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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/08/19 (月) 日々雑感


あつい・・・!

皆様、どのようにお過ごしでしょうか!?
暑いですね。

私は、何とか元気で過ごさせてもらっています。
先月の26日は、私の放浪生活1周年記念日に当たります。定宿にしているホテルが満室であり、ホテルのレストランで祝うことが出来なく、今日(8月19日)に、一人静かに祝っています。

・鳥
鳥を見た。大きな白い鳥。

7月20日。日課としている下宿の掃除を終え、10時過ぎに下宿を出て、いつものコースで郡山駅を目指す。阿武隈川沿いの土手を、自然を愛でながら歩く。
とことことこ・・・てくてくてく・・・と、歩く。気持ちの良いものです。

ふと・・・対岸の郡山市街の上空に何か白いものが飛んでいる!?なに・・・!?はじめ、白い鳥だから白鷺か!?白鳥か!?と、思ったが時期的におかしい(歩き旅の時には、時期はずれの現象を経験しているがね)。また、首の形が細長くなく、鷲のような形である。そして、距離的に見て、おそらく1km以上は離れていると思われる。それであの大きさである。「ロード オブ ザ リング」という映画の「王の帰還」の最後のシーンで、魔法使いのガンダルフが主人公たちを救出しに行くシーンがある。巨大な鷲に乗ってね。私が見た巨大な鳥は、その鷲の連想するくらいの大きな鳥である。色は白。おそらく、5〜10mはあろうかと思われる。

白い怪鳥が郡山市外の上空を悠々と飛んでいる。
私は凝視しながら、飛び去る姿を見送った。北に向かって飛んでいった。後姿は、まさしく映画で見たとおりの姿である。悠々と翼を羽ばたかせながら飛んでいった。

この事は、絶対噂になると思った。
マスコミは、彼の組織の支配下にあるからこのようなニュースは取り上げないだろうが、人々の噂にはなると思ったので、数少ない知人に聞いてみたが、「そんな噂は耳にしていない」との事。ホテルにチェックインする時にも、フロントの女性スタッフに尋ねたが、「そんな噂は耳にしていない」との事。

さてさて・・・!?

昔、放射能被曝により巨大化した鶏の写真を見たことがある。
成人の白人男性と並んだ写真。その白人男性よりも大きな鶏。
311から2年半。放射能の影響にしては巨大すぎるし(放射能の影響力はよくはどのようなものなのかは解かっていないらしいがね)、噂にもなっていない。

気づく人と気づかない人が居るのは解かるが・・・!?ちょっとネットで調べてみたが見当たらない。
「遠い記憶・前世からの約束」プログでは、金魚の話が載っているがね。

見た時の印象は、驚きと共に、神々しい感じがした。恐怖とか嫌な感じはない。私にとっては瑞兆と感じる。

・ラジヲ
ラジヲを頂いた。
単三二本で聞けるラジヲ。ありがたいことです。

・クワガタムシ
クワガタムシがいる。下宿の廊下にいた。私のサンダルの中にもいた。自然が豊富である。まさか、こんなに身近にクワガタムシに接するなんて、考えても見なかった。ちょっと感動した。

夕方、夕涼みをしていると、飛び方に違和感を覚える飛行物体が乱舞している。よくよく見るとこうもりである。朝、カラスにごはんを上げに行ったとき、遊歩道にこうもりの死骸があった。拾って、カラスのご飯になった。

・映画
郡山中央図書館で、市民向けに無料の映画が上映されている。DVDの映画である。放映権がついている。この事は、白河市の中央図書館でも行われていた。無料で鑑賞できる映画である。楽しみが増えた。

・放射線量
8月4日
郡山駅東口 10:48 0.361μSv/h
   西口 10:53 0.205μSv/h
さくら通り 芳山公園  0.279μSv/h
21世紀公園      0.366μSv/h
図書館   11:55 0.157μSv/h

散策がてら回っている公園の看板から転載。
「除染しました」 高さ 50cm
8月1日
21世紀公園広場中央 除染前 2.07μSv/h → 除染後 0.42μSv/h
麓山公園 水飲み場脇 除染前 1.64μSv/h → 除染後 0.50μSv/h
     慰霊塔前  除染前 1.64μSv/h → 除染後 0.30μSv/h
8月2日
開成山公園 広場中央 除染前 2.06μSv/h → 除染後 0.17μSv/h
      広場中央 除染前 2.45μSv/h → 除染後 0.39μSv/h
      幼児広場中央 除染前 2.49μSv/h → 除染後 0.39μSv/h
      後方広場中央 除染前 2.73μSv/h → 除染後 0.17μSv/h

除染作業は活発に行われている。
ラジヲを聞いていると、福島放送の番組で、お寺の住職がコメンテイターで、その住職は、除染関係の話をしていた。除染の効率化の話で、これまで一日一軒のノルマが二軒になり、除染の仕方が雑になっていると。要は、「測定する場所が解かっているのだから、その付近を重点的になっている」との事。手抜き・・・。この事は、旅に出る前から言われていたこと。また、福一の地下水汚染もそうです。東海アマさんが指摘されていたことが、いまさらになって問題化している。ようは、初からわかっている事を、後出しじゃんけんさながら、「実は・・・・こうなっています」と。

福一は収束していない。収束できないのですよ。ニュースのお偉い学者さんたちは、溶燃核燃料が中にあるという想定で話しているが、本当にあるの・・・!?一部のネットではメルトダウン、メルトスルー、メルトアウトして、地下深く埋没している・・・と、言われているね。私自身、311後の浜どおりの頻発する地震は、溶けた核燃料が地下水に接触するときに起こる水蒸気爆発という事を考えていた(実際、ヤスの備忘録のコメント欄に書き込んだことがある)。

