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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2012/10/13 (土) 10月13日


今日は、新潟県南魚沼市にいる。昨日、群馬県と新潟県境の三国峠を越えた。
渋川のホテルを発って、「道の駅 月夜野矢瀬親水公園」→「道の駅 水紀行館」→「道の駅 たくみの里」と、泊まり歩き、峠に向かった。「道の駅 水紀行館」で道を聞くと、291号線は新潟に通じていないそうで、291号線から270号線に入り山を越えて17号線に出るしかないとの事。
山を越えて、下にあったコンビニで時間を見ると、11時過ぎ。時間的にちょっと・・・と思い、「道の駅 たくみの里」に向かい、一泊した。正解だった。あの時間に三国峠越えをしていたら、真っ暗闇の中で新潟に入り、ちょっと困った心理状態なっていたことでしょうね。明るいうちに動くと、精神的に余裕ができて、動く行動に余裕ができる。三国トンネルを越えて湯沢町に入り、野宿できそうなところを物色しながら歩いた。17号線沿いにバス停があり、バス待合小屋がある。そこに入り込み泊まる(詳しくは日記で)。待合小屋を出発してトコトコと歩いていると、新しくできた「道の駅 雪のあかり」という表示板があった。新しいだけに、トラックの数が少ない。
今日はここで野宿しようと思う。

9月21日

『意識は行動に反映される』

「道の駅 思川」泊。
寒かった。徐々に寒さが厳しくなってくる。8月の炎天下での徘徊により、暑さに対しては順応しているが、果たして寒さにはどうか!?少しずつ体が順応してくるように調整したいものです。冬用の衣類も必要になる。まあ〜徐々に準備することにしよう。

今朝の空模様は曇り。さて・・・!?
私が荷物を整理していると、黙って、そして、じ〜っと私を見ている視線を感じた。挨拶しても無視。じ〜っとね。昨夜のこそこそしたみっともないごみ捨ての男性。そして、今朝のこの男性の行動。

『意識は行動に反映される』
土地土地の雰囲気(波動)、地域住民の意識の雰囲気(意識波動)・・・と、色々な地域を歩いてきて判じているが、まことに「欺瞞と虚栄」の感が免れない。この事は、何も「道の駅 思川」だけの事ではない。広く、世界中の人の意識状態の反映であると思うが、特に、現在の日本の状況は、311の震災と津波・火災、そして、福一の放射能の影響。そして、支配階級が蔓延さそうとしている「綺麗キレイ病」などがある。

なんか、衝動、殺菌、ごみ拾い・・・等々、綺麗キレイと言う標語、掛け声とは裏腹に、意識状態が反比例しているように感じて仕方がない。本当は、このような標語などを必要としない世界を創らなければならないと思うのだが、なんか・・・意識を刺激し、針で突っつくような評語が多い。

9時30分ごろ、雨がぱらついてきた。昔の旅人のように、雨による足留め。何も急ぐ旅ではないからね。おとなしくしておく。
小山市。午前中はぱらぱらと雨が降ったりやんだりとし、午後14時位から晴れて来た。策や、水洗いした衣類を改めて乾かす。
19時ごろ、雷、雨。ゲリラ豪雨のような雨ではない。
午前3時30分ごろ警察の巡回を受ける。不審者が居るとの通報があったようだ。
やれやれ・・・地域の人たちにとって、私は不審者である事には変わりないけどね。不安感を持つのは当たり前ですね。警察が私の身元をチェックし、私の旅の目的を聞くと、何事も無かったように帰っていった。話しの中で、私の被災地の話を真剣に聞いてくれた年配の警察官は好印象であった。この事も、共振・共鳴の類なのでしょうね。若い警察官は、所持金に執着していた(この事は、福島県の飯館村で調べた若い警察官の特徴と同じである)。若いからこそ、洗脳、刷り込みによる言動が出てきているのでしょうね。この事態を収拾してくれたのが年配の警察官。

