日記HOME TOP タイトル一覧 月別 


日々の記録


 ■ 2007/04/01 (日) 2007年および2007年度最初の日記(長文)


年が変わってからもう4月、季節はもう春になってしまいました。今年こそ年の初めに日記を書こうと思ってはみたものの、ずるずると今の時期にまで引きずってしまったという感じがあります。自分は3月半ばで29歳、もう20代最後の年になってしまいました。今から10年前の1997年私は19歳で将来に対する不安はおろか展望といったものもほんの少しも持っておらず、将来はどうにかなると思っている節がありましたが、20代も最後の年を迎えた今となっては将来はおろか今現在についても不安が山ほどあって太刀打ちできないという状況でもあります。しかも今日は年に一度のエイプリルフールでありますが、エイプリルフールらしいジョークなど私にはとても言える現状ではありません・・・・・。

今年も私は、年が明けて日がそんなに経っていない頃からしょうもない失敗ばかり繰り返して、その度に親から注意を受けるという情けない暮らしをしています。今の自分は、考えが稚拙、粗相が多い、要領が悪い、失態演じまくり、の四重奏状態です(そこに現実逃避している事やオタク趣味に浸っている事を加えるとすれば六重奏状態になりますが)。もう後が無いという事を痛感していますが、本当にこれで就職(バイトも含めて)が大丈夫なのか?と言われてもおかしくないような状態であるようにも思えてなりません。

最近はアルバイトしながら就職活動をしていこうと考えており、そちら方面の仕事も探しており、実は2月末から3月上旬にかけて自分はとある学会にて事務系のアルバイトをしていましたが、8日しか続きませんでした。目に余るほど酷い働き方ではなくやり方によってはいくら安い給料とはいえ現在でも働いている可能性はありましたが、8日という短期で終わってしまった原因には自分は「仕事」していたのではなく「作業」に終始していたのではないかと思う所があります。確かに朝の9時頃から夕方5時半までオフィスで働きしかも働いた分の給料も貰ったという事は大学院を出てから今年になるまで就職活動ごっことしか言いようのない無為な日々を過ごしてきた自分にとってはプラスとして考えたいのですが、8日間しか続かなかったアルバイトの後のアルバイトも含めた就職活動では何の役にも立てられず割が良くて自分としても就きたいと思っているアルバイトすら断られる現状を思うと自分はどうしようもない人間だと思ってしまいます。

29歳になった事で20代の時間が残り少なくなってきましたが、悪い意味で子供っぽさが抜けきれていない自分には情けなさを感じます。今や疎遠になって久しい大学院時代のゼミの同期やドクター、後輩といった人達はそれぞれの道でそれなりに社会で生活しているというのに、自分だけが世の中から取り残されているような感じがして焦燥感や苛立ち、孤独感が募ると同時に、今までの怠け者暮らしの代償の大きさ故の苦しみやまだ気持ちに引っかかっている漫画等に対する執着心といったものも自分の周りに累積しており、毎日が息の詰まるような思いをしています。

昨年末の日記を含め当日記において自分が如何にダメな人間であるかは書き綴ってきましたが、自分には前述した考えが稚拙、粗相が多い、要領が悪い、失態演じまくり、の四重奏状態からどうやって抜け出すのかなかなかいいアイディアが浮かばず、ただただ頑張って努力するの一点張りでここ最近やっているようにも感じられます。それゆえに注意を受けるとえらく反発してしまう事があります。こういった事もあって、一生懸命頑張る乃至は努力するという事につくづく疑問を感じてならなかったりもします。それどころか今まで自分は努力らしい努力をしたような事がほとんど無く(高校や大学の受験にしても過去の積み重ねを怠った挙句追い詰められてしまったから仕方なく必死こいたというのが実情のように考えています)、追い詰められてから慌てるというパターンが自分の人生に定着しているように思えてなりません。自分が頑張った、努力したという事について思い返してみても、本業を怠けて好きな事に埋没する事ぐらいにも思われます。

自分はこれから先の人生において、何を楽しみに生きればいいのか思うと暗澹たる気分になります。現在の自分は親の庇護の下でなんとか生活しているという現状であるのですが、その生活が保障されているのは親が元気な間だけであって親にもしもの事があれば今よりも生活レベルが低くなる可能性が大であります。つまるところ今の私は綱渡り人生を送っているともいえるでしょう。

しかしそんな窮地一歩手前にもかかわらず、私は自分の趣味への執着心がどこか抜けきれていないように思う所があります。昔に比べればモノを買うという事に慎重になったと感じていますが、過去に買い漁ったモノ(といってもある程度は古本屋・中古ソフト店等にモノによっては二束三文で売り払いましたが)に対しては手放す事が億劫になっていたりします。決して自分でアルバイトとかして稼いだお金でないにもかかわらず。ちなみに年が明けてからもう4ヶ月になろうとしているのですが、自分の部屋は昨年というか2004年と比べてもあまりこれといった変化がありません。少し前に私は親に3月末までには部屋を片付けるといった約束をしながらも、それを見事に破るという事をしてしまいました(守れないというか守る気のない約束をある種の強迫観念に駆られてしてしまうというのは私の常套手段のように感じていますが)。どうも私は部屋を片付けたりする事がこの上なく苦手であるとしか思えません。モノによっては5年以上見向きもしていないのに、処分するという気分にならない事が数多あります。どこか自分には変化する事を嫌い、現状に甘んじているようにも思えてなりません。

自分は今の現状に関して複雑な気持ちで一杯です。親に自分の粗相を注意され解かっていながらも粗相を繰り返し、親に生活の殆ど全てを依存しながらも時々親の事を疎ましく思いかといって親から自立しようという所まではいかなかったり、自分の机の周りはSF小説やライトノベル、コミックに趣味の本(特に宇宙関連)で溢れ返っておりしかもそれが長い間ちっとも変化しておらず、整理しようと思うものの実行にまでは至らない等等、といった事が自分の周囲を巡っています。自分は趣味に関しても全て受け身な趣味しかしていないのでそういった所が他の生活にも悪い影響を与えていると感じる所があります。しかも趣味そのものも本業をおろそかにした上での趣味だったので後ろめたさを感じながらのものだったと思えてなりません。自分としても後ろ向きな趣味ではなくもっと前向きな事をしていきたいと思っていますが、如何せん現状が現状なだけでなかなかそれも難しかったりします。

つまるところ私は自分の人生に夢や希望といったものを持たず、今が楽しければそれで良いといった感じで生きていた事が今の自分に大きな負債として圧し掛かっていると感じているのです。英雄や偉人への憧れも強かったりするものの、彼らの足元にも遥かに及んでいないという事を思うと、自分は何でこの世に生を受けたのかとまで思う事もあります。今思うと自分の歴史好きというのは中学高校時代に試験で点が取れやすかった事と、英雄や偉人の活躍や覇業といったものに赫奕たるものを感じていたからなのかもしれません。


以下の事は殆ど与太話ですので、参考程度に。



今年始めに歯科医の次男坊(3浪の医大志望)がタレント・モデル活動をしていた妹に「夢がない」と言われた事に激昂して殺害してその遺体をバラバラにしてしまったという事件が世を騒がせましたが、自分はこの浪人生の事を他人事のようには思えなかったりしました。自分は一人っ子であるため何かと比較される事や兄弟間での一種の格差を目の当たりにする事はありませんが、大学浪人ならぬ就職浪人を3年もやってきてこれといって目ぼしい結果が出ないという事には焦りや苛立ちを多々感じています。恐らく浪人生の彼も優秀で立派な父親と兄(医大生)、気の強い妹の間に挟まれて彼も同じようなものを感じていたのでしょう。だからといって彼が犯した蛮行が許されるという訳ではありませんが、人間は自分の前途に暗雲が深く立ち込めてしまうと何気ない一言でさえも自分を否定された言葉として捉えてしまうのかもしれません。

今回の事件に関しては自分の感情を抑える理性が正しく機能しなかったがために最悪な結末を迎えてしまったのではないかと思います。兄弟姉妹がいればキツイ一言や二言投げかけられるなんて事は日常茶飯事なのでしょうか?とはいえ有名マンモス大学の付属に通いながら、同じ系列の医学部に2浪しながらも入れなかった、という事はどうしようもなく頭が悪かったと言えるのかもしれません。となるとそんな状態でありながらも他の選択肢が思い浮かばず馬鹿の一つ覚えみたいに歯学部に拘っていた以上は「夢がない」なんて言われても仕方のない事となるのでしょうか。

罪を犯した以上彼は法で裁かれなければならないと思いますが、彼が高校時代に残した句、「髭生ゆる 我が顎に出り 父の影」にはどこか惹かれるものがありました。自分には短歌や俳句を作り発表するだけのモノが無いだけに、そういったものを作れるということについては願望めいたものを感じたりしました。



お名前   コメント

ぺけぽむ 何かひとつでもやり抜いてみたらどうかと思うんだけどねえ。あと、プライドは捨てなさい。もうあなたは作業レベルのアルバイトでしか丘陵を取れないところまで身を落としてるのですよ。それに直面するのがイヤだったからたった8日でやめたんじゃない?…と思ってしまうのだけど。 (07/04/29 15:46)
(´・ω・`)しょぼんぬ お久しぶりです(´・ω・`)ノシ久しぶりに日記が読めてよかった。4月のはじめで、これをいい区切りに何かいい方向に向かっていけますように。私としては、これだけ長い日記書けるだけでもすごいなあ・・・と感心。 (07/04/02 13:58)
のりすけ なんで8日しかバイトできなかったの? (07/04/01 20:23)


 ■ 2006/12/29 (金) 2006年最後の日記


もう年の瀬も押し迫っていますが、自分にはそういった実感が全く持てません。去年の日記を読み返してみても、自分は結局少しも変わる事が無かったと呆れるばかりです。大学院時代を含めれば不愉快極まりない年末は5回目になります。大学院時代の留年期間の年末はろくな研究を行ってこなかったしわ寄せでしたが、大学院を離れて以降の年末はろくな人生を送ってこなかった事がしわ寄せとなっています。1年かけて何か一つの事を成し遂げたというものすらありません。結果の出ない努力など怠けている事と同じであるという事を去年よりも痛感した事が、やっと自分が意識するようになった事が今年自分が得たものではないかと思っています。

