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ヒモと呼ばないで9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。 |
■ 2004/01/24 (土) リバーシブル |
今日はフリースをリバーシブルのものに替えた。
意味はない。 洗濯のローテーションでそうなっただけ。 そして、いつも「白」側を表にするところを、今日はいつもは裏でしか着たことがない「茶色」を表にしてみた。 理由はない。 何となくそうしただけ。 仕事も半分を過ぎて、そろそろ忙しさのピークを迎える心の準備が必要な時間帯。 いつもは目の前に必ずあるはずの、ある記帳台紙が見当たらない。 「おかしいな、何でないんだ」 思わず声に出てしまった。 仕事中に警備室までわざわざそれを記入をしに来た従業員は、その声に呆れたのか、諦めて帰ってしまった。 申し訳なさと、たったそれだけのものを一人机をひっくり返し探しても見つけられない情けなさで、顔が見る見る赤くなるのが自分で分かる。 しかも、その記入はある「偉い人」の代理だ。 それは、前にダメ出しされた、あの「偉い人」。 最悪だ。 そして、彼が行ってしまった次の瞬間、後ろから「これじゃねえか」の声。 今日のパートナーのBさんが、今日はもう来ないだろう、との判断でしまい込んでしまったんだ。 それを用があって警備室に来ていたDさんが見つけてくれたというわけ。 それは、確かに手の届く、すぐ傍にあった。 だから、見つけられない俺も悪いのかもしれない。 Dさんも「しょうがねえなぁ」と思っただろうか。 しかし、いつもは必ず同じ場所にあるモノが、いざというときなければ慌てるよ。 それに、片づけてしまう理由も全く分からない。 この時間で「もう来ない」わけないじゃないか。 わけわからん。 で、結局悪いのは、俺か。 …。 まだある。 重要なモノを搬送する際、その出先から目的地まで必ず連絡を入れることになっている。 「これから行きます」と。 ところが、だ。 これが、いつまで経っても「話し中」。 こんなこと今まで一度もない。 もうこの時間には連絡待ちしていなきゃダメなくらいなんだ。 本当に何か問題が起きたかと慌てるも、こっちもすぐ後ろから偉い人の「何してる」の視線を浴びながら、何度も携帯をかけ直すのは本当に冷や汗が出た。 そう、この「偉い人」はさっきの人と同一人物だ。 もうどうしようもなくなって、俺はそのまま連絡無しで、そこを出た。 俺の姿を見つけてからでも、対処は出来るはずだ。 っていうか、対処してくれ。 仕方ないよ。 そうしないとまた俺が怒られるんだ。 何も悪くもないのに。 ドキドキしながら警備室を過ぎるとき横目で電話を見ると、案の定、受話器が外れてる。 それなのに、彼は逆に何故連絡しないと言わんばかりの顔してる。 「忘れただろ」的な。 いくら何でも一言言わなきゃ…と思いきや、俺にはその前に、やらなければならない大事な仕事がある。 それを終えて、電話を見ると…もう直ってる。 彼からは、何もない。 …もう何も言う気が起きない。 この「偉い人」は完全に俺をマークしているだろう。 ますます仕事やりにくくなるじゃないか。 俺のせいじゃないのに。 新人をフォローするどころか、悪者にしてどうする。 本当に一言言おうと思った。 でも、このBさん、俺の引越や仕事を辞める/辞めない、について相談に乗ってくれる唯一の人なんだ。 それはそれ、これはこれ。 分かってるけど、出来ない。 …そうだ、今日、リバーシブルを逆に着たからだ。 いつも通り「白」を表にしておけば、何て事なかったんだ。 Bさんのせいじゃない。 リバーシブルのフリースの表裏を替えたからだ。 白を表に着れば、こんなことはもう起きない。 きっとそうだ。 そうに決まってる。 |
