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爺放談


 ■ 2008/10/31 (金) 波乱万丈23


「○○!お前髪の毛洗ってるのか?なんかバリバリになって所々が固まっているぞ。
飲食を扱っているのだから身なりにもう少し気を使えよ!」

そうです。私はもうしばらくお風呂というものには無縁の生活をしているのですから当然髪の毛どころの話ではなく、身体全体・衣服などもはっきり言いまして半端じゃなく汚いのです。

この仕事では制服に着替えますので、衣服の汚れは気付かれませんが多分近くでは体臭も出ていたのではないでしょうか・・・

「あかん、身体をなんとかせないいかげん気付かれてしまう、やっぱり気合入れてトイレの水道で洗わなあかんな〜」

そして仕事が終わり、何時もの寝床へ帰りトイレの水道の蛇口をひねって見る・・・

「冷たい! こんなんでやったら凍え死ぬで!」

「でもここでしか洗われへんし・・・・」

私は意を決して、水が身体に掛からないよう髪の毛だけを水ですすいで洗いました。

「うわー!めちゃくちゃ寒い!最悪や!」

私の身体はいくら頭だけでも水浸しの状態は、夜の寒さで全身を凍えさすにも十分で、いくら毛布で身体を包んでも凍えた身体には焼け石に水でした。

「寒い!寒すぎる・・・・・」

私はあまりの寒さでじっとしてられず、公園内を全速力で走り回り、髪の毛が早く乾くのと運動をすることで寒さに対抗したのでした。

「早よかわけー!」

「ハーハー!だんだん暖かなって来よった!このやりかたが一番やな」

「でも、真冬のことを考えると身の毛がよだつわ」

「身体を拭くんは、恥ずかしいけど昼間にしかでけへんな〜」

私はこうして、この問題をなんとかクリヤーしていきました。

しかし、そんな毎日があり、しばらくしたある日のこと・・・・

「○○君!少し話が・・・・」

「はい、店長」

「君、ちょっと噂で聞いたのだが、うちの店の客の残飯を持ち帰っているって話は本当か?」

「えっ!」

「いやね、板長さんが、君が残飯を袋に詰めて持って帰っている、と言ってんだよ」

「・・・・・」

「それって本当なの?」

「は・・・はい・・・・」

「そうか、本当なのか・・」

「君にも事情があるのだろうけど、あまり多くは聞かないけど、そういった事はあまりよろしくないんだよ、他の従業員の手前もあるからさ、全員が食費の足しにしだしたら収拾がつかないんで止めて貰えるか?」

「すみません・・・でもどうしてもだめでしょうか?」

「店内では客の見えない所でやっているのは知っているし大目に見ているが、それを持って帰るまではねぇ」

「はぁ」

「しかし君もそんなにお金が無いのか?」

「・・・・・・」

「そんなホームレスの様な生活をしているわけではないだろ?」

「・・・・・・」

「まーなんにしてもそういうことで、よろしく頼むよ」

「はぁ・・・」

さーこれで大変になりました。

私の唯一の食料の確保が出来なくなったのです。

しかしそれよりも問題があり、私の職場内、特に一緒に仕事をしている板長さんとの関係が日増しに悪くなっていったのでした。

私は残飯を持って帰れなくなりましたので、仕事中に残飯を食べる頻度が前にも増して激しくなり、それが板長さんには当然ですが卑しく見え、ある時からはほとんど口も聞いては貰えず、仕事での言葉も日増しに強い口調になり、私の職場内での居場所は針のむしろとなって来たのです。

「○○君!」

「はい、店長」

「君も分かってはいると思うが、板長さんが君を辞めさせろといっているんだ」

「・・・・・・」

「君はどんな生活をしているんだね?」

「・・・・・・」

「私も何とか君には居て貰おうと思っていたんだけど、ここまで板長さんに嫌われては君も居辛いだろう?」

「・・・・・・」

「板長さんの言っていることは当たり前のことなんで、君にも分かってもらえると思うが辞めて貰うより仕方が無いよ?」

「店長!どうしてもダメですか?」

「板長さんも、もう君とは出来ないと言っているし・・・」

「店長!僕がここを辞めさせられたら死んでしまいます、お願いです、絶対無理ですか?」

「何を馬鹿なことを言っているの?とにかくもう仕様が無いよ」

「本当に死んでしまうんです」

「あんまり訳の分からないこと言わないで、それと、残りの給料は次の給料日に取りに来てください・・・・」

「あ・・・・ぁ・・・」


こうして私の一縷の望みであった仕事も無くなりました・・・・



これで、正真正銘、ホームレスとなったのです。


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ホームレス ミネヤっち えっ!もうパクられた? やっぱり名作は早いですね〜まだ途中ですよ!^^ (08/11/01 05:04)
ホームレス まりあさん なにか?まりあさんも相当波乱万丈な人生を歩んで来られたのでは?そんなまりあさんに捧げましょう!私から貴方へ「愛の讃歌」!あなた〜の燃える手で〜わたし〜を抱きしめて〜♪♪♪^^えっ?今年?だだっだだだいじょうぶ?ですよ・・・^^ (08/11/01 05:01)
ホームレス fさん 大変嬉しいコメント本当に有難うございます。ご出身は九州ですか、九州は良いところですね^^私は良く大分、熊本に遊びに行きました。いやー、本当に良い所で、熊本の景色は日本にあまり無い風景で温泉もいっぱいあって、いつかここで暮らせるならと良く思っていました。あ〜!また行きたいな!^^ (08/11/01 04:54)
ホームレス ばばりんさん 小学館、講談社、文芸春秋、でお願いします。集英社だけはやだ!私を殴って目を覚まさせてください!^^ (08/11/01 04:49)
ミネヤ ホームレス大学生のパクリやな!じょーだんやでw (08/10/31 23:39)
まりあ 寒い時に体が濡れると、そこから凍傷にもなりますね。私も体験したことがあるので本当によくわかります。家、最愛の家族の一人など何もかも失って、両足に怪我を負い、ハイハイしながら凍て付く焼地を這いずり回った95年1月を思い出しました(人物が特定されそうなので詳しくはナイショ)。ホームレスさん、今年は大丈夫?(^_^;) (08/10/31 22:32)
 ほんまオモロイ!長文やけど口語主体やし、改行も多く、あっという間に読んでしまうw関西在住なので関西弁も親しみやすくグッド(出身は九州だがw)。本にすればマジ売れますわ。 (08/10/31 22:29)
ぱぱりん まだ一月たってないのにここまで書ききってる・・・凄い! ぜひ出版して印税生活しよう、そうしよう (08/10/31 21:53)
ホームレス 43歳さん ばっちり私だけ! (08/10/31 08:10)
43歳 その若さでホームレスっていなかったんじゃないか ホームレスの多くは60歳以上でしょう。 (08/10/31 07:51)
ホームレス 現在は平穏無事に?過ごしておりますよ^^ うん?どうかな?・・・^^ (08/10/31 07:15)
支援 それは安心しました。今はどんな生活をしているのでしょうか。 (08/10/31 06:54)
ホームレス 支援さん 初めてのコメント有難うございます、ご心配をおかけして誠にすみません、この日記は私の過去の話です。勘違いをさせて誠にすみません、もしよろしければこれからも見てやって下さい。本当にご心配をお掛けしてすいませんでした・・・ペコリ! (08/10/31 06:47)
支援 ネットカフェにはシャワーもあって無料だよ。ここは掲示板のURLは貼れないから掲示板にあるこのスレを見たらいいです。「ワーキングプア ホームレスを支援しよう。」 (08/10/31 06:38)
支援 マクドナルド、ネットカフェにも泊まる事はできないのですか。マクドナルドなら捨ててある紙コップを買ったふりして過ごせるのでは。公園の公衆トイレを占拠しても苦情がでて長く住めないと思います。p/1173744829/  (08/10/31 06:30)


 ■ 2008/10/30 (木) 波乱万丈22


ホームレスの方々が公園に多く居る理由は、それまで考えたことがありませんでしたが今は分かります。
水とトイレがあるからです・・・・・・・


私はとうとうアパートを離れなければならない日が来ました。

もともと荷物などは余りありませんでしたので、ボストンバッグと毛布だけを持って部屋を後にしました。

残った荷物は持って出れませんでしたので、ゴミ捨て場に全部置いてきました。

東京の空はこれから冬へと向かうところです、昼間でももう肌寒く、私のこれからの生活は、いきなり自然との闘いに備えなければならないのです。

さもないと、本当に命に関わる危険性があるのです。


「あ〜、もう直ぐバイトに行かなあかんな〜」

「何があっても、このバイトだけは続けていかなあかん!これが俺の最後の生命線や」

「何とか続けてさえいれば、いずれはこんな生活からも脱却できる!」

私のその時の一縷の望みはこのバイトを死んでも守り抜くことだけでした。

「せやけど、この荷物どないしょうか?」

「こんなん何時も持ち歩いてバイトに行ってたらみんな変に思うで」

「これからの事思うと捨てるわけでけへんしな〜」

「公園のどっかに置いといたら他のホームレスに持っていかれるかも知れんし・・・」

結局私がしたことは、バイトの直前に公園のトイレの一つに荷物を置いて中から鍵を掛け、上が開いているのでよじ登って外に出てバイトに行くと言うやり方をしました。

「どないかな〜?これで当分は凌げるかな〜?できればここで当分暮らせていけるかな〜?ここやったら雨風凌げるし、床は汚いけどトイレットペーパーで拭けばなんとかいけるし、毛布もあるから何とか寝れるやろ・・・・」


その日のバイトは、私は何時ものように、何にも変わりが無いように、何かあったのか?などと思わせないように、そのことを念頭において仕事をしました。

ただ、何時もと一つだけ違っていたのは、客の残り物を何時もならここまでは手を出さない物まで食べ、それ以上は誰にも見つからないようビニール袋に入れて隠し、帰りに見つからないよう持って帰る事でした。

仕事が終わり、寝場所に帰る途中は荷物があるかどうかでドキドキしました。
トイレに入り、ドアを開ける!鍵が掛かって開かない!「ふ〜!」と一息付いてノブに足をかけ、一気に上へ・・・「良かった!荷物がある!」

私はトイレに腰掛け、お腹に隠していた袋を取り出し、客の残り物をつまみながら・・・

「なんとかなる、なんとかなる、なんとかなる・・・・・・・」

この言葉を何度も何度も繰り返しては残り物を口に入れ、夜の寒さと惨めな気持ちを覆い隠せと言わんばかりにまた何度も、

「なんとかなる、なんとかなる、なんと・・・・・・・・・・なんとかなるんか?」

どんなに自分にありったけの勇気と希望を唱えたところで現実は何も変わりません。

実の所、この時の私は、もう這い上がれる自信も勇気も希望も無く、ただ・・・・


「死にたない! 寒い! これからもっと寒なる!」



四角く狭いトイレの中、私は死への恐怖で震えながら一度だけ大声で叫んだのでした。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」









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ホームレス めとろんさん いやーそんなに誉めないで下さいYO!なんかこんなに誉めてくださるとは考えてもいませんでした^^うん!ま!まさか!めとろんさん!ひょっとして、私にほ・・・・・・・^^ (08/10/31 06:40)
ホームレス ダメオさん えっ!私が悪党!だ!誰がそんなことを!なに!24歳年下の奥さん?何を言っているのですか?そんな事実無根な噂が飛び交っているのですか?だって常識で考えてみて下さいYO!そんなことあるわけ無いじゃありませんか!しかし悪い噂を流す人もいるものですね〜!そんな噂を流す、うん?ま!まさか!めと・・・・・・・^^ (08/10/31 06:35)
ホームレス まりあさん 世の中には知って良いものと知らなくて良いものが有ると言う事も有ると言う事も有ると言う事も有るという・・・・うるさーい!^^ (08/10/31 06:29)
めとろん はい。悪党です。私も25歳の男性行員さんの未来を思ってちょっかいかけませんでした(^0^)w・・・とうとうなるようになりましたね。でもこの男はどこまでも悪運強そうです。生き延びようとするタイプで自殺の心配もないと思います。なぜなら並の人間は家賃とライフラインを死守するためにぼろぼろになって働くのです。それをワープアと言っても過言ではありません(その頃ワープアという言葉はありませんがライフラインを守るために働くのは同じです)実に大物です^^; (08/10/30 18:13)
ダメオ 他の人の日記で、ホームレスさんが悪党だった事を知りショックを受けてます( ̄□ ̄; 24歳下の奥さんを貰うなんて〜私は15歳下でも自ら身を引いたというのに・・・ ああ〜ホームレスさんの様な人がいると知ってたら、私も身を引くんじゃなかったよ・・・ 分かりましたよ!そんな悪党だからこそ、この日記みたいに苦労する運命にあったのですね〜 それで納得しますv(^_^) (08/10/30 12:40)
まりあ 日記の要旨からそれますが・・・・/気配がしない男子トイレの鍵が掛かっているのは、そういうこともあるのですね(まったく知りませんでした(+_+) )。この日記を拝見して目から鱗が落ちました。トイレがとっても近いとき、許可男性の方に許可を得て、何度か男子トイレをお借りしたことがあるのですが^^; 何故?!と不思議に思っておりました。/家賃の滞納分について、取立てや居座り人がなくてよかったですね。以前は借金を完済するまで変な気を起こさないように、ずーっと部屋の中で居座る借金取りの方がいましたからねぇ。。。。 (08/10/30 10:32)


 ■ 2008/10/28 (火) 波乱万丈21


仕事が終わった・・・・

帰路に付く・・・・

アパートに到着・・・・

いつもの様に電気のつかない部屋へ入る・・・・

腹が減った・・・・

何かあるか?・・・・

残り少ない何時ものインスタント・・・・

器に空け、水を入れる・・・・

「キュッ」・・・・

うん?・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



そうなんです、とうとう水を止められたのです。

水を止められたと言うことは、蛇口から水が出ないのは当然ですが、その他に、トイレも流せないと言うことです。

私は、それまで水というものがどれほど価値があったのか?と言うことを考えたこともありませんし、蛇口をひねれば絶対に出てくるものと思っていました。

それがこの状況になって、初めて気づいたのです。
水がどれほど貴重で、生活をするに至ってどれほど重要な物であるかを、出なくなって切実に身に染みて分かったのです。

「俺はアホや、何で気付けへんかったんや、こんなことよう考えたら当たり前やんけ、
水止められたら何もでけへんやんか!トイレも流されへんから溜まる一方や、どないしたらええねん!」

そんなことをいまさら言っても後の祭りです。

私の所持金はその時、次の給料日まで僅かしか残っていません、しかもそれはまだ先です、おまけに次の給料は中途半端な分しか出ません、とてもその方面に回せるほどの余裕などある訳も無く、また、今の職場は食事つきではありませんから、ほとんど八方ふさがりの状態です。

「くそう!やっぱり飯付を探すべきやったんや!せやけど付いてると思ったんやけどな、そんなこと今更言うてもしょうがない・・・・」

「どないかせなあかん!」

「仕方ないから、公園まで歩いていって水を持ってくるか?」

「トイレは公園でして、必要な分だけ何かに入れて確保するか?」

「でも何に入れる?・・・・」

当時は現在のように何リットルも入るペットボトルなどはそんなに無く、1リットルがせいぜいです。

それでもしばらくは、それでどうにか暮らせて来ましたが・・・・・

「コン・コン」

「う〜ん、誰や寝てんのにうるさいな〜」

「コン・コン」

「はい!どちらですか?」

「はっ!やばい!返事してもうた!不動産屋かもしれん!寝込み襲われてもうた!頼む!不動産屋はやめてくれ!」

しかし、その願いむなしくだったのです。

「○○さん、これまで幾度と無く、再三の通知と、何度もお尋ねしたのですがお留守だったようで・・・・」

「それでですね、これまでの姿勢や今後も考えますとこれ以上ここを貴方にお貸しすると言う事は大変困難であると、大家さんとの話し合いで決まりました。」

「・・・・・・・・・」

「つきましては、貴方の事情もあることでしょうし、今月一杯でここを明け渡すようよろしくお願いします。」

「ちょっ!ちょっと待って下さい!本当に申し訳無かったです!今ようやく仕事も決まってこれからはお支払いもいっぺんには無理ですが払って行こうと思っていました。
ですからもう少し、後もう少し待って貰えないですか?
本当にすみませんが・・本当に全ては私が悪いのですがお願いできませんか?」

「○○さん!大変申し訳ないが言わせて貰いますよ!私らも大分前から言って来ましたよ!本当ならもっと前にこうなってても不思議じゃないですよ。
おまけにこの大家さんは良い人ですよ、本来なら出て行く際、現状復帰の為に費用を請求するものですが、それも無し、それよりも貴方がここに入る際に本来必要な保証人も取らなかったので貴方が延滞している家賃も全部、大家がかぶることになったのですよ。」