20代も残すところ1年と数ヶ月ですが、自分は20代を完全に棒に振ったと思っています。20代前半の一番良い時期にろくでもないダメ人間な生き方をしてしまった結果、人付き合いも相当希薄になり、知り得たであろう事や身に付けられたであろう事の多くを自分から放棄してしまったと思えてなりません。手元、あるいは身の回りに残った物は、生きていく内ではほとんど役に立ちそうもない趣味のものばかりです。しかし親のみならず他の人からみても好かれそうも無いものとはいえ、整理したり処分したりするとなると躊躇してしまいます。中には自分が見ても興味の失せたものもありますが、どうしても・・・・という感じで手放す事が出来なかったりします。自分はどうも物を片付けたり整理したりする事が苦手のようです。年末といえば大掃除の時期でもありますが、自分の部屋はかれこれ2年8ヶ月近く変わっていません(ちょうど大学院を出た頃からになります)。整理も下手なくせにどうしてこれほどまでモノを貯め込んだんだろうと思ったりしますが、これも整理が下手だからなのでしょうか。あるいは私は小学生の時以来同級生の家に行った事が無いので、人がどのような生活をしているのかその一部すら見ていなかったので部屋の間取りの良い参考となるもの(情報とかの面で)をみすみす見逃しているからなのかもしれません(そのような関係の本を読むのが手っ取り早いのでしょうが、なかなかそうしようという所までいっていなかったりします)。

自分は10代の頃を含め、将来に対する意識、美的感覚、経済感覚、モノの取捨選択といった生きていく上では必要な事や身に付けておいた方がいい事を軒並み身に付ける事無く、自分の興味の持ったもの以外の事には何の関心も示さずに生きてきました。現在はこのような事をしていたツケが大きく回ってきて、朝起きてから寝るまでの時間が相当苦痛に満ちたものになっています。こんな事はとても面接では言葉に出来るものではありませんが、自分の一挙一動が進退問題になっています。ここ数年の自分の行いを見ても、私は誰かが自分の事を見ていないと道をはみ出してしまう人間である事を否応無く認識させられました。大学受験の頃までは自分は親の事を好きな事をさせてくれない云々とわがままを並べて毛嫌いしていましたが、その毛嫌いしている親がいたからこそ自分は大学を現役で合格する事が出来ました。しかし大学生になっていわば「自分の事は自分でするべき」という時期になり、あまり親も私の生活に口を挟まなくなってから私は滅茶苦茶だらしなくなり現在に至っている訳です。

11日の日記にも書いた自分は発想力が貧困でありながらクリエイティヴな仕事を志望していた事に関してですが、大学・大学院時代よりも遡って中学・高校の頃はアーティスト、つまるところミュージシャンになりたいと思っていたりしました。ろくに楽器演奏も出来ず、中学の頃は学校の式典や合唱コンクールなどでクラスで合唱する際に音程が外れている事をよく指摘されていたりしましたが、以前の日記でも書いたと思われますが恐らくTM NETWORKに心酔していたからなのでしょうかアーティストになりたいなどと自分の力量を無視した空虚としか言い様の無い事をよく考えていたなぁと今となっては情けなく思ってしまいます。とはいえ別に作家やアーティストのようなクリエイティヴな仕事に就かなくても、学生生活はおろか普通に生活していく上で発想力というものは必要と思われますが、それが貧困という事を思うと本当に自分は大丈夫なのか?となってしまいます。

繰り返しになりますが、来年は今年よりも本当の意味でいい年にしたいと思っています。棒に振ってしまった20代の最後の年でもありますが、少しはまともな生活を送る事が出来たと思えるような1年にしたいです。


お名前   コメント

和牛 たとえ結果の出ない努力だったとしても、怠けていたのとは少し違うような気がするのですが…。良い結果が出なくても、だめだった…っていう結果は得られるわけですし。怠けていたら、挑戦もしていないわけだから、何の結果も得られませんし。ダメだった…っていう結果を得て、次に向かうことができるような気がするんです。気休めかもしれませんがね… (07/01/11 01:13)
アニキ th1969さんがいい事を言ったと思う (07/01/08 01:16)
(´・ω・`)しょぼんぬ あけましておめでとうございます。今年はいい1年になりますように。1年のhが時まりの区切りなので、何か具体的な目標を一つでも立てて、それを達成してみるのがいいかもしれません。 (07/01/02 21:42)
th1969 逆説的な言質になるけど、逆転一発ホームランは狙わないように。 (06/12/29 17:09)


 ■ 2006/12/11 (月) およそ半年ぶりの日記、もう既に年末・・・・・


前回記入した時から半年近くが経過してしまいました。この間、私はとりたてて多忙を極めていた訳ではなく、何かを書く気力を大きく喪失しており、ネタ切れ状態でもあったために日記から遠ざかっていました。またYouTubeにハマっていた事もあって、当サイトからも遠ざかっていた事もありますが。この日記をつけるようになったきっかけというのも自分という人間が生きた記録というものを何らかの形でこの世に残したい(とはいえかろうじてとは言ってもまだ20代の私がこのような事を言うのもどうかと思ってはいますが)という気持ちをオタク的人生の大きな窮地でありなおかつ肩身の狭い思いをしていた時期(今も窮地である事や肩身の狭さを感じている事には変わりはありませんが)に持ち、「無職.com」を通して少しでも多くの人に伝えていこうと思ったからでもあります。しかし何ら大きな進展も見られないまま、堂々巡りのような状態が2年と8ヶ月続いてしまうと不満や鬱屈は溜まりに溜まっても言葉に表したいと思えるものは枯渇してしまっています。ちなみにいまだに就職への道は遠い状態が続いています・・・・。しかももう今年の残りも20日程度になってしまいました。自分ではあんまり意識しないのですが。

しかし前回記入より約半年の間にも、自分としては後一歩という所まで来ていたものもありますが、最後の面接(相手はその会社の社長さんでした)にて恐らく自分の頭の悪さを露呈するかのような愚劣な発言をしてしまったか何かで落ちた所もあります。自分自身のキャリアも表向きはよく見えたとしても中身は相当無様であるがために人に話す事が出来ないものが多かったりするがために、単純に熱意を評価してもらいたいと思ってはいますが、自分には山を動かす程の熱意があると思っていても、相手には全くといっていいほど伝わっていないのではないか、と考えてしまいます。自分の熱意は山を動かすどころかそよ風を吹かす程度のものですらないのかもしれません。

昨年の年末に書いた日記を読み直してみましたが、この時と現在を比較してみてもどこが変わったんだろう?と思う所もあります。今年も私は漫画の事を触れられると無茶苦茶激昂してしまい、床に漫画本を投げつけたりして暴れたりもしました。自分が好きな物はぞんざいな扱いをしないというのが普通なのかもしれませんが、しかし私は漫画について触れられて感情が昂ぶると床に平積みしてある漫画本を蹴っ飛ばしたり投げつけたりと相当矛盾したような行動を取ってしまいます。落ち着いて考えてみるとおかしい事と思いはしますが、漫画について触れられたら正常な判断がつかなくなってパニック状態に陥ってしまいます。

自分は元々絵がそんなに上手いわけではなく、漫画家やイラストレーターといった仕事は不向きである事は重々承知していますが、大学院時代でも将来はクリエイティヴな仕事をやってみたいと心のどこかで思っていました。そのためにはSF小説であれ漫画であれアニメであれ、そういったものは数多く読んだり観たりしなければならないと思い、本業そっちのけでやっていましたが、元々発想力が貧困であった私にとってはいつしか読む事や積読する事で自己満足するといった方向に進んでしまいました。所詮狭い世界でしか人付き合いをしていなかった事を思えば、人がどのような事を考えているのかを多く知る事も出来ませんでしたが。

本であれ映像メディアまたは音声メディアであれ、結局は書いた人作った人が偉いのであって読んだり観たり聴いたりする事など極端な事を言えば子供でも出来る訳だから、受け身に過ぎないと言われればそれまでの事と思います。自分は今までの人生の中で、読んだ本や観た映像等から印象付けられた物を自分の中で消化してそれを自分のために役立てるという事をあまりしませんでした。ほとんど自分の中に詰め込む事だけで満足していたと思われます。今でも人に手紙を書いたり等文章を書く際には、自分の発想力の無さやアイディアの貧困ぶりに頭を悩まされる事がしばしばあります。

今年中にまた記入する事が出来ればいいのですが、この日記が年内最後になるかもしれません。しかしながら今年も碌な年ではなかった、と後悔するような年末はいい加減こりごりです。


お名前   コメント

(´・ω・`)しょぼんぬ お久しぶりです。今年はもう残り少なくなりましたが、2007年はいいスタートを切れますように。寒くなるので体調には気をつけてください。また印刷してじっくり読ませてもらいます。 (06/12/19 01:38)
アニキ もう30近いんだろ 30越えても院が院がと言って何も進展してないことのないように後もう一息力を入れて頑張って 妥協するのも手かも (06/12/17 02:14)
 自分では当たり前と感じることも(作品とか)、誰かから見たら当たり前に見えない場合もあるわけですから、まずはありのままで頑張ってみると良いと思いますよ。 (06/12/12 01:37)


 ■ 2006/06/13 (火) サッカーワールドカップドイツ大会が開催されましたが・・・・・・


 前回書き込んだ時よりもう3ヶ月以上過ぎてしまいました。まず初めにこの約3ヶ月の間に何があったのかを書くと、まず3月半ばには28回目の誕生日を迎え、3月末には久しぶりにTOEICの試験を受けたものの今まででいい点を獲った大学院在学中の2003年よりも成績が落ちていた事、後就職活動を4月以降も継続してはいるものの、ほとんど芳しい成果は出せず鬱屈とした気分になっています。また入社式や入学式やらをテレビで見て嫌な思いを感じたりもしました、もう2ヶ月以上前の話ですが。

