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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2010/04/30 (金) 結婚生活


私は結婚をしたことがない。
しかし兄の結婚生活を20年間垣間見てきた。

兄は容姿に恵まれ、しかもスポーツマンだったから女性に人気があった。
誕生日やバレンタインデーには贈り物が絶えなかった。
ところがその兄が最終的に選んだのは理知的ではあったが、
あまり美人とはいえない女性であった。
男にとって相手の女性が美人であるかそうでないかというのは
かなり重要なポイントである。
兄が義姉とどういう経緯で一緒になったかというのはくわしくは知らないが、
はじめて義姉に会ったとき「この人でだいじょうぶかな」と思ったのは事実である。
現にはじめは兄も陰で不満をこぼしていたものだった。
それどころか人前であからさまに義姉の顔の造作をけなすのを聞いて
凍りついたこともある。

それがいつの間にか二人で連れ添って歩いているのが様になるようになって
やがて女の子が生まれ、さらに3年後、二人目の女の子が生まれ・・・
自分は東京で働いていて、兄は田舎で働いているので年に2、3回しか
会うことはなくなっていたが、たまに実家で兄の家族と一緒になると
あの自分のことしか考えなかったような兄が、ずいぶん家族に気をつかって
いるのがわかった。 奥さんに気をつかい、子供が脇道にそれないように気を配り
さりげなく4人家族をまとめているのである。

二人の娘たちに「パパ、ママ」と呼ばれ、幸せそうに暮らしてしている兄夫婦を見て
なるほど家族とはこうやって出来上がるものかと思った・・・・・














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サイコロ 20年以上の付き合いとなると、相手のことが手に取るように分かるんでしょうねー私は11年目ですが、よく妻に見透かされています^ しかし、いつ読んでも、気持ちのいい語り口です^ (10/05/01 01:37)


 ■ 2010/04/18 (日) 40代


40代というのは
良くも悪くも自分の人生がある程度固まってくる年代だ。
成功も失敗も全部ひっくるめて、
それが自分の人生だと納得せざるをえない時期だと思う。

自分にとって後悔があるとすれば、
やはり結婚をしなかったこと、自分の子供を作らなかったこと
だと思う。

(結婚するのがいいか、独身がいいかというのは
 容易に答えの出ないテーマだろうが)

40過ぎて独身の自分にはこういう資格はないかもしれないが
やはり人は結婚し子供を作って家庭をもつのが
正しい生き方ではないのだろうか




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サイコロ 男であるなら、甲斐性さえあれば、これからでも結婚はできるし、子どもを持つこともできますよー (10/04/20 00:14)
26 子を持っても、その子に殺される親もいる。正しいなんて人の数だけある。それでも貴方がそう思うなら、そうなのでしょうね (10/04/18 21:41)
いくら丼 日々の厳しい暮らしのなか、恋愛とか結婚を考える (10/04/18 08:16)
散髪恐怖症 まだまだ大丈夫と思い続けて気が付けば40代・・いろいろ人生振り返ると後悔だらけです・・。 (10/04/18 07:13)
カモミール これから結婚すればいいと思います。若くて美人で気だての良い女性が(きっと)あなたを待っていますよ〜 (10/04/18 02:31)


 ■ 2010/04/15 (木) レイモンド・A・スプルーアンス


スプルーアンスという提督は類型の少ない提督だ。誰もが、戦略家としての冴えと荒々しいまでの実行力を認めざるを得なかったキングのようなタイプではない。明哲保身型(めいてつほしん)で人を見る目がたしかで、名航海局長(航海局は太平洋戦争の初期に人事局と名称を改正)といわれたニミッツ・タイプでもない。."ブル"と仇名され、闘志むき出しのリーダーシップを発揮するハルゼー・タイプでもない。リファインされた紳士型という点で、ニミッツと共通点があるかもしれない。しかし、ニミッツのように、合衆国艦隊の先任参謀、戦艦戦隊司令官、航海局長といったいわゆるエリート・コースを歩んできたわけではなく、スプルーアンスに参謀長として長く仕えたカール・ムーア大佐によれば怠惰(たいだ)といってもいいような面がある。精励格勤型(せいれんかっきん)ではない。