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■ 2004/01/23 (金) おーい |
風呂から出た。
部屋の隅に「SPA!」を見つける。 前はほとんど欠かさず買っていたが、最近はほとんど読んでない。 これにも2003/8/5号とあるから、夏のか。 「『本日も、ますます仕事がつまんねー』の実態」だって。 おいおい…朝から洒落にならんよ。 何気にパラパラめくると、そこに今出たばかりのうちの風呂に少し似ている浴槽に体を縮めて入る写真を見つける。 マクセルの広告ページだ。 写真は竹中直人。 そして、文中には彼のこんな言葉。 「撮影の終盤、ああ、この素敵な時間が終わってしまうと思うと寂しくなってきて」 こんな俺にもそんな記憶がある。 それも一度じゃない。 確かに何度かあった。 また来るかな、そんな時間。 とりあえず、今日は来そうもないが。 だからって、明日になれば来るかと言えば、言葉に詰まるが。 呼んでないからこないのかな。 でも、前の時は呼ばなくても来たはずなのに。 それに、呼ぶったって、どうやって。 「おーい、来てくれ」 …呼んだよ。 何故来ない。 もう少し待てば来るのか。 でも、あと41分で来なければ、少なくとも今日はダメだ。 「それだけ」な所に、来るわけないだろ。 …それともさっきの聞こえなかったのかな。 竹中直人も、うちとおんなじような風呂に浸かってるじゃないか。 何故彼だけなんだ。 そうか…本当は俺の所に来ようと思ってて、間違えてあっちに行っちゃったのか。 しょうがないな。 それなら今からでもいいよ。 じゃぁ、もう一度呼ぶからな。 「おーい」 |
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■ 2004/01/23 (金) 柄じゃない、恥ずかしい、関係ない、分からない、分かり切ってる言葉 |
帰ってきた。
何もなかった。 恐れていた「おれのせいで」ということもなかった。 よかった。 でも、それだけ。 仕事を終えた感想が「それだけ」というのは、その日の仕事が最高の出来だったことの証しだ。 「出来て当たり前のこと」を繰り返し、間違えた途端に「この程度のことも出来ないのか」ということになる仕事だから。 攻撃をかわすことだけ。 自分からは何一つ仕掛けない。 「チャレンジ」が一切許されない仕事。 「アイディア」が一切不要な仕事。 そして、目的が「現状維持」だけの仕事。 今まであまり考えたことはなかったが、ハローワークで警備を無意識に選んでいた理由は、これかもしれない。 俺向きだと、自分で思ったんだろう。 しかし、だ。 その前提として、その「現状」を大げさに言えば愛せないと、精神的に厳しくなっっていく。 一番仕事の出来る人を見ていると、彼はそれを愛しているのがよく分かる。 他の人とははっきり違う。 生き生きしている。 そして俺はと言えば、その「現状」を、頭では好ましいとは思うが、そこ止まり。 その彼のようには愛してない。 …おいおい、何だって。 勝手に筆を進めさせてもらえるからって、調子に乗りやがって。 何が「愛」だよ。 何をいまさら。 そんな事考えたこともないくせに。 どの面下げて言ってんだ。 柄じゃないとか、恥ずかしいとか、関係ないとか、分からないとか、分かり切ってるとか言って逃げてきたくせに。 「愛している」という前提がなきゃ、ダメか。 それなら簡単な話だ。 俺がダメなはずだよ。 何故なら、俺は自分を愛してないんだから。 そうだ、俺は自分を愛してない。 本当にその通りだ。 書き言葉の世界でよかった。 これ以外の世界で「愛」なんて、表現する自信はない。 でも、やっと表現できることが、またもや「愛せない」という「できないこと」だなんて。 無能を晒すはめになるのは、何処に行っても同じか。 そして、この無能を克服する見込みは全くない。 全く。 克服しちゃいけないんだ。 「自分を愛せない」人生を送るしか道はない。 その前提条件を満たせない人生を生きるしかないんだ。 その理由? 言えないよ。 勘弁してくれ。 |
