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話題
欲望の河。夜のドラマシリーズ。2 |
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仕事柄色んな人と話すので、そん時お客さんのお兄さんのお話。
昔自殺があった建物の取り壊しをしてた時、ある日なん一日体がだるい事があったらしい。
熱かな?とも思い、その日は缶のジュース買って家に直帰。
ご飯も食べずにすぐに自分のベッドに横になった。
うつらうつらしてくると、階段を上がる足音がきこえてきた。
はじめはオカンか妹(お客さん)かなぁーて思ってた、だけど部屋の前に止まってから入ってくる様子もないし、ノックもしない。
まぁいいかとそのまま寝たらしい。
no.331 ( 記入なし21/02/27 12:35 )
先日実家に帰省し、夜更かししていたら、
一階からオルゴールのような音楽が聞こえてきた(家族は皆二階で寝てる)。
実家だしそれほど恐怖を感じず降りていったら、
闇のなかで電話の保留音が流れていて、赤いランプも点滅してた。
受話器をあげる勇気がなかったので、とりあえず電話線抜いといた。
次の日親に言っても、電気の接続が悪かったんじゃない?と
気にもとめてないけど、怖かったわー。
no.332 ( 記入なし21/02/28 08:54 )
7月23日午後1時ごろ。複合商業施設「阪急西宮ガーデンズ」にも近い西宮市田代町のワンルームマンションの4階に住む男性(41)は、ただならぬ叫び声を聞き、玄関ののぞき穴から外の様子をうかがった。
同じ階の一室から飛び出してきたのは、近隣住民の間で「竹野内豊似のイケメン」と噂されていた若い男性。血だらけのまま走って階段を下り、おびえた表情で3階の住人らに助けを求めた。
「元カノにやられた」
「金づちで頭を殴られ、包丁で背中を刺された」
事情を知った住人が110番し、男性は救急車で病院に運ばれた。だが、そこに元カノの姿はなかった。兵庫県警西宮署員が現場の部屋を訪れると、一人でぽつんと床に座り込んでいたという
殺人未遂容疑で現行犯逮捕された元カノは、関西学院大2年の女子大生(20)。男性は同じ大学のサークルに所属する1つ学年上の先輩で、約1年間交際した後、今年5月に破局したばかりだった。
捜査関係者によると、男性は女子大生宅で昼寝をしていたところ、突然金づちで頭を1回殴られ、次いで刃渡り約20センチの柳刃包丁で背中や腕を5回以上刺された。抵抗すると、スタンガンを体に押し当てられた。全ての凶器を取り上げ、すぐに外に逃げ出したことが良かったのだろう。傷の程度は全治1週間の軽傷にとどまった。
犯行時は比類なき暴力性を垣間見せた女子大生だが、取り調べには興奮した素振りを見せず、淡々と応じている。現在は事件を起こした理由を「私があの人を好きなことを周囲に知ってもらいたかった」と説明しているという。
捜査関係者は「なぜそれが犯行につながるのか。さっぱり意味が分からない」と困惑気味だ。
。
no.333 ( 記入なし21/02/28 17:12 )
それをどうしたらいいかというと、諦めるほかないんです。
諦めるとは、ギブアップ、降参するという意味ではなく、「物事の本質を明らかにする」ということ。仏様にしかわからないことです。
no.334 ( 記入なし21/02/28 21:16 )
タイタニックの映画より、ある小説家が、タイタンというタイタニック号とほぼ同じ諸元の大型豪華客船が、氷山に衝突して沈没するという小説を、
実際にタイタニック号が竣工、沈没する以前に発表していたという予言小説の話に
何気に興味を引いた。私は意外とオカルト話は嫌いではない。
no.335 ( 記入なし21/03/07 08:16 )
このように予言小説と形容される作品は、『愚行』だけではない。1981年に出版されたアメリカ人作家ディーン・R・クーンツの『闇の眼』という小説には、こんな場面が出てくる。