「・・・・・・・・・・」

「わたしはあまり多くは言いたくないですが、あなたはちょっと社会をなめてますね!
家賃の件は大家も甘い面があるから強くは言えませんが、でも、こんな大家だから貴方はずいぶん助かっているのですよ。
そのことを踏まえれば貴方がこれ以上何かを要求するって・・どれだけ甘えているかを考えて仰って下さい!」

「すみません、言われている通りです、良く分かります、でも、他に行くとこがないんです」

「そんなことは私の知る限りではありません」

「本当なんです!本当にどこにも行くとこがないんです、お願いします!お願いします!」

「○○さん そこまでして東京に居る必要が無いんじゃないですか?私は故郷に帰ることをお勧めしますよ」

「すみません!故郷へは帰れません!どうしても帰れないんです!」

「では、親御さんに事情を説明してお金を送ってもらえば良いじゃないですか?
今の若い方々は皆そうしていますし・・・」

「無理です!それは絶対に無理です!」

「ご兄弟は?」

「いますが、それも無理なんです!」

「ではどうすることも出来ませんね、私どもも大損をしています、おまけに貴方のおかげで信用も失いそうなんです、貴方の言い分は貴方の都合ばかりですね・・・・・
結局は何も変わりませんので、今月にはここを空けてください、これ以上はお話はありませんのでこれで失礼します・・・・・」

「あ・ぁ・・・・・」


不動産屋の言うとおりです。

全く何も言い返せません。

確かに自業自得なのです、しかしその時の私は目の前が真っ暗になると同時に色々な事が頭を駆け巡りました。

家の事、母のこと、姉のこと、兄のこと、そして・・・自分のこと・・・・・

「いったい俺はどうなるんや?」

「ひょっとしたら死ぬんちゃうか?」

「もう本当に何もあらへん!こんなんやったら来ぇへんかったら良かった」

「おかぁちゃん、おねぇちゃん、おにぃちゃん・・・・・・」

「もう会えへんかもしれん・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」




もうすぐ、東京にも冷たい風が吹く頃です・・・・





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ホームレス サイコロさん これが小泉君の言っていた三位一体の改革ですか?・・・・反省の色無し! すみまっせ〜ん!(^^;) (08/10/30 04:48)
サイコロ お気の毒です。ホームレスさんも大家さんも、そして、その間に立っていらした不動産屋さんも・・・・・お金があれば、こんな苦労をしなくて済むのに。よく、仕事の関係で、家賃を支払ってくれないと言われる大家さんから相談を受けることがあるのですが、・・・大家さんも、わずかな年金に加え、家を貸すことによって生計を立てていらっしゃるケースもあって、そのような話を聞くと、どちらも大変だな〜って思ってしまいます。 (08/10/29 00:06)
ホームレス 壷中の天さん えっ!天さん えっ! あっ!あの〜、え・えい・映画のは・話は・・・・い・いえ・聞かなかったことにしてください・・・しょぼん....^^ (08/10/28 22:19)
壷中の天 文章の間に「会話」が頻繁に入って臨場感がありますね。次回作もよろしく。 (08/10/28 22:10)
ホームレス まりあさん 備えあれば憂い無し!どんな時も備えがあれば気持ちも充実!^^え〜っと、貯金の方は如何ほど?・・^^ (08/10/28 21:43)
ホームレス めとろんさん へへ!そんなに誉めないでください・・・・へへへ・・・(^^;) (08/10/28 21:38)
まりあ 大変な過去でしたね。水道が止まるとショックですよね。公園の蛇口には使用利用防止目的に、水栓付きの蛇口がありますよね。私は万が一に備えて水栓解除用の【呼び13,呼び20(四角対辺8~7テーパー用)】と呼ばれる、水栓解除パーツを非難袋に入れています(^_^;) あっ、私は怪しいモノではありませんよw (08/10/28 21:08)
めとろん 悪い奴やなあ・・・ (08/10/28 20:49)


 ■ 2008/10/27 (月) 波乱万丈20


ようやく、東京に来てもうすぐ半年が経とうかというぐらいだったと思いますが仕事が決まりました。
今度は居酒屋パブでの皿洗いのバイトです。
どういう訳か?ここの店長が私を気に入ってくれ・・・

「ちょうど洗い場が人が足りないのでそこでもいいかい?」

「はい、どこでもいいです、よろしくお願いします」

私は、この職場で働く従業員達の雰囲気がすごく気に入り、何か和気あいあいとしているように見えたのか、ここでは長く働けるように思えました。

実際働いてみると、調理場の人達やお運びの仕事をしている人達もすごく良い人ばかりで、私のその予感は当たっていました。

しかし、やはり閉め日の関係で、まともに給料を手に出来るのは二ヵ月後になりますので、その辺だけが問題ですが、職場としては申し分のないものでした。

「あ〜、最初からここやったらこんな状況にならへんですんだのにな〜」

「それでもきまったんやから良かったな〜」

「ホームレスのおっさんに言わなあかんな」

その職場での仕事は皿洗いですので、私は直ぐに慣れ、平日などはそれほど忙しくも無いので、少し怖い板長さん等と色々な話をして直ぐ打ち解けました。
しかし金曜土曜は、鬼のように忙しく、洗い場は直ぐに洗い物でいっぱいになり、どんなに洗っても洗っても追いつかない程のものでした。

そんな中でも私がこの職場が気に入っている一つの理由があったのです。
それは、客が食べ残した物をつまみ食い出来ることでした。
もちろん板長さんや店長には気づかれないようにこっそりとですが・・・それでも客が全く手を付けていない物や、高価なもので食べ残してあるものは他の従業員も食べようと狙っている者もいて、競争率は激しいのでした。

ある日の宴会のお客さんが入った時です。
そのお客さんに出した料理が豪華で、私は・・・

「このお客さん達、料理残さへんかな〜」

「特に伊勢えびのさしみ!食うてみたいな〜」

「どんな味やろな〜」

私は昔からどう言う訳か伊勢えびに凄く惹かれるものがあり、どうしても食べてみたい一品であったのです。
しかも、それが運がよければ食べれるかもしれない、しかもタダで!
私はそのお客さんが帰るのを今か今かと待っていました。

すると、フロアーから「ありがとうございましたー」の声!

「うん?帰ったか?」

すると、大量の下げ物が従業員の手で運ばれてきました、その中に伊勢えびを乗せた大皿が・・・・・・

「で〜! ほ!ほとんど手付かずやんけ〜! なんちゅうラッキーなんや〜」

私は憧れの伊勢えびをゆっくり堪能したかったので、それを乗せた大皿を残し、他の溜まった洗い物を全部片付けてからゆっくり味わおうと思い、猛スピードで洗い物に取り掛かりました。

すると、他の従業員が、一つ、また一つと伊勢えびが減っていくのです。

「うわ〜!早よせな無くなるで、でもまだあるから間に合うかな?」

やがて洗い物が終わり、さー念願の伊勢えびです。
一つつまんで口に運ぶと・・・・

「う〜ん?なんや?あんまり美味いもんとちゃうなー、なんかすっぱいな!腐ってんのか?そんなことないよな〜」

私は、あれほど憧れていた伊勢えびだけに、その味が期待はずれであったため・・

「世の中の人が言うてる高価なもんて実際はそんなに美味いもんとちゃうねんやろなー、みんなオーバーに言うてるだけなんやろ」

そして、仕事も一段落すんで、そのことを他の従業員に言いました。

「伊勢えびってそんなに美味いもんとちゃうね〜」

「えーそう?美味しいじゃん」

「好き嫌いはあるかもしれないけど、わたしは美味しかったよ」

「そうですか?俺は伊勢えびって始めて食うたんやけど、なんかチーズみたいな味やねんな、俺そもそもチーズ好きやないし・・」

「あれ?○○さん、それってもしかしてチーズを食べたんじゃない?」

「そうだよ、それチーズだよ、知らなかったの? 伊勢えびの刺身だけでは殻の中は間が空くのでその間にチーズの角切りが添えてあったんだよ」

「なんやて!そんなん入ってたんですか? 分かりませんでしたわ〜、そういえば少し色違うかな?とは思たんですけど・・・」

「いやー、○○さんは面白いですねー」

「ハハハハハ・・・・・」

こんなことがあってか、それからと言うもの、以前にも増して私への職場の雰囲気は良くなり、私自身これでようやく落ち着けて仕事も出来、東京にも「なんとかやっていける」と思えるようになりました。



それから後に、私がアパートを空けている間、郵便受けに不動産屋からの手紙が入っていました。

「家賃の滞納が5ヶ月です、至急連絡お願いします」

そうなんです、私が借りた借金は、家賃光熱費には回さず、この先の不安から食費だけに使っていたのです。

私は「まさか追い出すとまではいかへんやろう」などと高を括っていたのです。

私は今はもう仕事もあるし説明すればなんとかなると思っていました、しかし問題はもう一つあったのです。
郵便受けにもう一つ催促状のようなもの、それは「給水の差し止めの告知」でした。

「おいおい、水止めるんか? それはいくらなんでもせいへんやろ?」

郵便受けには何時も催促状のようなものばかりが入っていましたから、私は「いずれ払えばええんやろ」と思っては捨てていました。
実の所は「見るのが怖い」というのが本音でしょう。
多分、その中には再三の水道代の通知が入っていたとは思いますが・・・・

「なんでもええ、後2ヶ月すれば、そこまで何とかすれば、少しでも返せるようになる!もうちょっとの辛抱や・・・」




神が試練や苦しみをお許しになるとき、それは「私たちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである」(ヘブル12:10)








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ホームレス スチャラカ係長さん わかっちゃいるけどやめられね♪あっそれス〜ス〜ス〜ダララッタ〜スラスラスイスイスイ〜っと!^^ (08/10/28 12:39)
ホームレス ばばりんさん なんと!本当だ! いつもすまないね〜! 最近とんとぼけてしまって・・・・とほほ^^ (08/10/28 12:35)
スチャラカ係長 いけないとはわかっていても家賃や水道光熱費、メシが先だよね〜 (08/10/28 06:33)
ぱぱりん ホームレスさん こっちは偽ほむれすですから・・・^^ ところで波瀾万丈19ダブってませんか? (08/10/28 01:15)
ホームレス ぱぱりんさん は!せ!せ!せんぱいのばばりんさんじゃありませんか!こんなむさくるしいところへ来て頂き誠に有難うございます。さ!さ!何もありませんがどうぞゆっくりして行ってください。いや〜、今年ももう直ぐ終わりますね〜!いやいやお体の方はよろしいでしょうか?それは良かった・・・・・えっ!くどいって!そりゃまたどうも失礼しました〜!^^次回作?最善を尽くさせていただきます。^^ (08/10/28 00:27)
ぱぱりん 言い忘れた、人生ってオモロー!^^最高作品ですね! 波乱万丈20を期待してもいいですよね? (08/10/28 00:05)
ぱぱりん ホームレスさん(先輩!)私は新宿のカレー専門店で働いてたよ 金土は修羅場のように忙しかった・・・かどうかは記憶にない・・・カレーも作ったが皿も洗ってたなあ(適当に洗って怒られた)   (08/10/28 00:02)
ホームレス スチャラカ係長さん お初にお目にかかります。コメント大変有難うございます。その通りですよ^^昔の話です^^が・・・・今も大して変わっていないかも・・・・・(^^;) (08/10/27 23:50)
ホームレス めとろんさん え〜ん!めとろんさんがいじめる〜! しかし、ふっふっふ!そこが私の良いとこ! ふっふっふ!  なんでやねん!パート2^^ (08/10/27 23:48)
ホームレス 43歳さん ふっふっふ・・そこが私の良いとこ!  なんでやねん!って突っ込むところです!^^ (08/10/27 23:45)
スチャラカ係長 といっても、もう昔の話・・・ (08/10/27 23:31)
めとろん こらあーー!!まず家賃と光熱費水道代やろがあーーー!!何考えてんねんーー!!・・・信じられん。 (08/10/27 22:38)
43歳 ホームレスさん 俺は新宿の居酒屋で働いてたよ 金土は修羅場のように忙しかった、宴会客のコースの残り物も食ったなあ。でも家賃滞納5ヵ月はしなかった。 (08/10/27 22:15)


 ■ 2008/10/26 (日) 波乱万丈19


その後も私は、これまでの経験や知識を全く生かすことが出来ず、この世の不合理と真っ向から対立姿勢を崩さないおかげで、次も、また次も、仕事は続けられることは無かったのです。

「なんでや? 俺が何したって言うねん? 言葉直せって言うけどお前らも長年喋ってきた言葉をいきなり直せるっちゅーんか?」

「東京弁が偉いんか? お前ら大阪に来てみい、俺の気持ちがよう分かるで!」

当時の私は、大変な勘違いをしているのです。
言葉の理由だけでしか、自分を見つめることが出来ない私は「お子ちゃま」なのです。
最初のうちは確かに言葉の理由が主だったのでしょう、しかし、途中からはそれだけでは無いのです。
人は同じ事を言ってても、その雰囲気や態度で受ける印象は全く異なるものです。
その頃の私は、全てに投げやりで、どうしようもないはねっかえりだったと思います。
そんな自分を雇ってくれるだけありがたいと思わなければならない所を当時の私は、それに気づくにはまだ若すぎたのでしょう。

ある日のこと、吉祥寺駅前に居た私に、ある広告が飛び込んできました。

「○I○Iの赤いカード、今お申し込みの方全員にボーナス得点が付いてくる・・・」

「うん?なんや?○I?カード?なんやねんやろ?」

「説明だけでも聞いてみよか・・」

もう皆さんお気づきだとは思いますが、当時の私は世間知らずです。
案の定、お決まりのコースへと歩みますが、そこはそれ、もともとびびりな性格が良かったのでしょう、それほど火傷が大きくならない程度の借金で済みますが・・・

「なんちゅう便利なもんや^^」

「これで今月も何とかなるで^^」

「でも、こんなん繰り返したら絶対あかんで^^;」

「今回限りやで^^;」

「せやけど、今日はちょっとだけ美味いもん食うてもええんちゃう^^」

「これを家賃に当てるか?それとも光熱費に当てるか?^^;」

「まっ!後で考えよ!それよりめしや!^^」



その日の夜、いつものホームレスのおじさんにこの事をしゃべりました。

私はホームレスのおじさんから延々とお説教をくらいながら・・・・・

「俺、今、ホームレスのおじさんから滅茶苦茶怒られてんねんな〜」

「俺は何しに東京へ来たんやろか?」

「今のこの状況って、周りから見たら俺がこのおじさんに何したんやろう?と、思われてるやろな」

「俺ってやっぱりアホやな〜」


その通りです!当時の私は本当のアホです。


しかしまだ、どこか大丈夫?だと思い込んでる私に、着実に忍び寄る崩壊の序曲は
一歩・・・また一歩と近づいて行くのでした。 


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ホームレス まりあさん ふふっ! これからの30分あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な世界へと入ってゆくのです・・・・キャー!!^^ (08/10/27 21:53)
まりあ その後の展開が怖くなってきました ガクガク(((;゚Д゚)))ブルブル (08/10/27 21:08)
ホームレス ミネヤっち 大変だ! 私の知らないところで君の演じる役を狙っている奴が居るぞ!・・・す!すまん!私は知らなかったのだ!私を恨まないでくれ!!!と言った訳で、温泉つかってきま〜す!^^ (08/10/26 22:57)
ミネヤ クワトロ「ウチの会社のアホアホ(給料ドロボー)には敵わんよw」 (08/10/26 22:26)
ホームレス 43歳さん 多くは言えませんが私も良く騙されました^^;しかし私は!その様な出来事も!墓場まで持って行かせてね☆!^^ (08/10/26 21:46)
43歳 ホームレスさん 上京したての頃俺も口車にのせられたり、騙されましたよ。 街を歩いてると色んな勧誘が寄ってくるんです 来るな来るなと心の中で思ってると パット獲物を見つけたような感じで近づいてくるのです。その手の人には地方出身田舎物ってのがすぐわかるですな。 (08/10/26 21:40)
ホームレス 43歳さん そのイメージは私にも強くありましたよ^^でも、悪の誘惑は甘美なんですよね〜!^^私を笑ってやってください!(^^; (08/10/26 21:23)
ホームレス サイコロさん 読めましたよ! そうやってみんなでよってたかって誉め殺しにして太らせて喰ってしまおうって魂胆ですね。私はだまされない!だまされないぞー!^^ (08/10/26 21:20)
43歳 俺が上京した時 駅のそばの○○は地方の人間からみたらすごくお洒落でスマートなキャッシングのイメージが強かった。 (08/10/26 21:12)
サイコロ 文章が生きてますね〜相当な力量です^^ (08/10/26 21:08)
ホームレス 豊臣秀吉さん お初にお目にかかります。コメント本当に有難うございます。しかし・・ふふ!貴方は能力者じゃありませんね・・それぐらい私にも分かりますよ・・・ふふ・・^^ (08/10/26 21:00)
豊臣秀吉 この後のホームレス氏の大逆転劇!!持ち込んだ作品が手塚賞を受賞!その後夢の印税生活に・・・ (08/10/26 20:48)
ホームレス emuさん また予想などと・・・・本当にやりにくいんだから・・・^^はっ!まっまさか! 昔 幻魔大戦っていう映画があったのですが、まさか?このむしょくCOMは本当は世を忍ぶ仮の姿で実のところはエスパー達が集う場所で、いずれ来るであろう幻魔にそなえている場所なのでは?う〜む、95%の確立でこの想像は当たっている・・・・^^ (08/10/26 20:19)
emu ホームレスさんがホームレスに怒られるなんて! 自己破産までいくのだろうか。と予想してみる! (08/10/26 19:49)


