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話題

哲学してみないか?哲学書を読みましょう。

カテゴリ:生活
哲学書を読もう。

難しくて読んでて疲れるけど、
漫画でアボーンに時間をつぶすだの、
エロ本で一発抜くだのとは比較にならない達成感というか、
生きている実感というか、自殺する前に読んでみて損はないというか。
ブックオフなんかで安く手に入れて読もう。

場合とモノによっては、救いがあるかもしれない。
俺は救われた。モノは『存在と時間』。

あとはなんだ。キルケゴールの『死に至る病』とかニーチェの『ツァラツトゥストラはこういった』とかか。この辺から入ってくと人生の意味みたいなものを考えるときにいい。少なくとも、何もわからんまま自殺したり絶望的になってのたくってるよりはいい。

まあ、モノは何でもいい。哲学書を読もう。


投稿者 : なまいき小僧 日時 : 03/11/20 02:04
Infomation 234 件中 100 から 199 件まで表示しています。
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小僧です。100ゲット…は、まあ関係ないですね。

)4と5さん

新書では今お読みになられているやはり小泉さんの『何のために生きるのか』と熊野さんの『入門』あたりがベストです。
前者は思い切った大胆な読みを展開して、後者はテクストの解釈を重んじた“学問派”という感じでしょうか。

他に何か、と思ってアマゾンで改めて検索してみたら結構ありました。
自分で読んでみた事のある中で良いと思ったものを挙げてみます。

単行本になってしまうって値段的に高いですが、入門と研究の両方を兼ねた良書としてお勧めなのが、お勧め度星五つをゲットしていたこの本。
『レヴィナス 愛の現象学』 
 内田樹 
 単行本: 315 p ; サイズ(cm): 182 x 128 
 出版社: せりか書房 ; ISBN: 4796702369
 価格 2800円

そして、本人のインタビュー(!)が載っている、いわばレヴィナス自身が書いた入門書というべき…
『暴力と聖性―レヴィナスは語る』(ポリロゴス叢書)
 内田 樹 (翻訳), エマニュエル・レヴィナス, フランソワ・ポワリエ
 出版社: 国文社 ; ISBN: 4772003681 
 価格 2400円

この二冊、特に『暴力と聖性』からアタックされるのが良いかと。他だとレヴィナスの主著『全体性と無限』の新訳が、多分二・三年以内に岩波文庫(!)で出るという情報があるので、今出ている方は我慢して、こちらでゲットしたほうがリーズナブルです。

内田先生はレヴィナスを最初に日本に紹介した研究者の一人です。後発の研究者と違ってレヴィナスに対する批判、理解、そして敬意の深さが一際。
ホームページも開設されていらっしいます。なかなか面白いんですが直接リンクするのをちょっとためらうので、
googleで「内田樹」と打ち込んで検索GO! してみてください。


お大事に。ご自愛ください。

no.100 ( なまいき小僧04/03/17 18:09 )


私はミヒャエル・エンデの
〔エンデのメモ箱〕好きです。
エンデはドイツの物語作家兼詩人ですが哲学者でもあります。
て言うか、あの人の文学作品の全てが哲学です。

no.101 ( 04/03/17 20:53 )


小僧です。

エンデといえば、昔、エンデの『モモ』を読んだことがあります。
というか、申し訳ない、エンデは『モモ』だけだったりするんです。

文学と哲学の内容をともに含んだ作品というと…

やはり埴谷雄高の『死霊』ですな。こないだ読み始めました。
あと、カフカ。
シェイクスピア。
ドストエフスキー。
結構いろいろありますな。
まあ、私の場合どれもちょっとずつしか読んでないんですが(汗

文学というより“エンターテイメント兼哲学”の線でいくと、SF小説が数点すぐに浮かびます。
例えば、P・K・ディックの諸作品。
国内だと神林長平、初期の京極作品あたりがお勧めですな。

ところで他のスレッドでいろいろ考えてらっしゃるのを見かけて興味を持ったんですが、池田晶子を「くだらない」と一蹴されるセンスの方ならばこそ、とお見受けしてお尋ねします。

人格の「変化」と「同一性」の関係とは何であるか、暁さんはどうお考えでしょうか?

no.102 ( なまいき小僧04/03/18 20:01 )


チェーホフの愛したソストラダーニエ
弱いおれには、もっとも好きな言葉



no.103 ( 記入なし04/03/20 22:45 )


>小僧様
●レス有難う御座います、
 エンデの作品は素晴らしいですよ。モモもかなり好きなんです が
 宜しければ一度、〔鏡の中の鏡〕どうでしょうか。
●小池晶子さんの本ですか。ぃや。内容がくだらないと言ってい る訳では無いのですが、やはり内容が中学生向けで浅い目な気 がしたので。少し物足りなかった感がありましたね。
 〔くだらない〕は少し失言でした、〔物足りない〕ですね。
●人格の変化と同一性、、ですか。難しい題ですね。
これについてはまた後ほど、
考えを纏めた上で書き込みさせて頂きます。

●哲学的な考えを話し合える場など今まで無かったので
 かなり新鮮で嬉しいです。ではまた後程。




no.104 ( 04/03/22 19:45 )


>>100
4と5です。
なまいき小僧さん、レヴィナス本、お教えくださって感謝します!やっと『暴力と聖性』、『レヴィナスと愛の現象学』、ゲットしました。なんとか読めそうで嬉しいです(涙)。
『全体性と無限』の新訳…岩波文庫ですか!有り難いですね。講談社学術文庫でもちくま学芸文庫でもないのが(←おまえらほんとに文庫かー!と思うような値段の面々)。
では、合田正人氏訳は図書館で。って読めるのか>自分(泣)。

内田樹さんのサイト、見ました。すごい方で…しかも面白い方ですね。合気道もやっておられるとは…哲学者のイメージがまた、変わりました。

文学と哲学。私もちょっとずつしか読んでいませんが(笑)。
2月末に亡くなられたギリシア哲学の藤沢令夫氏訳の『オイディプス王』岩波文庫、以前通勤電車内でその文の美しさにうたれながら読んでいました。


「哲学は日常は使うことがない最終兵器」…
いつかまた、あの不安に戻ったとき、自殺も殺人も、消極的な形のそれも、しないで生きていられるように、あれこれ首を突っ込んでみずにはいられません。 暗い淵に直面したとき役に立たせるためには、私にはもう少し知的な強靱さが要りそうですが。


お気遣い感謝します。
お陰で、少し良くなっています。いえ、社交辞令でなく。
もう、お仕事をしておられるのでしょうか。ご多幸を心から祈念しています。


no.105 ( 4と504/04/04 22:30 )


 

no.106 ( 記入なし04/04/07 13:16 )


小僧です。

4と5さん、お久しぶりです。
ご軽快とのことで、ほんとに何よりです。
私はもうしばらく学生の身分を続けます。修士論文を書いてモラトリアムにさよならの予定。

就職活動も続行中なのですが…まだ、いろいろ迷っています。

レヴィナス本、ご無事に入手されたそうで、こちらも何よりです。

修士論文が「ハイデッガー対レヴィナスの代理戦争」みたいな内容になる予定なので、
そろそろ両方のモノからネタを拾っておきたいと思ってるところです。
その辺の関係でなにか聞かれたら、答えられるかもしれません(うまく答えられるかどうか、ちょっと自信がない状態ですが…)


では。ご自愛ください。

no.107 ( なまいき小僧04/04/07 15:22 )


わたしはキルケゴール、サルトル、ハイデッガーから井筒俊彦にたどり着きました。
これから大乗仏教に手をだすつもりです。
仮に仕事がみつかっても週末は読書したいですね。

no.108 ( 記入なし04/05/21 17:55 )


俺も読んでみようかな。哲学

no.109 ( 記入なし04/05/21 18:18 )


おお、スレッドがサルベージされている。
スレ立ち上げの張本人のなまいき小僧でございます。
わざわざこのスレを拾ってくださった方、感謝です。

だらだら続けている就職活動のせいで読みたい本がなかなか読めない…
で、哲学書にかじりつく気力のないときは小説につい手が伸びてしまいますが、
ここのところ、そういう線で見つけた作家さんの、保坂和志にはまっています。
哲学的なテーマを含んだ小説が前にこのスレッドで話題になりましたが、その線で読んでも面白いし、一種の“無職小説”みたいな感じで呼んでも面白いですね。