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■ 2004/01/22 (木) 自由研究 |
あと20分。
準備は全て調った。 あとは行くだけだ。 少し余裕ができると、馬鹿なことを思い出したりするのが俺の癖だ。 頭の中で、「余裕」→「自由」→「夏休み」→「宿題」→「自由研究」…という連想ゲームのガッツ石松レベルの想像が流れていく。 俺はこの「自由研究」というのが大嫌いだった。 「自由」って、何したらいいんだ。 「好きなこと何でもしていいのよ」なんて女の先生が言ってくれたこともあったが「そんな訳ないだろ」って、心の中で毒づいた。 毎日野球して、プール行って、クワガタ捕って…でいいのかよ。 よくないんだろ。 それで友達同士の牽制のし合いが始まる。 A「お前、何してる?」 B「地図作り。お前は?」 A「昆虫採集か本箱作り」 C「ウソ?!俺もそれやろうとしてたんだよ。でも同じでもいいんだよな。」 秀才D「俺、戦争だけに絞って、その年表書いてる」 A.B.C「すげー!やっぱ頭いいヤツは考えることが違うよな」 俺はというと、それをボーっと眺めながらまた心の中で毒づく。 「何処が『自由』『研究』だよ。全部去年誰かがやったやつじゃん。」 それに秀才君のも、何が「すげー」んだか。 俺には全然興味がないし。 「自由」って、もっと面白いもんじゃなかったか。 ワクワクしたりするもんじゃなかったか。 じゃぁ、お前は何を「自由研究」したのかって。 決まってるだろ。 近所の地図作りだよ。 別にいいだろ…何しろ「自由」なんだから。 それに「提出しない」っていう自由は認められないルールは守ったし。 それをしたら、もっとその自由は制限されてしまうんだから。 でも、本当にそうだったんだろうか。 未提出にしたことがない俺にはわからない。 その思いに従って、先生のいうことを無視するなんて強さがなかったんだ。 …これって、今と同じってことか。 まさか。 ああ、もうあと14分だ。 こんな真冬に何が夏休みの自由研究だ。 何を考えているんだ、俺は。 …。 あと14分。 |
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■ 2004/01/21 (水) 妻の休日/研ぎ |
妻の休日。
「ちょっとそれ6枚切り?もう2枚しかないんだから、あたし食べるんだから、あなたは8枚切りのにしてよ」 珍しく気分良く起きて、テキパキと朝の支度をしつつ、トースターにパンを入れてツマミを回さんとする、まさにその瞬間、すぐ後ろからダメ出し。 …今、トースターに入れたばかりのパンを元の袋に戻せってか。 妻は言うことだけ言うと、自分の部屋に戻って行った。 本当に喉まで、いや下顎と下唇の間くらいまで大声が押し寄せたが、朝から怒鳴り合いをしたくない俺は、仕方なく昨日99円ショップで買ってきたパンの袋を八つ当たりするように横に引き裂き、たった今したばかりの動作をもう一度繰り返す。 こんな朝食有りか。 俺は確かに争いは嫌い。 どんなものにも勝つ自信がない。 しかし、だ。 一度始めたら勝つまでやる。 そして、俺は未だ妻にそんな姿を見せたことはないんだ。 多分。 それは、何を以て「勝ち」とするかを見失っているから…なんて情けない理由からだけど。 もちろん、携帯をかけてくるタイミングを直させることや、6枚切りのパンを食わせること…が「勝利」になりうるわけじゃない。 だけど、俺の勝利の一つの目安は毎日気持ちよく暮らすことだ。 だから、些末なことではあるけれども、こんな気分の悪さも減らしたい。 俺の彼女に対するアプローチがどこかズレてきているんだろうか。 