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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/04/30 (火) 言葉と感性と民族性と土地


       「妖怪人間」

♪ 闇に隠れて生きる 俺たち妖怪人間なのさ
  人に姿を見せられぬ 獣のようなこの身体
    
    「早く人間になりたい〜」
 
 辛い定めを吹き飛ばせー ベム ベラ ベロ 妖怪人間 ♪

現代では、姿が人間でも、心が野獣の、まさしく「妖怪」を呈している存在の多いことよ。人間もどきが増えているようだ。
誰一人として例外もなく、「神性」の種子を宿している。ミクロの世界からマクロの世界の存在総てに!
その「神性」の種子を押し込め、唯物主義の下、「命より金」「信頼より地位・名誉」・・・と、真に妖怪人間の心のごとくに振舞う。

言葉というものは大切です。
それぞれの国の、民族特有の言葉は、先祖代々伝えられてきている言葉。その民族の魂の波動を宿しているのです。苦難に満ちた民族の言葉の波動。栄光を求め、他民族を侵略してきた言葉の波動・・・それぞれに、おかれた環境、立場で発達してきているのです。優劣をつけられるのもではありません。
何故!?差をつけようとしているのか!?
この事自体が、支配というものに直結しているのだと、何故、気づかないのか!?

私自身、日本人として、日本民族、倭(大和)民族の霊性高き民族の民としての誇りがある。この事は、WW2以降の愚民化教育でも失われていない。この事は、支配競技であるオリンピックでの選手の活躍で、日の丸が上がると感動する感性に直結している。この感情は、どこの国の国民も持っているはずです。

言葉は波動。
自国の言葉は、限りない郷愁を秘めている波の連なり。
魂の響き。

言葉は大切です。
幼い時から、言葉が話せない時から、周囲から受ける影響は、「言葉」ではないか。そのような環境に置かれた影響は、その人の人生に大きな影響を与えるものです。脳の発達により、脳細胞であるニューロンの形成に影響を与え、その人の感性に大きな影響を及ぼすものになる。この事は、その土地の風土に合う感性をもたらすものになる。

世界各国を見てみても、また、日本という小さな島国を見ていても、その土地土地の方言がある。この方言は、その土地の気候・風土のよって先祖代々築かれて来た大事なものである。この事は、その人の感性の土台となっているものであり、否応もなく影響を受けるものです。その集合体が、その民族の特性として現されている。民族性です。
言葉と個人の感性と、民族性、そして、土地の風土は切っても切り離せないものです。

現在、「英語」というものに対して、特殊な動きがあると感じる。
私は、外国語を覚えることを否定しているのではない。現在の社会的な動きに危惧を持っているだけです。将来、地球人として、一種類の言葉に統合されると思う。しかし、現在の動きは、異なる方向に動いているとしか思えない。グローバル・エリート組織(=国際金融機関=武器商人=偽イルミナテイ・・・本物は、バーバリアン・イルミナテイといわれているようだ)の目標である、ワン・ワールドにおける支配体制の一環であると囁かれている・・・ようだ。この動きも、多くの影響を受け遅々と進まないようだがね。

この世界は波動で成り立っている。
あの人といると心地よい。あの人といると気持ちが悪い。このことは、視覚的情報もあるが、その人の心の波動が伝わっているのです。波動を感じ取っているのです。
その際たるものは「言葉」です。
荒々しい言葉、穏やかな言葉・・・と、色々あるが、言葉が伝えるもの(情報)は正直です。魂に響き渡るからです。過去を見ると、支配者は、支配領域の民の言葉を奪い、自分たちが使っている言葉を押し付けてきた。支配に都合がよいというだけではなく、支配する民族の魂の歴史を奪い去ったのではなかろうか。私にはそう思えて仕方がない。

「言葉」は単なる伝達手段だけではないと思う。

脱線するが・・・。
「差別」というものを考えてみたい。
「差別」というものは子孫代々に引き継がれるものです。「言葉」によって。
生まれてくる子供たちは、「差別」というものを知らない。「区別」というものすら知らない。親によって、大人によって知らしめられる。このこと良いとか悪いとかの判断が出来ない内から、「言葉」によって卑しめられる存在を教え込まれる。そして、自分で考え、判断出来ない内から、「そのようなものだと」認識させられ、そのような言動をするようになる。それが、子孫代々伝わってきている。そして、埋める事が出来ない溝をこしらえる。

子供の感性は鋭敏です。
多くの大人は忘れ去っているのですが、大人の誰一人として例外もなく、子供の時を過ごしてきているのです。子供たちは、親の、大人の言動を見て、感じて取り入れているのです。良い悪いの判断がつかないから、総てを取り入れているのです。無意識のうちにね。
この重要性がわからない人が多い。そして、現代のたいそうな肩書きの人が、「子供」社会の「いじめ」につして語っている。まずは「大人社会」の大人たちが襟を正さなければならないのではないか。そのような子供教育をしてきているのだからね。
大人社会のいじめは実態はどのようなものなのか!?
自殺、鬱病、出社拒否・・・と、色々とある。
大人だから、大人の事情により、自己責任にされている。しかし、子供たちは見ています。聞いています、感じています。大人の言動をね。

「子供の社会」は「大人の社会」の映し鏡です。

自分たちの責任(原因)で起きている減少(結果)を、何食わぬ顔をして語っている姿を見ると、真に妖怪人間そのものであると感じる。
これも、これまでに、着々と策を弄し、教育してきた支配階級の成果であろう。

「言葉」は大切です。
何気ない言葉に傷つく・・・励まされる・・・力づけられる・・・と、言葉が持つ波動の力は大きなものがあります。外国語で中傷される事と、自国語で中傷される事の差は大きなものがあります。それは、生まれ育った環境により形作られたものだからです。だからこそ、「言葉の乱れ」は、その社会の乱れに直結するのです。言うならば、社会の波動の低下です。

そうそう、最近流行の「デイベート」というものがある。
相手を中傷、罵倒しながら交渉を有利に運ぶ話法ですね。日本にとっては、とんでもないものです。なぜならば、相手の心中を思いやるどころか、総てを採取(破壊)しようとする話法です。日本イは「惻隠の情」という、弱者に対しての思いやりの心があり、「ほどほど」という気持ちの持ち方がある。180度異なったものです。相手を打ち破り、支配しようとする動きです。

そして、「言葉」と同じくらい大きな影響力があるのが「音楽」です。
「音楽」は、波動そのものです。

現在の芸能界を見ていると、やたら美形であり、女子にいたっては、やたら肌を露出してセックスアピールをしています。これも、動物的欲情を誘う波動を発散していますね。
しかし、本当の音楽とはいったいどのようなものなのかを、しっかりと考え、感じ、判断する必要があるのではなかろうかと、放浪おじさんは考える。


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やまと 夜曲さん こんにちは おりがとうございます。 私にとって、情報を遮断している期間は貴重になっています。経済的なものもあるし、下宿先の都合もあります。テレビ、ラジヲ、電話、パソコン・・・など、何もない生活です。案外楽しいものです。 (13/05/15 16:07)
夜曲 パソコン設置はできないんですか?やまとさんの言葉は僕の楽しみのひとつです。^^ (13/05/02 10:18)


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