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日々の記録


 ■ 2004/08/17 (火) お盆明けに思う事〜光明が差すのはいつになるのだろうか


 今週に入ってから関東では涼しい日々が続いていますので、割と過ごし易く感じられます。世間一般も今日あたりがお盆明けで様々な事が徐々に普段通りに動いていく事だと思います。
新聞の求人広告ないしはネットの求人情報がここしばらくは数が減っていましたがこれからは増えていく事だろうとも思っていますので、現在ほぼ休止中である就職活動も少しずつ力を入れていくつもりです。
 
 それにしても親と就職に関する話をすれば出てくるのは、もう自分は就職相場の価値から見れば賞味期限が切れているといったあまりいい話ではないものばかりです。大学院まで行きながらこれといった資格を持たず、正規の年数を2年もオーバーして修了した以上就職活動が難しいものになるとは承知した上で活動を行ってきましたが、その結果は前にも書いたように30幾つ受けて全滅。確かに文系院生の価値は四大卒から見れば低く見られている事も承知していますが、ここまでひどいとは思いもつきませんでした。いや第三者から見れば、文系大学院進学というリスクの大きな進路を進んだ以上は就職しにくい事は当然だと言われるかもしれません。親にも少なくとも大学院に進んだ以上は、資格職に就く就かないは別として教職や司書、学芸員の資格ぐらいは取っておくべきであったとも言われています。思い返してみれば、私の周りにも教職課程を取っていた人が何人かいましたが、大学院生としてはこれが普通なのでしょうか。馬鹿馬鹿しい事この上ありませんが、私はこの辺の事情といったものが全く理解できないまま卒業してしまいました。教職をはじめ資格過程を取っていなかった人もいましたが、そういった人達はさっさとドクターに進んでしまって小学生並の事しかやっていない私だけが放逐同然で卒業せざるを得ませんでした。

 私が面接まで進んだ企業ないしは団体では、いかにも私が「大学院ではまともな事を何一つやらないで追い出されてしまいました。だから御社(または御団体、御機構)で何でもいいから仕事させてください、エヘへ・・・」と言っているような感じであって本気で仕事などする気など無い輩にしか見られていないのではと思う事があります。面接で私の人となりが見抜かれている事については前にも書きましたが。

 将来就きたい職業に向けてスキルアップするために院に進んだのではなく進路の先送りで進んだ人間の限界といったものが感じられます。研究生活不適格者はそのまま社会生活も不適格だという事になるのでしょうか。

 世間では「何でもやります」=「何も出来ない」と見られる事があると聞いた事はありますが、就職活動オンリーの生活を続けている私は結局何も出来ないから就職活動をやっているというイメージでしか取られないのでしょうか。就職活動の時期になると慌てて何らかの資格取得に走る人達がいる事は知っていますが、そんな事をしたところで実際に選考において有利に働くのかどうか首を傾げたくなります。それとも情熱さえあれば、資格等でこれといったものがなくても採用されるのかと考えてもだらしない人生を送ってきた人間がたかだか数ヶ月張り切った所で底の浅さを見抜かれてしまうだけだと思えてなりません。

 自分の事を総合的に評価してもやる事なす事ろくな事をしてこなかった人間であるとしか言いようがありません。私は好きな事以外には何の関心も示さないという生き方を続けてきたので、学校の勉強自体も自分のスキル向上というより仕方なくやっているという感じでした。20年間の学校生活の中で親の目を盗んで勉強しているふりをして遊んでいた事など数えたらきりが無いほどです。大学院に進んで研究者の道を進むにしても、優れた研究成果を発表する事はもちろんですが、勉強が三度の飯よりも好きでなければ難しいという事も大学院を出てから気付きました。この事は他の分野(例えば芸術関係)でも同じだと思いますが。真剣に学ぶ気の無い人間は、人間の形をした何か別のものといえるのかもしれません。