 思えばちょうど今年で自分が大学に進学してちょうど10年という年になりますが、大学に進学した1996年の自分は10年後の未来が暗澹たるものになるとは思ってもいませんでした。今現在は10年後つまり2016年になりますが、の自分を想像するとそれこそ暗澹たる思いになってしまいます。もしも2016年に東京で52年ぶりにオリンピックが開かれる事があったとしても、自分がそれを直接的乃至は何らかのメディアを通して間接的に観戦する事が出来るのかどうかすら怪しいようにも思えます。先週末からサッカーワールドカップドイツ大会が開幕し、個人的にも縁のあるドイツでの開催だけに関心は高かったりしますが、ありとあらゆる試合をテレビで観戦できるのかといわれてもあまりいい答えはでません。といっても先日の悪夢ともいえる日本の逆転負けに終わったオーストラリア戦はしっかりと視聴しましたが。高校時代からドイツの現代史には興味があり、大学以降はドイツ発の大河SF「宇宙英雄ローダン・シリーズ」を読むようになってより一層ドイツのエンターテイメントにも興味を持つようになって、院進学の後は科学技術方面にも食指を広げはしましたが、結局何も実を結ぶ事はありませんでした。自分がドイツに現在生涯最初で最後の海外旅行をしたのも大学院に進学した6年前になりますが、今の自分にとってはドイツですら銀河系における地球の反対側の惑星並に遠い距離になってしまっています。


 この日記でも既出の話になりましたが、相変わらず私はコミックやらSFといった自分の趣味の話題が親との間に出ると時折癇癪を起こしてしまう事があります。大学院を趣味でコケたにもかかわらずその趣味を捨てられないという事が今も続いていますが、本当に私には自分の身体から腕や脚の片方を切り離すくらい過酷な事であったりします。子供の時から友達を作ったり集団で遊ぶなんて事が苦手だった私にとって、人様が作ったもの(本や音楽、映像作品、アニメ、ゲーム等々)を堪能する事は最大の娯楽であり、学生時代は大先生と呼ばれる方の本を読んでいれば自分も賢くなったように錯覚していましたが、現実にはどんなに分厚いハードカバーの専門書・研究書を呼んでもちっとも賢くなっていません。ネットがこれだけ発達した現代においては情報など検索する能力さえあれば頭の中に必要以上に蓄えておく事は無意味な事のように見られている事ぐらい承知しており、むしろ教養や娯楽の一環としての読書を心がけてはいますが、実際の就職試験の場でそういった所から仕入れたものが役に立った試しはありません。


 私の状況は2月下旬に書いた今年最初の日記の時とはほとんどといっていいほど変わっていません。最近はどうも無理に朝7時に起きているものの家にいる時は昼間は自室の机の前に座った状態で昼寝している事が多くなりました。感じているストレスの量も学生時代以上に思えます。というようりも学生時代にストレスらしいものを感じたのは大学院時代の最後の1年半程度ですが。仕事がなかなか決まらない事や、家でも相変わらず下手糞極まりない日常生活を送りつづけ無知ゆえの失敗の無限ループ状態である事が自分が感じるストレスを重いものにしていると思えてなりません。


 もう20代も棒に振ったとしか言いようの無い状況です。色々な事を体験出来るはずの20代がえらく無駄なものにしてしまったと思っています。もう残り2年を切ってしまいましたが、後の1年9ヶ月で今までの8年近くの無駄な人生を取り返せるとは思えません。所謂「MARCH」レベルの大学まで進んでおきながらここまで駄目な生き方を送ってしまった人間などそうはいないでしょう。

 久しぶりの日記で何らかの変化があったのではないかと期待される方もいらっしゃるかと思われますが、上に述べている事が今の私にとっての全てに近い状況です。少しでも何らかの変化を自分の人生にもたらしたいと思っていますが、自分の頭の悪さ等々でなかなか上手くいかなかったりしています。


お名前   コメント

(´・ω・`)しょぼんぬ 久しぶりです。最近はどうされていますか? (06/10/10 20:23)
韮山 4ヶ月に一回とはいえ、長文大変でしょう。私だったら、その間に起こったこと詳細には覚えていられない。(^^;) ほんの2、3行だけであっても「今日あったこと」を書くと、印象良いですよ。 恥ずかしながら、私もレポートあげるとき、未だに言われることがあります。 (06/06/15 00:29)
(´・ω・`)しょぼんぬ 久しぶりです(´・ω・`)ノシお名前見つけてうれしかったです。少しずつでも、進展が見られますように。また日記印刷して読ませてもらいます。 (06/06/14 19:25)


 ■ 2006/02/28 (火) 2006年最初の日記(長文)


 2.26事件からちょうど70年目の日も過ぎて、もう2006年も2月が終わろうとしています。そしてトリノオリンピックも閉幕し、スポーツにおける世界的に大きなイベントであるサッカーワールドカップドイツ大会まで後3ヶ月近くになりました。今回のトリノオリンピックについても夜の7時代に放送していたダイジェストや朝方ないしは深夜の放送など割と多く観た印象があります。女子フィギュアで荒川静香選手が金メダルを獲得した事はここ最近というか大分感動する事から遠ざかっていた自分ですが久しぶりに感動したと思っています。同じフィギュアの村主章枝選手やモーグルの上村愛子選手、スピードスケートの岡崎朋美選手などはあともうちょっとでメダルに届く所にいただけに惜しかったと思いました。


 今や日記と言うより気分次第で書く雑記帳のようなものと化した当日記ですが、本年も昨年同様継続して書いていきたいと考えています。私がいわば自分が生きた記録を何らかの形で残したいと思い書いた日記ももう2年目になりました。書いてきた事は殆ど不甲斐なさの連続でしたが、その不甲斐ない日常も時間が経過すれば歴史の1ページになるのではないかと思っています。

 しかし今年も2ヶ月が過ぎようとしている今、職探しはおろか日々の生活を送る事に脱力感と倦怠感を同時に感じています。普通の日常生活でも朝7時までに起床し、夜は12時ぐらいには就寝するある意味社会人としては当たり前の生活パターンというものがなかなか身につける事が出来ず、まともに出来た事など数える程度しかありません。朝7時に起きる事が出来ず、7時50分だったり8時過ぎに起きてしまって親から注意を受けるとその日一日どんな事に対しても気力が出なくなる事もしばしばあります。おまけに毎日毎日今日もまた何らかの失態をやらかすのではないかという怯えも感じる生活であったりします。

 私はどうも人の話をしっかり聞いて理解するという能力に欠けているようで、そのせいで学習障害じゃないのかと親ですら疑ってしまっています。好きな事だけはやれても、自分の好まない事(世間ではこちらの方が多いと思っていますが)が出来ないというのは社会人以前に人間として失格なのでしょうか。しかし自分が一種の知的障害者のように思われる事には嫌悪感を抱いています。自分が失態を犯してその事を注意されて激昂して家の壁を殴ったり自室の床に平積みしているコミックや文庫本、単行本などを蹴飛ばしたり投げ飛ばしたりなどする事は相変わらずなのですが。

 私が嫌悪感を抱くものとしては知的障害者に思われる事と並んでこのままだと河原行きになる、要するにホームレスになると言われたり、もう都会ではやっていけないと言われたりする事もあります。自分はまともな日常生活がこなせないという事がひいてはホームレスへの一本道を歩んでいるという事だと思っていますが、ホームレス一直線も社会生活不適格呼ばわりも私にとっては言われたくない言葉の中に入っています。今までの人生を振り返ってみても自分は将来に対してほとんど妄想以外の何物でもなかったのですが、「とにかく大物になる」とか「トップエリート」になるといった事を夢見ていました。現実には努力らしい努力をして来なかったため今のような惨状があるのですが、とにかく社会の上層部に就けば今まで自分の事を低く見ていた連中も見る目を変えてくれるとも考えていました。かのライブドアの堀江元社長が証券取引法違反で逮捕され六本木ヒルズの高級マンションから東京拘置所の3畳ほどの狭い独居房に移ったニュースを時間が経ってから考えると、確かに法を犯すような事をやった罰は受けなければならないにしてもつい数週間前まではマスコミが過剰に持ち上げていたとはいえ「時代の寵児」だった人間が一気にここまで落ちてしまう様には憐れみに近い感情を抱いてしまいました(最近のニュースを見ると、どうもライブドアは脱堀江色を強めているそうで、堀江氏のIT業界への再帰がありうるのかどうかは見当がつきません)。以前はさほどライブドア関連の話題に興味を持っていたわけではないのですが、堀江氏の逮捕もさる事ながら結局夢で終わってしまった有人宇宙飛行計画のように宇宙に関する話題があった事など私の趣味に近い事もあって最近は幾らか興味を持つようになりました。ちなみに東京拘置所は私がよく利用する私鉄の沿線にあり、東京方面に出る時には電車の車窓から建物が見えますので「あぁあそこにホリエモンは拘留されているんだなぁ」と思ったりします。

 自分はメディアによって作られた存在であろうとなかろうといわゆる「ヒーロー」と呼ばれる人間を賛美したり尊敬の念を抱いたりする事は出来ても、自分がそのような高い地位に就くような事はいくら残りの人生が50〜60年近く存在していても、まず可能性は相当低いと思わざるを得ません。というよりも自分の大学院時代を思い返してみても、私よりも遥かに優秀な方々を幾人も見てきましたが、そういった方々であっても世間で言うところの「有名人」にはなりにくい(将来においてはどうかわかりませんが)事を思うと、有名になりたいという願望はそう持つべきではないのかもしれません。10代、20代とたいした努力をせず日々ダラダラ過ごしてきた人間などもっての外という事なのでしょう。

 後数週間で私の誕生日がやってきます。その間における東京大空襲の日である3月10日は母方の祖母が亡くなってからちょうど1年という日になりますが、死去した日ないしは自分の誕生日から1年を振り返ってみても自分のダメ人間ぶり以外に思い浮かぶものはありません。もう20代も後僅かになりましたが、その後僅かな残りの時間でありとあらゆるものが好転するようには思えなかったりします。人生の区切り毎に済ませていく宿題を先送りに先送りを重ねた結果が現在の惨状であると感じています。いまだに家の問題処理に私は加わるだけの能力も無く、全て親が処理するという現状です。