「『それを理解するには』とドンビーは言った。『20カ月前までさかのぼらなければならない。そのころ、リー・チェンという中国人科学者が、ここ10年間で中国政府にとって最も重要かつ危険な新型生物兵器の情報を収めたフロッピーディスクを持ってアメリカに亡命した。この兵器は武漢(ぶかん)400≠ニ呼ばれている。武漢市郊外の遺伝子組み換え技術研究所で開発されたからだ。この研究所で人工的な手法で生み出された400番目のウィルスだった』」
no.336 ( 記入なし21/03/07 14:37 )
1960年代に全米を震撼させた蛾のような外見を持つヒト型生物、『モスマン』。
アメリカのウェストヴァージニア州にあるポイント・プレザントという人工6000人程度の小さな町は、66年から67年にかけて“モスマン・フィーバー”が巻き起こった町として有名だ。
66年に入って間もなく、町の住人の多くが蛾のような外見を持つ羽の生えた人間大の奇妙な生物を目撃する事件が多発し、この生物は蛾男=モスマンと名付けられた。
同年12月、超常現象研究家として有名なジャーナリスト、ジョン・キールが現地入りして調査したところ、町を流れるオハイオ川流域で奇妙な発光体を目撃。 それと前後して、TVや電話の不具合が確認され、キールはモスマンの目撃情報と関連付けてUFO現象の一環なのではないか?と考えた。
調査は1年近くに渡って続けられたが、決定的な証拠は手に入らず、67年後半に入ってモスマンの目撃情報は日を追う毎に少なくなっていった。
トコロが同年12月15日、午後5時5分頃、オハイオ州との州境でもあるオハイオ川に掛かっているシルバー橋が突如崩落! 橋を走行中だったクルマ46台が崩落に巻き込まれ、5人の死者と重軽傷者多数を出すという大惨事になった。
そしてその夜、町の住人の多くが、町の上空を通過する12機ものUFOと思われる飛行物体が目撃した。
そしてこの日を境に、モスマンの目撃情報は完全にゼロになった。
no.337 ( 記入なし21/03/07 14:44 )
悪魔が夢に現れて
tartini menuhin j1 ヴァイオリストとして高みを目指していたジュゼッペ・タルティーニは、ある晩、悪魔に魂を売ってレッスンを受ける夢を見た。そこで悪魔が弾いて聴かせた音楽は、この世のものとは思えないほど美しかった。目が覚めたタルティーニは、夢の中で流れていた音楽の印象を手繰り寄せながら作曲を始めた。そうして出来上がったのが「悪魔のトリル」だと言われている。作曲時期について、タルティーニ自身は1713年に作曲したとジェローム・ラランドに語ったらしいが、その証言に信憑性がなく、自筆譜も残されていないため、現在では不明とされている。
タルティーニの若い頃の経歴は、波乱に富んでいる。1692年、イストリア半島のピランに生まれた彼は、まず両親のすすめで神学校に通い、修道士になったが、1708年に修道院をやめてパドヴァへ行き、大学の法学部に籍を置いた。当時の肩書きは「修道士見習い」。その裏で、ヴァイオリンと剣術を学んでいたという。いつ頃、何がきっかけで音楽の道を志したのかは、はっきりしない。
18歳の時(1710年)に高僧の親類の娘エリザベッタ・プレマツォーレと密かに結婚して教会側と対立し、アッシジのコンベンツァル会の修道院に身を隠している間に、ヴァイオリンの腕を磨き、ボヘミア人神父に作曲法の教えを受けた。そして、ほとぼりが冷めた頃(1714年頃)、アンコーナのオーケストラで働き始めたものの、その地位に飽き足らず、己の技巧をさらに向上させるべく放浪者となった。それから数年間の消息は詳らかにされていない。ただ、ベネチアに来た1720年には、ヴァイオリニストとして一目置かれる存在になっていた。1721年にはパドヴァの聖アントニオ大聖堂に、首席ヴァイオリニスト兼楽師長として雇われた上、外部で演奏する許可を得て、プラハでも活動し、名声を高めた。1720年代後半には塾を設立し、教育にも力を注いだ。ナルディーニやパガネッリはタルティーニの弟子である。教育者・理論家として著作も残しており、『ヴァイオリン教則本』『音楽論』『装飾法』(これらのうち『装飾法』は死後にまとめられたもの)は同時代および後世に影響を与えた。
悪魔というと、まがまがしいイメージがある。ただでさえタルティーニは元修道士なので、悪魔と取引をしたというのは背徳性をよけいに感じさせる。しかし実際に音楽を聴いてみると、その旋律は美しく、格調高い。ト短調らしく暗く切々とした調子だが、情熱的なヴァイオリンの響きが聴き手の胸を打つ。単に技巧的であるだけでなく、旋律の素晴らしさの面からも、重音奏法がもたらす豊潤な音楽的効果の面からも、3つの楽章それぞれの様式の見事さの面からも、評価すべき点は多い。
