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ボロクソ駄目日記


 ■ 2004/10/12 (火) 日本のパンクシーン第一章1970〜81


日本のパンクシーンについて自分なりの見方で書いていく、尚この日記内に書かれているバンドの中には自分が聞いたことのないバンドが混ざってあることがありますが、そこはご了承ください、日本のパンクシーンは海外のパンクシーンの中では一番古いと思われ1969年に誕生した頭脳警察が発端だと思われる、日劇ウェスタンカーニーバルでのマスターペンション事件等の破天荒なパフォーマンスや「やけっぱちのルンバ」等における反抗的な歌詞は充分パンクと呼べるだろう、1970年前半に入ると外道(加納秀人G&Vo、中野良一Dr&Vo、青木正行Ba&Vo{現在は脱退中})が登場し、暴走族を使ったレースライブを行うなどして世間への注目を集めた、1970年代後半には「リザード」「ワーストノイズ{ジュネのAUTOーMOD前結成のサイケデリックパンク}」、「スタークラブ」、「ミラーズ」、「フリクション」が登場、80年代に入ると遠藤ミチロウ率いる「スターリン」町田長蔵率いる「INU(イヌ)」、国鉄服に身を包んだ「アナーキー」、ディスチャージから引き継いだ汚い、怖い、うるさいの三大イメージを備えたが、「ラフィン・ノーズ」が登場、遠藤ミチロウはスターリン結成当時は30歳でライブで客の尺八行為や豚の臓物を客席に向かって投げるなど派手なパフォーマンスを展開したり、アナーキーは硬派なイメージで当時の不良少年達にパンクを浸透させていき、ラフィンノーズはインディーズでの自主企画を展開すると共に個々のスタイルを維持していきながらも抜群のパンクスピリッツを発揮した、町田は凶暴性とも言える存在感でライブにおいては暴力的なエネルギーを発生させていた、ちなみにスターリンとINUの町田長蔵は映画「爆裂都市に出演しており、町田氏は両親の復讐を誓うキチガイ兄弟の弟役として、スターリンはマッドスターリンとして登場しているので機会があったら見てみるのもいいだろう、またコノ頃からパンクから発生したカルチャーの、ハードコアやニューウィブ、Oiパンク、ニューウォイブから発生したポジティブパンクがイギリスから日本へと輸入された影響もあってか、日本初のハードコアバンド「チフス」、ポジティブパンクからは「AUTO-MOD」、ニューウィブから「p−モデル」、Oiパンクからは「CBURA」が登場し、インディーズという自習製作や自主企画をベースとして活動していき、これらの働きが後のブームと化していく事となる、【第二章に続く】



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 P-MODEL懐かしい。はげてるひといたね (04/10/13 17:43)
511 ゴメン、ラフィンノーズしか知りません。 (04/10/13 01:42)
幸運を祈る 餓鬼さんは本当に詳しいですね。感心いたします。 (04/10/12 18:46)


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