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爺放談 |
■ 2014/08/12 (火) 公娼制度という物 |
朝日新聞社がとうとう捏造記事だったことを認めた。
もちろんこの事を全面的に認めた訳でもなく全くの謝罪も無く朝日らしい言い訳だらけの記事ではあるがそれでもこれは歴史的快挙だと思う。 この事に対して当然色々な人々がコメントを出している。 そんな中でも私が気になるのは「橋下市長」の発言である。 彼の「従軍慰安婦」に対してのコメントは基本的にはこういう事だろう。 1.慰安婦と言う存在が有った事は歴史上まぎれもない事実である。 2.しかしこれは日本特有の事ではなく、これまでの「戦争」という行為全てに有った事実である 3.この事実に対して現在、日本が世界で喧伝されている内容「国家としての強制実行」「奴隷的支配」「ナチスドイツのホロコースト」は事実に反する。 4.現在、世界に喧伝されている日本国に対して事実に反する不当な意見に対しては毅然と対応するべきである。 5.しかし「慰安婦」という必要悪を認めるものではない。 6.当時の痛ましいこの事実に対しては「道義上」国家としてある一定の謝罪と責任は有する。 7.この事実は全世界が認めるべきでこの問題に対しては世界が今後憂慮するべき問題である。 以上が橋下市長の言い分であるように思う。 確かに私も認めるように思うがただ一つ違和感がどうしてもある。 それは5番の「慰安婦」という必要悪を認めるものではないである。 これはどうであろうか? 慰安婦、要するに「売春」であるがなぜこれが認められないのであろうか? 一説には「売春」は世界最古からある職業とも言われていることで、いわゆる経済の原点である「需要と供給」が人類の歴史上初めて成り立った職業と言う事だ。 これの何がいけないのだろう。 実際確認している訳ではないが多分これこそ全世界が共通にある職業であろうと思うが何故この職業がいけないのか? ま〜現在の日本ではこの職業は法律上認めていない、だからわざわざこんな事を言っているのか? それとも先進国である以上この行為を認める事は野蛮で倫理上よくない事だからか? はたまたこれを言う事で自分は紳士であることをアピールしたいのか? 公娼制度は現代でも多くの国々が認めている。 特にヨーロッパではほとんどの国々が認めている職業である。 これを踏まえると橋下市長は世界に向け少しピントがずれた意見を表明したことにならないか? なぜならそれが戦地であろうが何であろうが慰安婦は「売春」であって立派な職業であるし、多くの国々はその職業を認めているからだ。 その事を踏まえると橋下市長が言っている事の上記5番以降のくだりは全く言う必要が無いし更に言うなら日本国内ならまだしも世界に向けて言う必要は全く無い。 もっと深堀すれば、上記の3番を踏まえるなら慰安婦は立派な売春でしかなく、当時の韓国は公娼制を認めていた訳だから道義上も何の問題も無い、それこそ当時の日本軍は何も疾しくなく、日本国政府も何の落ち度も無いわけであるからもっと毅然とすればいいだけの事である。 更に橋下市長は言う、「当時は悲しい時代で世界各国が戦地においてこの問題を抱えていた」などと言う。 当時もくそも現在も公娼行為は世界各国に存在し、立派にビジネスとして成り立っている。 そこが戦地であろうが無かろうが「需要と供給」がそこにあるならそれはもう立派なビジネスでしかないのだ。 橋下市長の言い分では「公娼制」そのものを「卑しい職業」と言っている事と同義で、公娼制度を認めている国にとってはそう取られても仕方がない言い分になってしまうのではなかろうか? 事実上は日本でも公娼制は成立している事を橋下市長が知らない訳ではないだろう。 確かに近代社会において、この職業が立派であるという訳ではないがだからとてわざわざ5番以降のくだりは言う必要などない。 人権派を装いたいのか人格者を装いたいのか実に鼻に着く言い分である事と、このくだりにおいて世界に余計な事を発信したことになる。 現在の日本が世界に発信する事は上記の3と4だけで良く、しかも朝日新聞社がある意味自身の非を認めているのだからこれを機に畳み込むように世界に発信するべきで、本当に余計な綺麗事と言う訳の分からないごたくは全くいらない。 間違ってはいけない事は 公娼制度「売春」はどの時代であっても存在し、どの様な理屈を構築しようが古来から存在する純粋な「需要と供給」という職業であるという事だ。 |
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■ 2014/08/07 (木) 猟奇事件という背景 |
サイコパス
この言葉が躍り出てからという物なんらかの猟奇事件が発生するとまた「サイコパス」 なんかこの言葉から連想することは何やら一種の恐怖を増幅させるような言葉として印象づく。 しかし考えてみればこの様な猟奇事件は現在特有の物であろうか? 私はむしろこの様な猟奇事件は昔に遡れば登るほど多くあったように思う。 私の記憶上では「連合赤軍」の狂気などもある意味「サイコパス」ではなかろうか? 更に言うなら「戦争」なども広い意味で国家が繰り広げる「サイコパス」なのではなかろうか? イデオロギーの前では人命などたかが知れている、国家が許容する殺人・・・ 「人を殺してみたい」 この様な思考は別に今に始まった訳ではない。 人を殺すことにある種の「快感」を伴う人達は遠く過去から存在し、その特殊思考を持った人の前で過去から多くの犠牲者はその餌食となった。 フレデリック・フォーサイスという小説家が居た。 彼は自作の小説に現実味を持たせるために実際彼の自費で傭兵部隊を雇い人殺しの現実を自身の小説に盛り込んだ。 彼の作品は映画化もされ、その作品は多くの人々から絶賛されてある種のカリスマ性をも得ている。 この行為はいかがな物だろうか? 西部開拓のためアメリカ人によるインディアンの大量虐殺などはどうだろうか? 「ポルポト」「アミン」「毛沢東」などは・・・ そこに大義があるかどうか?そこにある種の意味があるかどうか? それが「サイコパス」と言われる殺人とそうではない殺人と分かれるのだろうか? 「強盗殺人」 これはどうであろうか? 確かにこの行為は分かり易く、何かを盗むために人を殺すという事だから目的意識が明確でこの事件には「サイコパス」という言葉は当てはまらないのだろう。 しかしよく考えると、ほとんどの人達は何かを盗むという行為をしないししかもその為に人を殺すなど有りえないだろう。 その意味では「強盗殺人」も「サイコパス」の括りに入れても全く差支えないはずではないだろうか? 結局は、「殺人」と言う行為はただ単に「欲望」と言う事に忠実に行った結果だという事でしかなく、どの「殺人事件」も「サイコパス」と言って良いのではないだろうか? その残虐性、特異性などは本来「殺人」と言う行為において論じても大した意味など無く、「いじめ」の心理追求と同じでなんの効力も持たない。 「殺人」に対して人の英知が出来うる最大の防御策はその結果においての「対処法」でしかない。 では何故この様な行為の過程や心理追求をするのであろうか? 特に猟奇性の高いものについては嫌と言うほど報道に熱が入る。 これはただ単に 「面白い」からでしかない。 所詮は対岸の火事でやじうま根性の感情をくすぐったものでしかないのだ。 「サイコパス」などと言う御大層なネーミングまで付け、その猟奇性を最大限引き出し、お祭りが如く世間を騒がす。 この報道姿勢とそれに群がる国民性が更にこの猟奇殺人に彩りをつけて注目を掻き立てて面白さに拍車をかける。 そしてお決まりの様に精神学者が湧いて出て事件を面白おかしく評論をし、そしてまたお決まりの様に「世間」「社会」「風俗」などを批判対象にする。 毎度毎度ばかばかしいこのお芝居はどこまで続くのか? カナダではどの様な形の殺人事件も報道のメインにはならない。 カナダでは殺人事件は3面記事になるのだ。 これはカナダの報道姿勢がワザとそうさせている。 これには深い理由があって殺人事件の「猟奇性」「狂気性」「残虐性」問わずどれも報道時間を短く設定し詳しく報道しないよう報道協定を結んでいる。 この試みの基本理念は「連鎖事件」を極力抑えるという効果を期待した試みだ。 この試みが結果として効果があるかどうかはさておきカナダは銃の規制が無く、一般庶民が簡単に銃を所持できる最大国家だ。 一つの家庭が所持する銃の本数の割合が世界一多い、アメリカをも凌ぐ銃所持国家なのだ。 しかし銃による殺人事件は極めて少なく、国家の安全度は日本と同等もしくは日本より安全とまで言われている。 同じ銃所持国家であるアメリカとは雲泥の差である。 ではこのアメリカとカナダ、同じ大陸で地続きの国家、しかも同じ白人国家で何がここまで差が出てしまっているのか? これは単衣に報道の姿勢だという結論が出ている。 アメリカも日本同様「殺人事件」に対する報道姿勢は全く同じで、猟奇事件に至ってはそれこそ事細かく報道し、お馴染みの「精神学者」と言われる人々が三文芝居を繰り広げる。 恐怖心を煽り、その中にも娯楽性を取り入れ、他者との信頼感をも失墜させるこの報道姿勢と、それに何の危険性も感じない民度、これが実は一番危険なのではないだろうか? 国民のモラル、特に先進国と言われそこに住んでいる国民のモラルとはいったい何なのだろうか? 「サイコパス」 実はこの病に侵されているのはこの様な報道姿勢にこそあって、それに何の疑問も持たない国民の民度が本当のサイコパスなのだろう・・・・ |
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はいむるぶし 腐敗官僚さん どひゃ〜〜〜!そうだったのですか!わたしの勘違いですね!そうなんですねカナダは銃規制がアメリカよりも厳しいんですね〜・・確か私の記憶上では銃所持率はアメリカより高いと記憶していたのですがそれも違うのですかね?ま〜何にしろ許してちょ!^^ (14/08/12 18:22)
