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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/10/04 (金) 日々雑感


久しぶりのネット環境。
先月は来ようとして来れなかった。下宿生活が居心地がよく、来よう来ようと考えて今日になってしまった。
昨年の今頃は日光の山を越えている時だ。昨年の日記を読むと懐かしい。何も恐れず歩いていたね。

大家さんは相変わらず気を遣ってくれる。ありがたいことです。
9月下旬に寝違えて右の首筋から肩が痛くて仕方がない。寝違え・・・放射能・・・右肺の異常・・・まあ〜どれでもいいけどね。

放射能
チェックしているモニタリングポストの値は変わらない。 

「除染しました」看板から転載 
8月26日
開成山公園 測定地上50cm
広場中央   除染前 2.06μSv/h → 現在 0.19μSv/h
幼児広場中央     2.46μSv/h →    0.35μSv/h
開拓者の群像前    2.70μSv/h →    0.27μSv/h
自由広場中央     2.21μSv/h →    0.34μSv/h
八角堂中央      2.42μSv/h →    0.18μSv/h
後方広場中央     2,73μSv/h →    0.18μSv/h

21世紀公園 測定地上50cm
除染前 2.07μSv/h → 現在 0.37μSv/h

麓山公園 測定地上50cm
水飲み場脇 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.46μSv/h
慰霊塔前      1.64μSv/h →    0.26μSv/h
正門階段上     1.64μSv/h →    0.39μSv/h

9月25日
21世紀記念公園
広場中央 除染前 2.07μSv/h → 現在 0.32μSv/h
       公益財団法人郡山市観光交流振興公社
(モールというショッピングセンター側から公園に入る入り口の看板に初めて除染、測定、掲示の責任所在が示されていた。私が見て回っている中ではこの看板だけに掲示されていた)

9月24日
麓山公園 測定地上50cm
水飲み場脇 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.46μSv/h
慰霊塔前      1.64μSv/h →    0.25μSv/h

開成山公園
9月24日
広場中央 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.19μSv/h
広場中央     2.45μSv/h →    0.34μSv/h
幼児広場中央   2.49μSv/h →    0.34μSv/h
開拓者群像前   2.70μSv/h →    0.27μSv/h
八角堂中央    2.42μSv/h →    0.17μSv/h
後方広場中央   2.73μSv/h →    0.17μSv/h

除染しても、時が経てば元に戻る。
そもそも、福一からはじゃじゃもれ状態。無責任党の何とか言った元総理は終息宣言をしたがね。現在は、汚染水漏れが新聞を賑わしている。地元の人と話す機会があり、放射能に関してお話をさせてもらったが、モニタリングポストの値など信じていないとの事。「俺たちおじさんはいいよ、先がないからね。しかし、子供たちがかわいそうだ」・・・と、淡々と話されている。街の様子を見ていても、マスクをしている人は少ない。数少ない知人の老婦人も、夏の暑さに辟易してマスクをはずしていた。

「帰還、除染、瓦礫処理」は三位一体の利権。
かつて、石原前東京都知事は、瓦礫処理反対の言葉に対して「黙れ!」という暴言を吐いた。大阪の橋下市長は、「絆」という言葉を頻繁に使い、瓦礫の受け入れを進めた。放射能汚染に関しては「拡散しない、一極集中」が大原則なのにね。

さてさて・・・これからの日本は・・・東北は・・・福島は・・・と、思い悩む必要はない。少なくとも私はね。
人それぞれ固有の、誰も関与できないプロセスが用意されている。生まれる前に自身で用意したもの。そのプロセスにしたがって、それぞれの固有の人生を歩む。ただね、私がこのような記録を残すのは、私自身がこの激動の時代に生きたというしるしであり、自己満足であり、政府、マスコミ、御用学者の嘘八百の情報を否定しているからです。放射能に関しては、非常に過敏になっている方も居られる。そのような方にとっては、このような内容の日記は非常に不愉快であり、より不安を増すものです。しかし、私は、私の調べられる範囲で真実に近いものを求めている。郡山に在住し、地元の人にとっては、こめかみの血管が痙攣を起こすようなものでもね。

子供たちの病変が広がっているようだ。御用学者たちの言い分は、

「チェルノブイリでは、4〜5年後の多発した」との事。

チェルノブイリでは、事故後から観察をしていたのでしょうかね!?当時の東方圏は情報隠蔽はひどかった。情報操作もひどかった。真実を言うと牢獄に放り込まれている。現在の日本は、旧ソ連よりもひどい状況だと思っている。逃げる権利も奪われているのだからね。旅をしているときにお叱りの言葉の中で、「ならば、どうすればいい!?」という詰問調の言葉がある。いまさらながら・・・家畜人間、ロボット人間らしい言葉だと思う。人それぞれおかれている環境、立場がある。そんなことは自身で考えることであり、人に相談するべきものではない(自分の脳みそを自分で使っていない証左である)。また、私は旅に出る前は、福島県全域を強制避難地区にするべきだと考えていた。どこに避難するかは人それぞれであり、判らない多くの人の為に、官僚が情報を持っているのですよ(過疎の地域、どこにどれくらいの人を送り出せるか!?)。その官僚の情報を下に、政治家が動くべきなのだと思う。しかし、無責任党の政治家・官僚はスピーデイの情報でさえ自国民に知らせず、他国のために使っている。
事故後の放射能の拡散情報も日本からではなく他国からの情報をネットで知る始末。なんともはや・・・です。