少なくとも、彼女の言動のタイミングがどうも合わなかったり、それで腹を立てたりする機会が増えている結果になっているんだから、その当事者の俺がそれを誘発している可能性はあるのかもしれない。 でも本当の問題は、その前段階。 これからどう生きていくか、っていう俺には難しすぎる問題だ。 その信念をどこかに落としてしまったんだ。 だから、何をするにも、自信が持てない状態なんだ。 いや、何をするにも、は言い過ぎか…。 いや、やはり、そう言えるだろうか。 よくわからん。 とにかく付け焼き刃なナマクラ刀なんだな、俺は。 …でも、それは切れないけど、「受け」に使うにはどうにかなるんだ。 相手の刃から身を守るには役立ってる。 だからこうして、今生きていられるんだ。 果たして、研ぎ直せば、切れるようになるのか。 前は、良く切れていた…ような気もする。 気のせいか。 でも、研ぎ方なんて知らない。 砥石のある場所も。 いや、もしかして、砥石ってこれのことなんじゃないか、というあたりは付いている。 っていうか、意識しないまま、もう研ぎ始めているような気さえする。 気のせいか。 試しに何か切ってみたら分かるかも。 …何を。 ナマクラに何が切れるっていうんだ。 そんなことを考えているうちに、強敵の刃がすぐ向こうで白く光り出してる。 あと25分で、俺に向かってそれは襲いかかる。 俺は、やはり「受ける」ことしか出来ない。 あと25分。 いや、もう25分だ。 |
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■ 2004/01/21 (水) 本音 |
とうとう一人に、引越のことを話してしまった。
そうなると、今の仕事を辞めることになるということも。 彼の反応はことのほか肯定的だった。 「だけど、せっかく縁あってこうして一緒に働けると思ったのに、寂しくなるなぁ」なんて、ウソでも嬉しい言葉までもらう。 さらに「俺も何度も他の面接に行ってるし。」「ホントの話、本当に俺がこの仕事をいいと思っていたら、引き留めるよ。」とも。 何より、彼が自分の本音を話してくれたのが嬉しかった。 少しホッとする。 もういつ責任者に「実は…」と切り出してもいいな。 あとはタイミングか…。 でも、こうなると少し勿体ない気もするな。 っていうか、ここまで覚えたことは全部無駄になるわけか。 やれやれ。 思い入れなんて正直全くないけど、親切に何度も教えてくれた人には本当に悪いと思う。 っていうか、それを言ったら警備の先輩は全員か。 今日のBさんはともかく、他の人は「辞める」って言ったら、やっぱり気を悪くするかな。 俺のせいで、みんなが迷惑するのは、やっぱり嫌だな。 って言っても、辞めるときは辞めるんだけどさ。 帰宅後、その事を妻にも話す。 そんな俺の気持ちは「そんなことよりさぁ」という言葉であっという間に横に置かれ、引越後、今使っている家具のうちどれををそのまま使うのか、処分するのか、使うなら、どう使うのかを一方的にまくし立てる。 俺が、その話に辟易とし、視点を変えようと思い「結局お義母さんには月いくら払う必要があるのか」と聞くと、彼女曰く、 「あたしとお義母さんで適当に決めるから、余計なこと考えなくていい」、とのこと。 今までの話し合いの中で生じた熱が一気に冷める。 そして、それはすぐ氷点に達し、次ぎに、ドライアイスのような攻撃的な冷たさが、自分の気持ちの中に生まれてくるのが分かる。 …それがお前の本音か。 それじゃ、俺の本音も聞くか。 …。 やめよう。 俺は争いが嫌いだ。 争いはどんなものでも避けたい。 にもかかわらず、こうしてその一歩手前まで行ってしまったのは、その場の空気を読み違えた俺が悪い。 闘争心というようなものを完全に失っている今の俺では、それがどんな争いであれ、最終的には確実に負けて、一方的にダメージを負うに決まっている。 だからどんなやり方でもいいから、争い事は絶対避けなければ。 苦手なことを自分から招くような輩は、バカそのものだ。 サムライを気取ったチンピラのような真似だけは絶対にすまい。 今の俺は真っ当な労働を厭わない立派な百姓の慈悲によって生かされている負け犬の落ち武者じゃないか。(そして、その百姓だって剣を持たせればそこらの野武士より「使う」こともある。全く素晴らしい。) 信念も自信もなく、闘う勇気もないくせに、無闇に粋がることだけはすまい。 身の程をわきまえろ。 |