>108さん
読書は欠かしたくないですね、ほんとに。
本を読む時間を確保しながら生きていくってのが、今の世の中かなり大変なことになってしまっているように思います。

大乗仏教と言えば、私も竜樹の『中論』をこないだ少し齧りました。
実践的な部分がある仏教哲学のほうが西洋哲学よりも、何と言うか、役に立て易いように感じます。

)109さん
はじめの2・3冊(できればそれぞれ違う著者のもので)を読んでみて、興味を引きそうな方向が見えてきたら、そっちの方向に掘り進んでいくのがいいと思います。

なんとなくですが、無職的な素質を持つ人は実存主義(ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガー、サルトルなど)と性が合いやすい気がします。
例えば、キルケゴールの『死に至る病』なんか、このサイトに集まる無職の人の目から見た人間スケッチの先取りみたいなところがありますよ。
複雑で暗い話と皮肉だが深いものの見方がお好きなら、是非一度、読んでみてください。

no.110 ( ぺけぽむ04/05/21 20:58 )


心理と哲学であってほしい。
感受性と記憶力みたいに。。。

no.111 ( 記入なし04/05/21 21:13 )


オナニーについて哲学しませんか?

no.112 ( 記入なし04/05/21 21:17 )


108番です。トピ主さん健在でよかったです^^。
竜樹の『中論』ですね、これは真っ先読んでみたい本です。



no.113 ( 記入なし04/05/22 18:44 )


スレ主です。

ときどき「ぺけぽむ」になることがありますが、基本的には同じ人間です。

〉108さん
講談社学術文庫でそのまんまずばり『竜樹』というタイトルの本が出てます。
学者による研究書の部分と『中論』が一冊に入ってます。値段は高いですが、中身を考えると損とはいえなかったと思います。



no.114 ( なまいき小僧04/05/22 22:12 )


なまいき小僧さん、貴重な情報有難うです^^ - 108番より


no.115 ( 記入なし04/05/22 23:41 )


小僧です。

とつぜん議題提案。
「働くこととは何か?」

とりあえず高度な議論ができる体制が私にないので、
このスレッドをたまたま見たお暇なかた、漠然とでぜんぜんかまいませんから、
「働くこと」について二言三言から語ってみてください。

スレッドの性格上、というかスレ主の私の性格上かもしれませんが、
「……だ。だから働かなくてはならない。」ということを前提にしないでいいし(後ろ向きな思考も充分可)、「……だ。だから働く必要はない。」でもかまいません。
いったん肩の荷を降ろして、そもそも働くことって何だ、ってのを考えてみたいっす。

働くことが即人生でないことが良く分かるようになった今の時代、どうせ暇ならこういうことを考えてもいいんじゃないか、と思います。



no.116 ( なまいき小僧04/05/27 15:08 )


資本主義社会では人が生きていくためにいくらかの金銭が必要であり
働く事とはその生活を成り立たせるために手っ取り早く金銭を得る手段である
またそれは社会への参加であり国民としての義務でもある
現代社会では金銭を得るための方法として様々な形態があり
一頃の様に汗を流すといった労働と呼ばれるような形態から
知識や情報といった無形物を金銭に換えることが可能となっている
しかし人間はある程度体を動かす必要があり
スポーツジムなどに労働で得た金銭を支払って汗を流す人達もいる



no.117 ( 記入なし04/05/27 15:56 )


オナニーについて哲学してみるか。
なっぜオナニーは中毒性が有ってやめられないか。

no.118 ( 記入なし04/05/27 16:03 )


働かないとお金が手に入らない。
お金がないと飯が食えない。
飯が食えないと生きていけない。
……なんてことを最近考えています。

no.119 ( 記入なし04/05/27 16:54 )


基本的に、「食っていくため」というのが働くことの端的な目的だと思っています。
食っていくことを一度も要求されない人生や、食っていくためと言う条件を満たせない労働ってのは聴いたことがないので。

ただ、最近、「食っていくため」以外の目的が<働くために>必要だ、という風潮が出てきたように思うのです。

上↑の文章、おかしいですよね。でも最近、こういう言い方をする人が結構いるみたいです。
「長く働き続けるためには、モチベーションを維持し続けなければ…」みたいな。
動機が手段にされてしまっていて、よく考えると「働くこと」が自己目的化されている。

わが社の存続のために当社の存在意義を明確に、という言い方もそうですが、
それは社の存続のために後付で存在意義を立ち上げているようにしか見えません。
こんな論理的におかしい言い方、考え方をしないと、
今の日本では「働けない」「経済が成り立ち行かない」ってことなんでしょうか。

少々、愚痴っぽくなりましたが、
「働くこと」には、「食っていくこと」を核にしていろいろな意味がまとわり付いているのではないか、と思うのです。
「食っていく」こと以上にプリミティブな「労働の意義」はないと思うのですよね…

no.120 ( なまいき小僧04/05/27 19:24 )


>118さん

言いだしっぺ、ということで、まず118さんからどうぞ。

私も語ろうと思って語れないことはないですが、自分のセクシュアリティに関する分析を人前でする趣味がないのです。最期までにつめれば、自分がどんなセックスやオナニーで一番感じるかを人に語ることになりますから。
要するに、恥ずかしいので小僧から語りだすのは遠慮します。

no.121 ( なまいき小僧04/05/27 19:28 )


頭が悪いので、哲学を理解することが出来ません。

no.122 ( 記入なし04/05/27 21:58 )


今推薦本をよんでいるところです。
こういうのがじっくり読めるなど、仕事がなくて嬉しいです。
by113

no.123 (  04/07/09 07:56 )


実存主義がすきなら、西研氏を読むべし。

彼の「実存からの冒険」は良書だと思う。
あと、「ヘーゲル大人のなり方」も変な題だけど、面白かった。



no.124 ( 記入なし04/07/09 10:25 )


哲学とはちょっと違うんだけど、マックス・ウェーバーの「職業としての学問」は
お手も刺激的で面白かった。しかも短いしわりと平易な文章でお勧めです。
著者のウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などで有名な
社会学者で、いわゆる哲学、思想の研究者ではないです。

自分の学問に意味はあるのか?、そう疑問を持っても意味なんて論理的には
知りえることができない。
意味があるものだ、というところから出発して体系を作り上げるしかない。
根拠のない不安には「耐えろ」、と厳しい要求を出してきます。

確かそんな内容だったと思います。
これは本当に衝撃を受けましたね。わかんねぇんだから耐えろ!って
サクサクと論理的に、実もふたもないこと言われちゃうんだから(笑)。


no.125 ( 記入なし04/07/11 01:19 )


小僧です。お久しぶりです。

>113さん
働いているとそちらに気をとられて哲学しずらくなる、ってことはやっぱりあるでしょうか…。
「働かないと生きていけない」わけで、つらい所ですが、さりとて哲学しないで生きていくのもつらいですよね。

>124さん
西研氏の本…確か、「哲学はなんの役に立つか」と言う本を読んだことがあります。
個人的には「ちょっと違うんじゃないか」とも思いましたが、哲学書としての価値は疑いようがないです。

>125さん
「職業としての学問」ですね。哲学的な内容が書かれているのは哲学書に限らないってことの好例ですよね、あの本。
「無根拠に耐える」ことは文字どおり「根拠のないことにただ耐える」ことなのか、
それとも「単に自ら自身のみを根拠にしてその重みに耐える」ということと同じことなのか、気になっています。
「根拠は(根拠が自分以外のものに奪われていると言う意味ではなくて、本来的に)自分の外にある」という個人的な感触があるのですが、このことと「無根拠に耐える」ことがどう関係するのか、個人的にはまり込んで答えが出ないでいます。

no.126 ( なまいき小僧04/07/12 14:47 )


哲学ってなにも書物が優先でないよね
きっかけが何かで書物に行く流れじゃないのかな
書物至上主義だと身の回りの状況を書物に合わせる癖つくと思う
本質がどこにせよ環境と書物で自己哲学を表現してる
それが一番響くのは学の無い俺の言い訳かな