福一からは、放射能はじゃじゃ漏れ状態。
だから、雨が降ると放射線量は元に戻る。元栓が締まらないのに、いくら除染をしても同じ事。しかし、だからといって除染は無意味だとは言えない悲しさがある。汚染は進行している。

・野良君
野良君が懐いて来た。
かわいいものです。6畳一間の下宿人の私としては、飼う事は出来ないが、ご飯を上げる事は出来る。懐かれると、私自身癒される。この関係を持続したいものです。

・夢
夢を見る。
それも、訳のわからない夢。

「最後の切符」を手にしている夢。内容は思い出せない。
「拉致」。北朝鮮、観光、罠、女性・・・。
内容は、観光していて罠にはまり監禁され、拉致されるというもの。おそらく、昔読んだ、北朝鮮の海外の活動の記憶が出てきたのでしょうね。ただ、なぜ、今に時期にこんな夢を見るか・・・です。訳解からん。


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やまと すぴ子さん お久しぶりです。ありがとうございます。 (13/10/04 15:20)
すぴ子 やまとさん、お元気そうでなにより。落ち着く場所が見つかって良かったね。『去年の今頃はやまとさんが・・・』って先月思い出してた。 (13/08/23 19:21)
やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (13/08/19 20:11)
夜曲 やまとさん、お久しぶりです。^^元気そうで良かった。いつもこのサイト見ては気にしてたんですよ。雑談でもよしがのスレッドもコメントいれてアップにいそしんでます。やはりやまとさんのいない無職コムは寂しいです。ここに戻ってくるの忘れないでくださいね。 (13/08/19 19:43)


 ■ 2013/06/15 (土) でくのぼー


雨にも負けず 宮沢賢治

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず

野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず

そういうものに わたしはなりたい



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やまと ともさん ありがとうございます。お蔭様で元気です。 (13/08/19 17:38)
やまと 氷水さん ありがとうございます。 (13/08/19 17:37)
やまと 瓦さん ありがとうございます。金属のお皿に乗せてあげています。 (13/08/19 17:36)
やまと ふわりさん ありがとうございます。人生色々、人も色々です。 (13/08/19 17:35)
とも やまとさん 元気ですか (13/08/17 15:35)
氷水 暑さをなんとか乗り切ってください (13/07/13 21:25)
 すいません 突然失礼しますが 猫のことで。缶はそのままでは非常に切れやすい為、紙の皿のようなものに盛ってやって頂きたいと思います。よろしくどうぞ。いつもご苦労様です。 (13/07/07 12:00)
ふわり お久しぶりの更新ですね、いろんな考えの人がいておもしろいです (13/06/18 13:31)
やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (13/06/15 06:27)
夜曲 やまとさんご健在でなによりうれしいです。 (13/06/15 06:25)
やまと モバイラたぬきさん ありがとうございます。私的にはそうでもないですね。外部情報を遮断した環境に慣れてきているようです。社会の動きが判りませんが、それはそれで、またよいのだという感覚です。 (13/06/15 06:16)
モバイラたぬき 今はネットが無いと辛いのでは? (13/06/15 06:12)


 ■ 2013/06/14 (金) シルバーバーチの霊訓


・肉体は魂の道具。魂が本体。魂は永遠。

・この世に生まれてきている目的は、肉体の死後の世界への準備。

・自分でしたことは、自分で責任を取る。

これだけ子供たちに教えることで、犯罪抑止効果は絶大だと想う。

現世利益、責任の転嫁、他力本願・・・等は、支配の為の詭弁である。

「霊訓」は宗教ではない。知識である。

あたかも、就職活動をしている学生が、目的とする会社の情報を集めるのに似ている・・・と、想う。情報は「知識」ですからね。

霊的真理は「単純・明快」です。「単純・明快」だから、物足りなくなり、「人間的権威」などの修飾して、「宗教」ができている。

日本には、「三歳の童でも理解できることが、八十の翁でも行いがたし」と言う諺がある。真に真理を得ていると想う。


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やまと ´З`さん さてさて・・・。平安時代のように、幽界の住人が大挙して押し寄せているのでしょうかね!?混迷した世相ですからね。ありがとうございます。 (13/08/19 17:39)
´З` やまとはん、この世が「幽界」やったらどないしはります?(笑) (13/06/30 00:42)


 ■ 2013/06/14 (金) 日々雑感


相変わらず、穏やかな日々を送っている。
生きるか!?死ぬか!?の、あのサバイバルの旅をしていた時には、夢にも思わない時を過ごさせて貰っている。本当にありがたいことです。
大家さんは、相変わらず色々と気を使ってくれる。愛すべきおっさんたちは、はじめは戸惑ったようだが、二ヶ月を過ぎると慣れた様だ。

・常識・非常識

想定外の出来事があった。
下宿近くのごみ拾いをしていて、近くの個人商店の空き缶入れに、拾った空き缶、ビンなどを放り込んでいた。私が通ると、店の主人が飛び出してきて、私を見ているのは感じていた。そして、ある日、空き缶を拾って入れていると、ご夫婦で飛び出してきて、奥さんがヒステリックに叫びだした。まいった・・・!?奥さんのヒステリックな叫び声を聞いていて思ったことは、私が家庭のごみを捨てているのだということらしい。私は、「拾ったごみですよ」と言っても、耳には入らないようだ。ヒステリックな表情は見ていて判る。私は黙って聞いていると、だんだん論点がずれてきている。いつもの事です。コンビニのスタッフとは大きな違いがある。
ご主人のほうは、私が燃えるごみを捨てていると言う勘違いをしていたようだ。
奥さんとは話せないが、ご主人とは話せると思い、その場は謝罪して退散した。謝罪した時の奥さんの勝ち誇った表情は・・・。
印象に残った内容は、「拾ったごみは持ち帰り、分別をして指定日に出すのが常識だ!常識だ!常識だ!」と、常識を連呼する。やれやれ・・・!?ご自身の常識を疑ったことがないのでしょうね。洗脳、刷り込み、誘導の代名詞だと思うのだがね。

