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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/03/31 (日) 新たな流れ


1月10日に郡山市に来て、冬の東北から避難した。
吹雪、地吹雪、暴風雪・・・等々を経験し、転び、寒さに震えながらも、ホームレスのような生活をしてきた経験は大きい。
白河市に行く313は「春の嵐」に遭い、腰を痛めた。そのおかげで体の芯のずれは解消されたようだ。まだ、腰は痛いがね・・・(トホホ 苦笑)

遠い記憶・前世からの約束  http://farmemory.exblog.jp/18424424/

郡山市に帰ってきて、公園でのんびりしていた。
鳥たちにパン切れを上げていたら、同じようにパンを上げている老婦人に遭った。この老婦人は以前、3時間近くも身の上話を拝聴する羽目になったご婦人。
その後婦人と、何気なく話をしていると、宿泊の話になり、ホテルにいるのはお金がかかるから部屋を借りたらどうか!?という話になった。私は無職の保証人なしだから無理だということを言うと、保証人がなくとも貸してくれるところを知っていると言い、紹介してくれた。私など、どこの馬の骨かわからないのに、少し話しただけで、部屋の口を利いてくれる。とにかく部屋を見に行った。行く時も、その婦人は友に電話をかけてくれて、その友達(老人)は車で来て送迎してくれた。また、大家さんにも口を利いてくれた。

私は、隠さずこれまでの経歴や、旅の目的などを話した。

あまりにもスムーズに話が運んだ。
その時点で、4月5月分の家賃を支払った。
保証人はなし、礼金、保証金も要らない。家賃は15000円。

なんか・・・私が思い描いていたとおりの部屋です。(六畳一間、風呂なし、トイレは共同)旅で、雨露をしのげる場があればどれほどいいかということを実感しているからね。

ありがたいことです。
サポーターは、色々な所に配置されている。私自身、他の方のサポーターをしている・・・と、思う。

「万年素人」氏は、我という角を出さなければ、望むのもはあちらからやってくるとアドバイスをしてくれた。そのとおりの動きです。私は、この旅で「自我」の「我」という角を折って、ポイしたと感じている。「自我」という角で突っつきあわなければ、流れはスムーズに行くものですね。

しかし、この社会は、意図的に突っつきあうように仕向けられている。その為のツールとして「デイベート」手法が持て囃されている。あたかも、社会生活で必要なものだという・・・錯覚を刷り込まれてね。「自我」という角で突っつきあうと、どちらかが突き伏せられる。その時、突き伏せられた方はどのように感じるか・・・!?なんともよく出来た制度ですね。歪んだ制度です。


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やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (13/04/15 15:46)
夜曲 落ち着けて良かったですね。 (13/04/02 09:00)


 ■ 2013/03/28 (木) 部屋を借りる


白河から帰ってきた。

今日、郡山で部屋を借りた。といって、定住するわけではない。今後の成り行きは、総てお任せである。

所詮、「座って半畳、寝て一畳」の、ちっぽけな人間である。

さてさて・・・どのような流れになるか!?
どのようなサポーターが待ち受けてくれているのか!?


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やまと ´З`さん ただいま。 (13/03/31 15:50)
´З` おかえり。 (13/03/30 01:00)


 ■ 2013/03/20 (水) 変化


なにやら変わってきているようだ。
313の春の嵐で痛めた腰。大分回復してきた。走れるようになった。
体の歪みが矯正されたようだ。相当歪んでいたのでしょうね。313後、足の裏に水泡ができた。両足の裏、人差し指と中指の下のほうに出来ている水泡。体の重心がそこになっているのでしょう。そして、現在は、歩くにも、走るにも足が軽く感じている。不思議なものです。

精神の歪みも矯正されたらいいのだがね。笑

この旅で、色々と感じているが、少しは精神的な幅が出来てもよいと思うが・・・長年をかけて培ってきている精神です。そう簡単には行かないでしょうね。

現在、白河市に来ている。
白河市。なんか・・・地域性なのか!?私との相性はちょっと・・・という感じである。
陸奥の玄関口に当たる地域。

社会の片隅から、じ〜っと、社会の流れを見ている。
「存在感を無くし、ただ、存在するだけの存在」を目指している。
(相変わらず、分けの分からない事をメモしているが、この、今の心理状態も「逃げ意識」の表れでしょうね。もう、カルマを創りたくはない!背負いたくはない!この旅で気づいたようだ。今まで、社会常識という規律に沿って、カルマを創り、自身の外に責任転嫁をしながら生きていたことにね。幼い時から、自身の居場所がなかった。閉所恐怖症のような焦燥感をいつも感じていた。今も感じてはいるが、社会からのフェードアウトの最中ということで、少しは軽減されているようだがね。いつまで続くのだろうか・・・!?とっとと、トンズラをしたいね。)

図書館で、「百人百話」岩上安身 を読んでいる。
この旅で、色々な地域の人たちの生の声を聞き、311当時の心境などを綴られている本を読む。心の葛藤などが記されている。この事は、一人ひとりが考えなければならないことだと思う。地域性、コニュニテイ、家庭環境など一人ひとり異なる中で、どのように感じるか、考えるかの主体性を持つ事が大事になるのでしょうね。東北地方の地域性は、助け合いという基本的な繋がりが強い。全体性といってもよいと思う。世界の僻地といわれる地域における連帯は、どこも強いと思う、いい意味でも、悪い意味でもね。都会のばらばらな社会性とは異なり、しっかりと互いが結びついている。強い絆。その反面、排他性も強い。
ただ、これまで築かれてきた精神性が利用されている面も強いと思う。同じ地域の人たちでも、其々に背負っている物があり、其々に流れに乗っている。だからこそ、そこに軋轢、葛藤が生まれる。当然といえば当然なのですが・・・。外から見ているだけで、一つの現象に対し、科学的、医学的な見解のみを叫んでいても、どうしようもないことなのかもしれない。

「自己満足」「自分本位」・・・結局、そこに行き着く。
よく言われることだが、満足できる人生を歩む。この事は、何に対しての満足なのかが問われる。良い悪いの感覚ではなく、魂的な満足なのではないかとも思う。魂的に課したハードルを越える事。社会的には色々な考えがある。地域性のコニュニテイに根ざした考え、国家的な方向性の考え、陰謀論的な考え、すぴ的な考え・・・と。何が正しくて、何がそうでないのかは、一人ひとりの考え方次第。
難しいことですね。
考えれば、考えるほど振り出しに戻る。