はいむるぶし まりあっち お・お・男に寄生〜〜〜!私に!是非ともわたくしめにも寄生よろしく!防衛モニター?何を防衛しようというのですか〜?ひょっとして・・お・と・こ・・・!^^ (14/08/12 18:19) 腐敗官僚 銃規制ですがカナダはむしろアメリカより厳しいらしいですね。アメリカから密輸入されるくらいですから。スイスが申告制で簡単に銃が自由に購入できるそうです。・・・そして、日本が世界一、銃規制が厳しいのですよw もう難関資格といってもいいかもw (14/08/07 22:15) 腐敗官僚 サイコパスな犯罪者は”人”でない別のなにかの生物という認識でいいと思います。しかしながら殺人に銃が使われるのは非常に残念な事です。猟銃を嗜む身なので全く理解できない事です。 猟銃は所有し慈しむ要素があり、それは高級腕時計を所有する事にも似ていると思います。例えばイタリア・サバッティ社製で1千万円近くする散弾銃を特注で所持している方がおられますが工芸品の域の代物です。はいむるぶしさんも如何でしょう? もっとも、犯罪に銃を使用する輩からの盗難対策に関しては万全の構えで臨む必要がありますが・・・。 (14/08/07 22:01) まりあ 私は寄生型サイコパスかも?! 男に寄生いたしますwww そうそう、わたくし、防衛モニターに応募したのよ^^ 防衛とかあまり知らないわたくしですが採用されるかしら〜^^; 採用された時はまたお知らせしますわね(*^_^*) (14/08/07 21:10) |
■ 2014/08/01 (金) 恋愛論! |
よく人から私の恋愛観に異をとなえられる。
私自身はそれほどおかしいと思わないのだがこれほど違和感を持たれるという事は多分おかしいのだろう。 私の持つ恋愛観の基本スタンスは 「自由」 これが基本だ。 であるから私は基本的には嫁やこれまでのお付き合いした全ての女性達にほとんどにおいて「自主」を促している。 例えば「遊び」に関する事や「経済」に関する事も全ては「自主」に任せてあり、いちいち聞いてこなくとも自分で判断して行動して頂いている。 その中で、何か問題が生じた場合は基本的には自分で判断し解決する事が大前提だが自分では手に余る事はもちろん相談には乗るがやはり基本的には自身で解決して頂くよう促す。 この様なスタンスはもちろん自分にも言える事で、私も自分に起こる出来事についてはあまり嫁には関わらせることが無い。 ま〜要するに「縛らない」という恋愛観だ。 これを言うと大方の人達は「冷たい」とか「愛情が乏しい」とかの意見を頂くが果たしてそうだろうか? 巷で良く言われ「別れ」の要因として上げられる「縛り」がキツイのとどっちがダメなのか? また、良く言われる「適度」という物を上げてくる人も多いがこの「適度」とはどの様な状態を指すのかあまりにも曖昧で分かりにくい。 私はよく思う事がある。 私とお付き合いした女性達は本当に楽だと思う。 なにせほとんどの事において文句を言ったことが無い。 旅行に行くと言えば 「いってらっしゃい!楽しんでおいで!^^」 今日友達と飲みに行ってくる 「いってらっしゃい!楽しんでおいで!^^」 今日は遅くなる 「はい!^^」 今日これを買ってきた 「良かったね!^^」 などなど・・・ 上記の事だけを見れば何か冷たいように見えると思うが普段の会話もちゃんと有ったうえでの話だ。 しかしほとんどの人達にこれを言うと 「これじゃ嫁が浮気するぞ!」 と、大抵言われるが、しかし私のこのスタンスは嫁に限らずこれまでお付き合いした全ての女性達も同じスタンスだったが私の知る範囲では「浮気」された形跡は全くなかった。 もちろん女性達がばれない様に上手くやっていたのかもしれないが私にとってはそんな事自体それほど問題意識が無い。 なぜなら私自身が浮気をするのでこの事を責める資格が無い。 さらに突っ込んでいうなら 浮気なんてものは「抑止力」など無いと思っているからだ。 ただしこれは思う事がある。 私の様なスタンスは実は結構「抑止力」となっているのかもしれない・・と思っている。 私の経験上だが「縛り」の強い家庭やカップルほど女性の浮気が多いように思うからだ。 現実に私の知人や友人に「縛り」が強い傾向にある方たちほど浮気をされている。 大方の女性達は真理として「愛情」が恋愛の基軸となっている。 また、大方の女性達は「無い物ねだり」が強い傾向がある。 女性の多くは「満たされたもの」についてはそれ自体を有り難いと思える期間は個人差はあるが男性より短く、その期間が満了すればそれはもう「当たり前」となってしまい、こうなってはもうそれ自体に有り難さなど皆無となってしまう。 縛るつける傾向の強い男性は、初めは女性の方も「愛情」の一環として受け入れてはくれるがそれがある時を持って「期間満了」となった時、その愛情は「拷問」と化けたりする。 そうすると女性は新たな「愛情」を模索しだす。 本当はすぐ傍に「愛情」が溢れるほどあるのだが「当たり前」となってしまったその愛情は女性達にとってもうそれは「エゴ」という不快の物でしかなくなるのだ。 そうなると女性特有の「無い物ねだり」の特性が大いに働き、それが浮気となったり破局となったりする。 この様な実例はたくさん見てきた。 その意味において、私の恋愛スタンスはある意味「抑止力」となっているかもしれない。 また、私の恋愛スタンスの根底をなすものがある。 それは「ゲーム」と言う感覚だ。 恋愛に「相思相愛」など有りえないというスタンスだ。 簡単に言うと恋愛は「勝ち負け」なのだ。 で、その恋愛を長く続ける策は「男が勝ち組になるという事」 これは先述してあるが、女性は「無い物ねだり」である。 恋愛において「勝ち組」とは愛されている側のことで逆に「負け組」とは愛する側だ。 負け組である愛する側は常に愛を欲している側でもある。 女性の恋愛基本である「愛情」が満たされていない状態、これは「無い物ねだり」の中で も一番重要な「無いもの」である。 この状態の女性は大抵男性側にあらゆる手段を講じて「愛情」を求めてくる。 しかもこの状態では他の男性に目移りもほぼしないし出来ない。 であることから、恋愛を長く維持したい秘訣はこの恋愛ゲームに勝つことが必須である。 ではこのゲームに勝つにはどうすればいいのか? これはあくまでもお付き合いが始まった事が前提だが実に簡単で 「媚びない」 これに尽きる。 彼女を喜ばせよう!とか彼女を大事にしよう!とかはその一瞬の自己満足や愛情の押し付けでしかない。 これは短期的な持続性の無い愛情表現でしかなく、最悪な事にこれを持続すればするほど女性にとっては「当たり前」という満期期間を早めるだけでしかなく良い結果は往々にして期待できない。 重要な事は「愛情」の空腹状態、出来れば理想的なのはほんの少し食べたら余計にお腹が空いた様な状態が理想的だ。 これを実践的に言えば、極まれに何かをプレゼントしたり、どこかに旅行に行ったりすること、しかしそれをすることで注意が必要で、それをする時は「必然性」があってはならない。 例えば「誕生日」や付き合った記念日などの様な「必然性」があってはその目論見は無駄に終わる。 あくまでも「印象付け」が最も重要で、それをすることの最大の効果は「突然」でなければ意味が無い。 必然が有っては心の準備がある分効果は薄くなるし、更に付け加えるなら必然性があるときに何も無いという効果も結構このゲームには得点として高い。 安心と不安を提供する事でゲームの主導権はかなり有利に運べるようになる。 そこさえ押さえれば恋愛や結婚は維持しやすく、逆を言えばそこを抑えずに男性が自分の欲望や愛情をそのままを女性に突きつければ維持する事は困難であると思う。 ま〜これには異論反論が出てきそうだが・・・ これは格言として 「女性を満腹にしてはいけない!」 これはそれほど間違っていないように思うが・・・・ |
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はいむるぶし 腐敗官僚さん いやいや!おさがり大歓迎ですよ!「ねだる」は私自身の中にもアイテムとしてはありませんね〜!ねだられる事はよくありますが・・!^^ (14/08/07 19:18)
はいむるぶし まりあっち うひゃ〜〜〜!そうでした!まりあっちも見ているのでした!いやいやいや・・・これはもちろんまりあっちは対象外の外です!私はまりあっちに生涯ぞっこんです!私を召使にでも何でもして!^^ (14/08/07 19:15) 腐敗官僚 「ねだる」というオプションを使ったことが無い、または使いたくない人もいますよw ・・・ただ、”おさがり”は結構頂いていたりするもんですわw (14/08/03 21:57) まりあ この日記は女性も見てますよ〜^^ ネタバレすると大変どっせぇぇぇwww ◆男は知らない驚愕の奥さま会の事実!◆ 「亭主元気で留守がいい♪」、「旦那が稼げなくなって、子どもも落ち着いたら定年離婚!」、「自分の嫁は大丈夫だと思っているアナタ!大間違い!!」旦那の女はおなごしやあらしまへん。こしたんたんと、“その日”をしっかり準備してますえ〜w 女も自由が好きどすさかい^^ (14/08/03 10:23) |
■ 2014/07/26 (土) 永遠の0 |
「永遠の0」を観た。
