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爺放談


 ■ 2014/08/15 (金) もしかして、ビルゲイツもこんな人?


私は人生において「運」という物を無いとは言わないがそれほど重要だとも思っていない。

しかし私のこれまでの人生の中で「この人は?」と言う人物がいる。

以後「この人」をAさんと言う事にします。

このAさんとは仕事上でのお付き合いで、それがきっかけでプライベートでもお付き合いをするようになった。

Aさんと知り合った時は、それはそれはまだ小さな小さなとある不動産屋の従業員に過ぎない人であった。

その不動産屋にはまだ私がサラリーマン時代に扱っていた商品を導入してくれていたので時々顔を出すぐらいのお付き合いだったのが、それがきっかけでAさんと喋る様になり、当時の私は「麻雀」が好きで、Aさんも出来るという事なので時々一緒に卓を囲む仲となった。

私は「麻雀」にはそれなりの経験とそれなりの自負があり、大抵の人と打ってもある程度は勝てる自信がある。

しかし、そんな私もAさんにはなかなか勝てなかった。

Aさんは麻雀そのものはそんなに上手くはないのだが何しろ神がかった上りと、神がかった引きを幾度も見せつけられたのだ。

それまでの私は「麻雀」はやはり「確率」が全てで、一時は確率外の事があっても長く打てば必ず、確率通りに打てば最後は勝つと思っていたがAさんと関わってからは「麻雀」は確率では無い!と思うようになったほどだった。

そんな関係がしばらく続いたある日、その不動屋さんの社長が大病を患って入院をした。

私は仕事の関係上放っておく訳にもいかず、何度かお見舞いにも行ったが社長の病気は思いのほか重症で、入院生活が長引きそうな気配だった。

そしてとうとう社長業としての復帰は断念し、社長が持つ不動産業の一切の全てを譲る決心をしたのだった。

社長は早くに奥さんを亡くしており、しかもその間にはお子さんが一人も無く、しかも親戚筋も一切の縁を切っていたのだった。

当時、社長が持つ不動産業にはAさんを含む3名の従業員がいた。

その内のもう一人、Bさんと言う従業員とはほとんど同期の関係であった。

ただこの二人は性格が全くの正反対でこの二人の間柄はお世辞にも仲がいいという訳ではなかった。

後の一人はこの二人よりもずいぶん後に入った従業員だから問題外なのだが、AさんとBさんにとってはこの社長の決断はどういう展開になるかが気になって仕様が無かっただろう。

特にBさんは性格が非常に真面目で、不動産屋の従業員にしては珍しく「常識人」という風情の人で、仕事もかなりテキパキとこなすタイプであっただけに社長の恩恵をかなり期待はしていた。

それに比べてAさんは内心はどう思っているかは分からないがそんな状況でも何時もと相変わらず飄々とした風情で仕事をいつも通りこなしていた。

この様な3人だから残されたもう一人の従業員は当然Bさんが次期社長となると思っていたし私もかなりの確率でBさんが次期社長になると思っていた。

しかし大方の予想を裏切り。次期社長はAさんに決まった。

しかも、先代は一切の条件も無くその全ての権利をAさんに無償で譲ったのだ。

これはBさんもただ事では無かった。

ただ次期社長レースに負けただけならまだしもその全ての権利を只で、本当に全てを只で譲り受けたのだ。

これは流石にBさんはこたえた。

しかしどんなにあがこうがもうどうにもならない事でBさんは会社を辞める決心をしたが奥さんに強く引き止められ、どうにか会社は辞めずに済んだ。

それともう一つBさんが会社を辞めなかった理由があった、私はこれが辞めなかった本当の理由だと思うが、Aさんは社長になった時に一番の懸念としてBさんが辞めるのではないか?と言う事がAさんにとって一番不安材料だった。

