栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。キリスト者。
妻はメリー・ロレッタ・ダージス。
・・・以下略。

野口先生もキリスト教徒である。


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 ■ 2016/03/05 (土) 野鳥観察記


朝、下宿の前の駐車場の隅に、餌を置いている。
当初は、カラスのごみ荒し防止の為にしていたが、雀たちも来るようになっている。今は、からす、すずめ、レキセイ他、名も知らぬ二種の野鳥が来るようになっている。

雀が一番多い。
雀の群れを見ていると、白っぽい小鳥が混じっているのが見える。
茶色の頭の雀の群れの中に、白っぽい頭が見える。目立つ。
よくよく見ていると、羽にも白い部分が散在している。雀とは別の種の鳥か!?

現在、三羽を視認している。
雀の群れに混じって、行動を同じくしている。白っぽい部分を茶色にすると雀である。

自然発生的な変異か!?

現在の福島県の環境を考えると、放射能による突然変異が強く疑われるのではなかろうか!?おそらく、多くの人が気づいているのではなかろうか!?

地元のご婦人と話した。
講演会に出かけたことがあり、学者の話を聞いたそうだ。その学者いわく、「放射能の影響は絶対ない」と断言しているようだ。
ご婦人は憤慨されていた。このような状況で”絶対”という言葉を使うとは何事か!とね。

放射能の影響は静かに、着実に浸透している。

東電は、「メルトダウン」の事実を今頃公表している。5年間沈黙していて、今頃ね。東電にすれば、多くの人に確実に被爆していただいたから、そろそろ出すか・・・との思いか!?民主党の岡田議員、枝野議員も「大丈夫だ」を繰り返しながら、自らの視察の時は全面防護服着用である。

鳥の話に戻す。
いくら隠しても、自然界を見ていると確実に影響が出ていることがわかるのではないか!?
おそらく、関係機関は調査、研究をしているでしょうね。そして、5年後、10年後に、実は、あの時の状況はこうでした!と、平然と出してくることでしょうね。


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中年競馬夜曲 やっぱり半端にいつもどうもありがとうございます、天の波動が仕事見つけて生きがい感じ始めたことおおいに嬉しいことと申している、僕も嬉しい・・・がんばっていただく、やっぱり半端に感謝が大事、感謝がないから世の中とんでもないことになっていく・・どうぞよろしくお願いする、やっぱり半端にいつもどうもありがとうございます。by運命の天の波動をもつ中年競馬夜曲より(東京信用金庫もよろしくお願いする、まりあさんも) (16/03/10 17:07)


 ■ 2016/02/06 (土) 革命と国譲り


明治維新を考えていると、古事記に記されている「国譲り」に遡る。

勝海舟と西郷隆盛の会談により、江戸城無血開城、徳川家の温存。

西洋的な革命思想では考えられない事。

明治維新は革命ではなく「国譲り」。

さて、政界では「維新」の名が使われている。

政治家は、「維新」をどのような意味で使っているのだろうか!?

「革命」のやり直しのつもりなのか!?

アメリカ大統領候補の一人が「革命」という言葉を使っているようだ。

中東の紛争でも使われているようだ。

支配層は、今年は「革命」というスローガンを掲げ、人口淘汰、世界政府の樹立に向かうのだろうか!?

日本の心を失った人々は・・・!?


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やまと 権瓶さん 支配層は動かす側です。どのように転んでも、実害がないようにしているようです。 (16/03/04 15:03)
権瓶 支配層は革命はしないでしょう? (16/02/09 20:06)


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