要は、拾った空き缶、空き瓶を入れるな!?と言うこと。

翌日、店にご主人が居る時に伺い、昨日の件で話があると言い、インターネットをするかどうかを尋ねた。ご主人は、インターネットをするというので、私が旅人であり、近くの下宿に滞在している旨、そして、旅日記をつけていることを話し、私がどのような非常識な人間かを話した。

循環と言う言葉がある。
出せば還ってくる。
スーパー、コンビに、個人商店・・・等々、商品を出す所は、商品と同時にごみの供給源であることを再認識すべきではないか。だからこそ、店の前にゴミ箱を設置しているのではないか!?

ごみのポイ捨て、家庭ごみを捨てに来る輩が居るから(ここで思い出すのが、道の駅のベンチで寝ている時、車で乗り付け、みっともない動きでごみを捨てに来ている輩を見たときのこと。ガソリンを使ってまで捨てに来るものか・・・!?)、「家庭ごみの投棄をお断り」の看板がある。捨てれば拾う、私のような非常識な輩も居る。今の社会では、何が正しくて、何がそうでないのかが判らなくなっているのでしょう。こんな時だからこそ、自身の脳みそは自身で使い、考え、感じ、判断出来なければならない。
印象的なのは、今日、阿武隈沿いのごみ拾いをして、いつのコンビニにもって行くと、コンビニのスタッフは笑顔で、「ご苦労様です」と挨拶をしてくれ、私が、「いつもごみばかり持ってきて、すみません。黙認してくれて助かります(トラブルがあった後だけにね)。」と言うと、コンビニのスタッフは、綺麗にしてくれてありがとうございます」と、返してくれた。

私はトラブルを避けようと考えている。だから、下宿周辺のごみ拾いはやめた。
「郷に入れば、郷に従え」「所変われば、品変わる」

この世には「たまたま」「偶然」はない。起こるべくして起こる「必然」的な事柄ばかりである。
ならば、私が遭遇すべくして遭遇したこのご夫婦から、私は何を気づき、学びを得なければならないのか・・・!?
感情に流されず、冷静に考え、感じ、判断しなければならない。

・トントン・・・。

5月を過ぎたあたり、ドアをノックする音がする。
私は返事を返し、ドアを開けるが誰も居ない。このようなことが続いた。私だけではなく、はす向かいの住人もドアを開けて、「あれ・・・あれ・・・」と、不思議そうにしている姿を見た。
私は注意深くノック音を聞いた。
この音は、物質的な音(波動)ではなく、意識に感じる音(波動)ではないかと感じる。だからと言って、不気味な感じや嫌な感じはない。あたかも、子供が悪戯にしているようなほほえましい感じさえする。ここは東北である。東北には「座敷わらし」伝説がある。後日、大家さんに尋ねると、この地方にもあると言う。私が下宿させてもらっている所は、昔、大学生が下宿していた建物。多くの学生の想いが染み付いている所です。「座敷わらし」には、色々と言い伝えられては居るが、私の妄想では、その建物に染み付いた人の想念が集まったものであると思っている。それぞれの家もそうです。住人の想念が染み付いている。訪問しても、居心地の悪い家、居心地のよい家など感じることがあるのはその為だと想う。

では、なぜ!?今頃このようなわらしっ子が出てきたのか・・・!?
私が来た時には、はっきり言って汚かった。
大家さんは膝を電気治療している。愛すべきおっさんたちは、「きれいに使ってください」と言う張り紙などどこ吹く風です。
そのような環境では、その環境を好む目には見えない存在が集まってくるものです。そして、その建物のわらしっ子達を隅に追い込み、我が物顔でのし歩く。このような未熟な存在は、そこに住む人間の意識に大きな影響力を持っている。この物質世界に近い存在ゆえにね。
そこに現れたのが、霊的真理を身に纏った放浪おじさん。
放浪おじさんは、「こりゃ〜いかん」と掃除を始めた。目には見えない未熟者たちは、慌てた事でしょうね。なんなんだ〜このおっさんは・・・!?と、他のおっさんを使い、嫌がらせを始めた(このことは、ウンチ騒動で記す)。それでも、放浪おじさんは、霊的真理の盾と矛で、やいやいやい・・・と、掃除をやめない。我が物顔で振舞っていた未熟な存在は居た堪れなくなり出て行かざるを得なくなった。そして、墨に押しやられていたわらしっ子達は、「帰ってきたよ〜」と、走り回っているのだと、私は勝手に妄想している。
このわらしっ子達の為にも、わらしっ子達の環境を維持する為にも掃除は続けようと想う今日この頃である。

・ウンチ騒動

ある日、用を足しにトイレに入った。
なにかぐにゅ〜っとふんずけたよである。サンダルを上げてみると、ウンチが落ちていた。何で・・・こんな所にウンチが・・・!?
数日後、洗面所の所にウンチが落ちていた。
数日後、和式トイレの、トイレットペーパーの横に、ウンチが塗りつけてあった・・・!?
おいおいおい・・・!?
また、どんな巨大なホースを持っているのか判らないが、便器周辺が小便まみれになっているときがある。アンモニア臭の強いこと!
発見したときには、それとなく住人に注意喚起をした。
その時に、それとなく、「私が来る前に、このような事があったか!?」を聞いた。ない。と言う人と、ある人が使った後に、それなりの事が有った、と言う答えもある。そして、ある下宿人は、その人とサウナに行った時に、脱衣所で同じ事があったという証言を得た。