 最近私は親から農村でも行って優しいご隠居さんの所で農業について一から教えてもらう事で修行して来いといった事を言われますが、この言葉を聞くと自分は家にとっての癌(それも末期に近い状態)になっているのではないかと思ったりもします。また人付き合いの苦手な私にとって都会生活というものは非常に辛いものがあり農村からその人付き合いも学びなおしたほうが良いという理由もあります。こういう事を聞くとこれも殆ど妄想かもしれませんが将来は東京や横浜の一等地に居を構えたいと思っていた自分が今住んでいる埼玉東部の街ですら自分にとっては不適格だったと否応無く思い知らされた気分になってしまいます。公立中学といういわば一般社会の縮図みたいな場所で適応する事が出来ず、高校は東京の多摩の方にある私立高校、大学でやっと東京中心部に位置する有名大学に通う事で優秀で優しい人達に囲まれる事で心の安泰を得たのはいいのですが、その時代は自分にとっては転落の時代でもありました。しかしもう自分の転落人生は日記において嫌と言うほど書いてきたので、ここではもう書くつもりはありませんが、普通なら人生の汚点として心の底に閉まっておきたいと思う事を私の場合は親との会話で親があきれるくらい喋りまくったり、文章にして半永久的に残そうと思っている事は過去にしがみついているように思われるのでしょうか。自分は親との会話の中で注意される事には、話をきちんと聞く事よりも自分が喋る事を優先し話を全く理解していない事やいちいち自分で説明したがるといった事があります。学生時代の同期の人とは在学時にはそれなりに会話したりしていましたが、修了後は付き合いが疎遠になり学外での友人が一人もいない私は相当な孤独を感じています(ネットでつながる事が孤独を解消するとは思っていません)。

 SFやコミック、ネットなどに逃避するのも孤独感を埋めたいのではないかと思う事があります。これだけ人生全てに上手くいっていないと心のバランスが取れなくなり、モノに囲まれている事が心のバランスを取ってきていましたが、自分の部屋は親が見ても嫌悪感と絶望感を抱くくらいもう長い間整理されておらず親戚をはじめ外から来た人間が見たら間違いなく私の評価はガタ落ちするような状況です。我が家はもう10年近く親戚を含めた外部の人間を招待する事無く暮らしてきましたが、そういった暮らしもそう長くは続けられなくなっています。しかし私は部屋を整理整頓する事が朝7時までに起きて夜は12時までに寝る事と同様に苦手だったりします。この生活の基本が出来ていない事が、私の現在と未来に対しても大きな影を投げているように思えてなりません。始めの方に私が毎日怯えながら生活しているという事を書きましたが、これは生活能力の著しい欠如から来ています。私は他人に対してこれといって秀でた能力や分野を持っておらず、出来る事といえば自分の趣味や好きな事に関する知識を集めて自己満足に浸る程度しか無く、それが全然といっていいほど日常生活に役に立っていない事が日々の生活をつまらないどころか辛いものにしています。創意工夫が足りないという事は小学生時代からの欠点でありますが、大学院時代4年かけても大した論文が書く事が出来ずただだらだらと自分の趣味や興味のある事に埋没してしまっていたのも創意工夫が欠けていたからなのかもしれません。現在も家の手伝いをしてもこの創意工夫が無い事でただ惰性でやっているだけの事もあります。よく母親から深夜までダラダラやらずに朝の5時6時に起きてやった方がいいと言われていますが、自分ではまだそういった事は出来ていません。確かに今の季節深夜遅くまで起きているという事は、光熱費を無駄に使ってしまう事になりますのでなるべく早く寝る事は意識しています。

 近頃は「下流社会」、「下流くん」といったような言葉を聞くようになりましたが、自分はその「下流」と呼ばれる社会の底辺のそのまた底辺に位置しているのではないかと思ったりもします。2月中旬に正社員への昇格があるアルバイト・契約社員のとある求人に応募し面接に行ったのですが、そこで私は「友達はいますか」とか「スポーツは何をやっていますか」とか「趣味は何ですか」といったような就職とは関係あるのかと言いたくなるような質問をされ、なんとか切り抜けこそすれ結果は不採用に終わってしまいました。自分は非常勤・アルバイト的な仕事ですら採用されないという現状に余計うんざりしてしまいました。自分にとって普通の企業の社員ないしは団体の正職員になる事がいわば公務員試験の国家T種や司法試験のような世間で難関といわれている部類の試験にて合格するくらいの難しさになっているのではないかと思っています。社会と私の間には巨大な壁がそびえ、それをよじ登っていく力が全く備わっていない、という現状であると考えざるを得ません。


p.s.昨年におきましては、日記を読まれた方々より様々なご意見を頂きました。私は皆様の御意見なりアドバイスには感謝の気持ちをもっています。自分が不甲斐ない所もあってレスなどをつける事が出来なかったりする事も多くありましたが、これからもよろしくお願いしたく存じます。


お名前   コメント

ぺけぽむ 司法とか一種とかの人間と自分を比べる発想がまずダメ。というか、それがパッと出てきてしまうような時点で視野が狭いということに気がつかないと、普通の会社では通用しないよ。自分が相変わらず客観的に見れていないよね。この日記だと、「ここのところしばらくあったことを報告」「自分の感じたこと」を一生懸命書いた「作文」みたい。夏休みの宿題の。どこでも手に入るニュースのことなんて誰でも知ってるから書いても意味がない。自分のことじゃないだろそれは。どうして自分と向き合うのを避けるのか? 客観的に言えば、あなたは今回の日記で気がつく前にとっくに下流です。文系院生の失敗パターンに当てはまっていることにはとっくに気がついているはずなのに、それを忘れたのかと思ってですこしびっくりしました。 (06/04/02 10:15)
(´・ω・`)しょぼんぬ 久しぶりに足を運んでみました。その後調子はどうですか?3月ももう終わりなので、これをいい区切りに何か始めて見るのもいいかもしれませんよ。 (06/03/23 20:55)
--- 良い暮らししてますね。無理してシゴトしなくてもいいのでは?衣食住全く問題ないもんね。 (06/03/14 14:26)
@@@ 少し気になっているのですが、今はどうやて現金収入を得ているのですか?それと就職活動の具体的な記述(例えば、面接に行った)が最近日記には、全くない様に見受けられるのですがどうなのでしょか?もしこの内容を不快に思われましたらお詫びいたします。 (06/03/12 00:41)
・・ うーん矛盾だらけの現代社会で農業というのは矛盾が少ないかもねえ 自然と触れ合うことでなにかが変わるかもよ 母親もそのへんを思ったんじゃないか?君のことを心配してるんだよ  (06/03/06 11:31)
th1969 あなた本当に変わらない人ですね‥‥‥。 (06/03/06 00:29)
通りすがり 見下してるから見下されるんだよ。いい加減ぐだぐだ愚痴ってないで行動起こしたら? (06/03/05 14:12)
y 同じことを延々と書いても何もならないよ。とりあえずバイトから始めなさいよ。それとあなたが今こうなっているのは誰のせいでもないですよ。障害とかほんといい加減にしときなさい 失礼だよ (06/02/28 22:19)
 極力レスは書いた方がいいと思いますよ。出来ないならコメント機能をオフにすればいいんだし。感謝の気持ちの態度としてやっぱ意見を下さった方には返してあげるのが常識なのでは? (06/02/28 20:09)


 ■ 2005/12/27 (火) 2005年最後の日記


 前回日記を記入してから3ヶ月近くもブランクが空いてしまい、クリスマスも過ぎて今年も残すところ後4日となりました。また「無職.com」にもかつて程訪れなくなったように思われます。その間も自分は就職活動をしていましたが、それ以外の所いや全てをトータルしてでしょうか全く何の変化も無い日々を送ってきました。家事を手伝ってもロクな事が出来ない、いい年こいて話の中身が理解出来ない等々やってきた事は9月以前の日記に書きまくっていた愚痴と大差ありません。この3ヶ月日記から遠ざかっていたのも、やっている事に変わりなく何も書く事が無かったからです。ちなみに今年のクリスマスも私にとっては去年と同じで、鬱屈としたクリスマスをもう一年更新しただけでした。

 昨年3月に大学院を修了して後、私は親からの資金援助及び読まなくなった漫画や小説、専門書、聴かなくなったCDなどを古本屋や中古CDショップ等に買い取ってもらう事で親元での生活をしているのですが、それでも自室は小説や漫画や趣味の本、CD等で足の踏み場が幾らか存在するという状況です。自分はこの中で履歴書を書き続けて1年と8ヶ月、いまだにいい結果は出ていません。

 前にもいっぱい言いましたが、私は大学院時代奨学金や親から貰った資金等でSF小説や漫画、趣味の本(ミュージシャンの本など)やCD、DVDにパソコンゲームと学問とは無関係な物に多額の投資をしてきました。数えた訳ではありませんが、自分の専門(ワイマール共和国時代のナチスの政治運動がメイン)に関連した研究書の数と比較しても前述の本の数の方が上回っていると思われます。奨学金の使い込みが発覚してからもう3年と数ヶ月が経ちましたが、その頃所有していた上記の物の幾らかの物は古本屋や中古ショップに売ったりする事や昨年2月下旬の団地の工事に前後した雑誌の処分(その時に声優雑誌やアニメ雑誌を処分しましたが、自分の身体の一部を捨てるかのような苦痛がありました、その当時の私にとって)する事はあったものの、自分の持っているもの自体は全体的に見ればあまり減っていないという印象しかありません。

 日記から遠ざかっている間の事は以前と変わりが無いと書きましたが、この間も親との話の中で漫画やファン活動の事に触れると私はキレてしまう事もありました。確かに私は自分の趣味に関わるものを自分でアルバイトとかして稼いだお金で購入した訳ではなく、前述したように奨学金や学資を使って買っていましたが、友達という友達の居なかった私からすれば自分の好きなものに囲まれている事が気分の落ち着く一番の方法でした。現在でも心の中にモノに囲まれていたいという気持ちは残っていたりもします。それゆえ就職の目的にはこういった事も入っています。もっとも自分が真面目に就職について考えたのは今までの人生で見ればほんの短い時間に過ぎませんが。
 