率直な感想を言うといまいち残念な映画だったという印象であった。 百田さんの原作だけあってかなり期待していたせいもあるだろうが内容的には何か違和感を感じた。 その違和感というのは主人公の「生」への執着と言うべきか「価値観」というべきかこの辺りに違和感を感じた。 確かに当時はこの様な価値観を持った人間もいたのかもしれないがこの映画の意図したいところがこの価値観をクローズアップしている点で何かぼやけてしまっているように思う。 私を含めて戦後生まれの人間にとっては当時の人達の心情はあらゆる資料や当時を生きてきた人から見聞きする事で推し測る事しかできない。 しかし当時の人間も現在の人間もベーシックな感情はそれほどかけ離れているとは思わない。 私の歴史というものの見方はこのベーシックな感情を土台として推し測るという見方をしている。 ただこの見方は個人差が出るように思うがそれも含めて「大方の人間ならこう考えるだろう」という推し測り方だ。 更に付け加えるなら、当時の時代背景や公共性や政治体制などを加味して考えるようにしている。 例えば、大東亜戦争時の公共性と現在の公共性では大きな違いが有り、それぞれの中で暮らしている人間ではベーシックな感情も違いが出て多分一般的な考えではこの辺りが違って考えるだろうというような具合だ。 公共性に重きを置いた時代では「命」という物の価値観は現代に比べては絶対性が薄いだろうと思う、であるからこそ「特攻」のような最後の手段でさえ志願できるように思う。 平和主義者たちはこの辺りの思考が違うように思う。 言葉では当時の人達の心情を理解しているような言葉を出すが、しかしどうしても最後には現在の思考価値観で物事を推し量っているように思う。 で、話は戻すが、この「永遠の0」で取り扱っている主人公の価値観は私の印象では「極端」な価値観の持ち主と言う印象だ。 また、主人公に対した人間たちもこれまた「極端」な価値観の持ち主を対峙させる事で、主人公のもつ価値観をさらに際立たせている。 この極端な両者の対峙は、結局は「命」という物の見方の対峙でしかなく、しかもその当時の「命」の価値観を現在生きている若者の価値観と比較描写させてより浮き彫りにさせている。 確かに戦争映画という物は基本的に「命」という題材が主流になりがちだが、私はこの映画はそんな陳腐なものではないと思っていただけに少し残念な思いだった。 私は鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」に行ったことがある。 ここには特攻で死んでいった方々の辞世の句や手紙や写真が展示してある。 靖国神社の中にある「遊就館」にも何度となく行った。 私に出来る事と言えば、残されているこの遺品や手紙や残された家族の事などを記してある物から当時の人達の思いを出来うる限り想い馳せる事しかできない。 そしていつも私は誰はばからずこれでもかというぐらい目から涙をこぼしている。 私は思う。 「反戦」「命の尊さ」「平和」などの様な陳腐な物で当時を推し量っては絶対いけない。 当時の時代のうねり、世界を取り巻く環境、圧倒的な力に翻弄された絶対的に過酷な時代を少なくとも現在のうすあまい環境に育った人間が推し測ろうなどと傲慢極まりないと。 何が善で何が悪か? そんな思考は余裕がある人の思考で絶対的窮地に立たされている時にそんな事を考える暇などみじんも無い。 当時の多くの遺品や手紙や辞世の句から読み取れるもの。 崇高な思いから身を投げ出す人 ただ家族の事を思い身を投じる人 後悔したくないことから身を投じる人 未来へ身を投じる人 文面から死の恐怖におののく人 想い出だけを胸に抱いて身を投じる人 これらの文面を通して唯一分かる事、それは本当にベーシックな感情で・・ 「守りたい」 ただこの一点に尽きる。 個々それぞれがこの「守りたい」ものの意味が違う物であってもこれに尽きるのだ。 その為には忠義を重んじて身を投じる者もいれば卑怯者となって逃避する者もいる。 しかしそれらの行為を現在の人間がジャッジするなど傲慢で、更に言うなら一番してはいけないのは道徳を持ち出して対比する事だ。 「平和」「命」「反戦」など誰でも当たり前の様に思っているつまらない道徳で全てを推し量ろうなどと何様だと思っているのか? 私は思う。 先人たちが、当時を生きてきた多くの人達が行ってきた全ての行為に敬意を払う。 それがどんなに卑怯な行為で有ろうと。 それがどんなに崇高な行為で有ろうと。 それがどんなに悲しい行為で有ろうと。 これを他国からどの様に揶揄されようと、私は何一つ恥ずべき行為ではないと自信を持って言える。 命は大事、戦争は悪、そんな事は現在を生きる人達以上に当時の人達は何倍も切実で何倍も知っている。 命の尊さを訴えるなら、現代の人間に訴えるなら、何も大東亜戦争を題材にする必要はない。 そもそも当時の価値観では現在とはかけ離れているのだから本当に訴えるなら現代をベースにした題材にするべきで、でないとただの物語でしかなく実感が伴わない。 おまけにもう既にその様な陳腐な戦争映画は腐るほど既にある。 百田氏がこの映画の出来栄えにどれほどの思いがあるかは定かではないが、もしそこそこの出来栄えと思っているなら残念である。 更に言うなら主人公が色男過ぎる。 このキャストを使った時点でこの映画の目論見の浅はかさを感じ取れる。 いつの日か、本当に当時の、大東亜戦争を描く映画と出会う日を待ち望む。 尊い先人達の思いを本当に馳せた 私達の国を作り上げた尊い歴史の一つの時代を生きてきた人達の映画をいつの日か・・・ |
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はいむるぶし まりあっち! どどどどこに行こうというのですか!私には休日など有りませんよ〜!えっ?沖縄へいらっしゃる?それなら万全を期してお迎えをいたしますぞ!ホテルはダブルで良いですよね?^^ (14/08/01 18:49)
まりあ あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ああああああっ!!!はいむるぶしさん、「セッションズ」とか「0」とか、映画見過ぎで最近なんだかギンギンにお堅くなってますよ〜(^_^;)))))) 今は夏ですから、ウナギでも食べてにゅるるっと、もっと柔らかく気楽になってしっかり儲けてくださいね〜(*^_^*)それでは私、おでかけにイッて来ます(^O^)/さんぴん茶、楽しみにしてますよ〜^^ (14/07/29 22:06) はいむるぶし 腐敗官僚さん 配慮?配慮なんてしておりません!思った通りを書いているだけですよ!ですからやはりこの腐敗官僚さんのこのコメントが証明していますよね!^^ (14/07/29 14:55) はいむるぶし ミンミンさん はじめまして!そうですか!論点ずれてますかね?そうかもしれませんがこのコメント枠では書き込みにくいし伝えにくいかも〜〜〜! (14/07/29 14:28) 腐敗官僚 はいむるぶし殿の御配慮、感謝します。 ”必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。”織田信長の言葉でありますが・・・全くもってその通りで御座います。その光り輝く生涯こそ、神にも等しい尊厳であると承知しております。ただ、「永遠の0」に関しては本と映画とはテーマが違うと思います。 孫子の兵法さえも知らぬであろうと疑うべく当時の指導者の振る舞いに翻弄されざるを得なかった事は割愛すべきでは無かったのではと思う次第であります。 (14/07/28 22:15) ミンミン うーん。。何かうまくは言えないけれど違うような気がする。それぞれの方々がね。みんな論点がずれてるような気がする。 (14/07/28 18:17) はいむるぶし 多分これは私の希望的観測ですが、もし、「永遠の0」を題材とした日記を腐敗官僚さんが書いたとしたなら、私の日記と同種の日記となっていると思います。また、そう思いたいですね! (14/07/28 14:48) はいむるぶし 次にお二人が腐敗官僚さんのコメントに感じた違和感も私には感じませんでした。なぜなら腐敗官僚さんのコメントからお分かりになると思いますが、実に精査がされているという事実です。これはただ単に揶揄や誹謗を目的としていないという証だと思います。いい加減な歴史認識や左翼的思考から出ているコメントではないという印象を私はそう取っております。なぜそう思えるかはこれまでの私の日記に対してのコメントからそう取れるのです。 (14/07/28 14:40) はいむるぶし 暖炉さん 記入なしさん 私は腐敗官僚さんのコメントからお二人が感じた事とは少し違います。まずはこの腐敗官僚さんのコメントはあくまでも私の日記に対してのコメントです。それはこれまで古くから私の日記に対してのコメントの有り様からある種のスタイルが出来上がり、そのスタイルに則ってのコメントになっておりますので本当の思惑から外れたコメントになっている事もしばしばあると思います。 (14/07/28 14:29) 記入なし 腐敗官僚殿の意見や思想も十分に理解した上で申し上げるが、貴殿には配慮の無い発言があるように思える。時代に生きた人間はそれが正義だったはず。そう思わざるしか証がなかったはず。貴殿も理解しているはずだからこそ言動には優しさと配慮があって良いと思いますよ。 (14/07/27 21:15) 腐敗官僚 江田島の海上自衛隊にある教育参考館に展示してある特攻隊の遺書や遺髪、遺品(公開していない物も含む)を精査する事ができた時期があったのだが、敢えて言える。”勇気と蛮勇と履き違えたな”と。 (14/07/26 23:59) 暖炉 特攻隊だった祖父を思えば、あまりに酷いと思います。あなたは何様のつもりなんでしょうか?特攻する勇気も無いくせに。遺族の悲しみはあなたにはわからないんでしょうね。冷酷過ぎます。↓ (14/07/26 23:31) 腐敗官僚 本当にベーシックな感情で・・「ゼニを守りたい」ただこの一点に尽きる。 (14/07/26 17:44) 腐敗官僚 この時代のパイロットは「ブラック企業で過労死して花と散る企業戦士w」を彷彿w 小説「生まれ出ずる悩み」のように彼もやりたい夢も欲望もあったはずなのに惨たらしく戦死w 主人公が地獄の対空砲火を潜り抜け米海軍空母にカミカゼする瞬間にみせた安堵の笑みは「生まれ出ずる悩み」からの解放からきたものでしょうねw 無駄な才能と無駄な努力そしてチープな人生譚 もし俺がパイロットならばゼロ戦に乗ったまま米海軍に投降、亡命して幸せにくらしましたとさw (14/07/26 16:49) 腐敗官僚 遊就館のモックアップではなく、オリジナルの飛行可能な機体をアメリカで拝見した事がありますが、まさしく有人の紙飛行機ってな印象でしたね。もともと戦場にでて生還できる仕様じゃないです。生還する事がパイロットの熟練度によって可能となる謎仕様w (14/07/26 16:27) |
