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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2012/09/13 (木) 9月13日


今日、茨城県水海道に来ている。
つくばエクスプレスのみどりの駅で野宿し、7時前に出発。9時半位に着いた。3時間位歩いての到着。早すぎた。水海道の町並みを散策し時間を潰す。しかし、暑い!厳しい残暑です。町は閑散としている。地方だからか・・・!?
道路標識に図書館が載っていた。昔はよく図書館を利用したが、すっかりと忘れていた。冷暖房が効いている場所であり、誰が入っても注意されない場所。図書館で時間を潰す。

8月25日
「道の駅 そうま」で目覚める。(そうまで計った血圧 99/63 P82)「道の駅 そうま」で休養。昼間は畳の上で寝られるから嬉しい事です。
早朝、ここは地元のおっちゃんたちのサロンとなっているようだ。夕方、長野市から来られたご夫婦とお話をする機会があった。ご主人は画家なのだそうだ。被災地をスケッチしながら回っているという事。来年個展を開くという話。
名刺代わりに、画歴が載ったはがきをいただいた。長野県では顔役でしょうね。
その方のお名前は 宮川 博行 画伯
リポビタンD1本頂いた。(岩手で拾ってもらった建設業の若者からもリポビタンD2本を頂いた。)

8月26日
早朝、宮川画伯が来て、私をスケッチしていかれた。奥様も、出発する直前、私のところに来られ、丁寧に挨拶をしてゆかれた。習慣なのか、私に何かを感じられたのかは解らないが、意識波動に共鳴するものがあったのでしょうね。

サロン化している「そうま」で、いろいろな話を伺った。
早朝、地震があった。震度3との事。そこから311の時に話になり、やはり、ライフラインが途絶した事により「水」の確保に難儀したとの事。そうまでの犠牲者は460名くらいとの事。「そうま」で、若い方がやってきて、私と話が会い、陰謀論や今後の事態推移を話し合った。その方は、これからが大変になる!と。今は仮設住宅、義捐金、保障、ボランテイア・・・などで気が紛れるが、2年以降になると、現実的なものが迫ってくる。阪神淡路大震災でも、2年以降に孤独死という中高年の自殺が急増した。311の場合、規模も範囲も桁違いであるがゆえに、とんでもないことになると思う。このことは、岩手県の大船渡の老人からも言われていたこと。政府、マスコミは隠蔽しようと動くことになるでしょうね。

7時過ぎ、「道の駅 そうま」を出発。
12時前に「道の駅 南相馬」に着く。南相馬市。24時間テレビのイベントがあるようだ。多くの人でにぎわっている。なんか、場違いな感じの私。何かが変。気持ち的に浮いている。放射能に侵されながら生きている人々。

ここでも悲惨な話を伺った。
じっちゃん、ばっちゃんを助けに孫が車で向かった。じっちゃん、ばっちゃん共々津波にのまれた。助けに行かなければ、孫は一生後悔する事になる。しかし、助けに行ったことで、一緒になくなった。残された人たちは悔やむに悔やめない心持。どちらを選択しても、残された人々の心には大きな傷を残す。
311の震災、津波によって家族を、知人、友人を失った人々。悲しくも切ない話が多く残されている。生き残った人たちの心に大きな傷を、ケロイドのような傷を残している。311が人工的に起こされたものか、自然的な災害なのかは別にして、実際に起きた自称により、多くの、まさしく、多くの人を失い、遺された人々の心に傷を残す。一時、現実から目を背ける事が出来、心紛らわす事が出来ても現実は変わらない!厳しい現実。
311に断ち切られた未来。
本来のタイムラインはどのようにして変更されたのでしょうか!?無数にあるタイムライン。震災がなく、いつものように迎える未来を生きる現実。より厳しい現実を迎えている世界もあることだろう。それぞれの魂が、それぞれの世界を命いっぱい生きている。いつの日か、すべての魂が集まるとき、大きな世界が待っているのだろうか!?