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/7487/Icon/006_411.swf
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1715/syokan.swf 




no.127 ( 記入なし04/08/08 00:01 )


ttp://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1715/syokan.swf

no.128 ( 記入なし04/08/08 00:20 )


明日は明日の風が吹く。

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/7487/Icon/006_411.swf
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1715/syokan.swf

no.129 ( 記入なし04/12/19 23:32 )


うああ哲学事典なら漫画本で哲学について書いてあるからいいとおもう。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063375552/qid=1103500863/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-6090627-9254761

no.130 ( 記入なし04/12/20 09:01 )


ニーチェの『ツァラトゥストラ』はなかなか読みやすいです。

no.131 ( 記入なし05/01/21 22:04 )


131
タイトルだけで口がもつれます。本の中身はどんなことなってんだ〜??

no.132 ( 記入なし05/01/21 22:08 )


上の方でハイデガーの「存在と時間」わかったとかマジか?
有名哲学者でも解析しきれてないんだぞ。
俺も実存主義に惹かれてた時あったけど、「存在と時間」一応読んだが、難しいわ。

今は日本の実存主義の走り?の、道元の「正法眼蔵」たまに少し読む。
佛教語大辞典を使いながら。
あと、親鸞の「歎異抄」も。

ただ、実存主義は座禅とかの身体性を同時に取り入れないと、
自殺につながりやすいらしいので要注意だ。

最近は、解析の哲学、よりも、救済の佛教に惹かれる。

no.133 ( 記入なし05/01/21 22:13 )


知識詰め込むより
自分の環境を自分流に哲学してみる
それが一番
自分の感受性と今と知識を照らし合わせて自分の言葉で表現する
それが今必要な時代

no.134 ( 記入なし05/01/21 22:58 )


心の哲学、文字?の哲学といった新しい哲学を学んでいる方いますか?
もう哲学の時代じゃないんでしょうかね?

no.135 ( 記入なし05/01/22 00:41 )


デカルト、カント、観念哲学とか、昔覚えたような気がするが、
肝心なことが、わかってないんですが。

哲学って、社会にどう作用してきたのか?それとも、起こってることを検証してるだけなのか?

no.136 ( 記入なし05/01/22 11:24 )


ハイデガーの「存在と時間」はうああ哲学事典下を読んだら概略が分かった。
本そのものでは中々難しい。

no.137 ( 記入なし05/01/22 12:01 )


>>137
「うああ哲学事典」なんて漫画があるなんて知らんかった。見てみます。ありがとう。

私は実存主義を分かりたくて、岩波の「存在と時間」を読んで難しくて、
岩波の哲学思想事典で補ったり、
筒井康隆の「誰にもわかるハイデガー」というテープを何回も聴いたけど、
なんとなくレベルでした。
しょせん凡人と思いしらされました。

ただ、本当に分かるにはドイツ語の裏に書かれた意味やらでドイツ語で読む必要が
あったり、プロの哲学者が一生かかっても完全解明できなかったりで、
自分にはしょうがないとは思ってますが。

no.138 ( 記入なし05/01/22 13:00 )


ドゥルーズやガタリを学んでいる人いますか?
「千のプラトー」とかあたりです。
あと、上野俊哉「ディアスポラの思考」とか。

no.139 ( 記入なし05/01/22 23:15 )


自分で感じる事の方大事だろ
そんで調べる
そんで理解したり違うなとか思ったりする

感じる
そんで調べる
そんで理解したり違うなとか思ったりする

それしないと
単に知識の詰め込みでしかない




だって最初に哲学した人って参考書なんてないから

no.140 ( 記入なし05/01/23 00:41 )


>>140
全く仰るとおりです。

私は、今この時代に自分が生きている、存在しているということは
どういうことなんだろうと感じ

調べ

理解したり違うかなと思ってるところです。

調べ考えの所で、いろいろな角度から見たいのでいろいろな参考書というか
文献を読んで考えたいです。
同じテーマでも著者によって解釈が違いそれぞれ勉強になります。


哲学に限らずどんな分野の偉人も参考書は無いですが
凡人の私には必要です。それに過去の偉人もそれまでの人類の蓄積を
まったく使っていないというとうそになります。

もちろん行動し感じることが一番重要だと思ってます。人生のスパイスに哲学は
個人的には面白いです。

no.141 ( 記入なし05/01/23 00:56 )


>140
ショウペンハウエルの考え方ですね。

no.142 ( 記入なし05/01/24 00:55 )


たしかに、まずは自分自身ですよね。
自分自身の現実をしっかりと見据えたうえで、自分自身の言葉と、
自分自身の行動で哲学していく。
それを大前提として、過去や現在の偉人たちの考えを参考にしていく。
そうありたいです。

no.143 ( 記入なし05/01/24 01:38 )


1のなまいき小僧さんはもう居られないのですか?

no.144 ( 記入なし05/01/24 02:00 )


世の中の人間馬鹿ばっかりだ。

no.145 ( 記入なし05/01/24 03:46 )


誰か、加藤諦三先生の事を知っておられる方いらっしゃいませんか?

no.146 ( miya05/01/24 09:25 )


お久しぶりです。

>133さん
関係ないけど私、合気道やってます(二段)。
ハイデガーの哲学には身体が出てこないのが物足りない、というか、結局身体が出てこないせいで、ハイデガーの言う「死」はいったい何なのか良くわからない抽象的なことになってしまってる、と思います。
実存主義→自殺は、もしかしたらその抽象性に引き込まれた結果ってことではないかなあ、と愚考。

>138さん
岩波の『存在と時間』はハズレです。あれはすこしひどいです。
修論書いたときにぱらぱら読んで検討したけれど、誤訳が多いし今の論文や解説書では使われない訳語が多くて混乱の元。別の訳をお勧めします。
いまだと中公クラシックスか「世界の名著」版がベストで、筑摩文庫で出てるやつも読みやすいのでお勧めです。あの二つなら原書なしでも一応読めます。


どちらにしろ哲学書は何が書いてあるかわからないからこそ読む価値があると言う面もあるので、
わからなくても気にしないで、しかしわからなかったことはどういう風にわからないのかをきちんと整理して先に行く事にしています。
全部読んでから読み返せばわかることもあるしね…。

no.147 ( なまいき小僧05/01/24 10:36 )


>>147 なまいき小僧さん
ありがとうございます。
中公クラシックスの「存在と時間」を読みたいと思います。

なまいき小僧さんは、最近はどういう分野をされているのですか?

no.148 ( 13805/01/24 18:19 )


岩波、読んでました _| ̄|○
私も138さんとほぼ同じ道程を辿っています。

ありがとうございます。早速図書館へ行ってこよ。

no.149 ( 4と505/01/24 21:59 )


>>149
おお、同士がいて嬉しいです!
1年以上前から書かれていたのですね。
私は、哲学書は一生ものだと思ってるので全部買ってます。(今回はバイト決めてからですが)。中公クラシックスの存在と時間は3巻で4500円ですもんね。

no.150 ( 13805/01/24 22:34 )


>138さん
四月から仕事が始まるので、それまでのんびりします。
今はヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』をちびちび読んでます。少し前に出た岩波文庫のやつ。
これは読みやすい(原書とは照らし合わせてないけど…)。

修士論文が指導教官のお指図でレヴィナスに触れられず、結局ハイデガーだけを扱ったことが不満な感じで燻ってますが、
まあでもハイデガーを論じながらレヴィナスっぽい感じの論文になってしまったのでとりあえず良しとしています。

no.151 ( なまいき小僧05/01/25 10:54 )


>>151 なまいき小僧さん
哲学専門の方に聞けて嬉しいです。私は工学部出身で素人なもので。
ぜんぜん分かってませんが、とても面白いので少しづつ哲学は学んで生きたいです。

ヴィトゲンシュタインは記号の哲学というものなんでしょうか(よく知りません)
私は岩波の「存在と時間」が分からないので、道元の「正法眼蔵」少しずつ読んでます。
分かってませんが存在についてはもう少し考えたいです。

