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巨人・原監督が藤田元司氏と悲しみの対面 V奪回を誓う
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今にも泣き出しそうだった。うつむき、沈痛な面もちで、原監督は声を絞り出した。
「残念ですね。(藤田)監督にお会いしまして、お疲れ様でした、ありがとう
ございました、ゆっくりお休みくださいと、それだけです」藤田さんの自宅前。
弔問を終え約30人の報道陣に囲まれた。目は真っ赤、その下にはくっきりと
クマが出来ていた。憔悴(しょうすい)しながらも、指揮官は気丈に会見に応じた。
前夜、知人との会食中に訃報(ふほう)が飛び込んできた。「恩師以上の恩人」
である藤田さんが亡くなった。受け入れがたい現実を引きずったまま、この日
朝一番の航空機で東京へ飛んだ。午前10時32分に都内の藤田邸に到着。
遺体と対面し、30分間にわたって最後のお別れをした。
「穏やかな表情でした。恩人でもあり、師匠でもあった…」恩師との思い出が
脳裏を駆けめぐり、言葉を詰まらせた。
1980年のドラフト会議で、藤田さんが原監督を4球団が競合する中から
引き当て、二人三脚で歩んできた。「ドラフトで私を引いていただき、厳しい中
にも温かい気持ちで私を見てくれた。選手のときも強い口調で怒られたことも
ありますし、頭をなでられたこともありました」藤田さんが監督時代の
ミーティングやふだんの会話で、時折のぞかせる温かい言葉が大好きだったという。
チーム一丸を掲げる原野球の根底には、藤田野球がある。「やっぱり一人一人が、
ジャイアンツを強くするという、この認識は一番ですが、ファンの方たちに
愛されるような人間性を持った選手をつくり、強いチームをつくりたいなと
思います。それが(藤田)監督の願いだと思います」会見を終えると、
再び藤田さんの自宅に戻って手を合わせた。「天国から見守っていてください」
弔問を終え、夕方には宮崎へ戻った。悲しみを乗り越えて、常勝軍団を
復活させる。それこそが、亡き師匠への何よりの恩返しとなる。
投稿者 : 記入なし 日時 : 06/02/11 20:57