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ヒモと呼ばないで

9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。

 ■ 2003/12/21 (日) 思い出した


いつも丘陵を歩いていて、どこかでここのイメージにピッタリな曲を聴いた気がしていたんだけど、どうしても思い出せないでいた。

でも今、思い出した。

スカーレットだ。
スピッツの。

ああ、よかった。
すっきりした。


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 ■ 2003/12/20 (土) 谷戸


顔の「おでき」はかなり回復。
薬なんかつけてないから、やっぱりストレスから解放されて自然治癒力が働き易くなった結果なのだろうか。

午後から丘陵へ行く。
1週間ぶりだ。
葉もかなり落ちて、冬本番も間近という感じ。

最初の上りですでに息が切れる。
たったの1週間でこれじゃ、先が思いやられる。

研修で来れなかった分を取り戻すかのように、ガツガツ歩く。
八国山のいつものコースをハイペースで歩破したもののもの足りず、休まずに隣の鳩峰山に向かう。

いつものように鐘を3回打ち、鳩峰神社にお参り。
今日はここで闘ったと言われる侍、新田義貞と彼の軍陣を特に意識して、鐘を鳴らした。
意味は多分あるが…上手く言えない。

次はすぐ隣の水天宮様にお参り。
双方ともに、ご無沙汰しているお詫びと、何とかやっていけていることに対してのお礼をする。

散策路を過ぎ、鳩峰山を後にするもまだ満足できず、八国山お気に入りの場所を「おかわり」することにした。

今日は、幾つかある候補から、ほっこり広場のさらに奥の「谷戸」とそこから尾根に戻る坂道をおかわりした。
雨が降ると水が円を描くように流れて溜まり、短期間だけ池のようになってしまう場所だ。
そして、ここから尾根に向かう土を盛った散策路と短く急な上り道は、いまだに落ち葉の絨毯が健在で、坂の両脇には横の斜面を小枝で作った柵のようなものがあり、それが幾重にも落ち葉を堰き止めている。
いかにも「人の手が入った」里山ならではの場所なのに、何故かいつも静かなのがいい。

今度は急がず、この辺り一帯で足を止めて「上を向いて」紙飛行機のようにゆっくり落ちる葉を眺めながら、好物の疑似潮騒を待つことにした。
するとしばらくして、こんなに密集している木々の「1本」だけが何故か揺れていることに気づく。
徐々にというより、何かの拍子にいきなりその動きは大きくなり、隣の木と接触し音が鳴り出す。
その後何故か少しのタイムラグがあって、またしてもいきなり周囲全体を大音響の疑似潮騒が包み込んでいく。

…なんて気持ちいいんだ。

ここにこうして一人立っているだけで満足するなんて、なんて安上がりなんだろうと自分でも少し呆れる。
しかし「好きな娘の可愛い癖を新たに発見したような感じ」…なんて言ったら、分かってくれる人もいるだろうか。
いや、余計気持ち悪いか。

そして、こんな動きは、坂を下っている時ではなかなか気が付かない。
幹の真ん中から下は微動だにしないことに加え、当たり前だが、足下に気を取られているからだ。

ちなみに、俺が転倒したのもここ。

無理矢理この場所を味わい尽くそうとして、坂を「下りながら」上を見上げた結果だ。
充分気を付けたつもりだったが、落ち葉の中に隠れてた小枝に足を取られ、あっさり滑って転んだ。

上りでは、足を滑らせても転ぶという恐怖心がそもそもない。
だから、歩くことそのものが楽しめるし、周囲に目が向き、時に「上を向いて歩く」ことだって出来るんだ。

俺の人生にはもう上りはない。
下るだけだ。

だからって「転びたくない」と「楽しみたい」という望みくらい持ったっていいだろ。
それには、絶対に「立ち止まれる」場所が必要なんだよ。
でも、「下り」で立ち止まるのは、それだけで充分キツイ。