私が一番学びたいのは、ノマド思想です。
ドゥルーズとガタリの「千のプラトー」少しずつ読んでるのですが、この中で国家という装置に対抗する戦争機械を所持した対抗勢力がうんぬんと出てくるノマドロジーです。
関連して、上野俊哉「ディアスポラの思考」、伊藤益「旅の思想」、エリック・リード「旅の思想史」、斉藤日出治「ノマドの時代」(哲学書じゃないですが)等もです。
2001年ころBSとかで紹介された、アメリカの電脳カウボーイという新しい生き方に感銘を受けて、ジプシーの思想の方を(ネットワーク時代の変革も含め)考えて生きたいです。
今のフリーター等の新しい働き方生き方の流れも踏まえた、アンチヒエラルキーのノマド的生き方を作るベースがほしくて学んでいます。
アメリカでは電脳カウボーイの支援システムが発達しててたくさんいるようですが(ITバブル崩壊で近況はわかりませんが)、日本ではずっと探してるのですが皆無です。
今まで10数カ国旅を放浪して、そういう新しい生き方はできぬものかと常に考えてます。
かといって現在の派遣だらけの奴隷商売的労働システムは疑問で、直接雇用または自営ベースでの雇用の流動化(セーフティネットも整備し)が必要だとは思ってます。
陸海空のスポーツをやってましたが、国境だけでなく陸海空等のいろいろな障壁をボーダレスに自由に動くような感覚の自分なりの考えを作りたいです。

そういう分野のいい本やサイトやアドバイスいただきたけませんか?
また、素人でも参加できる勉強会や読書会のサイトみたいなののお勧めとかありますでしょうか?
それと、哲学って基礎を一回体系的に勉強したほうが理解がいいんでしょうか?(どっかの通信過程とか)

なまいき小僧さんはどういうお仕事を4月からされるのですか?

no.152 ( 13805/01/25 12:44 )


哲学的な何か、あと科学とか

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/index.html

新釈 うああ哲学事典

http://d.hatena.ne.jp/ELEGY/20041214

no.153 ( 記入なし05/01/25 12:47 )


>138さん
私の仕事は、えー、教育産業ってことになるんでしょうか。正社員です(でも急がしそうでヤダ)。

現在刊行されている書物としての『存在と時間』には、

「実は、存在と時間について書かれた本ではない」

というすごい罠があります。存在と時間の話だと思って読んでいると一向に理解できないんですよ。
あの本は人間学の本だと思って読んだほうが意味が通じやすい。

で、哲学の基礎って言った場合、専門家養成のための基礎と教養としての基礎かで中身が違ってきます。
専門家養成の場合、それこそ自分の専門分野の本を読めるだけ読むと言う姿勢が基礎。
そうでない場合は、自分が読む本を選ぶ指針としての基礎であればそれでいいわけです。

哲学で重要なのは先に○○主義を立てることではないし、現代思想の先端を追っかけることでもないと考えるので、
私は「ノマド主義」なるものを意識して本を読んだことがない。それにドゥルーズを読んでない(汗
ですので、138さんのお役に立てるかどうかは微妙です。
よろしかったらもう少し精細に138さんの思考を展開していただきたいと思うのですが。

ジプシーの思想と言うものがあるとしたら、それは語られない思想として生きられるものではないかと直感的に思ってしまいます。
思索や読書や執筆と言うのはそれ自体が定住的な…そして、必然的に序列を招きよせてしまう作業だと思えるのです。

参考までに…
哲学の「教科書」なら中島義道の『哲学の教科書』(講談社学術文庫…だったかな?)がよいと思います。
おおむね西洋哲学がどんなことを考える営みだったかと言うことが良く分かります。

no.154 ( ぺけぽむ05/01/25 13:48 )


>>154

 ぺけぽむ さん(なまいき小僧さん?)
4月からお仕事がんばってください。

アドバイスありがとうございます。そんな罠があったなんて(汗
中公クラシックスの「存在と時間」を少しづつ読んで考えていこうと思います。

私は哲学は素人ですから、教養としての基礎ですね。

ノマドは、いかんせん詳細に展開するほどの思考はまだありません。
っていうか、素人が自分なりの考えを作るっていうのも傲慢ですね。すみません。

私はシステム開発をやっていたのですが(PG/SE)、ご存知だと思いますが、
そこで使うオブジェクト指向の考え方がなんか実存主義なのか?、という感じを受けます。
そのモジュールとは一体何なのか?何をするのか?外部とのかかわりは?というところから設計するので、ああこれは面白いなあと思ってました。システムの機能自体の存在を問う感じです。そんなころ実存主義のNHKのテレビを見て似てると思って、それからです。あと「ソフィーの世界」と。

定住的と遊牧的ですが、いろんな国を旅してみて、また、電脳カウボーイもそうでしたが、新しい技術によってそこの垣根を越える可能性があるんじゃないかって2001年ころは本気で思ってました。(キャンピングカーで生活&ネットで自営仕事等)。アメリカで実際にやってた電脳カウボーイも定住から遊牧的生活の精神的土台が無く不安な感じがしまして、そこの部分を昔からのロマ・ジプシーの思想を参考にできないかとか考えてました。
あと、動物が思想するかは知りませんが、陸海空スポーツをしてると視点が違うので、魚や鳥や熊の視点から他の領域への視点への自由な移動?とかにもつながるかなと思いました。
ただ現実的には、システム開発の仕事がしぼんできて最近は厳しいかなと傾いてきてます。

素人が哲学を学ぶのにどれほどの意味があるかは知りませんが、
個人的にとても面白いので残りの人生も少しづつ学び考えて生きたいです。

教えていただいた教科書読んでみようと思います。
ありがとうございました。

no.155 ( 13805/01/25 14:56 )


>138さん

私こそプログラミングにはまったくの素人なのですが…
お話の感じからだと、ハイデガーの「道具的存在者」の概念で把握したものを
そのまま製作物にする仕事、のような感じに思えます。

いわゆるロマ族の、国を持たない氏族の運命と言うのはある意味で過酷なものだったはずです。
ユダヤ系民族の歴史と似ているように思います。国、つまり土地を持てない人々であるところが共通なのです。

今でこそユダヤ民族は国家を持っているけど、国と土地をもてない彼らはキリスト教の共同体からも排除され、結局土地に束縛されず、キリスト教では低い価値しか与えられない金、貨幣によって生きるしかなかった。ヨーロッパと言う空間を閉めるキリスト教世界で生きていくには、キリスト教とは独立に価値を持つ金銭、つまり資本を握るしかなかったということ。
それがさらに差別を招き、最後は20世紀の大虐殺までも引き起こした。

ユダヤ民族はその資本力によって(一枚岩ではないが)権力と世界的な発言力を得た。
しかし、金銭を握れなかったロマ族は今存亡の危機に立たされている。
今では彼らこそ、ノマドの宿命を生きている。ノマドは持たざるもの、奪われるものにならざるを得なかった…。

アメリカの電脳ノマド的な人々にしても、アメリカの高度資本主義社会が実現したテクノロジーによって可能になり、
そして一つの巨大なネットワークに接続されていることで初めて彼らの生存環境が成立することを考えると、
彼らは再び旧来の歴史をたどることになるのではないか。もてるようになったものだけが生き残る歴史を…。

ノマドという言葉で私が思うのはそんなことです。
ヨーロッパという空間に住みながらも、ヨーロッパの世界そのものからは阻害され続けたのがユダヤ民族の歴史、と素人並に思う私です。

no.156 ( ぺけぽむ(なまいき小僧)05/01/25 17:58 )


>>156 ぺけぽむ(なまいき小僧)さん
なるほど。
哲学専攻の方って本質の掘り下げ・根本の追求が鋭いですね(当たり前でしょうが)。思わず何回も読みました。

確かに、いくら現代の遊牧民と言ったところで、無線LANにしろ携帯電話にしろ基地局が必要で、以前そういう仕事もしましたが基地局の製造・メンテナンスは定住民ですもんね。
鍋を直したり楽器やダンスでお金を移動しながらという、本当に土地に依存しない生活とは別ですね。
移動に使う馬・馬車・幌もロマは自分で治したのでしょうが、現代のキャンピングカー・PC・携帯はそういうわけには行きませんので、結局定住民の手のひらですね。
で、現実にアメリカでエリートのソフトエンジニアがここ数年大量に失業している。例として出されていた電脳カウボーイの人(妻子持ち)は、翻訳の仕事をネットでしていましたが、どんどん翻訳のシステムの精度が上がってきて将来性は分かりません。「ずっとこういう生活をするつもりは無いです」と言っていたし。

ITバブルの一連の流れでもありますが、仰るとおり、ユダヤとロマの流れを追っている感じがします。ITバブル時代に当てた人は株の売却益で悠々自適や他の業界をやったり、実質派遣の形でシステム開発やってたPGやSEがここ数年仕事が激減したり将来性の不安でどんどん辞めて行って単純バイトの日々。皆最初から定住民ではあるんですが。
結局グローバル資本主義の結果なだけで、社会主義でもない新しいシステムが生まれる可能性は無いんでしょうかね?