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ふわり 僕もまあ、本音は似たようなものなんだとおもうにゃす (13/03/21 19:48)
夜曲 僕も本音では早くトンズラしたいです。 (13/03/21 17:11)


 ■ 2013/03/15 (金) 3月15日


0840 ホテルそばの公園 0.337μSv/h
少し離れた広場       0.147μSv/h

白河市の南湖公園に行った。
新白河駅からおよそ3km。とことこと歩いていった。なかなか良い所です。自然があり、行き交う人も気さくな方が多い。今日は、日差しは温かいが、風は冷たい。湖を一周し、岐路に帰路につく。
とことこと歩き、途中のモールに立ち寄ると、目につしたのがマッサージチェアー。
腰・・・そう、13日の強風によりおかしくなった「腰」!!!ひきつけられるようにマッサージチェアーに横たわる。
マッサージチェアーで腰のマッサージを行う。10分/100円。200円を投資し、寛ぐ。若いときには、こんなものには目もくれなかったが、年をとると、特に腰の状態が悪くなると、自身の体を気遣うものだということを感じた。腰を中心にマッサージをしたが、腰はやはり痛い。他の部位は気持ちよい。やはり、大きな負担を腰にかけていた。ぎっくり腰やヘルニアの症状ではないと思う(ぎっくり腰もヘルニアも罹ったことは無いがね。昔、患者さんから聞いた症状と、書物での知識からそうではないと思う)。13日の春の嵐により、腰の骨(痛む部位から、腰椎から仙骨のようだ)と筋肉に大きな負担がかかったようだ。
朝、ベットから出る時には、布団をまくり、左に横になりながら足を下ろして、ゆっくりと起き上がる。これまでのように、まっすぐに起き上がれない状態。

いやいや・・・参ったものです!?

人それぞれ・・・。
現在の日本の状況に対し、個人的な感情で混乱している人も多い。それはそうでしょうね。誰しも、自分の目の前の生活が大切ですからね。しかし、この事自体が、ロボット人間と言う事を表している一端だと思う。目の前の生活は大切です。だからといって、目の前の現状から目を背けていいというわけではない。以前、「意識する、しないに関わらず、腹を括って生活が出来る見事さ」ということをメモしたが、今日、白河市で、昼間から犬の散歩をしている老紳士にあった。私が空間線量を記録していることに興味を持ったのでしょうね。その老紳士と少しお話をさせてもらった。しかし・・・いろいろと思う事がある。私がしていることは、単なる自己満足であり、地元の人には大きなお世話になるが、その老紳士いわく、「線量が高い、低いで・・・ならばどうする!?」という問いかけ。人夫々置かれている立場、環境は異なる。そんな事は、各自で考えることである。しかし、これまでマニュアルどおりのデイベート感覚での思考は、単なるロボット人間の思考であり、自身の考え、判断は無に等しいと思う。その老紳士は、そのような思考で言ったのではなく、私に対してやんわりと窘めたのだと言う事は理解できるがね。ご自身の心に不安が兆しているから、余計に気になるのでしょうね。

日本特有の、「臭い物は蓋をする」という事でしょうね。まあ〜じいちゃん、ばあちゃん、おっちゃん、おばちゃんなどはそれでよいかもしれないが、子供たちの現実はより厳しいものになると感じますね。それでも、蓋をする人たちは、それでよいのでしょうね。この事は、開沼博さんの本にも記されていたね。それが現実ですから・・・。

今の日本の状況は、そのような状況下ではないということをしっかりと認識するべきだと思う。一人ひとりが、しっかりと状況を自身で考え、感じ、判断するべきだと思う。これまでの社会常識にとらわれて、政治家、学者、マスコミの言う事に従うならばそれでよいのです。そうでなければ、何を信じ、何を基準に考え、感じ、判断するべきかは、自身で考え、感じ、判断するということを知るべきではないかと思う。個人的な感情論で、如何こう出来る問題ではない。だからこそ、自身の脳みそは自身で使い、考え、感じ、判断できるようにならなければならないと思う。

院長の独り言  http://onodekita.sblo.jp/article/63708397.html
どうしようもないからと、現実逃避もよいが、腹を括って生活をする事と、現実を見ないようにする事とは異なると思う。これからどのような事態になるかをしっかりと見据えた上で、生きるという覚悟があるかどうか!?簡単に言える事ではないことも事実だけれども、現実問題として、そのような状況に放り込まれているのです。やはり・・・このような状況になると、女性の腹の据わり方は、男性とは違いますね。うろたえているのは男性のほうに多いと感じる。

逝きし世の面影  http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/6667bdf68d61f9c57593cdc4b356942e
福島の人は読まないほうがいいと思う。腹が立つだけ(政府に対してね)。
何が本当の事であり、何がそうでないのかをしっかりと自身で考えるべきだと思う。

ニュースで、安部総理がTPP交渉参加声明を出していた。

田中龍作ジャーナル  http://tanakaryusaku.jp/2013/03/0006821

色々な動きが繋がって来ている様に感じる。
国内の政治的な動きだけではなく、精神的な動きにもリンクしているのではなかろうか!?

3月13日
部屋番号「313」、出発日「313」、宿泊日数「63」と、新たな世界への旅立ち。
白河市に向けて歩き出した。
強い向かい風。その風に巻き上げられて、土埃、砂埃が正面から襲い掛かってくる。参った。日本全国的に大きな「春の嵐」に見舞われたようだ。
それでも、とことことこ・・・と歩く。ごろごろごろ・・・と歩く。
4号線を歩いている時に、トラックの運転手から声をかけられた。「解体やらないか!?」と。私の姿を見て、勘違い(まんざら、勘違いでもないがね)をしたようだ。私は丁重にお断りをし、歩を進める。

とことことこ・・・と歩いていると、前から自転車に乗った男性に出会った。自転車に乗った男性は止まり、「大阪からきたんや!」と、口走る。よくよく見ると、岩手の道の駅で、タバコを無心してきた男性。「このおっさん、なにやっとるんや!」という思い。私が岩手でのことを言うと、照れ笑いしながら走り去った。おいおいおい・・・まさか、途中で悪さなどしておるのではないだろうな・・・!?