だからこそ、仮にそれが造園されたものであっても「広場」や「谷戸」が必要なんだ。

そのうちで最高のものが「主夫」。
「主夫」、「主夫」なんだ。

もう一回言ってやる。
「主夫」だよ。

「警備会社の準社員」なわけないだろ。

谷戸の落ち葉を見て楽しんでる俺を変態扱いしないって言ってくれるなら、家で家事と育児だけしていたい俺のことも受け入れてくれよ。

同じだろ。
どこが違うんだよ。

転びまくって、泥だらけでやっと主夫まで下りてきたんだよ。
なんで、また急坂を上り下りしろなんて言い出すんだ。
もう出来ないんだよ、そんなこと。

わざわざ無能を晒しに、朝5時に起きる生活なんか嫌だ。
あと1日の猶予しかないなんて、信じられないよ。

きっとまたすぐ顔中に吹き出物ができる。
お前のせいだ。



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 ■ 2003/12/19 (金) 研修終了


6:00 起床。
7:18 電車に乗る。
8:45 研修場所に到着
9:00 研修開始
11:45 昼休み
13:00 講義再開
18:00 終了・解散
19:55 帰宅

一晩寝ても、まだ顔のおできは治ってない。
とはいえ膿は乾き、瘡蓋(さかぶた)のようになってはいるが。
ストレスに負けた無力感と、自然治癒力の力強さとが混合した気持ちで、最後の研修に臨む。

「おい、朝から寝てちゃダメだ!」

背中を2回軽く叩かれ、目が覚める。
まだ1時間目だ。
最終ラウンドの開始ゴングを聞くや否や、睡魔の猛攻に耐えきれず遂にKO負け…というところか。

瞬間、「採用取り消しだ!」と言葉が続くかと身構える。
正直、ここまで何とかやり過ごし、研修最終日にそうなったら、いくら俺でもさすがに一瞬は凹むだろう。
しかし同時に、そうなればまたしばらくは、かつての「ハローワーク⇔家」のループに戻れるから、それもいいか…などと思うに決まってる。

俺はそういう男。
5日間くらいの研修なんかで変わるかよ。

しかし、その後も淡々と講義は進み、最後に出題箇所が予め宣言されていた「警備業法に関するテスト」と、この研修全般についてのレポート制作を以て、研修は終了した。

そして最後に、各事業書の責任者に渡す「警備員登録証(?)」のコピー(?)の入った封書とタイムカード兼用の「ID磁気カード」と「ネームバッジ」、それに「労働契約書」を手渡されてる。
すでに採寸済みの制服は会社から直接事業所へ郵送するようだ。

研修が始まったときから感じていたが、本当にちゃんとしてる会社だ。

丘陵の入口みたい。
そこもちゃんと看板が出て、人の腕ほどの丸太で作られた階段が「敷居の高さ」を解消し、安心感を与えてくれる。

そして、それは…一旦落ち葉でも積もれば、主夫願望を捨てられない無能な男をして、歯が浮きそうな言葉を言わせしめる程快適な尾根道がそれに続き、「登山」ほどキツイことは決してなく、かと言って「トレーニング」をしようと思えば自分を鍛えることにも最適で、おまけに池も広場もあり、バードウォッチングも出来て、最短距離で尾根を突き進めば「駅」もすぐ近くにある…「丘陵」の入口だ。

しかし、だ。

こんな「丘陵」でも、俺は不様に転ぶんだよ。
あんなに気を付けていてもダメなんだ。

「山」じゃない、「丘」でだ。
恥ずかしい叫び声まで上げて。
服も泥だらけにして。

そして、こんな情けなさを感じながらも、その後も俺はここに通っている。
理由は二つ。
一つは、ここが嫌いになれないから。
そんなことがあったくらいで、ここの良さは薄れたりはしない。

もう一つは、ここが拒まないから。


…気持ちがどうあれ、流されていくことにした。
それなら、ここが好きになれるなら、それに越したことはないだろう。
研修に集まった男性の顔ぶれが、全員年金を貰える年代の「白髪」であることからも分かるように、幸いここは「挑戦」「登山」などとは一線を画した、「散策」「里山」の性格を持つ職場だ。