 2005年も後わずかになりましたが、今年も結局自分は成長出来ませんでした。家の手伝いをしても既に大学を出ているとは思えないほど幼稚な失敗を連発し、馬鹿な失言も多く、まともな事などほとんどやれませんでした。後数日で自分が変われるとは思えず、また来年も今年と同じ事をするのではないかと思うと鬱屈とした気分になります。ここ最近自分の顔を見ると、失態を犯して顔を顰める事がしょっちゅうで眉間に縦皺がくっきりとついてもともと貧相だった顔がさらに貧相になったように思えてなりません。学生時代は漫画やアニメ、SFや音楽鑑賞に深夜ラジオ三昧な日々を送っていてそれこそ有頂天な気分になっていて親に言わせてみればアホ面だったようですが、大学・大学院を温室と思い込んでぬくぬく過ごした末に放り出されて末に自分が外の世界で生きていく能力を身に付けず負け犬となってしまった今の私は全身から負け犬の臭いを漂わせているように思えます。

 最近親も私の事から手を引こうとしています。その理由は私が同じ失敗を何度も繰り返し学習する能力が無いという事です。私は親に言われるようになってやっと朝7時から7時半の間に起床して夜は12時に就寝(といっても1時過ぎに寝てしまう事も少なからずあります)する事を心がけるようになりましたが、それでもまだ心のどこかでは好きな時間に寝起きしていた頃への郷愁が残っていたりします。8月の日記に自分の精神が肉体から分離して時空を自由に移動する事が出来るようになりたいという事を書きましたが、最近はたまに自分が現在の知性を備えた状態で5年前または10年前に戻る事が出来たら、と思う事もあります。

 来年4月で自分が大学に進学してちょうど10年となりますが、私の親からは失われた10年のように言われています。そもそも私の場合はそれよりさらに10年先の小学校低学年だった頃からロクな人生を送っておらず、得たものと失ったものを考えても後者の方が多いように感じています。今日までの自分の人生は自分の権利や自由を放棄しまくった人生であると思えてきます。職業選択の自由や好きな学問をする自由、さらには国内のみならず海外の様々な場所に出かけて見聞を広める自由といったものを8年間の大学・大学院時代に自分から棄ててきましたが、最近は好きなテレビ番組を見る自由や様々なエンターテイメントを享受する自由も自ら喪失しているように感じられます(この自由は権利という言葉にも置き換えられますが)。このままでは人間として生きる権利さえも棄ててしまいかねないように思ってしまいます。いまだに私は学生時代に日課として見ていたテレビ番組をだらだらと見ていると、母親から批判されて嫌な気分になる事しばしばありますが、好きなテレビ番組もゆっくり見れなくなってしまった自分を思うと悲しくなります。自分で何かを作ろうとはせず、ただ人の作ったものを楽しんでいるだけの人間というものは知らす知らずのうちに自分自身を駄目にしているといえるのでしょうか。

 今年も去年と同様自分が全く成長したとは思えず、それどころか自分が今まで見逃してきた自分の幼稚さや愚かさといったものを認識する事が去年以上に増えました。自分の醜態を認識すると、頭をかかえたり怒りを覚えたりする事ばかりで仕方ありません。これ以上不愉快と屈辱にまみれたいとは思ってはいないものの、醜態を晒す事だけは天才的な自分が世間の一般人レベルの事を出来るようにするのは世間のいわゆる「勝ち組」と呼ばれている人達がやってきた努力をしなければならないように思えてきます。来年の今頃になっているかの保障はありませんが、「負け組」から普通人になるのに多大な困難が伴う、こんな状態からはいい加減脱却したいと思っています。




お名前   コメント

大人の少年 久しぶりの日記ですね・・、過去の日記に何度かレス書かせていただきましたが再度私が書いたレスを読んでいただければ幸いです。良いお年を。 (05/12/30 00:55)
 ぺけぽむさんのおっしゃる通りですね。ただ、馬鹿では無いと思うんですよ。狭い範囲で固執化していて、人の意見を受け入れる事をしないで逃げに走っているんだと思います。過去の日記を読んでも何か同じ事を言ってるだけで変わってない。それは返信機能をオンにしてるくせに人の意見を聞いてないからいつまでも変わって行こうとはしない。それで長い文章書いたらつまらん。ユーモアも織り交ぜたりして自分を曝け出しても馬鹿にする人なんてほとんどいないし皆優しい人だと思うから、もっと心を開いて人を頼って見ればいいと思うよ。 (05/12/28 21:39)
インテル いつも読ませてもらってます。読み応えのある日記に感銘を受けます。この文才を何かに生かせないものでしょうか。 (05/12/28 15:23)
ぺけぽむ 雅さんのいっているのは、例えば自分がたくさんとりこぼしてきたところがある、と思っていながら、人の意見を取り入れようとしないとかのところですね。理屈でそう思っているだけで体がついていかないのかな。で、これは私が繰り返し言っていることですが、自分のどこをどうすれば改善するのかを考えた跡がないし、そういう目的で人に援助を求めたこともない。だから改善しない。はっきり言うなら、貴方は頭が悪い。これだけ自分の状態が認識できる、これだけ自分のことを恥じているなんて表現することは本当に得意になりましたよね。でもどうすればそんな状態からいいかげん脱却できるのかがわからないのなら馬鹿としか思えない。というか、そこを考えようしないあなたの生き方が一番あなたを馬鹿な人間にしています。こんなくだらない日記書くのはもう辞めたほうかいい。 (05/12/28 13:32)
 前の日記とかも少し見たけど、ほとんどレスとかしてなくて意固地になってるかんじがするんだよね。もっと人の意見聞いてみた方がいいと思うよ。 (05/12/28 01:34)
 それに日記かいててもレスしてくれる常連さんとかも出来るから楽しくなると思うよ。 (05/12/28 01:22)
 頭の悪い人じゃないんだからバイトとかでもいいからして人交わりしてけばいいんじゃないかな。あとは意見をくれた人には返信していくという。そうすればネット上とはいえコミュニケートとか礼儀についても勉強できたり、仲間意識とかが出来ていいと思うよ。 (05/12/28 01:21)
y とにかくバイトしなさい、仮に就職しても勤まらないよバイトで社会生活のルールに慣れていこう。 (05/12/27 19:48)
ベルエポック 自衛隊にでも行けば?うちのいとこ、自衛隊の下っ端から、警官に転職したよ。 (05/12/27 19:12)


 ■ 2005/09/29 (木) 9月末は、絶望・・・・・


 4月8日の日記で私は、「スター・ウォーズ エピソード3」が公開される頃や愛知万博が閉幕する初秋になっても云々と書きましたが、もう9月末になり「スター・ウォーズ エピソード3」が日本で公開されて2ヶ月以上が経過し、愛知万博に関しては今週の日曜日に大好評の内に閉幕しました。私にとってはどちらにも縁がありませんでした。自分は子供の頃から最低道を歩んでいる事もあって、映画は別としても万博のような多国籍レベルでの大規模なイベントとはかなり縁の無い人生を送っているようにも思えてなりません。

 同じく4月8日の日記で私は自分は注意された程度で感情を爆発させてしまうといった事やこのままでは成長する見込みも無く堂堂巡りに終わるのではないかといった事を書きましたが、それから半年経った現在を見るとその頃に比べて変化はあまり見られないとしか言えない状況です。

 実はこれを書いている今日も親の手伝いで小包を郵便局にまで持っていったのはいいのですが、そこで何時頃までに届くのかといった事を聞かずに郵便局の人に全て丸投げしてしまった事を注意された事に対して理解して注意すればいい所を逆に自分の感情を爆発させてしまい、家庭内勘当状態になろうとしています。親としては社会人としての最低限の事だけは身に付けるようになって欲しいと思っている事と、一応仕事をした事は認めて欲しいと思う自分の気持ちが平行線を辿ると最後には感情が爆発してしまい、その結果母親は匙を投げてしまいました。母親は私の昔からの馬鹿な行動に頭を悩ませており、もうそろそろ私の事を切り捨てようとしているのではないかと思えてきます。例えば家庭の中で何か問題が起こっても私は蚊帳の外、つまるところ父親と母親が問題解決をするという結果になっています。最近私は家族の中でもタダ飯食らいで自分の趣味にどっぷり漬かって、退屈凌ぎに決まりもしない就職活動をしているニートになっているように見られているのではないかと思ったりもします。私自身は自分の事を二ートじゃないと思ってはいるのですが・・・・・。

 しかし私は何やっても人を不愉快にさせるだけで人から喜ばれたりした事がありません。社会に出ればいちいち喜ばれたり誉められたりなどしないと言われればそれまでですが、自分としては最大限配慮したつもりの事が他者から見れば全然無配慮だったりする事の方が多かったりします。こういった状況を改善するという事を努力していますが、いまだにいい結果は出ていません。それどころか私は最低以上に最低な人生道を歩んでいるとしか思えなくなってきました。

 容姿がどんなに醜くても清い心があれば世の中を生きていけると思いたくなりますが、心の中身は外面にも現われるというのを痛感しています。キモオタ呼ばわりされているオタクは心も醜いという事になるのでしょう。

 私の場合は小学生の頃から性根が捻じ曲がりつづけており、それゆえに中学時代は学年の三馬鹿だとか障害児呼ばわりされるといった自分から見れば屈辱極まりないものでしたが他者からすれば言われて当然、何の非もないという時代でした。私の通っていた中学は公立でしたが、これは社会そのものであるという事を親からも言われ、中学の時に私を馬鹿にしていた人(他者から見たら正論を述べていた人)の第2、第3の人物はそれこそ社会に出たらいくらでもいるとも言われています。中学で馬鹿呼ばわりされるという事は中世キリスト教世界の破門みたいなものに最近感じられ、そいつは一生馬鹿という烙印を押されたまま社会の底辺を這いつくばっていかなければならなくなると思ってしまう時があります。嫌というほど味わった屈辱をばねに社会のトップエリートになって今までさんざん自分の事を馬鹿にしてきた連中を見返してやろうと心の中では思っていましたが、現実の私は自分の趣味や好きな事に没頭して勉強などはただやっているフリをして親の目を誤魔化す程度の事しかしてきませんでした。大学院最後の腐れ修士論文はその極北的な存在でもあり、そしてだらしない日々を送ってきた結果が今の凄惨極まりない現状です。