強風の向かい風の中、押し通るように歩を進める。
が、やはり、体がきつくなってくる。
途中、歩いて向かってくる老婦人に、「近くに、駅はないか!?」と尋ねる。
老婦人は、近くにある鏡石の駅を案内してくれた。私の荷物に興味を持ったようで、私は、旅の話をした。旅の話に興味を持ってくれて、非常に親身に話をしてくれる。また、鏡駅までの道を教えてくれるだけではなく、途中まで案内してくれた。

ありがとうございます。

老婦人に教えられたとおり、JR鏡石駅に着く。この駅にはエレベーターもエスカレーターもない。階段を台車で上り下り。いたしかたがない・・・。
1時36分発の電車に乗り込む。
2時過ぎに、新白河駅に着く。早速、ホテルに電話して予約をする。郡山のホテルで聞いたとおり、予約が出来た。これで、しばし宿の心配はない。
駅の蕎麦屋でそばを食す。
蕎麦屋にあったウエットテッシュで額を拭くと真っ黒。強風で巻き上げられた土埃、砂埃で真っ黒になっている(ホテルの大浴場で髪を洗うと、一回目の洗髪は、ごわごわであった)。

ホテルにチャックインし、部屋で一息入れると・・・キタ〜。くしゃみをすると、腰の激しい痛みが走った。まいった・・・!?ぎっくり腰やヘルニアの腰痛のように感じた(実際、ぎっくり腰やヘルニアに罹った事はない。患者さんの話や書物での知識しかないが)。う〜ん。この状況が、新たな世界の船出なのか・・・!?まいった!!!

3月14日
新たな世界の踏み込んだ。部屋番号「325」=10=1
新たな世界の第一歩・・・腰痛!
自然の力にはかなわない。自己過信をしていた報いなのだろう。夏の東北、冬の東北と経験し、新春の東北何ほどのことかと!?それが、この様。しかし、この事も必然的なものなのだろう。幸い、この腰痛に関して不安感はない。強風に対して、押し進もうとする無理な心がけに対しての、手痛い警告なのだと思う。無理はするな!という警告。大事には到らないと思う。まあ〜私的には、最初から、この肉体など捨てて懸かっているからね。でも、痛い、苦しい思いはしたくないね。

新白河駅前に、芭蕉の銅像が建っている。

「心もとなき日数重なるままに 白河の関にかかりて 旅心定まりぬ」 芭蕉

私も、このような心境になりたいものです。

現在、09:22。
新白河駅前。晴れなれど、雪がちらつき、風は冷たし。(昨日の様な強風ではないが、強い風)
白河駅まで歩く。距離はおよそ3km。
歩く分には支障はないが、走れない。走ると腰砕けになる。まいった〜〜〜!
それでも歩く。不思議に不安感はない。この心境だけは不思議ですね。まあ〜すべてお任せですからね。(笑
とことこと歩き、白河駅横の図書館につく。図書館は、蔵書点検のため、3月4日から15日まで休館日となっている。が、付属の会議室などは開いているから、付属の建物の中には入れる。寒さと強風からは逃れられる。

それでも、白河市の町を歩く。
散策気分ですが、寒い〜。

この腰の状態は、何を意味しているのか!?
放浪の旅も、ここまで出打ち切りか!?どのような流れがおきるのかな〜!?

まあ〜無理せず、我を張らず、流れに乗ろうと思う。


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やまと ふわり さん お元気そうでなによりです。 お気遣いありがとうございます。腰の状態は大分よくなっています。この事態すらも、私自身には必要な事だったのでしょう。ふわりさんのご指摘されていることも、日記で説明します。 (13/03/19 16:02)
ふわり そして身体の歪みと心の歪みは、たぶん間違いなく相関してると感じてます、、、、若輩者の粗茶のような話ですが (13/03/16 18:45)
ふわり 整体体操とかストレッチとか、そういうので僕はだいぶましになったよ、人の身体ってまっすぐになってるとかなり丈夫にできてるみたいで、でも歪むとそれが発揮されないのかなって僕は勝手に思ってる (13/03/16 18:42)
ふわり 高校生のころからぎっくり腰やってる僕の体験では、腰痛は腰への負担総量よりも、身体のゆがみのほうが影響が大きいぽいですよ (13/03/16 18:39)


 ■ 2013/03/13 (水) 新たな世界へ


今日、郡山のホテルを発つ。

部屋番号 「313」 

出発日  「313」

宿泊日数 「63」

7 : 7 : 9

「9」という数字は、数秘術的に完成数である。
ここまで、事故・事件に巻き込まれることなく、病気・怪我もなく運ばれてきた。目には見えない世界の同胞に感謝するとともに、この物質世界でサポートしてくれた魂の同胞、多くの人たちに感謝をしたい。

      「ありがとうございます」

今後、どのような流れに乗って運ばれるのかはわからないが、不安感はない。全てをお任せの状態。

いわき市に行くつもりであったが、宿の確保が難しい。震災後2年ですから仕方がないことです。いわき市でうろうろするよりかは、宿が確保できる可能性の高い白河市に向かいます。


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夜曲 こちらこそありがとうございます。やまとさんの存在がどれほど勇気づけと養分になったか。太郎さんのスレッドの時からのファンです。^^ (13/03/13 09:36)
一発屋 エーデー エーデー めっちゃエーデー ・・・ いや、これはふと時計を見たとき例えば「9:09」やったら腹の中で唱える俺なりのあれなもんで。 応援しとるんで、やまとさん!! (13/03/13 09:09)


 ■ 2013/03/12 (火) 言葉と感性と民族性と土地


言葉というものは大切です。

相互理解、コミュニケーション(同じ意味か・・・!?)に役立つだけではなく、その言葉に含まれる言葉の韻が大きく作用する。

心と裏腹な言葉の韻。
心を素直に表している言葉の韻。
伝えたくとも、うまく伝えられない言葉の韻。

その言葉の韻を聴いているほうも同じ。

言葉はひとつの世界を創る。
「詩の朗読」(自分の民族の語りも同じ意味を持つと思う)というものがある。洋の東西を問わず、語り、繰り返されているものです。この事は、いかに「言葉」というものが大切であるかを証明するものの一つだと思う。