no.338 ( 記入なし21/03/07 22:43 )
バスの中の夢
一八五四年ケクレは化学の派遣講師としてイギリスにわたった。
ロンドンに住んでいる間に、原子の結合に関するアイディアが浮かんだ。
次の物語は、一八九〇年のドイツ化学会での演説で打ち明けたものだが、それによると、科学史全体を通じてこれくらい重要な結果を生んだバス旅行はほかになかったといえよう。
「私がロンドンに滞在してにいるあいだ、一時、下院に近いクラファム・ロードに住んだ。
しかし私はよく、この巨大都市の反対側のすみアイリントンにある友人ヒューゴー・ミラーの家にいって夜をすごした。
私たちはいろいろなことについておしゃべりしたが、私たちの最愛の化学に関する話題がいちばん多かった。
ある晴れた夜、私は帰途の最終バスに乗り、いつものとおり二階席に坐っていた。
バスは首都の大通りを走っていったが、ほかの時刻なら人でいっぱいなのに、もうまるで人気(ひとけ)がなかった。
私はぼんやり夢想にふけった。みよ、目の前に原子がはねまわっていた。
今まで、このちっぽけな存在が私の前にあらわれたときは、必ずめまぐるしく動きまわっていた。
しかしそのときまで、私はその運動の本質を認識することができなかった。
けれども今は、二つの原子が結びついて対をつくっているところ、大きい原子が二つの小さな原子を抱きこんでいるところ、もっと大きな原子が三つまたは四つの原子をしっかりつかまえているところがみえた。
全体がめまぐるしくぐるぐるおどりまわっている間に、大きい原子が次々につながって鎖をつくり、その鎖の端だけに小さい原子をくっつけているのをみた。
『次はクラファム・ロード』と叫ぶ車掌の声に、私は夢からさめた。
しかし私はその晩おそくまでかかって、夢にみた形を紙の上にスケッチだけでも書きとめた。
no.339 ( 記入なし21/03/07 22:52 )
自分の尾をくわえるヘビ
けれどもケクレにはまだ解かねばならない問題がたくさんあり、とくにベンゼンとよばれる化合物が難物だった。
この物質の分子は炭素原子を六つふくんでおり、従って炭素全部で結合線が二十四本あるが、ほかには水素原子が六個あるだけで、水素全体で結合線は六本しかない。
だから問題は、二十四本もの炭素の結合線と水素のたった六本の結合線がちょうどうまく勘定が合うような構造をえがきだすことだった。
この問題を解くかぎは、またしても夢の中であたえられた。
ある晩ケクレはゲントにある家で、椅子にすわって火にあたりながらうたた寝(ね)していた。
彼はその夢のことを次のように描写している。
「ある晩のこと、私は椅子に坐って自分の教科書を書いていた。だがその仕事は進まなかった。
私の考えは別のところにあった。私は椅子を暖炉の火のほうにまわして、ウトウトまどろんだ。
またもや目の前に原子がはねまわっていた。こんどは小さい原子はつつましくうしろのほうにひかえていた。
私の心の目は、この種の光景をくりかえし見たため、いちだんと鋭くなっていたので、こんどはいろいろな形をしたもっと大きな構造を見分けることができた。
たくさんの長い列が、互いにぴったりよりそって、ねじれたり巻きついたりしながらヘビのような運動をしていた。
だがみよ!これは何だろう?
一ぴきのヘビが自分の尾をくわえ、輪になって、私の目の前でふざけたようにぐるぐるまわった。
まるで閃光に打たれたように私は目をさました。
そしてこんどは私は徹夜してこの仮説から出る結論を組み立てた。」
ケクレの夢
「夢に学ぼう」とケクレはつづけている。
「そりすれば私たちはたぶん真理を発見するだろう。けれどもめざめた心で理解し証明しないうちにその夢を公表しないよう用心しよう。」
夢の中で彼の「心の目」は、原子が長い列をつくってベンゼンの分子となるのを見てとった。
no.340 ( 記入なし21/03/07 22:53 )
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