日記HOME TOP タイトル一覧 月別 


アラフィフ喪男の病日誌etcetera

Author:アルファー ( Profile )
主に、アレルギー、病気、カメムシについて書いている

 ■ 2009/05/28 (木) 1160キロ四国の旅B


[27日]

朝6時から、私は温泉に行きました。私一人でした。泳いだりしました。でも、15分くらい経つと他の人たちが5人ぐらい来たのであがりました。
旅館を出て、松山自動車道に乗り、【石鎚山】へ向かいました。この日は曇ってました。
ロープウェイ乗りました。ロープウェイから景色を見ましたが、すばらしかった。(空を飛べたら、こんなんだろうな)と思いながら見てました。それから石鎚神社成就社まで歩きました。ここまでは気軽に歩けます。
途中、私と同じ年齢ぐらいの男性が一人いました。四国八十八箇所巡りをしているようでした。(その男性となら友達になれるかも)とか(その男性の人生はどんな人生だったのだろう?)とか考えてました。

それから車で一般道を走り、しまなみ海道に向かいました。
大三島で下り、せとうち茶屋で海鮮を食べ、私が運転を代わりました。運転をすると窓が汚れてるのに気づき、多々羅しまなみ公園によりました。私は窓を拭き、その間両親は、甘夏を買ってました。毎日夜9時にその甘夏を食べてます。
しまなみ海道から山陽自動車道を走り、家路に着きました。

翌日、車を見るとフロントガラスやフロントバンパーに沢山の虫の死骸がついてました。「高速でついたんだろう」と父が言ってました。


私が高校1年以来の19年ぶりの旅行でした。弟がいればなぁと、旅行中思ってました。
弟といっても、小学生時代の弟。
あの頃は、毎年8月の始め、2泊3日の旅行に行ってたので、あの頃を思い出しました。



[高速自動車道ーーー高速を走ってた時、危険を感じたこと]

・走行車線を走っている私の後ろの車が追い越し車線に車線変更する時、なぜ、わざわぜ、車間距離を縮めてから、車線変更するんだ?最悪です。
追い越し車線に車がいないのだから、追い越し車線に出てから、加速すればいいのに。私にぶつけそうなくらい車間距離を縮めてから、車線変更する。


・さらに、最悪なのは、私の後ろを車間距離を縮めて走り続ける車。
めっちゃ縮めるのでは無く、バックミラーで追い越し車線が見えないくらい縮める車です。
時速80キロで走る車を追い越すため、追い越し車線に変更したいのに、追い越し車線が見えないので、車が来てるかどうかわからない。そのため、車線変更できない。
こういう車は、時速120キロで近づいて来た車です。
(さっさと追い越すか、車間距離を伸ばせ!!ボケ!!)と思いながら運転してました。
追い越し車線に車線変更しなければならない時があります。それはICやSAやPAから車が高速に入ろうとしてる時です。
ICから車が来ようとしてる時、安全のために追い越し車線に車線変更したいのだけど、出来ない。
行きしなと帰り、それぞれ1台づついました。


・トンネルが続くところに、車線変更禁止の区間がある。
私は、追い越し車線に車線変更し時速80キロのトラックを追い抜いたものの、突然、車線変更禁止になり追い越し車線を走らざるを得なくなりました。トンネルでなければ、時速120キロで走れますが、トンネルでは時速100キロでも怖い。後ろから来た車に煽られっぱなしだった。

[旅館での事]

・枕を持っていって正解だった。旅館の枕は全く合わなかった。
・浴衣は旅館を移動するのにはいいが、眠れない。持参したパジャマで寝ました。旅館は浴衣だけではなく、パジャマを用意してくれてればいいのに。
・敷布団は良かったが、掛け布団は最悪だった。暑くて眠れなかった。もっと薄い掛け布団など3種類くらい用意してくれてればいいのに。
パジャマを着て、浴衣を掛け布団代わりにして寝ました。






 ■ 2009/05/28 (木) 1160キロ四国の旅A


[26日]