 ■ 2008/10/25 (土) 波乱万丈18


それから直ぐ、不動産屋が来た。

「○○さん、申し訳ないんですがお家賃の方はどうなっているのでしょうか?」

「すみません」

「こちらといたしましても、いきなりの滞納ですと仲介した手前、大家さんになんて言って良いのか、立場が無いのですよ」

「すみません」

「もうすぐ3ヶ月分の滞納になりますよ」

「・・・・・・」

「せめて一か月分でも入れてはもらえないでしょうか?」

「・・・・・・」

「あのー、つかぬことをお伺いしますが、今お仕事の方は?」

「すみません、何度も働いたのですが直ぐにくびになるんです、自分が関西人だからっていう理由でなんですが・・・」

「○○さん、本当にそうでしょうか?失礼ですが貴方がちょっと甘いのではないでしょうか?」

「・・・・・・・」

「どのみち、今こういうことを言っても仕方が無いので、全力を挙げて仕事を探して下さい、でないと、もうこれ以上は私どもも大家さんに顔がありませんので・・・」

「はい、分かりました」

当たり前のことですが、不動産屋さんが私を見る態度や視線は、本当に蔑んだ見方をして、しかも言葉が丁寧だけに私の小さなプライドは胃酸で溶けてしまいそうでした。

しかし、不動産屋さんの言うとおりで、一日も早く仕事をしなければならない状況は、日が立つに連れ深刻さが増すばかりです。
しかし、その時の私は「世界一の不幸を背負っている」などと傲慢な感情を抱いていた為と、いくばくかのお金と、次の給料はある程度は入ってくるので、何の余裕があるのか?自分の中でやけっぱちになっていました。

「少し休憩や!」

「今まではうまくいかへんかったけど、探せば仕事はあるんや」

「あとちょっとで残りの給料も入るし、今までラーメンとパンの耳で過してきたんや、どうにでもなるわい!」

当時の私は貧乏と体力は自信がありましたので、こんな訳の分からない余裕が生まれたのでしょう。

そして夜、部屋に居ても電気を止められているため、季節もまだ多少は暑い時期でしたので、外で過す毎日が続いたのです。

夜の公園を、行く当ても無く散歩していました、その公園にはちょっとした誰でも無料で利用可能なドーム状の舞台が設置してあり、その前にはベンチがたくさん敷き詰められ、日曜の昼間などは、その舞台で音楽の演奏をしているものが居たり、たくさんのベンチには将棋を楽しむ方々が居たりで、大変にぎやかな場所なのですが、深夜にもなると、昼間は見かけないのですがどこからともなくホームレスの方々がいるのです。

「俺もこの人達と大して変わらんな〜」

「どうやってこの人達は暮らしてんねんやろな〜」

私は親近感なるものを覚えたのか気軽に喋りかけました。

「おじさん、この辺は夜は涼しいな」

「そうだね、池もあるし風が吹くと気持ち良いよ」

「俺、最近こっちにきたんやけど、こっちは厳しいな〜」

「兄さん 関西か?」

「そうです」

「関西の人は東京では厳しいと思うよ」

「そうなんですわ、来てまだ数ヶ月なんですが、もう何回も仕事くびですわ!」

「そうか、兄ちゃん、それでも負けたらだめだよ、東京は負けたら終わり、負けたらわし等みたいになるんだ、兄ちゃんはまだ若いからいくらでもなんとかなるよ」

「そないなもんですか〜」

私は、相手がホームレスだろうがなんであろうが会話が出来た喜びでその夜は実に楽しく、それからも夜になると、そのおじさんを訪ねて行く様になりました。


後に私が本当にその立場になるなんて、その時はつゆとも思っては居ませんが・・・・・


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ホームレス emuさん もう(^^;勘弁してくださいよ〜 想像? なにをおっしゃいますか〜 ご謙遜を(^^;やはりエスパーの方々は言葉を選ぶのですね^^ (08/10/26 20:12)
ホームレス まりあさん えっ!今ですか?  そりゃ〜もちろん・・・・(ナイショ)^^ (08/10/26 19:56)
emu 時間的にパソコンの画面でタイピングしてるホームレスさんを想像してしまった。 (08/10/26 19:55)
ホームレス 43歳さん はんどインはんど♪♪はんどインはんど♪♪ 夢ではないさ〜♪  ^^ (08/10/26 19:54)
ホームレス 壷中の天さん ちょ・ちょ・ちょっと待ってください・・・そ・その配役で・・ミネヤさんの位置付けは・・・・・^^ (08/10/26 19:51)
ホームレス よもやんさん そんな! 能力者のよもやんさんからそんなこと言われたら・・・・増長するぞ!^^ (08/10/26 19:45)
まりあ 3ヶ月超えても収入のめどが立たない方は、賃貸契約を打ち切られる傾向にありますね(-_-;)今、本当のホームレスさんなのでしょうか?!心配しています。。。 (08/10/26 12:54)
43歳 俺も九州から東京に出てきてバイトして最初に思った事は 東京はいろんな人の集まってくるんだなと思った。 やっぱり色んな人がいたんだねぇ。  (08/10/26 08:35)
壷中の天 このシリーズはアメリカ版としてハリウッドでの撮影が決まりました。キャストは現在のホームレス氏をハリソン・フォードが。又、若き日のホームレス氏をトム・クルーズが演じます。製作費用80億円!構想2ヶ月!尚、左記2名の俳優ではルックス的に役不足だとホームレス氏から指摘が上がっています。 (08/10/26 07:10)
壷中の天 ヒタヒタと迫ってくる貧の恐怖。涙と汗。ホームレス氏の送る最高のドキュメンタリー。みなさん次回作もおたのしみに!! warner bross enterteinment co. (08/10/26 06:50)
よもやん ホムレス氏は面白いなぁ。貴方の日記、毎日の楽しみの一つ。ありがとう(^^♪ (08/10/26 01:00)
ホームレス よもやんさん このコメント欄に来る方達はシックスセンスをお持ちの方ばかりなのですか?能力をこんな所で披露するのはいかがなものかと・・・・・^^ (08/10/25 23:36)
ホームレス 5r53tnさん あ!いや!すみません!その心遣い!誠に感謝の至りです! じゃ〜これからもっとプロっぽく書くぞ〜! 出来るのならね^^; (08/10/25 23:33)
よもやん 銘柄は・・・さっぽろ一番しょうゆ味と推測するよ〜ん (?_?) (08/10/25 23:15)
5r53tn ホームレスさん、誤解されたみたいでごめん。あれ嫌みで書いたんじゃなくて素直にいいと思ったよ。続きが読みたくなる書き方はどんどん続けた方がいいよ。この日記本当に楽しみなんだから。 (08/10/25 22:48)
ホームレス めとろんさん 仰るとおり! しかしこのときの私は子供だったんですね、いじけ虫は胃酸では溶けなかったみたいです・・・いやはや^^ (08/10/25 22:06)
めとろん 本人はつゆも思ってなかったわけですね。でも不動産やさんの「ちょっと甘い」は当たってますし客観的にはこの時点でホームレス確定!って感じですよ^^; (08/10/25 21:55)


 ■ 2008/10/24 (金) 波乱万丈17


ようやく初めての給料日が来た。

店長が「○○君 お疲れ様です、はい、お給料」

私はようやくこれで少しはまともな生活が送れると思い、本当に良く耐えたと思いました。
そして貰った給料袋を開け、中にある明細を見ると、なんとその額面の少なさに唖然としたのです。
その額面は、私が予想していたものより半分も行かないもので、おまけに訳の分からない金額が差し引かれてあるのです。

私はこの額面の理由が納得いきませんので店長に聞きました。

「店長、少し教えていただきたいんですが?」

「なに?」

「この給料はどうしてこの金額なんでしょうか?」

「え!何かおかしいかい?」

「ちょっと少なすぎると思うんですけど」

「そんなことは無いと思うが、一応明細を見せてもらえる?」

「はい」

「あー、君の場合は○日から働き出したので、うちの閉め日が○日なんだよ、だから君が一月まるまる貰えるのは次の給料からだね。」

そうなんです、私は閉め日を考えていなかったのです。
また、タイミングよくほとんど月初めから働き出しましたので、初めての給料は一ヶ月分で考えてしまってたのです。
私は自分の勘違いとはいえ、落胆の色をかくし切れずにもう一つの疑問を聞きました。

「それは分かりましたが、この引かれている金額はなんですか?」

「あーこれね!最初に言ってなかったっけ?うちは食事代は摂った分だけ天引きになるのよ」

「えー!聞いてませんよ、タダじゃないんですか?」

「ごめんごめん、食事一回に付き500円をひかせてもらっているのよ、内の従業員全員だよ」

「そんな、勘弁してくださいよ」

「そんなこと言われても仕方ないよ、うちのコックが決めたことだもんどうしようもないよ」

「そんな・・・・・・・・」

私が今回もらった給料では、もちろん家賃や光熱費にまで回すことは不可能で、今月もまた、これまでのような生活を送らなければならないことに、しかも今月は抜け出せると思っていたので尚更ショックは大きく、体全身から力が抜け、この先が見通せない思いに浸っていました。

そして私は店長に自分の現在の状況を説明し、なんとか給料の前借が出来ないものだろうか?と思い、店長に聞いてみることにしました。

「そうか、そんなに大変なのか?」

「はい、僕自身が甘かったんですけど、もう限界なんです」

「うん、分かった、だけどちょっと待ってくれ、俺も雇われの身だから俺一存では決めれないから聞いてみるよ」

「はい、よろしくお願いします」

しかし、これがまた私にとって転落に拍車をかけるのでした。

この店長が現在の私の状況をこの店の事実上責任者であるコックの人に説明し、私の願いを話してくれたのですが、そもそも私の事をあまり良く思っていませんでしたので、この要求はあえなく却下はもちろんの事、

「そんな面倒くさい関西人をわざわざ置く必要など無い、直ぐに辞めさせろ!」

こう言ったかどうかは分かりませんが次の日、私は店長からやんわりと辞めて頂く事を告げられました。
しかも、残りの給料も、次の給料日にしか払えないというのです。

その横でそれを見ていた、私に仕事を教えてくれた彼女から

「あんたは悪くない、あのコックが狭すぎるんだよ、だから気にしないようにね」

「本当に短い間でしたが有難うございました、僕が東京に出て初めてまともな話が出来たのは○○さんが初めてです、本当に色々助かりました、有難うございました。」

「でも本当に大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ、なんとかなるでしょ!」

結局私は、ここでも約一ヶ月でくびになり、途方に暮れている私にしばらくして追い討ちをかけるように部屋の電気とガスが止められました。


私は暗闇の中、ひとりインスタントラーメンをかじりながら、人間を憎んでいました。


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ホームレス まりあさん あれっ?ま!まさか!まりあさんもそこまで知っているということは!止められたくち???^^ (08/10/25 21:57)
ホームレス ミネヤっち 現在そのコックは北朝鮮へ亡命し、みょんどんだらすみだ!!^^ (08/10/25 21:55)
ホームレス 43歳さん ということは、私は当時は時代の最先端を走っていたわけですね?^^ (08/10/25 21:52)
ホームレス 壷中の天さん 生の私を見たら・・・・そのイメージは崩れ去ることうけ合いですので・・・いっ!いや!そのイメージどおりです^^ (08/10/25 21:50)
ホームレス よもやんさん ラーメンの銘柄・・・・それは企業秘密です・・・・^^ (08/10/25 21:47)
ホームレス スダチさん よし!今からチクリに行こう! えっ! もう無駄? そりゃまた失礼しました^^ (08/10/25 21:46)
まりあ 前借発言が命取りとなったのですね。経営者からみると今も同じかもしれません。。。ガス→電気→水道の順に止まりますね。請求書も白→青→黄→赤(^_^;) (08/10/25 20:35)
ミネヤ 酷いね。1食500円なんて。そのアホコック刺殺されなかった? (08/10/25 20:03)
43歳 地方ならいざしらず 東京で20台ならいくらでもバイト先はあったと思うけど俺の知ってる期間は1980年代 地方から出てきてバイトだけで生計立てている20台は少なくなかったそれが 今のフリータのはしりだと思う (その当時はフリータって言葉なかったけど) (08/10/25 09:57)
壷中の天 暗闇の中目ばかり光らせた若者がうずくまっている画が浮かんできました。 (08/10/25 07:28)
よもやん チキンラーメンならベビースターのように食えるかもしれませんが・・ラーメンの銘柄は何だったのかな?(^o^ (08/10/25 01:24)
スダチ ひどすぎる・・・今なら速攻で労働基準監督署にチクって行政処分ものですね (08/10/24 23:59)
ホームレス めとろんさん 関西では標準語が癇に障りますのでお互い様なんですよね^^それよりも私の日記がめとろんさんを憂鬱にさせてしまっているのが辛いですね。でもめとろんさんはどの様な過去があったとしても、何時も明るく人と接している情景が私には目に浮かぶのです。そんなめとろんさんには是非読んで頂きたいのです。今後もどうぞよろしくお願いします。^^ (08/10/24 23:42)
ホームレス 5r53tnさん 初めの文章から見てみると、なんか書き方がプロっぽくて鼻につきますよね、あ〜感じ悪〜!以後気を付けます。それでも嫌にならないでね^^ (08/10/24 23:28)
ホームレス ダメオさん 底が見えない!なんと!私が目が悪いのを何故知っているのですか?う〜ん!霊能力を感じます^^ (08/10/24 23:25)
めとろん 関西人のくせに堂々としているからでしょうね、そこが癇に障るんでしょうね。 (08/10/24 23:01)
5r53tn >私は暗闇の中、ひとりインスタントラーメンをかじりながら、人間を憎んでいました。最後のまとめかたうまい。続きが気になって仕方がない。 (08/10/24 22:48)
ダメオ あらら〜 間違って前の日記に書いちゃったm(__)m (08/10/24 22:41)


 ■ 2008/10/23 (木) 波乱万丈16


仕事にありつけたのは私が東京へ来てから二ヶ月が過ぎようとしてた頃でした。

やはり吉祥寺のアーケードの入り口にある喫茶パーラーでした。

私の仕事は、皿洗い兼ウェイター兼パフェ類を作る仕事です。
自給はもう思い出せませんが、週1の休みで一月10〜12万だったように記憶しています。
従業員はウェイトレスの女の子が常勤が一人、他、交代制で二人、あと、店長とコックで私を入れて5人体制のお店でした。

私がここを選んだのは言うまでもありません、ご飯が食べれるからです。

しかし、その時の私はもうすでに所持しているお金は全く無く、働けはしましたが給料になるのは更に一ヵ月後です、確かに一食はこのお店で食べれますが残り一ヶ月を無事に過せるか?また、休みの日をどうするか?さらにこれまでの生活で、ほとんどまともな食事をしていない体で大丈夫か?などの不安で頭はいっぱいでした。

ここの店長はおだやかで優しく、ちょっとドジなところもありますが大変良い人で、私の方言などは全く気にしない方で、すごく助かったのですが、実際ここを取り仕切っているのはコックの人で、この人は神経質で、やはり関西なまりを良しとはしていなかったのです。
ですから私がウェイターの仕事をしているときは良いのですが、皿洗いなどの仕事で中に入っている時は物凄く気を使い、ここをくびになると本当に最悪な状況になるので、それこそ気に障ることの無いよう腫れ物を触る思いで接していました。

ウェイトレスで常駐の彼女は、竹を割ったような性格の持ち主で、当時私より2歳年上の、とても可愛い人でした。
私の仕事の要領は、ほとんど彼女が教えてくれ、また、その教え方の要領も良く、私は直ぐに仕事を憶えこなせたのも彼女のおかげでした。

彼女のおかげで私は大分救われたと思います。
仕事面もさることながら、身の上話や東京のことなど色々な話が聞け、東京に来てからと言う物、まともな会話は彼女が初めてでしたので、私はそれまでのストレスを相当緩和できたと思います。


働き出した半月目の事でした、仕事が終わりアパートに帰るとドアの新聞受けに、紙が挟んであったので見てみると、それは不動産屋からの家賃の催促状でした。

それもそうです、私は最初から家賃を滞納しているのですから当たり前なのですが、その但し書きに「この様では出て行ってもらうようになる可能性があります」とまで書いてあり、その時の私ではまた更なる不安材料を抱えることになり、半分「どうにでもなれ」といった、やけの状態になりました。