今日は8月26日。大阪を7月26日に出てちょうど一月になる。
生きている。世情は熱中症の人が多く出ているようだ。私は、休み休みながらも炎天下の元歩き回っている。熱中症とは少し距離を置いているようだ。やはり、体が変化してきているのだろうか!?遺伝子的に覚醒が始まっているのならば嬉しいことだが、単なる錯覚の場合もあるしね。まあ〜どちらでもよいが、抗放射能遺伝子等の眠っている遺伝子が目覚めてくれれば、私だけではなく、私の魂の同胞にも大きな良き影響を与えることが出来るのだが・・・。私は、私の力だけで生きているのではないということを思い知らされている。みんなが助けてくれるからこそ、今というときを十分生きる事が出来ている。

8月27日
世の中には凄い人は多いと思う。
自身の小さな世界の中に留まって、外の世界を知らずして、能書きをたれている。「井の中の蛙大海を知らず」。今のような生活を続けていると、多くの偉大な人と出会う。
7時頃「道の駅 南相馬」を出発。6号線は南相馬市の先から通行止め。飯館村に向かうべく12号を目指す。途中、地元の人から教えられて、とことこと歩く。
暑いから飯舘村に向かう道に入る前に店により、スポーツドリンクとサンドイッチを買う。店のおばちゃんと話していると、店のおばちゃんが気を使ってくれて、サンドイッチを頂いた。飯舘村に通じる県道は思ったより交通量が多い。閑散としていると思った。
山越えの道。
暑い!暑い中、山道をてくてくと歩く。警察車両が幾度も通りすぎる。飯舘村では泥棒が横行しているという話。テクテク・・・トコトコ・・・途中でドリンクをごくごく。暑い!!!日暮れ頃飯舘村に入った。村は暗く、静まり返っている。しかし、村人全員が避難している訳ではない。明かりがつしている家もまばらだが存在している。耕耘機に乗った老人とであった。人が居なくなると植物が繁殖してくる。庭に、道に、コンクリートの隙間から植物が猛烈な勢いを見せ始めている。
暗い道を歩く。車の往来は激しい。
今夜の野宿先を物色しながら歩く。ちょうど、村役場を発見した。しかし、村役場の隣に仮設の警察庁舎が作られていた。体を拭くのにタオルを洗いたいが為に、警察庁舎に行きトイレを借りた。すると、警察は私の身元を聞き始めた。泥棒が横行しているから、私を不審人物と見ても仕方がない。しかしね、こそ泥が炎天下の中、汗だくになりながら山を越えてわざわざ村には来ないよ!・・・と、言っても仕方がないがね。警察も車に乗って巡回して私を視認しているから、なんか疑問を持っていたようだ。

若い警官が色々と質問してくる。
何の目的で、どこに行くのか!?私は、作為なく私の思いを述べた。若い警官の中には、私の思いに共鳴してくれる警官も居る。これまで、色々な年齢層の男性と話したが、その多くが共感してくれた。自分もしたいけれども出来ない行動です。「気持ちはわかる!しかし、俺には無理だ!」とね。一人一人が、其々の立場、環境に身を置き、多くの柵で縛られているのですからね。

飯舘村の仮設庁舎で荷物を調べられた。
私としては、別に調べられても痛くも痒くもない。警官たちが調べている間に、私は体を拭き着替えをした。荷物を調べている警官たちを無視し、警官他の頭はスイカかかぼちゃと考えていた。あたかも無人の荒野で着替えている感じです。荷物の中には不審なものがなく、無事終了。若い警官の中に「所持金は!?」と言う声を上げるものが居る。リーダー格の警官は黙って私を見ている。私は、そのリーダー格の警官に向かって「諸時期の調べるかね!?」と問うた。リーダー格の警官は黙っている。しばらく睨み合い。そこに車が来た。現在の飯舘村は物騒であり、どのような事件・事故に巻き込まれるか解らないから、次の目的地の川又まで送るとの事。所持金の件はあやふやになった。私はマンションを売って旅費を創ってきていると言う事を通告している。現金数百万円を見ると、若い警官も黙るでしょうが、大人気ないから黙っていた。その警官たちは他県からの応援の警官たち。避難地区では放射能を無視した泥棒行為が頻発しているらしい。地元の人も「火事場泥棒だ!」と言って居たが、私は「放射能泥棒」だと思った。