Aさんはこの会社にとってBさんの力はかなり認めていた。

確かに従業員だった時は正反対な性格だったため仲はそれほど良くはなかったのだが、しかし仕事上ではBさんの実力は認めていたのだ。

だからAさんは社長就任したその時に平身低頭でBさんのその力をこの会社に貸してくれるよう頭を下げたのだ。

だからAさんは社長になってもBさんとの関係は一切変えることなく接した、そこがBさんには一番辞めない理由になったと思う。

今にして思えば、前社長がAさんに後を継がせたのもこの様な気配りが出来る所を見抜いてそうしたのかもしれない。

それからはこの会社はAさんとBさんとあと一人、3人でこの不動産屋を営んでいった。

Aさんが引き継いだこの不動産屋は「賃貸」専門の不動産屋で、多くの大家からの委託で成り立っていた。

たまに建売物件の委託販売も請け負っていたが基本的には中間業だ。

Aさんは私にいつも言っていた。

「早く自社物件を抱えた不動産業になりたい・・・」と

不動産業は自社物件を持つ事が危険度はあるが一番儲けれる。

自社物件が有ればそれを元手に転がすこともできるし会社を大きくするもこれが無ければほとんど無理だ。

賃貸業ではたかが知れている、大きく儲けるには自社物件に限るのだ。

Aさんの会社はその時では自社物件に手を出せるほどの体力はなかった。

しかし一つだけ自社物件が有ったのだが、それはほとんどゴミ物件で手放したくとも誰も買い手が見つからない会社にとってはお荷物でしかない物件であった。

Aさんはこの物件を持っているだけで税金を払わねばならない、金を生むどころか金を吸い取られる本当にお荷物でしかない物件で頭を悩ませていた。

そんな時、Aさんが社長に就任してまだ間もないころ、Aさんにとって大きな転機となる事が起こった。

なんと、そのゴミ物件が自治体の都市計画にドンピシャではまったのだった。

ただのゴミでしかなかったこの土地が、なんと評価額の十倍以上の額で自治体が引き取ってくれたのだ。

この時のAさんの嬉しがりようは今も鮮明に私は記憶している。

そして驚きはその後も続く。

Aさんはそのゴミ物件で得た資金を投入して念願の自社物件を手に入れるのだが、漫画の様な話だがそのとき購入した物件がまた都市計画に入ったのだ。

確かにここの自治体が都市計画を実行している事は明らかである程度の必然性はあったがそれにしてもこんな弱小不動産屋が引き当てるなど宝くじに当たるようなものだ。

Aさんは連続して得たこの資金をまた更に投資を続けた。

確実に自治体が買い上げてくれる物件を担保にこれまで全く振り向いてもくれなかった銀行もAさんに相当な額まで融通し始めた。

その後もAさんが持った自社物件はとんとん拍子に売れて行った。

Aさんが社長に就任してしばらくたった時、この弱小不動産屋は、前社長が長年全くできなかった自社物件を持つ不動産屋に、たった2〜3年でこの地域では優良な不動産屋ではなく立派な不動産業として成り立っていた。

突然話は変わるがAさんには奥さんと一人娘が居た。

その時はまだまだ小さい可愛い娘さんだった。

私がこのAさんの会社に居る時、良く奥さんが娘を抱っこしてAさんに何か言伝を言いに来ていた。

私はその娘さんが可愛くて良く抱っこしたものだった。

Aさんが社長に就任してからは会社経営も順調に進み、大きなラッキーも手伝ってAさんの家庭もずいぶんと裕福になったのだろう。

Aさんの奥さんは少し目立ちたがり屋で、Aさんもその性分を良く私に愚痴っていた。

その日も私にいつもの様に奥さんの話で愚痴っていた。

その内容が「うちの家内が娘を芸能界に入れると言ってね〜」

私は別にお金が有るのだから良いのではないでしょうか!と言ったがAさんはあまり目立つことが好きではなかった。

しかし事「子育て」と言う分野はどこの家庭でも奥さんが主導権を握っている、Aさんの家庭も例外ではなく、結局Aさんの娘さんはあるプロダクションに預けられた。

それからしばらくして、ある程度の仕事は入ったみたいだがそのほとんどは子供服のチラシのモデルとか子供関係のチラシの仕事が主で、芸能界とはまるでかけ離れた仕事ばかりで奥さんも愚痴をこぼすようになった。