世界の構築は、時、場所を問わず、絶えず行われている。
日常生活で使われる「言葉」により創られ続けている。家庭での会話、職場での会話、仲間同士での会話、恋人同士での語らい、人知れない部屋での陰謀的会話・・・と、数限りないない世界が創られている。

そして、この物質世界で交わされる会話(波動)に引き寄せられる、目には見せない世界の存在が存在する。その目には見えない世界の存在が、より強力な力を出すきっかけを与える事になる。意識波動は恐ろしくも、強力な力を秘めているのです。

「はじめに言葉ありき」

聖書の言葉です。
言葉と言うものの強烈な秘めた力を表している文章だと思う。

この事が何を意味しているのかは、支配層が実感していることでしょうね。
だからこそ、宗教という詐欺組織をはやらせて、人々の意識エネルギーを収奪している。

言葉という波動により世界は創られる。
そして、良しにつけ、悪しきにつけ、その波動に引き寄せられる、目には見えない世界の存在が存在する。世界各地で使われる言葉自体に大きな力が存在している。
それを、支配という形で一つに纏めようとしている。

この動きの裏にあるものが、どのような物なのかをしっかりと、一人ひとりが考え、感じ、判断する必要がある。

・・・

(なんか変だと感じること。保険のCMもそうだが、近頃は、葬式の費用まで出すというCMが流されているね・・・要注意。この動きが何を意味するものなのかを考えよう。日本政府は、放射能汚染地帯に国民を帰そうと必死ですからね。
田中龍作ジャーナル http://tanakaryusaku.jp/2013/03/0006793


変だと感じる事の続き。

院長の独り言  http://onodekita.sblo.jp/article/63631354.html

子供の甲状腺異常ですが、このことはもう始まっているのです。チェルノブイリと比べられることが多いが、チェルノブイリでは強制避難したにもかかわらず、大きな被害が出ています。現在の日本は、放射能被爆の基準を上げてまで、多くの人々(国全体といっても良い)を被爆させているのです(それも持続的な被爆です)。院長さんも指摘しているが、政府の言動を時系列で追うと、はっきりします。

民主党政権が、一番最初に「嘘」をついたのです(「嘘」をつく軌道は自民党によって敷かれていた。要は、同じ穴の狢)。
その「嘘」の為に(「嘘」の正当化)、「嘘」の上塗りをしなければならなくなっているのです。油絵のように(この場合、厚化粧にたとえると・・・顰蹙ものになりますね)、上塗りを繰り返す羽目になっているのです。それも、ネットというツールのおかげで、真実らしき状況が多くの人の目に止まるほどになっているのです。それでも、政治家たちは道化の舞を舞う事をやめることができないのです。嫌でも舞っているのです。あやつり人形ですからね。
そして、このような事態から意識をそらせる為に、支配層は中国・北朝鮮を使い、動乱の危機を創り出しています。TPP交渉もそうですね。

カレイドスコープ  http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1913.html

私は悲観的な人間だと思われるメモを残してきているが、今後、死屍累々の状態を経て、新たな人類が誕生するという希望を持っている。


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 ■ 2013/03/12 (火) 3月12日


今日はよい天気です。福島県郡山市の明日で立つ(また戻ってくると思うけどね)。

3月11日
0947 郡山駅前 0.245μsV/h
さくら通りの公園  0.325μsV/h
麓山公園      0.404μsv/h
中央図書館     0.185μsV/h
郡山の町の劇場裏  0.333μsV/h

なんか・・・私にはわからないような天候。

3月12日
0914 郡山駅前 0,249μsV/h
さくら通りの公園  0.345μsV/h
麓山公園      0.428μsV/h
中央図書館     0.186μsV/h

春というより、初夏の日差しです。
この地方の気候の変化は劇的に感じる(ただ・・・今の時期は世界的に気候の激変が起きているようだ)。
図書館で読書に耽る。 

今日は二つの良い事をした。
一つは、麓山公園で迷子の子供がいたので、両親を一緒に探し、父親が探していたので引き渡した。坂の下の池の周りの道で、大きな声を出しながら泣きながら歩いていた男の子。両親はNHKの展示場に居たそうだ。子供が迷い出て不安になったのでしょう(この場合両親もでしょうね。必死に探していたようだ)。

二つ目は、ホテルに帰る途中、4号線の道路上に布団と毛布が散乱して、通行の邪魔をしていた。散乱している布団と毛布を歩道の方に移した。落とし主は拾いに来るでしょう。

しかし、気をつけなければならないのは、迷子の対処ですね。下手すると、私は誘拐犯に間違われてしまう。どのように弁解しようとも、昨今は猟奇的な事件が多いのですから、周囲は信用しないでしょうね。なんせ、私はどこから見ても不審人物ですからね。(苦笑


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 ■ 2013/03/11 (月) 言葉と感性と民族性と土地


このような情報がある。

正しい情報を探すブログ  http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11485298564.html

「TPPの最終目標は日本語という非関税障壁の撤廃!TPPを締結すると、最後は日本語消滅にまで進む!」

何が真実であり、何がそうでないのかを各自が自分の脳みそを使い、考え、感じ、判断しなければならない。自分の外の情報は参考にしても依存してはいけないことを学ぼう。

武力的支配から経済的支配をしている支配層。
地球の種の多様性を破壊し、単一にしようとしている。思考、嗜好、言語・・・と、あらゆる物をひとつにまとめる。ひとつの政府、ひとつの軍隊、ひとつの思想・・・と。

言葉が奪われることは、感性を奪われること。


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青侍 最終的に日本語消滅か・・流石に消滅することは無いと思うが(日本人が全滅でもせん限り)考えさせられる内容ではあるね。日本語もままならん子供に英語教育するのもいかがなもんかと思うし。日本の歌手なんかをアーティストとか呼ぶ風潮は滑稽やし、歌詞にも英語が散りばめとるしね。中には全て英語歌詞を歌う日本人歌手もおる。カラオケで歌えんやんか!(笑)こういうのも3S政策の一貫か。日本語は格好良いという価値観を今一度見直す必要があるな。と思ったよ、やまとのダンナ。では、拙者はこれにて。 (13/03/12 00:56)
中年競馬 やまとさんいつも情報提供ありがとうございます。 (13/03/11 08:30)


