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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2015/01/23 (金) 自由・・・責任・・・そして、うそ


いやにきな臭くなってきましたね。
はじめのメモしておく。

「是は是 非は非 としなくてはいけない」

キリスト教とイスラム教のハルマゲドンを急いでいると見える。
ここで改めて宗教なるものを考えてみたい。

ウッキペデアより引用。

キリスト教
キリスト教(キリストきょう、基督教、ギリシア語: Χριστιανισμός、ラテン語: Religio Christiana、英語: Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教[1][2]。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる[2]。その多く(正教会[3]・東方諸教会[4]・カトリック教会[5]・聖公会[6]・プロテスタント[7][8][9][10]など)は「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。
世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。

イスラム教
イスラム教(いすらむきょう)は、正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、偶像崇拝[注釈 1]を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。

ユダヤ教
ユダヤ教(ユダヤきょう、ヘブライ語: יהדות‎[1])は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェ(יהוה)を神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。ただしメシア思想は、今日ではハバド・ルバヴィッチ派などを除いて中心的なものとなっていない。 『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』と同じ書物)が重要な聖典とされる。

仏教
仏教(ぶっきょう、正字体:佛ヘ、サンスクリット:बौद्धदर्शनम् [Buddhadarśanam]、英語:Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教の一つ(信仰のある国の数を基準にした場合[1])で、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。

引用終わり。

フランスの新聞社襲撃テロ。

襲撃に際しての疑問点。
・新聞社の配置構造を熟知。
・会議室の場所を熟知。
・会議時間を熟知。
・警備状況を熟知。
・・・。

さてさて、この時期にシドニー・シェルダン著「神の吹かす風」を読んだところです。まさしく小説の中の出来事と思えた。数人で短時間に襲撃をする。この状況をどのように考えるか!?亡くなった方は気の毒ですが、この襲撃計画は深い意味があると妄想できる。キリスト教もイスラム教も同根の宗教。一神教であり、他の神を認めない。「神の名の下に殺戮は許される」という信仰を持つ。特にキリスト教などは、他の宗教を排撃し、血塗られた歴史を持つ。十字軍、魔女狩り・・・世界中に宣教師を派遣し、現地の神を廃し、キリスト教に改宗させて支配する。現地しだいでは軍隊を派遣しての侵略。そうでなければ、現地調査をしての経済的な支配を画策してきた。

「自由」とはいったいどのようなことなのか!?

名言集より引用
自由とは、責任のことである。だから、たいていの人は、それを恐れたりもする。

(英語)Liberty means responsibilty.That is why most men dread it.(ジョージ・バーナード・ショー)引用終わり。

フランスの新聞社はイスラム教をパロデイーとして扱っている。「表現の自由」「言論の自由」というものを掲げてね。イスラムの人たちを挑発するがごとくね。さてさて・・・アメリカのオバマ大統領は、何かにつけて「責任をとってもらう」という言葉を口にします。「自由と責任」この問題をどのように解釈しているのでしょうかね!?ここで、”原理主義”というものと、キリスト教特有の”責任転嫁”の姿勢があるのではなかろうか。今はやりの”デイベート”やるものは、相手に責任を押し付けるやり方と思う。英語圏の上から目線での差別的なやり方だと感じている。画一化による世界つくり。

ウッキーペデアより引用。

原理主義
原理主義(げんりしゅぎ)は英語の「fundamentalism」(ファンダメンタリズム)の日本語訳である。キリスト教の文脈においては「根本主義」と呼称されることが多い。



キリスト教原理主義
キリスト教原理主義(キリストきょうげんりしゅぎ、英語:Christian fundamentalism)は、特にアメリカ合衆国のキリスト教右派、キリスト教根本主義、福音主義キリスト教会とその教派に向けて多くの場合、非難、侮蔑の意味合いを持って使用される語である。
常に他者の信仰態度を指して使用され、自らの信仰的立場を表す時に「キリスト教原理主義」の語を用いるキリスト教会、団体、神学者は存在しない。ファンダメンタリストや保守的福音派側からは、「ファンダメンタリストという名称ぐらい敵意に満ちた侮蔑的な差別用語は、おそらくキリスト教界には見当たらないのではなかろうか。」[1]と言われている。おもにキリスト教会外のマスコミや、この立場の教派に対して思想的に批判的なキリスト教内での立場から保守的キリスト教を指して使用されることが多く、蔑称としての意味合いも強いので使用には注意が必要である。