私は2泊目。雨が降らなければ旅立つし、降ったら足止めされる。

9月22日
早朝、地元の人と話す。
私のような不審な者に好奇と警戒の色が露骨に見せているおじさんだ。じ〜っと、私の行動を見ているようだ。おそらく、農家のおばさんたちも警戒しているようだ。そのおじさんも、このような旅を続けている時の「お金」を心配している。私にとっては大きなお世話だが、地元の人の警戒と心配を解く為に、私の資金を話すと、ある面は警戒心を解いたようだ。「お金」に関しての犯罪は増えているし、近頃はとんでもない犯罪も増えている。私のような不審な者には強烈な警戒心が働くのでしょうね。仕方が無い事です。おじさんには、私のあるがままに説明すると、納得してくれた。おじさんも農業は途中からやりだしたとのこと。だから、私のこの旅に於ける記録はとっているかどうかも聞いてきた。おじさんの前職が知りたいが、この事は飲み込んで、話をあわした。

7時前に「道の駅 思川」を出発。
空模様は曇り。だけれども、降りそうな気配はない。トコトコと歩き、昼ごろに「道の駅 みかも」に着く。10時30分過ぎ。およそ4時間の歩き旅。
空は曇り空ですが、降りそうで降らない。なんだかな〜考えが出てこない。こんな時は一杯やるか・・・!?
「道の駅 みかも」で、弁当、きゅうり、豆腐を買い求め、外の休憩所でチビチビとやりだした。辛子味噌も有ったので、きゅうりにつけて食べながら、ワンカップを飲む。弁当を食べ終えて、地図を見ながら、次の進む道を考える。すると、やはり眠くなってきた。昼間から飲んでいると、体に残っている疲れが出てくる。外のベンチで2時間ほど寝る(このところ、旅慣れているというか、環境の状況において警戒心が薄れている)。みかもでは休憩所に和室がある。確か、そうまでも有った。17時まで利用可能。

さて、今日は無事に「道の駅 みかも」で泊まる事が出来るか!?
今の私の精神状態は、どんな小さなちゃちゃにも耐えられない状況だと感じている。デリケートになっているのか!?バリケード化してきているのか!?出来うれば、誰とも話をしたくない心境。うっとうしい!

「道の駅」で警官に身元を調べられたのは、「道の駅 思川」がはじめて。そうまでは、挨拶をし、雑談をしたが、身元は聞かれなかった。都会に近づくに連れて、意識の荒廃が進んでいると感じる。「道の駅 たまつくり」で見た、矢印状の雲。千葉での地震もさることながら、意識の荒廃地域には近づくなということか!?

私は旅人。
そう、一人の旅人。旅をしながら地域の雰囲気(波動)、地域住民の雰囲気(意識波動)を感じながら旅をしている。旅の途中の地域住民に迷惑をかけるとか、不安な思いをさせる為に旅をしているのではない(しかし、私のような者は、接触する人に不安感、警戒感を与えてしまうのも事実)。

9月23日
夜中から雨。
秋雨前線のような、しとしととした雨模様。一雨ごとに寒さが厳しくなってくるのだろう。
「道の駅 思川」と「道の駅 みかも」は10数kmしか離れていない。しかし、昨夜は蚊に悩まされた。思川のような寒さは無い。地形の関係だと思うが、地域の波動も関係していると思う。
ここ、みかもは夜中、若者たちの溜り場になっているようだ。と、言って、身の危険を感じたわけではない。都会と違って、私のようなホームレス借りを楽しんでいる精神の荒廃は感じられない。まだ、心に素直さ、純粋さが残っているのでしょうね。「道の駅 たまつくり」で得た雲によるシグナル。そのシグナルによって茨城県を横断するコースを取り、栃木県に到っている。東京に近づくことなく、東北地方にUターンする形だ。今度は寒さによる試練か・・・!?

