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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/10/29 (火) 日々雑感


日々、のんびりと過ごしている。

大家さんは、相変わらず気を使ってくれる。今日も、寒くなって来たからと、毛布と防寒着上下を持ってきてくれた。冬用のかけ布団も持って来てくれると言う。本当にありがたいことです。私にとって、スピ子さんが視た様に、旅に出るまでは、幼い時から針の筵の上にいるような生活だった。私自身の因果応報の法則で、私自身が生まれる前に、私自身がプログラムを組んでの人生。必要な経験、体験だったのでしょうね。だからこそ、人の情というものが、これほど暖かいものであるということが実感できる。大家さんだけではなく、麓山公園で声をかけてくれた老婦人。老婦人の友人で、老婦人の電話一本で送り迎えをしてくれ、頭を下げてくれたひげの老人。こちらに来て、人の情の深さ、懐の広さを感じさせられるばかりです。ありがたいことです。

現在の私は、好意に対しては誠意で答えるという事が出来る意識状態であり、環境です。働いているときには、疑心暗鬼であり、他人様の行為を素直に感じる事が出来ない心理状態でしたからね。実際、不愉快な出来事の連続でした。私はピエロであり、単なる便利屋であった。笑われ、利用され、嫌われてきた。アホノ代表みたいなものだと思う。しかし、世の中には、私以上に厳しい環境で頑張っている人も多い。そのような人たちには、掛ける言葉もない。それぞれの人生だからね。

・自炊
7月から自炊を始めている。
極力電気の依存度を下げる為に、電気炊飯器は求めず、飯盒炊爨をしている。経済的にもいいしね。私は積極的に地元のものを買い求めるようにしている。新米が出てきた。やはり美味しいものです。

・除染しました

たいていの日は歩いている(雨の日や天気の悪い日、気分が乗らない日は部屋でぐだぐだしている)。モリタリングポストをチェックしながら歩いている。いつもタバコを買っているコンビニのスタッフと話した。スタッフは、このモリタリングポストの測定値を信用していない。二人そろって「嘘だ!」と唱和した。
モリタリングポストの測定値は、1mの高さの空間線量を計っているのでしょうね。だから、一概に嘘とは決め付けることは出来ない(測定器事態に細工がされていないがぎり)。「除染しました」という看板には、地上50cmで測定をしたということが明記されている。また、除染、測定、掲示の責任所在を明確にしている(公益法人 郡山市観光交流振興公社)。中央の役人や東電の社員ではなく、地元の人たちが測定しているのだと思う。だからこそ、信頼度は高いと思う。モリタリングポストの値は、0.3μSv/h前後であるが、地上50cmの測定値は1〜3μSv/hである。ならば、地上0cmでは・・・!?

私は、このような行動をして、地元の人の不安感を煽り、喜んでいるのではない。
現実をしっかりと見据えた上で、腹をくくり、楽観的に生きることを選択している。

怒り、悲しみ、憎しみの感情に振り回されるより、どうせ避難が出来ない人たちは楽天的に生きるほうが、過ぎ行く時は幸いだと感じるからです。この考えは、この肉体は魂の道具であり、魂が本体。この激動の時代を体験しに来ていると考える事が出来るからですがね。この考えが理解できない人は、不安になり、右往左往する事になる。まあ〜それも人生だけれどもね。ただ、その不安感に付け入るような宗教という犯罪組織が横行するから、私自身不愉快になる。

このような情報があった。

暗黒夜考 http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/1f7bbb339924ba4817971727c090cdd8
 石原伸晃・環境省が「除染計画」を白紙撤回 〜汚染土はそのまま中間貯蔵施設に廃棄、可燃瓦礫は焼却処分〜

以前にもメモしたが、帰還、除染、瓦礫処理は三位一体の利権構造。
無限に続く利権構造。その影で「作業員の使い捨て」。それも、専門知識を持つ人の絶対的不足がある。作業員不足により、海外からの人の受け入れ。そして、治安の悪化。
地元の人と話したが、この夏の暑さで、若い人が持たないとの事。
それは、そうでしょうね。
暑い中、作業服、ヘルメット、マスクという作業環境。厳しい環境です。これからは少しはよくなるがね。

このような情報も
暗黒夜考 http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/40634284c8790586bb63b43d1aa1b185
 地元紙「福島民友」による行き過ぎた「穏やかな日常」の演出 〜”既成事実化”される「原発安全神話」〜

NEVADA http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4538300.html
 週刊朝日報道(汚染水でフクイチは崩壊寸前)