旅館を出て、高松自動車道に乗り徳島の【鳴門の渦潮】に向かいました。
高松自動車道は、ほとんど片道1車線でした。私が運転しましたが、特にトンネルで煽られました。私はトンネルは時速80キロまでしか出せません。路肩が狭いためです。路肩が広ければ、片輪が白線から少しくらいならはみ出しても大丈夫なので時速100キロ出せますが、トンネルでは時速80キロ以上は出せません。煽る奴らに対し(こいつら死にたいのか?頭おかしいのではないか?)と思いながら運転してました。
煽るとは、=車間距離を恐ろしく縮める事です。後ろの車のライトが見えないくらい縮めてました。赤信号で止まってる時ぐらいの縮まった車間距離でした。
トンネルを出て、追い越し車線があると、奴らは追い越していきました。

死ぬ思いで高松自動車道を下り、12時半頃【うずしお汽船http://www.uzushio-kisen.com/】に乗り【鳴門の渦潮】を間近で見ました。
エンジンが動いてるのに、船が止まってる時は気分が悪くなりましたが、動いた途端、気分の悪さはなくなりました。
私以外の客はみんな60歳以上の方々でした。
船が揺れてる時や、高速で走ってる時が面白かったです。

徳島自動車道に乗りました。途中のSAで徳島ラーメンチャーハンセットと食べ、父に運転を代わり、【祖谷のかつら橋http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/8/8e/IyanoKazurabashi.jpg】に行きました。
私は簡単に渡りました。まったく恐怖を感じませんでした。父が「よう平気で渡れるな!」と言うと、私は「何でこんなのが怖いのがわからない。高速のトンネルを時速80キロを超え、時速120キロで走る方がよっぽど恐ろしいよ」と言いました。正直な感想です。
私たちが渡ってた時、私たちの他には中年女一人いました。
私は渡ったあとその下の川に行ったのですが、川から上に上がる時、20代のカップルとすれ違いました。男が女に「怖いと思うから怖いんだよ」とかほざいてました。

それから、旅館に向かいました。
途中、父が「社会に出てすぐ、1・2年、ここでアルミを積んだトラックを運転し働いてた」と言ってました。

今度は、温泉旅館です。広い部屋で3人で1部屋でした。
温泉に入りました。爺さん連中が多かったです。美味しい食事を食べました。







 ■ 2009/05/28 (木) 1160km四国の旅@


5月25日〜5月27日、家族で車で四国旅行に出かけました。
走行距離、1160kmでした。


[25日]

朝7時に家を出て、高速道路に入り、高速道路を走りました。
始めは父が運転してましたが、途中、私が運転しました。最高速は時速100キロメートルなのに、みんな130キロメートルは出してたようです。
距離300kmを走ったころ、運転を父が代わり瀬戸大橋を渡り、SAでカツ丼を食べました。店内には私たち以外には一組しかいませんでいた。その1組は20代前半の男と、同じ年齢の2人の女でした。(羨ましい)と思いながら食べてました。
そして四国に入りました。

香川県にある【金比羅宮】に訪れました。
月曜日にも拘らず人が多かったです。
ほとんどの人は、本宮の785段までしか登ってませんでしたが、
私は、奥社まで行き1368段の石段を登りました。まったく疲れませんでした。(もう終わり?)という感想でした。
でも、帰り、膝が震えてきました。登りより、下りの方がきつかったです。
帰りの途中で店でポカリを飲みました。その店のおばさんの話だと、休日は比べ物にならないくらい多いとのことでした。

それから【善通寺】を訪れました。
爺さん婆さんが多く、お経を何も見ずに唱えてました。すごい記憶力だと思いました。

そして旅館に行きました。
木造で壁が黒付いた古ぼけた旅館でした。26歳の時、派遣に登録し初めて工場勤務にいた時の寮にそっくりでした。漫画【めぞん一刻】の一刻館のような旅館でした。
両親は8畳の部屋に泊まり、私は6畳の部屋でした。私の部屋にはトイレありませんでした。こういう部屋は結構落ち着きました。初めて工場で働いてた日々のことを思い出してました。
料理は美味しかったです。