さてさて・・・貴重な医療データーが集まることでしょうね。

野良君
野良猫にご飯を持っていってあげている。
気持ちいいほど懐いている。かわいいものです。一日1時間ほどの癒しの時間です。

カラス君たちへのご飯やり
ほぼ毎朝、カラス君たちにご飯を持っているってあげている。下宿で出た残飯や、私が出す残飯。なければ安いラーメンの麺を湯でもどして持っていってあげている。ちょっとした知り合いの男性と朝に出会った。私がからすにご飯を上げていることを話すと、男性は、「カラスは強いから大丈夫だ」という。ちょっとまってよ!それは人間のエゴだろう!?人間の乱開発によって餌場・住処を奪われ、生きる為にゴミを漁っているカラスたち。原因を創っておきながら、結果が返ってくると、「カラスはけしからん!」と非難し、ネットを張る。ネットを張るのはいいが、ちょっと、違うのではないか!?と、おもう。
ラジヲでも、たいそうな肩書きの学者が、「自然のままがよいので、餌はやらないほうがよい」との賜っている。「自然のまま」とはいったいどのようなものなのか!?
私は、このようなエゴ丸出しのことを言う人間は"妖怪人間”と思えて仕方がない。

人間の手が入っていない自然。
公園や日本庭園のように管理されている自然。
阿武隈川の周辺のような民家が押し迫ったような小さな自然。

どのような環境を自然と呼ぶのか・・・!?

少なくとも、私がカラスたちにご飯を上げて半年が経つが、私が利用しているごみ集積所や近くのゴミ集積所をからすが漁る頻度は低くなっている。カラスたちも、人間への腹いせにゴミを漁って散らかしているのではない。生きる為のサバイバルをしているのです。私は以前から、コンビニやスーパーで出る破棄食材を提供してもらい、各地に餌場を作るべきだと言ってきた。破棄食材の再利用は10パーセントに満たないといわれているらしい。他はゴミとして破棄される。東北では、熊に関してもニュースになる。熊も好き好んで人間の近くまで来ているのではない。生きる為のサバイバルである。大量の破棄食材をへり等で山の奥地に運び、熊の胃袋を満たせば、人家がある所まで降りては来ない。ついでに、監視カメラなどを設置しておくと、動物たちの動態も解るのではないか。
また、鹿・イノシシの害などで、駆除のために得られた鹿やイノシシの死体なども運んでやればよいのです。自然を破壊し、動物たちの苦しめているのは人間なのだから、このくらいの心使いはあってもよいのではないか・・・と、思う。

知る権利
機密情報漏洩防止のための法律で、マスコミが「国民の知る権利」という言葉を使っている。妖怪人間どもが!!!「知る権利」を阻害して来たのはマスコミであるということを認識するべきではないか。これは政治家とのグルだがね。困ったものだ!?ただね・・・現在の政治家に、日本を守るということを本当に考えている人はどのくらいいるのでしょうかね。まあ〜これもシナリオの一部なのでしょうね。

振り子
全ては振り子のごとく動いているのかもしれない。
右に揺れたら左に、左に揺れたら右にと、人の感情・行動、社会の動き、世界の動き自体もね。その動きによって、何が大切なことなのかを理解してゆく。この事は、「破壊と創造」につながるのだと思う。大きな揺れの世界。その世界の中での循環。

8月23日
今日は処暑。
秋の気配が漂う今日この頃ですが・・・まだまだ、暑い。

8月26日
お風呂に入りに行った。
風呂に入り、湯船でのんびりしていると、私が今置かれている環境が浮かび上がってきた。今、置かれている環境は私にとっては理想的な環境に感じます。社会からフェードアウトした私にとってはね。自然の冷暖房の環境下にいる。こちらは昼夜の気温差が大きく、熱帯夜が少ないのがよい。いいな〜と感じている。
都会で暮らしていた時の事を思い浮かべると、墓場の中にいたように感じて仕方がない。
林立する高層ビル。
まさしく墓標です。
歩いていると、墓場を見ることがある。立派な墓や、余りそうでない墓。
都会のビル郡もそのように感じる。そのような中で生きている人たち。生きる屍のように感じる。自分を押し殺し、仕事の為に生きる。通勤している人たちの表情を見ると、能面のように無表情で、ロボットの群れのごとく歩いている。まさしくゾンビの行進のようだ。私も昔は嬉々としてそのような環境下に身をおいていた。だからこそ、今の環境が理想のように感じるのでしょうね。

8月30日
気象庁は、今日から「特別警報」なるものを施行するようだ。
気象の激変で、これまでなかった気候の変動が起きている。

まだまだ、始まったばかり。自然の変動は、安定するまで続く。突発的な変動は人工的な操作であるが、自然の激変はピークに達するまで徐々に激しくなり、ピークに達すると徐々に収まってくる。それに伴い、人類の意識の変化、人類以外の生物の生態変化が起きるでしょうね。起きざるを得ない地球環境に移行している・・・と、思う。


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やまと すぴ子さん ありがとうございます。 (13/10/05 05:04)
すぴ子 優しい人たちに囲まれて穏やかな日々を送るやまとさん・・・自分のことみたいにうれしい!・・・また気が向いたらふらりと戻って来てね。 (13/10/05 01:01)


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