徒然に・・・。
吐き気がするほどの自分。利用され、馬鹿にされてきた自分。敢えて、そのような自分を演出してきた人生。あほらしくて・・・あほらしくて・・・やっとられん。が、その姿勢は、本当の自分自身を隠す為の、防御壁であったことも事実。
歪んだ性質(性格)を矯正するには時間がかかる。難しいものだが、地団駄を踏もうが、どんなに泣こうが喚こうが、相手を恨もうが、自身から目を逸らす事は出来ない。現在のストレスフリー状態だからこそ見える自分があり、直すべき歪みが見えている。言い訳無用!見栄も衒いも無く、現実を見続けて、直すしかない。欺瞞と虚飾の世界からの離脱は、欺瞞と虚飾に染められた自分自身からの離脱に他ならない。誰を構う訳でもなし、誰からも構って貰う訳でもない。自己責任の上で進むしかない。

みかもの駅で、露天商の若者と話した。
雨で足止めされている事。雨は上がるのか!?どうかを聞いた。天気予報では、明日は晴れるとの事。気持ちよく答えてくれた。私が旅をしていることを話すと、感心して「がんばって!」と声援をくれた。ありがたいことです。

9月24日
朝4時ごろ目覚める。
昨夜は残っていたお酒(200ml)を、ちびちびとやりながら弁当を食す。この液は、19時に閉店し、20時ごろ、後片付けをした職員が引き上げると思われるが、私は、お酒を飲んだ為、そのころにはベンチで熟睡モードに入っていた。夜中、若者たちのざわめきの気配を感じたが目覚めずにいた。疲れが溜まっているのだろう。朝4時頃目覚め、荷物を見ると、昨夜買っておいた弁当を野良ちゃんに漁られていた。おにぎり1個を残し、後は無くなっている。残ったおにぎりは、朝、カラスのご飯に上げた。

今日は快晴である。
気持ちのよい朝である「道の駅 どまんなかたぬま」を目指し、此処を発つ。
トコトコと歩き、たぬまを目指すが、時間帯が通学時間帯に当たり、小学生に集団と行き会う。交差点には警察官が配置されている。私は、いつもの如く挨拶をして行き違うが、警察官は笑顔で挨拶を返してくれる。挨拶は大事です。
トコトコと歩き、「道の駅 どまんなかたぬま」に9時過ぎに着く(おいおい・・・ちょっと早すぎないか〜!?)。たぬまに着き、トイレで体を拭き、着替える。思川の駅からみかもの駅まで4時間ぐらいで着いたから、あまり汗もかかずにいて、そのままであった。髪も洗った。気持ちのよいものである。

「道の駅 どまんなかたぬま」。
日本の中心点に位置するようだ。平和な地域のように感じる。ただ・・・地元の人の目がひしひしと感じる(被害妄想と言われればそれまでだが・・・!?)。どこも同じだ。ただ。この状態は、私が幼いころのとき、私の地域に来た他の人を見る目、聞いた噂に重複しているという事を感じている。人という生き物は、自身の経験を基礎とし、その基礎に立った上での判断しか出来ないという事。「道の駅」は、地域によって特徴がある。それは、その地域の地域住民の意識波動の反映と言う事!?当然といえば当然という事であるがね。何かと囲い込み、規制が強い駅は、その地域の意識波動がそれだけ荒廃していると言う事!?荒廃に向かっているということ!?では無かろうか?
どんなに建物、施設を立派にしても、それを利用する人の意識が向上しない限り、荒廃に向かう。

今、13時ころ。
ここ「道の駅 たぬま」では、虫の鳴き声が響いている。虫の音は秋。しかし、日光は夏。朝、夕はめっきりと冷え込んできている。

たぬまの駅では無料の「足湯」が有った。早速、「足湯」に浸かる。酷使している足です。このような時こそ労わってやら無いとね。

ここ、たぬまの駅で、2人の若者と話した。
駅で空を見ていると、彩雲が見られた。じっと見ていると、若者が近づいてきて、携帯で写真を撮っていた。地元の人かと話しかけたら、大阪から来たとの事。私も大阪から来ているということで、「魂の共振・共鳴」の話になっていた(毎度のことであるが、陰謀論、スピリチュアル関係の話に加えて、私が回ってきた被災地の状況の話)、福一の話と放射能。