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■ 2004/01/20 (火) 朝 |
目覚ましが鳴っても、そんなに不快感がない朝だった。
とは言っても、その気分は休日の昨日とは比べものにはならないが。 トーストは食べ終わった。 仏壇の花の水は換えたし、線香もあげた。 トイレにももう行った。 体重/体脂肪も計った。 余裕で間に合う。 お茶も、もうあと2杯は飲めるだろう。 こんな時にでも、思うことはただ一つ。 「行きたくない」 そして自分に突っ込む。 「じゃぁ、行きたいところに行けば」 そして、いつもの堂々巡り。 ループ。 繰り返し。 行ったり来たり。 袋小路。 答えは出ない。 まるで黒板の前で泣きべそをかいている、出来の悪い小学生だ。 朝が生活の縮図だと言った人がいたらしいが、どうやら正しいのかも。 あと38分。 |
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■ 2004/01/20 (火) 飯炊き |
休みにしなくちゃいけないことを一つ忘れていた。
それはご飯のまとめ炊き。 本当は毎日炊き立てを食べるのが最高なのは言うまでもない。 でも、今は俺が「専業」から追い立てられているので、こうしてまとめて炊いておき、冷凍保存しておかないと、週に1,2回はご飯が食べられない日が出てしまうんだ。 今蒸らし中。 あと10分で出来上がる。 手本をそのままなぞるのが必ずしもいいわけじゃないだろうけど、母が亡くなり天涯孤独になったとき、俺は料理などしたことがなかったので、魚柄仁之助さんの本を教科書のようにして、「真似ぶ≒学ぶ」で取り組んだ。 そしてご飯も、彼に習いガスで炊いている。 「はかせ鍋」という保温調理器を使うのも彼の影響だ。 もっとも、その時電子ジャーが壊れていたということもあったんだけど。 今の時期は水が冷たいから、米を研ぐ回数は夏に比べると1,2回は少ないかも。 今日は米3合に、押麦を1合の計4合を炊いた。 水の量は米・雑穀を合わせたものの1.2倍といったところか。 最初は強火で、吹いてきたら弱火。 そのまま約8分くらい炊いて、また強火にして、底から「パチパチ」音がしたら、火から下ろし、蒸らしに入る。 これが15分から20分くらい。 普段は、この時間でおかずや汁を作る。 それから、まだ入ってなければ風呂を沸かし、食後にいつでも入れるようにして、食後は、玄関の靴箱の上を軽く掃除して、招き猫を軽く磨いて、靴に炭袋を入れて脱臭して、それから、…。 …今はそんなことは出来ない。 帰ってきて、一息ついたら、もう日付が変わってしまうんだ。 …やっぱり専業はいいなぁ。 意識しないようにしてはいても、やはり思ってしまう。 俺は警備員じゃない、主夫だ。 充実の度合いが全然違う。 …あと8,いや7分で蒸らしも終わる時間だ。 今日はもうちょっと蒸らそうか。 ご飯はいつもと違う炊きあがりになるかもしれないが、「主夫」でいられる時間がその分延びるなら、それでもいい。 もうあと5分蒸らしを延ばそう。 いや、7分…10分でも大丈夫だろう。 その間だけでも「主夫」の実感に浸ろう。 せこいなんて言うなよ。 俺はただ「本業」を真面目にしようとしているだけなんだからさ。 |