Aさんはそんな奥さんを横目に「何時か諦めてくれるだろう」ぐらいに思っていた。

しかしAさんの予想は外れていく。

奥さんは結構しぶとく娘が中学、高校となっても全く諦めなかった。

娘が中学生になった時に有る転機があった。

端役ではあるが映画の出演依頼が有ったのだ。

ここからが彼女の女優としてのプロ意識も芽生えてくる。

その後は急ではないがしかしコンスタントに女優としての仕事が舞い込んでくるようになったのだ。

しかしこの時もAさんは眉をしかめていたが彼女の本気度を見て何にも口は挟まなかった。

しかしAさんの期待は更に外れて彼女はどんどん銀幕に躍り出るようになった。

もうその時は彼女は立派な女優だった。

それからの彼女は飛ぶ鳥を落とす勢いで女優業へと邁進していく。

映画はさることながら舞台にTVにと大忙しの人気を勝ち取っていく。

その後はもうチャラチャラして映画だけでなく、文芸大作やヒューマンストーリーやそれよりも大抜擢はNHK大河の主役まで務め、もう押しも押されぬ大女優とまで登り詰めたのだ。


私はもう既にAさんとはお付き合いが無い、私がサラリーマンを辞め、独立してからという物Aさんとは会う事もそうは無かったからだ。

私の人生の中で、このAさんとの出会いは本当に感慨深いものであった。

しかもまさか私が抱っこした子供がこんな事になるなんて夢にも思わないだろう。

Aさんを見ていると、本当に努力を超えた何かが有ると思わざるを得ない。

私のこれまでの人生としての教訓は「努力」以外何も無く、「運」とは努力をしてきた人にだけ向くものだと理解してきた。

もちろんAさんが努力をしてこなかったとは言わないがお世辞にも人一倍の努力をしてきたとは思えない。

誰もが普通にしている努力だがそれにしてはAさんに舞い降りた「運」は人が掴む「運」の範囲を超えたものであった。


Aさんを見ていた時、あまりにとんとん拍子に駆け登っていく様をこの目で見て、「麻雀」での強運や仕事の強運、家族の強運、なにか「努力」がバカバカしく思えるほどと言うか、何か能天気なハッピーエンドのアメリカ映画を見ている様で・・・


世の中にはAさんを超えるようなもっと莫大な「強運」の持ち主が、生まれながらにして持っている人が居るのかもしれないと思うのだった・・・・
















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はいむるぶし 腐敗官僚さん そうなんですか!その映画は是非とも見てみたい!!!っていうか資産家はそこで生まれた事自体めっちゃラッキーだよね!^^ (14/08/16 23:24)
はいむるぶし 関東方面隊さん 軍隊では正に「運」はあるでしょうな〜!その意味では運で左右されない人生の方が幸せなのかも! (14/08/16 23:22)
はいむるぶし よんりんさん はじめまして〜!そうですね!仰る通りです!我々一般庶民には到底来る事の無いラッキーは努力でつかむしかないのですね! (14/08/16 23:20)
はいむるぶし まりあっち 私にお盆は一切ありませ〜ん、私にも休日と言うお恵みを〜〜〜! (14/08/16 23:18)
はいむるぶし 記入なしさん そうなんですよ!本当にすごい方だったですね! (14/08/16 23:17)
腐敗官僚 いや〜いい話ですよねw ”The Queen of Versailles”って映画を思い出しましたわw ちょうど明日から日本国内で封切られる映画ですので、ご覧になったら如何でしょうかw 伝統的な資産家というものはおカネの使い方には熟知されているのでこんな事にはならないでしょうけど。 (14/08/15 23:20)
関東方面隊 やはり 運はあります…よね 死んだ叔父貴もジイサマも軍隊に行ってたんですが よく軍隊じゃなくウン隊だと言っていたのを思い出しました (14/08/15 20:08)
よんりん おじゃまします。私も興味深く拝見致しました。世の中には類稀な強運に恵まれる方もいらっしゃるのですね。ここまでの強運では無いにしても、人生において幸運を引き寄せるには、それ相応の「努力」は不可欠ですし、一番大事な事だと思っております。 (14/08/15 10:23)
まりあ はいむるぶしさん、コメントありがとうございました。一連の件は無事解決できました。はいむるぶしさんにとって素敵なお盆となりますように。 (14/08/15 09:19)
記入なし 興味深く拝見しました すごい方がいるのですね (14/08/15 07:55)


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