院長の独り言 http://onodekita.sblo.jp/article/76401191.html


ラジヲをきいていても、「風評被害払拭」という言葉が幾度も出てくる。

何が正しくて、何がそうでないのかは、自身の脳みそを自身で使い、考え、感じ、判断してください(出来るようになってください)。

10月9日 地上50cm
二十一世紀公園広場 除染前 2.07μSv/h → 現在 0.29μSv/h 公益財団法人郡山市観光交流振興公社

10月23日
二十位世紀公園広場 除染前 2.07μSv/h → 現在 0.26μSv/h 公益財団法人郡山市観光交流振興公社

10月24日 地上50cm
開成山公園
除染前 2.06μSv/h → 現在 0.19μSv/h 広場中央
    2.45    →    0.36    広場中央
    2.49    →    0.33    幼児広場中央
    2.70    →    0.28    開拓者の群像前
    2.42    →    0.19    八角堂中央
    2.73    →    0.17    後方広場中央

10月25日
麓山公園 地上50cm
除染前 1.64μSv/h → 現在 0.46μSv/h 水飲み場脇
    1.64    →    0.26μSv/h 慰霊塔前
    1.64    →    0.51μSv/h 正門階段上

ところで、お隣の韓国は、東北8県の農産物を輸入禁止にしているが、その8県に在住している同胞の帰国命令は出したのでしょうかね!?韓国が危険を見ている作物が育つ環境下に生きているのですけどね。表面的に騒ぐより、日本から同胞を引き上げさせて、日本とは断交をしたほうが、双方にとって良いと思うがね。そうすれば、経済的に成り立たなくなるからできないのかな・・・!?日韓双方の政治家がお人形さんだから、そのようなことも決定出来ないのでしょうね。

NEVADA http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/archives/4452910.html
  イタリアメーカーの正論(追い込まれる韓国)

10月18日
4時起床。
いつものようにラジヲを聞く。NHKの深夜、早朝の番組は、よい内容を放送しているものが多いと思う。
さて、5時過ぎ、昨夜の残り物で、カラスのご飯を作る。鍋の残り。
いつもの様に6時前に下宿を出て、阿武隈川の土手に行く。土手に行くまでの道路沿いにゴミが散乱している。こちらは風が強いから、カラスがゴミを漁ると、風に飛ばされて散乱する。私は、カラスのご飯をバス停のベンチの上に置き、散乱しているゴミを拾い集める(今もゴミ拾いおじさんはやっている)。ゴミを集め終わり、バス停に戻ると、若い作業員風の男性が立って、何かを食べている。さて・・・私が置いておいたカラスのご飯がない。

私 「それ食べているのか!?」
男性 無言で、食べるのをやめる。が、置こうとはしない。
私 「別にいいけど。汚いものではないからね」
男性 食べ始める。

私は思った。
私より体が大きなこの男性。ベンチに置いてあるものを無造作に口に運んでいる。普通、何が入っているかわからないから、口にはしないと思うのだが・・・!?都会では、農薬や殺虫剤入りのものが置いてあり、時に紙面を賑わす事件になるのだが。その時に浮かんだ思いは・・・「平和」という言葉。この男性の食生活、経済的環境はわからないが、無心に食べる姿には、驚きと、戸惑いの感情がわいた。なんだか、世相の一面を垣間見たように感じた。
これも人助けの一環なのでしょうね。ここで、怒りをぶつけても、何にもならない。私自身、旅の時には色々な思いが過ぎっているからね。

下宿に帰り、カラスのご飯を作り直し、再度出かけた。
いつものように、カラスにご飯を上げて(2箇所)、いつものようにゴミがあれば拾っていた。近頃、袋を持ってウォーキングをしている方が増えた。ゴミ拾いをしながら歩かれている。よい傾向だと思う。特に、子供たちの通学路はきれいにしたほうがよい。

(ちょっと横道にそれるが、今の社会は理解できないような事件が起きている。三重の少女が祭りの帰り道に殺されると言う痛ましい事件。このような事件は各地で起きていると想う。そこで、人が自制心を失う時は、どのようなときなのかを妄想してみた。どのような人間でも、一線を越える時には自制心が働く。自身の良心的な働きですが、それが弱くなってきていると想う。それはどのような時なのか・・・!?
・自暴自棄になった時。
・計画的に行動している時。この時には、計画を立てた時には自制心は失われている。
・目には見えない世界の未熟な存在に憑依された時。
私的に、このように妄想するのだが、一番大きな影響を受けるのは三番目の、目には見えない世界の未熟な存在に憑依された時だと想う。社会的な不遇間、疎外感を持ち、常時不満、怒り、憎しみを心に持っていると、その波長に共鳴する存在を引き付ける。その存在は、その個人の欲を煽り、破滅に追い込む。同じように、汚物が散乱していると、物質世界でも、目には見えない世界でも、そのような環境を好む存在が引き付けられるようになる。あたかも、汚物に群がるハエのようにね。だからこそ、少なくとも、子供たちの通学路は綺麗にしておいたほうが良いと想う。子供たちにハエがたからない様にね。)

ふと見ると、低い立ち木の上にゴミの袋がある。
風で飛んできたか、カラスが持ってきたか・・・!?
拾うと、重い。
何が入っているのかを見ると、食べかけのパンと、手がついていないパン。車からポイ捨てしたのでしょうね。ちょうど、信号機の手前である。