その時の私が一番辛いのは「休日」でした。
もちろんお金が一切無く、やることなど何もありません。
ましてや友達など居るはずも無く、当時は携帯など便利なものはありません。

「あと半月で給料が出る、それまでの辛抱や、まけたらあかん、もうちょっとで楽になる」

「せやけど腹減ったな〜、一食は食えるけどそれまで全然食うて無かったから少し食うと余計に腹減るな〜」

「一人がこんな寂しいもんやとは思わんかったな〜、家がどれほど良かったかっていうんがよう分かるな・・・・・」

私は空腹と寂しさでいたたまれなくなり、いくらかまぎれるかと思い吉祥寺の街へと歩いていきました。
それまでの私は仕事のことばかり考えていましたので、ゆっくり街を散策している余裕などなく、その日の私は始めて吉祥寺という街を歩いて見て回りました。

しかし、これがその時の私には却って良くなかったのです。

街行くカップル、何かを求め歩く人々、ウィンドショッピングをしている女の人、何が楽しいのか?笑っている人、買い物に来ているのか?楽しそうな家族・・・・・・・

「なんや? みんななんでこんなに楽しそうなんや? どないしたんやこいつら? 何で俺はこんなにしんどいねんや? なんなんや? 誰か教えてくれ? 誰か俺と話してくれ?  頼むわ・・・・・」

わたしは突然の激しい腹痛と頭痛で歩く事が困難になりながらも、なんとか街を抜け、公園のベンチで腰を掛け、せめて腹痛が収まるまでと、ずっと俯いていましたがあまりに激しい頭痛で嘔吐をし、また胃に何も入っていませんので胃液しか出ません。

夕時の公園でしたので回りはカップルだらけ、激しい嘔吐の声だけで口からは何も出ていない様子は周りから見れば、どこか気のふれている人にしか見えなかったのでしょう。

私は誰からも声が掛けられず、孤独と痛みの中で、

「俺はどうなるんや? こんなん何時までつづくんや?」

これを何度も心の中でつぶやいていました。




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ダメオ うむむっ〜株価の底も見えないが、ホームレスさんの人生もまだまだ底が見えないのか・・・ (08/10/24 22:40)
ホームレス 壷中の天さん 今度!むしょくCOMから立候補をいたしますホームレスと言います。皆様の清き一票が私に勇気を与えてくれています。本当にご支援のほどどうかよろしくお願いします。ご静聴ありがとうございました。^^ (08/10/24 22:39)
ホームレス まりあさん ここのコメント欄にまりあさんのコメントが無いとアレ?と思う私は・・・これって恋の始まり?^^ (08/10/24 22:35)
壷中の天 無職コムで今一番読み応えがあるのはこの日記です。楽しみが増えましたよ。ホームレスさん。 (08/10/24 19:12)
まりあ 夢を追って、有名企業からの転落…とてもお辛い過去だったのですね。。。明日は自治会の関係で公園の吐瀉物掃除をすることに。頑張ります♪(ちょっとボヤキ;) (08/10/24 17:37)
ホームレス さっよもやんさんもご一緒に しっあっわっせは〜あっるいってこっない♪♪♪^^ (08/10/23 23:30)
ホームレス めとろんさん いってみようー 三百六十五歩のマーチ!!♪♪♪^^ (08/10/23 23:27)
ホームレス emuさん はい〜!!^^ (08/10/23 23:25)
よもやん 私は、ホームレスさんの日記を目茶、楽しみにしてるんですけど、今日のは何か辛いなぁ。自分が独りで悩んでる時間をモロに思い出してしまったです。(T_T) (08/10/23 23:02)
めとろん 私はホームレスさんと似たような人を知ってます。故郷に帰ってくれたらいいのですけれど、どうなったのかなあと思います。もう20年以上前の話ですが。皆さんが楽しみにしている人気のある日記ですね〜。それはとてもよく分かりますが私にとっては苦しい日記です。私とは全く違う経歴ではありますが、数々の手痛い思いをしてきている私には痛みの伴う日記ですね。私は子供のときのお金に関する事は詳しくは書けません。痛すぎます。私は全て忘れて次にいく事だけしています。 (08/10/23 22:08)
emu がんばれ!昔のホームレスさん! (08/10/23 21:58)


 ■ 2008/10/22 (水) 波乱万丈15


私は相当運が悪いのか、その後もせっかく決まったアルバイトも直ぐに辞めさせられ、なんだかんだで一ヶ月以上も経ちました。
それでも、若干ではありますが数日は働いた分があるので、僅かではありますがそのお金がこれからの生活費になるわけです。
しかしそんな僅かなお金ではもちろん家賃や光熱費になどに回すことなどまるで不可能で、これからも直ぐに仕事が決まる予定も、仮に決まったとしても続けられる保障も無く、生きるために全てを切り詰めて食費に回すのでした。

そもそもが、こんな事態を招いた最大の原因は、あまりにも世間を甘く考えていた自分にあるのです、大人なら思いがけないことを想定内にいれ行動を起こします、まして知らない土地に行くのですから尚更で、ある程度「お金」の余裕を持って行動を起こすものですが、若い世間知らずの私はこんな事態になった事を他人のせいにばかりしていました。

「同じ日本でなんでこないなことにならなあかんねん、お前ら日本人ちゃうんか?俺が何したっちゅうねん」

「せやけど、これからどない生きていったらええねん、食うもんなんかなんもあらへん、これからバイトは飯付いてるとこでないと死んでしまうで・・・・」

「とりあえず、節約して食いもんを買わなあかん・・・・」

とりあえず私が向かったのはパン屋さんでした。

「すみません、大変言いにくいんですが」

「はいなんでしょう?」

「すみません、パンの耳余ってたら売ってもらえませんか?」

「パンの耳?」

「はい・・・」

「ちょっと待ってね、見てきますから」

私は以前、母が本当にお金が無かった時、パンの耳を貰って帰ってきたのを憶えていました。
当時は母が言うにはパンの耳は言えば貰えたそうです。
しかし今はそれが通用するかは分かりませんので一応「売ってください」と言ったのですが、私は半分期待もしていました。

「ごめんね、何時も捨てているのがあるのだけど、少しカビが生えてて食べれないよ」

「いえ、それでいいですのでお願いします」

「う〜ん、あげるのはいいんだけど、もし何かあったら責任問題でしょ」

「あっ、僕が食べるのじゃなくて、内のペットにあげるんで絶対ご迷惑はかけませんから」

「本当に?大丈夫?」

「はい、間違いなく大丈夫です」

「じゃ、うちも捨てるよりこっちの方が助かるので持って行く?」

「はい、お願いします」

こうして、パンの耳はゲットできた、しかも代金も無料、私は過去、貧乏で母のしていたことが今になってこんなに役立っている事を思い「貧乏はしておくもんやな〜」と思いながら店を後にした。

次に向かったのはスーパーで、そこではインスタントラーメンを箱で買い、これから来るであろう極貧の生活を、この二品で乗り越えるよう決心した。

キューピー3分クッキング、タラッタタッタッタ タラッタタッタッタ タッタ・・・

朝・昼 パンの耳 調理法方 無し そのままパクつく、注意 カビをあまり摂取しない事

夜 インスタントラーメン 調理方法 普段は水でふやかし、十分膨らんだことを確認したらスープを入れ、じっくり食す。
注意、欲望に負けどうしても熱いのが食べたい時は、一週間に一回だけガスを使っても良い。

備考、 これを毎日繰り返す、それが嫌なら早く仕事にありつくこと。




私は、これを繰り返した何日目かの夜、少し泣きました。





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ホームレス ユミガイさん 初めてのお便り本当に嬉しいです。大変有難うございます。あなたのその一票が私を支えております^^どうかこの先もご支援のほどよろしくお願い申し上げます^^ (08/10/23 19:47)
ホームレス 35才の男さん そんなこと言わずにもっと苦労をしましょうよ^^癖になりますよ^^ (08/10/23 19:43)
ホームレス 43歳さん 私よりお若いのにそんなに居ました?私の時ではもう周りにはそんなに貧乏な方は少なかったのですが。住んでいる場所の違いですかね。 (08/10/23 19:41)
ホームレス 壷中の天さん 今からかれこれ25,6年前の話になります、ん、ぎく、歳が・・・^^ (08/10/23 19:36)
ホームレス よもやんさん ラーメンは冷めたいのに限ります^^; (08/10/23 19:33)
ホームレス ダメオさん やったー^^とうとうシリーズ化決定^^おめでとうございます^^パチパチパチ・・・^^ (08/10/23 19:32)
ユミガイ 文章がきれいで読みやすくて、そして面白い。毎日楽しみにしています。 それにしても、関西なまりってそんなに嫌われるものなんですね。自分の地元なんかだと、関西弁って憧れだったりして、小中学生の頃、エセ関西弁が流行ったりもしたくらいですが。 (08/10/23 00:49)
35才の男 若い頃の苦労は買ってでもしろという  自分はもうすでに苦労してきたから落ち着きたい (08/10/22 23:29)
43歳 俺の若い頃は貧乏の生活なんて苦にならなかったから普通にいたよこんな人 地方から上京してきてた人はみんな貧乏だった そして数年すると現実がわかって地元帰っていった。 (08/10/22 23:18)
壷中の天 この時点で何年くらい前の話でしょうか? (08/10/22 22:14)
よもやん 何という・・ラーメンも冷やですか。なんか、御名前のホムレスに近付いてきた!? (08/10/22 21:55)
ダメオ ホームレスさんが“人生って面白い!”と言えるまでには、まだまだこの先長い苦労があるのでしょう。このシリーズは、きっと100話を越えるのでしょうね。せめて今年一杯位ha楽しませてね〜^^ (08/10/22 21:36)
壷中の天 苦労しましたな〜。まだ話は途中でしょうけど。 (08/10/22 20:56)


 ■ 2008/10/21 (火) 波乱万丈14


初めての首都、東京にきました。

それまで大阪にいました私は、大阪も都会ですのでそんなに大差は無いだろうと思っていましたが、実際東京に来て、全く違う事に驚かされました。

住んでみて更に思ったことは、

緑が多い、街が綺麗、空が青い、中心から相当離れても立派な街がある、電車やバスを待っている人がきちんと並んでいる・・・・・・

私が最初に住む場所として選んだのは「三鷹」でした、それには理由があったのです。

本当は「吉祥寺」に住みたかったのですが、その理由は漫画家が多く住んでいるとの情報を聞き、アシスタントをやるには近くを住んでいた方が有利だと思い、周辺を探したのですが、あまりにも家賃が高く、それでその近所である三鷹になったのでした。

アパートは風呂なし木造、家賃3万円、最寄駅「吉祥寺」徒歩25分「三鷹」徒歩20分、日当たり悪し、買い物便利、そんな所でした。

私の東京へ進出するための軍資金は、ほとんどを家に入れてきましたのでアパートを借りたらほとんど残らず、すぐにでもバイトを探さなければならない状況ですので、東京見物などをしている余裕もなく、私は直ぐにアルバイトを探しに街へと行きました。

吉祥寺の街は平日でも賑わっており、バイトも思ったよりも早く見つかり、私は「しばらくはこのバイトで早く東京に慣れ、それから出版社に行き、誰でも良いので漫画家のアシスタントを紹介して貰えれば」と、考えておりました。

そして次の日、いよいよバイト初日です。
最初に選んだバイトは、吉祥寺の商店街サンロード内にあるパン屋さん、私の仕事はパン作りの手伝いです。
そこの社員が作るパンの装飾や包装を主にした簡単な仕事内容でした。
しかし、どうにも様子が変なのです。
いくら簡単な作業とはいえ、さすがにいきなり何も教わらず出来るわけではありません、私の方から聞かなくては何も教えてはくれないのです。
しかも、一度聞いたぐらいではダメで何度か繰り返して初めて返事が来るといった感じなのです。
それでも、なんとか仕事を続け、そして昼休みの時です、私の係りの社員が私に、

「お前、関西か?」

と聞いてきましたので、私が「はい」と答えると

「お前の喋り方、漫才みたいだなー、なんか真面目なのかふざけているのか分からないよね?」
と言ってきましたので私は「真面目ですよ」と答えるしかありませんでした。

その時は、私はあまり何も考えてはいませんでしたが次の日、バイトに行った時です。
朝、「おはようございます」と言って職場へ向かう途中に私を面接していただいたマネージャーに呼び止められました。

「○○さん、少し話が」

「はい、なんでしょう」

「君、何時、こっちに来たの?」

「はい、最近です」

「そうか〜」

「なんなんでしょうか?」

「いや、なんでもないんだが、大変申し訳ないのだが急に依然働いていた人が戻ってきてね、内としても即戦力の方が助かるのでまた使いたいのよ、そうすると君を雇うほど余裕があるわけではないので大変申し訳ないが辞めていただくことになったんだよ」

「そうですか」

「いや〜、本当に申し訳ない」

それで私はたった二日で最初のバイトはくびになったのです。
しかしこの時点では、探し始めて直ぐに見つけたこともあり、それほど深刻に考えてはいませんでした。
そして次のバイトも結構早く見つかり、今度は商店街にある電気小売店です。
そのお店は大手チェーン店ではないのですが結構繁盛しており、従業員も社員バイト含めて15名ぐらいの小売店でした。
私の仕事は売り子となり、お客さんを接客し販売する仕事で、初めてでしたが人と話すのは苦手ではありませんでしたし、むしろ面白そうでしたので最初のことなど頭に無く、早く覚えて慣れたい一心でした。
次の日、いよいよ仕事です、制服を身にまとい、社員が店内の説明と在庫の場所、その他色々と教えてくれ、さー売り子初体験です。
私は声も高らかに「いらっしゃいませ!」を連発!
私の最初の担当は小物でテープや家電部品、それでもある程度の接客はあるのです。

「ねー、これはどんな電気の傘にも合う?」

「はい、だいじょうぶですよ」

「あら?おたく関西の方?」

「はい、最近来ましてん」

「おい!これはこのシェーバーに合うのかね?」

「ちょっと待ってください、調べてきますから」

「なんだ、君は関西人か?」

「はい」・・・・・・・

そうして初日は終わり、初めての終始立ち仕事と慣れない接客で体はへとへと、直ぐに帰宅し、あっという間に眠りにつきました。

店長から呼ばれたのは4日目の朝でした。

「大変申し訳ないが、接客業ではその関西弁はやめてもらえないだろうか?」

「店長、そんなこと急に言われましても急には無理です」

「いや〜、君は悪くないのだがその関西弁はまずいんだよ」

「なんでですか?」

「ここは東京なんだよ、東京人は関西弁を嫌う人が多いんだよ」

「そんなこと言われても無理です、なんとかなりませんか?」

「俺にはどうすることもできないんだよ、大変申し訳ないが辞めてもらうしかないよ、他を当たってくれ、でもくれぐれも言って置くが東京で接客業を選ぶなら関西弁を直した方が良いよ」

