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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/05/15 (水) ゴミ拾いおじさん


阿武隈川沿いに下宿している。
自然豊かな川です。鶯が鳴き、雉が鳴いている。名前も知らない鳥の囀り、黒いアゲハチョウが舞い、白や黄色のモンシロチョウが舞っている。夕方、阿武隈川の畔のベンチに座り、夕暮れを楽しんでいると、カッコウが鳴いている。ツバメが飛び交っている。本当に自然豊かな所です。

しかし、散策していると目に付くのがゴミです。
ゴミ拾いをはじめた。

少なくとも、私が通る道筋のゴミを拾い始めた。
特に、橋の下などにはゴミが集積している。無理をせず、一袋ぐらいのゴミを毎日拾い集め、途中にあるコンビニのゴミ箱に投棄している。およそ一月で、歩くルートのゴミが目立たなくなった。幾度か、国交省のパトロールカーに出会い、拾ったゴミを持っていってもらっている。国交省の職員は、「ご苦労様です」と声をかけてくれる。

少しづつ・・・少しづつ・・・塵も積もれば山となる、精神で、下宿の掃除と同じ感覚で動いている。無理をせず、一気にやってしまわなくとも、毎回、少しづつでも拾うとそれだけで綺麗になる。ウォーキングをしている人と挨拶を交わす。犬の散歩をしている人と挨拶を交わす。人によれば、「ご苦労様です」と、声をかけてくれる。

この事も「気づき」の一環であろう。
私だけではなく、見ている人も「気づき」、そして、新たな行動をとるようになると思う。
ゴミのポイ捨て。
現在は車社会です。忙しくしている人、色々な事情でゴミをポイ捨てするひとが多い。

人は「気づいて」こそ、自身の行動を変える事が出来る。規則、罰則で縛らなくとも、「気づけば」変えることが出来る。

途中のコンビにでは噂している事だと思う。
スタッフA 「最近、変なおっさんがたくさんのゴミを捨てているね」
スタッフB 「そうだね・・・なんだろう、あのおっさん。ゴミを捨てた後、シラットしてトイレで手を洗っているね。何も買わずに・・・。」
スタッフC「よっしゃ!今度来た時に、一発かましたるは!あんなおっさんに口では負けへん!」
(関西風の表現だが、おそらく、当たらずとも遠からずだと思う)

ある日、私がゴミを投棄していると

スタッフC女史「ちょっと!ちょっと!そんなゴミを入れないで!」
と、飛び出してきた。
(私自身、そろそろ来るころだと待っていた)
私「これ、家庭ごみとは違いますよ。拾ってきたゴミです。」
そして、「上記のような噂をしていたでしょう!?」と話すと、スタッフC女史は。うつむいて、「くっくっく」と笑いをかみ殺している。

私は、この時とばかり、「気づき」理論の能書きをたれようとした・・・が、
スタッフC女史は優しい声で、「手を洗ってください」と・・・。
私は出鼻をくじかれ、「はい」といい、トイレに入り手を洗う。
トイレから出ると、若い女性スタッフが居て、「ありがとうございます」と会釈をする。
私は会釈を返し、何事もなかったように店を後にする。

「気づき」とは、波動の共振・共鳴だとおもう。
言葉の波動で気づかせることも出来るが、一番大きな気づきは、行動を見ての自身のきづきだと思う。若い女性スタッフは、普段の私の行動と、店の外でのスタッフC女史との会話で、気づいたのだと思う。

「気づき」は行動を変化させる。

ポイ捨てをする人たちは、この「気づき」に気づいていない。だから、行動を変えることが出来ないのだと思う。
町のショッピングで買い物をして帰る途中、ハンバーガー屋サンの前でたむろしている高校生と思われる男の子の集団を見た。子供達は、ハンバーグを食べている。残り少なくなると、ハンバーグを手に取り、紙の包みを手放す。捨てるという行為ではない。自然と手放している。手放された紙の包みは、足元に落ち、風に吹かれて飛んでゆく。子供達には、この行為が自然になっているのです。

「気づき」とは大切であると思う。

私はゴミ拾いを意識的に遣っているわけではない。義務的でもない。「ヤルゾ〜」と力んでも居ない。
この行為が、魂的にうれしいからだと思う。
鳥達の残飯やパンをあげるのもね。
意識的、義務的に感じ始めると、長続きはしないだろう。

やはり、この旅で少しは変わったのだろう。


お名前   コメント

記入なし やっぱいいです。 (13/05/20 20:21)
記入なし 俺を助けてください・・・。 (13/05/20 19:34)
やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (13/05/16 06:54)
夜曲 ゴミ拾いおじさん。頭が下がります。社会への奉仕ですね。あなたは霊訓を実践している、シルバーバーチの霊的真理の普及のときもそうだった。見習わなければと思います。ありがとうございます。 (13/05/16 06:38)
やまと ´З`さん ありがとうございます。行政側は、すぐに、規則・罰則を設け、精神的な牢獄を作ろうとします。しかし、一人でも多くの人が気づき、自身の意識を変えることにより、行動を変える事が出来るのです。静かな水面に落ちた小さな石の波紋が広がるようにしたいものですね。 (13/05/16 06:38)
´З` 俺も昔は平気で煙草やガムをポイ捨てしたりしとったっすが、去年、野暮用で広島に行った時コンビニの灰皿の「ポイ捨て反対!」という張り紙がしてあって。この時にとてつもなく耳が痛かったとですよ。広島といやぁ原爆が落とされたでしょうが。もの凄く心に響いたっすよ。一人一人が心掛ければ汚れんのは事実だから、早いとこ百匹目の猿現象が起こればいいですなぁ〜З (13/05/16 06:01)
ジャック ?世捨て人?何?して生きてるのか分からない。。。 (13/05/16 00:03)
やまと 記入なし さん ありがとうございます。 (13/05/16 00:01)
やまと 応援者さん ありがとうございます。物質的にはある程度の依存は仕方がないですが、精神的な独立は必要だと思う。そのためにも、精神世界に波動を拡散し、一人でも多くの人が気づき、「百匹目の猿現象」を表したいものです。 (13/05/16 00:00)
記入なし やまと、穏やかな環境に身をおけば、それほど情報に過敏にならなくてもいいと思う。日記を読んでる限り羨ましい気がする。 (13/05/15 22:58)
応援者 やまとさんのような方が増えると素晴らしい世の中になると思います。ただ大多数の人間は変われないのが現実のようですね。 (13/05/15 21:47)


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