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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2014/05/11 (日) 言葉と感性と民族性と土地


河合隼雄著 「日本人の心を解く」
夢・神話・物語の深層へ

「はじめに」より引用
・・・略・・・
面白いことに西洋の分析家たちが日本文化の価値を発見することを手助けしてくれたのである。それまでの筆者は、日本人は完全に西洋的な道をたどって、近代自我を確立するように努力をせねばならないと考えていた。そうすると日本の伝統の持つありとあらゆるユニークな特徴が、まったく嫌悪すべき耐え難いものに思われたのである。
古い生の様式はできるだけ早く捨て去らねばならないと考えていた。しかしながら個人分析を通じて、西洋の自我は世界中の誰もが獲得せねばならない「最上のもの」や「唯一のもの」であったりするのではないことが筆者にはわかってきた。

ユングは「自己」の重要性について述べていて、「自己」に意識的自我が自らを委ねねばならないとしている。もしも「自己」が一番大切なものならば、自我-自己軸を持つヨーロッパ的な方法に従う以外にも自己に到達する方法があるかもしれない。もしも、自己実現が「ゴール」ではなくて「プロセス」として理解されるならば、日本人にとってのプロセスと西洋人のそれとを比較することができ、どちらが優れているかを気にすることなく、お互いに益するところがあるのではなかろうか。
日本人は近代ヨーロッパ的な自我確立から学ばなければならないという意見を筆者はまだ持っているものの、必ずしもそれをそのまままねをする必要もないと思われる。
日本人は自分自身の道を見出すよう努力しなければならないであろう。
筆者としては、日本神話、昔話、昔の物語が無意識について豊かな知識を含んでいるので、それらの研究を始めた。それらは近代自我とは異なる意識によって最初に語られたものである。そうした物語の特徴は、われわれ現代の日本人の新しい意識についてヒントを与えてくれる。
・・・略・・・。
引用終わり

ユング派の心理学者である河合先生の本を読んでいる。
日本人とはいったいどのような存在なのかを考える参考になる。
日本人特有の「ファジー」「優柔不断」・・・等々、普通に考えればかんばしくない評判があるが、本当にかんばしくないものなのか!?それとも、その奥にとてつもないものを秘めているのかを妄想させられる。
日本は多くの物を諸外国から取り入れているといわれる。本当にそうなのか!?
私はこの地球に聖なる地は二箇所あり「中東のエルサレム。そして極東の日本」という風に理解している。この二箇所から地球各地に、色々な知識、技術が広まったのではなかろうかと妄想している。知識・技術の一方的な通行は無いといわれる。相互に交通することにより、混合されたのだといわれる。地球各地での紛争、侵略などで混わることになる。

ただね、地球人類だけの動きに目をとらわれがちになるが、地球外の存在の干渉もある。キリスト教圏の絵画にはUFOが多数描かれているし、オーパーツなどの現代科学技術では解明できないものも発掘されている。(まあ〜この事は「神と悪魔」「二つの聖地 エルサレムと日本」で、またの機会にメモする。)

現代日本人とはいったいどのようなものなのかを考える上で非常に参考になるものです。
現代の世界は、一部の勢力の支配下にあり、画一的な人類を造り、一つの統一された世界を造ろうとしている・・・らしい。しかし、自然を見るまでもなく、多様性が基本の世界です。人も民族も違って当たり前の世界。お互いに違いを認め合い、その上で和合できる世界を造るべきなのではなかろうかと思う。

ぽつらぽつらと考えてゆきたい。


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