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日々の記録


 ■ 2004/09/11 (土) 人間は誰だって失敗ぐらいするのだけれども・・・


 10日近く文章という文章がなかなか書けない日々が続いていました。何とか書こうという気を奮い立たせてパソコンのワードに向かってみると今日9月11日はあのテロから丸3年。もうそんなに経つのかという気さえします。ただでさえ昨今の国際情勢は目まぐるしさがあるだけに、物事が日々変化している事が感じられます。21世紀に入ってから3年と9ヶ月が過ぎましたが、子供の頃は21世紀といったらSFの世界に登場するような科学が発達して日々の生活の隅々まで苦労する事無く楽に過ごせる時代を想像していましたが、現実を見たら世界ではテロに戦争、我が国ではいつ終わるのかわからない不況に就職難、少年犯罪の凶悪化や外国人犯罪の増加にみられる社会不安、さらには官庁や企業の腐敗といったこの国の基盤そのものがもうおかしくなっているのかと思わざるをえない事ばかりがあふれています。

 自分自身を振り返ってみてもテロが起こった3年前はちょうど修士2年生でありましたが、修論は構想すらしっかりしたものが固まっておらずしかも文献もまともに読んでいない状態でした。普通なら2年の夏までに大筋を定めて、夏以降はそこに肉付けをする形で論文を充実させていくのがお約束だったと記憶しています。実際自分はそういった事もしないでただ漠然とドクターに行きたいとぬかしていた事が今となっては馬鹿馬鹿しく感じられます。ちなみにその頃の私は論文のろの字もわからないという体たらくでした。まともにやった事といえばライトノベルやコミックの発売日をチェックする事やTVアニメの放送時間に合わせてビデオのタイマー録画をする事ぐらいでした。今我が家のビデオは故障してしまって1年以上ビデオに代わるDVDレコーダーなどを購入していないためテレビ番組のタイマー録画も出来ない現状なのですが、故障した時まだ購入してから4年程度しか経過していないビデオを故障させたのは毎日のようにビデオのタイマー録画やら夜中や昼間に観賞する際、再生や巻き戻しや早送りなどをしつこくやって酷使しまくっていた事が原因だと思っています。

 あのテロ事件以降はアルカイダやらイスラムに関する本や21世紀のアメリカの世界戦略やアフガンやイラクの戦争に関する本、さらには帝国論のような国際政治の新たな側面(?)を提示する本などが数出ていますが、自分がそういったものに興味を持つようになったのは奨学金の無駄遣い発覚から数ヵ月後、つまり自分の2度目の留年が決定した頃からです。このような事から考えてみても、自分が様々な方面にアンテナを広げるようになるのが世間一般と照らし合わせても後手後手になっている事が伺えます。大学院に行っている以上は、常に物事の一歩先を見る事を意識しなければならなかった事は出てから気付きましたが、私は人がやった事に盲目的に追従する事しかしておらずしかもそれが自分にプラスになるどころかかえってマイナスしているようにも感じられます。ひとつの事しか出来ないという所でもうマイナスになっているといった事は以前にも書きましたが。
 

 数日前に私はミスをやらかして事で親から注意された事に対して、また感情を爆発させて近所迷惑な大声で怒鳴ってしまいました。おまけに大暴れしてテーブルや椅子を殴りつけるなど滅茶苦茶極まりない事までしてしまったのです。おかげで両手は今もわずかばかりですが痛みが残っています。私はこれから社会人になろうというのに注意を受ける事がどこか難癖を付けられたかのように感じる癖が全然直っていません。というよりもミスを大目に見て欲しいというか(人間誰だって失敗ぐらいするといってお茶を濁そうとした事もあります)、そもそも見て見ぬふりをして欲しいというような気持ちを持っているからその事を指摘されたら感情がえらく昂ぶってしまう事につながっているのかもしれません。悪い事をしてもバレなければ悪い事にはならないとか、見つからなければ何をやったって許されるという間違った考えを持っている事が自分を世間一般から距離を遠ざけているようにも感じられます。家にいる間に社会的常識を身につけるために、一日一日を大切にし失敗は明日の糧とする事を日々心がけているのですが、元々勉強には不熱心、好きな事だけをやっていたいという性格ゆえになかなか上手くいっていません。最近では父親からいっぺん社会に出てそこで様々な事を学んでみろと言われましたが、この事にも一理あるのではと考えています。