■ 2014/07/23 (水) ある日常の会話 |
多くの人達が勘違いしている事って多々あるように思う。
最近気づいた事であるが、ある人との会話の中で「株式会社」という物について話をしていた時にその方から言われた事であるが 「あの会社の株はそこの社長が独占しているから・・・・」 この話に私は少し違和感を感じ、その方に少し質問してみた。 「××さんは株式会社という物はすべて株券があると思っているのですか?」 そうすると 「えっ!それはそうでしょ!」 それからというもの、私は多くの人達に同じ様な質問をしてみた結果、ほとんどの人達が同じ様な回答をしてきた。 意外と知られていない事と思ったのだが「株式会社」と言ったってそのほとんどは中小企業で従業員数も20名以下の会社が圧倒的に多く、資本もほとんどが一人の出資者が多い事から、いくら株式会社といえども株券まで発行している会社は実は少ない。 というか私は知り合いの会社で株券まで発行している会社を見たことが無い(もちろん大手企業は除くが) 株式会社であるから株券を発行することは別にかまわないが実はこの発行手数料や株券製作費などが結構費用が掛かる。 まともな株券にしたいなら数十万掛かったりする。 中小企業ではそのほとんどが社長個人の出資によるものが多く、非上場であるから資本や資産を他人に譲渡する事などほとんどないうえ、そのほとんどが息子などの親族が後を引き継ぐことが多いため株券などの発行をする必要性が無い。 ほとんどの中小企業では定款に記載する事(株券不発行会社)や、へたするとそんな定款さえ作らず単純に登記だけで済ませている事も多々あるように思う。 ま〜中には見栄を張ってわざわざ株券を発行している会社もあるだろうがま〜それは少ないだろう。 あと中小企業でも発行しているケースとしては出資している人が他人数の場合は株券としてその出資額に見合った割り当てをするために発行するケースはあるだろうがこれも少ないと思う。 あと余談ではあるが 社員と従業員との違いも知らない人が多い。 厳密に言えば社員とは出資者の事を言い、従業員とは出資していない人達の事を指す。 世間一般では社員と言えばその会社で正規雇用されている人達の事を指して使われているが実はそれは違う。 良くあるケースだが、いくら代表取締役社長であってもその会社に出資していなければただの従業員でしかない、ま〜いわゆる雇われ社長と言うやつだ。 であるから出資者が一人の中小企業の場合、社員は一人でそれ以外は正規であろうがなかろうが全ては従業員である。 では「株式会社」なるものが他の「合資会社」「合名会社」などと何が違うのか? 細かくは色々とありますが決定的なのは「有限責任」か「無限責任」であるかが大きな違いだ。 これは端的に言うと会社が倒産した時に発生する債務の範囲だ。 株式会社は「有限責任」で出資者が追う責務は出資額(会社資産)まででそれ以上は負う必要が無いのに対し合資会社や合名会社は全ての債務を負わなければならない事から個人資産にまで波及する。 それ以外では「資本金」が「株式会社(5年以内で最低資本1000万)」必要で「合資合名会社」には資本金が必要ではありません。 それ以外であまり知られていない事柄として「大企業と中小企業の分け方」ですが 製造業では「資本金の額又は出資の総額が3億円を越え、かつ 常時使用する従業員の数が300人を越える会社」 サービス業では「資本金の額又は出資の総額が5000万円を越え、かつ 常時使用する従業員の数が100人を越える会社」 以上が大企業でそれ以下は中小企業となります。 また、日本の上場企業の割合は日本の全総企業の約0.2%その中でも東証一部上場になると0,04%となる。 また、日本の企業従事者で大企業に勤めている割合は全体の約35%で残り約65%の人達は中小企業従事者である。 この割合を見てみると0,04%でありながら従事者は日本の35%と言う事はやはり相当な人口が大企業従事者と言う事だ。 この様なデータを出してみると国家、日本の政治が大企業中心に動くという事はやむを得ないという事が分かる。 多くの人々は知っている様で実は良く分からないで喋っている事が多い。 GDPなんかも言葉は知っていても本当の内容まで詳しく知っている人はあまりいないように思う。 どんなに大人となってもしっかり説明できる大人はどれほどいる事だろうか? だいたいの人達は勝手に自分でいい加減に判断し、それを実しやかに他人に喋っている。 いい歳をした紳士ぶっている御仁が知ったかぶりで喋っている所を見るとある意味微笑ましくもあるが・・・・・ |
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はいむるぶし 腐敗官僚さん なんで〜〜〜? 無理無理無理無理〜〜〜〜!??? (14/07/28 14:49)
腐敗官僚 遠ぉ〜い昔、冗談抜きに女性から告白された事があるw 無理無理無理無理でしたw (14/07/26 16:02) はいむるぶし 腐敗官僚さん ほほ〜〜!そうなんですか!それは知りませんでした!腐敗さんは本当に色々な事を知っておりますな!博識でいらっしゃる!しかしエロコメントがあまり見受けれませんな〜!やはりあれですか?やはり腐敗さんの彼女も腐敗臭漂うゾンビさんですか?^^ (14/07/26 15:22) はいむるぶし まりあっち 私はやさしいでっせ〜!とくに布団の中では・・・おっとあぶね〜!まりあっちの返信はいつもなぜか違う方面にいってしまう!これも愛がなせる業か!^^ (14/07/26 15:17) はいむるぶし サイコロさん 私も基本に返って女性という物の心理を探ってみようと思います!何事も基本が大事ですよね!キ・ホ・ン!^^ (14/07/26 15:15) はいむるぶし 関東方面隊さん いやいやいやいや貴方だけではありませんよ〜!ほとんどの方はそのクチでっせ〜!フフフfお主も悪よの〜〜〜!^^ (14/07/26 15:11) 腐敗官僚 従業員には正社員、契約社員、アルバイト、パート、奴隷・・・他、いろいろなヒエラルキーがあるようですが、同じ仕事に従事してもヒエラルキーによって、賃金が歴然として違うのは日本独自の習慣だそうですねw (14/07/23 23:58) まりあ ウチは(医)や(福)のほかに、有限会社もやってます^^ なんか、違和感を覚える?違和感を感じちゃいます;;ところで、はいむるぶしはん、最近、もうかりまっか^^? (14/07/23 22:44) まりあ はいむるぶしさん、この前のコメントおねだりしちゃってごめんなさいね(*^人^*)おかげさまで中傷メールのピークが過ぎて、メール対応できる量になりました。ありがとうございました。また、やさしくしてね(*^_^*) (14/07/23 22:44) サイコロ さすが経営者だけあって勉強をされていますね〜^しかし、何事も基本に立ち返って真摯に学ぶ姿勢が重要だということを気付かされます^ただ、一般的には「従業員=社員」で通っているので、ついつい同義語として使ってしまいそうです。もう一度、会社法を読み直すことにします^ (14/07/23 22:14) 関東方面隊 勉強になります!勝手に判断してたクチです… (14/07/23 21:55) |
■ 2014/07/22 (火) 黒子のバスケ |
「黒子のバスケ」脅迫事件での犯人である「渡邊博史被告」の最終意見陳述書なるものが公開された。
この陳述書はA4原稿で44ページからなる陳述書で、この中に彼の思いの全てが詰まった物となっており、彼自身のこれまでの人生観やこの事件に至った経緯が事細かく記してあった。 私はこの全文を読んで非常に感慨深いものがあった。 この彼の心情を記した陳述書を要約すると 1、幼少期から小学生時代まで地獄の毎日(親族からのネグレクトおよび虐め) 2、自分は人間に非ず本名である「ヒロフミ」という生き物である 3、世の中の多くの人達は「キズナマン」である(家族や友達や社会性などと連携してい る、若しくは連携を模索している) 4、世の中の多くの人達は「努力教信者」である 5、自分は「ヒロフミ」と言う生き物であり「キズナマン」「努力教信者」とは無縁の存 在で孤立した「浮遊霊」である 6、浮遊霊は一般概念は無く、ただ孤立無縁であって実害は無い、しかしある時に何かを きっかけにして浮遊霊が生霊と化し、実社会に災いを及ぼす 7、秋葉原無差別殺傷事件や池田小学校事件などはこの自分と同列で「生霊」と化した浮 遊霊が起こす事件で自分も含めて彼等に防御策など無く、動機を探っても意味が無い 8、唯一防御出来うるとしたら「公立自殺幇助施設(安楽死)」の開設、若しくは「無期 限拷問刑」の導入である。なぜなら彼等が一番嫌う事は「痛み」であるから 9、「浮遊霊」たちは「無敵の人」であり、失って困るものが何もない 10、「浮遊霊」たちは「こだわり」が何もない 11、「ニート オタク ネトウヨ ひきこもり」などの様な人達も「キズナマン」であ り「浮遊霊」ではない 12、「浮遊霊」が生霊となって世に害を及ぼすきっかけは「運」であり「思い付き」で あって意味はない 13、マスコミは「浮遊霊」たちを全く理解していない、一般常識で考えようとする所に 無理がある 14、この事件のきっかけを作った原因を敢えて言うなら自分を浮遊霊としてしまった両 親や小学校時代の教師や生徒である 15、この事件に関して自分は「反省」「後悔」などの感情は一切ないし分かってもらお うという様な感情も無い 16、自分にとって懲役刑は現在までの自分の生活とさほど変わりはない、むしろ安定的 な生活を約束してくれる分自分にとっては住みやすいので何の罰則にもあたらない 17、敢えて希望を言うなら懲罰終了後に自殺の自由を与えてほしい・・・ まあ細かい部分では他にも書いているが以上が全文を要約している。 確かに一般概念では彼の主張は「甘え」の一言に尽きるかもしれない。 世の中には彼の経験してきた事よりも悲惨で壮絶な人生を歩んできた人たちも多くいるだろう。 