ここで思い出す事は、東北地方のホテルに泊まったときに見た注意書き。エレベーターや脱衣所に

「大浴場で便をしてはいけません」
「脱衣所で便をしてはいけません」
「廊下や壁に、つばや痰を吐いてはいけません」
・・・等々の注意書き。
今利用している郡山のおふろにも注意書きが張ってあった。

はじめは、糞好きの反日種族の組織的な嫌がらせだと感じていた。
しかし、下宿先での出来事で、少し考えを改めた。確かに、糞好きの反日組織の嫌がらせも否定できないが、個人的な性癖もある事ながら、遺伝子的なのもがあるのではないかと思うようになっている。日本人でも、幼い時から持っているタオル、ハンカチなど洗濯をしないで大切にしている人がいる。そのタオル、ハンカチについている臭気を嗅ぐと落ち着くと言うものであるらしい。
糞まみれ、小便まみれの臭気があると、落ち着く人たちがいてもおかしくはない。

しかし、他の人のことも考えるべきである。

下宿は、大家さんの個人的財産である。
借りている(お金を払っている)からといって、何をしてもいいと言うものではない。
きれいに使う義務はあっても、糞、小便で汚していいと言う権利はない。

未熟な存在による、未熟な魂の操作か・・・!?
汚したら、きれいに掃除するまで。その人が気づくと、自ずから行為を変える。

・からす・野良猫へのご飯やり

相変わらず、鳥たちにご飯をやっている。
こちらでも、カラスがごみを漁り、散らかす事が問題となっている。
この事は、雑談でもよしがのスレッドで議論をしてきた。原因を創ったのは人である。その結果が返ってくると、相手を非難する。まことに、どちらがけしからんのか・・・!?
餌場・住処を奪われ、カラスたちは生き・死にのサバイバルをしている。毎朝、麺類に納豆を混ぜ、卵を落としたものを持って行ってやっている(週に一度程度、焼き鳥のご馳走を上げている。初めて焼き鳥を上げた時、カラスは天に向かい雄たけびを上げていた。初めて食べたのでしょうね。よほど美味しかったと見える。)。今のところ苦情は言われていない。

ある日、恐ろしくやせ衰えた野良猫君を見た。
アフリカの飢餓の子供のように、目だけがぎょろりとしたの野良君。その時は、夕涼みをしていた。缶詰が入ったバックは持っていなかった。ベンチに座り、夕涼みをしていると、気配を感じた。その気配のほうを見ると、目だけがぎょろりとした猫君がいた。じ〜っと、私を見ている。ご飯をもらえないのが判ったのか、やせ衰えた後姿で去っていった。私は急いで下宿に帰り、缶詰を手に引き返し、野良君が去った後の、野良君が通りそうな所に缶詰を置いておいた。翌朝見ると、食べていない。次の日もその次の日も食べてはいない。缶詰のシーチキンは腐っている。四日目。少し齧った後があった。腐った缶詰を回収し、新しい缶詰をおいておいた。翌日見ると食べていた。

「よかった!」(私は、物凄い罪悪感に襲われていた。何で、あの時バッグを持っていなかったのかとね・・・)

それから、さばの水煮缶を置いておいたら、シーチキンよりさばの水煮が好きなようで、全部食べている。キャットフードを買った。
毎日、夕涼みの時に置いて上げる。

カラスも野良猫も、原因は人が作ったもの。
かわいがることができるペットだけをかわいがり、その他の命は駆除、排除の対象となす、社会常識に洗脳、刷り込み、誘導された社会常識人間の理解を超えた非常識な私の行動です。
社会常識人間は、その反面、自然を、命を大切にしようといっている。非常識な私から見れば、論理破綻していても気づかない人たちに見える。

・気象

お風呂に入りに行って、大広間で休息をしていた。
テレビのニュースで、アメリカで巨大な竜巻が発生したとの事。HAARP・・・か〜?
数年前、メキシコ湾で原油流出テロ!?(事故!?)が発生し、メキシコ湾流が停滞したと言うことがあった。
・大西洋海流に影響を与えた。
・海流の変化は気流に影響する。ジェット気流の走行に変化が観測されている。
・気流の変化は、上空の水蒸気の走行に影響を与える。
・水蒸気の走行の変化は、降雨地域の変化を伴う。今まで降雨があった地域が乾燥し、乾燥地帯に降雨が生じる。
・降雨地域の変化は、土壌重量の変化を伴う。地下水の走行にも影響する。地上の生態系の変化も生じる。
・世界各地で陥没が生じているようだ。降雨地域の変化、土壌重量の変化は地殻のバランスを崩す。それでなくとも、HAARPによる気象操作、各国の支配者、富豪連中の為の地下避難施設の設置。虫食い状態の地球表層。

さてさて・・・崩れた自然のバランスは、安定するまで動きを止めない。

・放射能

一月に郡山に来て以来、モリタリングチェックはしている。
現在は記録はしていない。それでも、目視チェックはしている。

「変わらない」

ただ、それだけ。

・いろいろ・・・。

色々と書きたいことはあるが、なんだか気が乗らない。もう、そのようなことにはどうでもよいように感じている。すべては仕組まれている。前立腺肥大の爺さんのションベンのように、ちょろちょろと出たり引っ込んだりしている従軍慰安婦問題の蒸し返しもそうです。米兵のレイプ事件が後を立たない。それは、米軍の中に、女は現地調達、という習慣があるから。世界中の軍隊の実態を調べればよい。犯した後、処理をすれば、死人にくちなしです。また、時代背景も考えなければならない。日本は戦後賠償をどれ位したか!?その後の支援をどれ位したか!?を世界に示すべきであり、中国・韓国は、その賠償金・支援金の流れを自国民にしっかりと説明するべきである。現代の意識状態を当てはめることはできないが、反日運動家たち、反日国家は当てはめている。そうするならば、中国はアヘン戦争時の「謝罪・賠償」を、イギリスのエリザベス女王に求めるべきであり、韓国は、中国を宗主国としていた時の「謝罪・賠償」を求めるべきである。そんなことはしないね。自国民を情報統制下において、家畜人間として扱っている。政治家たちは裏では手を握っているのです。