ここで、考えた。
置いてあるものを無断で食べている男性。
パンをポイ捨てする人。

人それぞれと考えれば、それまでだが・・・何か引っかかるものがある。
何かは、今もって(29日現在)わからないが、何か意味があると思う。
パンはカラスにあげた。

単調な生活だから、このようなアクシデントは新鮮な思い(妄想)を起こさせる。

10月21日
嵐が去って、晴天。
暑い!天候のバランスが崩れているから仕方がないが、これだけアンバランスだと、体にきつい。このアンバランスは、これからもっと酷くなる・・・と、思う。
伊豆大島では、土砂災害が起き、多くの方が亡くなっている。29日現在も捜索活動が続けられている。

・良貨は悪貨を駆逐する
このような想いがおきた。
現在の社会は、悪貨がのさばっている。あたかも、悪貨の天下のようだが、数では良貨が圧倒的の多い。意識を逸らされているだけ。気づけば、悪貨はたちどころに駆逐される。・・・いつに成ることやらですがね。

10月24日
小雨の中、風呂に入りに行く。
風呂に入り、帰りに開成山公園を散策する。紅葉が美しい。広い公園をのんびりと歩く。小太りの男性が、傘を手にして、すたすたと歩いている。ウォーキングをしているのでしょうね。私は紅葉を愛でながら、のんびりと歩く。

10月26日
午前2時10分ごろ、地震。福島県郡山市は、震度4。
昨夜は早く寝た。昼にラーメンを食べ、少し飲むと眠くなり、16時か17時ごろ寝る。22時ごろ目が覚めるが、また寝た。
1時過ぎに起き、布団の中でぼっ〜としていると、下から突き上げるような感じがして、横揺れがきた。時間間隔はわからないが、横揺れは長く感じた。しかし、恐怖感はなかった。ラジヲをつけて、しばらく聞いていると、地震速報が始まった。福島県沖でM7の地震。はじめは、原発は大丈夫か!?と考えながらニュースを聞いていた。

雑談でもよしがのスレッドにメモしたものだが、スレッドでは埋もれてしまうから、こちらにコピーしておく。

また、しばらくいなくなるから、「我」についての私の考えを書いておきます。

「我」「個性」と、色々と言われる。
ならば、「我」「個性」とはいったいどのようなものなのか!?
「我を忘れる」時がある、と言ったが、「我」が無くなる時とは、一心に何かをしている時。
激情に駆られた時、パニックになった時、一心にスポーツをしている時、何かを創っている時(創作活動・・・職人、芸術家等)・・・と、いろいろと考えられる。
ある種の精神統一をしているときではないかと思う。
そんな時には、「我」と言うものはなくなる。と言うか、その時にはいらなくなる。

では、「我」「個性」とは、本体にまとっているもの!?服のようなもの!?アクセサリー・・・と、考えられるのではなかろうか!?
現代の社会は、「個性的」「我が強い(弱い)」と称されるがことが多いが、エゴエゴ君が充満している社会の中で、これらの状況をどのように解釈するか!?判断基準が異なる多くの人が集まった世界でのことです。

本当の自分を見えなくさせているのが、「我」「個性」ではなかろうかと妄想するしだいです。
だからこそ、色々な物で修飾出来る。色付け出来る。その状態を長く続けることで、自分自身がその色に染まる。あたかも、プロレスラーのマスクと同じもの・・・と、考えることもできるのではなかろうか。
また、「我」「個性」に染まる為には、その個人自体が習慣的行動をとり続けることにより、より強い「我」「個性」が出来上がる。意識した習慣的行動が、無意識的行動になる。無意識的行動になれば、その人の癖として表されることになる。ある特定の状況下になれば、条件反射的な言動をするようになる。

エゴエゴ君が充満し、社会を支配している勢力が、マスコミを使い誘導している。
以前、「チョイわる親父」と言うキャッチコピーが広がった。また、高校教師生徒の恋愛をドラマ化して美化したことがあり、いろいろな現象が起きている。悪餓鬼達、悪親父たちを「個性的」として、賛美するように誘導されてきた。

「我」とは・・・!?
「個性」とは・・・!?

「我(われ)想うゆえ、我あり」と言う言葉がある。
この言葉の中の「我」と、現代の社会の「我」は180度異なるものではないか!?・・・とも考える。

一人ひとりが解釈することであるので、各自が各自の脳みそを使い、考え、感じ、判断するトレーニングの命題になると想う。
何が正しくて、何がそうでないのかをね。

我々は、本体の上に、いろいろな装飾品をつけていると想う。
思想、流行、社会的地位・立場における自己弁護的なもの・・・等々。
そして、大いなる勘違いをしている(させられている)のではないかとも想う。

各自で、少し考えてみてください。

no.7330 ( やまと13/10/30 04:16 )



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