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アラフィフ喪男の病日誌etceteraAuthor:アルファー ( Profile ) 主に、アレルギー、病気、カメムシについて書いている |
■ 2011/02/25 (金) 花粉症で就活する気力が |
火曜日に洗車しました。
昨日の木曜日、外に出ると澄み切った空でした。車はまだ綺麗でした。 でも、今日は、外は、白く濁っています。黄砂が空一面に広がっています。車は、昨日まで綺麗だったのに、今日は無数の砂がついています。 黄砂と花粉症が合体すれば、鼻水や目のかゆみや鼻づまりの症状が、何倍にもなります。 (就職活動しよう)と思う時、このことを考えれば、気力が無くなります。 ●中学2年の時、今の時期になると、花粉症の症状が、ほんのちょっとだけ、出てきました。 花粉症とは知らず(花粉症そのものを知らなかった)、悩んでました。学校の授業中、鼻をかむのは恥ずかしいし・・・。 「牛乳のアレルギーではないか」と親から聞き、牛乳を飲むのを止めました。 鼻の症状はかわらない。 なにより、身長が止まりました。ずっと牛乳を飲んでれば、(せめて175pぐらいになってたかもしれない)と思うと、悔しい。 高校の時、病院についた時に、鼻の症状が無くなり、病院に行かずに帰ったこともありました。 ●26歳の時に、花粉症の症状が出てきました。 花粉症とは思わずに、薬局で相談すると、「栄養失調でしょう」と言われ、ニンニクのエキスのサプリメントを購入しました。 5月頃、症状は治まり、(ニンニクが効いた)と思いました。本当の所は、花粉症が終わっただけ。 その時も、花粉症を知りませんでした。 ●28歳の3月半ばの時に、花粉症の症状である鼻水が、さらに酷くなりました。 今まで30分に一回鼻をかんでましたが、 その時は3分に1回鼻をかんでました。 花粉症であることに気付きました。 外にいる時はそれほどでもない。屋内や部屋に入った時に花粉症の症状が出てたので、花粉症だとは思いませんでした。 その時は、ライン組み立て作業をしてました。 組み立て作業の最後、品番が印刷された縦10p横5pの紙を捨てるという事をしていましたが、その捨てた紙で、3分に1回、鼻をかんでました。 (その紙が無かったら、あの時どうしてただろう?)とこの時期思います。 もともと遅れ気味だったのに、鼻をかむことで完全に遅れ、「花粉症かよ。体、弱えなぁ。ラインについていけなくて、迷惑じゃ!!」と言われ、ライン作業を追い出され、 部品の入った容器をコンベアに載せて行くという、工場で最も単純で簡単な作業に変わり、工場のトイレからトイレットペーパーを取(盗)ってきて、鼻をかみながら作業してました。 ちなみに、私が配属されていた所で、花粉症だったのは、私だけでした。 ・起きてる時は、ずっと鼻水が出て、 午後11時に布団に入り横になった途端、鼻づまりに変わる。両方の鼻が完全に詰まり、鼻で全く息が出来ない。 朝6時半、鼻づまりが消え、鼻で息ができるようになったかと思うと鼻水が出始める。 ・夜勤の時は、昼はそれほどでもありません。ただ寝られませんが。それは花粉症は関係なく、1年間同じでしたが・・・。 夜の作業中は、鼻水と鼻づまり両方出ました。 午前1時、夜食の時、私は全力で走って食堂に行きました。すると、食堂に着いた時、鼻づまりはなくなりました。 5分後、また鼻づまりになりましたが・・・。 その当時、その時期は、その繰り返しでした。 今思うと懐かしいです。 それが、3月中旬〜4月下旬まで続きました。 寝不足にもなり、インフルエンザにかかりました。 そのことを考えると、就活の気力が無くなります。 (就職しても、鼻をかまずにはいられない。その事によって、仕事についていけない)と思うと、気力が無くなります。 5月から、深海ザメの肝油・スクワレンのカプセルを飲み始めました。 ●29歳の時は、花粉症の症状は出ず、私は(花粉症は治ったのだ。スクワレンのおかげだ。スクワレン凄ぇ〜)と思いました。 でも現実は、ただ単に、前の夏が冷夏だっただけです。その夏は、雨がよく降ってました。 翌年、花粉症の症状は出ました。 31歳の時は、ニート。以来、ずっとニートで、花粉症で、仕事をしていて悩んだことはありません。 仕事が出来るかで悩んでいますが・・・。 |
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