 キングとかハルゼーのように単純な軍人タイプだとわかりやすいのだが、この二人のように単純タイプではない。キングやハルゼーやニミッツのタイプは、大きな組織のなかで仕事をしたことのある人なら、それに近いタイプの人物をすぐに何人か指折り数えることができるだろうが、スプルーアンス型となるとちょっと頭をひねるのではなかろうか。スプルーアンスは身体つきも華奢(きゃしゃ)なら性格も内気なタイプ。精力的に仕事をさばくタイプでもない。兄方によっては、前述のムーア大佐の言のように、怠惰と思われても仕方がないところもある。人間の性格形成には幼時体験が大きな影響を与えるという。

 キングの父親は、勤勉で実務の修得に熱心、かつ強い性格の持ち主で、現場作業者のリーダー(職長)だった。ハルゼーの先祖は代々船乗りで船長を多く出し、父親は著名な海軍軍人だった。ニミッツは母の胎内にあるときに父が死んでいるが、祖父が彼をかわいがり、一族の温かい目のなかで育っている。スプルーアンスが育った家は変わっていた。父親は、気は優しいのだが無口のはにかみ屋で生活能力のない、世捨て人も同様で職業を持たなかった。母親はイタリアに留学したことがあり、育児よりも自分の知識欲を満たすことに熱中するタイプ。出版社に勤め、雑誌の編集に精力を注ぐ、という人だった。両親とも子供には無関心だった。その上、六歳のとき、病弱で知恵遅れの弟が生まれると、母方の祖父母のところへ預けられた。

 この家は裕福だったが、祖父が破産して広大な邸宅は他人の手に渡り、多くの使用人もひまを出され、ふたたび父母の家に戻っている。母の収入だけで生活している家の青年が、上級学校に進むには、学資のいらぬ軍の学校しかなかった。どう見ても、軍人タイプではない生い立ちなのだ。アナポリス時代も目立たなかった。一九〇七年(明治四〇)組で、卒業席次は二〇九人中二一番。アナポリス時代の友人によると、スプルーアンスは、「どちらかといえば、生真面目な顔のはずかしがり屋。生娘(きむすめ)のような純情なところがある……」青年だった。

 卒業後は電気関係の技術士官としての道を歩んだ。大手電気会社とのコンタクトが多かった。このまま海軍にいても、うだつが上がりそうもない。転職を考えるようになり、ついに義父に相談した。義父は娘のスプルーアンス夫人に「室則の主人は正直すぎて、駆け引きの多いビジネスの世界には全然向いていないぞ」と忠告した。結婚後も破産した祖父の娘(叔母)と母に仕送りを続けねばならず、経済的に苦しかった。このようなこともあり、金銭の出入りには非常に細心だった。軍帽なども使えるだけ使い、ムダな出費はできるだけ避けた。

義父の遺産五万ドルが妻のものになると、これを株式と公債で運用することを奨め、四〇万ドルに増やした。自分の給与の運用にも細心の注意を払って、のちには六〇万ドルの資産を作り上げている。金銭に無頓着(むとんちゃく)だったハルゼーが、病弱の妻のため戦後、元帥の年金があるにもかかわらず手元不如意(ふにょい)で、いろいろな職業のポストを探さざるを得なかったのと対照的だった。若手士官のとき当時めずらしかった自動車を無理して員ったり、軍服は若いときから仕立て代が特別高いので有名だったニューヨークの一流洋服店でいつも仕立てさせていたキングとも違っている。

 このようなスプルーアンスだったが、駆逐艦の艦長をやればちゃんとやる。戦艦の艦長をさせても合格点をとる。ミッドウェー海戦では病気でダウンしたハルゼーの代役をやらされるが、周囲が驚くほどの指揮ぶりを発揮して大勝利を得る。頼りないと思っていた人々も兄直す。マリアナ沖海戦でも、大上陸船団と大艦隊を率いて見事な指揮ぶりを発揮する。太平洋戦争開戦時に、誰がこのようなスプルーアンスの活躍を予想しただろうか。キングの人物評は酷烈(こくれつ)きわまるもので、同僚のマーシャル陸軍参謀総長、アーノルド陸軍航空隊司令官、先輩のリーヒ統合参謀長会議議長はもちろん、英軍のトップ層にも厳しい評価を下していた。部下はもちろんだ。