しかしそんな事を彼等に100回 200回いや10000回言ったところで何の意味も無いだろう。 問題なのは彼等の様な人間が他にも確実に存在し、彼の言う「浮遊霊」が実際に居るという現実である。 彼の陳情書を読むにつれ、実に頭が良いと思う部分が多々見受けれた。 たとえば「浮遊霊」とか「無敵の人」という比喩は実に分かり易いし、この陳情書の中で随所に見られた例文が実に的確で分かり易い内容となっていた。 彼等は対人関係ではこの才能を披露する事は出来ないのであろうがこの文章力から見ると相当のコミュニケーション能力を秘めている事だろうと思う。 彼等は確かに、彼の言うとおりそれらを表に出す事が出来ないし、それよりなによりその事を認めてもらおうと思っていない。 誰かに自分を認めてほしいと思っていない。 彼も書いているがそうなってしまう最大の要因は「両親」と言う存在が相当影響している事は否めない。 彼は言っているが取り分け「母親」の影響が大きく作用しているようだ。 そう思うと彼も被害者の一部に当たるかもしれない。 しかしそんな事を思ったところでどうにもならない。 私は彼が推奨している「公立自殺幇助施設」の開設に賛同する。 この施設開設により多くの弊害は出るだろう。 しかし「生きたい」と願っている人達の生命を危険にさらされるよりは良いのではないだろうか? 「浮遊霊」の代表である彼は言う 「多くのマスコミが言う「社会」や「公共」などを問題視しているのは全くのお門違いだ。どんな世の中で有ろうと「浮遊霊」は存在し、いずれその中から「生霊」となって世間に悪さをする」 「なぜなら「浮遊霊」達は社会や公共に何の関心も無いから・・・」 確かに本当に「無敵の人」である。 社会の秩序を本気で考えるなら、「公立自殺幇助施設」は必要ではないだろうか? きれいごとや理想では済まされない、政治や法律では縛る事が出来ない、理屈や道徳では太刀打ちできない。 完全無欠の「無敵の人」 これらから生命や秩序を守るには必要悪として真剣に取り組むか、若しくは社会の癌細胞としてこれらのイレギュラーらを許容するか? この二択しか手段はないように思う・・・ |
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はいむるぶし まりあっち 確かに野放しにしているのは周りの人達にもいくばくかの責任はあると思いますが限界もある〜〜〜!確かに私とまりあっちが組めば超超超無敵の人かも〜〜〜〜!^^ (14/07/22 23:33)
はいむるぶし 腐敗官僚さん そ・そ・それは誤解ですよ!確かに私はお金は大好きですが・・・・・やっぱり飛びつこうかな!^^ (14/07/22 23:30) まりあ ごはんをマズイといったら、日本ではタブーみたいでした。。どう対応すればいいのかしら〜(-_-;) アドバイスちょうだいっ!(おねだり^^ ) (14/07/22 22:48) まりあ え〜ん(>_<)「公立自殺幇助施設」ってそんなのひどすぎ〜〜〜〜!!そこまでになるまで野放しに放置している私たちも罪なのでは? 逆に考えれば、はいむるぶし社長もウチらも「超〜無敵の人」やんか〜^^ (14/07/22 22:47) 腐敗官僚 はいぶるむしさん にしては、金儲けの思慮が足らないですねw 基地外がいるからこそ、身辺警備サービスや防犯アイテムの需要が出るんですよw 実は銃刀法規制の緩和が検討されているのはご存知でしょうか? まさしく基地外に刃物といったところです。これで防弾装甲車や防弾チョッキが飛ぶように売れるようになるんですね。ほらほら〜ゼニの臭いがするでしょw 早く飛びつかないと儲けそこないますよw (14/07/22 21:00) はいむるぶし 記入なしさん そうでしょうか?私はどの様な刹那主義たちも破綻者達もほとんどの方達は「生」への執着はあり、死の恐怖は持っていると思います。どれほど歳をとっても死への恐怖はさらに大きくなると思います。確かに現在よりは自殺者がこの制度により多少増えるかもしれませんが犯罪抑止と言う観点と、非業な思いをする被害者のことを考えれば良策かもしれません。 (14/07/22 19:12) 記入なし 一度、深く考えた事があります。SFが趣味なんですが、、思考実験としての「安楽死制度」これは一見良い様に思えるかもしれませんが、日本人のメンタリティから言って、ほぼ安楽死を選びます。生きることの意味を獲得する事を放棄しない人間ばかりではないと一つの思考実験として、考えました。みんな死んじゃいますね^_^; (14/07/22 18:23) |
■ 2014/07/03 (木) 平和と言う概念 |
「平和」と言う言葉に異を唱える人々は少ないだろう。
大方の人々が持つ共通認識である「平和」 しかしこの平和とは具体的にはどういった状況を指して言っている若しくは考えているものだろう。 自分自身が今置かれている状況を指して言っているものか? それとも自分は差し置いてとりあえず社会全体を指して言っているのか? ただ単に「争い」という観点から言っているものか? それとも争いは当たり前でそれ以外にも経済的視点やあらゆる体制も含めた事で思っているのか? 現在もなおの事、長期的視点から見てあらゆる事柄を含んでいるものか? ただ単に「平和」と言う意味合いも人それぞれで色々な解釈が出てきそうだ・・・ 日本国憲法を堅持する人々も、平和憲法を声高に叫んでいる人達も、はたまたその逆の憲法改正に肯定的な人も、全ては「平和」というキーワードで思考している点では同じ共通認識だと思う。 しかしこの両者は「平和」と言う共通認識はありながらも交える事が難しい、なぜならこの「平和」への道(プロセス)が大きく異なるようだからだ。 護憲派の思考を構成する平和へのプロセスは争いごとの「放棄」というプロセスが軸となった思考に対し改憲派が持つ思考は争いごとの「肯定」が主軸だ。 だからこの両者はこの先も交わる事が無い平行線をたどるだろう。 しかし実はこの両者には既に答えは出ている。 実にばかばかしい事であるが護憲派が唱えている「放棄」は既に自分自身で無理な事だという事を実践しているからだ。 多分、護憲派と言う方達も自分の家に鍵を備えているだろうし、自分の子供には大人と言う危険性を訴えているだろうし、いわゆる他人に対しての危険性を認識している。 犯罪をゼロに出来るとは思っていないだろうし、だからそれに対して警察力と言う組織を容認しているし、そもそも法律を容認している。 これは人という物は善には成り得ないという証で、だからこそ法律と言う縛りが人には必要だということなのだ。 護憲派はこの事を認識していない節がある事と、また、人という個人と国家は別と言う様な思考を展開する。 警察は必要だが軍隊は不必要と言うロジックだ。 しかしこれを誰にでも分かる様に説明している護憲派は全くいない。 ほぼ感情論だけで喋っている護憲派たちも実生活では家の鍵を閉め、下手をするとSECOM等の様なセキュリティを万全にしている人達もいる事だろう。 「放棄」と言う姿勢で「平和」や「安全」を勝ち取るには少なくとも相手に「善」という大前提の姿勢を依存することになる。 護憲派の中で更に突き詰めた人も中に居る。 いわゆる「無抵抗主義」だ。 仮に「放棄」がもとで攻め込まれても人の英知が我らを救い、この崇高な姿勢は最終的には勝利し「平和」をもたらすというロジックだ。 ま〜いわゆる「ガンジー」的思考だ。 ここまで突き詰めているなら尚の事その人の実生活に興味をそそられる。 もちろんこの様な人たちの家は鍵など無いだろうし子供にも大人への注意も無いだろうしそもそもこの人たちにとって法律など必要のない物だろう。 個人と国家は同じものである。 敢えて言うならこれを別と考える必要など全くない。 それを物語っているのは「歴史」という物だ。 歴史を検証すれば個人と国家は全く同列だという事が如実にわかる。 「木を見て森見ず」と言うことわざ通り護憲派は「森」を見ないし見ようともせずただ希望的観測から物事を理解している。 しかしこの様な護憲派たちもほとんどの多くは人の「悪質」も実は理解しているのだ。 だから実は「平和」というプロセスはこの人の持つ「悪質」からの抵抗という共通認識も持ち合わせているように思う。 個人でのこの「悪質」に対しての抵抗は「鍵」や「知識」などで抵抗するがこれが国家となるとこれに値することが「軍事」「情報」になるのだが、護憲派たちは分かっていても「軍事」と言う事に単に抵抗感が出てしまうのだろう。 特に女性に多くみられるこの感情はもう「理」と言う事から大きくずれたただ単に嫌悪と言う感情でだけ思考している。 更に護憲派たちの矛盾は、「放棄」を謳えば相手はそうは攻め込まないという性善説を言うのに対し、武器を持てば人は使いたくなるという性悪説も織り交ぜてくる。 いったいどっちなんだと聞きたくなってくるが何しろ護憲派たちは論理矛盾を平然と出してくるし何が何だかわからない。 結論としては護憲派であろうと何であろうと平和を守るためにはそれなりの対策が必要であり、人の持つ「悪質」から身を守る努力はしなければならない。 それが個人では「鍵」というセキュリティであり「知識」という情報である。 今回の集団的自衛権の行使は国家としてのセキュリティであり、軍備はそのセキュリティの実用性や効果を示すものであって国家の安全保障上必要不可欠のものである。 更に言うならそのセキュリティをさらに充実するのであればやはり国家として「軍隊」は必要であり、独立国家として当たり前な独自のセキュリティは必要であろう。 現在の自衛隊では制限がかなりきつく、自衛隊員その者の安全性も何の担保も無い規則でがんじがらめになった物だ。 隊員の安全も確保し、国家の安全保障の為に心から働けるようにするためにはやはり現在の憲法を改正し、国家としてのセキュリティになるには「軍隊」としなければ「日本軍」としなければ本当のセキュリティにはならない。 人間社会には必要不可欠な「法律」がある。 「法律」とは対処法であってそれを破れば制裁が下る。 その制裁がセキュリティになるのであってもし制裁が何もなければ法律などある意味が無い。 全ての国民はこのセキュリティに守られて安心に暮らしている。 個人も国家も、これを分けて考える必要などなく、「平和」とはセキュリティに守られた上で成り立っているという事を護憲派の方たちは熟慮すべきで、セキュリティとはその物に抑止となる力がある事が大前提だという事だ。 スイスが良い例である。 スイスが中立を訴えれているのは圧倒的な軍事力があるからこその事で、それは過去からの戦争と言う歴史があるからこそその訴えも他国は認めているのだ。 護憲派が言う世界が本当に成り立つなら法律など制定することも必要なく、対処法など考える必要も無い。 「平和」とはスイス同様、様々な争いの中で勝ち得た権利であり、それを維持することは圧倒的なセキュリティがあってこそ成り立つという事なのだ。 |