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■ 2004/01/19 (月) 全生園 |
今日は休日。
午後から、丘陵へ。 …のはずだった。 しかし何故か、体が職場の方へ勝手に向かってしまう。 さらに、不意の車のクラクションに驚くまで、丘陵とは反対方向に向かっていることにすら気が付かない有様だ。 今のところ4日間が連続で仕事をする最長で、今回の休みもまさにそのケース。 しかし、そのたったの4日間で、自分が家から出るや否や、仕事に向かおうとするように(リ)プログラミングされてしまったのかと思うと、無性にイライラしてくる。 とは言え、今来た道をそのまま逆戻りするのも馬鹿馬鹿しく思え、仕方なくその位置から、職場とは反対に向かい歩を進めることにした。 「反対側」を歩くのは本当に久しぶりだ。 「通勤側(時)」では余り見かけない「ゴイサギ」や「ナマズ」、それに30cmはあろうかという「マス」の類と思しき魚(よくわからんが鯉じゃなかった)などを見ながら歩いているうちに、最初のざらついた気持ちも徐々に静まってきた。 先に進むうち、急に交通量が増え、途端に空気が悪くなってきたので、方向を変えて当てもなく歩くと、何やら静謐な雰囲気の公園のような場所に出た。 目前の道を隔てた先に見える看板には「南門」とある。 ってことは、北門とか東門もあるんだろう。 とすると、かなり大きな施設かな。 果たして入ってみると、そこは「全生園」。 明治時代からあるハンセン病の全国的にも有名な施設だ(と思う)。 …入ってもいいのかな。 「自分は怪しい者ではありません」という意識で、向こうからジョギングする人に恐る恐る会釈してみたら、彼が「こんにちはー」の言葉で返答してくれたので、ホッとして中に入る。 すると、これがどうだ。 今まであまり体験したことのない雰囲気が充満していて、そこかしこにある古い建物が「何しに来た」と言わんばかりにこっちを見ている。 元の火葬場跡とか、墓地跡、それに雑木林を開墾した残土を盛った築山から、当時の患者さん達が故郷を眺め涙した…などの悲しい背景のものがさすがに多いから、そんな風に感じたのだろうか。 どれもこれも、道を間違えついでにふらっとやって来た俺には、少々重たすぎる。 広い敷地内のその一画には、教会や仏教の幾つかの流派(?)の施設が集まっているようで、確か北条民雄という作家(?)が、自分のこれからを想いながら、窓から眺めたという「カエデ」(?)の木もあった(どれもチラッと見ただけだから正確じゃないです。失礼)。 先に進むと「寮」と書かれている背の低い平屋の建物がズラッと並んでいる一画に出る。 生活の臭いをありあり感じる。 まだ闘病されている方たちの住まいなんだろうか。 すると急に、本当に無許可でここに入り込んでよかったのか、と再び不安になるが、そのピークと共に、妙に気持ちが高揚し、そのまま散策を続けることにした。 納骨堂を見つける。 今までここで吸い込んできた空気の集大成だ。 心の準備なく迷い込んできたことをお詫びして、再度気を静め、深呼吸をして、亡くなられた方のご冥福を祈り、お輪を鳴らし…そして、手を合わさんとする、まさに、その瞬間。 今までの、静かで、俺にしたら貴重ですらある殊勝な気持ちをぶちこわす携帯の着信音。 妻からだ。 内容は電話を取るまでもない。 「今どこー。早く帰ってきてご飯作ってー」的なことから一歩も出ることはあるまい。 舌打ちしながら電源を切り、踵を返し納骨堂から一度出る。 と同時に、頭の中で、妻を滅多打ちにした。 5発、いや10発は殴ったか。 それでも気が晴れない。 何で、この瞬間のタイミングなんだ。 清流を求めて、下流から上流へ遡っていき、やっと湧水を見つけ、それを両手にすくい、まさに口に付ける、その瞬間、その手を払いのけられた感じ。 もう一杯すくえばいいって。 水を飲む目的は果たせるだろうって。 …あっさり言ってくれるよ。 ああ、すくったさ。 俺はもう一度、すくってみたよ。 でも、最初に足を踏み入れた時のような、静かな気持ちにはどうしてもなれなかった。 乱れた心のまま、亡くなった人に手を合わせた休日なんて最悪だ。 また行かなくちゃ、全生園。 その時には、携帯の電源は絶対切る。 絶対。 |