警察車両に乗って川の又の道の駅近くまで送ってもらった。私は、この行為を警官の好意と考えていた。後日聞いた所によると、このような場合は、近くの安全と思われる所まで移送しなければならない規則があるようだ。私はお人よしです。それでも、その時の警官の行動に感謝した。ありがたいことです。そして、警察車両を運転していた若い警官が、私の行為に共感してくれている警官だった。現在の状況を考えて、「お体には十分気をつけてください」と労ってくれた。

川の又の道の駅に着き、汗で汚れている衣服を水洗いし、干してから近くのコンビニに行きアルコールと食料を調達した。
夜中、パトカーが遣ってきて、私が駅に居るかを確認し去っていった。かの連中が確認しに来たのでしょう。この事自体、私にとっては嬉しい出来事に感じた。

8月28日
「道の駅 川の又」で目覚める。
8時前に福島市に向けて歩き始める。山道である。しかし、岩手のような急な坂道ではなく、だらだらとしたのぼり道。道をカブトムシが横切っている。長閑な地域である。それでも汗だくにはなる。汗を出しながら、水を補給しながら、とぼとぼと歩く。歩きに歩き、福島市にたどり着く。

どうしようか・・・!?考えている。福島市内のスーパーマーケットのベンチで休みながら。高校生と思われる男性に、「一番近い駅はどこか!?」と尋ねると、「福島駅」との答えが返ってきた。福島駅に行く道順を聞くと、4号線と言うキーワードが還ってきた。「道の駅 安達」も4号線沿いにある。電車を使って一気にいわき市まで行くか!?それとも・・・。6号線が通行止めになり、警察車両が頻繁に行き来している。又、あのような不愉快な思いはしたくないからね。若い警官の話では、不審な者は職務質問をされるとの事。う〜ん!?周囲から見ると、私は360度、どこから見ても不審者ですからね。
しばらく進みながら考えていても、考えが纏まらずそのまま4号線に向かって歩き出した。
4号線。
歩いていると、福島駅の方向には向かわず、「道の駅 安達」に向かってまっすぐに歩いている。目指すは「安達」。

歩く・・・歩く・・・ひたすら歩く。
そういえば、今日食事を取っていない。水分のみを補給している。岩手から気づいていたが、気力が増しているようだ。気の鎧を纏っているように、肉体的な欲求が低くなっている。

歩く・・・歩く・・・歩く・・・。ひたすら歩く。暑い・・・暑い・・・暑い・・・。近頃は、歩くと言う行為に何も疑問を持たなくなっている。とにかく歩く。昔の旅人の如く、歩いての旅。途中、郵便配達の局員さんに道を尋ねる。郵便局員さんは、「歩いて!?」と、しばらく私を見つめていたが、「途中坂道になっているからきついよ!?」と。それでも2時間ぐらいで着くでしょう・・・と。その時の時間は16時10分ごろ。私はお礼を言って、再び歩き始める。坂道は岩手で経験しているし、道そのものは岩手県に比べて非常に優しい道。私は歩く・・・歩く・・・歩く・・・。暑い・・・暑い・・・暑い・・・。水分を補給しながら歩く。休みながら歩く。
途中高校生と思われる男性が自転車を漕いでやって来た。私は、「この坂道はどのくらい続くの!?」と聞くと、男性は、「まだまだ続くよ。あの見える信号機のあたりから、又、きつくなる。どこまで行くのですか!?」。私は「道の駅 安達」までと答えると、男性は目を見張って、まだまだ遠いですよ。がんばってくださいと言い残し去っていった。

私は歩く。
暑い!暑いけど歩く。暗くなってきた。4号線を走る車も点灯している。交通量が多い。トラック、乗用車、警察車両・・・。

足が痛い。リックのベルトが肩に食い込む。・・・疲れた。
私は歩く。ひたすら歩く。暗闇が押し迫ってくる。疲れた・・・足が痛い、足が重い・・・休みたい・・・横になりたい・・・。どこまで歩いても「道の駅 安達」の看板は見えない。車のライトだけが唯一の光となった。歩く・・・歩く・・・ひたすら歩く・・・。闇の道をひたすら歩く。途中、どうでもよくなりかけて、道端に横になりたい衝動を感じた。今、横になると、おそらく起き上がることは難しくなるだろう。注意力も散漫になってきている。途中、道路標識に気をとられ、荷物の台車の取っ手から手を離していることに気がつかなかった。私は、ハッとして振り返ると、台車はごろごろと坂道を下り始めている。交通量が多い道です。たまたま、私が居た辺りはガードレールがあり、そこで台車は止まった。これが、ガードレールがない道ならば、大きな事故に繋がっていた事でしょうね。私は、自身の注意力不足と、へたれを恥じた。