あと、日本のサンガ?や山師?や猟師については調べてないのですが、そういう1次産業がらみでもあったようですね。今だと、大道芸人、牧場・農場の季節労働、あちこちの漁師について作業する人、期間工、農家の冬の出稼ぎバイト、フリーター、(極端な例ですが)季節で移動するホームレス等なんでしょうか。違うところもありますが、定住と遊牧は正社員とフリーターの問題に近い感じを受けるところもあります。

私は父が転勤族で、生まれたときから必然性無しに転々としてきました。今まで20回弱引越ししてきて、必然性の無い移動の感覚があってジプシーの人に興味が出ました。ただ考えが文字で残ってないらしいんですよね、ノウハウや精神的根本は必要なんで存在したと思うんですが。川田順造「無文字社会の歴史」とか少し見ても、現代文明側から無文字文明のアプローチでは分かることに限界があるようで。
雇用の流動化が不可避な時代においてドゥルーズの「千のプラトー」のノマドロジーがそのまま参考になるかは分かりませんが、何らかの精神的思考的土台が必要だと思ってます。

今までイスラム圏の国は5カ国旅してきたんですが、ロマはインドから東欧の方へ行ったらしいですが、イスラム系もアラビア語とイスラム教をベースにユーラシアを流浪的に活動してたようですね。当時はイスラム圏は高度な文明圏で力もあったし、皆兄弟の感覚で無料のイスラム大学があったり(今も)。現地人の家にしばらく住んでモスレムの彼らと毎日話し、感覚が国境よりも宗教圏の区切りが大きいのを毎日実感してました。国境・宗教圏・ネット・人種・言語等々を常に切り替える必要がある時代が来るとしたら、定住固定的よりも遊牧流動的ななんらか、が必要になると思うのですが・・・

昔は、ヤマトタケルや松尾芭蕉等、日本にも放浪をした人はいるんですよね。ただ、ロマのように必然か、そうでないかで本質はやはり違うんでしょうが。
必然性が無くただ新しいライフスタイルを求めるのは、旅や趣味に近い事になってしまうのか、必要は発明の母とか言うし。ただ父のような大企業に一生勤める生き方にも疑問を感じてしまいます。まあ、そういうレールからは大昔に外れてますが。

哲学って現実の生活や仕事を絡めないで、そっから生じた疑問の本質だけを抽出して考えていったほうがいいんでしょうか?
どっかで見たか忘れましたが、哲学の姿勢を否定する哲学、哲学をしない哲学っていうのもあるんですよね?うーん、奥が深くて面白い。

no.157 ( 138(イサヤ)05/01/26 17:28 )


>150
イサヤさん
4550円かも知れません(w)
(第2巻のみ1550円なのだそうです)
こちらこそ嬉しいです。
私は図書館乱用者です…が、いいものは手許に置きたいですよね。

私は、自分の持っていた不安がわかりたくて、実存主義に近づきました。いまはなまいき小僧さんの影響でレヴィナス、内田樹の著書、関連書に少しずつ接しています。
すぐにはわからないかもしれない。でも求める気持ちがあるうちは、読み続けることになると思います。

書き込み、興味深く拝読しています。では。

no.158 ( 4と505/01/27 23:41 )


>イサヤさん

世界を旅された方なんですね。私のように家に居着いてしまっているとどうしても思考の幅が狭くなってしまうことが気になってしまうので、とてもうらやましい経験に思えます。

哲学の姿勢というのは、やはり哲学者の数だけ姿勢があると言うのが本当ですね。
確かに、西洋の哲学者には「書斎派」的に、物事を抽象的に眺める人が多い。典型的な学者の仕事や貴族の学問として発展したから結果的にそうなったと言う面が強いです。
で、そうなると、やはり現実の生き生きした<真実>をはなれた書斎の真理だけが価値をもつことになりやすい。

有名なニーチェは、確かにキャリアや伝記的な記録からすると、若いころには超優秀な古典学者として名をはせていましたが、しかし病が元で世間から退却せざるを得ず、人生の大半を引きこもりのような形ですごしたと言う面もある。
ある意味では、ニーチェは、世間に受け入れられない、自分を世間に投げ込めないという抜き差しならない人生の事情から世界を眺める仕方を独自に編み出したともいえる。
と言うことは、書斎の学者は書斎から抽象的に世界を眺め、書斎でぬくぬくできない人生を歩む人はその生き方から世界観を編み出すことわけです。

哲学が、単に抽象的な理屈を並べることではないというのは、そういうことこです。もちろん、言葉だけの、現実から遊離した世界を作り上げたその世界の支配者になることでもない。

哲学者の言葉とは、詩人や作家のそれと同じく、哲学者が現実に直面している出来事から編み出されたものです。
もしそうでないものがあるとしたら、それは、哲学を、せまくるしい書斎や学会内部の真理に祭り上げることで自分の仕事を権威付けようとする学者先生のつけたおまけのようなものだと思います。

                           (…ちょっと口が滑ったかな…?)

no.159 ( なまいき小僧05/01/30 16:41 )


>158 4と5さん

価格の方、ありがとうございます。お金が入ったら買おうかなと思ってます。

レヴィナスは読んでませんが、「存在と時間」は私も分からないなりに学び考えたい
と思います。
正直、分からないのが楽しいです。すぐ調べて分かるとかでは物足りないというか、
一生分からなくていいから楽しみたいです。
趣味レベルだから許されるのでしょうが、「ああ自分は全然わかってないなあ。
よしもう少し考えよう」が楽しいですね。

ではでは

no.160 ( 138(イサヤ)05/01/30 22:11 )


>159 なまいき小僧さん

そうそう、親が転勤族での必然性は、私個人は会社から言われてないので無いという
ことです(子供なので当たり前ですが)。第3者からは、親についていくしかないので、
必然性ありですね。

昔、社会学専攻の学生と話して彼が「昔は精神の時代、今は科学の時代で、その時代
時代で真実や正義が違う」というようなことを言ってました。
昔の基礎が必ずしも正しいとは限らないということか、真実真理は時代によって変わ
るということかなと思ってました。

世界中でイスラム教徒がかなり増えているようで、その社会学の彼が言うには、
やはり良いから支持されるとの事で、実際現地で住んでいた家のモスレムの青年は
「誰でも受け入れる、金持ち貧乏、学あるなし関係ない」と言ってました。
で、「仏教は悪い宗教だ。信者から金を取る」とも。現実問題地球上に貧困者が多い
ので、受け入れられるイスラムはどんどん信者が増えていってるのでしょうね。

解析の哲学、救済の宗教とどっかで読みましたが、私的には辛い時期に分からないなり
に哲学の本を読んで自分なりに考え、少し楽になったことはあります。
そういう救済的側面を持つ哲学分野というのはあるのでしょうか?