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■ 2004/01/19 (月) よくあること |
職場についてすぐ、偉い人のご機嫌ナナメに振り回され、普通なら謝ることなんてあり得ない事で謝る羽目に。
おまけに、隊長もそれに巻き込む形になってしまい、俺じゃなく、彼が激しく叱咤される結果になってしまった。 しかし、彼はあっさりそれを受け入れ(たように思え)、こう言った。 「こういったことはよくあります。そんなに気にしないでいいから。」 「さすが」という気持ちと、ますます申し訳ないという気持ちが交互に寄せては返しているうちに、落ち込みかけた気持ちが、徐々に軽くなっていく。 そして、一瞬それが「ゼロ」になった瞬間、それは「怒り」に変貌する。 ○○から連絡がきたから、指示通りそれを伝えただけじゃん。 大体さぁ、それを受けた段階で……。 …でも、もうやめよう。 当人に直接向かいもせず、当人がいなくなってから陰で怒るなんて、被害妄想的に落ち込むことと同じくらい無益で、自分を小さくするだけだ。 いい手本がいるじゃないか。 「こういうことはよくある。気にすることはない。」 そうだ。 その通り。 偉い人の気分に正確に対応するマニュアルなんかそもそもあり得ないんだから、対策なんか立てられない。 恐らく今日の出来事から「学んでも」、次回この偉い人は、全く別の対応をするに違いない。 その時の気分次第で。 だから、これでいい。 そのまま受け入れよう。 生活に大事なことは、慣れることや学ぶことだけじゃない。 選ぶことも大事だ。 「気にすることはない。」 今日、俺はこれを選ぶ。 この選択で間違いはない。 そして、そんな立ち上がりで始まるような日は、今まで経験のない事柄をいっぺんに体験するものだ。 ・冷凍食品の温度センサーが発報、駆けつけてメンテナンス部に対応を依頼→被害無し。 ・客の不審な動きを従業員が発見→対応→巡回→被害無し。 ・閉店後、喫煙をしていた従業員に灰缶の片づけを頼むも、あっさりかわされ、忙しい時に一仕事増える→その後別の従業員が代わりに処理→問題なし。 ・駐車場のセンサーBOXの施錠、初体験→問題なし。 ・某テナントのガス大元栓の再確認→不安払拭 ・某テナントの調理機器の操作方法と、そのリスクを再確認→不安払拭 ほら、大丈夫だ。 何故なら「こんなことはよくある」から。 初めての不安や、上手くできない情けなさを感じながら、ただやるべき事をこなす。 それでいい。 っていうか、それだけでいいんだ。 そして、そんな一日が終わり、さぁ帰ろう、と表に出るや否や、今日のパートナーのAさんと、従業員のDさんと話が盛り上がり、なんとこの寒い一月の中旬に午後11時から午前0時15分まで、外で立ち話をしてしまう。 不思議と、早く帰りたいという気持ちは起きず。 むしろ、人と取り留めのない話をするのを「懐かしい」とすら感じる。 そうだ、懐かしい。 そう思うほど、俺はそういう時間を意識して排除してきたんだ。 これもそのうち「よくあること」になりうるのだろうか。 もし本当にそうなるとしたら、それはそれで少し恐い気もするが、きっと大丈夫だろう。 そんなこと「気にしなくていい」ことなんだ。 多分。 「よくあること。気にしなくていい。」 今日、何回この言葉を口の中でつぶやいただろうか。 そんなことも「気にしなくていい」んだろうけど。 |
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