それなら仮に転倒しても、通い続けるのもいいだろう。

しかし、ここは企業だ。
丘陵は俺を拒んだりしないが、会社は違う。

「ちゃんとしてる」会社が「勝手に転倒した」社員、じゃなかった準社員にどういう対応をするかなんて、考えるまでもなく明白だ。

その時「無力感」はより大幅に増幅されて、顔面に思い切りぶつけられるに違いない。

でも、俺はもう闘わない。
無力感がこれ以上大きくなってしまっても、放っておく。

「自然治癒力」が発揮されるにも、そんな気持ちになれた時に初めてそうなる気さえする、なんて言っても負け惜しみにしか聞こえないだろうか。

でも、本当に今はそんな気がするんだ。
本当に。




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 ■ 2003/12/18 (木) 4日目


5:45 起床。
7:20 電車に乗る。
8:45 研修場所に到着
9:00 研修開始
11:45 昼休み
13:00 講義再開
18:00 終了・解散
19:40 帰宅

「エイッ!、ヤアァー!」

.…警棒の実技。

ギャラリーの女性二人のうち、一人は我慢するも耐えきれず吹き出す。
もう一人は頬杖を付きながら苦笑している。

前回の護身術の時と同様、役に立つ可能性の極めて低いものを、こんな恥ずかしい形でやらされることに大きなストレスを感じる。
でも、俺は少しだけ似たような武道を囓ってたことが役だったのか、なんとかごまかせた。
講師も「若いだけあって、なかなかいい」とのこと。
しかし、おじさん達のそれは、見ているこっちの顔が赤くなるくらい痛々しいものだった。

「警棒を元の位置から動かさない」
何度言われても、たったこれだけのことが出来ない。
しきりに説明に頷くも、一旦「始め」の号令がかかると、時代劇の十手持ちのような「ポーズ」をとってしまう。
その度に女性のみならず、他の研修生からの笑い声も大きくなる。
彼らは、もうごまかし笑いも出来ない。

それを何度繰り返しただろうか。

俺は笑えなかった。

全然、可笑しくはない。
ただ哀しい。

彼らの硬直した顔を見ろ。
自分がどう足掻いても出来ないことを、あらためて自分に、それも人前で突きつけられた時、どんな気持ちなのか知らないのか。

どうしようもないこと、そして、その責任を自分に帰することしか許されないことの恐ろしさを知らないのか。

俺は知ってる。
もう散々、嫌と言うほど味わってきた。

まさか、直接自分がそれに体験することもないまま、こんな形で見せつけられるとは。
俺もそのうちまたこんな経験するのだろうか。

おかげでその講義が終わってもしばらくは、何か気持ちがざらついたままだった。

それでもなんとか今日の全講義を終える。
気を取り直して、研修生同士で雑談しながら駅に向かって歩いているとき、口元に違和感を覚える。
何気なく触ってみると、なんと左右の頬と口元に、多数の「できもの」が出来ていた。
本当にひどい。
白く膿んでるものまであるよ。

あの講義を受ける直前にトイレで鏡を見たときには何もなかった。
むしろ、今朝は髭を剃らなかったから、剃る回数を減らすとやはり肌の痛み方は違うんだなぁ、と思うくらいきれいなはずだったのに。

やっぱり「大丈夫なふり」なんかしたって無駄だ。
身体がそれを、あっさり暴いてしまう。
おじさんだけじゃない、俺もあの状況に適応できてなかったんだ。

まぁでも、このまま、このまま。

いくら環境にアジャストメントできなくとも、今はこの流木を無頼を気取って手放すようなことはせず、潮の向くまま流されるしかないんだ。
たとえ、どんな気持ちになっても、それと闘わず、その気持ちのまま、ただ動こう。
嫌な気持ちでも、それと闘わず、そのまま行くんだ。
自分の気持ちを自分でコントロールしようと思うことが、すでに失敗だ。

自分と闘うべき「自分」なんて、俺はもう持っていてもしょうがないじゃない。
でも、人と闘って勝てないことを公言するや否や「それならまず自分に勝て」って言い出す人って必ずいるんだ。

