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人生???


 ■ 2004/09/23 (木) 意味について(四)


と言うわけで、タイトルの変更と背景色その他をちょちょっと変更。気分しだいですね。
今回はやや本格的に、七月ごろにやっていた考察の続きです。うまく書ければ論文にフィードバックします。

さて、現在、私の論文は最初の折り返し点に差し掛かりました。

これまで考えてきた意味1は、この日記では道具的なものの有用性に関して述べられてきましたが、これは実際には「道具的」とはっきりとは意識されない事柄でも同じ構造が見られます。
例えば、日付の問題がそうですね。
「あの日は資格の試験があって、この日は就職の面接。歯医者の予約はこの日のほうがいいや」
みたいな感じで適切に日にちを選んで予定を立てます。同じ一日の中や、あるいは何年越しみたいな場合でも似たようなもんです。

とは言え、もっとミクロな場面に目を向けて見ましょう。
うーん、物騒な例しか思い浮かばないのですが、例えば、目の前に果物ナイフがありますよね。これは「刃物」で、特に果物を切るのに便利な奴です。だから、果物ナイフの「意味」は「果物を良く切れること」にあるわけです。肥後の守でりんごの皮を向けないことはないでしょうが、果物ナイフのほうが便利でしょう。
で、二時間ドラマによくあるように、目の前の奴が突然こちらの殺意を引き起こすような言動をとったとしますね。私は実際に殺さないまでも「殺ス!」と思うわけです。そのときには、果物ナイフは「殺人ナイフ」になる可能性をもったわけです。

出来事のつながりをみれば、果物ナイフが殺人ナイフに変身したのは目の前の奴の不埒な言動が原因なわけですが、しかし、同じものがどうして別なものに変わってしまったのかと言えば、
「突くもの、切るもの」としての刃物の「意味」のあらかたの部分を知っていたからにほかならない。つまり、刃物の使い方を不完全にでも知っている人は、刃物ならどんなものでも人を刺せば大変なことになるのがわかるはずですよね。
ですが、この知っていたということの中身が本当だったことが立証されるのは、まさに「果物ナイフ」が「殺人ナイフ」に切り替わった瞬間、つまりその気になってぶっすり刺した瞬間です。

この、「瞬間」といやつが鍵です。時間を単に流れるものと見ただけでは、なぜ実現していない可能性や「意味」が我々にとって意識されたり実現したりするのかということがわからない。
時間とは、むしろ、こうした目に見えない蓄積を伴っているものではないかと。
いや、正確には、時間とはこうした蓄積そのものなのかもしれない、とこそ思われるのです。


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ぺけぽむ 関連ありますね。うーん、例えば、昨日見た空の青さの美しさを説明するとしますよね。その「青さ」を美しいと思ったのは、それを見た人がそれまで経験してきたことの中の、空の色に関係するところを思い出して「きれいな青い空」がという感想が出て来ると思えますよね。ただ、空の色ばかりを記憶の中で比較して「綺麗」と言っているのではなくて、思い切り泣きはらした後の空の綺麗さや、思い切り失恋したあとの秋の晴れ空の美しさというものもある。これは「泣いた」「フラれた」という経験が「綺麗」という意味を与えた、ということになりますよね。特別な経験に関連付けられて見出されたから、「綺麗」だと(この説自信なし)。そんなときの「綺麗」を後日に説明しようとすると、おそらくは空の色以外のことをいろいろ語らなくちゃいけない。ただ、その「青さ」を見た瞬間は、どんな言葉も間に合わない速さで「ああ綺麗だ」となっているわけです。(この言葉のもどかしさを逆手とるところに身上を賭けるのが作家や詩人と呼ばれる人たちなのでしょう。)まとめると、経験には経験した人の過去の全てが結びついていて、時間が過ぎることはその経験が生成され、次の新たな経験と結びつくものとして蓄えられていくこと。…うーむ。大人の少年さんに近づけていくとこんな感じになると思うですが… やっぱり、自分で読み返してもわかりにくいです。 (04/09/24 14:25)
大人の少年 ちょっと意味が違うかもしれないけど、昨日の出来事を正確に説明するのに今日一日かかる。つまり昨日の出来事を仮に5分で説明してしまえば残りの23時間55分は、省かれているって事になる。・・・ちょっと違うかな・・? (04/09/23 21:47)
幸運を祈る 論文頑張ってください。 (04/09/23 21:44)


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