日本を始め、中国、韓国の子供たちの中に、「何か変だ!」「政府・政治家の言うことは何か変だ!」と気づく子供たちが増えてきている。未来の世界築く子供たちです。今までは、「大人の世界の映し鏡」であったが、今後は、子供たち独自の世界を築くことになるでしょうね。調和の取れた世界。お互いを助け合い、補うことができる社会。

地球のテロ国家、テロ支持(指示)・支援国家であるアメリカという国で色々と動きがあるようだ。

暗黒夜考  http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/e27940121d91a81aa7a91d1056b15f1b

カレイドスコープ  http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-2149.html

色々なうごきがあるが、ぽちぽちと、のんびりといきてゆくしかないね。
宮沢賢治風の「でくのぼう」的人間を目指して・・・。


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 ■ 2013/05/15 (水) ゴミ拾いおじさん


阿武隈川沿いに下宿している。
自然豊かな川です。鶯が鳴き、雉が鳴いている。名前も知らない鳥の囀り、黒いアゲハチョウが舞い、白や黄色のモンシロチョウが舞っている。夕方、阿武隈川の畔のベンチに座り、夕暮れを楽しんでいると、カッコウが鳴いている。ツバメが飛び交っている。本当に自然豊かな所です。

しかし、散策していると目に付くのがゴミです。
ゴミ拾いをはじめた。

少なくとも、私が通る道筋のゴミを拾い始めた。
特に、橋の下などにはゴミが集積している。無理をせず、一袋ぐらいのゴミを毎日拾い集め、途中にあるコンビニのゴミ箱に投棄している。およそ一月で、歩くルートのゴミが目立たなくなった。幾度か、国交省のパトロールカーに出会い、拾ったゴミを持っていってもらっている。国交省の職員は、「ご苦労様です」と声をかけてくれる。

少しづつ・・・少しづつ・・・塵も積もれば山となる、精神で、下宿の掃除と同じ感覚で動いている。無理をせず、一気にやってしまわなくとも、毎回、少しづつでも拾うとそれだけで綺麗になる。ウォーキングをしている人と挨拶を交わす。犬の散歩をしている人と挨拶を交わす。人によれば、「ご苦労様です」と、声をかけてくれる。

この事も「気づき」の一環であろう。
私だけではなく、見ている人も「気づき」、そして、新たな行動をとるようになると思う。
ゴミのポイ捨て。
現在は車社会です。忙しくしている人、色々な事情でゴミをポイ捨てするひとが多い。

人は「気づいて」こそ、自身の行動を変える事が出来る。規則、罰則で縛らなくとも、「気づけば」変えることが出来る。

途中のコンビにでは噂している事だと思う。
スタッフA 「最近、変なおっさんがたくさんのゴミを捨てているね」
スタッフB 「そうだね・・・なんだろう、あのおっさん。ゴミを捨てた後、シラットしてトイレで手を洗っているね。何も買わずに・・・。」
スタッフC「よっしゃ!今度来た時に、一発かましたるは!あんなおっさんに口では負けへん!」
(関西風の表現だが、おそらく、当たらずとも遠からずだと思う)

ある日、私がゴミを投棄していると

スタッフC女史「ちょっと!ちょっと!そんなゴミを入れないで!」
と、飛び出してきた。
(私自身、そろそろ来るころだと待っていた)
私「これ、家庭ごみとは違いますよ。拾ってきたゴミです。」
そして、「上記のような噂をしていたでしょう!?」と話すと、スタッフC女史は。うつむいて、「くっくっく」と笑いをかみ殺している。

私は、この時とばかり、「気づき」理論の能書きをたれようとした・・・が、
スタッフC女史は優しい声で、「手を洗ってください」と・・・。
私は出鼻をくじかれ、「はい」といい、トイレに入り手を洗う。
トイレから出ると、若い女性スタッフが居て、「ありがとうございます」と会釈をする。
私は会釈を返し、何事もなかったように店を後にする。

「気づき」とは、波動の共振・共鳴だとおもう。
言葉の波動で気づかせることも出来るが、一番大きな気づきは、行動を見ての自身のきづきだと思う。若い女性スタッフは、普段の私の行動と、店の外でのスタッフC女史との会話で、気づいたのだと思う。

「気づき」は行動を変化させる。

ポイ捨てをする人たちは、この「気づき」に気づいていない。だから、行動を変えることが出来ないのだと思う。
町のショッピングで買い物をして帰る途中、ハンバーガー屋サンの前でたむろしている高校生と思われる男の子の集団を見た。子供達は、ハンバーグを食べている。残り少なくなると、ハンバーグを手に取り、紙の包みを手放す。捨てるという行為ではない。自然と手放している。手放された紙の包みは、足元に落ち、風に吹かれて飛んでゆく。子供達には、この行為が自然になっているのです。

「気づき」とは大切であると思う。

私はゴミ拾いを意識的に遣っているわけではない。義務的でもない。「ヤルゾ〜」と力んでも居ない。
この行為が、魂的にうれしいからだと思う。
鳥達の残飯やパンをあげるのもね。
意識的、義務的に感じ始めると、長続きはしないだろう。