 ■ 2009/05/24 (日) 3人でドライブ


昨日、私は父と母との3人で、ドライブしました。
私は4年前に車を買ったのですが、初めての家族3人でのドライブでした。
家族でのドライブ自体15年ぶりでした。
50キロ先にある、県内では昔からあり、県内の人なら誰でも知ってるデパートに行きました。

父の服を買うため、
それと期間限定で、使い古した1足の靴を1000円の商品券(靴限定)と引き換えかでき、引き換えてもらうためでした。
さっそく引き換え、靴を買おうとおもったのですが、高いうえに好い物が無くやめました。

昼ごはんを食べることになり、両親が私に「何が食べたいか?」と言うと、私は「何でもいい」と言いました。
でも、私に選べというので、たまたま海鮮に目がいき、「海鮮を食べたい」と言い、海鮮定食を食べました。めっちゃ美味しかったです。
隣の座席には、両親と同じくらいの夫婦と私と同じ年齢ぐらいの女性がいました。女性は左で食べてました。

昼ごはんといえば、昔、次のようなことがありました。
私が20年前の中学生の頃、家族4人(父・母・弟・私)で、このデパートで食べることになったのですが、
父が「ここで食べる」と言うと、私が「嫌だ。あのラーメンでなければいやだ!駄目なら食べない方がましだ!!」と叫ぶと、父は「じゃあ何も食べないで帰ろう」と言い、何も食べないで帰ったことがあります。
今考えると、なんて馬鹿なこと言ったんだろう、と思います。
あの頃、今とは別のところに住んでましたが、デパートとの距離は70キロはありました。

行きしなは私が運転しましたが、帰りは父でした。
父はドライブが好きなようです。ちなみに父は今、タクシーの運転手をしています。
私は後ろに乗ったわけですが、5分で気分が悪くなりました。
後ろだと酔います。コンパクトハッチバックのため後輪はトーションビームで、タイヤの上が後部座席で、タイヤからの振動が直にきました。タイヤの硬さも感じました。
自転車に乗った経験のあるかたならわかると思います。タイヤに空気を入れた直後、自転車に乗るとタイヤが硬く感じるはずです。あの感覚です。





 ■ 2009/05/21 (木) 由無し事


【トレーラーの横転】
トレーラーの横転事故のニュースを見ました。
それで、運転手はコンテナの中身を知らない。見ることすら出来ない。ことを知りました。
安全速度で走ってても、片方に荷物を積んでると横転する。
法律を改正するべきだ。


【マスクが消えた】
今週の月曜日、私の地元でドラッグストアやスーパーなどから、前日の日曜日にはあったマスクが消えました。
新型インフルエンザのためです。
ちなみに、私の地元はインフルエンザは発生していませんし、誰もマスクをつけてません。
すべて売れ、今度いつマスクが入荷するかわからない。
店員の話では、「関西に住んでる知人などに送るために買った」とのことです。

弟の住んでる地域がそのあたりなので、心配。
弟はもしインフルエンザに罹っても弱毒性なので大丈夫だろうが、甥や弟の嫁さんが心配。今子供を身篭ってるからです。
まだ、ワクチンもないし・・・。


【ルービックキューブ】
テレビで、小学生の男の子が、15秒でルービックキューブを6面全て揃えてました。
凄い!!としか言いようがありません。
私も昔持ってましたが、1日1時間以上、数日をかけ、1面揃えるのがやっとでした。
他の面も揃えようとしたら、せっかくそろった面がバラバラになる。その繰り返しでした。
いつの間にか、ルーブックキューブは無くなってました。



 ■ 2009/05/17 (日) ABCマートについて


今日、朝8時半〜9時まで、TheサンデーNEXTを見ました。
新宿本店と池袋店のABCマート(靴店)についてしていました。

私の感想は、「嫌な靴店だ」でした。
・体育会系の店員で構成されており、うるさい。
・本当に客が欲しい靴を売るのではなく、何でもいいから靴を買わせている。
・600円ぐらいの付属品も断る隙を与えず買わせている。
・客のことより、売上を優先している。
・客のことより、店同士の競争を優先している。
・客のいる前で、店員を叱る池袋店の店長。店員がさぼってたのならともかく、レジで客と話してただけのに、それで売上の時間が減るから「これがお前のABC人生なんだろ」と叱るとは何て奴だ。最悪。接客されるならあの店員の方がよっぽどええわ!
・接客している客の目の前で、他の客を探している。
・2つのサイズを頼んだのに1つしか持ってこない。
最悪の靴店です。