 ■ 2013/03/10 (日) 3月10日


福島県郡山市。
午前中は初夏の日差し。昼にあられ交じりの雪が降り、その後は真冬。その上強風と来た。凄い天候です。

0912 郡山駅前 0.244μSv/h
さくら通りの公園  0.345μSv/h
麓山公園      0.433μSv/h
中央図書館     0.195μSv/h

これまで雪により低く測定されていた値が、今後は、降り積もった放射性物質が風により飛び交い高くなるでしょうね。郡山市でも、所々で除染がされている。

復興、再生とは・・・!?
この日記は個人の日記だから、被災地の方々が読まれると、不愉快な内容になるが、私自身が感じたことを記したい。
震災だけならば、復興、再生はできる。
しかし、原発崩壊に伴う放射能の拡散。いまだにじゃじゃ漏れ状態の原発。政治家は、「経済の再生」を強調している。その「経済」を築いているのは人という事が判らないのだろうか!?福島の人たちの感情を喚起して、放射能汚染地帯に戻そうとしている。いったい、これまでの「国民の生命、財産を守る」という理念はどうしたのでしょうね。政治家、官僚の頭の中には、経済というグラフがあるだけで、そのグラフには、「自国の人命」というものは入っていないのでしょうね。だから、国際競争、経済復興などという看板がかけられる。そこには、自国の国民の人命、悲哀というものは入っていない。

「ワンピース」というアニメがある。
その中で、海軍が発する「バスターコール」(確かこの名称だと思う)なるものがある。バスターコールが発せられると、対象となる島は完全に破壊される。その島に生きる人々、動物、植物などすべてが消される。世界政府は、地図を見ているだけで、その島に生きているものの事など考えない。まさしく、今の日本の状況そのままです。ワンピース的に言って、現在の日本は、支配組織に「バスターコール」をかけられている。

かつて、ドイツのアドルフ・ヒットラーは言ったといわれる。
「東方が巨大な実験場になる」と・・・。ドイツの東方とは、日本も含まれる。現在の中国も、支配組織の実験場にされていると思う。文化大革命後の人倫の喪失により、「お金」だけが価値があるという思想に塗れている。壮絶な宗教弾圧により、その宗教信者たちの臓器を世界中に売りさばき、「お金」を得て、中国の支配層の子弟達は海外に逃れている。また、周辺国の侵略も行っており、その目くらましに、「日本」という国を利用している。海外での中国人の行いに非難が起きているのはそのため。かつてのポルポト政権下における少年たちの行いも実験(人というものは、教育により、どこまでコントロールできるか!?)

3月3日
0950 郡山駅前 0.244μSv/h
さくら通りの公園  0.329μSv/h
麓山公園      0.417μSv/h
中央図書館     記録漏れ 

ふと、思い出す。昔、動物たちの世話をしていた妄想世界のことを・・・。

「フクシマの正義」 開沼 博 著を読む。
p132
・・・とりあえず、避難している住民が戻れるかどうかの判断傾向には、三つぐらいのパターンがある。
まず一つ目が高齢者。これは想像しやすいけど、多少の線量があろうが、人体に影響が出るのが早くても5年後10年後ならば帰りたい。家の周りを散歩したり、慣れた人間同士でお茶を飲んだり、畑に行って土いじりをしたいと。ただ、現実には、個人商店とか公共交通機関が再開しないうちは戻っても生活ができない。
もう一つが子育ての世代。
子供がいることもあって、福島を離れられるならば離れたい。でも、生活費はある程度維持しなければならない。父親は元の仕事をやめられない。警戒区域の中に事務所があった会社で、いわき市あたりに拠点を移しているところも少なくない。いわき市で家族そろって生活をするか、母子だけ遠くに住んで、父親だけ働くか。家族が離散しているって言うこと。そうすると金はかかるし、わざわざ離れている異様な人には、被爆に神経質になっている人も多いいから喧嘩になって、親兄弟を巻き込みながら、家族関係がぎすぎすしている場合もある。
最後は、子供のいない世代。
彼らはあまり地元に帰ることへの執着はない。除染してもどうせだめだろうというあきらめもあるし、そもそも仕事がないから、意外と気楽に避難先で新しい仕事を始めている人もいる。・・・

このことは、現在のテレビニュースでも取り上げられ始めている。

現在の状況はまさしく(あらゆるところで)「分断」という渦が巻き起こっている。

3月4日
0912 郡山駅前 0.212μSv/h
さくら通りの公園  0.328μSv/h
麓山公園      0.411μSv/h
中央図書館     0.169μSv/h
郡山水道局     0.404μSv/h
開成山公園サブグランド 0.378μSv/h

風はやや強いが日差しが暖かい。気持ちのよい天気です。

3月5日  発作
現在の時刻、02:17。
夢を見た。
刑務所(と認識している)の夢。受刑者なのか職員なのか・・・!?
部屋がありロッカーがある。
場面は変わり、街中にいる。走っている車の運転手を見る。そのとたん、底知れぬ恐怖感を覚える。目覚める。吐く。

体が反応している。こんな事は初めて。ちょっと混乱している。

少し時間を置き、落ち着いてから考えをまとめる。昔から発作のように忘れた時に出てくる。言い知れぬ恐怖感に襲われる。襲われたら、何もできず、ただ耐えるのみ。この旅に出て初めてである。

・・・。

夢を思い出しながら考える。
はじめは刑務所と認識している夢。私は、職員らしいと思う・・・。そして、場面は変わり、街中の道。車(バン)が走っている。その運転手を見たとたん、忘れていた恐怖感に襲われる。そして、目覚め、吐く。さてさて・・・!?
私の過去世か・・・!?
ならば、この恐怖感はいったい!?過去世で、ひき殺されたか!?(轢き殺された時の恐怖感を持ち続けている)
それとも、ひき殺したか!?(この場合ならば、運転手は私自身ということになる)
もうひとつの考えは、私以外の霊の記憶を体験しているのか!?(この事も、ちょっと気になる経験をしている。小学生のころ、金縛りにあった。意識は目覚めているのだが、体が動かない。上から押さえつけられるような感じで、息もできない。喘息患者のように、ゼイーゼイーという言っている。このとき、不思議なことに、私は必死で九字(臨、兵、闘、車、皆、陣、烈、在、前)を唱えている。そのころは知りもしない九字です。このことは今になっても気になっている。