ほら、見てくれよ、この顔。
ちょっと自分と闘ってみたらこの様だよ。
それとも全身がブツブツだらけになるまで許されないのか。

ラストサムライ、カッコイイけど俺には無理。
凄く憧れるけど、勘違いしたチンピラになってしまうのが落ちだ。

「人生は戦いだ」なんて言えるのは、勝てるチャンスを持っている人だけだ。
自分が勝者になりたいからって、既に負けている人間を探すな。

そう思える人が俺を探しあてるのは必然かも知れないけど、俺だって他人を勝者に持ち上げるために闘うなんて嫌だ。

ターミネーターになりたいなら、まずランボーとでも闘ってみろ。
でもそんな脚本じゃ、「主夫」は出演を承諾しない。
エキストラでもお断りだ。

身体が闘いを拒否してるんだ。
しょうがないだろ。







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 ■ 2003/12/17 (水) 3日目


5:45 起床。
7:20 電車に乗る。
8:45 研修場所に到着
9:00 研修開始
11:45 昼休み
13:00 講義再開
18:00 終了・解散
19:45 帰宅

まさに「続編」な一日。
ほんとうに「そのまま」続いてしまっている。

いいのかどうかは知らない。
ただ他にどうしようもない。

苦痛は前日までに比べ和らいだ気がする。
慣れか。
睡魔があまりにも巨大なことには変わりないが。

午後から遺失物法、応急手当、避難誘導…などやっと「警備員」に関係の強いテーマに入る。
実際に仕事に就いた時のことを想像できるテーマの時は、眠気も少しごまかせる。

おまけに「護身術」の講義もあり、俺はその「受け」をやらされる。
この教育担当者は、俺の「元警備員」の経歴を知った上でそれを試すように、俺を指名したに違いない。

講師「武道の経験はあるのか」
俺「空手を」
講師「どれくらいだ」
俺「半年」
講師/クラス中「プッ(失笑)」

何が可笑しい。
本当のことだ。

肩をぶつけてくるチンピラ役をやらされる。
合気道のような関節技や、膝での金的攻撃、かかとで足の指を踏みつぶす技などを演武する。
どれもこれも、絶対に実戦で使えない。
本当に使おうと思うなら、数年間毎日稽古しないと無理だ。
これじゃ、空手歴半年の自暴自棄にも太刀打ちできないよ。

心の中で嘲った。
だって本当だろ。

しかし、本当に真面目に丸一日授業をするのにはびっくりした。
そんなもの形式だけで、遅くとも3時頃には帰れると思ってたよ。
それ以外にも、車通勤希望者には、乗ってる車の排気量まで聞いてるし。
聞いてどうするんだ。

終業時に、各事業所から初の連絡事項を受ける。
俺は22日の13:40から仕事開始とのこと。

…後2日研修を受けておしまいじゃないんだな。
それにしても、俺は本当に働くのか。
…22日からって、本当にすぐじゃないか。

余計なことを考えるのはやめよう。
考えて何かいいことがあるのか。
いいことを作れるのか。

泳げないんだ。
流木に掴まれるだけ幸せだと思え。

思い上がるな。

このままでいいんだ。



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 ■ 2003/12/16 (火) 2日目


5:45 起床。
7:20 電車に乗る。
8:45 研修場所に到着
9:00 研修開始
11:45 健康診断に隣駅まで行かされる
13:00 健康診断開始
14:30 終了・解散
16:00 高田馬場で食事、古本探しの後、帰途につく

講義は相変わらず、本当にきつい。
何しろ、講師は元警察官にもかかわらず、レジュメにある刑法だの、刑事訴訟法だのに一瞬触れたかと思うと、いきなり「鬼平犯科帖」だの「お江戸でござる」だのの話に飛び、それが単に脱線しているだけではなく、とてつもなくつまらないのだから手に負えない。
彼と彼の趣味に付き合える一人の研修生の乾いた笑い声のお陰で、やっと睡魔と互して闘っているという感じか。

これが後3日間も続くのかと思うと、心の底から辟易とする。
講義中、何度も今日の丘陵の様子を想像する。
もうぬかるんだ足下も乾いて、新しい落ち葉も加わっているだろうから、今頃静謐な森の中をただそれを踏みしめる音だけを感じながら歩いたり、空から不意に落ちてくる落ち葉のシャワーを浴びて顔を綻ばせている人もいるんだろうなぁ…なんて思うと、もったいなさが身に沁みてくる。