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はいむるぶし 記入なしさん 同意して頂いて嬉しいです。日本はある意味世界一位の金持ち国家です。外貨準備高 GDP 経済的国際影響力 IMF資金援助 ODA国家別拠出率 あらゆる角度から見ても日本は世界一位の金持ち国家です。 (14/07/22 16:29)
記入なし 前の記入なしですが 自主防衛力を持つ事が大前提です。は、同意です。スイスより金持ち国家ですか 知りませんでした。勉強に成ることありがとうございます。南十字星さん (14/07/22 13:36) はいむるぶし 独立国家とは「自主防衛」が基本の国家であり、これが基本姿勢に無ければ世界のすべての国家と本当の外交は出来ません。現在の国連を見れば主導的意見が出せる事はすべて独自の軍隊を持つ国家です。それは国連に限らず全ての外交に言えます。日本はスイスより金持ち国家です。もし本気でスイスの様に中立を訴えることも今の日本の経済力をもってすれば時間は掛かりますが可能です。しかしそれも自主防衛力を持つ事が大前提です。 (14/07/21 14:22) はいむるぶし 記入なしさん 他国から利用されているのは現在までの方がむしろ利用されまくりでした。一番利用されている事は経済的利用です。国連での日本の立ち位置を見れば明らかです。ではなぜ利用されてしまうか?それは単衣に本当の独立国家ではないからです。つづく (14/07/21 14:15) 記入なし 難しい問題です。1930年代中頃の中国共産党は、国民党に追い詰められて壊滅寸前でした。それで盧溝橋事件を起こして、国民党を日本軍と戦わせたのです。 国民党は弱体かしました。その間に中国共産党は優位に立ちました。日本は、利用されたのです。今度の集団的自衛権がこの様に利用されないか心配です。日本はスイスの様にお金がありませんから中立国は無理ですね 歳暮マリア様 私は、女性ですがフアンです^^/ (14/07/14 13:29) はいむるぶし 記入なしさん 台風!これぐらい平気っす!でも有難うございます!そのお気遣いがうれしいです! (14/07/13 16:37) はいむるぶし まりあっち 何をいまさら!私にとってまりあっちはマリア様の様なお方ですよ!いつも私に微笑みを向けてその慈愛を私は全身に感じておりますよ!^^ (14/07/13 16:32) 記入なし 台風大丈夫ですか 心配しています (14/07/09 12:04) まりあ わたしもマリアさんみたいになれるかなぁ(*^_^*) 性悪説とかセコムとかわかりやすかったです♪コメントありがとうございました^^ (14/07/04 20:55) |
■ 2014/06/29 (日) JRAに捧ぐ |
競馬をこよなく愛する人はたくさん居る。
以前は私もそのうちの一人だった。 特に重賞レース(G1)は胸をときめかせたものだ。 1983年の天皇賞(春)このレースで優勝した「アンバーシャダイ」は今も記憶に鮮烈に残っている。 その次に印象深かった1991年春 弥生賞で後方からの追い込みで見事な優勝を果たした「イブキマイカグラ」 先行逃げ切りで圧倒的な強さを誇った「ミホノブルボン」スティーブマックイーンが好きな馬主が放った嵐山ステークスで鮮烈な強さを見せつけた「メジロマックイーン」 関東馬優勢の時代に終止符を打った白い稲妻「タマモクロス」・・・ 上げだせばきりがないのでここらで止めるが、競馬という物は歴史が深く、これに魅了された人々はかなり辛酸をなめている事だろう。 競馬ファンを称する人達はどこにでもいるが面白いのはそれぞれが個々に予想スタイルが違う点だ。 しかしこの予想スタイルは大きく分けて2種類がある。 馬の実力を重視するスタイルと八百長とするスタイルである。 私が競馬に熱を上げていたときの予想スタイルは後者の「八百長」であった。 競馬ファンの多くは「実力」重視が多数であろうが私は違った。 なぜなら「八百長」という根拠を示す事柄を複数見出したためだ。 競馬という物は基本「馬主」という競走馬の持ち主の意向が優先される。 「馬主」には2通りのタイプが居る。 「名誉」を重んじるタイプと「実」を重んじるタイプだ。 「名誉」を重んじるタイプの馬主は「必勝」を目指すタイプで「実」を重んじるタイプは「入賞」を目指す。 この2者は似て非なる物で、この2者が所有する馬が同じレースを走った場合レースの仕方が変わってくる。 名誉馬主は騎手にトップを目指さすのに対し実馬主は5着以内を目指せと支持する。 これの意味は実馬主はそのほとんどが「競走馬の寿命」を第一に考えるからだ。 一着を目指す事は往々にして馬に無理をさせ、競走馬としての寿命も短命に終わる場合が多い。 ましてや骨折などの事故にあった場合、その馬の生命は一瞬にして終わってしまう。 競馬を良く知らない人はビッグレースを勝った馬は引退後の種馬としての収益を言う人がいるがこれは本当に稀に見る事で、ほとんどの馬達は引退後は只の種馬となるか余生を牧場で過ごすか馬肉となるかである。 結局は競走馬としての収益はそのほとんどがその馬自身がレースで稼ぎ出すしかない。 であるから当然のことながら長生きをする、いわゆる競走馬としての寿命を最大限引き延ばすことが収益の鍵を握る。 昔「ランニングフリー」と言う名馬が居た。 この馬は実馬主にとっては理想的な競走馬だった。 オープン馬(重賞レース出走資格を有する)であるが大きな勝利は無く、しかし5着入賞が多数あり、9歳まで走り続けた名馬だ。 多くのオープン馬は引退が5〜6歳に対して9歳まで走り続け、しかも5着入賞多数はかなりの収益を稼ぎ出したのだから実馬主にとってはこれほど理想な馬はいないだろう。 だから当時この馬が出てくるレースでは、競馬を良く知っていてしかも予想スタンスが八百長と信じている人はこの馬をいの一番に捨てる事が出来る。 それはそうだろう、何せこの馬は5着入賞を狙っていて更に言うならせっかく一着を狙える位置に居ながらわざと手綱を引いて降着をする事が多々あった。 これはもう立派な「八百長」で、馬の実力を信じて馬券を買っている競馬ファンにはある意味裏切り行為に当たるだろう。 しかしこの裏切り行為は競馬界にはむしろ当たり前の行為で、現実的に名誉を欲する馬主より実を取る馬主の方が多い。 であるから必然的にこの行為は横行する。 この事以外でも競馬が八百長とする根拠はたくさんある。 馬の調教をする厩舎が閉鎖に追い込まれた事例が無いとか競走馬生産牧場の閉鎖も無い。 もちろんこれはJRAが特に関係している事が大前提で地方競馬においてはその限りではないがこの事を見ても不自然である。 騎手育成についても不自然な事が多く、特に際立っている事は「武豊」である。 いくら父親の威光と技術を受けづいているとはいえこの様な身長の高い騎手があの激戦を勝ち抜いていくなんて奇跡を通り越して神の域である。 武豊が登場した時の競馬界は収益が頭打ちでそれどころか下がっていた。 これまで競馬は男の娯楽でほとんどの女性は興味が無かった。 そこでJRAはこの女性層にターゲットを当てたのだ、これまでの競馬と言う娯楽に「清潔感」「スター性」「スター馬」を作っていったのだ。 競馬場のリニューアル、武豊というスター、オグリキャップというスター馬、そしてTVCMの活用とでJRAの思惑は予想以上の成果を上げて行ったのだ。 この八百長疑惑は何も日本が最初ではない。 競馬という物は本来ヨーロッパの王室や貴族の物でその中で興じてきたものだ。 であるから現在でもこの催しは格式が高く、特に重賞レースはヨーロッパ以外の国々が参加することも難易度が高くましてやそこで勝つことなど有りえない事なのだ。 特に特に「凱旋門賞」「英国ダービー」「ケンタッキーダービー」は世界最高峰でここで勝つことなどありえないだろう。 記憶に新しい「ディープインパクト」「エルコンドルパサー」「オルフェーブル」が負けたことは必然だったのだ。 八百長は何にでもある。 「競輪」「競艇」も当たり前にあるし世の中の勝負ごとに八百長が入り込まない物など無い。 一番やりにくいと言われている「野球」でもある。 しかしそういう見方は面白くない。 やはりなんでもそうだが「ロマン」という物を持ってみる事が一番楽しめ、一番熱くもなれる。 しかし熱くなれるが競馬の様な「博打」にはほどほどに・・・・・ |
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はいむるぶし まりあっち 逆でっせ〜〜!自衛官を守るためには法改正が必要でっせい〜〜!今のままじゃ何か有事の際でも無抵抗で死ぬしかありませんで〜!専守防衛はある意味誰かが人柱にならなければ抵抗できないのでっせ〜! (14/07/03 19:57)
はいむるぶし 関東方面隊さん そうでっせ〜!テラ銭はすごいでっせ〜!私もヤバいぐらいテラ銭持っていかれましたで〜〜!とほほ・・・ (14/07/03 19:53) まりあ 集団的自衛権が始まりました(/_;) 知っている自衛官の方が亡くなるのが怖いです。。 (14/07/02 22:51) 関東方面隊 なるほど と頷くしかありません 安部譲二が よく中央競馬会のテラ銭は ヤクザよりヒドイと書いてましたね〜 (14/06/29 23:32) |