「そんなこといわれても・・・・」

私はこの時点でもまだ、どこか甘く考えていたのです・・・・・・


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ホームレス 調和さん 私も器量はおちょこサイズ^^ (08/10/22 03:51)
ホームレス めとろんさん そういう部分はありますよね、男ってなんかどうでもいいことに意地っ張りなんですかね?まー男は永遠にお子ちゃまってことで^^ (08/10/22 03:49)
ホームレス よもやんさん 成蹊大学!インテリじゃないっすかー^^しかもそこをけって違う所に!そうすると早稲田ぐらいかな?^^ (08/10/22 03:46)
ホームレス 5r53tnさん 私も東京が長くなってから、ちゃきちゃきの関西弁を聞くと無理に強調して喋ってるように聞こえ、違和感を覚えるようになりましたね。 (08/10/22 03:43)
ホームレス ダメオさん あなたはえらい^^大人ですね。でも大阪人はお金に細かくは無いですよ、良く一般的にそう思われているようですけど誤解ですよ。商売の街の印象がそう思わせるのですかね? (08/10/22 03:40)
ホームレス まりあさん そうなんですよね。その時の私はまだまだ子供だったのですよ。あっ!今もそんなに変わりないか^^ (08/10/22 03:36)
ホームレス 調和さん そらきっついっすねー (08/10/22 02:04)
ホームレス おやじさん コメント大変有難うございます。全く仰るとおりですね。 (08/10/22 01:53)
調和 ダメオ殿・・おしゃる通り器量は大きくないですねぇ〜。めろとん殿・・・そうですね・・言われた方はキョトンとしてました。でもその時のせっぱつまった状況で言われると「カチン」ときますし会議の席上では皆、標準語で話しますし、相手を見て話してるのが見え見えだったので敢えて厳しい言い方をしました。 (08/10/22 01:13)
めとろん 男性はなかなか染まらない(染まれない?)人多いですね。男と女は言語中枢の質が違うんでしょうね。私はすぐ染まれます。↓調和さん。それ、やわらかい言葉選んで丁寧に心こめて話してると思われます。京都弁はいかにリラックスした言い回しや音を選ぶかがポイントで、そこの所が大阪弁のリズム重視の言葉の選び方とは違います。やわらかさで相手への配慮をするのです。音の高低にまで気を配った言葉です電話口の京都工場の人が気の毒です・・・ (08/10/21 23:04)
よもやん 緊張して話すと、関西イントネーションになります(@_@;)  吉祥寺商店街・・成蹊大学の受験の時に通ったと思います。受かったけど違う所に行ったので、吉祥寺には縁が無かったですばい。 (08/10/21 22:20)
5r53tn 関西弁の言い回しは標準語では人を馬鹿にする言い方。大阪で聞いている分には気にならないけど、東京では無理。周りが皆標準語ではイライラしてくる。 (08/10/21 21:42)
ダメオ 関西弁に抵抗感じるなんて、そりゃ器量小さいでんがな〜 わてなんて関東やけど関西弁全然平気やで〜 でもな〜大阪人が金に細かい事だけは確かやさかい、そんなイメージが東京での商売にはあかんのやおまへんかな〜? (08/10/21 21:00)
まりあ お国言葉でトラブルが発生するなんて本当につまらないことですが、日本に限らず外国にも似たようなことがありますね。集団の中では暗黙の決まりを守らず、自分の個性や信条を強く出すことはタブーになりますね。。。(あっ、私も個性が強いかもね(・ω・`))  (08/10/21 20:25)
調和 本社が京都に有るので、本社工場の生産管理者に状況説明の問い合わせを聞く場合があります。彼は別に普通に話しているつもりだと思いますが「〜しますわぁ。・・・でしゃろ・・・・そうでんなぁ〜」はっきり言ってムカつきます。最近は言いませんが以前は「その言い回しをなんとかしろ!」ってどなりかえした事があります。関西弁って本当にムカつきますね。最近は慣れたけど。 (08/10/21 16:48)
おやじ 関西弁、東京の人をおちょくっている感じがする。おれも20代に愛知から出て来て、必死に直したよ。夜のバイトか、あまり話さないバイトがエエよ。 (08/10/21 06:46)


 ■ 2008/10/20 (月) すこし、休憩


最近、往年の大俳優が次々とお亡くなりになりました。

日本では緒方拳さん アメリカではポールニューマンさん。

どちらも日本では映画ファンには欠くことの出来ない大俳優で、一つの時代の終わりを痛切に感じる事しきりです。

特に私にとって「ポールニューマン」は実に思い出深い俳優の一人でした。

「ハスラー、暴力脱獄、明日に向かって撃て、スティング・・・・・」

私は今もそうですが「スティーブ マックウィーン」の大ファンで、今の方々にはあまりなじみの無い俳優でしょうが、私の小学生時代は世紀のビッグスターだったのです。

代表作に「大脱走、ネバダスミス、シンシナティキッド、荒野の7人、ゲッタウェイ・・・」
なのに何故「ポールニューマン」が思い出深いのか?

それは当時、スティーブマックウィーンのファンはポールニューマンが嫌いという人が多かったのです。
当時はハリウッドでも、この2人は良く比較されました、何故かと言うと俳優暦は若干ですがポールニューマンの方が早いのですが、お互い主演を張っている作品の内容が似ている事、人気・出演料も拮抗していること、お互いの趣味が似ている事、などなど。

この二人に、こんなエピソードがあります。

当時ハリウッドが巨額の資金を投じて制作した映画「タワーリング インフェルノ」
この映画の主演に2大ビッグスター「スティーブマックウィーン・ポールニューマン」が初共演!
この発表に当時は「えー!まさか!」 「本当か?」 「これはスゴイ!ぜひ見に行かなくては」と、話題は沸騰、映画ファンには公開が待ちきれないほどのものでした。

しかし現実は、それはそれは大変だったそうです。

問題は映画冒頭のテロップにありました。

制作者サイドは、確かにこの二人、人気も実力も知名度も一流なのですが、世界的に見た場合、当時はマックウィーンの方が人気が高く、主演としては同列な扱いを心がけたのですが、映画冒頭のテロップの最初に来る俳優は完成試写の段階ではマックウィーンだったのです。
これを見たポールニューマンは面白くありません、すかさず「俺は降りる、この映画の上映は認めない、他の奴で撮り直してくれ!」

これは大変です、もうそんな猶予はありません。
そしてプロデューサーであるアーウィンアレンはマックウィーンに相談。

「ポールがこんなことを言い出した、君の人気は分かっているがここは少し先輩であるポールに譲ってはくれないだろうか?」

するとマックウィーンもプライドがあります。

「テロップの最初を飾るのはその映画の主演と言うことだ、これを譲ると言うことは主演ではないと言っているものだ!」と言って申し出を断ったのです。

さーこれで困ったアーウィンアレン、頭をひねり出した答えはテロップ同列併記でした。
そして再度試写をポールニューマンに見せました。

「なんだこれは、俺の名前が奴の右にあるじゃないか!これでは同じだ!俺は認めん!」
そうです、確かに同列ですから映画冒頭テロップの最初を飾ることは良いのですが、左にマックウィーン、右がポールだったのです。
この世界では同列の場合、左の方が格が上になるのです。
そんなことを知らないアーウィンでは有りませんでしたが、公開が差し迫っていたために、あわよくばと思ったのでしょう。

そして、スタッフ一同あれやこれや考えた末、出来たテロップは、同列併記ではありますが、右にあるポールニューマンの名前を若干上にずらし、左にあるマックウィーンの名前よりも上にあることでお互いのプライドを守ったと言うことで折り合いを着けたそうです。

そして映画は無事公開!記録的な大ヒット!さすがに2大ビッグスター、迫力は満点で多くの映画ファンを魅了いたしました。
この「タワーリングインフェルノ」共演した俳優も実はビッグで。

慕情のウイリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズ 俺たちに明日は無いのフェイ・ダナウェイ 足ながおじさんのフレッド・アステア ナポレオンソロのロバート・ヴォーン 将軍のリチャード・チェンバレン めっきり奥さん殺しで話題になったO・J・シンプソン などなど・・

もしよろしければ、お近くのビデオショップにてご覧頂ければその様子も確認でき、更にこの映画を見るに至って、また違う楽しみ方も出来ると思います。
是非ご覧ください。

1980ー11月にマックウィーンは没しています、そしてポールニューマン・・・

この二人に代わるほどの俳優は現在いるでしょうか?
一映画ファンとして心よりご冥福をお祈りいたします。。。

最後にお約束。
「いやー映画って本当に良いものですね。それではみなさん さいなら さいなら さいなら・・・」







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ホームレス emuさん 日曜の夜はふけ、明日も仕事だ〜と思いつつ、少し憂鬱な思いを持ちながら・・zzzzz (08/10/22 03:54)
emu いやー映画って本当に良いものですね。それではみなさん さいなら さいなら さいなら・・・よくそのフレーズを聞いたあとでふとんにはいって眠っていました。スヤスヤzzz.... (08/10/21 19:18)
ホームレス まりあさん このコメントを見る限り、まりあさんも相当映画ファンですね^^なんとも嬉しい限りです^^でも、ベンケーシーを良く見てた?ひょっとして私より年上?(ナイショ)^^ (08/10/21 00:46)
ホームレス 30代おやじさん もう二人ともこの世を去りましたが、水野さんと淀川さんのコラボです^^ (08/10/21 00:39)
まりあ ポールニューマンさんといえば『銀の盃』でしょうか(*^_^*) グレゴリーペックさんとエディ・アルバートさんが登場するあの映画が好きでした。もちろんあの有名な彼女もね^^ 銀幕で彼らを見たときはドキドキしたものです☆ ヴィンセント・エドワーズさん主演のベンケーシーもよく見ていました♪まさに奥様殺しw (08/10/20 20:57)
30代おやじ 最後のシメがいいですね。淀川さんでしたっけ? (08/10/20 20:36)


 ■ 2008/10/19 (日) 波乱万丈13


私は小学生の時からの夢がありました。

以前にも書かせていただきましたが、次女のはからいにより多くの映画を幼少の時から見てましたので、その影響が大きく、私は自分で何か作品を作りたいと思うようになったのです。
それが元で小学生の私がしたことは、マンガを書くことでした。

小学生の私は自分の書いた作品を綴り、ちょっとした小雑誌を作っては学校へもって行き、クラスのみんなに見てもらうと言うような事をしていたのです。
さすがに小学生が作った物ですので、決して立派とは言えませんが、それでもクラスのみんなには「おい、早く続きを書けよ」ぐらいに評判は良かったのです。
そんなことですから気を良くした私はより一層マンガに没頭する毎日を送って行き、いずれは漫画家になりたいと思うようになりました。

私は、中学生から私の作った作品を各マンガ雑誌が主催する賞に応募し続けましたが現実は厳しく、良い返事が返って来たことはありません、そんな中で私なりに漫画家への近道は、漫画家のアシスタントになることと考えていたのです、しかしその為には東京に行くしかありません。

高校時代、私は、「卒業すれば、上京し、何かアルバイトをしながらアシスタントに応募しよう」と、思っていましたが、私の高校時代が家の金銭状況が一番酷く、おまけに私の生い立ちが、「そんな我侭を言っている立場ではないだろう」とも思っていましたので母には言えませんでした。

結局、私が選択したのは、自費で大学へ行き、その後就職をして家計を支えることにしたのです。
結果としては大学は直ぐに辞めましたが、それでもなんとか大手企業に就職し、家計を支えることは叶いました。
毎日片道2時間半の通勤、そして毎日それほどの変化も無い仕事を続けて行く内に、「これでええんか?」と思う反面「しようがないんや」と、自問自答を続けた3年目のある日、同じ課の社員がやはり自分の目標のため辞めていくのを耳にしたのです。

私はやはり、どうしても諦めが付けなかったのです、そしてとうとう母にこの事を告げる決心をし、その夜母に言いました。

「あんな、お母ちゃんに話があんねんや」

「なんやねん、かしこまって」

「俺な、小さい時からやりたいことがあったんや」

「なんや、そんなもんあったんか、言うてみいや」

そして私は自分のやりたいことと、それになる為の説明をしました。

すると母は。

「なんやそれ、何でもっと早う言わへんかったんや、お母ちゃんそんなん反対せいへんで、アホかお前は」

「そうは言うても言いにくかったんや、家は貧乏やろ、俺が助けなあかんやろ」

「あほか!お前なんかに助けてもらわんでもやっていけるわ、お母ちゃんが生きてる内は働いて家の事なんかどうでもなるわ」

「そないに言うても・・」

「あほ!お前誰のために生きてんねん、お前の人生やろ、お前が好きに生きへんかったらそっちの方が悲しいわ」

「ほな、ええんか?」

「どこにでも行きさらせ、その代りな、男がいっぺん口に出したらいいかげんなことしたらあかんで、とことんやらなあかんで、それが男やで、そこんとこ分かってんねんやったらどこにでも行ってき」

「ほんまやな、ええんやな」

「ええい、もうええ、うるさい」

私は母の、口の汚い思いやりに、言葉に尽くせない感情を押し秘め、その場を離れました。
しばらくして、母の様子をこそっと見に行った時、母は仏壇の前で肩が震えていました、私はその時もまた、母は本当に私を愛してくれているのを感じずにはいられませんでした。

そして、とうとう私の上京の日が来るのです。

しかし、それからが私にとって本当の地獄の始まりなのは知る由もありません・・・


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ホームレス よもやんさん そうですね、本当に良い家族に恵まれながら私ってやつぁ〜どうしようもない親不孝者です・・・・ (08/10/20 02:30)
ホームレス emuさん 最近気づきました^^ (08/10/20 02:26)
ホームレス 壷中の天さん そうですね、本当に一握りですよ。自分の才能を分かっていないですね^^通勤手段は家から最寄の駅までチャリンコで10分、その後電車3本乗り継ぎ、しめはバスです。きつかった〜^^ (08/10/20 02:24)
ホームレス サイコロさん 若気の至りで^^ (08/10/20 01:08)
よもやん これからの展開・・ドキドキ! しかし、ホムレス殿は、良い母親・兄弟に囲まれてますな。(^^ (08/10/19 22:38)
emu 男だね^^ (08/10/19 19:36)
壷中の天 片道2時間半って半端ないですね。通勤手段は何だったですか。 (08/10/19 17:19)
壷中の天 無茶しましたな〜。漫画家の蛭子さんも地元で何年か働いてからじょうきょうされたんですよね。地元は長崎だったかな。成功するのはほんの一握りなんでしょう? (08/10/19 17:09)
サイコロ おもいきりましたね^^ (08/10/19 13:23)


 ■ 2008/10/18 (土) 波乱万丈12


試験室に配属されてしばらくたって上司から

「今、企画している宴会でお前の歓迎会もやるから必ず出席せなあかんで」

とのこと。

私は会社まで、通勤時間が片道2時間半、電車を三つ乗り継ぎ、最後にバスという過酷な通勤だけに、仕事が終われば直ぐに帰宅する毎日で、たまに先輩達が「今日帰りにどう?」とのお誘いも丁重に断って帰っていました。
そんな私の状況を知りつつも言って来たと言うことは、これは問答無用ということなので選択の余地はありません。

そして当日、仕事は終わり、試験室全員が予約の入れてあるお店へと楽しそうに移動中、私は「嫌な予感」を感じながら店へと行きました。

着いたお店は、私などは一生縁の無いような高級料亭で、その佇まいは古風で趣があり、人目で老舗だということが分かる風情のお店でした。
まずは上司から暖簾をくぐり、その後から皆がぞろぞろと入っていきます、中に入るとまた更に、お店の風格がこれ見よがしとそこらにちりばめられ、私はその時点で「嫌な予感」はどこかに行ってしまい、店の雰囲気に呑まれていったのです。

奥から和服に身を包んだ女将と思われる女性が

「いらっしゃいませ、何時も御贔屓に有難うございます」

すると上司が

「また来たよ」

私は「ひえ〜、このシチュエーション ドラマやないけ、しかもうちの上司、また来たよってこんなとこ何度も来てんのか?カッコ良過ぎるやんけ」とまぁこんなことを思いながら奥の座敷へと案内され、宴会はスタートするのでした。

初め上司の挨拶に始まり、仕事の労をねぎらい、そして私の新加入の話も終わり、最後に乾杯の掛け声と共に私の先輩方全員にお酌の行脚・・・

「どうや、仕事は慣れたか?」

「なんかわからへん事があったら俺に聞けや」

「俺の若い時は大変やってんぞ」

「仕事は先輩のやってるのを見て盗め」

「お前彼女おるんか?」

「お前も飲め」

などなど・・・「はいはい、わかりました、もうええでしょ、早く終わって帰りましょうよ」
私の頭はこの気持ちでいっぱいでした。
どこの世界でも一緒でしょうが新入社員は先輩達の酒の肴で、おまけにこの様な場所では奴隷なのです。

「新入り〜酒ないで〜、もってこ〜い」          「は〜い」

「新入り〜おまえなにしとんねん、酒つがんか〜い」    「は〜い」

「新入り〜お前歌うたえ〜」               「とほほ」

「もう勘弁してよ〜」と思っていた時。

上司が「え〜縁もたけなわではございますが」

「やった〜終わった〜これで帰れるぞ〜」

「ここで鳴り物を入れたいと思います」

「なに〜、終わりやないんか〜、何時になったら帰れるんや〜」

奥の襖がスーッと開いたら、綺麗所が小道具片手にササササササと数人入ってくるではありませんか。

「さーこれからが本番です、みなさん今宵は羽目を外して楽しみましょう」

「おー」

「わかりました、よござんす、どこまでもやっちゃいましょうよ」
私はもうやけになって、もうどうにでもして、と思うようになりました。

しかし、それにしても芸者遊びなどは初めてです、見るもの聞くもの全てが興味津々で私は芸者さんの弾く三味線や太鼓、それに合わせた踊りに見とれていました。
そしていよいよ本当の芸者遊びが始りました。

色々な遊びがありましたが、その中でも面白かったのは、座布団を三枚ぐらい重ねて敷き、それを川に見立て、それを挟んで芸者さんと向かい合い、股にビール瓶を挟んで落とさぬよう川を渡り、手を使わずに相手の股にうまく渡す、渡されたほうはまた同じ事を繰り返し、もとの人の股に渡す、途中落としたらその時点でゲーム終了といった遊びでした。
この遊びの見所は、ビール瓶が「ピー」に見立てており、手が使えないので相手の股に渡す時お互い腰をくねらせて渡すのでその光景が淫靡な連想をかもしだす所です、しかもビール瓶を芸者さんも股で受け止めるために前をはだける為、見え隠れする肌が妙にいやらしさを強調するのです。