すぴ的に考えても、精神病理的に考えても、どうでもよいのだが、時折、忘れた頃に襲われる。どうしようもない恐怖感。それから、私の人生が狂ってきている・・・というと責任転嫁になるかな。 (苦笑

現実的に、このような状況に陥ると、どうしようもなくなる。うつ病のように発作的に自殺をするとかの問題でもない。なぜならば、霊訓の知識がある私には、この恐怖感に襲われている時に自殺をすると、無間地獄のような世界に行くことになる事は理解できる。
この恐怖感はいったいどこから来るのか!?
分からない事は、この恐怖感が収まり、しばらくすると、この恐怖感自体の感覚がわからなくなる。思い出そうとしても、思い出せない。発作のような感覚です。参ったものだが、持病と思わざるを得ないね。

(しかし、この恐怖感を小さくした感覚は、人というものの中に存在しているということは理解できている私がいる。だから、逃げ回っているのかもしれない・・・。)

0913 郡山駅前 0.243μSv/h
さくら通りの公園  0.331μSv/h
麓山公園      0.424μSv/h
中央図書館     0.183μSv/h

何事もなかったように、図書館で読書にふける。

3月6日
昨日は18時過ぎにベッドに入り熟睡。0時過ぎに目覚める。夢は見ない。恐怖感もなし。2度寝をする。

0924 郡山駅前 0.238μSv/h
さくら通りの公園  0.325μSv/h
麓山公園      0.411μSv/h
中央図書館     0.184μSv/h

今日はよい天気です。風もなく、日差しは暖かい。麓山公園でのんびりとしている。のんびりしすぎている、ただただ・・・この地に存在しているだけの存在。

3月7日
0900 郡山駅前 0.239μSv/h
さくら通りの公園  0.340μSv/h
麓山公園      0.430μSv/h
中央図書館     0.179μSv/h

麓山公園の池に、50cmを超える鯉が幾匹もいる。暖かくなってきたので出てきたのでしょうね。かもにあげたパンを、本当にゆっくりとした動きで食べている。ちょっと、感動した。

「フクシマの正義」 開沼 博 著
p151〜152
・・・例えば、放射線が危険か安全かと言う論争を見る。危険だというものは安全だという者を「この期に及んでまでそのような愚かしいことを言っているのか」と非難し、逆に安全だと言う者は危険だと言う者を「そんなにヒステリックに騒ぎ立てて常軌を逸している」と攻撃する。
互いに互いをカルト宗教団体のように見立てて、議論が成立しないどころか、議論すればするほど「分断」は深まる。一方で、「普通の人」が関与し得ない状況が出来上がる。都内で二人の幼児を抱える母親はこう語った。
「最初は、本をいろいろ読んでみたし、デモや集会に行ってみようかなと思ったんです。何の情報もなかったし、非難しようにも出来ない事情があったから。ただ、熱心なお母さんから「でも行きましょう。集会行きましょう。署名してください。」と、しつこく言われるようになって、悪気はないのでしょうけど、何か違うなと。
「マスコミが言っていることは嘘と捏造で、政府は真実の隠蔽ばかり。このままでは大量の子供が病気になる。」っていう話をすごく熱心にするのだけれども・・・」

「熱心なお母さん」を槍玉に挙げるつもりは全くない。彼女からすれば、「私はこんなに情報を集めて、皆が判っていない多くの事を知っている。みんなの健康とこれからの社会のことを考えているのに、何でわかってくれないの」と、思ったような反応が返ってこない状況に孤独感を募らせて正義感をたぎらせる。一方で、それを見る側は、その「善意」に共感を抱きつつも距離をとり、「分断」が生まれる・・・引用終わり

この文章は非常に大きな意味を持つと感じる。確かに開沼氏の指摘は当然です。このような状況は日本人特有のものなのかもしれない。現在の日本人がおかれた状況を他の国民が経験した場合、どのような動きになるかは、現在の世界中のニュースなどを見れば判るというものです。
民族性なのか、日本人の全体性(集合意識的動向)なのか、WW2以降の愚民化政策の影響なのか判らないけれども、熱しやすい人と醒めている人が混在している。
私は幾度もメモしてきたが(雑談でもよしがのスレッドにも)、目を三角にして、こぶしを振り上げデモに参加できる人、したい人はすればよいし、口角泡を飛ばして議論したい人はすればよいと思う。しかし、言っていることに共感はするが、行動に移す事に抵抗を持つ人も少なからずいるのも事実です。行動に移す事を躊躇している人に強制するべきではないと思う。デモ等の空間の意識波動は渦を巻いています。自分で自分を維持するのが困難になります。宗教組織の儀式やどこかの国のマスゲームなどの集団行動、宗教的意識での集団行動(中東などで見られる)。自分を見失い、流され翻弄されてしまいます。気づいたときには、どこか別の場所に(意識の上で)居たと言う、これまで繰り返されてきた誘導に流されます。

ただ、これまでの政府、学者、マスコミの情報に依存していた姿勢を改め、自分自身で考え、感じ、判断することの必要性を改めて学ぶ必要がある。
これまでの動きは、戦時中の「右向け右」なのですよ。マスコミ情報に踊らされて、戦時中と同じ動きを無意識の上に行っているのです(誘導されているのです)。
一人ひとりが、その置かれた立場、環境の中で、独立した意識を持つ必要があると思う。

3月8日
0914 郡山駅前 0.232μSv/h
さくら通りの公園  0.331μSv/h
麓山公園      0.414μSv/h
中央図書館     0.171μSv/h

