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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2016/10/07 (金) 言葉と感性と民族性と土地


河合隼雄 著 「日本人の心を解く」より引用

・完成美と完全美

ユングは、倫理的な次元における「完成」と「完全」の区別について指摘している。よく知られているように、ユングは悪の問題に関心を持っていた。この世における悪の存在を我々はどのように説明できるであろうか。
この問題に取り組もうと試みているうちに、ユングは「完成」(perfection)と「完全」という考えに至り、それを男性原理と女性原理の違いと関連付けた。

「完成」は男性的に望まれるのに対して、女性はその本能からして「完全」を求める。
そして、今日においてさえ男性のほうが女性に比べて相対的に完成した状態によりよく、また、より長くとどまることが出来るのに対して、それは、一般的に女性には適合せず、それどころか女性にとって危険でさえあるかもしれない。もしも、女性が完成を目指すならば、それと相補的な関係にある完全性の役割を忘れることになる。

完全性は、それ自体が未完成なものであるけれども、完成性にとって必要な対をなしているのである。なぜならば、完全性が常に未完成であるように、完成性は常に不完全であり、したがって、絶望的に不毛な最終手状態を表すからである。

「完成からは何も生じてこない」
と古の師匠たちが言ったのに対して、未完成なものは、それ自体の内に向上する芽を持っている。
完璧主義は常に袋小路に至るのに対して、完全性それ自体には選択的な価値が欠けている。

・・・・・略

ユングが一方を他方より価値があるとみなしていないのは注目に値する。
「完全性が常に未完成であるように、完成性は常に未完全である」

引用終わり。

男性原理と女性原理。
互いに相補的な役割を持つ。視線を変えて、現代の社会を見てみると、男女平等、女性の社会参画・・・等々、声高に叫ばれている。
本当にこれでいいのか!?
陰謀論的には、昔「レディーファースト」は意図的に造られてものだという事が言われている。
価値観の相違は当たり前。性差の相違も当たり前。
お互いが相補的な役割を持つのに、やたら女性に「完成性」を求めているのではなかろうか。おかしな社会と思わざるを得ないが、このような社会にしたい勢力がいるのでしょうね。社会機構、国の姿がおかしな状態になっているのではなかろうか。男女平等という考えは賛同するが、現在の政府の動きには危ういものがあると思わざるを得ない。

だからと言って、私には大きな問題であり、そう簡単に私の考えを出すことはできない。
一人ひとりが、その置かれた立場、環境の中で考えるべき命題ではなかろうか。

雑談でもよしが・・・のスレッドに、このようなことをメモした。
コピー

待機児童問題がある。ネットへの書き込みが大きな問題化しているようだ。政治家は待機児童を無くそうと動いている。(この問題も 正 → 反 → 合 に思えてならないが・・・)

それでいいの!?「三つ子の魂百まで」といわれる。私は三歳までは、母親の元でしっかりと愛情を受けて育てるようにしなければならないのではないかと考えている。それが、トラベル、グルメ、家のローン、車のローン、将来の子供の教育費のために・・・等々、色々な理由がつけられて両親が働く。私の子供のときにも「かぎっ子」といわれ、共働きの世帯はあった。しかし、今と違って子供たちのつながり、大人の意識が違っていたのではないか。携帯やコンピュータゲームもない時代だからね。子供は国の宝といわれる。今の子供たちが将来の社会を担ってゆく。その子供たちをどのような人間の育てたいのかね!?置かれた立場・環境で、一人ひとりが考えなければならない大事なことに思えるのだがね。no.8871 ( やまと16/09/03 08:45 )

コピー終わり。

男性原理と女性原理。社会機構の変化。男女平等の掛け声の下の女性の男性化を狙っているのか。人として平等でも、性差はある。西洋のシステムをそのまま持ってくるのはいささかおかしなことであると思うがね。

日本は女性原理の国と言われる。争いばかりを繰り返す社会に女性のトップが来ると収まる。卑弥呼のことを言っているが、あながちまともな事なのかもしれないね。天皇が女性になればいいのか!?その兆しもある。現在の天皇の生前退位のお気持ち。天皇は神主の元締めだからね。

目には見えない世界に大きな動きが起きているのではなかろうか。


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やまと 夜曲さん 男性と女性は異なる生き物だとかんじます。だからこそ、お互いを必要としている。コメントありがとうございます。 (16/10/08 05:52)
夜曲 霊訓で、王がその冠を妃にかぶせ二人で立つという描写を思い出しました、争いを繰り返してきた父性社会、歴史は父性なるものの剣の強さをやっぱり半端に必要としてたのかもしれないけど、そろそろ女性が優位にたつ時代への変遷が来てますね。 (16/10/08 02:02)


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