 ニミッツヘの評も厳しかったし、ハルゼー評はさんざんだった。キングはハルゼーをクビにしようと何度も考えたが、ハルゼーの国民的人気を考えるとそれができなかった。キングが評価した数少ない海軍士官がスプルーアンスであり、英海軍のマウントバッテン中将だった。キングによれば、ハルゼーは「頭が悪く」、スプルーアンスは、「米海軍提督のなかではおそらくもっとも頭がいい」というのだ。キングはニミッツを信用しておらず、主要作戦のつど自身がサンフランシスコに飛び、ニミッツを呼んで細かい点までダメを押し、自分の意思を念入りに伝えている。スプルーアンスのキャリアで特色があるのは、海軍大学校関連のキャリアが長いことだ。海軍大学校を卒業したのち、二回この学校の教官を務めた。

 最初は通信教育部門の責任者、二回目は戦術教育班の班長。戦後は海軍大学校の校長だから、四回この学校に籍を置いたことになる。戦後の海軍大学校校長は、自身が、強くニミッツ作戦部長に望んで就いたポストだった。この海軍大学校のキャリアが多いことをみても学者肌のところがあった。学者肌で大海戦を勝利に導いた海将でもある。このような人物は歴史上めずらしいのではなかろうか。米海軍の先輩マハン大佐は学者肌だったが、実戦の経験はなく「海将」というイメージにはほど遠い。ファラガットは勇将タイプだ。英海軍のネルソンも日本海軍の東郷元帥も学者肌のところは微塵もない。

 マリアナ沖海戦でのスプルーアンスの作戦指導は、サイパン上陸軍の輸送船団とその支援部隊を第一とし、日本側機動部隊の撃破を第二とした。ミッチャーの高速空母群をまず防御に使い、それから攻撃に移らせたため、日本の機動部隊を取り逃がした。このスプルーアンスの指揮に対して批難の声が上がった。「パイロットのキャリアのない者に空母部隊を指揮させるからこうなったのだ」という声もあった。

キングはスプルーアンスの決断を支持して次のようにいっている。「この作戦の主目的はマリアナ諸島の占領にあったから、あらゆる犠牲を払ってでも、敵の攻撃からサイパン上陸部隊を守らなければならなかった」。キングはこの直後、サイパンを訪れてスプルーアンスに、「君はよくやった。人が君にどういおうと、君の決定は正しかった」といっている。一九六九年一二月死去。サンフランシスコ湾を見下ろす海軍墓地に、ニミッツ、ターナーとならんで埋葬されている。

大日本帝國海軍は、ウィリアム・ハルゼー中将のピンチヒッターとして一九四二年六月のミッドウェー海戦で、空母二隻を主力とする第一六任務部隊を指揮し、フランク・フレッチャー少将の第一七任務部隊とともに日本海軍を破り、虎の子の空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍を海底の藻屑として、日本を敗戦への岐路に立たせた功労者である。


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 ■ 2010/04/07 (水) ラジオ


僕は最近テレビを見なくなった
見るのはテレビ朝日の報道ステーションぐらいだろうか
TBSの「CBSドキュメント」が終わってしまったのでがっかりした。
あとは休日の前夜に深夜の面白い映画やアニメをみるくらい
テレビは完全に自宅で見る洋画のDVDのスクリーンになってしまっている

ラジオも昔はオールナイトニッポンとか聞いていたが
最近は年相応に「ラジオ深夜便」を聞きながら眠りについている。
2時のニュースを聞いたあたりでスイッチを切って寝ているのだが、
夜更けに聞くラジオのニュースの朗読の落ち着いた感じが好きで毎日聞いている。

僕は東北の田舎の出身なのだが、中学生の頃はよく深夜放送を聞いていた
ニッポン放送、文化放送、TBSだけではなく
割と感度のよかった毎日放送のMBSヤングタウンをよく聞いていた
ラジオからとぎれとぎれに聞こえてくるCMから
布団の中で「大阪」を感じていたものだ

それと時間が遅かったが午前3時から放送していた
「歌うヘッドライト」のほんの頭の部分だけ・・・
聞いて寝ていた

大学に入ると昼夜の逆転した生活の中で
オールナイトニッポンの「2部」を聞いていた
小山茉美、谷山浩子、エド山口、ニャンコ・・・

インターネットが普及し便利な世の中になっても
暗闇で聞く音だけの世界(ラジオ)はなくなって欲しくないと思う











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調和 受験勉強時に気分転換で「谷山浩子」を聴いていました。懐かしいです。オープニングの「午前0時の新宿駅の・・・・」 (10/04/07 23:20)


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