最初は上司の挑戦、慣れているせいか見事にこなし、芸者さんの股に渡そうとする行為中に抱きつき、キスの応酬、芸者さんも慣れていますから見事にかわしていきます。

それからというもの、我も我もと次々と挑戦していき、最後まで落とさず出来たのは上司だけでした。

そしていよいよ私の番が回ってきたのです。

「おい、新入り、お前は裸でせなあかんねんぞ」

「え〜!マジですか?」

「当たり前やんけ!これは我が社の伝統や、みんなこれをして一人前になるんや」

「そんなんいうても、女子社員もおるんですよ」

「気にしたらあかへん、みんなやってきたんや、例外は認めへんで」

「パンツもですか?」

「まっ!パンツだけは許しといたるわ、お前の汚いのん見ても酒まず〜なるだけやからな」

私はやけくそでパンツ一丁となり、いざ出陣、芸者さんも新入りのうぶな私をもてあそび、瓶を渡している最中わざと抱きついてきて、顔中口紅の跡だらけ、おまけにその最中に先輩の一人がパンツをずり下げ、私の「ピー」は公衆の面前にさらけ出されたのです。
その後の事は筆跡に耐えれませんので省きますが、私は社会の怖さを痛感したと共に忘れていた悪い予感は的中し、長い夜は更けていくのでした。

それからというもの職場では長い間、女子社員の顔を見れなかったのは言うまでもありません・・・・





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ホームレス まりあさん カワイイ方だった?過去形ですか?今もキュートですよ^^ (08/10/19 00:27)
まりあ ちょっと前までの新入社員の通過儀礼ですね(^_^;) それを通過した男性新入社員さんと部の方は結束力がつきますよね。私らはキャーといいつつ、仕事だと割り切ってましたけど(・ω・´) しばらく女子社員の顔を見れなかったなんてホームレスさんはカワイイ方だったのですね^^ もし、新入社員さんのそんな出来事をうわさにすれば、24歳迄に男性上司から首切りされる時代でしたからね;今はセクハラでアウトになりましたw (08/10/18 20:16)
ホームレス emuさん 芸者遊びは全裸がつきものですよ^^ (08/10/18 08:53)
emu 芸者遊び楽しそうですね。全裸はきついですけどw (08/10/18 08:42)


 ■ 2008/10/17 (金) 波乱万丈11


試験室において私の仕事での指導や疑問を担当している先輩がいました。

私はこの人とは同じ職場内で唯一色々な事が話せる人だったのです。

「○○さん、同じ会社で働いているのに何故こうも待遇が違うんですか?」

「何の話や?」

「以前、上司と一緒に工場内を見学させてもらいました、その時に色々考えさせられたんですよ、特にラインで働いている人達を見た時、あんな狭く汚く危ない所で、しかもめちゃくちゃ過酷な仕事ですよ、それに比べて私らの職場は綺麗でクーラーも利いてるし違いすぎるじゃないですか?同じ人間なのに何故にここまで違うんですか?」

「お前、俺らは学生と違うんやで、社会っていうのんは弱肉強食なんやで、そんな甘ちょろい考えしてたらあかんぞ」

「そうはいうてもあの人達も私も同じ年齢ぐらいですよ、なぜあの人達はラインで私はここなんですか?」

「学生は平等に扱われるやろ、しかしその中でも努力をする奴とせいへん奴とで別れていくやろ、その結果が社会に出た時に分かんねんや」

「じゃ、私は努力をしたってことですか?」

「お前のことはよう知らんけど、そうちゃうんか、せやけどお前もそんなつまらん事考えておらんと、与えてもろてる仕事を一生懸命せい、でないとお前も何時あないなるか分かれへんで、社会は厳しいねんぞ。」

「・・・・」

「もう一つ言うといたるけど、お前のその考えはええように聞こえるけど、なんか上から見てないか? 彼らの中にはプライド持って仕事をしてるのんもおるねんで、そんな人らを馬鹿にしてんのか? お前見たいなんを偽善者って言うのんとちゃうか?」

私は間違っていたのです、その先輩の言うとおりです、もう学生ではないのです、学生時代は極めて平等に扱われ、勉強を教えてくれ、それを享受するもしないも自由なのです。
しかし、社会はそうではありません、自分から働きかけない限り誰も教えてはくれません、学生時代はある程度さぼっても怒られるぐらいで相当のことが無い限り、やめさせられるような事はありません、しかし社会はそうではないのです。
ちょっとした不公平感にも目くじらを立てていた頃ではもう無いのです。
社会の平等とは、努力を基準とし、その他にも多くの要因を含んでいき学生時代では想像もつかないほどの物なのです。
少なくとも、努力を怠っている者にはいずれ悲しい結果が待っている、それが社会の平等なのです。

なぜなら、社会に出るということは、働いてお金を貰い自立する、いわゆる「プロ」になるということだからです。

私はこの先輩に良くこう言われた。

「何でも出来るようにならんでええ、せやけど、コレだけは他の人に負けへんっていうのんを持て」

甘ちゃんだった私に社会を教えて頂いた最初の人で、今も感謝しています。


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ホームレス 調和さん 貴方の日記を拝見している限り、相当現在に至るまで我慢のしどうしだったように伺えますから、貴方のコメントが真摯に伝わりますね。 (08/10/18 00:51)
ホームレス まりあさん 本当に何時もご愛読、コメント大変感謝しております。しかし、こうして自分の書いたものに、皆さんからコメントを頂ける事が、こんなに幸せなことってありませんね。本当に皆さん有難うございます。 (08/10/18 00:44)
ホームレス 向丘さん 書いている私も深すぎて溺れそうです^^ (08/10/18 00:39)
ホームレス emuさん お互いどんな年齢になっても頑張る事を維持して行きたいものです。 (08/10/18 00:37)
調和 「努力を怠っている者にはいずれ悲しい結果が待っている、それが社会の平等です」その気持ちは私は常に心に思っています。社会は甘くないですね。 (08/10/17 23:45)
まりあ 難しい質問に答えてくれた上司がおられて良かったですね(*^_^*)その方とは絶対に疎遠にならないように心がけたいですね。次回は社内恋愛の話かしらwちょっと期待^^ (08/10/17 21:14)
向丘 深いですねぇ・・・ (08/10/17 19:31)
emu がんばります。(意味深 (08/10/17 12:25)


 ■ 2008/10/16 (木) 波乱万丈10


私もいよいよ社会人となる日が来た。

故あって、大学を途中降板、知り合いの進めもあり、ある大手自動車メーカーに就職が決まりました。
配属されたのが「品質保証部、管理課」一体全体何の仕事をさせられるのか・・・・
初日、私は管理課の課長に連れられ、「金属材料試験室」と表札の出ている部屋へ案内され、そこで従事している先輩方に、今日からここの配属になることを告げられると共に自己紹介をした。

「今日からここに配属となりました○○といいます。何も分からない自分は皆様にご迷惑をおかけすることと思いますが御指導御鞭撻のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。」

おざなりの台詞で終わり、先輩達もおざなりの挨拶で終わった。

自分の仕事内容は、簡単に言うと、不具合が発生した自社製品の原因究明でした。
その中でも私の試験室「金属材料」は、当時まだ比較的新しい分野で、何故私がこの試験室に配属が決まったのかは、多分私の専攻していた分野がそうだったからだと思います。
試験室の従業員は全部で20名ほどで、それぞれが専門を担当し、ディーラーから送られてくる不具合の部品をテストピース化し、正常部品との比較、組織、硬度、粘度などを調べ、報告書を作成し、上司がそれを見て、あまりに多い同一不具合なら、内部調査を初め、自社に責任ありと判断すれば、リコールとなる訳です。
ですから、試験室内にある測定器などの精密機械は学校にある物とは桁違いで、日本製などはほとんど無く、ほとんどはヒューレットパッカード社製、若干のドイツ製、一台数千万?もしくは億?というものばかりでした。

当時の私は「あ〜、やはり日本はまだまだなのか」と、思ったものです。

仕事が慣れてきた頃、担当の上司に連れられ、試験室を離れ、工場内の視察という事でライン現場に行き、車の製造過程を見学させてもらいました。
現在は当時とは大分様子も変わっているとは思いますが・・・

プレス→電着「上塗り塗装の前工程」→塗装→焼付け→組み立て→仕上げ→検査・・・

私はこの工程を上司の説明と共に見学していた時のことです。
台車で何か部品を運んでいる方の腕が異常なことに気づき、良く見ると明らかに義手なのです。
その後もライン以外で働く人の何人かは身体上何らかの問題を抱えていると思われる方々を目にしました。
「多分仕事上の事故にあった方々なのだろう?」と思い。
また、ラインで従事されている方々の、なんと過酷で厳しい労働環境を目の当たりにし、激しい違和感と共に自分の置かれている優遇された環境を思い

「なぜ?同じ人間なのに?なぜここまで大きく違うのだ」
「この上司はこれをなんとも思わないのか?」
「もう見慣れたせいで、何の違和感も無くなったのか?」
「俺もいずれは見慣れて、この上司の様に何の違和感も無くなっていくのか?」

この様なことばかりを考え、上司の話はほとんど耳に入らず、視察は終了しました。

それからというもの、この上司を含め、同じ試験室の先輩達に、私は違和感を募らせていくのです・・・・・






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ホームレス 調和さん やはり社会に出ると多かれ少なかれ色々な現場に直面し、その度に社会の厳しさを思い知らされるのですね。 (08/10/18 00:35)
ホームレス emuさん 何時もご愛読有難うございます。期間工や工場勤務の方々が居られるので世の中に製品が生み出されるのですから頭の下がる想いですね。 (08/10/18 00:33)
調和 某企業のポスター印刷立会時にオペレーターの方が機械に手を持って往かれた現場に居合わせた事があります。この世のものとは思えない程、凄惨な現場でした。未だに夢を見ます。 (08/10/17 23:42)
emu 旋盤工とか、期間工とかバイト雑誌でよく募集してたし給料も結構あったから興味がわいて調べたことあって、そしたら指ふっとんだとか、いう人がいて、こりゃ無理だなと思ったことがあった。これを読んでてふと思い出しました。 (08/10/17 12:28)
ホームレス サイコロさん 私も工場内の事故を目の当たりにしたことがあります。工場勤務は本当に危険と隣り合わせですね。 (08/10/17 06:37)
ホームレス まりあさん以前は秘書?秘書という言葉に憧れてしまうのは私だけ?^^ (08/10/17 06:34)
サイコロ 昔、派遣で工場勤務していた頃、1年に何人かは、機械に挟まれたりする事故が・・・発生していました。安全管理に気をつけるために、指さし確認など、やっていました (08/10/17 00:26)
まりあ 品質保証部 管理課 金属材料試験室さんといえば、**自動車さんかしら…? ちょっと前(かなりかもw)に秘書課で聞いたことがあるような^^ 企業規模に関係なく現在もありますね。ホームレスさんにとっての、違和感等は解決済みだと思いますが難しい問題ですね。 (08/10/16 22:46)


 ■ 2008/10/13 (月) 波乱万丈9


このような母の下で私はすくすくと成長して行き、気がつけば中学、高校へと紆余曲折がありながらも進んでいきました。
その中で、どうしても特筆しなければならない事があります。
今も尚続いている悩みがあり、それは私の身体的なことです。
中学時代、私の身長は低く、一年の時は周りにも低い男共がチラホラ居ましたのでそれほどは気にしてはいませんでしたが、二年になると明らかに差が出てきました、しかしその時もまだ、ちょっと不安でしたが「俺もいずれは」と思っていました。
そして三年、私の身長の低さに異常を覚えたのはこの時です。
私は高校入学時点で身長「149cm」しかありませんでした、私は女の子より低かったのです。
このように書くと、身長の事だと思われますが実はそこではありません。
それは、やはり中学二年の時に気づいたのですが、体育の時間、授業は「水泳」でした。みんなが水着に着替えている最中、男子も全員まだ恥ずかしく腰にタオルを巻き着替えていました。その時に隣の奴の「ピー」を見てしまい、明らかに自分の「ピー」と違うことを発見したのです。
奴は上部に毛をたずさわえ、更に浅黒く、なんと皮がめくれているのです。
私は「なんやこいつ、なんであんな汚いねん、でも見事に毛ぇ生えとんなぁ」とまぁ最初はこれ位にしか思いませんでしたが、その後、現実を思い知らされるのです。
中三になり、高校になり、私の「ピー」は一向にその姿形を変化させることなく時が経ちました。
高校にも体育の授業はあり、しかも高校ぐらいになると男子は惜しげもなく着替えの最中「ピー」をさらけ出すのです。「ちなみに女子は、中は交代、高は別部屋でした」
私はなんと醜く?変形したその「ピー」を見る度に

「こいつら何食うたらこうなんねん」
「俺は何時になったら成長すんねん、背は低いし、コレも貧乏のなせる業か?」

こんなことを考えては、誰よりも早く、ばれないように着替えを済ませていました。

そんな物を見せ付けられた日の夜は、自分の「ピー」に向かって。

「こんなん誰にも言われへんで、せめて毛ぇぐらい生えてくれや〜」
「しかも本で読んだけど、こいつ、ほーけーって言う奴やろ、これって病気ちゃうん?」
「長さも本に書いてあるのよりものごっつ短いやん」
「マンガで言うたら、あいつらのん、ゴルゴ13で俺のはタラちゃんやな、絶対勝たれへんで」
「さしづめ俺は下半身のヘレンケラーやな、毛は無い、短小、ホーケーの三重苦や、サリバン先生はおれへんのか?」

など、冗談ではなく本当に悩んでいたのです。

しかし私の遅咲きも、ようやく高校二年から身長が伸び始め、それと同時に下半身の方も毛らしきものが生え始めてきました。
高校三年卒業時には、身長170cmに、それよりもなによりも、下半身は毛がジャングル状態に・・・・

し・か・し・・・・・・・・・・・・・・・・


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35才の男 おおゾウサンがしぼんでいく ジャングルにかくれてお休み (08/10/14 22:19)
ホームレス いや〜、やっぱ北国は魚が美味いね〜、ん、あれ、また35才の男さんではありませんか?なに?またぞうさん?前にも言いましたが言って下さいよ〜、聞いてれば北国になんて行っていなかったのに〜。 (08/10/14 21:44)
35才の男 ぞうさん(○ん○) ジャングルの中からチラッとゾウサン ぞーさんぞーさんおはながながいのでそーよ○ん○んもながーいのよー^^ (08/10/14 20:55)
ホームレス emuさん また旅に出ます・・・・ (08/10/14 20:37)
emu いやいや。おもしろい。友達のあれを見ることはぼくはなかったなぁ。修学旅行とかで友達がクラスメイトに見られてるところの会話を聞いてたけど、○○!うぉ!やるなぁ。(ギョロギョロってまじまじ見てました。そんなにすごかったんだろうか。あのときは気になったなぁ。ジャングル状態に・・・の後はいったいなにが・・・!?気になるなぁ 気になるなぁ (08/10/14 07:06)
ホームレス まりあさん あれ?分かりました?^^すみません、最初の方の日記の内容でまりあさんに何か御心配をかけさせたのであれば申し訳ありませんでした。私は大丈夫ですよ 今回も見ていただき有難うございます、まりあさんの鋭い視点待ってます (08/10/13 22:01)
まりあ 今日は、おち***ネタですか(^_^;;;) 月初めよりちょっと元気になられたみたいで安心しました。 (08/10/13 21:43)
ホームレス あ〜良い温泉だった。ん、あれ、35才の男さんじゃありませんか、なに?ぞうさん?動物園にでもいってらしたのですか?良いですね〜、今度ご一緒しましょう (08/10/13 20:40)
35才の男 ぞーさんぞーさんおーはながながいのね そうよ○○○○もなーがいのよ (08/10/13 18:52)
ホームレス 旅に出ます・・・ (08/10/13 17:00)
35才の男 象さんがチラッと・・くらいとか (08/10/13 16:57)
ホームレス 35才の男さん ぎく(^^; (08/10/13 16:50)
35才の男 ジャングルの中に隠れた○○○ (08/10/13 16:25)


 ■ 2008/10/12 (日) 波乱万丈8


私の家の直ぐ近くに駄菓子屋があった。
私はお小遣いが無かった為、いつも眺めては、そこに並べられてあるお菓子、くじ引き等、全てが宝物のように見え、それらを買っていく子供達がいつも大変羨ましく思っていました。
その中で、幼い私の脳に燦然と輝く品物があったのです。

それは「プリッツ」あの江崎グリコ社のプリッツでした。

私はどうしても、あの「プリッツ」が食べてみたくてたまらなかったのです。

私は駄菓子屋に行く度に、プリッツに目が釘付けで、ましてや誰かが「おばちゃんコレちょうだい」と、プリッツを買っていくようものなら、その子の後を付いて行き、食べた感想や、あわよくば、少し分けてもらえるかもしれない?などと都合の良い考えに浸っては、恨めしそうに見ていました。
そして、私は家に帰っては「あ〜、プリッツってどんな味なんやろか?箱には細長い絵が描いてあるから柔らかないで、きっと硬いんや、でもプリッツって名前やからぷりっとした味やで」なんて訳の分からないことを考えては想いは募っていきました。