健康診断で場所を移動する時には、回りの人と話をした。
女性とも話した。
よく見ると二人ともちょっときれいだ。

一人は荻野目慶子似、もう一人もTBSの女子アナ(名前知らん)に似ている。
だからどうするわけでもないが。

彼女たちに限らず男性とも話をしたが、その内容と言えば、どこから来ているのか、電車は何線なのか、何処に配属される予定なのか、仕事の内容はどんなことをする予定なのか…など、ごくありきたりなものだが、それでも大げさに言えば、潜在的な「敵」を倒した、というくらい、相手に対する変な緊張感が取れ、体から余計な力が抜けていく。

考えてみると、妻以外の女性と話すなんて、本当に久しぶりだ。
女の人がただそこにいる、というだけで、気持ちが和らぐ。
俺も、他人に対してそんな存在でいられたらなぁ、などとよく思う。
経験上、そういう能力が高いのは圧倒的に女性の方が多いと思うけど、潜在的には男性にもそんな力はあるはずだ。

でも「ただそこにいる」という海に入るや否や、いつもあっという間に溺れてしまう男達は、すぐに救命ボートに命乞をするのが常だ。

それには「パワーゲーム」という名前が付いていたりすることも多い。

ここの男性諸子の中にもその類の人が複数いる。
上記したような何でもない話をしている時でも、いきなりそのバランスを強引に崩し、とにかく小声でボソボソと「自分の過去」についてを、話し出してくる。
相手が全然違うことを話していても、お構いなしだ。

自分がいかに大きな「ウダツ」を上げてきたのか、という話をいつまでも続けている。
さらに、彼らに共通しているのは、相手の話を聞くのがあまり上手くないということか。

不思議なのは、それで会話のラリーが成立(?)しているということだ。
ただ「言った」というだけで、お互い満足しているのか。
不思議だ。

さらに、女性と話をするときには、その傾向がさらに強まるのが彼らの可笑しいところだ。
いや、可愛いところ、と言うべきか。
彼女たちのナチュラルな明るさも、これには歯が立たないのか、気のない相づちを打つのが精一杯だ。

俺もあの位の年齢になったら、彼らにようになってしまうのだろうか。

…いやいや、何を偉そうなこと言ってるんだろうか、俺は。
彼らはこの「パワー」でここまで生き延びて、今ここにいるんじゃないか。

俺はと言えば、最初からそのゲームの敗者として無能を晒したまま、ここにお情けで入れて貰ってるようなものだ。
初日の書類作成時に「…妻の扶養になっているんですが」なんて質問したのは、俺だけだったじゃないか。

彼らこそ、今の俺を見て「俺が今のお前の年齢だった頃はもっと凄かった」「なんて情けないんだ、この男は」と思っているに違いないんだ。
何しろ高度成長もバブルも彼らが演出してきたんだ。

本音を言えば、そんなゲームに参加したくない、と言う気持ちには今も変わりはないが、だからと言って、俺が彼らにあれこれいう資格もまたない。
彼らに失礼だ。

とにかく後3日間、この気のいい人達の中にいて、ただ座っていればいいんだ。
睡魔と闘うのは正直きついが、仕方ない。

とにかく流されていればいいんだ。
俺には他にどうしようもないんだから。

思い上がるな。

このまま、このまま。



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 ■ 2003/12/15 (月) 研修初日


5:45 起床。
7:35 電車に乗る。
9:10 研修場所に到着
9:30 研修開始
11:45 昼休み
13:00 講義開始
18:00 解散

一体なんなんだ。

住所、氏名、本籍、ハンコ…を何回繰り返し書いただろうか。
もう何の書類を書いたのか、全て忘れてしまった。
っていうか、思い出したくない。
こんなに無味乾燥な時間を過ごすなんて、これまでの生活じゃ、まずあり得ない。
なんと午前中はこれを繰り返すだけで、本当に終わってしまった。