 もしかしたら私はスーツを着て就職活動をするなんて百年早すぎる人間なのかもしれません。実は夏休みに大学院時代の指導教授に暑中見舞いを送りそこで私が今までろくな研究活動もせず怠けた大学院時代を送ってきた事を今大いに痛感しているとの事を書いたのですが、教授からの手紙の中では暗に日雇い的な仕事からでもやってみたらどうかという感じの文章がありました。指導教授は私という人間が学歴に見合っただけの中身を持っていないという事を見抜いていたといえます。今親と家庭内勘当寸前の所に立たされている私にとって、教授からの手紙を読み返すと涙さえも出てきます。院時代の同期の人達はおろか、指導教授でさえも私の就職について面倒を見る事が出来ないと言われているに等しい状況です。おまけに今の私はカップラーメンが買えるだけの働きを見せる事の出来ない程おろかな人間であったりもします。自分は今まで自分の人生を、人気エンターテイメント作家や人気ミュージシャン、漫画家やアニメ制作者といった一種のカリスマ性のある人物によって導かれていくものと思っていた時期もありましたが、最早私はある意味で孤独な人間になってしまいました。自分の人生は自分で切り開いていくというのは当たり前な事ですが、自分にはもう親しく接してくれる人物とは恐ろしいほど疎遠になってしまい一体これからどうすれば良いのか分からなくなってきました。このままでは親が構ってくれない事にさらに激昂して、さらに近所迷惑な事をしでかすようにも思われます。





お名前   コメント

ぺけぽむ とりあえず働きましょう。働いたからと言って孤独が癒えるとは思えないんですが、これまでやってみたことのないことをやってみた方が良いかと。たとえありついた仕事がどれだけ「トップエリート」らしきしごとから遠いものだろうと、それは今の貴方が社会から受ける正当な評価です。社会の底辺に落ちるというのはそういうことだと思います。貴方はまだ自分に見合った仕事にすら就いていないというのは、結局そういう現実に行き当たるのを恐れているのではないですか? (05/10/08 14:50)
アニキ ここまで皆が応援してくれているのですから、もうバイトでも何でも「とにかくやる」しかないでしょう 一番悪いのは「振り出しに戻る」です  (05/10/05 01:06)
(´・ω・`)しょぼんぬ 久しぶりです。相変わらずの長文が健在でよみごたえがあります。1日ずつ、やれることをひとつずつやっていけますように。 (05/10/04 23:01)
 ぐだぐだ言う暇があるなら動く!!俺なんか両膝が痛いし親不知はあるは胃炎はまだ治りかけで今無職で職探し出来ないのだから。君は体は動かせるんだろ?贅沢な話だよ。友人が何年かプーでそのあとアルバイトを続けて最近正社員なったんよ。君より頭も切れる人間やないだろうけど行動力は見習わないとあかんなと思う。まだ君は若いのだから頑張れ!!あと激昂するんは心が不安定だから一度精神科でカウンセリングした方がいいと思う。 (05/10/02 19:34)
サンテレビ 阪神が優勝したので頑張れ!! 37歳の金本や矢野や下柳はあんなけ頑張ったのだ!!それにくらべれば君はまだ若い!!頑張れ! (05/09/30 16:36)
みゆ そんなに落ち込まないで、がんばれ!! (05/09/30 14:12)
にくみそ きっと今はどんなに肯定的な事を伝えても、逆にそれを否定してさらに自分を追い込んでしまう時期におられるのかなと思いながら拝見しました。履歴書に並べるような経歴や周囲の評価ではなく、あなたの目であなたを見れるようになると道が開けるように思います。「趣味や好きな事に没頭」できるのは素晴らしいことです。そこから見えるものがあるはずです。たとえ、周囲から見たら現実逃避だとしても。 (05/09/30 10:57)
韮山 自分のことだけではなく、人のことにも興味を持ってみたら? 母が、何を小包を送ったか、あなたが知ろうとしないからそういうことになると思う。 「ちょっと、小包届けてきて」 「ふーん、何これ?」 「誕生日プレゼント、明後日なんだ」 「じゃ、明後日着指定しとくよ」 と、 普通の会話をすれば自然と到着日は気になりますよ。 あなたが思っているほど、世の中は難しくないと思う。 (05/09/30 01:15)
わっし ひととしゃべらなくてはいけない場所に自分を追い込み、何でもいいですから、始めてみてはどうでしょうか? (05/09/29 21:51)
 とりあえず、就職活動するよりもアルバイトをして世の中の仕組みを知るべきだと思うよアルバイトならいくらでも雇ってくれるからいまもしあなたが就職できても数年で辞めることになるんじゃないかな だからバイトしなよ とにかく社会に慣れることだ (05/09/29 20:57)


 ■ 2005/08/31 (水) 8月最後の日記


 もう8月も残すところ1時間を切ってしまいました(これを当日記に自分のWordからコピペした時間は8月31日午後11時10分頃)。結局今年の夏も私にとってはいい事無しの夏で終わったとしか言いようがありません。天気予報では9月に入ってもまだしばらくは30度を越える猛暑の日々も続くと言われていますが、8月を有効活用出来なかった以上はいい夏だったとは言えません。10代の頃は宿題を夏休み後半に溜め込んで一部は9月最初の授業にまでずれ込んだものもあったり、高校では予備校に通わざるを得ないほどダメな高校生だったので補習のために多くの時間を使い、大学以上はなんとなく講義を受けるといった毎日を送っていたため、8月から9月の間の長期休暇を有効利用する事など出来ませんでした。しかも私は友達という友達がいなかったため、一緒にどこかに出かけるなんて事もしませんでした。

 私の現在の窮状を考えると、大学・大学院の8年間以上に義務教育期間における怠惰な日常にまで遡る事になります。その頃の私は、クラスの中でも一緒にグループ行動したくない人物としては最右翼と見られているような感じでした。その頃の私の性格は今になっても改善されていません。性格はほとんど変わらないまま、自分の好きな物事に対する知識吸収量だけが増大しているという感じです。集めた知識が現在の就職活動において役に立っているのかと聞かれても、ほとんど役に立っていないとしか言えません。

 8月初めの日記にて、私は社会人生活に順応できるよう朝方の生活にシフトしようとして悪戦苦闘していると書きましたが、一月が経とうとしている現在でも慣れてきたかと言えば決してそうとは言えません。月曜から土曜までの6日間は朝の7時半頃に起きる事を心がけ(本当は7時丁度くらいに起きた方が良いらしいのですが)、日曜は休養日として10時頃ないしは11時過ぎに起きるようにしています。しかしながら就寝時間が夜中の2時過ぎだったりする事もあって、実質睡眠時間は5時間程度、人によってはこれだけ寝れば十分と言う方もいるかもしれませんが私の場合は起きてから1時間半程度は頭がまだ半分眠っている状態であって、そういった日々を過ごす事によって週末は疲労が溜まってしまっています。これを書いている今も疲労がたまって、今日一日半分眠っているような感じです。

 まだまだ私は気分次第で日々を過ごしているように感じています。学生時代は意欲的に勉学に励んでいた訳ではなく、一種の強迫観念に駆られて何となくやっていたようにも思っています。知的好奇心あってのものとは決して言えませんでした。今の生活はどうかと言えば、強い意志をもって行動している様にも思えなかったりもします。27になっても親の顔色を窺いながら生きているようにも思えて、情けなくなる事があります。

 やはり友達がいないというのは人間の一生において大きなマイナスポイント以外の何物でもないという事なのでしょうか。今の時代はネット等を使えば多くの物を知る事が出来ますが、人と人との付き合いの中で知る物は質の面で違うのではと思う様にもなりました。10代の頃の私は相当な偏屈者で友達なんかいなくても好きなラジオやテレビの番組を視聴していればそれでいいといった一種の幻想を抱いていました。もし私が遅く生まれていれば今頃はネット中毒になっていた事でしょう。大学進学以降はゼミなどで割と親しく声をかけてくれた人もいて、人付き合いが苦手な自分であってもこれは上手く付き合えるのではないかと思いましたが結果は卒業したらそれ以降は疎遠といった感じになってしまいました。前にも書きましたが、ゼミ時代の同期の方に近況報告を兼ねてメールを送ってみたりしたのですが、メールを送った人達は新しい環境に慣れる事に忙しい等の理由か返事が返って来なかったりしています。生涯かけて友人でいられるというのもなかなか難しく思えます。知人という分にはいくらでもそう言う事は出来ますが。

 このような事より友達が作れないというのは、社会において集団で行動する際には無意識に他人の足を引っ張る事もありうるのではと思う事があります。人に多大な迷惑をかけまくった結果が今のどん底状態である事を思うと、少しでも人に迷惑をかけず、自分の責任を果たす事の出来る人間を目指す事は今の私には必須であると考えています。


 さて最初に書いた近年の夏は何もいい事がないという事に関してですが、自分としてはこんな怠惰な夏なんて本当に御免こうむるというのが今の心情です。海外はおろか国内旅行(関東近郊を含め)も出来ないというのは自分が世界の広さなどを知る機会を失っていると考えられるでしょう。怠惰な生活しか出来ない人間は怠惰な人間として人生を浪費する事になる、そう言ってもいいのかもしれません。