そんなある日のこと、いつもの様に駄菓子屋に行く途中でした。
何か道に青い紙切れのような物が落ちていたのです。
私は「なんや?」と、近くに行き良く見ると、なんとそこには光り輝く「500円札」が落ちているではありませんか。
私は母の財布でしか見たことがない上、ましてや触ったこともありません。
私は、カメレオンが餌を取るが如く、さっと拾い、周りを確かめ、誰も見ていないのを確かめ、ポケットに入れました。
しかし私の脳は数秒間だと思いますが色々な事を考えたのです。
「これって悪いことちゃうん」
「警察に届けなあかんやろ」
「こんな大金持ってたら変やろ」
「お母ちゃんに見つかったらどないしょ」
「でもこれで、あのプリッツ買えるで」
「見つかれへんかったらええねんや」
数秒後、私の足は、そのまま駄菓子屋へと・・・悪魔が勝利した瞬間でした。

その日の夜、母が寝静まった後、私はあのプリッツを隠していた所から取り出し、歓喜の声を無理やり押さえながら箱を開けました。
「なんちゅうええにおいや、たまらんで」
私は箱から一本取り出すのも、細心の注意を払い、音が出ないように取り出しました。
私は心の中で「パンパカパーン、今週のハイライト」と言い、口に入れました。

「なんじゃこれは!めちゃくちゃ美味いやんけ、こんなうまいもん世の中にあんのか」

私は至福の時を過し、いっぺんに全部を食べず、この幸せを何日かに分けて味わうことにし、その日は終わりました。しかし、そう思ったのが不幸の始まりです。

次の日、私は学校から帰ると、母は仕事からまだ帰ってきませんから一目散に隠してあるプリッツを取り出し、また至福の時を過そうと箱をあけ、数本食べていたその時です。
「○○!なんやそれ!そのお菓子どないしてん!」

振り向くと、母がそこに立っているではありませんか。

私はあまりのとっさの出来事で全く言い訳ができないと同時にあまりの恐怖で固まってしまいました。

「なにしてんねん!そのお菓子どないしたって言うてんのが聞こえへんのか!」
「・・・・」
「なに黙っとんねん、聞こえてるやろ、なんかいわんかい!」
「・・・・・・」
「誰かにもろたんか?どないやねん!」
私は「これや!」と思い、すぐさま
「そうや、もろたんや」
「だれにもろてん!」
私は失敗に気づきました、心の中で「だれって、だれや?あかん、もうあかんわ・・・」

「お米屋さんの兄ちゃんか?、醤油屋さんか?」

私はまたしても渡りに船で「そうや、お米屋さんや!」

この返答により、一応は事無きを得ましたが、所詮は直ぐにばれる嘘ですので、それからの私は、お米屋さんが来るのが何時か何時かと、恐怖の毎日を過していました。

そして、とうとうその日が来たのです。

「○○!なに嘘ついてんねん!お米屋さんそんなん知らんって言うとったで!」
「・・・・」
「なに黙ってんねん、お母ちゃんそんな嘘つくように育てた覚えないで!なさけないわ!正直に言い!」

私は観念し、泣きながらその時の事を詳しく話した。

「なんや、そんなことかいな、なんで正直に話せへんかったんや、早よ言うたらええのに、でもな、いくら拾たもんでもネコババしたらあかんで、泥棒の始まりやで、ちゃんと警察に届けなあかんねんで、わかったか?」

「うん、ようわかった」

「まーええわ、ほんで残りのお金はどないしたんや?」

「まだあるで」

「ほな早よ出し、お母ちゃんが預かっとくさかいに・・・」


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ミネヤ お米屋さんの兄ちゃん役でええわ^^ (08/10/15 00:01)
ホームレス え〜役取るのですか〜よくばりだな〜^^ (08/10/14 20:36)
ミネヤ ノーマルスーツで。脇役でいいから出してね。 (08/10/13 23:16)
ホームレス ミネヤさん 制作発表の時の記者会見は、やっぱり背広ですか?^^ (08/10/13 14:18)
ミネヤ いや、おもろー!いからテレ朝のドラマ化希望。 (08/10/13 09:42)
ホームレス スダチさん 大変嬉しいコメント本当に励みになります。これからももしよろしければ見てやって下さい。有難うございました。 (08/10/12 23:28)
スダチ 面白すぎです。ブログで書いたら大反響の予感・・・ (08/10/12 23:11)
ホームレス まりあさん ちゃきちゃきの大阪育ちです^^どうでしょうか?私の方が若い?(ナイショ)^^ (08/10/12 23:00)
ホームレス ミネヤさん それを聞きますか^^40代後半とだけ言っておきます^^ (08/10/12 22:55)
まりあ ホームレスさん、育ちは近畿かしら? 生き生きとした近畿のコトバですね^^ 意外と私より若い方かも(ナイショ)? (08/10/12 22:31)
ミネヤ 年いくつYO (08/10/12 22:09)
ホームレス コメント有難うございます。私の記憶では、確か50円だったと思います。 (08/10/12 21:57)
サイコロ 当時、プリッツはいくらでした? (08/10/12 21:04)


 ■ 2008/10/11 (土) 波乱万丈7


ある日、母方の親戚から電話が入った。
「おたくんとこの息子さんトカゲとか好きか?」
私は母から「親戚のおじさんが、トカゲくれるって言うてるけど貰うか?」
私は二つ返事で「うん、もろて」

しばらくして、大きな水槽に手の平サイズのトカゲが2匹、おじさんが持ってきてくれた。
「○○ちゃん、このトカゲ、ちょっと変わってるで、餌は生きた小魚やねん、それと水槽の中は少し陸地を作って浅く水張ってなあかんで」
私は変わったトカゲだなと思いつつも「わかったで」と言い、早速えさ取りに頭がいっぱいになったいました。
幸い私の家の近くを大きな川が流れ、また、小さな支流もあり、小魚を捕まえるのはもってこいの場所で、えさを取るにはことかきませんでした。
私は取ってきた餌を水槽の上からあげようとすると、そのトカゲはまだ小さな口をいっぱい広げて待ってます。そこへ小魚を落とすとトカゲはひとのみ。
私はこのトカゲが可愛くて学校から帰ると、まずは川へえさ取り、そしてトカゲに与える事を繰り返す日々が続きました。しかし、私はどうしても、このトカゲたちに触ることが出来ないのです。
見ている分には可愛いのですが、えさを食べるときの動作が獰猛で、また、口に小さく歯が生えているようにも見え、触るには少し度胸が要り、私にはまだその度胸が兼ね備えていませんでした。
しばらくすると、やはり水を張ってる分臭いが出て、非常に臭くなって来ます。しかし私はトカゲが触れませんので水を変えることが出来ません、しかし母は強い、母はトカゲをわしづかみ・・・この時ほど母を頼もしく思えたことはありませんでした。
また数日経ったある日、水槽を覗くと何か水に透明なゴミのような物が浮いているのです、なんだこれは?と、良く見ると、それは皮だったのです、そうです脱皮しているのです。
爬虫類ですので当たり前ですが、トカゲの脱皮を始めて見た私は、「こいつら大きくなるねんな」と思ったとき前にも増して恐怖を感じたのです。

そんなこんなで、このトカゲ、成長著しく、いつの間にか貰った時の3倍以上に成長し、水槽所狭しとうごめいて、私はえさを上げるのにも恐怖を感じる始末。
「お母ちゃんこいつらトカゲちがうんとちゃう?」
「なにいうとんねん、おじさんがトカゲっていうとったからトカゲや」
「せやけどこんな大きいトカゲ見たこと無いもん」
「そんなことない、たまにおんねんや」
「でも図鑑で見たけど、こいつらワニとちゃうか?」
「アホか、そんなん日本におれへんわ」
「でもどう見てもワニにしか見えへんで」
「ちゃうちゃう、トカゲっていうとったからトカゲや」
「ほんまかぁ?せやけどなんかしらんけど、ものごっつう怖いねん」
「なにいうとんねん、大の男がトカゲごときに怖がってどないすんねん」

ある日の夜、大きな物音で母も私も目を覚ました。
「バン・バン」
「お母ちゃん水槽やで」
私は水槽を恐る恐る見ましたら、トカゲが尻尾で水槽のガラスを今にも割りそうな勢いで叩いていたのです。
「お母ちゃん、もうあかんで、こいつら飼われへんわ、ガラス割ってまいよんで」
「ほんまやなぁ、なんとかせなあかんなぁ」

そして翌日、母は動物園に電話をかけ、事情を説明しトカゲを引き取ってもらうことになり、その後係りの人間が来ました。
「○○さ〜ん、××動物園のものですが」
「は〜い、こちらにいますんで入ってください」
母と私が係員にトカゲを見せたところ。

「○○さん、こりゃワニでんがな!」
「え〜、やっぱりワニでっか」
「ほらみてみ〜、お母ちゃんやっぱりそうやったやん」
「しかも○○さん、これは凶暴でもっと大きくなりまっせ、危ないから直ぐ引き取りまっさ」
「そらあかんわ、ほなお願いしますわ」

こうして私のトカゲ達?は、動物園に引き取られていきました。

しかし、係員に母が最後に聞いていた言葉が今も気になっています。
母は係員との別れ際に

「これが死んだら財布やバッグになるんでっか?」


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ホームレス あたたかいコメント、本当に有難うございます。本当に励みになります^^ (08/10/12 16:52)
emu おもしろいなぁ。なんかジブル見てるよういな心がポカポカしてる気分になるね (08/10/12 03:00)
ホームレス めとろんさん さすが母は強し^^ (08/10/11 23:36)
めとろん ワタシもトカゲ平気で触れます。でもワニは・・・お母さんの手が食いちぎられる前に判明してよかったです。よく考えたら水を張って育てるトカゲなんて居らんよね;;;; (08/10/11 23:06)
ホームレス りこぴんさん 日記読んで頂き誠に有難うございます。コメント本当に励みになります。これからもお付き合いのほどどうぞよろしくお願いします。はい、我が愛しき「ろんてとろく」の父親でございます^^ (08/10/11 22:12)
ホームレス 壷中の天さん またのコメント本当に有難うございます。ナイスな落ちですが、嘘のようで本当の話です。あしからず^^ (08/10/11 22:06)
ホームレス ミネヤさん コメント有難うございます。あまりおだてると木に登っちゃいますよ^^ (08/10/11 22:01)
りこぴん 読み応えある日記ありがとうございます。面白い…といっては不謹慎ですが、面白いです。ホームレスさんてロンテちゃんとお暮らしの?かな? (08/10/11 21:14)
壷中の天 ハハハハハハハハ。ナイス落ちでした。 (08/10/11 20:41)
ミネヤ 本出せば売れると思うよ。 (08/10/11 20:40)


 ■ 2008/10/10 (金) 波乱万丈6


昭和40年代といえば日本も経済復興で活気を持ち、高度成長、日本万国博覧会、田中角栄内閣樹立、日本列島改造論、所得倍増計画、日中友好条約、上野のパンダ・・・・・
もはや戦後とは程遠く、物が溢れて来た時が私の小学生の時でした。
クラスのみんなはその時の流行を追い、親から買ってもらってはみんなに見せびらかし、一時の英雄となる事に心血を注いでいたといっても過言ではない時でした。

「みんなみてみい、これが象が踏んでも壊れへんアーム筆入れやで」
「ほんまかいな、ほんまに踏んでも壊れへんのかいな?」
「ほんまや、お前らテレビ見てへんのかいな、象がほんまに踏んでるやんけ」
「おら、かしてみい、おれが試したるわ」
「バキ!」
「なんや、壊れてもうたで」
「なにしとんねん、べんしょうせいや・・・・」

その他に、この頃話題になったのは、鍵つき筆箱、ジャポニカ学習帳、今や液晶で大企業となったシャープが開発したシャープペンシル、三菱鉛筆UNI、などなど・・

もちろん私の持つ文房具は兄のお下がり、また8年離れたお下がりなのでレトロ感いっぱい。特に鉛筆はあまり買ってもらえないため両端を削った物を使っていました。
周りから「お前のんなんじゃこれ」「こんなんようつことるのう」「お前ん家は貧乏人か?」「貧乏削り」とまあ、こんな風に、無邪気で歯に衣着せない言いようは、見事に幼い私を傷つけるには十分余りあるものでした。

ある日のこと、習字の時間で、私は習字道具は兄のお下がりがあるのですが文鎮だけが無く、いつも半紙の上を押さえながら書いていましたら、先生が「○○君文鎮は?」と聞かれ、他の子が「○○君は貧乏なので文鎮もっとらんです」すると先生は「そんなこというもんちゃうで、今回は先生のん貸したげるさかい、これつことき」
私は先生の文鎮を借り、今回はこれで事なきを得ましたが、次また習字の時間で文鎮が無かったら、周りから今度はなんて言われるだろうと悩みながら家に帰りました。
その夜、私は小さいながらも家が貧乏なのは良く知っていましたが、母に言いました。
「お母ちゃん、習字に使う文鎮がないねん」
「お兄ちゃんのんがあるやろ」
「ほかのはあるけど文鎮だけがないねん」
「そんなんのうても書けるやろ」
「周りが文鎮も持ってない貧乏人や言うねん」
「そんなん気にすな、言わしたい子は言わしとったらええねん」
「お母ちゃん頼むわ文鎮買うて」
母はしばらく考え込み、すると思いついたように「そや、ええのんあるで」と、押入れからある物を持って私に手渡しました。
「これ使い、これで解決や」
「お母ちゃんこれなんな?」
「剣山や」
「剣山って何や」
「生け花に使うもんや、せやけど文鎮に似てるし使こてもかまへんで、気にせんと使こたらええで」

それからというもの、私は母に物をねだる事をやめました。

剣山は、それを使ってからかわれる事と、文鎮が無いことでからかわれる事では、無い方を選んだのは言うまでもありません。




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ホームレス 5r53tnさん はい、仰るとおりです。以前書かせていただきました。 (08/10/10 23:55)
5r53tn ホームレスさんは前に掲示板でホームレスだったと書かれていた人ですよね? (08/10/10 23:46)
ホームレス 壺中の天さん これを読んで頂き誠にありがとうございます。誠にすみません最初の返信は削除させていただきました。私の現在の仕事を書きましたが、現在私は沖縄に居ます、大変狭い場所でありまして、直ぐ特定出来易いことから申し訳ありませんが削除させていただきました。私は曖昧で失礼ですが、あるお店の従業員をしております。この辺でご容赦ください。これからもお付き合いのほどよろしくお願い致します。 (08/10/10 22:47)
ホームレス めとろんさん わははは〜そっすか〜同年代ですか〜^^ (08/10/10 22:29)
ホームレス ダメオさん またのコメント有難うございます。現在母は健在ですが、認知症を患い兄の下で静かに暮らしております。その時の経過もいずれ記そうとは思っています。 (08/10/10 22:27)
ホームレス まりあさん コメント本当に有難うございます。 まりあさんのその視点は今まで現在に至るまで考えたことがありませんでした。鋭い指摘を有難うございます。私はやはりまだまだですね^^ (08/10/10 22:21)
めとろん わははは〜(^0^)w全く同じ時代っす〜 (08/10/10 21:23)
ダメオ アーム筆入れ、懐かしいですね〜 あの時代貧乏が当たり前でしたけど、それでも子供心には、やっぱり友達の目は気になりましたよ。私もよく母親に「うちは貧乏なの?」って聞いてましたけど、答えは何時も「違うよ!」だったので、私が現実を知るのは、それこそもっと友達の目が気になる思春期を迎えてからでしたw ホームレスさんのお母さんは、明るくて豪気な人だったんですね。そういえば、お母さんはご健在なのですか? (08/10/10 21:20)
まりあ 貧しくとも心の豊かさを持ったお母様だったのですね。昭和初期の夫を支える女性ならどんなことがあっても剣山を手放せない方だったのかもしれませんね。「文鎮も持ってない貧乏人」ではなく、「剣山を手放すことなく、いつか華(はな)を飾る心の豊かさ」を【女として】あなたにそれとなく伝えたかったのかもしれませんね。こんご華道にふれてみてはいかがでしょうか、お母様の心の真意をいつか知ることができるといいですね。 (08/10/10 21:11)
壺中の天 ホームレスさんご自身はどういった関係の仕事されているんですか?文章面白いですが、文筆関係ですか。 (08/10/10 20:57)


 ■ 2008/10/09 (木) 波乱万丈5


私は兄が大好きでした。

私の兄は大変努力家で、高校は地域で一番優秀な所で頭脳明晰、しかも柔道部で3年の時は主将を務めスポーツ万能、おまけに人望厚く、友達もたくさん居て、女子にも大変もてたのです。
私にとってはスーパーマン的存在の兄で、私の自慢でした。