■ 2014/06/23 (月) 悪人の戯言 |
「セッションズ」と言う映画を見た。
この作品の大まかなあらすじは、幼少の時ポリオを患い、一命は取り留めたが脳性麻痺から首から下のほとんどが麻痺状態になった男の生涯を描いたストーリーだ。 特に重度障害を持つ人々が抱える「性」の問題をクローズアップしている点とそれに伴う宗教的思考を織り交ぜた作品となっている。 私自身は「障害者」を扱った映画はほとんどにおいて観ないのだが嫁のたっての希望により観てしまった。 で・・・観た感想はというと やはり終始くだらない映画だった。 私の理念である「映画」としての「扱ってはいけない題材」という物がある。 それは「動物」「子供」「障害者」だ。 この三つの題材は得てして「可哀そう」と言う感情をどれだけくすぐるかを基本としている事が大半で、更に言うならこの題材に対して否定的な感情を持つ事は「非人間的」「反モラル」と言う様な無言の圧力さえ感じざるを得ない内容になりがちだからだ。 また、この中でも特に「障害者」はこの傾向が強く、同調圧力すら感じる内容で、更に思うのは障害者は「善」という大前提の作品が多く、これが私のような悪人にはなじむ事が出来ない最大の理由だろう。 私の歪んだモラル感で考えるこれらの事柄、特に「障害者」には私なりの熟考がある。 「障害者と健常者はあいまみえない」という物だ。 この結論に至ったのはこれまでの私の経験によるものだが、おそらくこれは当たっていると私は思う。 もちろんこれは突き詰めた人間感情であり、またこの感情は「親子関係」などの様な「利他主義」には当てはまらない。 いわゆる「社会性」というパブリックな中での関係性だ。 であるから私の様な悪人にはこの手の映画やドラマ、それ以外でも「障害者」を主としたイベント関連のの物も全てに「偽善」という観念が頭をよぎってしまうのだ。 特に偽善の最大イベントである「パラリンピック」などは私の観念からはこれほど障害者たちを馬鹿にし見せ物としているイベントはないだろうと思っている。 そもそもこのパラリンピックなる催しはいったい何の趣旨が有るのだろうか? 障害者でもこれぐらいの運動能力がある事を知る事で健常者と変わらない!と言う事を訴えているのか? それとも健常者と違った動きの中でもまともにスポーツを取り組める事を訴えたいのか? はたまた体が不自由でも一生懸命なこの姿を見て健常者のみなさんに感動を覚えてほしいということか? ひょっとしたらこのイベントは同じ障害を持つ人たちを励ますためのイベントなのか? ま〜どの理由であろうとこんなふざけた催しは早くやめた方がいいと私は思う。 これほど偽善に満ち満ちたイベントは他にないだろう。 なぜならこのパラリンピックに出場できる障害者達は障害者全体の何%の人達だ? 障害者達のそのほとんどは運動という次元を超えた人達もたくさん存在する。 健常者の催す「オリンピック」は健常者全ての人に出場できる可能性はある。 しかしパラリンピックはその可能性は少しの限られた人達にしか無い。 障害者達の、しかもほんの限られた人達だけの物なのだ。 この様な催しになんの意味や趣旨があるというのだ? 特に重度の知的障害を持つ子供たちのそのご両親らはこのパラリンピックなる催しをどう見ているのだろうか? 人は神様にはなれない、どうしても何とも仕様のない事がある。 平等や公平公正などは人々の幻想であって現実社会にはそぐわない。 しかしだからと言って平等や公平公正を著しく乱すような行為をする必要も無い。 パラリンピックは考えようによっては相当これを乱している行為ともとれる。 これほど平等性や公平性に欠いた催しがあるだろうか? 限られた条件の者しか出場できず、しかも周りの人間たちの協力が大前提のこの催し・・・ その者達が織りなす美談美技に感動と共感をと言う前に、この催しに参加どころか日々の生活に追われて食事すら。会話すら出来る事の無い障害者達の気持ち、それに関わる両親達や家族、友人達はどう思うだろうか? 彼等の中には不公平感や自分自身へのやるせない感情を更に深く植え付ける人達だって少なからずいると思う。 オリンピックを目指す目指さないは健常者たちは自由であるが彼等は違う。 自業自得でそうなっていない、パラリンピックはある意味「選民主義」なのだ。 こんなものを御大層に「善」と言う位置づけで見ている人達は傲慢で「脳みそお花畑」としか言いようがないと思う。 障害者については私は思う。 もし、本当に障害者達の平等性や公平性を思うなら健常者との交流を隔絶すべきだと思う。 人間は本当にはどのような者の立場にも絶対に成れない。 思いやりや善なる行為はその全てが「自己満足」に過ぎないのだ。 昔、お祭り等でよく見かけた「見せ物小屋」 この「見せ物小屋」では中で障害者達が健常者たちの前で芸をし、それで彼等の生業として生活をしていた。 彼等は不自由な体を駆使して体得した芸を披露するのだ。 健常者たちはそれを見て驚嘆しお金を払う。 この両者の間には何の罪悪感も無い、当時はそれが当たり前で見る方も見られる方もそこに違和感など無かった。 しかしこれは道徳的によろしくないと何時からか姿を消した・・・ しかし私にはこの当時の方がより人間的で、障害者達にも今よりは住みやすい環境だったと思う。 何故ならそこには「偽善」と言う要素が入り込む余地のない世界だからだ。 人は「情け」を掛けられることが実は生きにくい。 「情け」とは「劣っている」という証明の様な物だからだ。 どの様な状況下にあろうと人はプライドを捨てきれない。 それが人間である証と言っても過言ではない。 それが何に対しても「情け」という物を掛けられればどうだろうか? そんな状況は「劣っている」という烙印を常に突きつけられている事と同義である。 そう考えた時「見せ物小屋」は障害者達にとっては本当の「対等」なのだ。 優しさは事によってはものすごく残酷な物とも化す。 人を人扱いしていない事ともなる。 パラリンピックは疑似的な対等と言うお祭りに過ぎない。 本当に対等を言うならオリンピックに障害者だろうが何だろうがエントリーすればいいのだ。 お情けたっぷりでしかも選民主義のこんな催しは何の意味がある? 私ならどうせやるなら全障害者を対象に大掛かりな「見せ物小屋」をやる。 ここに「可哀そう」や「悲壮感」など入り込む余地なく「嘲笑」や「野次」「驚嘆」「罵声」「感動」などがあって初めて「対等」であり、障害者全てに本当の「達成感」や「感動」があり、人としての本当の尊厳が有るのだと思う。 今の世ではこの考えは絶対的に無理で、それどころか「悪者」とされるだろう。 ゆえに私は「悪人」であり歪んだ思考を持つ男だ。 だから「動物」「子供」「障害者」を扱う映画は私には何の感動も与えなければ何の感慨も無い。 パラリンピックは人類史上最も愚かな行為で、そもそも健常者と障害者はあいまみえない。 もしこの両者の公共性や社会性を本当に思うなら健常者と障害者を隔離するべきである。 |
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はいむるぶし 関東方面隊さん それはそれは・・・フフフ! (14/07/03 19:58)
関東方面隊 すでに悪人でござります・・・フフフf (14/06/30 09:39) はいむるぶし 関東方面隊さん お〜〜〜!お初です!ミゼットプロレス!ありましたな〜〜!そうですか!私と意を共にして頂けるのですか!と言う事は・・・おぬしも「悪人」の仲間入りですぞ!^^ (14/06/29 22:15) はいむるぶし まりあっち 私の性処理ボランティアはまりあっちが担当してくれますよね!わたし・・・これが生きがいで今を生きております・・・・!^^ (14/06/29 22:13) はいむるぶし 腐敗官僚さん 本当に色々な事を知っていますな〜〜〜感心します!ところで腐敗官僚さんの腐敗の程度はどこまで進みました?もうそろそろ国内初のゾンビ誕生ですか?^^ (14/06/29 22:11) 関東方面隊 始めてレスいたします ボクの少年時代には見世物小屋は もう無くて チョット上の世代から話しを聞いた位ですが テレビではミゼットプロレスをヤッテいました いつの間にか放映もミゼットプロレス自体の興業もなくなってしまいました…ミゼットプロレスを見世物小屋に置き換えさせて読ませて頂きますと まさに我が意を得たりとの気がいたします あっミゼットプロレスラーは興業がなくなり 随分困窮したみたいですね 女子プロレスの下働きでしのいだみたいですが 女子プロも分裂が進み 今はドーしているんだか… (14/06/25 03:20) まりあ 人を区分けして隔離し続けると最後は一人になって孤独になりそうね(;_;) 様々な方がたくさんいるから人繋がりや幸せを感じられるのかも、、、、、「セッションズ」はまだ見ていないですが、国外で性処理ボランティアさんの活動を見学したことがあります。不満、イライラ、寝つきが悪くなる方などへのボランティア。セッ スやブロー ョブのような行為はまったくありませんでしたよ(^_^;) 法律改正により、今後日本でも始まるのではないでしょうか? (14/06/24 09:00) 腐敗官僚 人類最速のウサイン・ボルト選手は生まれつき脊椎側湾症を患っていたけど、独自の走法を編み出したから世界一となれた。勿論、それは多くの協力者があったからなされた事だ。そうやって技術開発された事はあらゆる分野にフィードバックされ、我々の生活に反映されている。 (14/06/24 00:48) 腐敗官僚 パラリンピックはビジネスの側面がある。パラリンピックで使用されるパスケット競技用車椅子をみた事があるけど、自家用車1台分の製作コストが掛かってる。義手や義足に関しても全て最先端の開発の上に製作されている。 もし、俺がコスト度外視で100m走競技用の障害者用装具の開発を命じられたら…ジェット推進で音速の壁を破るパワードスーツを制作してやる。 (14/06/24 00:39) はいむるぶし 記入なしさん 何が楽しいのですか?多くの人に見てもらえるからですか?それなら私は別にそれを欲してませんが・・・ (14/06/23 19:01) 記入なし どうだろう?それ程までに秘めた思いがあるのなら、試しにamazonのレビューにでも映画の批評やらを載せてみたらいい。そっちの方が楽しくなるぜ。健常者も障害者もないからな。 (14/06/23 18:42) |
