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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2009/11/07 (土) パンプキン - Soyokaze no Knight (そよ風の騎士) 


パンプキン - Soyokaze no Knight (そよ風の騎士)

http://www.youtube.com/watch?v=d8l0TuTXeQQ
もう今から20年以上前の曲。軽快なテンポの曲と振り付けが好きだ。

浅田次郎の「鉄道員」の中では「角筈にて」と「伽羅」が好き。
登場する女性が魅力的だからだろう。
「伽羅」のラストシーンは芥川龍之介の「秋」にそっくりだ。


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 ■ 2009/11/05 (木) 歌う天気予報


ヒット曲、話題曲のミュージックビデオ(PV)を流しながら、字幕等で天気予報を放送する、この5分くらいの小さな番組が好き。まだ学生だった頃、徹夜明けに放送終了間際の窓の外が青くなっていく明け方、あるいはあたりが完全に白くなった時間によく見ていた気がする。


そりの合わない上司、陰で悪口を言ってそうな同僚や部下、積もり積っていく仕事。
僕はストレスが溜まっていた。ああ事故にでも会わないかなあ、などと心の奥底のどこかで願っていた・・・のだと思う。心で願うことというのはいつか現実化するという話は本当だ。念願どおりに事故にあったのだ。

病院で僕が目覚めたのは、9月30日の朝の10時頃だった。枕元に郷里から出てきた母がいた。朝4時半の電話を受けてそのまま朝一の電車で来てくれたのだそうだ。着替え、お箸、スプーン、歯磨き、コップ、バスタオル等をそろえてくれていた。甘えついでに下の売店で週刊文春と新潮を買ってきてもらう。職場の課長が来て母と会って話をしたそうだが僕の病室にはこなかった。母はそのまま仙台の親類の葬式にいくということで、病院にいた時間はちょっとの間だった。
集中治療室の横の部屋には2日ほどいた。そこにはもう一人点滴のチューブを腕に刺した50代くらいの女性がいたが、彼女は僕は入った次の日にはその部屋から移動し、僕もその次の日には一般病棟に移された。




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 ■ 2009/11/03 (火) 夜の大阪行き新幹線


自分は昔、大阪に住む女と付き合っていたことがある。今から15年くらい前の話だ。
2週間に1度、新幹線に乗って大阪まで会いに行った。金曜日の夜、仕事が終わると
東京駅まで急ぐ。新大阪までの最終は9時18分発の「ひかり」だったと思う。
時間ぎりぎりになることがよくあって、駅員さんにお情けで改札をとおしてもらったこともあった。

新幹線に乗ってすぐ熱海の夜景を眺めるくらいまでは気分もわくわくしているが、そこを過ぎるとあとは退屈なばかり。金曜の夜の新幹線はいつもサラリーマンで混んでいた。そんなガヤガヤした他人の会話を聞きながら、暗い外を眺める。途中で大きな湖を通り過ぎる。浜名湖である。ここを過ぎると名古屋まであと半分くらいか。
名古屋のホテルや予備校のネオンを過ぎるとあとは京都まではそう遠くない。
京都を過ぎれば大阪はもうすぐだ。大阪経済大学の看板が見えてくると大阪に着いたんだなあと実感する。11時30分を廻った新大阪駅は閑散としていた。

新大阪駅に着くと小走りで地下鉄の乗り場に急ぐ。東京の丸の内線にちょっと似た感じの地下鉄=御堂筋線=である。電車が入る前に独特のシグナルが鳴る。あれは今でもあるんだろうか。御堂筋線は江坂あたりで外に出て北大阪急行になる。淀川を渡りながら
=電車の両側を車が走っているんですね、大阪もしくはなにわナンバーの車が=あとは
緑地公園、桃山台と続いて目的地の千里中央に到着する。
夜の千里中央駅前のタクシー乗り場の人の列を尻目に駅前にある「阪急千里ホテル」に
歩いていき、そこでシングルの部屋をとる。これで一段落である。

彼女の住んでいるマンションはそこからさらに少しいった「西緑ヶ丘」というところだった。眺めのいいところで大阪を一望できる。夕方に坂道を登っていけば反対側に明かりのつき始めた箕面の街がきれいだった。食事時になると小さな子供の声や食器のガチャガチャ鳴る音。でもマンションは一目みて安くないというのがわかったし、このあたり自体=「西緑ヶ丘・小路」=高級そうなイメージだった。金曜日早くついた夜はテレビで「たかじんのばあー」を見ていたっけ。

あれからもう15年。大阪にはもう10年近く行っていない。








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めとろん 彼女はお金持ちのお嬢さんだったんでしょうか。その人とは結婚しなかったのですね。はるばる東京から男の人にきてもらえる女性って魅力的だったんでしょうね、羨ましい話。御堂筋線の千里中央までの描写は良く分かります。 (09/11/04 01:36)


 ■ 2009/11/01 (日) 未明の病院


小泉八雲の「耳なし芳一のはなし」に主人公の琵琶法師が侍の亡霊に手をひかれ幻の屋敷に案内されるくだりがある。僕はストレッチャーに乗せられ、ふたつ目の病院に搬送された時、この文章を思い出した。この病院でも救患の入口に看護婦が待機していて、広くてかなり長い廊下を運ばれ、角を二つくらい曲がり、その後エレベーターに乗せられ5階に運ばれた。廊下は電気が明るくついていたが、誰もいないし物音もしなかった。

5階の集中治療室に運ばれると、そこには医者と看護婦が5人くらいいた。
そこでまたしてもレントゲン台に乗せられレントゲンを数回撮影した。
ストレッチャーに乗っている僕の体にビニールの敷物(「スライダー」といっていた)を敷いてそれごと数人でレントゲン台に移動させる。終わるとまた敷物を敷いて数人で
持ち上げストレッチャーに戻す。肩やわき腹の痛みはまだ我慢できるが左足はちょっと
ひねると激痛が走る。

近くの看護婦に時間を聞くと「4時半」と言われる。家族に連絡するからと言われ実家の電話番号を教える。4時半にいきなり病院から電話がくれば親も驚くだろうなとぼんやり思う。そのあとストレッチャーからベッドにまた「スライダー」で移され集中治療室の隣の部屋に置かれる。そこで意識を失う。

ベンチに座っていた僕が覚えているのはズボンからキーケースが足元に落ちて、それを拾おうとして身をかがめたところからだ。何回もかがめようとしたが体が痛くて曲がらず、数回目でやっと拾った。そのとき向こうから3人組のサラリーマンが歩いてきた。
彼らに助けてもらおうとしたが、知らない人に迷惑をかけるような気がしてやめた。時計をみたら10時40分である。僕はこれまで何回か骨折の経験があるので、今回もやったなというのはわかっていた。携帯をそのとき身に着けていなかったのでどうしようかと思ったが、夜半にかならずパトカーのパトロールがある。それを狙おうと考え、じっとしていた。


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めとろん 小泉八雲の「耳なし芳一」は子供のとき繰り返し繰り返しずっと読見続けたお話です。あらゆる角度から今でも人間の性に関するテーマを読み取ル事が出来ます。受け手の私の感性にはまるという意味ですが。サラリーマンに助けを求めてほしかったけど。 (09/11/01 18:08)


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