日本基督教団においては、神社参拝をしないクリスチャンをファンダメンタリスト、その立場をファンダメンタリズムと呼んだ[2]。「神社非宗教論」を唱え神社参拝を容認する立場では、美濃ミッション事件から神社参拝拒否をファンダメンタリズムとする合意が形成されたという[3]。いずれもFundamentalist Christianity、Christian Fundamentalismの訳語であるが、キリスト教原理主義と訳される場合とキリスト教根本主義と訳される場合では、意味合いが異なる。植村正久は根本主義のウェストミンスター信仰告白や代償的贖罪の教理に批判的であったが、1924年、『宣言若しくは信条』の中で英語のファンダメンタリズムの訳語としてキリスト教根本主義の語をあてている。以来、キリスト教界では批判的立場からも根本主義の訳語が使われていたが、イスラム原理主義の台頭以降、蔑称の意味合いをもって原理主義の語が使用されるようになった。
日本基督教団の井門富二夫は、ファンダメンタリズムを、「負け犬の宗教」「反動形成」「新興宗教が萌芽状態において発生した直後の、情緒的ないしまだ結晶しない精神状況」「産業社会のじゃま者」「社会の発展に追随できない層の敗北自認から生じたもの」とする[4]。
W.フートは、「カトリック原理主義」「ギリシャ正教原理主義」があるとしている。

責任転嫁
四字熟語辞典より引用。

責任転嫁 意味自分が引き受けなければならない任務・責務を、他になすりつけること。▽「転嫁」は再度の嫁入りの意から転じて、ほかに移すこと。
引用終わり。

キリスト教は、イエス・キリストがすべての罪を背負ってくれるという思想がある。悪いことをしても、教会の小さな部屋に入り、牧師さんに告白すればすむ。私が選択した「シルバーバーチの霊訓」では、”自身が行ったことは自身で責任を持つ。”といわれ、誰も責任を取ってはくれない。私はこの考えが一番あっている。

混乱と破壊。
今回のフランスのテロ騒ぎでは、多くの意思表示的なデモが世界で繰り広げられている。鉛筆などを振りかざしながら「表現の自由」を訴えている。聖書では、「汝の敵を愛せよ」という言葉が並んでいるのではなかろうか。しかし、キリスト教の歴史を見れば、「汝の敵を排除せよ、殲滅せよ」としか考えられない行動をとり続けている。

今回のフランの新聞社のテロ事件を見ていると、ウクライナ問題やこれまでの紛争がリンクしてくる。「アッラー」と叫べばイスラム教徒なのか!?ロシア軍の制服を着て、ロシア軍が使う武器を使用するとロシア軍になるのか!?ウクライナ軍にしても同じである。
第三者が混乱を目的に動いているという考えは浮かばないのか!?事実は小説より奇なりといわれる。グローバル化という動きにより、経済制裁、預金封鎖・凍結がよりやりやすくなっている。この動きも画一的世界つくりに繋がっている。もちろんTPPもね。
双方にエージェントを送り込み、独自の動きをさせる。双方の為政者が知らぬうちに動きを加速させる。どうしようもなくなり、暴発が始まる。そして、戦争・紛争が起き、拡大する。このような動きはこれまでの人類史を見ているとわかろうというものではなかろうか。

まあ〜私は”嘘の上に嘘を塗り重ねているのが人類史”と思っているがね。

話はぶっ飛ぶが、人類はお猿さんから進化したということが言われている。
現在の人類がどのくらいの歴史があるか知らないが、人類以外のお猿さんの中から、新たな進化を歩んでいる種があってもよさそうなものだがね。そのような話は聞かない。私は、人類はお猿さんから進化したとは考えていない。人は人でありお猿さんはお猿さんである。

話を元にもどそう。

テロ。
衝撃が大きければ大きいほど民衆を誘導できるのは確かである。
民衆(国民)も、今までじっくりと洗脳・誘導されているからね。現在では3S(スポーツ・スクリーン・セックス)+ファッション・グルメ・トラベルと、目先の欲望を掻き立てられている。そんなところに、911テロ・フランスの新聞社襲撃などが起きると、一気に一方向に動き出す。民衆の動きを見ていると、”理性を欠いた幼児のような動き”になっているとしか思えない。われわれは家畜でもモルモットでもロボットでもない。理性を持った生物である。歪められた判断基準である知識・常識・教義を横に置き、理性を唯一の判断基準となし、自分の脳みそを自分で使い、考え、感じ、判断出来なければいけないのではなかろうか。ここには大きなリスクがある。"責任転嫁できない”というリスクがね。自己責任になる。多くの人はこの"自己責任"ということがわかっていないのではなかろうか。そう思えて仕方がない。


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