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人生???


 ■ 2004/12/25 (土) 要旨(2)


だいぶ日が開きましたが連載第二回。
今読むと、自分で考えたことのような気がしないです。
自分以外のものの魂が、考えてくれたような気がします。

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 本論では、既に一定の文脈の内部にある意味を「文脈内的意味」、そしてそれを分節するものを「基層的分節」と呼び、『存在と時間』における世界内存在の理論について現存在という存在の仕方からくみ出される構造を理解しつつ、意味の生成について理解することを目指す。さしあたり、意味の体系は現存在の能動性に先立って成立しているが、このことは基層的分節が我々の能動性を超えた何かであることを暗示する。現存在を、そのような機制によって意味が見出される場として考えるなら、これは時間性の問題とは無縁なことではない。何故なら、意味の多様性、そしてまた我々自身の存在様態の多様性が明らかにされるのは、ある態度から別の態度へ我々自身が変更されたときだからである。
 本論ではこの観点から『存在と時間』において取り上げられた時間性の問題を取り上げるが、それに先立って、現存在にとっての死の意味を検討する。何故『存在と時間』のテクストで死が特権的な現存在の意味機制の契機として取り上げられているのかを検討することで、基層的分節に至るための一つの指標が与えられる。死は、社会的事実としての死や生物学的な単なる動物的な死と区別した上でなお自らのものと考えられるなら、それは現実的なものとしての死ではなく、あくまで可能性であることになる。純然たる可能性として取り出されることで、それは世界内部における事物として意味づけられることを拒むようになる。とするなら、死の可能性は世界内の事物との関連では意味づけられないことになる。だが、一方で、現存在にとって、死は避けられない可能性であり、そして他の可能性と異なって様々ではあり得ない。その意味で、死の可能性は現存在にとって固有であることになる。
 そのようなものである死との関わりを、道具的な世界像は把握することが出来ない。一方で、死との関わりが現存在にとって固有なものであり、なおかつ、そうであることによって現存在の諸可能性が死の可能性を基点として意味づけられ、そのことによって現存在の全体性が成立する。死の可能性と現存在の全体性はこの限りで等価なものとされるが、重要なことは、『存在と時間』における死が、死ぬことそのものではなく、あくまでも可能性であることであろう。そうした可能性によって現存在は自らがその内にある諸可能性を束ねていることの意味は、最終的にそれらが死との関連で意味づけられていることであるが、しかし、諸可能性を束ねる「私」の死そのものは世界内の事象ではないである。
 以上のように考えることで、現存在の諸可能性の統一が可能であることは明らかであるが、しかし、何故多様性そのものが可能になっているのかについては、何ら明かされていない。現存在は、そうした多様性が常に可能であるように存在しており、なおかつ、その受動性の範疇において自らの存在を了解している。前者の受動性を被投性と、後者の能動性を企投と術語化される。意味の分節の起源探究は、従ってこの両者の間の往還的な関係を考えることになる。
 『存在と時間』で展開された現存在の時間性の議論における到来や既在という術語もこうした企投と被投性との関連で理解可能である。企投は決して世界内的なものとしては実現しない「私」の死へと関わる契機であり、到来に深く関わる。そして被投性は、時間的に捉えられるなら、現存在に既に既に意味の地平が開示されているという先行性を現す。そして、現在に対応する瞬視は、この二つの契機が相互に関係するその場である。それは単に事物が今目の前に展開しているという意味での現前/現在ではなく、そうした事物が総じて意味を持ったものとして了解され存在するという出来事が生成することであり、世界内における文脈を総合的、全体的に意味づける性格を持つ。この既在、到来、瞬視の三肢構造によって現存在に対して現われる意味が生成されることが示される。


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以上。
次回掲載分からが正念場の部分です。


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4と5 何度もすみません。ぺけぽむさん、今年前半は、哲学スレッドでは有難うございました。ぺけぽむさんも大変なときに、真摯に回答して頂き、うれしかったです…本当に。当方、おかげさまで鬱はよくなってきています。減薬も始まって、なんとか生きていけそうです。…来年がよい年になりますよう、心から祈念しています。 (04/12/31 22:58)
4と5 「自分以外のものの魂が、考えてくれたような…」…すごいですね。いい作品を描いたときの画家のことばのようでもありますし…。私もそんなふうに書けたら。 (04/12/27 22:44)
すえっこ むつかしーーーーーーーー (04/12/27 22:08)
幸運を祈る う〜凄いです。自分には書けないですよ。 (04/12/26 01:41)