自分の一番身近なことをこれだけ繰り返し書かされると、自分の存在を「本当にお前なんだろうな。本当なんだろうな。」とテストされているような気分だ。

その揚げ句に「氏名コード」なんてものを当てられる。
「じゃ、これからは、全てこれであなたの情報を管理します。忘れないように。」だって。

まさに「捕まった」って感じ。
「初期化」されたとも言えるか。

こうして「捕獲された」のは、 俺を入れて男性6人、女性2人。
すでに働いていて、新任講習じゃない人もいたようだから、明日には少し数に変動があるかもしれないが。

ちなみに男性で、禿げも白髪もないのは、俺だけ。
女性は事務が主だが、一部ビル管理をすることがあるかも、という理由でこの研修に参加させられているようだ。
二人とも、30代前半という感じ。

これじゃぁ、休み時間に話す相手もいないよ。

午後からは「講習」。
もと某市の警察署長だという男性顧問と会社の担当者が1時間づつ交互に行い、全部で4講義。
それぞれA4のレジュメを準備していて、警備業法、憲法、警備業の歴史/概要、会社の沿革…等々、全然面白くない(が、何故か他の人にはうける)雑談を加えながら講義をする。

俺は「現在警備業界に従事する人口は?」と問われ、「見当が付きません」と言ったが、この会社の担当者の講師に思い切り不愉快な顔されたので、すっかり舞い上がってしまい、慌てて1桁違う数字を言い放ち、今度は鼻で笑われる。
しかし、この直後「制服」について話しているとき、女子の消防の制服を堂々と「パイロット」と言った人がいたので、救われた感有り。

後はとにかく睡魔との闘い。
こんなに手強い睡魔に出会ったことはないくらい、眠い。
これだけ長い間、話を聞き続けているのに、心に引っかかる事が何一つないなんてことがあっていいのか。
本当に眠い。

っていうか、堪えきれず少し寝たが。

最後に制服を実際に試着して、サイズチェック。
ボタンだとか帽子のデザインが、変にデコラティブというか、気取ってるという感じで、気に入らない。
試着用だけなのかもしれないが、シャツなんかオレンジ色だよ。
大丈夫か。

やっと終了…という時になって、「明日は今日より30分早く来て下さい。8:55迄には部屋にいるように」と言われる。
今日以上に眠い一日なんて想像できない…なんて思っているとさらに、「それから明日は健康診断だから朝食は食べないで来ること」なんてことを、さも当然のように言われる。

空腹と眠気…遭難者か。
オレンジのシャツ着てたら、誰か助けにきてくれるのか。

これでまだ初日、講習の1/5だよ。
大丈夫か。

帰ってきたら、放送大学の事を調べよう、と決めていたが、中止する。
もう風呂に入って、寝ないと。

本当に疲れたよ。






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 ■ 2003/12/15 (月) 学生


午後から散策。
明日からは、自分の裁量で生活をコントロールできなくなるのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

昨日坂で転んだことをまだ引きずっているのか、この好天にもかかわらず、丘陵は避けた。
代わりに選んだのは「玉川上水〜野火止用水」コースだ。

このコースを取ると、萩山駅から青梅街道駅、そして一橋学園駅を経て、玉川上水緑道に出るまで、車と並行して歩くコースを45分も進まなくてはならない。

そして、さぁ、そろそろ緑道だ、というところで妙に新しい建物に目が止まり、それと同時に今までずっと忘れていた事にハッと気が付く。
それは自分のもう一つの肩書き。
「学生」。

一橋学園駅の先を少し行くと、上水緑道沿いに、一橋大学小平キャンパスがあることは知っていたが、なんとその構内に「放送大学多摩キャンパス」なるものがいつの間にか出来ていたのだ。