夕方、地元の男性2人と話した。
一人の方は、現在の東北、日本が置かれた状況をご自分なりに理解しておられた。もう一人の方は、ちょっと気になる事だけれども、いやに馴れ馴れしい態度であった。なんか、私のことを知っているようだった。おそらく、どこかで私を見かけたのでしょう。言葉使いも丁寧であり、たぬまの地域の事を親切に説明してくれた。
雨が降り出した。気温も下がってきた。今晩は、この休憩所で一泊するつもり。

9月25日
昨夕から雨が降り、気温も下がり、冷え込む。
あまり眠れなかった。ここでも蚊に悩まされた。朝、曇り空。時折ぱらぱらと雨が落ちてくる。さて・・・!?出発するか!?もう一泊するか!?次の目的地は「道の駅 にしかた」。山越えであり、20km以上はある。長く歩く事になるから、発つならば早いほうがよい。たぬまを7時過ぎに発つ。

栃木県佐野市。
長閑な所だ。映画のワンシーンのような景色が広がる。河川敷のゲートボール場で、老人たちがゲートボールを楽しんでいる。山々に囲まれた里。

トコトコと歩き、丘のような山道を越えて、「道の駅 にしかた」に14時30分位に着く。およそ7時間の歩き旅。にしかたは今日は休み。閑散としている。にしかたは、新しい道の駅で、あまり知られていないとの事。私にとっては都合がよい。
(何かが引っかかっている。意識に何かが・・・!?しかし、もう動き出している。新たな展開が起きるはず)

明日のことを思い煩うことも無く、人間関係に苦しむ事も無い。このような旅をしていると、大多数の人がいやな視線を送ってくる。(このような意識状態も、比較的自虐的な被害妄想的感覚なのだと言う事が解って来る。他人様の多くは、あまり気にしてはいないようだ。一部の人だけだね。)

挨拶をし、しっかりと会話をする事により、自分自身というものを理解してもらえる。会話の楽しさを始めて理解出来るようになっている。仕事をしている時には、色々な思惑が過り、大げさに言うと、権謀術策の世界の駆け引きが日常茶飯事の会話になるからね。そんな意識を捨て去って、本当の会話を楽しむということが出来る。

近くのコンビニでビール、おでん、弁当を買った。
お酒は買い置きがあるから、にしかたの駅でちびちびやった。すると、野良猫君がやってきて、「にゃ〜にゃ〜」と、ご飯をせがむ。私は買っておいたシーチキンの缶詰を一巻開けてあげた。野良猫排除運動をしている人が見たら、「何やっているのだ〜!」と、頭から湯気を出すことでしょうね。このことは幾度も記してきたからね。
野良君はおいしそうに食べた。



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記入なし どうしても外見だけで判断しがちだけど、話してみたら中身のあるなしってわかる。 とりあえず、一般社会では、とっかかりで損をしないために、印象良く外見を整えるわけだけど。 異文化では、記号化された細かい共通認識が通用しないのを、はっきり思い知らされる。  自信(旅の確信)と誇りを失わずに、無事、目的地にたどり着いて。 (12/10/17 11:08)
すぴ子 挨拶はほんとうに大事。それさえ出来たら十分かも。私も外国に住んでた時それを一番に考えてた。どんなに自分では“私は日本ではそれなりの中流家庭に育ち、それなりの教育を受け、留学するだけの十分な資金を持っている、それなりの日本人”と思っていても、向こうの人から見れば“どこの馬の骨とも分らない東洋のちんけな小娘(向こうの人には小学生くらいに見える)”でしかない。誰もはっきりとそう言わないけど・・・そういうの伝わってくるよね。 (12/10/16 22:42)
すぴ子 自分が異質な存在(外国人)である状況下において、挨拶って“私はあなたと同じ人間です”と最初に相手に宣言することに等しい、そう思った。それは自分を尊ぶことであり、相手に“対等に自分を扱うよう”求めることでもあるんだって。やまとさんは大事な事をちゃんと自分で分ってる。 (12/10/16 22:41)
中年競馬 どうもありがとうございます。とっても味のある生き方です。天の波動もおっしゃってます。 (12/10/14 09:14)
水洗 もうすぐ雪降るぞ〜、風邪ひくなよ〜! (12/10/13 17:42)


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