 ■ 2004/12/14 (火) 論文脱稿


昨日付けで学校の事務に論文(&論文要旨)を提出。
一部事務手続きでヒヤッとする場面もありましたが、無事にクリア。

結局論文本体だけで原稿用紙換算175枚になりました。予定より結構増えた。
中身は…まあ、自分で言っても仕方ないです。結局読み手の審判に任せるしかないので。

というわけで、書き終わってしまった今、とても暇です。
虚脱感に襲われていると言うか、なんか文章を書いてないと不安になります。

この状態をキープすれば作家になれるのか? (そんな甘くネーだろ)

論文要旨をここに張るぞ! とか前に言いましたが、
原稿用紙で10枚あるものをここに張るのは暴力に近いのではないかとおもうわけで、
といって自分で新たにサイトを作るのもどうかと。
コンテンツは自分の修士論文だけになるので、それ自体もはや却下ですね。だれがそんな地味なサイトみるっちゅーねん。

10枚を2,3枚にさらに縮められたら一挙掲載できるかな…。
それとも大まかに段落ごとに切って連載化すればいいか?
うんそうだそうしよう。

なので第一回。千字ちょっとです。多分後三回で連載終了。
(一応書いておくと、この要旨並びにその本論の学術的な正当性と価値は、この日記を執筆した現在、いずれの研究機関や研究者によっても保障されておりません。よって、引用・信用・盗用などして書かれた論文の価値が下がったり、赤っ恥をかく羽目になったとしても当方はそのリスクと結果には関知しません。ぶっちゃけ審査にまだ通ってないってことです。)
(誰も名乗りをあげないと思いますが、出版したいという方は一応ご連絡を。ただし大して売れないと思います)

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 意味と時間性の問題を考察すると銘たれた本論は、『存在と時間』のテクストにおける了解と時間性の問題を中心にしている。
 意味を考察するといっても、ある物が有する意味は、我々自身がそのものに相対するときに身を置いている文脈に拘束され、その中で形成されている。そうした文脈を一切離れたものとしての意味を見出すことは出来ないし、在る文脈から身を引き離すことはまた別の文脈に身を置くことである。我々を直ちに取り巻いているものから別のものに転ずれば、我々自身もまたそうした文脈の中で、自己を理解している。この文脈の中に身を置くという仕方から自らに関する理解と、自らに伴われて存在する諸事物の意味を等根源的に引き出している。「今自分は文章を書いている」という自己理解は、確かにペンのペンとしての意味を証すが、しかしそれを支える自己理解は、結局今まさにそうして見出されているペンもふくめた多数のものどもに支えられてもいる。いずれにしても、道具の使用は、その主体と客体を同時に形成する。その限りで、世界内存在の機制は、他者との対比的な意味での「私」という主語を含んだ構文によって、道具の使用、つまり行動を記述する基礎をも与える。「私」が日常性の内部の諸可能性を、「私」を焦点として束ねることが現に成立していることは、しかし単なる有用性によっては理解されない。我々の生活を改めて見直せば、我々の生活が有用性を軸にして意味形成されていることが理解できる。その意味では、我々は有用性によって定義されたものどもに満たされた世界に身を置くことで自らの意味を理解しているといえないことはない。眼前のものの意味が我々の意味を形成しており、そして眼前のものの意味は我々の自己理解から形成されている。なおかつ、そのようにして有意味である個々の事物や事柄は相互に指示しあい、その相互連関によって世界は閉じた意味の連関を形成する。生活はそうした意味の体系が既に成り立っている限りで成立している。その連関の中で意味の基礎付けを求めようとしても、最終的には閉じた世界の内部での彷徨にならざるを得ない。世界が有用性によって基礎付けられているとしても、その有用性という指標を最初に与えたものは何であるのかということは、有用性を基準にしては語られえない。現存在の存在が全体としてなんであるかという全体性は、有用性を基準としては語られえない。有用性は世界内部のものどもの相互連関の規定でしかなく、現存在そのものの存在は我々にとっての有用性そのものとは何ら関係が無いことだからである。

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こんな感じです。原文からそのまま転載したせいもありますが、画面では我ながら読みにくいことこの上ないです。こんなのを読まされる教官の先生方の苦労を思うととても足を向けて寝られません。


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ぺけぽむ ご声援、ありがとうございます。もうしばらくこんな感じで要旨を連載するつもりですが、今日になって画面を自分で見直してがっくり。やっぱり読みにくいですねぇ…。 (04/12/15 10:56)
幸運を祈る 論文お疲れ様でした。自分には絶対書けませんですよ。 (04/12/14 20:38)
4と5 論文脱稿おめでとうございます!お疲れさまでした。 (04/12/14 19:59)


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