 社会を見てみる事は確かに大事な事だと思っています。私は十代というよりも小学生の頃から人付き合いが苦手な方でした。例えば小学生時代はファミコンが無ければクラスの友達と遊べないというそれはもう視野の狭い子供だったと今では実感しています。小学生時代を長々と書くつもりはありませんが、今を持っても視野が狭い事は自分の成長を鈍らせている事だとも感じられます。それゆえアルバイトに関しても、レンタルショップやCDショップの店員のようないかにも自分の趣味に近いようなものしか思い浮かんでいない事や、アルバイトで稼いだお金を自分の趣味の物の購入にしか眼中に置いていない事などが親に見抜かれていました。それこそ真面目なアルバイトなど探せばいくらでもあるのですが。そういった所で一種の社会勉強をして将来社会人になるための訓練をするという機会を自分から喪失していたという事が痛感されます。

 前述した「人間は誰だって失敗ぐらいする」は、私がくだらないミスをしでかした時に使ったりしますが、そう言って誤魔化しまくった結果が今の惨状につながっているとも言えるのかもしれません。確かに人間は完璧な存在ではないのだから失敗は誰にもあるという事は否定しません。しかしそれにおんぶに抱っこして物事の視野を狭めれば批判を受けるというのも当然であると認めざるをえないでしょう。私は大学院時代も自分の論文の経過報告を、ちっとも論文を書いていなかったためドタキャンしたりすっぽかしたりして指導教授に迷惑ばかりかけていました。さらには本来指導を受ける身でありながら、それを避けまくるという矛盾した行動をとっていた位です。それを「人間は誰だって失敗ぐらいする」と誤魔化していたように考えられます。終わってしまった今となってはまるっきり不適格人間をやっていたとしか思えません。これでは全く失敗云々以前の話です。
 

 20年にわたる学校生活は私にとって知識的な面はともかくとして、集団生活をはじめとする一般常識的な面ではほとんど失敗としか言いようの無いものでした。それゆえに社会人になるための常識を今年中に身に付けなければならないという状況に自分を追い詰めてしまい、それでもなお甘やかして欲しいという気持ちをまだ持っているという自分の不甲斐なさを暴れて時間が経過した後には痛感しています。親が厳しく注意する事も聞かなければならない事は認めています。日常生活を本能の赴くままに生きるというのはそれこそ自分を間違った方向に陥れる事になると実感しなければならないのでしょう。





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sen あと10回ぐらい大学院のことを書いたら、必ず次に進みなよ。 (04/09/19 15:22)
名無し 君は口ばっかりで実行力が皆無っていうのかな。現状で就職できても上司には嫌われるだろうね。とりあえずバイトして社会性を身に着ければ? (04/09/14 21:37)
幸運を祈る 3年前、自分はアルバイトしてましたね。そのテロが起こった時は、映像をみてびっくりでしたよ・・・ (04/09/12 13:56)
511 お気持ちは良くわかると同時に、自分にもグサグサと刺さりますね。人付き合いが苦手だと、なにをやるにしても、後ろ向きになってしまいがちです。どこに行っても人はいますから、人間関係をちゃんと構築できるか不安になるからです。僕もそうですよ。お互い頑張りましょうよ! (04/09/12 04:05)
韮山 私はテロの頃は銀行員でした。遅くに帰宅したら、ニュースがそれ一色だったのでよく覚えています。ただ、その頃を振り返り「自分は使えない銀行員だった」などとは思わないようにしています。新しい環境に身を置く自分にとって、当時使える銀行員だったかどうかは関係ないからです。3年前の自分を悔やむよりは、3年後の自分に悔やまれない自分であることの方が重要だと思います。修士論文のことは、もういいじゃないですか。今から手直しするわけにはいかないのだから・・ (04/09/11 23:23)
大人の少年 頭の中で考えてばかりだと、なかなか行動に移せないですよ、少しの時間でもいいからアルバイトでもして、違った環境で自分の身を置いてみては、どうでしょう?両親と同居であるなら生活そのものは、出来るが、せめて食費ぐらいは自身で稼いで両親に渡すようにして・・・少しずつ社会の「空気」にふれてみては・・? (04/09/11 21:51)
一般人 早く大学院のトラウマから抜け出さないと何も変わらないのでは・・。 (04/09/11 21:08)


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