やはり、この旅で少しは変わったのだろう。


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記入なし やっぱいいです。 (13/05/20 20:21)
記入なし 俺を助けてください・・・。 (13/05/20 19:34)
やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (13/05/16 06:54)
夜曲 ゴミ拾いおじさん。頭が下がります。社会への奉仕ですね。あなたは霊訓を実践している、シルバーバーチの霊的真理の普及のときもそうだった。見習わなければと思います。ありがとうございます。 (13/05/16 06:38)
やまと ´З`さん ありがとうございます。行政側は、すぐに、規則・罰則を設け、精神的な牢獄を作ろうとします。しかし、一人でも多くの人が気づき、自身の意識を変えることにより、行動を変える事が出来るのです。静かな水面に落ちた小さな石の波紋が広がるようにしたいものですね。 (13/05/16 06:38)
´З` 俺も昔は平気で煙草やガムをポイ捨てしたりしとったっすが、去年、野暮用で広島に行った時コンビニの灰皿の「ポイ捨て反対!」という張り紙がしてあって。この時にとてつもなく耳が痛かったとですよ。広島といやぁ原爆が落とされたでしょうが。もの凄く心に響いたっすよ。一人一人が心掛ければ汚れんのは事実だから、早いとこ百匹目の猿現象が起こればいいですなぁ〜З (13/05/16 06:01)
ジャック ?世捨て人?何?して生きてるのか分からない。。。 (13/05/16 00:03)
やまと 記入なし さん ありがとうございます。 (13/05/16 00:01)
やまと 応援者さん ありがとうございます。物質的にはある程度の依存は仕方がないですが、精神的な独立は必要だと思う。そのためにも、精神世界に波動を拡散し、一人でも多くの人が気づき、「百匹目の猿現象」を表したいものです。 (13/05/16 00:00)
記入なし やまと、穏やかな環境に身をおけば、それほど情報に過敏にならなくてもいいと思う。日記を読んでる限り羨ましい気がする。 (13/05/15 22:58)
応援者 やまとさんのような方が増えると素晴らしい世の中になると思います。ただ大多数の人間は変われないのが現実のようですね。 (13/05/15 21:47)


 ■ 2013/05/15 (水) 下宿生活


4月から始まった下宿生活。
愛すべきおっさんたちとの下宿共同生活。おっさんたちの生活態度は・・・!?
大家さんもさじを投げていたようだ。

6畳一間風呂なし、トイレ共同。
トイレ環境、流し環境など、おっさん達らしい環境です。

私の遣るべき事が解った。
それは・・・「掃除」。

トイレ、流し、廊下、階段、玄関と、共用部分の掃除を始めた。
すると・・・大家さんが大喜びしてくれた。
おっさん連中にいくら言っても変わらなかった環境を、私は変えた。

朝、ドアをノックする音がする。
大家さん「ご飯は食べたか?これ食べ。あんたは色々としてくれるからね」
私   「ありがとうございます。」

と、大家さんは笹の葉にくるまれた地元の大福もち3個を持ってきてくれた。
次の朝、「これ食べ」とカステラを持ってきてくれた。
・・・と、椎茸の料理、新筍の料理と色々と持ってきてくれる。さすがに年季が入っている料理の腕です。本当に美味しい。ありがたく頂いています。

大家さん、ありがとうございます。

「掃除」は、私の住む環境を、私なりに綺麗にしているだけであるだけではなく、おっさん連中も汚いよりきれいな環境のほうがいいはずです。悪しき環境を断ち切り、よい環境を創る。この場合、未熟な魂の抵抗があるのだが、目に見えた抵抗はない。
私の精神修行になる。
「掃除」は。海上自衛隊に5年いて仕込まれている。私が身につけたものは、この「掃除」だけである。それでも、それが役に立つ時がきた。人様に役立てる時が来た。

「霊訓」的な、人に奉仕になる。
この事は、人間的な理解は間違うものです。巷に転がっている宗教"組織”に利用されるのですがね。誰一人として例外もなく“神聖の種子"を持っている。その“神聖の種子”に奉仕する。特定の人(宗教組織の教祖など)にではなくてね。特定の人の“神聖の種子”に奉仕するのは、心霊治療、悲しみにくれる人を元気付けるとかはありますがね。不特定多数の人の”神聖の種子”に、私の波動を送ることで、共振・共鳴をすれば、「気づき」になり、気づくと、おのずから行動が変わってきます。そして、その人自身が、新たな灯台の役割を果たすようになり、他の人に良き波動を送るようになる・・・と、思う。

ただ、存在するだけの存在を目指してはいるが、このような私自身の「気づき」も大切だと思う。

風呂は、郡山市役所の裏に、総合福祉センターがあり、そこで300円で入れる。
東北地方を回っていて気づくことは、官民に関係なく、このような浴場がある。
私も定期的に入りに言っている。
洗濯は2週間に一度の割合で、ホテルに一泊してしているし、この時にネット環境に身をおいている。


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やまと 記入なし さん ありがとうございます。 (13/05/15 19:03)
記入なし 掃除、やればすっきりするのになかなかさぼっちゃう掃除。すすんでする姿勢を大家さんもちゃんと見てますね (13/05/15 18:26)