再び歩き出す。
歩く・・・歩く・・・歩く・・・。暗闇の中を車のライトを唯一の光として道を歩む。疲れた・・・足が痛い・・・。色々な思いがよぎる。このような時は、ネガテイブな思いに包まれるものです。色々な思いがよぎる。一つ一つが被害妄想的な思いに変わる。

ひとつひとつの思いに「ちくしょう〜」「くそったれ〜」と悪態をつきながら、一歩、又、一歩と歩む。
「飯舘村のあの警察官の態度は何だ!?私は、警察に野宿の許可を求めているのではなく、ただ、野宿することを通告しただけだ!人をこそ泥扱いするな!?」
(放浪者よ、お前はどこから見ても不審者じゃよ)
「川の又の駅のあの野郎は何だ!ただ、時間を聞いただけではないか!何だ、あの答え方は・・・!?」
「何だ、あの女の目つきは・・・!」
・・・等々。
エンドレスの被害妄想は続く。

・・・しかし、やっと、「道の駅 安達」の案内板が見えた!あと2km。やった・・・。希望の光!!!一歩、一歩の歩みに力がはいる。暗闇の中、車のライトの光を頼りに、一歩、一歩と進む。前方にネオンが見えてきた。このような時は、どのような光でも、心が温かくなるものです。けばけばしい光でも、暗闇の中を歩いていると、なんとも頼もしげに感じるものです。ネオンを目指して一歩、一歩徒歩を進める。

まだ着かない・・・まだ見えない・・・またぞろ、ネガテイブな思いが湧き上がって来た。被害妄想が始まる。
「あの道路標識はなんだったんだ!」
「2kmとは、20kmの間違いではないのか!」
「ちくしょう、くそったれ・・・足が痛い、疲れた」
・・・等々。
なんとも情けないものです。
それでも、私は歩く。一歩、一歩徒歩を進める。

やっと・・・「道の駅 安達」の看板が見えた。今度は距離表示がない!目の前だ!やった・・・!しばらく歩くと、進入路が見えた。多くの車が止まっている駐車場が見えてきた。嬉しい・・・が、私の体は急激な動きが出来ない状態になっている。ただただ、一歩、一歩と歩んでゆくしかない。しかし、少し前のような心理状態ではない。目の前に広がる駐車場、その向こうに見える建物、コンビニ。走り出したい気持ちを抑え、ただひたすら歩む。
やっと・・・着いた。
私は荷物を置きトイレへ。
まず、タオルをしっかりと洗う。そして多目的トイレか洋式トイレへ。トイレの中でしっかりと体を拭き、着替える。この時の気持ち良さ。幾度も経験しているが、やっぱり気持ちよいものです。時に、今日はトンデモな歩き旅だったから余計です。
すっきりとしてトイレを出てタオルを良く洗う。そして顔を荒い、足の裏をしっかりと拭く。足の裏は豆だらけ。疼いている。足の甲、指の間をしっかりと拭く。
トイレを出てからしばらく休息。この場がどのような雰囲気(波動)なのかを感じる。なかなかのんびりしているようだ。
しばらく休息をとった後コンビニへ。コンビニで時計を見ると21時過ぎ。5時間近くかかっているようだ。疲れと共に、牛歩の歩みがドンがめの歩みになっているのでしょうね。このことにも気づかずに、自身の思いに振りまわされてきている悲しさ・・・!?
コンビニでビールと弁当を買い、ベンチで自身を祝った。今日の食事はこれが始めて。
ビールをごくごくと飲み、フウ〜とため息。極楽の気持ちです。歩いていた時のネガテイブな思いは吹き飛び、ポジテイブな思いに浸る。心とは現金なものです。体の状況、環境の状況に応じてころころと変わる。
無職の放浪ゆえに、明日のストレスがない。今を生きている。今日を生きている。
「道の駅 安達」では、夜間も休憩所が開放されている。藪かに悩まされることなく、ゆっくりと休める。ありがたいことです。しばらくここに滞在し、足の疲れを取りたい。


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