徒然に・・・。
国とは・・・!?社会とは・・・!?経済とは・・・!?命とは・・・!?とことこと子・・・と歩いて東北を回ってきた。ただただ歩いてきただけ。何も意味はない。あるとすれば自己満足。私は旅に出る前から「循環」というものを考えてメモしてきた。
自然は循環している。人間は、自身の肉体的生命の範囲、尺度で考えている場合が多い。いろいろな意識が錯綜しているが、特に現代は「お金」を中心とした、目先のことばかりに右往左往させられている。
福島原発の崩壊に伴う放射能の拡散。しかし、政府は経済第一の考え。その経済を担っているのが人ということを度外視しているようだ。ただ、日本人が少なくなれば、移民を受け入れて働かせればよいという考え。陰謀論的な組織の支配を受けているから、このような考え方になるのでしょうね。平然と棄民政策を取ることが出来る。なんせ、地球には人間が余っているのだからね。

3月9日
0936 郡山駅前 0.244μSv/h
さくら通りの公園  0.352μSv/h
麓山公園      0.407μSv/h
中央図書館     0.189μSv/h

「原発避難」論 山下祐介 開沼博 編著 を読む。


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 ■ 2013/03/02 (土) 言葉と感性と民族性と土地


以前メモしたが、ここの所考えている事がある。
現在、英語学習についての誘導・刷り込みがある。私は、外国語を学ぶということ自体を否定しているものではありません。今の社会の流れを危惧しているだけです。単なる妄想ととっていただいて結構なのですが、出来得れば、一人ひとりが考えてもらいたい。

前回は、狩猟民族と農耕民族についてさわりをメモしたが、今回は、明治前の日本を考えてみたい。明治以前は、士農工商の差別化が行われていた。それぞれの階級によって、生活態度、言葉使い、躾、教育などは異なる。
幼い時からの教育や躾などは、大人になる上において、大きな影響を与えるものです。それは、感情面にも大きな影響を与えます。このことは、脳組織の形態つくりにも大きな影響を与えるものだと思う。ニューロン形成です。もちろん、血統による遺伝的なものも大きいでしょう。

しかし、育ちが成長する上において、非常に大きな割合を占める事は間違いないと思う。言葉に含まれる韻というものが、言葉を理解するだけではなく、感情面における決定的な働きがあると思う。情調豊かな性情を形作る。言葉が乱れると、行動が乱れ、規律が保ちにくいというものです。このことは、感情面に大きく作用するからこそ、自立失調のような社会を作り出すのではないかとも思う。

士農工商の社会で、一番責任を負っているのが武士階級でした。身命をとして名誉を守るという事が、幼い時から徹底的に教育されてきている。農民は、ただただ働くことを欲求される。工人(技術者)は独特の技術を伝統的に守り、商人は、商売における社会の経済を動かす才覚を持つ。それぞれに、特徴ある社会の性格を作っている。

(なんか途中中断)

井口博士のサイト http://quasimoto.exblog.jp/19881250/

なんだかな〜と思う。
何が本当のことであり、何がそうでないのかをしっかりと考える必要があるが、かの国には、「羞恥心」「謝罪」という文字はないようだ。「責任転嫁」と「逆切れ」の民族ですからね。
言葉と感性と民族性と土地(土壌)がよく現れている。

日本の一大事 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1303-01.html
溶け行く日本人 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1303-02.html

WW2後の愚民化教育における結果ですね。
しかし、東北地方を歩いているときに、地域全体で掃除を奨励している動きと挨拶の励行を喚起する看板をよく見た。日本のよき伝統を取り返そうとする動きなのかもしれない。私のように、ホームレスのような風袋のへんなおっさんにも挨拶をしてくれる子供たちがいた。東北地方の純粋な心が表れていると感じる。都会ではそうは行かない。警戒され、排除対象になりますからね。このような気持ちは大事にしたい。

現在の社会は、本当に混沌とし錯綜しています。今後は、国という小さな枠にはめた考えを捨てる時が来ると思うが、現在の状況では、日本という国を大事にしなければならないと思う。


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 ■ 2013/03/02 (土) 3月2日


福島県郡山市は凄い天気です。断続的な吹雪。強風。間に青空。

0850 郡山駅前 0.226μSv/h
さくら通りの公園  0.336μSv/h
麓山公園      0.411μSv/h
中央図書館     0.181μSv/h

「フクシマの正義」開沼 博 著 を読む(途中)。
p26 マックス・ウエーバーをはじめとする複数の社会学者は、近代化を「近代以前(前近代)に存在した宗教的・呪術的なものが科学的なものに変わられるプロセス」と想さしている。

私は、今後は(超)近代的な科学力と、上記に言われている宗教的・呪術的なものの融合になると想う。なぜならば、現代社会のあらゆるものが、宗教的・呪術的な社会の流れにあり、その時代時代の人類の精神レベル、思考レベル、意識レベルにあった思想、技術が降ろされて来ているのです。一流の科学者、医学者、芸術家などのインスピレーションは、目には見えない世界からの贈り物です。産業革命からおそよ200年が経ちますが、邪な意識に支配されている支配者組織により、歪められて来ているのです。スピリチュアル関係は、オカルトとの洗脳を受けて、目には見えない世界の知識、技術を独占してきているのです。西洋のスピリチュアル関係の情報も、支配組織の能力者により発信されて、混乱させられてきたのです。日本のチャネラーの中にも多く横道にそれている人もいるがね。
シルバーバー地の霊訓で、シルバーバーチ霊はは、「原子力」の発見は人類にとって100年早かった(と、言ったと記憶している)。専門分野での思考は、高次の世界と繋がり、インスピレーションにより、知識が降ろされる。支配組織はそのようなことを知っていて、利用している。反対に、一般市民レベルの連中には、組織の霊能力者が混乱する情報を流している。

p49・・・しかし、植民地の時代が終わった中に残る「植民地性」、すなわち、「変わるべきものを変えさせない強固な支配メカニズム」は今も根強い。

この事は、スパイという手段で、中からの支配を行っている事を指していると感じる。各国の有力な政治家、マスコミ、企業家等を使い、自国民を支配、洗脳、誘導している。
WW2で、植民地支配を打ち破った日本軍は、支配階級の大いなる怒りを買った。世界各地で独立の気運が高まり、武力での支配ができなくなると、経済支配に舵を取った。世界各国の要人をスパイにして、国民を洗脳し、誘導している。日本では、自虐思想を刷り込み、WW2(日本では大東亜戦争、太平洋戦争という)時の残虐な行為を責めているが、現在の欧米の動きを見ると、どちらが残虐な行為を続けているかがわかる。また、中国、朝鮮半島の国には被害者意識を刷り込み、いまだに、「謝罪、賠償」を求めている。要は、権力者の懐に入るお金がほしいだけです。自国民には行かない。まことに浅ましい限りです。とあるトンデモ情報では、これらの国々は消滅するとか、しないとか・・・!?