ある日、私が家の前で遊んでたとき、同じ学校の女生徒が来て「○○君の弟さん?」と聞いてきました、「うん。そうや」  「お兄さん家に居てはる?」 「うん、おるで、呼んできたるわ」
私は急いで兄に「お兄ちゃんにお姉ちゃんが会いに来てるで」 「めんどくさいからおらんていうて」 「なんでや?」 「めんどくさいこと嫌なんや、たのむわ、おらんていうといてや」  
私はその旨を伝えると、その女生徒は涙を浮かべながら帰っていきました。
その後も違う女生徒が何人も来ましたが、その度居留守を使って追い返していました。
実にもったいない話ですが、そんな兄も唯一女性が弱点だったみたいです。

私は家族の誰よりも、兄と過ごしている時間が一番好きで、兄の勉強の邪魔を良くしていましたが、兄は何の嫌なそぶりも見せず8歳離れた私に付き合ってくれていたのです。
そんな幸せな日々も瞬く間に過ぎ、兄は大学のため家を離れる時がきました、私は兄の足にしがみつき「いやや、いかんといて」と、泣き喚き、兄も母もなだめるのに大変だったそうです。
大学へ行った兄も、夏休みには家に帰ってくるので、私は夏が来ると「お母ちゃん何時帰ってくるん?」と、毎日のように、まだかまだかと待っていました。
兄も、姉二人が家を離れ、母は遅くしか帰ってこず、父はほとんど寝たきりで、寂しがってるだろうと思ってか、休みの間中友人にも会わず、ほとんど私のために費やしてくれていました。
4年経てば帰ってくると思っていましたが兄は大学院に行き、卒業と同時に大手薬品メーカーに就職、結局 大学から2度と家に戻ってくることはありませんでした。

私は兄が大好きで、いつも兄を追いかけていた様な気がします。
現在も兄の背中に追いつこうとしていますが、いっこうに追いつけそうではありません。私は、苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、いつも「兄ならどうするだろう?」と考えています・・・・

兄は現在、大手医薬メーカーの医薬博士となり、学会などで海外を飛び回っています。
苦手な女性は克服し、3人の子供を儲け、幸せに暮らしております。


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ホームレス よもやんさん 大変ありがたいコメント本当に有難うございます。これを書くことに励みになります。これからもお付き合いのほどよろしくお願いします。 (08/10/10 12:29)
よもやん 波乱万丈というぐらいなので、楽しみに読者します。おとなしくしてるけど、読者はぎょーさん居てるでしょうねぇ。(^_^)ではでは (08/10/09 23:12)


 ■ 2008/10/08 (水) 波乱万丈4


長女の性格は非常に明るく、竹を割ったような性格に比べ、次女である2番目の姉は、物静かでおとなしく、口数の少ないおっとりとした性格で、長女とはまるで正反対の性格でした。
長女が結婚し、幼い私は家にもう長女が帰ってこないことが理解できず、いつも家族に「お姉ちゃんどこいったん?」と聞いては泣いて困らせていたそうです。
それを毎日のように見ていた次女が、長女の代わりを一生懸命していましたが何分性格がまるで違うので本当に大変だったと思います。
次女も既に社会人ですので長女と同様仕事をしながらです、しかも次女は出不精でほとんど休みの日は家から出ませんでした、そんな次女から見れば私はモンスターチャイルドです、また、長女が私を本当に良く外へ連れ出してくれていましたので、一度味を覚えた子供は大変で、特に私はそれまで多分楽しいことが無かったのが、この家に来て楽しいことばかり、本当に手に負えなかったのは想像に容易いですね。
で、次女は考えた、遊園地に行く柄ではない、海、山も縁遠い、色々考えた末行き着いたのが「そうだ、映画に連れて行こう、映画なら私も好きだし静かにしてくれるだろうし喋らなくても良い」と、そう考えたと思います。
それからというもの、次女の休みの日は月一で映画を見に行くことになりますが、当時は現在ほどマンガ映画は無く、私が始めて見た映画は「チャールトンへストンの十戒」
幼い私にはさっぱり分かりませんでしたが、その大画面の迫力だけでワクワクしたものでした。その後も「チャップリンの独裁者」「ベンハー」「猿の惑星」「小さな恋のメロディ」「風と共に去りぬ」等・・・
私の映画は次女により初体験し、その後も大きく人生を左右することになります。

それから間もなく次女も結婚をし、残すは私にとって兄だけとなったのです。

次女も二人の子供を儲け、現在も幸せに暮らしております。


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ホームレス emuさん お褒めの言葉大変有難うございます。無い知恵を絞って一生懸命書いております、今後ともお付き合いのほどよろしくお願い致します。 (08/10/09 12:23)
emu 文才ありますね。そこらのドラマより興味深く読ませてもらってます。次回が待ち遠しいw (08/10/08 10:24)


 ■ 2008/10/07 (火) 波乱万丈3


私の兄弟について書かせていただきます。
一番上の長女は私と20歳離れて、次は次女、長男と続き、下の長男とも8歳離れています。
波乱万丈の最初にも書かせていただきましたが、私をこの家庭に入れたのも一番上の姉のおかげだったのです。
引き取られたとき、既に社会人だった姉は忙しくしていましたが、常に母に代わって私の世話をしてくれていたのです。
当時は週休2日などの時代ではなく、もちろん週1のお休みしかない、さらに姉は20代、遊びたい盛りを私のために費やしていたのです。
まだ私は小学生にもならない歳だったのであまり記憶が定かではありませんが、良く姉とどこかに連れて行ってもらった記憶があります。どこか出かけた時、良く周りの人が「お子さんですか?若いのに大変ですね」とか、同僚から「何時結婚したん?」とか、
よく言われ「ハイ、大変ですが頑張ります」「結婚しても連れて行くねん」と答えていたそうです。
後に姉から聞いたことですが、私を引き取るかどうか?の時だと思いますが、私がおしっこを漏らし、姉がトイレに連れて行ったときのこと、私が異常に脅えたらしいのです。
姉は不審に思ったのですが、その時は「何故だろう?」ぐらいで、その後おしっこまみれの私をお風呂に入れてくれたとき私の体を見てびっくりしたそうです。
身体中あちこちに無数の火傷の跡や傷があったそうです。
これは私の想像ですが姉はこれを見て「この子を帰したらあかん」と思ったと共に「この子の暗い部分を取り除かなければ」と思ったに違いないと思います。
そのおかげでしょう、私の幼少の記憶は姉との思い出がほとんどです。

そんな姉の行動を見た母は、このままだと姉は行き後れると思い、姉にお見合いを勧めたのでした、なかなか姉は応じませんでしたが、母の幾度の勧めでようやく「会うだけね」と、渋渋承諾しました。しかしこれが相手の男性が大乗り気で姉に連日の猛アタック、しかし数度のデートの約束も全て断りの姿勢、だが彼も諦め切れず戦法を変えてきたのです。「将を射んと欲すればまず馬を射よ」そうです、私にターゲットを絞りつつ姉に攻撃を企ててきたのです。
これは効果があり、それからお付き合いが始ました、しばらくして結婚の話になり、その件になるとやはり姉は首を縦には振りません、母は相手の男性が誠実で頼りがいのある人だと知っていましたし、それよりも姉が彼を慕っているのも知っていました。
母は私が原因だということも知っています、それでも姉に、結婚を強く勧めたら、姉が「この子と一緒に行く」すると母が「あかん、この子はうちらの子や連れて行ったらあかんで」この一言で姉は嫁ぐ決意をしたのだそうです。
結婚式当日、姉はずっと私の手を離さず、新婦の席にまで私を連れ、最後まで私に泣いて「ごめんな」と言っていたのを記憶しています。

現在姉は二人の子供を儲け、また二人とも結婚し、今は旦那と幸せな余生を過ごしています。





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ホームレス サイコロさん その通りです。私にとっては母は二人なのです。サイコロさんに読んで頂けるのは本当に嬉しいですね^^これからも読んで頂ければ幸いです。 (08/10/08 01:02)
ホームレス よもやんさん 稚拙な文ですが読んで頂き本当に有難うございます。ホームレスのHNはめとろんさんに付けていただいたのです^^私は過去本当にホームレスしていました、めとろんさんは存じて居ますが、今後この日記に更にその時の様子を詳しく書いていこうと思っておりますので、もしよろしければ見てやってください^^ (08/10/08 00:55)
ホームレス めとろんさん あなたの日記が待ちどうしいです。過去の日記も拝見させていただきました。あなたの日記のファンですのでどうかよろしく^^ (08/10/08 00:49)
ホームレス 5r53tnさん コメント本当に有難うございます。私は現在は違いますが、過去、本当にホームレスをしていました。その時のエピソードを今後この日記に記そうと思っております。もしよろしければ目を通していただければ幸いです。 (08/10/08 00:46)
ホームレス emuさん これを読んで頂き本当に有難うございます。仰るとおり、姉は現在幸せに暮らしておりますよ^^ (08/10/08 00:39)
サイコロ お姉さんは、あなたにとって二番目の母親ですね^^ (08/10/07 22:29)
めとろん ありがとう。 (08/10/07 18:08)
よもやん なんちゅう良い姉さんやねん。しかし、ホームレスって何?どう言う事やねん? (08/10/07 18:05)
5r53tn あの感動的なストーリーで涙目なんですけど、スレ主はホームレスなのですか?! (08/10/07 15:55)
emu うわ。ドラマみたいなストーリーだ。泣ける。。そんな素敵な姉さんは幸せになってほしいね。きっといまは幸せなんだと思う。 (08/10/07 07:40)


 ■ 2008/10/06 (月) 波乱万丈2


私の義理の両親について書きます。
父は大正13年生まれ満州帰り、その後大阪で運送業で従事した後タクシー運転手となり、個人を取得。
母は昭和2年生まれ、大阪で、やはり貧乏な家庭の4人兄弟の長女で学校も行かせて貰えず、小さいときから大人と混じり過酷な労働をして家計を支えてきたと聞きます。
そんな二人の出会いは、父の職場の上司のススメで写真見合いだったそうです。
父も母も一度も会わずにお互いの上司の勧めを快諾し、それから直ぐ結婚に至ったそうです。
それからは父の仕事は順風満帆で二人でお金を貯め、父はそのお金で個人タクシーの資格を取り、自営として営んでいきます。
そんな中で授かった子供は女の子二人と男の子が一人で途中から私が引き取られました。
順風満帆だった家庭を一転させたのは、父の病気と事故によるものでした。
突然の黄疸、体が思うように動かないのにも関わらず無理をした結果、深夜の事故。
それからは、父はほとんど仕事が出来ず、床に臥せっている日が多くなり、この日から家計を支えてきたのは母と兄弟3人でした。
私が引き取られたのはその後だったので、両親が施設に帰そうとしたのは当たり前ですね。
それから直ぐに姉二人は嫁いで行き、兄も大学で家を離れ、私はまだ小学生で、家族3人で暮らしていくようになりました。
母の仕事は豆腐屋で、朝が早く、朝4時に起きて仕事に行き、夕方帰ってきては内職の準備で夜は1時まで毎日仕事をし、息つく暇もないぐらいに働いていました。
そこまで仕事をしなければならない理由に、父の作った借金があるのです。個人タクシーになった時、これから稼ごうと思った矢先の病気と事故、当時、車は大変高価で、その時の借金が重くのしかかっていたからです。
そんなことも知らず、小さいとはいえ私は母にわがままをよく言ったと思います。
その時の母の気持ちを考えると・・・
私が社会に出てから、色々と分かったことがありました。
その中の一つに、私が小学校に入り高校までの間、担任の先生全てに母が言っていたことがあったことでした。
母は「この子は私の子です。紙には養子と書かれているでしょうけどそんなことは気にせず、他の子供と一緒に扱ってください。お願いします。」と・・
私はこのことを社会人になって高校の担任の先生に挨拶に言ったとき聞かされ、またそのことを小学校の担任だった先生にも会い、母は同じ事を言っていたそうです。
私はこのことを知ったとき、愕然とし涙が溢れて止まりませんでした。

もう一つに、姉が私に言ったことで今も鮮明に残っているのは「私は父のような人とは結婚しようとは思わなかった」と言いました。
そう思うのには理由があり、個人タクシーになるのを大反対してたのにもかかわらず、父が押し切ったからです。
その前の職業が順風満帆であったから余計でしょう。その上、毎日母や兄弟が一生懸命家計を支えている間も、ずっと寝ては起き、母にわがままを言い放題、いくら病気とはいえ日常生活にはそれほどの支障は無いのです、しかし母もなんの愚痴もこぼさず父の世話をしている様子を姉達は、父にも母にも苛立ちを持っていたのでしょう。
私自身、小さいながらも、母が何故ここまで父に尽くすのか分かりませんでしたから姉達が思うのは当然でしょう。
やはり、父や母の年代は離婚はしにくく、「仕方が無い」で夫婦生活は続けていくものなのか?おまけに、母は恋愛など浮いたことなど全く無い写真見合い、「我慢と惰性」が当たり前で続けていくものなのか?
姉達は、このような夫婦生活を受け入れ難かったようです。
そんな父も65歳で肝臓がんになり余命1年との宣告を受け、結局70で他界しました。その5年間も母は一生懸命仕事をしながらも父の世話をし、近所に長女の姉が住んでいたので交代で父の世話をしていました。
そしていよいよの時、父も最後が近いので医者が病院から我が家へ戻してくれた時です。
私も母から連絡が入り、その時は家に居ました。その時の事です。
父が「お風呂に入りたい」と言い、母が肩で担いでお風呂に入れてあげていました。
私は心配で近くで様子を伺っていたとき、風呂場からの会話を耳にしたのです。
これまで一度も父が母に優しい言葉や謝った事など聞いたことがありませんでしたが、父が母に「いままでごめんやで、かんにんなぁ」と言いました。
すると母は「なにいうてんのん、夫婦やないの。」と言いました。
私は間違っていました。「仕方が無い?我慢?惰性?」全然違う、これが夫婦なのだ。
長い人生、良い時も悪いときもある、たまたま父と母は悪い時が長かっただけなのだ。
父も母も恵まれたことなど一度も無い、しかし、そんなことを一度も言ったことは無い、幸か不幸か?そんなことを考える余地も無い、小学校すら出ていない母はよく言っていた、「うちはアホやから字も書けんし、難しいことはおとうちゃんに聞いて。」と。
母はまぎれも無く、父を愛していたのです。

私はこの両親に引き取られた事を一番誇りに思い、また、誰よりも一番幸せだったことを記して最後にします。



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ホームレス めとろんさん、早速の返事有難うございます。感想などは要りません、めとろんさんに読んで頂ければ幸いです。 (08/10/07 07:00)
ホームレス 潮さん、コメント本当に有難うございます。潮さんが言うほど私はまだまだです。人生で一番大切なことをこれからも探し続けてますが、まだまだ煩悩という敵が手強くて負けてばかりですよ^^ (08/10/07 04:09)
ホームレス サイコロさん、稚拙な文ですが、これを読んで頂いたことで、この感想が、私には一番嬉しい事です。本当にありがとう。 (08/10/07 04:02)
ホームレス ダメオさん読んで頂きありがとうございます。あなたの仰るとおりですね、私ほど人との絆で助けられた人は居ないでしょう。ですので、身に染みて感じることが出来ます。 (08/10/07 03:44)
 ホームレスさんは人生でいちばん大切なものを知っているようですね。涙で洗われた眼には真実が見えるのです。 (08/10/07 03:33)
サイコロ 私も家族を大事にしようと思いました。 (08/10/06 23:04)
めとろん 昨日もですがあまりにすごすぎて感想がかけません。ホームレスさんの両親にはとても敵わないです。貴方が幸せなのは間違いないと思います。 (08/10/06 19:09)
ダメオ 幸せは己の心にしかないし、また人との絆の中にしか見出せないですね。ご両親を一番誇りに思えるホームレスさんが羨ましい限りです。 (08/10/06 14:17)


 ■ 2008/10/05 (日) 波乱万丈


私は生まれて間もなく親から捨てられました。
引き取って育ててくれた家族は子供が3人で私を入れれば6人家族、それはそれは貧乏で私などを引き取る余裕などあるはずも無いのにも関わらず、引取ることを決めたのは、長女が引き取ってと、母に泣いて頼んだそうです。
私と義理の兄弟である長女は20歳離れています。
どういう経緯でこの家に来たかは今も知りません、ただ幼かったが私の断片の記憶が、私を再度施設に戻そうとしている両親に、長女が物凄く泣きながら私の手を取り「私が責任をもって育てる」と言っている様子の記憶があるのです。
その時の様子のことを、私は現在の家族に話すことは一切したこともありませんし、また、家族の誰もその時の事を話題にしません。
しかし私は幼い記憶ですが確信しています。
それからは極貧な生活でしたが私はこの家族から本当の家族以上の愛情を貰いました。

日記などをはじめて書きますが、おおよそ日記とはかけ離れた無いようですが、伝記として残してみたいと思い、続けてその後も書いていこうと思う。


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