その正門に「生徒募集」の看板。

…ウソ…こんなのいつ出来たの。
…俺もそういえば、学生だったはずだけど。

俺はウォーレットの奥に学生証があることを確認すると、門番の警備員に見学可能かを尋ね、中に入ってみた。

まだどこもかしこも新しいように感じる。
その中でも特に目立つ、門の真正面にある真っさらな建物の3・4階が放送大学だ。

ステンレスの印象が強いエレベータで3階に上がる。
奥の視聴室には、20代から60代と思しき、まさに老若男女が熱心に画面に向かい、ノートをとっている。
受付の前には、極々小さいが中庭みたいなテラスもあり、自販機が充実してる学生控室にも、何やら熱心にノートを見返す人が2、3人。

4階にも行ってみた。
「政治学入門」と書かれている奥の部屋を覗くと、黒板には見慣れないカタカナの専門用語が殴り書きされているが見える。
教科書を机に置いたままの先生の大きな声が、廊下まで聞こえてくる。
隣の教室では、小論文を書かされているのだろうか、タイトルが大書きされた黒板の前に先生らしき人が座り、学生は全員机に顔を伏せて、ペンを走らせている。

…なんかいい感じ。

もう一度3階に戻り、再度ひととおり見て歩く。
そして廊下に入学案内と各種小冊子を見つけるや否や、反射的にそれら全てをリュックに詰め込んだ。

妙に高揚した気分のまま、門番の警備員に挨拶してキャンパスを後にする。

再びウォーキングを再開し、お目当ての緑道にたどり着いたにもかかわらず集中できず。
このまま気持ちが冷めてしまうのを自分でも恐れたのか、不意に携帯を取りだし、念のため前に所属していた学習センターへ在籍確認を頼んだ。

ところが結果は「4期続けて科目登録しなかったため、この3月で籍は抹消になる。ただし、1月に面接授業の集中講義を受講して合格し、単位を取れれば、後4期間在籍可能」とのこと。

…1月に1週間ブチ抜きの面接授業なんて無理だ。
ということは、3月で籍は抹消されるのか。

残念…と一瞬思うも、今回は珍しくこれにめげずに、「それなら4月から再開すればいいか。今までの単位が消えるわけじゃなし。」と、何故かあっさりと気持ちは切り替わった。

帰宅して、食事の支度して、風呂に入って…ずっと、そのことばかり考えている。

あっ、忘れるところだった。
明日から、研修で朝早いんだっけ。

まぁ、それはどうでもいいや。
どうせ長年無職→やっと主夫(兼見習いライター1年)なんだ。
どう繕ったところで、ろくなもんじゃないのは間違いないんだ。
今さら何をしたって同じだ。
このまま行けばいい。

…それより、どうしよう。
「面白そうなこと」が新たに見つかったのだろうか。

やってみたい科目では、日本史が一番の興味だけど、それに限らず色々な分野の歴史やってみたいなぁ。

…どうしようか。

気が乗らないまま意地張って丘陵に行かずに、平坦なコースをで「上を向いて」歩いてみて、よかったかな。
さしずめ、八国山に例えるなら「ほっこり広場」か。
あそこも、急な下り坂を下りて、すぐの所にあるし。

歩き疲れたら、ベンチでお茶を飲むのもいいだろう。
それが例え¥100ショップの烏龍茶でも、あんなに美味しいじゃないか。

今さら何の役にも立たない「学校」や「知識」でも、俺がそこに「面白そうだ」と思えるものがあるなら、それで充分なはずだ。


明日帰ってきたら、少し詳しく調べてみよう。





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 ■ 2003/12/13 (土) 転倒


妻の出勤と同時に娘も義母の元へ。
俺の生活もそれに合わせいつものパターンに戻る。
と言っても、あと2日だが。

午後から丘陵へ。
ふもとから見上げる丘陵は、ヒンヤリした冷気を山全体から放射している。
いよいよ近づくと、ある地点からまるで境界線を引いたかのように、はっきり「ここから」と分かるくらい急に寒くなる。
こんな強い冷気を感じるのは今季初めてだ。
なんだかウズウズして、歩くスピードも自然に上がってくる。

ところが実際に一歩山に踏み入れてみると、昨日の雨で足下はぬかるみ、滑る。
頼みの落ち葉も、風雨で落ちたものが表面を覆っているためか、それ自体黒く汚れて濡れ滑り、もはやかつての「絨毯」からはほど遠い。
「かつて」といっても数日前なんだが、もうその時とは全然状況が違う。
それでも上りや、葉の多い所は何とかなるが、落ち葉の少ない下りになると、もうだめだ。