 ■ 2013/04/30 (火) 言葉と感性と民族性と土地


       「妖怪人間」

♪ 闇に隠れて生きる 俺たち妖怪人間なのさ
  人に姿を見せられぬ 獣のようなこの身体
    
    「早く人間になりたい〜」
 
 辛い定めを吹き飛ばせー ベム ベラ ベロ 妖怪人間 ♪

現代では、姿が人間でも、心が野獣の、まさしく「妖怪」を呈している存在の多いことよ。人間もどきが増えているようだ。
誰一人として例外もなく、「神性」の種子を宿している。ミクロの世界からマクロの世界の存在総てに!
その「神性」の種子を押し込め、唯物主義の下、「命より金」「信頼より地位・名誉」・・・と、真に妖怪人間の心のごとくに振舞う。

言葉というものは大切です。
それぞれの国の、民族特有の言葉は、先祖代々伝えられてきている言葉。その民族の魂の波動を宿しているのです。苦難に満ちた民族の言葉の波動。栄光を求め、他民族を侵略してきた言葉の波動・・・それぞれに、おかれた環境、立場で発達してきているのです。優劣をつけられるのもではありません。
何故!?差をつけようとしているのか!?
この事自体が、支配というものに直結しているのだと、何故、気づかないのか!?

私自身、日本人として、日本民族、倭(大和)民族の霊性高き民族の民としての誇りがある。この事は、WW2以降の愚民化教育でも失われていない。この事は、支配競技であるオリンピックでの選手の活躍で、日の丸が上がると感動する感性に直結している。この感情は、どこの国の国民も持っているはずです。

言葉は波動。
自国の言葉は、限りない郷愁を秘めている波の連なり。
魂の響き。

言葉は大切です。
幼い時から、言葉が話せない時から、周囲から受ける影響は、「言葉」ではないか。そのような環境に置かれた影響は、その人の人生に大きな影響を与えるものです。脳の発達により、脳細胞であるニューロンの形成に影響を与え、その人の感性に大きな影響を及ぼすものになる。この事は、その土地の風土に合う感性をもたらすものになる。

世界各国を見てみても、また、日本という小さな島国を見ていても、その土地土地の方言がある。この方言は、その土地の気候・風土のよって先祖代々築かれて来た大事なものである。この事は、その人の感性の土台となっているものであり、否応もなく影響を受けるものです。その集合体が、その民族の特性として現されている。民族性です。
言葉と個人の感性と、民族性、そして、土地の風土は切っても切り離せないものです。

現在、「英語」というものに対して、特殊な動きがあると感じる。
私は、外国語を覚えることを否定しているのではない。現在の社会的な動きに危惧を持っているだけです。将来、地球人として、一種類の言葉に統合されると思う。しかし、現在の動きは、異なる方向に動いているとしか思えない。グローバル・エリート組織(=国際金融機関=武器商人=偽イルミナテイ・・・本物は、バーバリアン・イルミナテイといわれているようだ)の目標である、ワン・ワールドにおける支配体制の一環であると囁かれている・・・ようだ。この動きも、多くの影響を受け遅々と進まないようだがね。

この世界は波動で成り立っている。
あの人といると心地よい。あの人といると気持ちが悪い。このことは、視覚的情報もあるが、その人の心の波動が伝わっているのです。波動を感じ取っているのです。
その際たるものは「言葉」です。
荒々しい言葉、穏やかな言葉・・・と、色々あるが、言葉が伝えるもの(情報)は正直です。魂に響き渡るからです。過去を見ると、支配者は、支配領域の民の言葉を奪い、自分たちが使っている言葉を押し付けてきた。支配に都合がよいというだけではなく、支配する民族の魂の歴史を奪い去ったのではなかろうか。私にはそう思えて仕方がない。

「言葉」は単なる伝達手段だけではないと思う。

脱線するが・・・。
「差別」というものを考えてみたい。
「差別」というものは子孫代々に引き継がれるものです。「言葉」によって。
生まれてくる子供たちは、「差別」というものを知らない。「区別」というものすら知らない。親によって、大人によって知らしめられる。このこと良いとか悪いとかの判断が出来ない内から、「言葉」によって卑しめられる存在を教え込まれる。そして、自分で考え、判断出来ない内から、「そのようなものだと」認識させられ、そのような言動をするようになる。それが、子孫代々伝わってきている。そして、埋める事が出来ない溝をこしらえる。

子供の感性は鋭敏です。
多くの大人は忘れ去っているのですが、大人の誰一人として例外もなく、子供の時を過ごしてきているのです。子供たちは、親の、大人の言動を見て、感じて取り入れているのです。良い悪いの判断がつかないから、総てを取り入れているのです。無意識のうちにね。
この重要性がわからない人が多い。そして、現代のたいそうな肩書きの人が、「子供」社会の「いじめ」につして語っている。まずは「大人社会」の大人たちが襟を正さなければならないのではないか。そのような子供教育をしてきているのだからね。
大人社会のいじめは実態はどのようなものなのか!?
自殺、鬱病、出社拒否・・・と、色々とある。
大人だから、大人の事情により、自己責任にされている。しかし、子供たちは見ています。聞いています、感じています。大人の言動をね。

「子供の社会」は「大人の社会」の映し鏡です。

自分たちの責任(原因)で起きている減少(結果)を、何食わぬ顔をして語っている姿を見ると、真に妖怪人間そのものであると感じる。
これも、これまでに、着々と策を弄し、教育してきた支配階級の成果であろう。

「言葉」は大切です。
何気ない言葉に傷つく・・・励まされる・・・力づけられる・・・と、言葉が持つ波動の力は大きなものがあります。外国語で中傷される事と、自国語で中傷される事の差は大きなものがあります。それは、生まれ育った環境により形作られたものだからです。だからこそ、「言葉の乱れ」は、その社会の乱れに直結するのです。言うならば、社会の波動の低下です。