昔、哲学専攻の友人が「みんな各人がそれぞれに哲学をしている」と言っていたので
すが、やはりそうなんですね。
なまいき小僧さんの言われてることを何回も読んで、なるほどそうか、と思いました。知りたい・面白いと思って読んでても、敷居が高い感覚がありましたので素人が手を
出してはいけないんだろうかと思ったこともあります。

なまいき小僧さんの文章は教科書として何回も読んでます。
わかりやすくてありがたいです。

ではでは

no.161 ( 138(イサヤ)05/01/30 22:24 )


「救済的側面を持つ哲学分野」
というのは、意外にそれほど多くありません。

というのは、救済と言うのは基本的に宗教的な価値なので、宗教らしい宗教が始まる前から営みとして続いていた哲学にはそれほど本質的なことではないようなのです。
ある意味では、大哲学者といわれる人々はそうした苦悩にどっぷり浸かりながらその苦悩を突き放すところからスタートしているので、
普遍的な救済そのものを考えた哲学というのはそれほど多くないのです。自己救済としての思想と言う意味ではほとんどの哲学は確かに救済ではあるのですが、真正面から普遍的な救済を取り上げたものとなるとどうしてもキリスト教内部での救済に絡んだものになってしまうようです。
自分ではあまり読んでないですが、大学の授業で聞いた限りではキルケゴールの思想などはそういうものだそうです。

キリスト教は信者に内面の自由を約束する反面、神との一対一の対面において極めて重大な責任を負わされると言う側面がある。これは弱い人間にとってあまりに過大であることがある。
文学になってしまうけど、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章はこの問題を表現したものです。

話を戻しますと、結局そうした救済というのは、自分の思いもよらない、ままならないところで見出されてしまうものだとおもうのです。
私がレヴィナスやハイデガーを読んで何がしかのものを拾ったというのは、私が自分で意識していた課題とそれに伏在するものが彼らの著作と響きあうものだったから出来たことだったと思う反面、しかし本当に自分がそれらの著作をわかっているとはとても思えない。
結局、それらを出汁にして自己了解を深めたというほうが正しいようにおもうのです。

そういう本に上手く当たったときには、(中島義道もおんなじことを言ってるけど)、
「自分が考えたかったことを自分より先に、しかも自分より深く考えてくれていた人がいた」
という感触がある。そうした感触をつかめたら、その本は一生物です。

no.162 ( なまいき小僧05/01/31 10:58 )


>>162 なまいき小僧さん

なるほど。
宗教より哲学の方が昔からあるんですよね。
分野が違うしターゲットが違うんですね。

確かに趣味など好きなことに夢中になっているときは、仏陀の言った四苦八苦は無くて、結果的に救済されてる感じがします。
自己救済だけなら趣味でいいかもしれませんね。

ああ、なるほど。いろんなことをやって自己了解を深めていくと考えると、すべての事が哲学ともいえるかもしれませんね。実際、太古の昔は哲学が唯一の学問で、そこから医学工学美術他色んな分野に開いていったんですよね。

そういえば、哲学書じゃないですが、立花隆さんが何かの著書の中で、「文字というのは欠陥だらけのメディアである。これからは映像の役割が増えていく」というような事を言っていたのですが、哲学書ならぬ哲学ビデオなんていうものを作成している哲学者は居られるんでしょうか?
というか殆どの分野が哲学に思えてきました。ん?

なまいき小僧さんが将来哲学のNPO等なんらかの勉強会を作られた時は教えて欲しいです。

no.163 ( 138(イサヤ)05/02/01 20:38 )


SE/PG の観点から。
「オブジェクト指向」が最適とは限りません。
現に資源を馬鹿食いするので、「オブジェクト指向からの脱却」という観点からのシステム構築も存在します。
システムというのは(コンピュータに限らず)トップダウン形式で設計した方が効率の良いシステムが構築できるのは周知の事実です。

それから、「素人だから生意気」というのはどうかと。
素人故の斬新な発想は唯物主義を揺るがす可能性を孕んでいます。
(欧米での問題解決方法の一例)

映像ソースが少ないのは、それだけ新しい発想が出にくい環境を維持してきたからではないでしょうか。
過去の文献はその時の事象が大きく影響していますし、哲学書は哲学者の思想そのものの記述です。両者の共通する点は「主観的発想」です。
それに対し、事象というものは時代によって変化は絶え間なく続いています。
それ故に哲学も多種多様化して然るべきだと思います。

no.164 ( 記入なし05/02/01 21:34 )


>>164さん

SE/PGの方ですか?哲学に造詣が深い方でしょうか?私は哲学初心者です。

「オブジェクト指向」がシステム開発に最適とは言っておりません。
実存主義と似ている面があって面白いと感じてますという事です。
仰るとおり、「オブジェクト指向」はシステムによっては弊害がありますし、
現実的には業務系はオブジェクト指向を導入してないところもまだ多く、
組み込み系も少しやったことはありますが、小規模組み込み系等システムリソース的に
最初からオブジェクト指向は検討されてない分野も承知しております。

「素人だから生意気」とは言ってません。
言われるとおり、素人ならではの発想というのが役に立つのを否定してません。
ここは哲学スレですから哲学について哲学専門の方に謙虚に聞きたいだけです。
素人の発想が重要な場面を持つ事があるのはわかってますが
長年専門にされてきた専門の人に謙虚に教えていただく、という姿勢は重要だと思ってます。

仰るとおり、アカデミズムは否定しませんが、それ以上に生き馬の目を抜く社会での
変化や発想が大きいとは思います。
だからこそ、なまいき小僧さんのような方にNPO等で、市民に哲学を広めて欲しいと思います。
今のグローバル資本主義のダイナミズムは結構ですが、自分の存在について等人々が
不安で、必要なはずの哲学がスッポリ抜けている時代だと思いますから。
ハイデガーが「存在と時間」を執筆した時代同様に。
あまりに経済効率を追求した非人間的な場面を目にするにつけ、人々の不安が増大し、
何の思い入れも無い、哲学の無い発想が多くなってる気がします。
特に時代と関係ない「存在とは何か?」といった人間の根本についてはまだまだで、
特に今は有史以来いまいち不透明な、時代と関係ない人間の存在についての解釈が
求められてると思います。
もちろん個人的には多種多様な哲学も学んで考えていきたいです。

参考までに、164さんが今まで読んで考えてこられた哲学書を色々紹介していただけませんか?

no.165 ( 138(イサヤ)05/02/01 23:21 )


なんか偉人のそれ
信者ばかりにみえるよ
ごめん
記憶力集団にしか見えない
せっかく学習したのに

自分フィルター通さないと
どんないい教訓でも
合わせる気質しか
伝わらない

no.166 ( 記入なし05/02/01 23:30 )


>イサヤさん
哲学ビデオ…。うーん。

哲学をなんと定義するかによってなんでも哲学になってしまうと考えるとしたら、
なんでも哲学ビデオになってしまいますよね。
「マトリックス」でも「ブレードランナー」でも「LOVERS」でも。

簡単に言うと、これは「すべてのXは哲学である」という文を、X=ビデオという定義で繰り返しているだけで、論理的にはほとんど空虚です。
あえて強い言い方をしますが、「何でも哲学だ」といってしまったら、哲学する以前のところで、意味のない空虚な言葉を言い放ってしまったことになります。
「こういうことが哲学である」、と言わなければいけないのです。

…もうすこし別の角度から話をしますね。
実は哲学って言うのは、まず最初に対話として始まって、そしてそれが文字の記録として残されたところから世代を超えた継続性を持ったんです。
世界最初の哲学者ソクラテスは、自分の思想を書き残すと言うことは全くなくて、ただ巷の若者と散々議論を楽しんだあげく、それが当時のアテネの社会にとって危険とみなされ、市民の代議員の投票によって死刑を下されてしまいました。

一方、そのソクラテスのお気に入りの一人だったプラトンはそのソクラテスの対話をドキュメンタリーの形で記録して、そこから文字によってする哲学が始まっていったんです。
今ある哲学の仕方は主に「哲学書を読んで議論をする」という折衷的なものなわけですが、それによってすでに死んでしまった哲学者の議論にわれわれ生者も接することができます。

哲学は言葉と切っても切り離せない関係になります。
仮に哲学の理念を何らかの形で映像化したようなものがあったとすると、それは言葉で語られたことの影を模式化したものでしかないのではないか、と私は思います。

もし映像表現がその独自性によって何らかの深みに達するとしたら、その深みを測るのが哲学ないしは哲学としての美学の仕事です。
哲学は、有限な言葉によってその言葉が包括しきれないものを包括しようとする試み(レヴィナス風に言えば)です。

ちなみに、164さんの発言は、
それまでの対話のどこをどう指摘しているのかがわからない上に同じ文章の中での指示語の使用が曖昧で、そして哲学がらみではもっとも重要なことに、「主観的」という言葉を完全に誤解した上で使用なさっています。
さらに、ご発言の中に、私にとっては端的に矛盾に思える箇所もあります。
新しい発想が出にくい環境で哲学が行われてきたとおっしゃるなら、すでにある哲学がすでにあまりに多種多様であることをどう説明なさるのでしょうか。
映像ソースと哲学の関係をどう考えておられるのかについても詳らかでもないですが、そのことについて説明いただけたら、私としては全く新しい思考に触れられるいい機会ですので、非常に喜ばしいのですが。