 「この仕事をやりこなせるのは私以外にいない」、「私の能力こそが御社にとって必要だ」といった意志が相手に伝わらない限りは仕事に就く事は難しいのでしょうね。ただでさえ人が足りている昨今の状況では、他者よりも何か秀でたものがなければ仕事に就きにくい事は承知しています。考えてみてもこれは人に負けられないというものが自分の中からは見つからないのが現状です。だから学歴をひけらかせばひけらかすだけ恥の上塗りを繰り返しているだけに過ぎないのかもしれません。私の両親も卒業後の私の惨状を親戚に対してごまかし続けてきましたが、無職生活も半年になればそうもいかなくなると思っています。この日記をつけるようになってからそろそろ半年が経ちますが、まだ一筋の希望の光も差していないとしか思えません。









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MOTOAKI 書き込みして下さった方々ご意見はいつも参考になっています。私も院時代は資格に対する意識が低すぎたという事を強く実感しています。教職にしても私の周りで取っていた人でも実際その方面に進めた人はいなかったのではないかと思います。首都圏の公立校は人手が足りていてなかなか新規に採用される事が相当少ないという事も耳にしますし……。 (04/08/19 19:56)
MOTOAKI 私も判断しづらいです。ぺけぽむさんの日記を読みましたが、私が学生時代ないしは今現在も含めてあれだけの事を考える事など一度もした事が無いので、結構理詰めな話になるとついていけなくなりそうです…。 (04/08/19 19:49)
ぺけぽむ 合うかもしれない。でもオフ会したら話題がすれ違ってしまうかも… (04/08/19 19:36)
ブス子 MOTOAKIさんとぺけぽむさんは相性が合いそうですね・・。 (04/08/19 10:51)
ぺけぽむ 教職と言えば、通信教育でとる手もありますよ。実際に教えた経験のなさは塾講師のバイトで補うことができるかもしれません。私も仕事が最終的に決まったら狙ってます。教職をとらなかったことで、私は父母を落胆させ、自分自身も少なからず後悔しましたけど、専攻(専門教科)によってはほとんど求人がないから「とったところでどうしようもなかっただろう」と思っています。しかし、文学部の私も学部の頃はかなりいい会社に内定をとってたんですが…。大学で勉強したことをあまり重視しないという文化がついこの間まではあったせいで、却って学生時代に余計な何かを学んでしまった(と、企業には思える)院卒は不人気で、今でも恐らく多くの会社ではそうなのでしょう。私は院に在学しながら就職活動しましたが、院卒は専攻の内容まで見て採否を判断することが多いようで、お金にならない研究をしていた私は苦戦しました。学歴信仰を自らの存在根拠としている教育産業には「院卒」が光って見えたようなので、大方の就職活動市場では売れ残り必至の私でもその業界では複数内定を取れました。教職がほしいと改めて強く思います(塾業界よりは学校のほうが、文学部的な素質の人間には働きやすいように思えるので)。 (04/08/18 20:48)
えりさ 田舎くると、大学院出というだけですぐに就職できそうですけど・・・でも田舎の給料は安いのでおすすめもできない。う〜ん、せっかくの大学院卒業がネックになるんなんて、学歴社会とかいいつつ、そうではないんですね。私は教職だけはとっておくべきだったと今後悔してます。 (04/08/18 19:34)
韮山 教職・司書・学芸員は、その道に進む覚悟がないなら、とっていてもとっていなくても関係ありません。 ちなみにいうと、学芸員・司書は日本では軽視される傾向が強く、無資格者のパート・ボランティアなどに置き換える政策(欧米では考えられない・・)が進行中です。私は、4大で学芸員資格を取りましたが、この資格を生かす機会は、まず一生ないでしょう。 資格は「ブランド」ではないので将来設計との兼ね合いで選ぶべきです。教職・司書・学芸員は持っていないことを悔やむような資格では絶対にありません。 (04/08/18 15:46)
511 この日記読んだら自信なくしちゃった。大学院生って大学行けなかった僕からみれば、伝説の人くらいの凄さなんですけど。 (04/08/18 02:30)
幸運を祈る 自分は日記をつけて3ヶ月ぐらいになりました。 (04/08/18 00:10)


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