お名前   コメント

ぺけぽむ 職場から書いています(これ、給料泥坊かな?)。 社会でると大学の友人なんかとは会いにくくなるもんです。環境に慣れるのに精一杯になるからですね。これは別に珍しいことでもなんでもないですが。ところで、いっそ、就職活動を中断して、長い旅行に出るとか、これまでやったことのない冒険をしてみたら働でしょう。例えば、自転車で九州の南端までいって帰ってくるとか、そういう金のかからない手段で。環境のほうをがらっと変えて、ぜんぜんしたことのない経験をしてみると世の中が変わって見えてくるかもしれません。なんとなくですが、これまでのことばかり書くのに固執して、あなたの話は未来のことが出て来ないから、それくらいの事をしないと未来のことへ向かえないんじゃないかと思えてくるのね。現在ってのは過去のことからだけ成り立っているんじゃなくて、未来がそこから生まれるもんです。だから、貴方の日記は、貴方の「現状=現在の状態」の半分しか書いてないことになります。ありのままじゃないんだよ、過去のことばっかりを言うのは。これからの新しい環境にへ向かうことを恐れて、慣れ親しんだ過去にもぐりこもうとしているようにしか見えない。 (05/09/11 20:48)
幸運を祈る 友達もいい面もあれば悪い面もありますけど、やっぱりいい面の方が多いですからね。人との出会いってやっぱり大切だと、本当に今は思っております。これからも、いろいろな人と出会っていきたいですね。 (05/09/03 02:32)
たか 早くモラトリアムを脱出した方が良いですよ☆もっと必死になって生きてる人を見習ってさ♪自分の責任を果たすとか抽象的なことを言うのやめてもっと身近な定量化した目標を考えた方が前向きになれるのでは? (05/08/31 23:56)


 ■ 2005/08/15 (月) 今日は終戦60年目の日だけど、自分の見聞きした話について


 今日は60年目の終戦記念日になります。毎年8月になれば戦争関連の特集がテレビなどで放送されいわば恒例行事になっていますが、今年は60年という区切りのいい節目の年だけに例年以上に大々的にも感じられたりします。60年という時間は、人類が辿ってきた長い歴史からすればほんの一瞬かもしれませんが、それでもその間における万物の変化は著しいものがあると感じられます。思えば10年前の1995年は戦後50年と言われていましたが、それから今年に至る10年の間にも様々な意味で色々な物が変わっていったように思われます。

 10年前私は高校3年生。頭の中は受験の事で一杯でした。しかし私は中学3年の時に必死に受験勉強をして、何とか合格できた高校でも3年間で自分のレベルを落としに落として、3年次には私立文系にしか進めないくらいの状況でした。大学選びでも国公立や私立理系は無理という状況にしてしまった事は、現在自分が置かれている境遇とほとんど変わりが無いようにも見受けられます。必死な思いをして進んだ場所であっても、その中でぬるま湯に漬かっているうちに自分を窮地に追いやってばかりいました。入ったときは中くらいだったものが、出る時になると下の方に近い位置にいるといった感じで(入った時がピークで後は落ちるだけともいえます)。あたかも「茹でガエル」の話、つまり蛙を熱湯の中に放り込んでも熱さで飛び出して逃げるが、水から徐々に温度を上げていくと熱湯になった事に気が付かずにそのまま死んでしまう、のように思えてなりません。学生としての責任や義務を果たす事無く、自分の好きな事を最優先にやって来た結果が現在の惨状という訳なのです。

 私がこの日記で大学院という単語を出す事は決してプライドが高すぎるからとは考えていません。自分を卑下していると言われればそうにも受け止められるかと思いますが、途中ブランクがあったとはいえ日記を付け始めて1年半、私はありのままの姿を世に示そうという形で書いてきました。ネットで大学院に関する情報やら話題などを調べてみると、最近では大学院の様相といったものも10年以上前とは大きく様変わりしている事も目にします。私が大学院に入ったのは西暦2000年ですが、モラトリアム進学またはモラトリアム院生といった単語が90年代末から使われている事も知りました。学歴ロンダリングという単語を知ったのは修了した後ですが。

 私が院に在籍していた時期は、文部科学省が大学院重点化を唱えるようになり、どこの大学でも大学院の拡充が行われ、少子化が進行している現在でも継続されており、最近では大学院入学者(修士、博士、専門職含めて)が10万人を突破したというニュースも聞きました。しかし量的には拡充が行われる一方で質の低下も進行しており、前回書いた「今の修士論文は10年前の大学生の卒業論文以下」という話も割と最近耳にしました。ネット等でも大学院の抱えている問題も多く目にするようになって、大学院重点化の目的でもある世界レベルで通用する人材育成や高度専門的職業人の養成といった意味での大学院の質と量の面における拡充ではなく、就職出来なかったあるいは就職したくない学生の受け皿になっているという現状も知りました。社会に貢献できる優秀な人材を輩出するどころか、社会から隔絶された温室のような空間に長くこもってしまった挙句社会に通用しない人間を作っているといえるのでしょう。大学側でも少子化による学生数の減少(およびそれによる学費収入の減少)を少しでも補うために、大学院の拡充を行っているのではないかという話すら耳にする事があります。

 私自身の事は別としても、こういった事を見聞きすると2020年代または2030年代ぐらいには一体日本のアカデミックな分野はどうなるんだろうと思ったりもします。聞いた話によれば、後10年先あたりまでは日本のノーベル賞の候補者は出てくるかもしれないが、それから先は保障できないというらしいです。私もその一人なのかもしれませんが、数十年後には高い学歴を持っていても収入の少ない人間が世に溢れているといえるのでしょうか。


 今回は自分の事とは違う自分の見聞きした話題を中心に書いてみました。私は自分の好きなものやら自分とは関係の無い他人(主にタレントやミュージシャン)の話などには饒舌になる傾向がありますが、日常会話ではおたおたしてしまうくせに自分の趣味や好きなものになると急に饒舌になるというのはオタク人間の典型だという話を聞き自分のその中に入っているのではないかと思う事があります。私が狭い分野に閉じこもらずに、学生時代にもっと色々な事をやっておくべきだったと思う点はこういった所にあったりします。極端な事をいうならば、二次元美女・美少女モノにはスーパーエリートであっても社会一般に即した事が出来なければ社会のゴミ、クズと呼ばれても仕方が無いという事になるでしょう。

最後に大学院の現状等について書いてあるサイトを紹介しておきます。

http://www.rui.jp/message/09/16/03_6179.html
http://tsukinomidori.hp.infoseek.co.jp/backnumber014.htm


お名前   コメント

幸運を祈る 自分は中学3年の頃、あんまり勉強した覚えが・・・です^^;本当に学生時代とかに、色々やっとけばとか思いますよね。これからもですけど。 (05/08/20 00:02)
大人の少年 また、”大学院”などという言葉が貴方の日記から目立ちはじめましたね・・・、もう過去はいいでしょ。そんな事より、就活の事に限定した内容の日記にしたらどうでしょう?日記を読まれた方からよりためになるコメントを書いてくれると思いますよ。 (05/08/17 23:58)
ロムの人 大学院卒ってそんなに偉いの?スーパーエリート?自慢できる事?残り時間は少ないですよ?無職でいるよりは、何か仕事をしている方がいいです。 (05/08/17 19:54)
通りすがり で、キミは何がしたいの? (05/08/16 00:34)
アニキ 僕はゆうめいとのバイトを始める前まではMOTOAKIさんと同じように色々悩んだりしてふさぎ込みがちになりましたが 無理矢理にでも何かしようと思ってゆうめいとのバイトを始めました。動機は不順ですがネットで楽なバイトで検索したら出てきたからです。。 実際楽でしたが色々考えることも多かったです。正社員としてお金を稼ぎたいとか、もっといい待遇の職場に尽きたいとか・・。自分の望まない環境にいるということはとてもストレスのたまることですが、しかしそこで次のステップを見つけるまでは動かないという目標を立てると動く、あがくしか出来なくなります。火の中に飛び込んでみましょうよ プライドを捨てて  (05/08/16 00:31)
アニキ いっそのこと「現在の大学院」というサイトを作ってみてはどうでしょうか 働き始めたら学歴は関係ないと思う まずバイトでも何でも働いてみましょうよ ゆうメイトなんかお勧めです  (05/08/15 20:34)
MOTOAKI 最後に載せたサイトの上の方は今現在の所繋がらないみたいです(それどころか「るいネット」自体サーバーが現在ダウン?のような状態のようです)。今回の内容の情報ソースでもある所(私は自分のフォルダにダウンロードしました)だけに一時でも早く見られるように願うばかりです。 (05/08/15 19:29)


 ■ 2005/08/09 (火) 夏真っ盛りの今、私が思い感じ、あるいは悩んだりしている事(長文)


 7月という月はここ数年を振り返ってみても自分にとってほとんど良くない意味で印象深い月でもありますが、2005年に関していえば去年と変わった所があるのか?と言いたくもなります。ただ去年に比べれば幾分忙しかったのではないかと思います(昨年の事については日記のバックナンバーを参照してください)。就職試験等で東京やさいたま市、川崎・横浜方面にも行く事もあって我ながら忙しく感じられましたが、自分にとっては色々な意味で暇の多い学生時代に比べて家以外に所属する場所の無い現在が首都圏とはいえ移動する機会が多くなったというのはいささか皮肉にも感じられます。学部・院時代はほとんどが家と大学の往復(その途中で図書館やら都内の大型書店への寄り道が入る)の連続で、関東地方の外に出た事など数えるくらいしかありませんでした。外の世界を見ようというモチベーションが著しく低く、自分の好きな事というインナーな世界で戯れていた結果が今の自分の惨状であると考える次第です。

 結局の所7月は1日以外は日記をつける事が出来ませんでしたが、結構砂を噛む思いをしたり屈辱感や悲しさ、悔しさにさいなまれる事が幾たびもありましたがそれらを文章の形で纏め上げる事までは出来ませんでした。私の日記は楽しいあるいは明るい話題よりも、自分のネガティヴな感情を文章という形でぶつけてきましたが、ここ最近はどうもそのようにはいかなくなっているみたいです。求人に応募→試験(筆記、面接含む)→不採用の永久運動にほとんど両足を突っ込んでしまっているからなのでしょうか。