166さんは…何が言いたいの?
話がわかんなかったよう、もういっかい教えてようって泣いてるの?

no.167 ( ぺけぽむ05/02/02 23:10 )


>なまいき小僧(ぺけぽむ)さん

なるほど。勉強になります。
現実問題、言葉によって生活し仕事する。
立花隆さんも、評論等は当然言葉ですもんね。

あーそうか、2000年遡って自分なりに哲学者の議論に接する。結構感動しますね。

そういえば、制約があるからこそ創造性が出るってどっかで聞きましたが、
俳句や短歌などは典型かもしれませんね。四コマ漫画も。
私はわかってませんが、ハイデガーの「存在と時間」の原語版は、行間の意味だけでなく、言葉自体の裏の意味や語呂からくる意味等まで含まれて表現されているようですね。私は学生時代登山部だったのですが、エベレストに感じますね。

子供時代からただ生きてるだけ、というか、生きる・存在するというのはそもそもどういうことなのかって考えないで生きてきたものですから、漠然とした不安が発生するというのは当然なんでしょうかね。

もっとそこら辺を義務教育では難しいかも知れませんが、市民レベルでも接して考える機会の必要性は個人的に切実に感じてきました。
色々やって遊んでても、なんか空虚というか、なんなんだろうというのはありました。
意外と対話や議論する機会って少なくてそこら辺が非常に物足りなく感じてきました。
正直精根尽きるまで色々(特に哲学的なこと)と対話・議論したいという欲求が強かったです。友達はそれなりにいて色々遊んできたのですが、とことんの対話は多くなかったかもしれません。

仏教もこれまた分かってないのですが、こうこうこうなんだ、で、そういうものだから大丈夫ですよって救済しようとしてくれる。
だけど、私としては、そのこうこうこうというもの自体は何なのかを考えたい、自分なりに捕らえたいという感覚があります。
それが他力を唱える仏教も良いと思いますが、捕らえる事によって安心できそうな予感を感じるといいますか。なまいき小僧さんの言われた、自己救済としての思想ですね。

って、いろいろ質問するのはもっと読んで考えてからですね。
いろいろ教えていただいてありがとうございました。
何回も読んで考えてます。

そういえば10年位の新聞に載ってたのですが、色々仕事で苦労されてきて最終的に市役所で働いてる人が、不遇時代から哲学を学んで哲学の市民サークルを運営してる記事を読みました。地元でそういうのが欲しいと思ってたのですが、今も求めてる市民は結構いると個人的には思います。

no.168 ( 138(イサヤ)05/02/03 21:33 )


>イサヤさん

>そういえば10年位の新聞に載ってたのですが、色々仕事で苦労されてきて最終的に市役所で働いてる人が、不遇時代から哲学を学んで哲学の市民サークルを運営してる記事を読みました。地元でそういうのが欲しいと思ってたのですが、今も求めてる市民は結構いると個人的には思います。

私もそう思います。
日本の場合、哲学をすることがうまく教育に取り入れられていないので、どうしても哲学書に触れたいと思ってもなかなか触れられないまま時間をすごしてしまうことが多いんですよね…。

そればかりでなくて、会話が流れで決まってしまう日本の文化だと、時に徹底的に批判し合うことも避けられない本質的な対話というものはなかなか日常的には市民権をもてない。
そういう対話の機会がないと、そういう思考をするチャンスもあまりもてない。
そういう状況を「おかしい」と思い続けていないと、思考が浅薄になり、知性の負のスパイラルに陥っていくのではないかと思うのですよ。
それをどこかで感じ取っている人が哲学に心惹かれるのだと思います。

少し話が変わりますけど、フランスでは高校や大学の必修科目に「哲学」があるそうです。
進学率から何から日本と違うので同じものとして比較はできませんが、しかしそういう高等教育とは縁のない市民レベルでの哲学の営みも盛んだと聞いたことがあります。
大物の思想家が死去すると大統領がお悔やみを公表することもあるようです。

対話を日本では「流れ」、あちらでは「ぶつけ合い」と見る違いがあると思うのですけど、
だから「日本では哲学ができない」というわけではなくて、日本なりの批判的な対話の仕方がまだ文化の中で根付いていないだけで、要するにやりよう次第でそういうものは出来上がっていくと思う次第です。
というか、思いたい。

no.169 ( ぺけぽむ05/02/04 11:08 )


前向きさと直向きさだと思います。

no.170 ( 馬鹿な名無し05/02/04 11:10 )


哲学は一歩間違えると危険だ。

やめておこう。

no.171 ( 記入なし05/02/04 11:35 )


これだけは言える
長文で訴えるのは哲学じゃない

知識をそのまま伝える伝道師
それがどういう事か考えるのが哲学

no.172 ( 記入なし05/02/05 23:07 )


>172さん
ふむ、まあ確かにここのところ知識ばかり書き込んでますね。立場上「先生」だったし。
ただ、この辺は知識で端折るというか、話のステージを上げてしまったほうが話が早いんですよ。
哲学が初めての人にいきなり「知識でなくて思索が大切だ」と教条的に言ったってそれで何が残るんですか?

大体、私が知識の根拠を示さないでいる理由を考えてくれてないでしょ?
私の書いたことがおかしいと感じられたのならそれに根拠を示しつつ逐次に批判を加えるのが哲学的な批判の仕方でしょ? 貴方の文章は単なる言い切りです。
あなた自身の書き込みが哲学的でないですね。

あとまあ、世界の哲学書の多くはかなりの長文からなる著作ですけど、
そういう本は哲学書じゃないんですか?

ともかく今は長文で訴えることが何故哲学でないかの根拠を語ってみてくださいよ。
ヴィトゲンシュタインや永井さんを持ち出すのはなしですよ。御自身の言葉でどうぞ。
貴方の「哲学」の定義らしきものに従って、極めて短文でね。

ただし、その結果として私が貴方に従うかどうかは別の問題ですよ。
当然あなたと私は別の人間として別の見解を持っていますし、
批判の自由が確保されていると言うのは何かを人に批判された途端にその何かをやめなければならないということではなくて反批判や再反論の自由があることのはずですから。

no.173 ( ぺけぽむ05/02/07 14:35 )


男は小を
女は大を
もらしやすい。

no.174 ( 記入なし05/02/22 18:51 )


フリーター思想は、サルトルの根源にある・・・
と、言えば、フリーターにも元気がでる
哲学的に誇りもたれよ

no.175 ( 記入なし05/02/22 18:53 )


>174
男は小をする時、大はできない
女は小をする時、大もできる
だからか?

no.176 ( 記入なし05/02/22 18:57 )


174は何とでも解釈可能。
排泄のことだけを言っているのではない。

no.177 ( 記入なし05/02/24 15:29 )


人間とはしょせん「管」に過ぎず、その本質は空虚である。
消化器官、つまり管の中身が完全に空っぽになった時その生命は終わる。
人はその空虚を埋めるためだけに日々汗水をたらし心を砕いているのである。

no.178 ( 記入なし05/02/24 21:26 )


俺の胃袋と財布はほとんど空っぽだが何とか生きている。
でも頭の中は美味しい食べ物の空想で満ちている。
ああ幸せだな〜

no.179 ( 記入なし05/02/24 22:20 )


鉄が喰う

no.180 ( 記入なし05/02/25 02:58 )


映画「今を生きる」のように、
角度を変えて物事をみてみる。
無職の時には、無職の時にしか見えてこないものがあると感じた。

no.181 ( 記入なし05/05/02 14:06 )


今、暴走族の音を聞いていて、初めて気がついた。
ハエを殺虫剤で殺した時の、羽の音に似ている・・・

no.182 ( 記入なし05/05/02 22:26 )


哲学は自己のどの部分から入っていくのですか?

no.183 ( 記入なし05/05/08 17:14 )


交通事故

no.184 ( 記入なし05/05/08 17:14 )


五感からですか?