以前も、同じABCマートで働く女性店員同士の競争をテレビで放映していたのを見ましたが、やはり最悪でした。
「お客さんの喜ぶ顔が嬉しい」などと言ってましたが、私は「ふざけるな。喜んでるのは、買わせた自分自身だろうが!!」とテレビに思わず、ツッコミました。

私には、何でこんな店が、同業者の中でも売上がいいのか?全くわかりません。
私なら、絶対に行きません。
私は地方在住ですが、東京ではこういう店が喜ばれるのだろうか?
私があんな接客されたら、外に逃げます。


靴とは、履いて履き心地がいいかじっくり感じて買うものだと思います。
ちなみに地元の靴店は、店に入りお客さんが5人いれば多い方です。
服もそうですが靴を決めるまで、店員に話しかけられたくありません。





 ■ 2009/05/10 (日) 弟達の帰省


先週のゴールデンウィークに弟が3泊4日帰省しました。
高速を車で10時間以上かかったそうです。


夜中の10時半に着きました。私は「今晩は」とあいさつをしただけで、すぐ自分の部屋に引きこもりました。
「OOちゃん(甥)。挨拶しなさい」と弟が言ったけど、親は「恥ずかしいんだろ?」と言ってました。
夜中の1時まで両親に弟とその嫁さんは、世間話をしていました。私は「うるさい。さっさと寝ろ」と独り呟いていました。
結局、私は彼らが寝た後も眠れませんでした。


2日目、私を除く5人(甥・弟・弟の嫁・父・母)は遊園地に出かけました。私はアニメなどテレビを1日中見てました。
トーマスのおもちゃを買って帰ってきました。弟がレールをつないで作ってました。私は(あの弟がすっかり成長したなぁ)と思いながら見てました。トーマスが走ると甥は走り回って喜んでいました。シールを甥が貼ってました。ちなみに甥は2歳10ヶ月です。
晩飯は庭で焼肉をしました。
夜、父と甥が鬼ごっこして部屋を走り回っていました。


3日目、5人はサファリパークに行きました。サファリパークはマイカーで周るのですが、歩いた方が速いぐらいの遅さだったそうです。地元じゃ有名な観光地だからでしょう。
4時ごろ帰ってきて、弟と弟の嫁は2階に上がり泊まってる部屋で何かしており、母は洗濯物を取り込み、父は、寿司を買いに出かけ、甥が独りでトーマスのおもちゃの機関車を走らせていました。
私はその姿を見て寂しそうに思い話しかけました。それがきっかけで私と甥が遊ぶこととなりました。
2歳の甥は、いろいろ話してました。そのことに私は驚きました。
晩飯を食べた後も、私は甥と2人で寝るまで遊んでました。おもちゃのトーマスをレールからだして、部屋の端から端まで往来していました。甥がそういう遊びをしたがったからです。



4日目、朝起きて、私は父と甥の3人で庭で遊んでました。
父のサンダルを穿いてました。サンダルに入った砂利を取る時、甥は私の肩につかまり片足立ちをしていました。
甥の手を握って庭を歩いたのですが、可愛い手でした。
その後、私は甥と部屋でボールを転がしあっていました。
帰る寸前に私は風鈴を鳴らすと、甥は風鈴を鳴らしたがり、私は甥を抱え、甥に風鈴を鳴らしてあげました。
そして、6人で写真を撮り弟達は帰っていきました。
おう

弟と甥が遊ぶ時、弟が主導で遊んでましたが、
私と弟が遊んでる時は、甥が主導で遊びました。
そういえば昔、私と弟が遊ぶ時は、弟が主導で遊んでた事を思い出しました。
来年は、もっと話せるようになってるのだろう。



前の月 次の月


アラフィフ喪男の病日誌etceteraTOP

タイトル一覧 月別