 8月に入ってもまた去年と変わらない日常の繰り返しと思うと、一日一日の生活というものが無味乾燥に思えてうんざりしてしまいます。最近のニュースでは郵政民営化がらみの国会やら戦後60年の話題は別としても、興味を引くものといえば宇宙飛行士の野口聡一氏が搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー号」に関するニュースと太陽系の10番惑星が発見された(といっても確定されてはいませんが)というニュースぐらいです。どちらも宇宙がらみのニュースですが、実際自分の足ではいけないような遥か遠方の世界の事の方が心躍るものがあったりします。

 今の時代はネットというものがもうほとんど我々の社会生活を一部を形成しているといってもいい位で、ネットにさえ接続すればアメリカやユーラシアの事については勿論の事、百何十億光年彼方の宇宙の事についても知りたい時に知る事も出来るのでパソコンはテレビやDVDプレイヤー以上の価値を持つものである事は肯定すべきであると考えたくなります。しかし現実にはそういった便利なものが身近な所に存在しても、日常を生きる事は苦しい事やら辛い事やらでなかなか楽しみが得られる事など少ないように感じられます(少なくとも私の身の回りでは)。それこそオラフ・ステープルドンが1935年に執筆した(日本では昨年に翻訳版が復刊)1000億年以上の壮大な宇宙の歴史を描いた哲学色あるSF「スターメイカー」の主人公のように幽体離脱でもして広大な宇宙の隅々まででも渡っていけるようになれればどれほど多くのものをこの目で見て知る事が出来るのだろうかと思う次第であります。よくトンデモ本と呼ばれるジャンルの本の中で幽体離脱をしただの云々という与太話がありますが、SF小説において肉体から精神が分離して遥かなる大宇宙を旅する話などと比べれば足元にすら及んでいないとしか思えません。確か「ペリー・ローダン」シリーズの現在翻訳出版中のサイクルでは主人公ペリー・ローダンの精神ならぬ脳が超越知性体同士の戦いの中で肉体から分離させられてて銀河系から程遠い架空の銀河にまで転送されてしまうといったストーリーが展開されていますが。


 さて私個人の話になりますが、最近は日常生活において苦痛に感じられる事が度々あって何を支えに日々を過ごしていけばいいのかすら分からなくなる時すらあります。その中には人付き合いが相当少なくなった事も挙げられますが、大学院のゼミの同期の方々に関しては、「就学年度の切れ目が縁の切れ目」であるかは知りませんが幾度かメールを送ってもなかなか返事が返ってこない時もあります。向こうにも仕事や研究などがあって、終わった人間の付き合いまでに時間を割いている暇が無い事を差し引いても寂しく感じられます。むしろメールの上だけでもお付き合いして欲しいと思ったりもします(ちなみに私は知り合い相手のメールでは自分の現状を恐ろしいほど深刻に書いたりはしていません)。

 苦痛に感じられる事の中で極北的なものとしては、一般的な勤め人に見合った生活が出来ない事、自分が家の中で同じ間違いをしつこく繰り返しては親の注意(これには私が社会人になるための訓練的意味合いも含まれています)を受ける事、過失をやらかして開き直るくらいなら謝って自分の失敗を認める方が何億倍もマシとばかりに謝ってもなかなか許してもらえない事などがあります。また最近(といっても今年の4月以前からですが)ではテレビ番組(アニメやバラエティ、音楽、ドキュメンタリー、映画といったありとあらゆるもの)やラジオなどをゆっくり視聴する事が出来なくなった事も苦痛に感じられる事があります。

 現在私は、もし運良く内定を貰えていつでも勤務できるようにと朝7時遅くとも7時30分にまで起きるようにと母親から一つの目標といった感じで言われて、それを実行しようとしていますが朝早い時間の就職試験の日を除けばどんなに頑張っても8時起きが関の山だったりします。大抵の企業では9時出社である事を考えれば、8時起きというものは家から歩いてすぐの所に勤め先があるならともかく、電車に乗って4、50分程度の所ではアウトになります。しかし私は大学入学から約9年、深夜の3時や4時、場合によっては朝の5時や6時に寝て、朝は10時や11時、これまた場合によっては午後2時や3時に起きるような不規則極まりない生活を送ってきたため、まるで今日から体操選手やマラソン選手を目指して特訓しろと言われたに等しい状況だったりします。普通の社会人の暮らしをするのに、時間調整や1日のスケジュール立ても全くといっていいほど上手く出来ず、これがまた私にとって辛く苦しい現状をもたらしている要因の一つであったりします。

 最近、私は何故進学を希望して大学院にまで行ったのかを時々考える事があります。こんな事を書くと何時までも過去にしがみついていないで今現在をどうするのか考えろと言われるかもしれませんが、学歴欲しさに進学を志望したと言わざるを得なかったりします。私が進路選択をした時期を思い起こすと、その前後は入試のあり方やら何かが変わったりとか難易度が幾分下がったりといった事もあいまってか私のように不勉強な人間でもある程度の準備で入れるようになったのではと思われます。しかし入ってからがほとんど自分の好きな事しかやらず、努力を要する事からは目を背けるようになりそれが一番顕著だったのが大学、大学院の計8年間でした。私は大学院で奨学金の無駄遣いが発覚してからもどういうわけだか学校にしがみついて2年もオーバーで在籍して、お情けの修士号を貰って放逐に近い形で大学院を終了しました。ちなみに大学院では近現代のドイツの政治史を専攻していたのですが、その中で自分はワイマール共和国時代におけるナチスこと国民(国家)社会主義ドイツ労働者党の運動について研究もどきな事をして400字詰めの原稿用紙に換算して70数枚程度、参考文献や注釈を含めて90枚程度という最近新聞等で耳にするようになった「今の大学院の修士論文は10年前の大学生の卒論以下」を地で行くような内容の論文を4年がかり(といっても3年間はフラフラしていましたから実質修論に費やした時間は1年)で書いて提出しました。

 結局私にとっての大学院時代は、ナチスドイツと宇宙帝国(類義語としては銀河帝国、つまるところは宇宙を舞台にしたSFの事を言いたい訳です)と二次元美女・美少女(要するにそっち系のアニメやコミックの事)に萌えていただけなのではと考える事もあります。学部時代を含めて8年、私は職業に対する意識は皆無に等しく、今いくら一生懸命それこそ学生時代の何倍もの力を振り絞って努力しても認められないという、ざるで水を懸命にすくってお湯を沸かそうとするような事をしているようにしか思えません。今の努力が将来になって報われるという事は肝に銘じているのですが、今現在の苦境の原因が大学以降の8年間の莫大な負債であると思うと、物理的な意味での負債はともかく精神的または心理的に背負った負債というものも完全に清算するまでは一体どれだけかかる事やらと言いたくなります。ましては自分が30になった時ですら、少しは減ってもまだまだ多くの負債が残っているように思われます。あたかも旧国鉄が抱え込んだ膨大な負債のようにも見えてなりません(余談ですが旧国鉄の30兆円にも達する債務の返済は現在も進行中のようです)。

 大学院進学希望とは別に考える事としては、もし私が6年前に大学院進学の道を選ぶ事無くそれこそ血の滲む思いで就職活動をしていたら今現在はどうなっていたかについても寝る前や電車の中などで考えたりしますが、なかなか想像つかなかったりします。自分自身では就いた仕事に長続きせず職を転々と変えて、今頃は無職になっているのではないかと思う事もあります。しかしながら親に聞いてみたら、少なくとも大学院時代にやらかしたような逸脱行為はせず、もっとあらゆる事にシビアになっていたのではとの答えでした。今でも私は大学院入学の年、つまり西暦2000年に戻って人生を再びやり直せたらと思う事があります。この日記においても度々述べてきたように2002年7月の例の日までの間を考えてみても、人生の修正を行えた機会は幾度か存在していたように思っています。そういった機会を上手く活用させる事が出来たのならば、現在のような苦境は大分緩和できたのではないかと考えられます。これはあくまでも架空戦記よろしくイフの世界の話ですが。

 現在も苦しみや辛さの緩和のために色々と私は力を尽くしています。時には勘違いをして他人の気持ちを逆撫でするような事もあったりもしますが、心を込めて課題に取り組んでいくという事を実践しています。学生時代何故自分は勉学をはじめほとんどの事が上手くいかなかったのかを考えてみると、一つ一つの物事に心を込めて取り組んでいかなかった、さらにそれが自分の視野も著しく狭める結果になった、からという理由が浮かびました。こういった事が割と最近でも、家事を手伝っている際に最後の最後で配慮が届かず自分の親切な行動がおじゃんになってしまう一因であると思っています。二次元世界の住人には許される事でも、現実世界では通用しない事が多く存在するという事は承知していますが、無知や不注意からくる失態というものはいわば罪に近いものなのではないかと考えたりもします。それを思うと自分や親や親族、学生時代の関係者などに大変な負担を負わせていた事は大きな罪作りであったという事になるのかもしれません。罪滅ぼしというと極端すぎるかもしれませんが、日常生活で細心の注意を払って過ごすという意識を持つで私は失態を犯さないよう心がけている次第であります。






お名前   コメント

とも 過去は支払済みの経費。前向きにいこう (05/08/14 09:07)
幸運を祈る 自分も学生時代もっと真面目にというか、色々な事をやっていたらとよく思います。今でも出来ると言えば出来るのかもしれないですけどね^^;なにより勉強をもうちょっとやっとけばと思いました・・・もうその時間は帰ってきませんけど、お互いこれから頑張りましょう^^ (05/08/13 00:06)
韮山 客観的に見ましょうよ。 負けたのは就職活動にであって人生にではない。 こなした面接の中で、ちょっと良かったところとか、共通していやな顔をされるところとか、ここに綴りながら整理していくと、意外と簡単に答えが出るかもしれません。 (05/08/09 22:23)
アニキ プライドは捨てて何の仕事でも良いから働きましょうよ・・・  「大学院」という語句を今後一切ここで使用するのをやめてみてはどうですか??  (05/08/09 18:53)


前の記事 次の記事


日々の記録TOP

タイトル一覧 月別