no.185 ( 記入なし05/05/08 17:14 )


ひさしぶりに哲学でも、見直してみるか。
現在、キルケゴール状態です

no.186 ( 記入なし05/05/08 17:24 )


え、えーと、お久しぶりです。つーか、初めましての人のが多いっすか。
小僧です。

キルケゴール、いいっすよね。というか、
もし失職したら『死に至る病』を読み返そうと思ってます。勤めた会社が後何年持つか、こっちの心身が後何年持つかみたいな感じなんですよ私。

えー、それで、「哲学はどの部分から入るか」というご下問ですが、どこからでも入れます。
ただし、主として使うのは「頭」です。
考える材料そのものは、森羅万象から人間の些細な現実まで多種多様です。入り口は自己の内面に限りません。中には「人間には<内面>なんてものはない」という哲学者もいるくらいです。
百人の哲学者がいれば、百の入り口があると思っていいです。

あと、他者に対して自分の思考を提示できるだけの表現力や、自分の思考に責任を持つための論理力あたりを鍛えるといいです。
この辺は哲学書を自分で読み解くことや、哲学する人同士の議論を経験することで鍛えていけます。先人の道に学び、輩と共に進む、と言うわけです。

no.187 ( ぺけぽむ(なまいき小僧)05/05/08 23:51 )


一つだけ哲学に興味のある、又は哲学好きな1へ。

哲学とは勉強して、読書して学ぶものではないのです。
哲学とは感性なのです。決して著者と同等の感情にはなれないものです。
哲学書はただ、その時期の著者の境遇、感じたものを著したものにすぎません。

私は哲学者ではないのですが、自分の考え、直感と呼ばれるべきもので行動しています。
私と同じような人が集まって人類という一分野が築かれていくのです。

ですから、哲学は成るものではなく、自然と形成されるものであって、
一個人そのものの感情を形成するものなのですよ。

no.188 ( 記入なし05/05/08 23:56 )


ヘーゲル
ひとつの考えが永遠に続くとは限らない
その状況では正しくても、未来にその考えが正しいとは言い切れない

no.189 ( 記入なし05/05/09 00:38 )


>188さん
まず、「哲学とは何か」について、私と188さんの間で見解の違いがあるわけですね。

188さんのおっしゃる、「私の哲学は私の感性である」ということの根拠をおしえていただきたいです。
あなたは「哲学者」ではないんですよね? なのに、哲学が感性であると断言するのはまず言葉の上で論理的におかしいですよね。

ああもう、これだから「わかっているつもりの人」は困る。
少し私がお見せしましょうか、こういうことも哲学することの一部ですから。論理を使って少し批判的に思索してみますよ。
>私は哲学者ではないのですが、自分の考え、直感と呼ばれるべきもので行動しています。
おっしゃることを論理的に敷衍すると、哲学者とは自分の考え、直感と呼ばれるべきもので行動していない人なんですよね? 対偶命題を取るとそうなりますよ。
で、
>哲学は一個人の感情を形成するものなのですよ。

あれ、哲学者って、一体…?
哲学者って、哲学しない人のことなんですか?

さらに言うと、私には、あなたの5・6行目と7・8行目の論理的なつながりが見えません。。
5行目→188さんの行動原理の解説
6行目→自分と似たような人間の集合で人類が築かれているとう驚くべき断言(私は私自身が188さんと同じような人とは思えないんですが、私は人類の一員ではないですか?)
で、
7・8行目→なんと、5・6行目の、単なる自分の信念と無根拠で矛盾した断定を根拠にした哲学の定義
と読めます。

188さんは、ご自身の思考を極めていい加減に表現してらっしゃるか、あるいは解ったようなことを言って誰かを煙に巻こうとしているかのどちらかだと私には思えます。

そしてですね、188さんは私の文章を誤読しています。私は哲学の切り口はどんな仕方でもある、そして使うのは「頭」だと言っただけです。
哲学書を読みさえすれば哲学が出来る用になるなどとは一言も言っていない。
あるいはそういっていると、私のこれまで書いたことから引き出せますか?
(まあ、ぼんやり生きてるだけでは哲学できないくらい言ったとは認めますけど)

私が哲学する仕方を学んだのは、まさに哲学書と呼ばれるものを読んだことからでした。だから他の仕方を知らないと言えばそうだが、だが、そもそも哲学とは何かという問いだけで人間は充分哲学で出来ます。
あなたはそういう一つのとば口を既に自分でつぶしています。私は、自分が哲学することを覚えた仕方を紹介することで、もしかしたら同じとばくちに人を案内できるかもしれないと思って哲学書、哲学書と言ってるんです。
別に著者の感性や経験をそっくり自分のみの上で再現できたなどと軽率にも言ったことは一度もない。

188さんは「自分は哲学がわかっている、自分が正しい」とおっしゃっているだけで、哲学とは何かという問いを巡る対話の契機をぶっ潰しているように思えます。
「哲学とは感性だ、感性とは自分の感じたことだ、だが、自分は哲学者ではない。
だが、自分は哲学がなんだかは良く分かっている。なぜなら私は自分のことが良く分かっているからだ。つまり私は哲学が良く分かっている。哲学は感性である。」
188さんは、私は自分のことを自分で良く分かっていれば充分なので他人の思索に触れる必要はないし、それは他の人も同じだといっているように見えるのですが。
しかし、他の人も同じだ(他の人も同じように自分がわかっているはずだ)という理屈はどこから生まれるのですか?
矛盾に満ち、自省のない閉じた思惟は、必然的に自分の中の哲学の営みをつぶしますし、自分の思索で得たものを他人に公開する意義も無にするでしょう。実に空しいことだと思います。
以上の提言を踏まえたうえで、そもそもなぜ、188さんが私の哲学に喧嘩を売ったのか(あるいは教育したつもりだったのか知りませんが)、そこのところをご自身でよく振り返っていただけたらうれしい限りです。

哲学書を読む意義は、自分の思考を、つまり自分自身を鍛えることにあります。
哲学書を読むことは哲学することと常に同じではないです。
常に同じである、などといったことは一度もないし、私は哲学が何であるかを完全に理解したなどと思ったこともない。

no.190 ( ぺけぽむ(なまいき小僧)05/05/09 01:03 )


>189さん
どっちかと言うとヘーゲルは「人間は最後には完全な理性を達成する、それが歴史の終わりだ」みたいなこと言った、と思われてる。

最近、そんな単純な話ではないと言う説もでてる。
そういう主張の本も出てるよ。

no.191 ( ぺけぽむ(なまいき小僧)05/05/09 01:05 )


ぺけぽむ(なまいき小僧)さん
本当ですか?教えてくれてありがとう
本の題名知っていたら教えてください

no.192 ( 記入なし05/05/09 01:08 )


えっと、
『ヘーゲル‐<他なるもの>をめぐる思考』(著・熊野純彦、筑摩書房、ISBN:4480847111)
です。
アマゾンでレヴュウが幾つかでてます。ご参考までに。

no.193 ( 小僧05/05/09 01:25 )


お厚いのが好きというフジテレビの本を紹介する番組でいろんな哲学書の内容を知りました。
哲学というものはある意味、気のもちようを説いている本で
いわば、仕事にいきたくないと思っている心をいろんな考え方を用いて
楽しいものだと思うようにするいわば麻酔薬のようなものです。
いろんな困難にであったとき、逃げないような心の整理の仕方を学べば
きっと、自分の人生に役に立ってくれると思います。

no.194 ( 記入なし05/05/09 03:54 )


お!まだ起きてる奴がいる 嬉しいね!

no.195 ( 記入なし05/05/09 03:57 )


コギト・エルゴ・ス

no.196 ( 記入なし05/05/22 22:00 )


哲学は記憶力ですか?

no.197 ( 記入なし05/05/22 23:40 )


あたしゃ ソクラテスの「無知の知を知る」っちゅ〜言葉が
好きやね。

no.198 ( 記入なし05/05/25 12:02 )


たまに考えるけど。
この世は誰が一番初めに造ったか。
考えだすと、頭がおかしくなりそう。
なんでこの世は存在するんでしょうね??
考えても意味ないんですけどね。
日々を生きるだけ。

no.199 ( 記入なし05/05/25 15:45 )


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