2月25日
0954 郡山駅前 0.249μSv/h
さくら通りの公園  0.318μSv/h
麓山公園      0.397μSv/h
2/22 除染前 2.07μSv/h → 除染後 0.40μSv/h 広場中央 50cm
中央図書館     0.171μSv/h
郡山水道局     0.407μSv/h

麓山公園の池でカラスが水浴びをしている。氷が張っている池の端で・・・。綺麗好きなカラスさんたちですね。カラスの体温調節は・・・!?

2月26日
マスコミは報道しないが、突然死、基礎疾患(持病)の急性憎悪等により、亡くなっている方が増えているようだ。それはそうでしょうね。初期大量被爆をし、その後、避難するのを阻止され、持続的に放射能被爆を受けているのですからね。

0856 郡山駅前 0.229μSv/h
さくら通りの公園  0.328μSv/h
麓山公園      0.423μSv/h
中央図書館     0.177μSv/h

福島隆彦 VS 武田邦彦 「原発事故 放射能 ケンカ対談」を読んだ(途中でやめた)。私の脳みそでは、訳が解らない内容。武田先生って・・・!???

図書館で、つらつらと考える。
私の人生は、「逃げ」の人生だった。幼い時から、家(両親)から逃げたくて仕方がなかった。地域から逃げたくて仕方がなかった。学校に行くと、学校から逃げたくて仕方がない。仕事をすると、仕事から逃げたくて仕方がない。
本当に、困ったものです。だからかもしれないが、今は充実している。誰からの束縛もなく、振り回されることもない。肥溜めに嵌り、もだえていたような人生だがね。

2月27日
0923 郡山駅前 0.230μSv/h
さくら通りの公園  0.326μSv/h
麓山公園      0.429μSv/h
中央図書館     0.197μSv/h 

麓山公園で、地元の老婦人と話す。
はじめは震災の話だったのが、だんだん老婦人の身の上話になり、延々3時間近く拝聴する羽目になる。いろいろな人生がある。が、内容が、波動の低下するようなものであった。

2月28日
今日は全国的に晴れの穏やかな一日になりそうだ。

0928 郡山駅前 0.232μSv/h
さくら通りの公園  0・339μSv/h
麓山公園      0.413μSv/h
中央図書館     0.197μSv/h
水道局       0.424μSv/h

風は強いが日が当たっているところは暖かい。
開成山のゲートボール場では、老人たちがゲートボールの興じている。ウォーキングをしている人。若い母親が子供、赤ちゃんを連れての散策。楽しげです。

近頃、地震が多い。
ベッドの横になっていても、椅子に座っていても何か揺れている様に感じる時が多い。よくよく観察してみると、私自身の体が振動をしているように感じる。貧乏ゆすりとか、寒さで震えるような震え方ではなく、もっと周波数の高い振動を体が発しているようだ。何なのだろうか・・・!?

3月1日
0928 郡山駅前 0.236μSv/h
さくら通りの公園  0.328μSv/h
麓山公園      0.399μSv/h
中央図書館     0.197μSv/h
水道局       0.393μSv/h

カラス。
開成山公園で、パンの耳を小さくちぎって撒いた。カラスが枝に止まっていたので、大き目のパンをちぎって置いてはなれた。見ていると、カラスは小さなパンのかけらを食べていたが、大きなパンのかけらは集めて、私が座っていたいすに置き、飛び立った。このカラスの行動は、何を意味するのだろうか・・・!?今までの経験から、カラスは咥えて持っていくはずだがね。

天気がよく、開成山公園の椅子に座り、徒然に考える。
人間の性質とは如何なる物なのか!?
スピリチュアル的には、人間は光と闇の性質を併せ持ち、この物質世界で修行をしているとか!?普通に考えても、どのような残忍な人間でも、仲間や身内には愛情を示す。この愛と残忍な性質は、どのように培われ大きくなるのだろうか!?環境もひとつの要因、両親の接し方もひとつの要因・・・しかし、一番大きいのは、その人間の魂の本質なのではなかろうか!?どのような環境で育っても、悪くならない魂を宿した人間は悪くならない。反対に、周囲の人間を感化させ、よい方向に導く。霊訓では、それぞれの国に生まれる魂は、その国の波動に共鳴して生まれてくるという。ならば、日本という国に生まれて、範囲地教育を施され、日本の土地で育ち、日本語を使うものたちの魂はどうは、日本の国にあったものなのか!?それとも、魂的には波動の共振共鳴をしているが、肉体に宿ると、その環境で大きく変わるものなのか!?その魂的な試練を受けているのか!?それとも、そのような魂が生まれてくる要因が日本にあるのか!?いろいろな妄想が浮かぶが、波動の低迷した地球の中で、波動を維持・向上しようと働いている国に対しての試練か!?我田引水過ぎるかな。
人という生き物の性情は、やはりその人に宿っている魂次第だと想う・・・今日この頃。
日本も、お金をゆすられ、たかられ、そのお金によって多くの国の人々を不幸におとしめているのだから、やはりそのカルマはあるのだろうと想う。

それでも、この日本という国に対しての愚劣化の動きは、他の地球先住民への動きと異なる。真綿で締め付けるようななり方です。近隣諸国の動きだけではなく、たとえば、教育や医療などを考えると、教育面では自虐思想の刷り込み、医療では、学童の時から集団検診にてのレントゲン撮影(外国では、学童の集団検診はないようだ)、抗生物質の大量投与、CT、MRIなどの高額医療機の設置による、無駄な放射線の暴露。まさしく、日本は今回の事故(テロ!?)以前から強力な締め付けが行われていると想われる。


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やまと D・Rさん どうなるかは、時間が証明してくれます(もう始まっているがね)。しかし、悲観する必要もないのだと想う。今後、新たな人類が出てきます(この事も、始まっていると想う)。 (13/03/02 19:36)
D・R 自分の住む地域は0.03〜0.04μSv/h、それじゃ不安ですね。 (13/03/02 16:28)


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