そうそう、最近流行の「デイベート」というものがある。
相手を中傷、罵倒しながら交渉を有利に運ぶ話法ですね。日本にとっては、とんでもないものです。なぜならば、相手の心中を思いやるどころか、総てを採取(破壊)しようとする話法です。日本イは「惻隠の情」という、弱者に対しての思いやりの心があり、「ほどほど」という気持ちの持ち方がある。180度異なったものです。相手を打ち破り、支配しようとする動きです。

そして、「言葉」と同じくらい大きな影響力があるのが「音楽」です。
「音楽」は、波動そのものです。

現在の芸能界を見ていると、やたら美形であり、女子にいたっては、やたら肌を露出してセックスアピールをしています。これも、動物的欲情を誘う波動を発散していますね。
しかし、本当の音楽とはいったいどのようなものなのかを、しっかりと考え、感じ、判断する必要があるのではなかろうかと、放浪おじさんは考える。


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やまと 夜曲さん こんにちは おりがとうございます。 私にとって、情報を遮断している期間は貴重になっています。経済的なものもあるし、下宿先の都合もあります。テレビ、ラジヲ、電話、パソコン・・・など、何もない生活です。案外楽しいものです。 (13/05/15 16:07)
夜曲 パソコン設置はできないんですか?やまとさんの言葉は僕の楽しみのひとつです。^^ (13/05/02 10:18)


 ■ 2013/04/16 (火) 御蔭様です


6畳一間の生活が半月過ぎた。
極力干渉しない、されないようにしている。
入居した時、

大家さん 「あんた、布団が無いけどどうするの!?」
私    「防寒着があるから大丈夫です」
大家さん 「使っていない布団が有るけど使うか!?」
私    「えっ!?(嬉 貸していただけるならば助かります。ありがとうございます」 
大家さん 「くれてやるよ(方言でしょうね。あげるという意味と感じている)。後から持っていってやるよ」
私    「ありがとうございます」

実際、雨露が凌げ、誰にも文句を言われない場所の確保を最優先にしていたから、本当に嬉しいものです。大家さんには、何時旅たつか判らないから家財道具は揃えないと言う事を断っている。大家さんも了解してくれている。

こんなにもスムーズに流れるとはね・・・!?
私には、まだ為さねばならない事が残っているのでしょうね。
旅に出る前のマンション売却時も、売り出してから10日で買い手が決まった。待っていたかのようなスムーズな流れでした。目には見えない世界の同胞の準備でしょうね。

大家さんから貸してもらった布団をかぶり、暖かく眠れる。ありがとうございます。

(テレビ、ラジヲは無いから、定期的なホテルでのネット情報の収集になる。洗濯を兼ねての一泊のホテル宿泊。トラブルがなければ、当分の間、このような流れになる。カルト宗教では、外部の情報を遮断して洗脳を行うが、自らの意思でこのような状況になると、頭の中の妄想を整理する時間が取れる。)

郡山では、風の強い日が多く、まだ寒いにも多い。
相変わらずの図書館通い。
震災、原発、放射能関係の資料を読んでいるが、「シルバーバーチの霊訓」があったので、改めて読み直している。やはり、私にはこの本が適している。昔読んだ時の感覚と、今読んで感じることが異なっている。当然といえば当然ですね。安穏とした昔の環境での感覚ではなく、私的に厳しい状況下を通り抜けた現在の心境は異なっている。

チャネリング関係の情報も読んでいるが、現在の私の心理状態は、未来人がどうの、未来の技術がどうのというようなチャネリング内容は、どうでもよいように感じている。今を生きる・・・どのように生きるかが大切である。という意味では、「森を見て木を見る」のianさんの内容がしっくりとくる。万年素人氏の統率者と計画者とか、未来からの旅人とかという内容の掲載があるが、「それでどうするの!?」という感じですね。それよりかは、今、自身がどのように意識して生きるかの方が大切に感じている。(万年さん、批判的なものではないのでご容赦を!安穏と生きていた昔の非常に興味が引かれた内容です)万年氏の家庭環境も大変らしいが、それ自体、自らの計画のうちですからね。がんばって自ら課したハードルを越えてもらいたい。万年氏本人は自覚されていることと思うがね。

図書館で読書をしていると、部屋を紹介してくれて、送迎してくれた老人が来て、「桜を見に行かないか!?」と、誘ってくれた。
時間だけはたっぷりとあるから、私は喜んで行った。
郡山市の有名な桜の名所らしい。
「笹原川千本桜」という所らしい。環境的に良い所ですが、桜自体はまだ蕾であった。ウォーキングしている地元のご婦人と話す機会があった。その地域の放射線量は0.5〜3μSv/h位あるらしい。私と同年代のご婦人はネット情報を得ているので、私が話す内容(スピリチュアル、陰謀論混在)にある程度理解を示してくれる。地元の人に聞かなければわからないことがあるから大変貴重な時間をすごさせていただいた。その後婦人は、私の旅に非常に興味をもたれたようだ。パートナーが、私がしたような旅をしたがっているらしい。しかし、家庭を持ち、子供を育てるという大きな仕事があるからね。一段落したら、車(車中泊)で回られてもよいと思う。実際お会いした、そのような熟年のカップルは多くいますからね。

地元の老人は、いろいろと車で連れて行ってくれる。
弘法大師由来の湧き水を飲みに行った。行く時、ちょっと放射能が高いけどねっと、笑いながら話している。
ありがたいことです。


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やまと ふわりさん こんにちは そうですか!?そうかもしれないね。雨露を凌げ、出て行け!と文句を言われない場所を確保できているからね。察していただいて、ありがとうございます。 (13/04/30 22:13)
ふわり なんだかすっきりされましたか?以前と文章の感じがちょとかわったきがします^^ (13/04/17 03:47)


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