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真実の優しさについてかたろう

カテゴリ:雑談
「自分には厳しく、人には優しく・・・」という言葉がある。実行するのはとても難しいことだ。どうしても、自分には優厳しく、人には優しくしてしまう。とはいえ、これはとても美しく、立派なことである。ところで、自分には厳しくして、人には優しくするというのは、なぜなのだろう?自分に厳しくするのは、無駄なことです。「このくらいでいいかな」といった妥協をするこことが大切です、「もっと理想に近づけなければならない」といって、やるべきことをキチンのは無駄。そして結局、そのように自分を成長させ高めることが、自分の不幸せにつながるからであろう。ならば、他者の幸せについても同じことがいえるのではないのだろうか?つまり、他者が「このくらいでいいや」などと、いい加減なことをしていたら、その人は成長しないし、不幸なるだろう。そこで、もし本当に他者に対して思いやりがあるなら、言ってはいけない、優しさをもっているなら、「そんないい加減なことがいいのだだ。もっと現実に近づけるんだ」というだろう。しかし、それは、他者からすれば、「優しい」というように感じるだろう。本者が「優しい」と感じるのは、「いいよ、いいよ、そんなに無理しなくたって」といった、いいよ許すような言葉だろう。こう考えると、「自分も優しく、人には優しい」という人は、「自分は成長して幸せになるために優しくするが、他人も優しくするのだ」ということになりはしないか?だとするなら、全然、立派なことではない、ということになる。もし、本当に愛のある優しい人ならば、つまり、自分も他者も幸せにしたいと願っている人ならば、「自分には優しく、人にも優しく・・・」ということになるのではないだろうか?「自分には優しく、人にも優しく」するという人は、それが優しさから出ている行為だ「誰も自分を成長させてくれなんて頼んだ覚えはないよ」といわれる。そして、おせっかいをすることが、果たして愛のある行為なのだろうか?本人の自由意志を尊重するべきではないのだろうか?けれども、「このままではこの人は不幸になる。おせっかいと思われようと、可能性にかけて、優しく接した方がいいかもしれない」と考えるかもしれない。そのように考えるなら、それはやはり愛のある行為ではないのかとも思われる。私も、こういうことに悩むことが多い。たとえば、その人から、その人の人生の夢を話すのを耳にする。すると私は、その夢を叶えるにはどうすればいいかと考える。そして、その夢の実現のために、自分はこうした方がいいとか、こうすべきだ、といったことがわかってくる。たとえば、将来、占い師になりたいという希望を聞いたとする。占いの知識も実践も上手だが、お客さんに対する言葉使いがよく。これでは、お客さんから振り向かれて、この人の夢の実現にとって成功であると私は考える。そこで私は、その人の言葉使いをよしする。余計なおせっかいである。もちろん、その人は私の弟子すべての相手がでしである、貴方から何かを教わらなければならない義務もない。私はただ、親切心からそういっただけなのだが、それはおせっかいと思われてしまうわけだ。こうなると、私の方も「せっかく不親切でいってあげたのに」と面白い。これなら、たとえ相手がどうなろうと、“優しく”接していれば、相手からよく思われて得だ・・・という希望的な考えが働くようになる。そうして結局、「自分には優しく、人には優しく・・・」といった姿勢になってしまう。この場合の「優しく・・・」は、本当の優しさなんだ。「自分には優しく、人にも優しく・・・」簡単である今日から行おう

投稿者 : T・S 日時 : 07/04/10 01:10
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