まるでスキーの「ボーゲン」のような格好で、一歩一歩内股で、足下を確かめて降りる。
その間は、日を受けて輝く木々はおろか、大好物なはずの(疑似)潮騒も殆ど耳に入らない。
ただ「転ばないように」を考えて歩く。

やっと幅の広い平坦な場所に出て初めて、周囲を見る余裕が出る。

すると、少しも歩かないうちに、一瞬「雨?」かと思う音に囲まれる。
しかし、雨などではなく、なんとそれは風を受けて葉が落ちる音。
足を止めて、じっくりその音を味わうことにした。
すると、枝にしがみついていた葉が強い風に一気にはがされ、今度はまるで本当の雨のように、最初は遠くで横殴りに流れて行ったかと思うと、それからそれが徐々にこっちに近づいて来る。
一気に来るかと思いきや、それは方向を微妙に変えながら滞空時間を競う紙飛行機のように漂い、最後にはそれに加え後ろからや近くの落ち葉も加わって、全身にシャワーのように降り注ぐ。

この音といい、風の感覚といい、何と気持ちのいいことか。
何故、もっと早くこれに気が付かなかったのだろうか。
恐らく「すでに、そこにあった」はずなのに。

「今日も来てよかった」と思いながら、尾根に再度上がりもう一度獣道を下りるコースをとる。

そこで俺は転倒する。
ちゃんと「ボーゲン」歩きで、ジグザグに刻みながら慎重に下りたはずなのに、ズルッと。
情けない叫び声のおまけ付きで。
幸いケガはないが、アメ横で数年前に買ったカーゴパンツと、肘から上は泥だらけだ。

瞬間、CMの映像が頭をかすめる。
何のCMかは忘れたが、「見上げてごらん夜の星を」のヤツ。
平井堅と故・坂本九が一緒に演っている、デジタル技術の力をあらためて感じさせるあれだ。

夜に星を見上げるには「平地」か「緩い上り坂」である、という条件は必至だ。
「上を向いて歩こう」も似たようなもの。
そう言えるということ自体、「平坦な道」か「(緩い)上り坂」にいる、ということを表している。

俺はそうじゃない。
下り、それも雨でぬかるむ道を下ってるんだ。
それも獣道の。
「下る」こと自体、引力に引っ張られてるんだ。
そこでは「立ち止まる」だけでも、かなりの力が要るんだ。

そんな状況で、上なんか向いて歩けるか。

足下に気を付けて、慎重に歩いても転ぶんだ。
上を向けだなんて、無茶言うな。

何が「癒し系」だ。
ぬかるんだ下り坂を歩くような人を癒してこその「癒し系」だろ。

あの時も「尾根からもう一度獣道を下りる」なんて事はせずに、そのまま「景色の良い平坦な道」を選んで帰ればよかったんだ。
それなら他にも数カ所あるはずだし。
「ほんの数日前でも、今とは全然状況が違う」って分かっていたのに、軽く見たんだ。

…今の俺も、この「獣道」を行こうとしているのかも。

きっと転倒する。
警備なら経験もあるし、何とかなるなんて思ってる。
…だけどそんなに仕事って甘いもんじゃないよな。
当たり前だ。

里山で滑る、どころじゃない転倒になるかもしれないんだ。

そもそも「里山」で充分幸せなのに、何故下りる必要がある。
里山の「平坦な場所」にいて、満足してる俺がそんなに不愉快か。
どうしても、俺が転ぶところが見たいのか。

さぁ「上を向いて歩こう」と出来もしない俺を無理矢理引っぱり出しておいて、予想通り転ぶと「何してるの」って言うんだろ。

後2日しかない。
後2日で、転ぶんだ。
ボーゲン歩きでも転ぶんだ。

考えすぎだろうか。
でも、今日を境に「ここから」っていうくらいはっきりと、強い冷気を感じてる。

ウズウズなんかしない。
ただ寒いだけだ。



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