■ 2014/06/21 (土) 熱風よさらば |
「風立ちぬ」を見た。
この作品は色々と世間を騒がせたが実際見てみるとなぜこの様に騒がれたかまったく分からない。 たばこのシーンでもそれほどの違和感はない、右翼的思想もこの作品からは全く伺えなかった。 ま〜良しにつけ悪しにつけ宮崎アニメは話題性が高いという事なのだろう。 で・・・見た感想だが、面白いか面白くないかと問われれば普通に見れる映画としか印象はなかった。 これは恋愛映画なのかただの伝記的映画なのかそれとも宮崎アニメ特有の何かわけのわからない警鐘的映画なのか回顧的映画なのか・・・ 要するに何かテーマがぼやけた映画と言う印象であった。 内容もたいして目を見張る所も無く、作品自体が全体的に分かり易い想像通りの流れに沿った内容だけに淡々と過ぎていくという印象でしかなかった。 もう幾度と「引退」を叫んでいるだけに、もう過去の様な情熱や作品に対しての思い入れも限界が来ているのだろう。 私自身としては宮崎アニメにたいして過去からそれほどの思い入れはないし作品そのものも世間を騒がせるほどの作品はこれといって思い浮かばない。 敢えて上げるなら「カリオストロの城」「ナウシカ」「ラピュタ」ぐらいだろうか・・ しかし「カリオストロ」は純粋に宮崎アニメではない。 また、「ナウシカ」と「ラピュタ」は内容よりもキャラクターデザインが優れている点で上げているが内容としては面白いが世間を騒がせるほどではないと思っている。 私は以前「スタジオジブリ」と仕事の関係でお付き合いがあった。 その時に聞いた話だが「ナウシカ」の製作に携わったデザイナー、当時彼はまだ駆け出しのデザイナーだったがその彼の描くキャラクターが非凡で、宮崎は当然その彼の才能に惚れ込み「ナウシカ」の制作に彼のデザインを多く取り込んだ。 月刊アニメージュに連載から好評を博し映画化となったこの作品は内容よりもむしろキャラクターデザインが目を見張るものがあり宮崎よりも彼の功績の方が大きい。 その後彼は数々の成功を収めたらしい。 また「ナウシカ」の音楽を担当した「久石譲」の功績も大きい。 彼もこの作品から次々とその天才性を発揮し成功を収めている。 確かに宮崎駿の天才性を見抜く力は認めざるを得ないが彼自身のアーチスト性は凡庸であり、ここまで成功を収めているのはこの二人の天才によるところが大きい。 事実この2作品以降の作品は全て内容は凡庸であり、「回顧主義」「自然破壊」ばかりの内容に終始している。 特に酷かったのは「もののけ姫」「千と千尋」「ハウルの動く城」に至っては「ナウシカ」のカバー作品と思えるほどの内容で、この辺りから宮崎自身の限界が伺える。 スタジオジブリは2作目の「ラピュタ」で倒産の危機を経験した。 「ナウシカ」での成功で気を良くした宮崎の驕りがそうさせたのだ。 それまでのアニメ映画はそのほとんどがTVアニメからの映画化が基本的スタンスだったのに対し宮崎アニメは商業誌からの映画化だ。 「ナウシカ」はまだアニメージュと言う商業誌からの映画化だっただけにある一定のファン層は居たのに対し「ラピュタ」は完全にスタジオジブリ独自の作品で、原作が無い所からのスタートで、宮崎自身の本当のオリジナル作品であった。 だから当然宮崎自身はこの作品に相当な思い入れがあり、彼の本当の実力を世に見せつける試金石となる作品だった。 前作が大成功を収めただけに宮崎自身は相当の観客動員数を見込んだだろう。 しかし結果はものの見事に大失敗を呈し、ジブリは大赤字を出してしまった。 何の予備知識も無く、何の前提も無い完全オリジナルアニメ映画の制作は当時のジブリの親会社でもある「徳間書店」はその制作に難色は示していた。 しかし宮崎の執拗でかつ強硬な姿勢は強引にも「ラピュタ」制作を踏み切らせた、しかしこの結果を受け、宮崎自身のこの姿勢はジブリの存続やその他の全てに影響を及ぼし、彼の独善が生んだ被害は彼にとって相当過酷な物だっただろう。 しかし彼ほど幸運の持ち主はいない。 彼が所属していた「徳間書店」「スタッフ」はそんな彼を見捨てなかった。 普通のサラリーマンならこれほどの損害を出したなら即「左遷」もしくは「依願退職」を迫られるだろう。 「ラピュタ」での尻拭いからジブリの経営まで全てを徳間書店はバックアップし、彼を見捨てなかったのだ。 本来、スタジオジブリは徳間書店の100%出資会社でそこでは宮崎はただ単に社員の一人でしかない。 「ナウシカ」の成功で傲慢になった宮崎の姿勢には徳間側と幾度となく軋轢を生じていた。 しかし宮崎は徳間側に一歩も譲らず「ラピュタ」制作時には徳間側の影響を排除するためにもジブリ独立を訴え強引にもその野望を貫いた結果の事だ。 ただ単に一人のアニメーターにすぎない宮崎をここまで見捨てなかった徳間書店の懐の深さには日本人としての古き良き社風を見て取れる。 そして背水の陣を引いて制作された「となりのトトロ」 これはもうジブリとしては失敗の許されない事業だけにこれまでの単品上映ではなく同時上映に「火垂るの墓」を用意した。 これまで宮崎と高畑はタッグを組んで制作をしていたがここからそれぞれがジブリ作品を単独制作するシステムに移行する。 この映画がヒットするよう様々な仕掛けを徳間書店は仕掛けた。 映画上映の前にTV放映で「ラピュタ」を流した。 これが予想以上の反響を生み、スタジオジブリ作品の質の高さや宣伝として大きく広まり、ジブリオリジナルの作品に大衆は新たに知名度を上げ、それが追い風となって「となりのトトロ」はまた大成功を収める。 さらに同時上映された「火垂るの墓」はメインでもないサブ上映作品にもかかわらず反響は凄まじく高畑の名声までも上げた結果となった。 この成果は宮崎だけがクローズアップされているが実は徳間書店をはじめとする多くのスタッフたちの成果の方が実は大きい。 宮崎は「ラピュタ」の失敗から本当は知っているように思う。 彼の作品が支持されている本当の理由を。 彼が実は凡庸な才能の持ち主だという事を・・・ だからもう既に幾度も「引退」を口にしているのだろう・・・ 「もののけ姫」は彼の最後の作品として制作されたものだと思う。 彼の創作性はここが限界だったであろう。 と言うよりむしろ実は「ナウシカ」で終わっていたのだと思う。 なぜなら「もののけ姫」のストーリーは「ナウシカ」とほとんど変わっていない。 また彼は「もののけ姫」制作を機にスタジオジブリを退社している。 この事からも彼の心情は察する事が出来る。 当時私は「もののけ姫」制作の時一番ジブリに通っていた。 当時のスタッフは口にはしないがどこかわかっていたように思う。 宮崎アニメは「ラピュタ」で終わっていたのだ。 その後の彼は「神輿」でしかなかったのだ。 それ以降は徳間書店の業績悪化と博報堂のために働いていたのかもしれない・・・ ある種の「恩返し」なのだろうか。 たぶん彼は、一介のアニメーターに過ぎなかったことを、ただのアニメ好きの男だったという事を知りながらもここまで続けてきた・・・ 大衆パワーという目に見えない圧倒的パワーに振り回され、その恐怖と現実の狭間に生き、身の丈を超えた才能を押し付けられた男の最後の作品・・・ 本当に「お疲れ様でした・・・・・」 |
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はいむるぶし 記入なしさん 小説は読んでおりませんので分かりません。しかし多分脚本が宮崎なので大分変っているのでは・・ (14/06/23 17:44)
はいむるぶし 腐敗官僚さん おひさです!中島飛行機でしたっけ!まっ どんな開発も大抵は軍需が源流ですがね! (14/06/23 17:42) はいむるぶし まりあっち お〜早速見ましたか!そうですか!高評価ですね!これは「トトロ」と同じ内容です!そこに現存した人をモチーフにしたに過ぎない映画だと思いますね!「愛」は私とまりあっちにもう既にあるじゃないですか〜〜!^^ (14/06/23 17:39) 記入なし 堀辰雄の 小説『風立ちぬ』は読みましたが アニメ観てません 筋書き同じですか すじがきおなじなんでs (14/06/23 15:25) まりあ ウチの主人は涙流してましたよ〜★★★★★らしいです^^ イタリアの血が流れていることと、登場するオオバコの動き、私も見逃していたユキノシタの美しさにも共鳴していたみたいです^^ (14/06/23 11:45) まりあ 昨夜、早速見ましたよ〜(*^_^*)私のレビューは★★★★☆です^^ この映画は「愛」を表現されていますね〜。男尊女卑の時代ですが、平成の我が国では崩壊した、殿方の所作、女性を立てる心遣い、障子の閉め方、座布団の正しい座り方など。。古き良き国風文化からの我が国、日本の良さ、そして、人の限られた時間の生き方の大切さについて感銘を受けました♪ 見る方の育ち・教養・所得の差で見解が変わるかもしれませんね;;;(^_^;;) (14/06/23 11:45) 腐敗官僚 『風立ちぬ』の”紅の豚”バージョンのパロディ作品とか作ったらウケるんだけどねぇ。 ついでに「非力なエンジンの代わりにガスタービンエンジンを開発しますたぁ!!」とかやらかしたら、もっと面白いものになったんだろうけどねぇ。どうせ、フィクションだしw でも、この当時の航空機産業が現代の日本の自動車産業の源流となっているんだけどねw (14/06/22 20:54) まりあ 『風立ちぬ』はまだ見ていないので今度見てみますね〜(^O^)/「月月火水木金金 今日も、股下1センチ!」の時代やさかい、保守のウチはあきまへんわぁ〜^^; (14/06/22 10:25) |
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